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真・恋姫†無双 ~昭烈異聞録~   作者: 不識庵・裏
第一部「楼桑村立志編」
6/62

第六話「黄漢升は関仲拡に亡夫の面影を見、孫伯符は劉伯想と契りを交わす」

 どうも、不識庵・裏です。今回は……十八禁ではありませんが『お色気』を入れてあります。元が元ゆえに、ちょいちょい入れた方がスパイスになるかなァと思いました。


 取り敢えずですが、第六話を投稿するに到りましたので、読んでいただければ幸いです。



「紫苑ッ! ここは危険だ! 早くここを出るぞ! 」



 子供の頃からの親友である桔梗が、子を産んだばかりの私の部屋に駆け込んできたのは雷雨の夜だった。


 軍装姿の彼女は肩で息をしており、顔色もすこぶる悪い。これは只事ではないと思った私は、迷わず彼女に聞いてみる事にした。



「あら、どうしてなのかしら? それに……戦でも無いのに、なぜそのような出で立ちを? 」



 すると、彼女は少しの沈黙の後、勢い良く口を開く。



「その戦だ……。賈龍(かりょう)が、想貫が、お前の夫が……君郎様に謀反を起こし挙兵したのだっ! 」



 両目から滝の様な涙を流し、悔しそうに顔を歪めながら彼女が叫んだその内容は、私の心に大きく影を射すものだった。



「そ、そんな……。あの人が何故!? どうしてなの!? 嘘でしょ? ね? 桔梗……嘘だといって!! 」



 私は寝台から飛び出し、彼女の両肩を掴み絶叫する。嘘であって欲しかった。しかし、今の桔梗の顔を見るからに、それが嘘ではないのがわかる。



「大方、君郎様をお諌めせんが為に起こしたものであろう……。今この家に君郎様の兵が向かっている。お前と生まれたばかりのお前の子を捕らえになっ! 」



 すると、桔梗は私の服や弓を引っ張り出し、それをまとめて私の前に叩きつけた。



「詳しい話は後だ! 外に馬車を用意してある。早くそれを着て、お前は子を連れて早く外に出ろ! 」



 出産で力を使い果たした体に鞭を打ち、私は身支度を整える。そして、小さな籠の中で眠る生まれたばかりの璃々を布に包み、外に待たせてあった馬車に乗り込んだ。



「飛ばすぞ! しっかり掴まっておれ! 」



 そう言うと、手綱を握った桔梗が馬車を物凄い勢いで走らせ始める。後ろを振り返ると、家の中に兵士達が入っていく光景が見えた。



「何処に向かうのかしら? 」



 殺気だった顔で馬車を飛ばす彼女に、私は恐る恐ると尋ねてみる。



「ここから少し離れた所にわしの知己が住んでおる。楊季休(ようききゅう)という男でな、学者崩れを決め込んでいるが中々の切れ者よ! 」



 珍しいと思った。辛口の人物評価が多い彼女をして『切れ者』と言わせるこの人物は何者なのだろうか? 

 

 しかし、そう思ったのも束の間の事で、段々と自分の気が遠くなっていくのが判る。いきなり信じがたい話を聞かされた上に、出産直後なのにもかかわらず無理に動いたせいで、急に心と体に負担をかけすぎたのだ。璃々を抱く自分の腕をおぼろげに見てみれば、血の気が失せて真っ白になっている。



「おいっ、紫苑ッ! しっかりしろ! おいっ! 」



 遠ざかる彼女の叫びを聞きながら、私は気を失った。




「はっ…… 」



 意識が戻ったのか、紫苑は目覚める。彼女の目の前には見慣れぬ天井が広がっていた。



「嫌だわ、また同じ夢……ここって誰かの家なのかしら……? この寝間着も自分の物じゃないし…… っ! 璃々はっ!? 」



 ゆるゆると体を起こすと、額から湿らせた布がハラリと零れ落ちるのが判る。しかし、彼女はそんなことも構わず、ゆっくり周囲を見回してみる。どうやら、誰かが自分を休ませてくれたようだ。意識を失うまで、自分は娘と一緒に涿郡の街道を歩いていたのだから。


 おもむろに胸元を摘んで見れば、見慣れぬ女物の寝間着が着させられていた。薄紅色で可愛らしい感じの意匠が施されているが、自分には少し『胸の部分』が窮屈に思えるし、丈も短く感じられる。恐らくこの家に成人か、或いは未成年の若い女性がいるのだろうと彼女は思った。


 そして、娘の存在を思い出す。まさか離れ離れになってしまったのか? 焦りを覚えた彼女は寝台から離れ、部屋の中をくまなく探し回る。


 安住の地を求め、紫苑は娘と二人当て所ない旅を続け、どこか空き家のある村を探し回っていた。一応の目的地である幽州に着いたものの、何処の村も入れてくれる場所がなく、それが続く内に体調を崩してしまった。騙し騙しで何とか気張っていたが、楼桑村に向かう途中で意識を失ってしまったところまでは覚えていた。


 しかし、気付いてみれば誰かの家で寝かせられており、娘の姿が見当たらない。扉を開けて部屋を出ると、彼女は大切な愛娘を探し始めた。



「璃々…… 」



 廊下を歩きながら、娘の名前を無意識の内に口にすると、とある一室の扉の隙間から明かりが漏れているのが判る。彼女は迷わずそこへ足を進んだ。



「やったぁ~璃々のかちぃ! 」


「ちっくしょ~! まぁた負けちまったぁ! 」


「やれやれ……これで義雷殿の十二連敗ですな 」


「璃々に勝ってるのは声だけね、義雷って 」


「うっせいやい! てめぇなんざ『勘』が強いっていう割には璃々に一回も勝ってねえじゃんかよ! 」


「何ですって……。ちょっと表出なさいよ! このでくのぼう! 」


「おう! こちとら望むところだ! さっきから兄者に対して馴れ馴れしいんだよ! このアバズレが! 」


「やめんか義雷! 年下の娘相手に大人気ないぞ 」


「しぇ、雪蓮様~! おやめ下さい! 折角桃香様達のご好意でここのご厄介になってるではありませんか! 」


「二人とも、喧嘩やるなら表でやってくれるかしら? それと、ウチの売り物に傷付けないで頂戴。 折角一刀が考案してくれた新しい玩具だし、それ作るのに手間掛かったんだから! 」


「やめねぇか、二人とも! 義雷も雪蓮も大人げねぇ! 」


「う、悪かったよ、兄者 」


「う……。そうね、一心の言う通りだわ 」


「しぇれんおねえちゃんも、ぎらいおじちゃんもけんかしちゃ『めー』だよ? 」


「はっはっは、こりゃあ二人とも璃々ちゃんに一本取られたな 」



 何やら楽しそうな声が聞こえてくるではないか。その中に璃々らしき声も混ざっている。居ても立っても居られなくなり、紫苑は迷わずその扉を力強く開ける。



「璃々っ! 」



 そう叫びながら彼女が部屋の中に入ると、実に奇妙な光景が目の前にあった。部屋の中には大き目の卓が置かれており、その上には模様と数字らしきものが書かれた札が、山のように置かれている。


 そして、それを囲むように七人の男女が椅子に腰掛けており、彼らの真ん中には自分と同年代位の男が楽しそうにはしゃぐ璃々を抱きかかえている。



「あっ……おかあさぁ~ん! 」



 そう璃々が叫ぶと、部屋に居る者全員が一斉に彼女を見た。



「璃々ッ……あっ! 」


「むっ、いけませんな。貴女はまだ休んでなければなりませんのに 」



 我が子に駆け寄ろうとするが、まだ体調が万全でない紫苑は急に目眩を覚え、よろめいてしまう。だが、彼女の近くにいた義雲が咄嗟に彼女を抱きとめた。



「あ、ありがとうございます……っ!? 」



 礼を言おうと思い、紫苑が改めて義雲の顔を見た瞬間であった。彼女は信じられないものを見たような顔になり、目を大きく見開く。



「あ、あなた…… 」


「!? 」


「あなた、あなた……あなたぁ~~~!! 生きていてくれたのですね!! 」



 彼女の言葉に、思わず絶句する義雲。一方の紫苑は『あなた』とくり返し呟くと、両目から涙をぽろぽろと流し始めた。


 そして、ついには彼の濃緑色の長衣の胸元を鷲掴み、彼の胸に顔をうずめて泣き崩れる。



「なんだなんだ? 義雲兄貴もやるなぁ~? 俺ぁ感心しちまったぜ? 」


「おい、義雲……。まさか、他所様の女に手ェ出したんじゃあねぇンだろうなァ? 良く良く考えてみりゃあ、おめぇさん。璃々ちゃんのおっ母さんみてぇなのが好みだったしよ 」


「兄者っ! 義雷ッ! 二人とも冗談はやめて下され。第一わし等はいつも行動を共にしているではありませぬか。他人の妻に手を出すような真似は、この関仲拡。皇天后土の神々に誓い、決して無いっ! 」



 ニヤリといやらしく笑う義雷と一心。それに対し、只でさえしかめっ面が多いというのに、義雲は余計顔をしかめるばかりだ。面識のない美女にいきなり泣きつかれ、正直、今の彼は内心物凄くうろたえている。



「ふぇ? ぎうんおじちゃんって、璃々のおとうさんだったの? 

……あーっ! このまえ璃々に『しー』したおじちゃんだぁ~~!!  」


「これこれ、璃々。それは断じて違うぞ? わしはそなたの父君ではない! 」



 きょとんとした顔で小首を傾げながら、璃々が問いかける。だが、その刹那。何かを思い出したのか、眼をキラキラさせながら、璃々は大声で叫んだ。


 これには堪らず、流石の義雲も動揺の色を表に出した。その様子がおかしかったのか、周囲からは忍び笑いがもれてくる有様である。



「ぷぷっ、おっ、おっかしいの! 仏頂面の義雲があんなに慌てているわよ? 見てよ、明命! 松花! あははははっ! 」


「ぷくくっ、しぇ、雪蓮様。わ、笑ってしまっては義雲様に失礼と言うものなのですっ! で、ですが我慢できないのですッ! あははははははっ! 」


「う、うふふふふっ、ちょっ、ちょっと二人とも! そっ、それ位にしとかないと、義雲さんにぶっ飛ばされちゃうわよっ!? あはははははっ! 」



 お腹を押さえながら笑いをかみ殺していたが、ついに堪えきれず爆笑する雪蓮、明命、そして松花(そんふぁ)。この松花の真名を持つ少女は、姓を簡、名を雍、字を憲和(けんか)という。


 前も説明したが、楼桑村きっての裕福な家の娘で、家は商いをやっており、大勢の使用人を抱えているほどだ。


 彼女の特徴は膝まで届く長い黒髪で、肌は白磁の如くきめ細かく、桃香には劣るが中々大きい胸の持ち主だ。顔の方はというと、勝気できつそうな印象を与えるが、美人の範疇に入っており、いつも頭に※1絲帶(シダイ)を巻きつけ、右のこめかみで可愛らしく結んでいる。


 余談ではあるが、彼女は一刀に好意を寄せている。彼に真名も預けたが、一刀の方はいつも主導権を握る彼女の事を苦手としていた。


 彼女は幼少の頃から令嬢にふさわしい様々な作法を学んでいるが、性格に難があった。相手が誰であろうと『タメ口』で話し、おまけに無遠慮で無頓着な振る舞いが多かった。しかし、基本的に彼女は義理人情に篤く、優しさも持ち合わせていたりと、要するに『根はいい奴』なのである。


 だが、損をしやすかった彼女には中々友達が出来ず、唯一無二の親友といえるのは、人の本質を見抜く眼と寛容さを持ち合わせた桃香だけであった。


 そんな彼女であったが、村の客人になった雪蓮と明命と早速意気投合し、真名を預けあった。蓮華だけは、『無礼者!』と目くじらを立てたものの、すぐに雪蓮に諭され、松花自身も桃香に諌められ事無きを得る。


 実は、雪蓮は頭の中に存在する帳簿に、松花の名も書き記している。これもいわゆる『勘』であったが、彼女自身高い教養を身につけているし、商人の娘と言うことで金勘定とかがしっかりしていそうに思えたからだ。



(ウチって文官も不足しているしねー。松花だったら十分使えると思うし。それに、いい加減冥琳と穏に丸投げする訳にもいかないしねぇ……いずれは私の代わりに政務をしてもらおうかな? )



 と、文官不足を建前に、彼女は自分の身代わり政務官を作ろうかと、トンでもない思惑を抱く。



「ははは、皆様方。これ位にして置かれた方が宜しかろうかと存じます……。義雲殿が本気でお困りですからな 」



 白羽扇で口元を覆い、軽く笑い声を上げる照世。だが、彼が一心に目配せをすると、一心は何やら理解したかのように肯き返す。


 雪蓮はこの二人のやり取りを見て、自分と周瑜こと冥琳との間にある※2友情の篤い交わりを思い出す。



(でもね、桃香や一刀に一心達をひっくるめて全員ウチに欲しいと思ってるけど、一番欲しいのは貴方よ、諸葛然明。いや『照世』……悔しいけど貴方の才覚は恐らく、冥琳の遥か上だと思うわ……敵に回ったら一番厄介なのは貴方よ )



 目を細めて、雪蓮はこの独特な雰囲気を持った一心の知恵袋を凝視する。彼女は絵札遊びをする前に、象棋で照世と十局程対戦したが、彼に一度も勝てなかった。


 お得意の『勘』を働かせ、あれこれ駒を動かしたり翻弄させようと思ったが、全て裏を掛かれる始末。この戦法で縁や冥琳相手に五局中二局は勝つ事が出来ていたし、穏には三局勝っていたのだ。しかし、彼にはそれが全く通用しない。



「大局に臨む上で『勘』は必要でしょう。ですが、そればかりを頼りにしていると、いつかは取り返しのつかぬ大失態をしてしまいます。自分できちんと考え、人の意見にも耳を貸すように務めるべきですな 」



 挙句の果てには淡々とした口調でこんな事まで言われてしまったのだ。正直思いっきりめげたものの、即座にこの男が欲しいと思った。この男が母様か、或いは自分か妹の傍らに居れば孫家を繁栄させる策を献じてくれるかもしれない。



(でも、いきなりは応じなさそうね……。それに一心の事も気になるし……ああ、もう! 何でアイツの顔を見るとドキドキしちゃうのよ! )


「あ~、すまねぇが、璃々ちゃんのおっ母さん。悪ぃが、そいつぁあんたの旦那じゃあねぇんだ。赤の他人だよ。コイツも困ってるし、いい加減放してやっちゃあくんねぇかな? 」



 そんな調子で雪蓮が悶々としている一方で、一心が真に申し訳なさそうな顔で、未だに義雲にしがみ付き泣きじゃくる紫苑に声をかけた。すると、ピタリと彼女の動きが止まる。義雲はほとほと困り果てた顔になっていた。



「え……、違うというのですか? この方は私の夫に相違ありません! 姿形も、声も、夫と同じです! 何故(なにゆえ)妻の(わたくし)が間違えましょう!! 」


「失礼ですが、璃々殿のお母君。何か勘違いをされているようですが、この方は関仲拡と申します。彼は我等が主、劉伯想の義弟にてございます…… 」



 涙に濡れた瞳のままで、紫苑は一心に食いついたが、いつの間にか一心の隣に控えていた照世が、彼女を諭すべく涼やかな声で事実を語る。



「賈龍ではないのですか…… 」


「すまん……。わしはそのような者ではない。わしの姓は「関」! 名は「翼」! 字は「仲拡」! これがわしの名だ……何なら皇天后土の神々にかけても構わぬ 」


「ごめんなさい……。(わたくし)の勘違いで貴方の心を悪戯に乱してしまって…… 」



 なおも食い下がろうと、紫苑は亡夫の名を口にし、義雲に尋ねてみた。無論、覚えが無い義雲は、首を横に振ると、彼女に己の名を名乗り上げる。


 すると、紫苑の顔に影が射し、彼女は顔をうつむかせてしまう。そして、弱々しくか細い声で義雲に謝った。



「ですが、ですがっ! 今暫く(しばらく)はこうさせて下さいましっ! 亡き夫に瓜二つの貴方様のお姿を見てしまっては、何故引き下がれましょうや! 」



 そう、叫ぶと否や、紫苑は義雲に力一杯しがみ付き、先程と同じく彼の胸に顔をうずめて泣き崩れてしまった。悲痛な彼女の慟哭が、この場にいる者全ての胸を痛いほどに激しく打つ。


 笑いこけていた雪蓮と明命、そして松花は貰い泣きしたのか涙を流し、義雷は「何でぇ、何でぇ、泣かせんじゃねえかよ 」と人差し指を鼻の下にあてがい鼻をすする。


 一心は悲痛そうな表情で顔を背け、照世は白羽扇で顔を隠し涙を流していた。



「ふっ、ふえええっ、お、おとうさぁ~~ん! 」



 泣き崩れる母親に釣られたのだろうか。璃々も顔をクシャッとさせると、あれほど懐いていた一心の元を飛び出し、父の名を叫んで義雲にしがみ付くと大声で泣き始めた。



「真にすまぬ……わしがそなたの夫であり、そして璃々の父に似ていたが為に辛い思いをさせてしまったようだ。だが、泣きたいのであればこの関仲拡、幾らでも胸をお貸し致そう。思うが侭に泣かれるが良い 」



 義雲が親子にかけた言葉は、実に威厳のある重く低い声だった。それが更に引き金になったのか、二人の彼にしがみ付く力と泣き叫ぶ声が余計に強くなる。


 そして、義雲は自分の大きな手をそれぞれの頭にそっと置き、ゆっくりと慈しみを与えるかのように撫で続けた。



「やれやれ……どうやら私は璃々ちゃんに振られたようだ、照世…… 」


「別に構わぬではありませぬか。一心様は十分に役割を果たされたと、この照世は思いまする……後は義雲殿にお任せしましょう…… 」

 

「そうだな……少しでも良いから、この親子の心の傷が癒えてくれれば義雲も本望であろう 」



 『劉備』の顔と口調で一心が苦笑いでおどけて見せると、服の袖で涙をぬぐった照世はフッと口角を吊り上げる。


 そして、二人は優しい笑顔でこの悲嘆に暮れる親子が泣き止むまで温かく見守る事にした。



「あっ…… 」



 思わず雪蓮が声を上げてしまう。一心と照世の姿が何だか別のものに見えたからだ。


 一心が腰掛けている只の椅子が、皇帝の玉座に変わり、頭には頭巾(ときん)だけなのに、皇帝の象徴たる、前後十二本ずつの白色の玉飾りを下げた※3冕冠(べんかん)を被っている。着ている物も質素な服から龍の刺繍が施された豪華な物になっていた。


 後ろに控える照世も同じだった。頭に青く染め上げた※4綸巾(かんきん)を被り、純白の※5鶴氅(かくしょう)をゆったりと着こなしていて、そのいでたちは右手に持った白羽扇と相まっている。雪蓮には、この二人が実はとんでもないものではないのかと思えてきた。特に一心のそんな姿に彼女は、彼に物凄く吸い込まれそうな感覚を覚える。



「うん? どうしたんだ雪蓮。人の顔をマジマジ見やがって? ははぁん、さてはおいらが余りにもイイ男だからって見とれていたか? 」



 こちらに気付いたのだろうか、一心がいつもの口調で雪蓮に話しかけてニヤリと笑うと、照世は白羽扇で口元を覆い隠し、くすくすと笑う。彼女が見た幻想はあっという間に立ち消えており、二人とも元の村人の姿に戻っていた。



「べっ、別に……その……一心、ちょっと話がしたいの。いいかしら? 」



 何か言おうと思ったが、雪蓮の頭には何もいい言葉が思い浮かばず、咄嗟に閃いた言い訳を気まずそうに言うのが精一杯だった。



「なんだなんだ? まさかマジでおいらに惚れちまったのかい? おいらに惚れると火傷するぜぇ~? 」


「そんなんじゃないわよっ! 馬鹿ッ! 」


「あ、雪蓮様、どちらへ? 」


「外ッ! 少し頭を冷やしてくるわ! 」



 一心の揶揄にカチンと来たのか、雪蓮は柳眉を吊り上げ、顔を真っ赤にして彼を怒鳴りつけると、自分を気遣う明命に目もくれず、足音荒く退室してしまった。



「一心様……少々揶揄が過ぎましたな 」


「あぁ、ちょっと弄り過ぎちまったか。どれ、雪蓮に頭ぁ下げてくるよ。『女を怒らせるのは野暮天のやる事』ってぇ、おいらの死んだ親父も言ってたしなぁ 」



 照世が呆れ顔で一心を諌めると、一心もバツが悪そうに顔をしかめる。そして椅子から立ち上がり、怒らせてしまった彼女に謝るべく、一心は後を追うように部屋を出て行った。



「何よ、一心の馬鹿…… 」



 怒りに任せて桃香の家を出たまでは良かったものの、収まりがつかなくなってしまった雪蓮。村の中をトボトボ歩きながら、彼女は自分をからかった男の事を毒づいていた。



「おぉ~い! 雪蓮~! 」


「!? 」



 後ろから自分を呼ぶ声が飛んできて振り返ってみれば、一心が自分目掛けて走ってくるではないか。思わず、彼女は逃げるように走り出し始める。



「あっ、おいっ! 何処へ行くんだ!? 待てよ! 」


「嫌よ! 」



 少し苛立ったように一心が叫ぶと、反射的に雪蓮は否定的な返事でやり返す。逃げる雪蓮を一心が追う。そんな調子で二人は村を離れ、街道に出ると雪蓮はでたらめに走り続ける。


 やがて彼女は近くの森に入ると、一心もそれを追うべく森に入った。偶然にも、その森はかつて一刀と『兄弟の誓い』を交わした森であった。そして、例の開けた場所に出ると、雪蓮は思わず躓いてしまい、それに釣られる形で一心も倒れこんでしまった。その際、一心が彼女に覆いかぶさる形になってしまう。



「何で逃げンだよ……あっ、すまねぇ。こんな事いえる訳ねぇのになぁ……。雪蓮、悪かった。おいらが悪かった。だから、その……機嫌直してくれねぇか? 蓮華ちゃんや明命ちゃんにも申し訳立たねぇし、何よりもおいらも後味悪ぃからよ。ほんとにごめんなぁ…… 」



 『人が折角謝ろうとしてるのに、何で逃げるんだ? 』と、そんな彼女に理不尽さを感じて、一心は怒鳴りそうになる。だが、すぐにかぶりを振ると彼女に頭を下げて謝った。



(俺も北の字の事を、偉そうに言えたモンじゃあねぇなぁ )



 そんな自分に自己嫌悪しつつ、彼は心の奥底から雪蓮に謝った。



「うっ……グスッ、な、何で貴方なのよ…… 」


「え? 」



 予想外の雪蓮の反応に一心は驚く。一心に組み敷かれた形になっていた彼女は、顔をクシャッと歪めると、両目からぽろぽろと涙がこぼれ始めたのだ。



「何で、貴方が……私の夫になるべき男なのよ! 」


「なっ、何だそりゃ!? さっぱし意味判んねぇじゃねぇか!? ……って、うおっ! 何しやがんでぇ! 」


「馬鹿……馬鹿ッ! 馬鹿ッ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ッ! 」



 一心には雪蓮の言葉の意味がさっぱり判らなかった。いきなり『夫になるべき男』と彼女に言われて、『何の話だ? 』と思ったのも束の間。雪蓮が一心の胸倉を掴むと、彼の体を勢い良く転がしたのだ。すかさず彼女は一心に馬乗りの姿勢になると、彼の胸をぽかぽかと何度も叩き付け、しまいには彼の胸に顔をうずめて大泣きし始める有様だ。



「やれやれ……何が何だか判んねぇが、大人ぶっててもまだまだガキンチョだな、おめぇさんはよ…… 」


「ほっといてよ! 馬鹿ッ! 」



 子供のように生の感情をぶつけて泣きじゃくる雪蓮の姿に、一心は呆れ笑いを浮かべていた。そんな彼にムキになって雪蓮が言い返すが、感情が昂ぶり、また激しく泣き始める。一心は『おー、よしよし』と、子供をあやすように彼女が泣き止むまで頭を撫で続けていた。



「気ィ、済んだか? 」


「うん、ありがとう。思いっきり泣いたら、何だかすっきりしちゃったわ……本当にありがとう、そして、ごめんなさいね 」



 あれから暫くして、雪蓮は泣き止んだ。今は一心と背中合わせで地面に座り込んでいる。雪蓮をあやすのに疲れたのか、一心はげんなりとした顔になっていた。



「ねぇ、一心 」


「うん、何でぇ? 」


「さっき、私が言った言葉の意味なんだけど……聞いてもらえるかな? 」


「……言いたかったら、好きに言やぁいいさ。聞くだけ聞くぜ 」


「ありがとう、実はね…… 」



 背中越しに一心の体温を感じながら、彼女は語り始める。自分が長沙太守孫堅の嫡子である事、そしてある晩見た夢の中に出てきた老人に『幽州琢郡は楼桑村にいる『思い』と『心』をもった男が将来の自分の夫になる』と言う事を。一心はその間何も言わずに、黙って彼女の話に耳を傾けていた。



「なるほど……するとおいらがおめぇさんの将来の夫ってぇ訳か? 確かに村で『思』と『心』の名を持つ奴ァ、おいらだけだしな 」


「フフッ、まさか正夢になるとは思わなかったわ……蓮華も同じだったようだったしね♪ 」



 何とも言えない顔で一心がぼやくと、いつのまにか雪蓮は甘えるように彼の肩に頭を預けていた。



「え? そりゃあ誰でぇ? 」



 何か引っかかるものを感じたのか、一心はすかさず彼女に聞き返す。



「蓮華はね、赤い服を着た若い男に『北』と『刀』を持った人物が将来の夫だと言われたそうよ? 」


「おい、それってまさか……北の字、いや一刀の事か!? 」


「ご名答♪ 」



 悪戯っぽく笑う彼女の言葉に、一心は思わず顔をしかめてしまった。



「待て待て待て! 確かに蓮華ちゃんも孫家の姫さんらしく中々イケてるとおいらは思う。だけどよ、あいつにゃあ、既に桃香が 」


「でしょうね。涿の県城からずっと二人のやり取りを見てきたけど、そうだと思っていたわ 」



 一心が血相を変えて言うと、雪蓮は判っていたかのようにわざとらしく肩を竦めて見せる。



「だけどね、それは当人同士で決めてもらいましょ? それよりも…… 」


「!? 」



 雪蓮はいきなりすっくと立ち上がると、自分の着ていた物をいきなり脱ぎ始めた。突然の彼女の行動に一心は何も言えずに黙っているだけで、只それを見ているだけしか出来ない。


 ついには桜の花びらを模した髪飾りまで外すと、彼女は一糸纏わぬ姿を月光の下にさらけ出す。月の光を浴び、全裸で佇む彼女の姿はどこか神秘的であった。



(綺麗だ…… )



 彼女の裸を見て、一心は男特有の血の滾りを感じなかった。むしろ、神秘的な、そう、まるで女神が月の光という名の清水を浴びに来たのかとすら思ったのだ。



「一体何の真似だ……? 」


「決まってるでしょ? 『男と女の挨拶』と言えば……ね? 」



 動揺を隠しながら一心が尋ねると、雪蓮は妖艶な笑みを浮かべる。 



「お生憎様だがな。おいらとおめえさんとの間にゃ、まだそんな関係になれるほどの深い絆がある訳じゃあねぇだろ? 」

 

「あら、いいじゃない。今から深めりゃいいのよ? 」



 一心が疑わしげな視線を向ければ、雪蓮はしれっと答えた。



「何で、そんな気になったんだ? 大体おめぇさんの様な立派な家の跡取りが、田舎の無頼漢にしか過ぎねぇおいらに肌を許していい訳ゃねぇだろうが? 」


「そうね……一心の顔を見てると、何だか胸がドキドキしちゃうから。それにね、貴方になら……母様にも冥琳にも、そして他の人達にも見せられない『本当の自分』をさらけ出せると思ったのよ。これじゃだめかしら? 」

 


 にこりと笑うと、口付けを懇願するかのように、雪蓮は一心に顔を近づける。すると、一心はフッと笑い、降参するかのように両手を大仰に挙げた。



「参った、参った。こりゃあ、おいらの負けだな。けどよ……おいらとこうするってぇ事は、ある意味取り返しのつかねぇ事にもなりかね無ぇんだぞ? 覚悟、あるのか? 」

 

「そんな覚悟無かったら、今こうしていないわよ? 」


「フッ、私に惚れると、本当に『火傷』をするぞ……? 」


「フフッ、構わないわよ。火傷どころか、貴方には私を、この孫伯符を見事に焼き尽くしてもらいたいものね…… 」



 一心がニヤリと笑ってみせると、雪蓮も不敵に笑い返す。それが合図になったのか、一心は彼女の腕を掴んで自分のところに引き寄せた。


 そして熱い抱擁と口付けを経て、二人は激しい『男と女の挨拶』を交わし始める。その成り行きを見届けたのは夜空に煌々と輝く月の光だけであった。





※1:リボンの中国語訳。そもそも、当時リボンがあったかどうかは不明であるので、現在使われている名称で代用する。


※2:後年『断金の交わり』と讃えられた。元の出自は『易経』の一節『二人同心、其利断金』(二人心を同じとすれば その利 金を断つ)で、二人の人間が力を合わせれば、その力は硬い金属をも断ち切るという意味である。似たような例えに『水魚の交わり』、『刎頚の交わり』等が挙げられる。


※3:皇帝及び卿大夫(きょうたいふ)以上の身分の者が着用した冠の事。大夫(たいふ)とは領地を持った貴族の事を指し、(きょう)(『けい』とも読む)とは、大夫の中から重要な職、主に(しょう)等の職に就いた者の事である。ここで言うところの相は諸侯相の事を指し、諸侯王の領地を治める宰相(総理大臣)を意味した。


※4:当時の帽子の一種。『りんきん』とも読む。成人した男性は士大夫なら冠、庶人なら巾を被るとされていた。綸巾は主に市井の文化人が被っており、宮仕えする者が被るものではなかったが、士大夫の間でも巾を被るのが流行していた。


※5:鶴の羽で織った衣服。今で言うところのダウンジャケットに近い物。孔明が着ていた長衣がそれにあたる。








  ここまで読んでくださり誠に感謝しております。


 さて、今回から簡雍が登場しました。恋姫では主要登場人物以外端折られておりますので、改めて作品を起こすのであれば、なるたけ登場しなかった人物にもスポットを当てる必要があると思いました。


 関羽・張飛もそうですが、劉備の旗揚げには簡雍も欠かせない人物の一人です。まだ、深く突っ込んで書くことが出来ませんでしたが、以降の話でもっと魅力的に書いてみたいと思っております。


 今回は初めて一刀と桃香を出しませんでしたし、出さないと決めていました。どちらかと言えば、元祖劉備三兄弟の出番を多めにし、他のキャラクターの色合いを濃くしたいと考えました。


 一刀と桃香、そして蓮華は何処へ? と思ったかもしれませんが、彼らは次回に登場させますのでご安心ください。(汗


 そして、紫苑親子の話です。紫苑が関羽こと義雲に亡夫の面影を重ねると言うのも構想時に考えていた事でした。


 これは他の所で読んだ恋姫×三国志ネタの作品で、張飛が「関羽の兄貴は熟女好きなんだよ」と言う台詞がありましたので、そこに影響を受けた結果で御座います。紫苑ファンの方がいたら申し訳ありません。(汗


 最後に劉備こと一心と雪蓮が『男と女の関係』になる場面を入れましたので、今回から「R-15」のタグを入れております。原作もさながら、アニメ版でもそれっぽいものを匂わせていましたしね……(汗


 ですが、余りどぎついのは極力避けるように配慮しますので、安心して読めるように頑張ります!


 さて、残るは明命ちゃん? 彼女は一体誰と……? 既に決めておりますが、ここで話す積りは御座いませんっ!


 今回はスイッチが入ったので急ピッチで一話分書くことが出来ました。次回もこれ位の勢いが入ればいいんだけどなぁ……。


 ですが、現在頭の中で次の話の展開と言うか情景が頭の中に一杯ちらついている状態です。最低でも来週中にアップしたいと思っております。


 それでは、また! 不識庵・裏でした~!

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