ⅩⅡ 五指の前衛、巴円の場合(前編)
隣に並ぶことを諦めた
だから後ろをついて行った
今は背中すら見えないけれど
遠くで、甲高い衝突音が響いた。きっと、向こうは始めているのだろう。
彼に相対しているのが、自分でないのは悔しい事実だ。しかし、昔からいくら挑んでも届く気がしなかった相手である。
昔ほど強くはないと聞いてはいるが、それでも勝てるかどうか。
弱気な考えで御座るな、と呟きながら巴円は息を吐いた。
こんなことでは、誰が相手でも負けてしまう。それだけは駄目だ。
「勝たねばならぬで御座れば」
両頬を叩いて気合いを入れ、正面へ視線を向ける。
自分は先駆けだ。敵地に突っ込み、偵察を兼用した先制攻撃を仕掛ける役目だ。
故に、指揮者を失ったモブを叩きに来たわけだが。
「ほら、見なさい。誰が隊長の様子見てくるか揉めてるのに、すごく待ってくれてるじゃないの」
「え!? くじ引きにしようって言ったのに、撫子さんが駄々こねたせいじゃ」
「дa.まさにその通りですが、アヤカ様。ここは黙っているのが得策かと判断します」
「おい、どうでもいいから貴様ら仕事しろ」
半ば諦めたように差し込まれた窘めは、当然のように聞き流してわいわいやっている。
確か新副隊長という立場の人物だ。資料には九条翁の孫娘とも書かれていた。
新任が決まる前に、八雲が決めた人事らしいが。目立った経歴は見当たらず、実力はいまいち不明だ。
何にしても。
(無駄にリラックスして御座る)
これでも、自分は『五指』の一人であるつもりだ。しかし、あまり彼女らに称号の威圧は意味をなさないらしい。
情けなくも思うが、これはこれでやり易い状況だろう。
「何でも構わぬが。とりあえず、お相手してもらうで御座る」
ゆっくりと重心を落とし、腰に提げた愛刀『物干し竿』に手を添えた。
約一・五メートルの刀身に、柄も合わせると二メートルを超える。
長刀なんて生易しいほどの間合いを持つ刀が、鞘からパージされる形で姿をさらしていく。
「お相手は誰にござろう?」
「私が」
赤い印の付いたくじを持って、撫子が一歩前に出た。
先ほどの緩みきった雰囲気はどこへ行ったのか、気付けば鋭い視線が向けられている。
なるほど、と思わず納得してしまう。八雲と関わった人間は、どうもこういうテンポが身についてしまうらしい。
昔は自分もこんな感じだったかと懐かしくなる。
「お互いに顔見知ってはいても、手合わせは初で御座るな」
「確かに、そうですね。私の『岩融』の性能がばれているのは、ハンデということにしてさしあげます」
減らず口を。
言葉に出さない声を心でつぶやき、円は前に出た。
こける寸前まで体を倒す独特な姿勢は、むかし八雲から教わった歩法である。
感覚としては、前に落ちていくというのが正しい。体が地面に落ちていくエネルギーを、そのまま前進する力へ置き換えて走っていく方法だ。
地面という壁を蹴って速度を上げながら、円は撫子へと飛び降りていく。
「それは! 隊長の歩法ですか!?」
「左様に御座る!!」
驚きの表情が近付き、あと二歩で『物干し竿』の間合いへと突入する。
リーチは撫子の方が有利だが、速度ならこちらが上だろう。意表をついて判断を鈍らせたのも大きい。
これなら、この一撃で仕留めることもできるかもしれない。
一歩を踏みこんで、間合いまであと二歩へと詰め寄る。
更に一歩踏み込んで、残りを二歩まで縮めていく。
違和感と共に踏み込んで、まだ二歩の間合いが残っていることに気付いた。
「なぜで御座るか!」
距離が埋まらない。
こちらは前に落ちて行っているというのに、着地するべき場所へたどり着けない。
なぜと思う気持ちに反して、脳は答えを導き出している。
こちらが前に落ちていくように、撫子の体は『後ろへ』落ちていっていた。
同じ歩法を、相手が行っている。それはつまり。
「間合いの分だけ、私の方が有利ですね!」
岩融の薙ぎ払いが一閃して、右から打撃が襲ってきた。直撃すれば腕の一本は持っていかれるだろう。
こんなところで、早々に深刻なダメージを受けるわけにもいかない。
前進を止めることなく、円は届かない太刀を振りぬいた。
‡
目の前で、刀と薙刀が激突した。
接触した両武器は火花を散らし、耳障りな金属音を出して擦れていく。
リーチはこちらが長い。刀にしては驚異的だが、流石に長柄の薙刀が上だ。
隊長の歩法を教えてもらって正解だったと、撫子は心の中で息をのむ。
今回の戦闘予定を聞かされたのは先週の話だったが。そのとき、八雲は自分の知っている情報を一つも教えてはくれなかった。
きっと、アテナも教えないだろうからね。と言っていたのが心に残っている。
(副隊長のこと、信じているんですね……)
あの二人の仲がいいのは知っているし、一緒にいるところを見ていると嬉しく思う。
だが、この心に引っかかる何かは。
「……邪念なのでしょうね」
「戦闘中に考え事とは余裕で御座るな!」
そうだ、集中しなくては。
お互いの武器が交差し、次の一手を放つために握り手を素早く変える。
こちらと彼女の速度は同じだ。今のままでは持久戦になるだろう。
だが、出来るならすぐにでも決着をつけて隊長たちの後を追いたい。
(それなら!)
手首を返す動作で刀が振りぬかれる。切っ先が目の前を横切っていった。
今度こそ、返しの刃はやってこない。完全に伸びきった腕が、まっすぐに背後へと流れていっている。
ならばと、撫子は動いた。
ステップで姿勢を入れ換え、前に落ちていく歩法へと動作を変更。こちらへ突っ込んでくる円へ、自分も突進していく。
驚きに歪んだ表情が近くなる。
こちらは長柄武器だ。近接戦闘は不利でしかない。
相手はそう思うだろう。だからこそ、対抗策なんて昔からいくつも考えてある。
「勝負です!」
「受けたで御座る!!」
お互いに速度が上がった。
急速に接近するが、二人の状況はまったく違う。
もはや振りぬいてしまった刀の握りをかえ、柄を叩きこんでくる円より。それを避けた上で、更に近付く撫子の方が圧倒的に有利だ。
岩融から完全に手を離す。
もちろん、長柄の武器が近距離で使えないのはこちらも同じだ。
しかし。
「武器だけが手段ではありません!」
「柔道に御座るか!」
円の肩をとって、腹の下へ手を滑り込ませる。
一騎討ちを仕掛けただけあって、突進の推進力は十分だ。
あとは流れに任せて地面へ組みふせれば、それで無力化できるだろう。
「柔術です!!」
訂正の声と同時に、重心を下へ滑り込ませる。肩で胸に当て身を入れ、その反動を利用して円の体を跳ねあげた。
いけるという確信を持って背負い投げ、物干し竿の刃にだけ気をつけつつ組み伏せる。
関節さえ極まっていれば、押さえるのは片手で十分。空いた右手を伸ばした先に、岩融が落ちてくる。
「これで詰みました」
短く持った薙刀の刃を首にあてれば、これで勝ちが確定した。
しかし、下敷きになったままの円がうっすらと口元を緩めている。更に余裕をもった声で口が開き。
「確かに、見事で御座るなあ」
賞賛の声と同時に、背中がざっくりと切り裂かれた。
‡
驚きで緩んだ拘束から逃れるのは難しくなかった。
背中の苦痛に耐えながら戦う撫子をあしらうのも、それほど大変なことではない。
全体的な流れは円にあり、先ほどから攻撃は一方的なものになりつつある。
だがしかし。
(決定打が入らんで御座る)
致命傷を与えないよう配慮はしているが、手加減をしているつもりはない。むしろ、腕の一本は貰うぐらいの攻撃を繰り返している。
その全てをギリギリで受け止めながら、あらぬ方からやってきた攻撃の糸口を探っているようだ。
「すまぬが、あまり時間をかけている余裕はないで御座れば。物干し竿の機甲性能、ツバメ返しを持って最後の一手にするで御座る」
「大盤振る舞いで性能名まで教えてもらったところアレなんですけど。ムサシって二つ名、改名したらどうですか?」
冷や汗が吹き出した顔に、撫子が笑みを浮かべている。この強がりも、どこから湧いてくるのかがわからない。
だが、こちらは岩融の機甲性能は知っている。攻略方法も八雲がやって見せたのを知っているのだ。負ける要素などどこにも見当たらない。
「それでは私も全開で。岩融の性能をご覧にいれます」
大上段に構えられた薙刀が、超過振動で唸りを上げている。
初めは鈍く、すぐに甲高く。空気を切り裂く声が響き渡っていく。
踏み込む。
一歩を出て、地面を這うように姿勢を落とす。
体が重力に引かれるのを、無理やり前進の力に捻じ曲げて落下するように走っていく。
撫子は動かない。おそらく血を流しすぎて、大きく動けないのだろう。
だから、同じ速度で後退することも、急に突っ込んでくることもない。
(あるのは待ちの一手のみで御座ろう!!)
岩融の弱点は、超過振動による両断が刃にしか適用されないことだ。
長い柄の部分は、触れてもどうということはない。
つまり物干し竿で払ってしまえば、あとはツバメ返しで切り刻んで詰みである。
一歩ごとに姿が近付く。
赤々と背中を濡らす撫子は、顔が青く立っているのも辛そうだ。
「安心するで御座る。これで貴殿は休めるので御座るから!」
すっと、撫子の口元が緩んだ。
まず、なぜ笑えるのかという疑問が円の中で駆け巡る。
同時に、大上段の岩融がゆっくりと振り下ろされていく。
だが、そのタイミングはどう考えても早いと判断し。
これは、血を失いすぎて目測が狂ったのかという疑問がわいた。
そして、最後になって気付く。
「私だって、ちゃんと学習くらいするんですよ」
力ない声だったが、岩融の強烈な一撃が来る。
一直線の軌道を描いてやってくるのは、薙刀のリーチを活かした突き。こちらの踏み込みに合わせて、刃が迫ってきていた。
払わなくては、と思う気持ちが反射的に物干し竿の軌道を修正する。
大上段を払うはずだった体の動きを捻り、中段を切り落とす姿勢を作り。
「なっ!?」
打ち込んだ物干し竿が、半ばで切断された。
どうして。
「どうして、初めから物干し竿を狙ったので御座る!」
疑問をぶつけた先で、撫子の体がぐらりと傾く。
表情には笑みがあるまま、ゆっくりとした動作で体が前のめりに倒れこんでくる。
手から取り落とされた岩融が、地面を切断して必要以上に地面へと食い込む。耳障りな振動音が土を抉り、深々と突き刺さっている。
彼女の背中から漏れ出した血液が、赤く視界の端を濡らしていた。
そして、欲しい答えは聞けないまま決着はやってくる。
円の体に半ば抱きつくような形で撫子は倒れ込み、そのままずるずると地面に滑り落ちていった。