Ⅲ 通信士、真衣・プロセッサの場合
諦めの気持ちがある
諦めない男がいる
正しいのはどちらだ
少女。真衣・プロセッサにとって、世界とはくだらないモノだった。
未だ幼い容姿の彼女は、しかし年不相応の能力を有している。
薬や機械で脳を調整して、身体のあちこちへ小型電子部品を詰め込んでいく事で完成する。感覚を端末に繋いで情報処理演算を可能とした、属に『エリート』と呼ばれる者が有する能力だ。
本来あった右腕を切り落とし、代わりに端末へ直接接続可能なユニットを搭載した義手が取り付けられたら瞬間。彼女にとって、世界はどうでもいいモノへと成り下がったのである。
人間を止めて手には入ったのは、電子端末と会話をする能力。とでも言えば聞こえはいいが、実際は右義手から伸びるコードで接続して頭の中に直接流れ込んできた情報を超高速分割演算しているだけに過ぎない。
私自身が、進化した電子端末なんだ。だから、自分を引き取りに来る『持ち主』がそのうち現れる。そう思って、彼女はその瞬間をずっと待っていた。
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「ん? んん? つまり、ここを押せば通信プログラムが立ち上がって、大規模通信環境における情報のやり取りができるわけだな?」
「少佐、ネットって言葉知ってる? 流石にこれはアレだよ? ちょっとやばめだよ?」
人差し指で恐る恐るキーボードを叩く晶に、真衣は眉根を寄せた表情で答えた。
このご時世になっても端末を触った事がないらしい莫迦――もとい現副隊長を見兼ねた八雲が、最低限の手解きくらいはしておいてくれないかとやってきたのが数時間前。
ようやくネットという物の概念を理解させたのだが、彼女は真衣の予想を大幅に超えるほどの手間を要求してきた。
ぶっちゃけ、こんなのはさっさと終わらせて書類の整理や積みゲーや趣味のハッキングに向かおうとしていたわけだが。そんな予定を考えながらの片手間ではどうにもならない事ということを理解するまでに、それほどの時間はかからなかった。
むしろ、今ここまで理解させらた事は一種の奇跡かもしれない。私って超凄い!! と過信出来るくらいにはとんでもない労力だったわけである。
「ふむふむ。『ぱそこん』というやつは奥が深いな。この『ねっと』を使うと地球の裏側にいる誰かと連絡が取れると聞いた。電話でよくないか?」
「わあ、せっかく教えてあげたのに電話とか言ってるこの人。ねえねえ、少佐。ぶっちゃけ、今まで報告書とかどうしてたの? 私的には、データ提出が主流なのに疑問でならないんだけど」
「ああ、書類? 私の所には、紙媒体の重要書類しか回ってこなかったな。何故か、前の部下たちはとても多忙だったけど」
見た事もない部下の人たちに、思わず真衣は労いの言葉を投げそうになってやめた。良く考えてみたら彼らは今、問題の上司がいなくなって仕事が楽になっているということである。
どうしてさっさとモバイルの使い方くらい教えなかったのか。あとで、逆恨み的にウィルスでも投入してやることを決心しながら視線を正面に戻す。
そこには少し目を放していただけにもかかわらず、画面を埋め尽くすほどのエラーウィンドウを発生させている莫迦がいた。
何をどうやったら、そんなにも器用極まりない事が出来るのか教えてほしい気持ちを抑え込む。
ともすれば、これを観察する事によって新ウィルスとか作れるかもしれない。そうポジティブに考えつつ、真衣は鋼の義手で晶の頭を殴った。
アヤカの足と違って接続端子である精密機器の塊だが、とてもいい音を隊舎内に響き渡らせる。
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彼女ら『エリート』達が勉強し、その様子がそのまま能力のプレゼンテーションになる場所――『スクール』。
月に一度。そこでは授業参観が行われており、沢山の軍人や政治家などが集まって来る。選別して、優秀者を引き抜くための会場である。
つまるところ、この学び舎はショーウィンドウも同然の施設だ。ガラス壁の中でディスプレイされている人形を、一つ一つ吟味して買い物リストに書き込んでいく。
ここは、そんな優しい監獄だった。
その『スクール』の中でも、指折りの『エリート』である真衣が売れ残っていたのは、一重に彼女の高性能すぎる故の欠陥が原因だろう。
あまりにも致命的な、それでいてどうしようもない欠点。自身を人形だと思っているからこその、どうしようもない破綻がそこにはあった。
当然、彼女ら『エリート』にだって人権はある。否、薬品や部品への適合率の事を考えると、その絶対個数が少ない彼女らは厳しい権限によって護られていた。
機械を埋め込まれた人形ではなく、機械を埋め込んでまで社会へ貢献してくれている人間という扱いで『エリート』たちの安全は保障されている。
しかし、それを彼女は受け入れない。それどころか、出されたオーダーは拒否の一つもなく実行してしまう。例え、それが処理能力を大幅に上回っている為に脳細胞を潰してしまう様なオーダーだとしてもだ。
本来ならそう言った無理なオーダーを拒否し、絶対個数の少ない『エリート』を保護するための権利が働かない。それらが自己申告でしか行使出来ない権利だからこそ、自身を扱われるだけの人形と認識する真衣・プロセッサには適応されない権利なのである。
これでは、自殺志願者と同じだ。そんな面倒な人間を欲しがる部署は無く、また『エリート』を過剰労働で殺した。などという不名誉な記事を書かれたくない政治家も敬遠していた。
ある意味で、彼女はとても有名で有能な『エリート』だったわけだ。
「初めまして、真衣・プロセッサ君。私と一緒に、世界征服とかしてみないかね?」
そこまで有名だった彼女に、わざわざ話し掛ける物好きなど殆どいるはずもなく。突発的で唐突に湧き出た男の存在は、彼女を少なからず混乱させた。
意味不明な存在が、彼女の通常処理能力を大きく上回っている。どんな人間で、どういう立場の生き物であるかすら読みとることが出来ない。
答えぬ少女に、正装の軍服を着た男は疑問の声を出す。
「おや? おかしいね。君は、とりあえず言われたことに『YES』と答えるイエスマン――もとい、イエスちゃんだと聞いたんだが……今、世界中のキリスト教信者に喧嘩を売らなかったかね? 私は」
会話が成り立たない。
そもそも真衣が口を開いていないのだから、会話になるはずもないのだが。しかし、そんな事はお構いなしに男は喋る。
世界屈指の聖人キリスト様は、その御業で人々を救いたもう。という話から、何故か今の世界情勢の話になり。それは「まあ、ぶっちゃけ世界情勢とかどうでもいいのだけどね」と無責任な言葉で締められて、勢いを失わぬまま何故か昨日食べた美味しい茶菓子の話へ移行する。
ここまで無秩序に超人的な速度で喋られたのでは、情報の演算どうこうの問題ではない。人類最高峰の演算能力を有する『エリート』の中でも指折りの存在は、話の要点が理解できずに思考が停止していた。
どうしていいか困惑したまま、目を白黒させている少女へ男が手を差し伸べる。なぜそんな流れになっているのか、全くと言っていいほどわからない真衣は言葉を聞く。
「と言うわけでね。うちの隊へ引き抜かせて欲しいのだが」
「何が、と言うわけでなのか。今の会話の中からは、全く理解できない」
「つまり、アレだよ。聖母マリアの受胎が核融合であぼんして、後のゲオルギウス君がオリンピック槍投げで優勝わーい。という話でね」
「……キリスト教、そんなに嫌いなの?」
気のせいではないかね? と首を捻った男は、そのままはの音を連ねて笑う。
やはり、話の意味はわからない。
最初の世界征服というのが嘘なのは明白だが、何を持って自分のような敬遠される個体を欲するのかが彼女にはわからなかった。
絶対個数が少ないとは言え、未だ配属の決まらない『エリート』など他に沢山いる。そちらを起用する方が、部隊運用が楽なのは本人でも知っていることだ。
だが、そんな真衣の困惑すら無視して男の言葉は続く。
「中途半端で凡庸な能力を、我々は求めてないものでね? 手続きは終わっているし、後は君から了承を得るだけなのだが?」
どうだろう? と問うた男の言葉に真衣は迷う。そして、迷った事実に驚いた。
健康診断も、定期テストも、限界突破演算能力実験も。この男と逢う直前までは、全てに「はい」と答えていたというのに。そんな自分が、ここにきて何故迷っているのかが理解できない。
どうかね? と答えない彼女に、男は再度問い掛けを放つ。きっと、答えがあるまで何度でも同じ事を問うのだろう。
「……か、考える。次の『授業参観』までには答えるから」
ようやっと彼女から出た言葉が、それだった。
何て不明瞭な答えだ。と内心で歯噛みする真衣とは反対に、男は大して気にもしていないらしい。懐からタッチパネル式の小型端末を取り出して、スケジュールの確認を始めている。
次の授業参観は五日後か。書類を一日で片付けて、指揮系統の統合を。としばらく呟いていた男は、頷き一つで操作を終わらせた。
端末を懐へ仕舞い、片手を挙げ。
「では約束だね。色よい返事を期待しているよ」
軽い挨拶を済ませると同時、男は全力疾走でその場から離れていった。
半ば跳躍の連続を思わせる高速移動は、ギアを三段飛ばしくらいの勢いで疾駆の領域に達する。
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最初こそそうでもなかったが、最近は求められる事など全くなかった。故に、突然自分を求めてきた男に困惑したのだと真衣は判断する。
どうすればいいのか迷いに迷い。わからない事を勉強する為、ネットに潜って男の個人情報を洗い出した。
名は七海八雲。階級は中佐だが、あと一週間で大佐への昇級が決定している。第一一〇小隊の引き継ぎ真っ最中で、隊員を集める傍らに仕事をしているらしい。
それでも着実に戦果を挙げ、デスクワークをこなし、人脈と情報網も完璧に構築している。正しく、天才が努力を重ね昇華した存在と言っても過言ではない。……たぶんないと思う。
そんな人物が、やはり自分のような個体を呼び寄せる意味がわからない。
本当にどうしようか? そう悩みの迷路に突入しそうになった瞬間、それは偶然に見付かった。
上層部に提出されたらしいスケジュールデータに、八雲の名がある。それも授業参観の日を跨いで、翌日まで『反政府ゲリラ掃討』と書き込まれたデータがだ。
見つけた瞬間、真衣の肩から力が抜けるのを感じていた。
戦闘地域は遥か北の地、シベリア。どう足掻いても、七海八雲は授業参観に出席する事が出来ないだろう。それが安心なのか残念なのかはわからないが、少なからず肩の荷がすっかり解消されたわけである。
果たして参観日当日。そこにはボロボロの戦闘服を着た七海八雲が、他の正装した人物たちの不審な視線も気にせずに、両腕を組んでど真ん中に立っていた。
正装用の軍服ではないそれは、ウェットスーツの上から装甲を取り付けた七海八雲専用の戦闘機動補助スーツ。
通信機付のヘッドギアと、固有武装らしい棺桶を思わせる鋼の箱を廊下に置き。やはりボロボロのコートでスーツをある程度隠しながらの出席。
目の下には隈がある。ここへ来るためだけに、相当な無理をしたらしい。
絶句。声もでない真衣を見つけた八雲は、本人に近付き問う。
「私の隊に来たまえ、真衣・プロセッサ君。流石に一日で鎮圧は出来なくてね、一応の膠着状態を作ってここに来た。当然、長くは保たないだろうね。故に、即刻の返答を貰えないだろうか?」
問いの声こそ相手を急かさぬように気遣った速さで紡がれているが、焦っているのは本当らしい。よくみると額には薄く汗が浮いていて、肩も呼吸を押し地つける様に浅く上下している。
イエスでもノーでも、聞いた瞬間に行動が起こせるよう身構えているのだろう。それが証拠に、起動補助スーツのバックパックも動力がオンになったままである。
正直、八雲が来ないと思っていた真衣は答えらしい答えなど用意していなかった。
つまり、思わず「行きます」と答えてしまったのは、本人にも与り知らない場所で起こった反射運動の賜物だ。
自身で言った言葉に、えっと声を漏らして困惑し。それでも、視線は何とか八雲へと合わせる。
彼の返事は頷きだった。
深くゆっくりと首肯して、口を開く。
「では、今すぐ能力を借りよう。少々厄介な相手とやり合っているんだがね。作戦の伝達が悪過ぎる。優秀なオペレータが必要だよ?」
必要とされる感覚を久しく思い出した真衣は、ただ力強く肯定の言葉を口にする。
それが、幼い少女が生きる意味を見付けた瞬間。同時に、八雲の家族になった瞬間である。
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「と言うのが、この隊の通信士。真衣・プロセッサ軍曹との成り立ちなのだがね? 晶少佐。君から聞いてきておいて、居眠りはどうかと思うよ?」
八雲が吐息して呆れる先。暖かな日差しを浴びている中庭で、九条晶はうつらうつらと首を落としていた。
名を呼ばれて、ようやく意識を覚醒させつつ。
「ん? すまん。あまりに嘘っぽいのでつい、な」
「ふ、む。確かに。彼女は随分性格も明るくなったからね。そう思うのも無理はないのだが……ああ、そうそう。あの時、真衣君とは一つ約束をしてね。性格上無茶をしてしまう彼女を――」
隊長隊長っー!! と不意に少女の声が割り込んでくる。説明を中断した八雲は視線を巡らせ、声の主を視界にとらえた。
隊舎の廊下、その窓から顔を出しているのは話題の真衣・プロセッサである。
ぶっちゃけ幼女と言っても過言ではない彼女は、窓からギリギリ顔を出して手を振り。
「個人情報ってねーっ! 一回ネット上に流出すると、完全回収は不可能なんだよーっ?」
「了解したっ! 約束の事は伏せておくから、勘弁して欲しいものだねっ!」
もう一度だけ元気よく手を振った真衣は、そのまま窓の向こう側へ消えて行く。
唯一第三者として見ていた晶は、眉根に皺を寄せ。
「今、どうやって私たちの話題を嗅ぎ付けた?」
「さてね。そういうネットワークでもあるのだろうと思うよ? あと、ここの場所がばれているということは少佐も逃走劇は終わりだね。逃げるのはいいが、諦めて真衣君にネットの指導を受けてくるといいよ」
嫌そうに表情をしかめる晶に、八雲は真衣が消えていった窓を指し示す。そこにはいつの間にか一枚の紙が貼ってあり、短いアドレスと一緒に「解除OSのダウンロードサイト」という文字が書き込んであった。
なんの事だ? と首を傾げた動作に連動して、不意にモバイル端末の着信音が鳴り始める。
音源を探るように二人してポケットを漁り、沈黙しているモバイルを八雲が取り出したところで異変が起きた。
着信音が、何故か最近流行りの日曜朝十時からやっているアニメのオープニングテーマに切り替わったのである。
え? という声は、二人とも同時だった。
ようやく自分のモバイルを引っ張り出した晶が、たどたどしい手つきで何やら操作しているが。音は止むどころか、作中でキメ台詞や技名を交えたパワーアップバージョンへと進化していく。
「おお、なかなか手が込んでいるね。こんなMADを短時間で作るとは、流石だよ」
「え? ちょ、感心している場合じゃないだろう! これ、どうやったら止まるんだ? なっ、なんでこちらからの動作が全部エラーになるんだ!?」
これも授業の一環なのだろうねえ、と思いながら八雲は笑う。
まずはURLを入力しなければいけないという事実に気付くのと、逆上した晶がモバイルを叩き付けて壊すのはどっちが先だろう。そんな事を考えながら、いつの間にか恥ずかしい台詞集に踏み込んでいるBGMを聞きつつ空を見上げた。
雲ひとつない晴れ渡った青空の先。大気圏も突き抜けた場所から見降ろす衛星を介して、そんな状況を見ている真衣も思わず笑顔がこぼれていた。
隊長&オールマイティ
七海八雲
変態 愉快な男 お父さん
階級、大佐
現・副隊長
九条晶
回し蹴り系男勝り少女 九条家令嬢
階級、少佐
元・副隊長
???
お母さん 鋼の翼
階級、?
フォワード1
坂本アヤカ(さかもと あやか)
迎撃キック 接近戦最強 義足 最初の娘
階級、伍長
通信士
真衣・プロセッサ(まい‐)
電脳幼女 指折りの『エリート』 腹黒
階級、軍曹
衛生兵・補佐
???
フォワード2
???
陸上特殊車両運用兵士&メカニック
???
航空特殊機体運用兵士&メカニック
???
後方支援1
???
後方支援2
???
衛生兵長
飯塚ナツキ(いいづか なつき)
三つ編みの常識人 晶の同期
階級、曹長