第四話「城下町にて」
前回の更新から一週間。相変わらずグダグダと書き連ねてしまいました。
今回も自分的に歯切れが悪く、中々終わりそうになかったので丁度切りのいいとこでちょん切りました。したがって、今回は追加エピソードは入れておりません。大変申し訳ありません……。ですが、それでも読んで頂ければとても嬉しく思います。
「一刀さん、ここの暮らしに大分慣れたんじゃない? 」
「ああ、桃香や兄上達のお陰だよ 」
桃香と一刀は、話をしながら県城への道を進んでいた。二人とも草鞋や筵を載せた背負子を背負っており、どうやら城下町へ商いに行くと思われる。
一刀はこの世界に来た時に比べると、体つきが見違えるほど逞しくなっており、背も少し高くなっていた。顔つきの方も精悍になっており、凛とした雰囲気を漂わせている。
また、彼は伯想の事を『兄上』と呼ぶようになった。これに関しては兄弟の誓いを立てた為か、彼なりのけじめづけと思われる。
「それにしても。一刀さん、随分強くなったよね? みんなが色々と一刀さんをしごいてくれたお陰かな? 最近なんか、私と打ち合って五本中三本は取るようになってきたし 」
「あはは……そこまでになるの大変だったんだぜ? 何せ、学校の部活よりハードだったからなぁ 」
桃香の褒め言葉に、一刀は照れ笑いを浮かべると、思わず現代語交じりの返事をしてしまった。
「ふえ? 『はーど』? 」
「あっ、ゴメン。俺のいた時代の言葉で『きつい』って意味さ 」
無論、それが桃香に判るはずがない。眉をひそめる彼女に、一刀は慌てて補足した。
「成る程、そう言う意味なんだ。でも、私や兄さん達ならいいけど、他の人の前で使っちゃ駄目だよ? 怪しく思われちゃうから 」
「あはは……。ごめん。俺ってまだまだ抜けてるよな。はぁ~~ 」
桃香が、子供にするような感じで一刀を軽く注意する。すると、彼は苦笑いで謝り、盛大なため息を吐いた。まだまだ俺も自覚が足らんなと、痛感する一刀。
一刀が楼桑村の劉玄徳こと桃香に出会ったあの日から、既に三月ばかりが過ぎようとしていた。そして、ふと、これまでの事を回想する。
あの『真夜中の森の誓い』から一夜が明けたその翌朝。早速一刀は一心と桃香に連れられ村長の家を訪れた。眠い目をこすりながら、一刀の挨拶を受けるこの齢六十を過ぎた村長は、髷を結わず体に合わぬだぶだぶな服を着た彼に不審げな目を向けた。
しかし、一心が『義理の両親の虐待に堪えかね兄を頼って楼桑村に逃げてきた 』、『髪を切られ、奴隷同然の扱いを受けていた 』、『服はボロボロになっていたので自分のを貸した 』等と説明すると、村の大恩人たる彼を信用したのか、村長は即座に納得し一刀を楼桑村の住人と認める。
取り敢えず、自分の身分を保証された一刀であったが、ここから先が大変であった。
まず、彼は字が読めない。話はできるが、学校の漢文の授業程度の知識しかない彼にとって、字が余り読めないのは火を見るより明らかだ。ここら辺に関しては、一心の知恵袋である照世、喜楽、道信の三人が時間の合間を縫いながらではあるが、字の読み書きの他に兵法や礼法も彼に教える事した。
次に、武術。剣道の段位取得者とはいえ、今の実力では正直外の世界で生き残れるのは難しい。
元から高い才能を持ってはいるが、一刀はすぐ調子に乗り、天狗になりやすい悪癖がある。これまで、彼は部活動を時折サボったり、自主トレも怠ける傾向があった。それらが祟ったのであろうか。軽く打ち込みをしただけで散々な結果に終わった彼は、六人の豪傑から落第点を突きつけられる。
これを拙いと思った一心は、『北の字の性根を徹底的に叩き直し、おめぇらの持ってるモン全てを刻み込ませてやれぃ! 』と六人に厳命を下す。早速次の日から、一刀にとっての地獄の毎日が始った。
まず、一心の義弟二人が一刀を早朝に叩き起こすと、山中での走り込みに、重い石を持たせたり等の地獄の基礎鍛錬を行う。それが終わると、朝食の後一心と一緒に農作業の手伝い。これも実に体力と腕力を要するものだ。
そして、午後からは日によって鍛錬の内容が異なる。
壮雄と固生が乗馬を、永盛が狩りを通じた弓の扱いを、雲昇があらゆる武芸を、そして、時折一心の子分達との多対一を想定とした模擬戦と、様々なものを一刀に叩きこむ。
最後は、夕食後に桃香との打ち込みが五本勝負で行われ、これを終えて一日が終わる。一心が言ったように、桃香は本当に強かった。もしかすると、自分が居たフランチェスカの剣道部の不動先輩より遥かに強いかもしれないと思ったほどまでにだ。したがって、最初の頃は全く適わず、毎回彼女にコテンパンに伸された。
だが、一刀はへこたれなかった。それどころか、自分のプライド、慢心、怠け癖を全てかなぐり捨て、文武両面の師に教えを請いまくるまでになった。
ガムシャラに己に鍛える。そんな毎日を過ごす内に一刀の体は痣だらけになり、両掌には沢山のまめができていた。しかし、彼の風貌は屈強なものに変化し始め、眼光も徐々にではあるが、獲物を狙う鷹の様な鋭さを帯びるようになってきている。
一方の桃香も、一刀に負けていられないと強く思うようになった。まだ誰にも告白していなかったが、彼女には『漢の再興を成し遂げ、争いの無い、みんなが笑顔で暮らせる世の中を作る』という大きな目標がある。それを成し遂げる為にはもっと己を高めなければならない。だから、彼女も文武の鍛錬を一日たりとも怠らなかった。
そうやって互いを高めあってきた二人であるが、ついに一刀は桃香から一本取れるようになってきた。そして、日を追うごとに一刀が取れる割合が増えていき、最近では三本取れるまでになった。元の世界で幾数多の戦場を駆け抜けた伯想を始めとした面々も、最近の二人には思わず感嘆のため息をつくほどまでになった。
のほほんとしているように見えるが、桃香も可也負けん気が強い側面がある。自分が一年以上時間をかけて鍛え上げてきたのに、後からやってきた一刀は僅か三ヵ月余りで自分を追い越そうとしている。正直物凄く悔しかったが、同時に嬉しくもあり、頼もしくも思えた。しかし、ことさら負けてなるものかと言う想いが彼女の中で大きくなる。
両想いであるが、互いに対抗意識を強く持っている。今の一刀と桃香はそんな関係であった。
(最近の桃香、初めて会った頃より頼もしく見えるようになってきたよなァ。それに……何だかとっても綺麗になった )
一刀は自分の隣を歩く桃香の横顔を見る。彼女の目は強い意志の光を宿していた。彼女も自分と同じか、或いはそれ以上の鍛錬を己に課している。なのに、女らしい体のままであったし、むしろ今の方が魅力的に思えるほどだ。
(俺、兄上の前で『愛しています』とか『この世界から奪い取る』って言ったけど、今の自分じゃ告れないよなぁ…… )
一刀は一つ決めていた事がある。桃香に告白をするのは桃香に相応しい男になってからだと決めていたのだ。桃香が段々強く美しくなっていくのに対し、自分はようやっと打ち込みで彼女を上回る事ができた程度にしか過ぎない。
(まだだ、まだまだだ。一刀。俺は桃香に相応しい男にならなくっちゃいけないんだから )
しかし、皮肉な事に。その桃香も一刀と同じ事を考えていたのだ。
(はぁ~~、一刀さん段々強くなってるよね? 最近なんか打ち込みじゃ全然適わなくなってきたし……。勉強の方も難しい文を読めるようになったし……。これじゃ、まだまだだよな、私 )
一刀が桃香の横顔を見るのをやめた直後、今度は彼女が彼の横顔を見始める。彼女は思う、最近の一刀は変わった。最初出会った頃の柔弱で、やや軽薄気味であった雰囲気は鳴りを潜め、慎重さが出始めたし、熟慮するようになってきた。
村の人たちともすぐ打ち解け、子供達の人気者になったし、挙句の果てに何人かの村娘が好意を寄せるようになってきた。桃香はそれが嬉しくも思えたのだが、同時に複雑な気分になってくる。
どちらかと言えば、一刀は美男だ。まして、精悍になった今の彼の顔は、ますます自分にはかっこよく見えてきてるし、女の子達が気軽に声をかけるようになるまでになってきた。
鍛錬の方も、一体何が彼を突き動かしてるのだろうか? 今の彼の実力は、兄と慕う一心が言うところの『いっぱし』どころか、それ以上ではないのかと思えてくる。
現に、この前村の若い男衆が彼に絡んできて喧嘩になったが、一刀はいとも簡単に彼らをぶちのめした。その結果、村の娘達の彼に対する人気は更に高くなる始末。幼なじみの簡雍こと松花までもが一刀に好意を抱くようになり、何べんも自分に一刀との仲を取り成してくれと頼んでくる有様だ。
松花は貧乏な自分と違い、村の中でも裕福な家の娘だ。頭脳も明晰で計算高く、おまけにいつも着飾っていて、顔も美人と来ている。
だが、そんな彼女にも致命的な欠点があった。相手が誰であろうと明け透けに物を言いすぎ、無遠慮な振る舞いが目立つ。
ついにはそれが災いし、良縁があってもいつも先方から断られている有様だ。
そんなクセの強い彼女が一刀に好意を寄せ始める。これは桃香にとっては一大事だ。自分が勝ってるといえば胸の大きさと背丈だけ、松花なら一刀をモノにしてしまうかもしれない。桃香は内心焦りを感じていた。
(松花ちゃんも一刀さんが好きになり始めてるようだけど……。でも……今の私は一刀さんに想いを告げられないよ。一刀さんに相応しい人間になりたいし、何より自分の力で立ち上がるその時までは…… )
焦りはあるが、桃香も心に決めていた事があった。先程の大願もさる事ながら、『一刀にふさわしい女になりたい』とも思っていたのだ。だから、その為にもまずは自分の力で立ち上がれるまでは切磋琢磨しなければならない。それが適ったら、彼に想いを打ち明けようと。
かくして、同じ思惑を抱いた二人であったが、そうして歩いている内に、二人の目の前に城門が見えてきた。目的地に辿り着き安堵したのか、お互いに顔を見合わせて微笑み合うと、城門を抜け町の中へと入る。その時、無意識の内に二人は互いの手を繋いでいた。だが、場所を確保して商売を始めた時には、いつの間にか二人ともその手を離していた。
「さぁ~、そこの旦那方に奥様方! そしてそこのかっこいい若旦那に見目麗しいお嬢様! 見ておくれ手に取っておくれよ! ここに並びし編み目の綺麗な莚や草鞋は、こちらの娘が編んだ物だ! 楼桑村が一の器量よし玄徳が編んだ筵と草鞋だよぉ~~! さぁ、買った買った! 単に見てくれが綺麗なだけじゃない! そんじょそこら辺のものよりずっと長持ちするすぐれものだぁ! 買わないと損するよぉ~~! 」
(ううっ、何も『村一番の器量よし』って触れ込まなくてもいいのに……。
物凄く恥ずかしいよう~ )
町中の菜館(飲食店)の主に断りを入れてから、二人はそこの軒下に大き目の筵を敷き、そこに商品を並べ始める。そして、一刀が大きく息を吸い込むと、大声を張り上げ売り口上を並び立てた。
実はこの口上、何を隠そう一心が考えたものである。一刀自身はセールストークなんてやった事が無い。だから、桃香の商いの手伝いをする際に、筵売りの先輩でもある一心が客をひきつけそうな口上を考えてくれたのだ。その効果があってか、二人の前には人だかりができ始める。
自分が『村一番の器量よし』と言われているのがとても恥ずかしかったのか、桃香は顔を赤らめ、終始うつむきがちのままであった。だが、一刀は自分の心の奥底からの本音を交えて口上を上げる。自分にとっての村どころか世界で一番の器量よしは他ならぬ桃香なのだから。
一刀は、草鞋や筵織りはまだ不慣れであった。従って、売り物を作るのはもっぱら桃香や一心が担当している。特に一心の作った物の出来栄えはとても素晴らしく、村一番の出来であった。それが功を奏したのか、二人が売る莚や草鞋は大変好評であった。
「一刀さん、お疲れ様。よかったぁ~~今日も全部売る事が出来たよ 」
「あ、ありがと……ぷはぁ~~生き返るゥ~~! 」
用意した物が全部売れて安堵したのか、桃香は胸を撫で下ろし、口上を叫び続けて汗だくになっていた一刀に竹の水筒を手渡す。喉を痛めていたらしく、それを受け取った一刀の声はかすれていた。一刀は受け取った水筒を傾け、喉の奥で含ませるように水を飲み下すと、疲れ切った顔でため息を吐く。
「フフッ、叫びっぱなしだったしね。あ、これ使って。結構汗でているから 」
「あ、サンキュー 」
笑みを浮かべつつ、桃香が手ぬぐいを差し出すと、一刀はついうっかり現代語で感謝の言葉を言ってしまう。
「『散窮』? 何だか凄い意味に聞こえるんだけど……? 」
「あ、ゴメン……。また悪い癖出ちまった。『ありがとう』って意味さ 」
「へ、へー……。一刀さんの世界の『ありがとう』って、何だか凄いんだね? 」
当然、桃香には一刀の使った言葉が理解できなかった。頭の中で自分が知ってる言葉で変換してみるが、思い浮かんだのが『散』、そして『窮』と、どちらも余り言い意味合いでしかない。
『散って窮する』と書いて感謝の意を示すのかと、彼女は盛大な勘違いをしていた。気まずい顔になって一刀は説明するが、彼女は誤解したままのように思える。
引き気味の彼女の顔を見て、一刀はしょうがないかと自分自身を納得させて諦める事にした。
「あ~、美味しかったよね? 」
「あぁ、確かに美味かった。あそこの親父結構研究してるようだな(何でこの時代に麻婆豆腐とか現代風の中華料理が食えるんだろ? ) 」
あの後、場所代代わりとして軒下を貸してくれた菜館で二人は昼食をとり、桃香は鶏肉と筍の煮込み料理を、一刀は麻婆豆腐を食べた。
最初の内、一刀は『流石本場の麻婆は違う』と夢中になって食べていた。だが、ふと彼の中で疑問が生じる。
何故、三国志の時代の中国に麻婆豆腐があるのだ? いや、それだけじゃない。そもそも唐辛子の存在自体が不自然だと言う事に気付く。そう言えば、一心達もこの時代に来た時、食べ物の勝手の違いに戸惑ったと言っていたのを思い出した。
麻婆豆腐が生まれたのは※1清の同治帝の時代で、日本では幕末から明治初期の頃である。第一、材料である唐辛子の伝来も日本より遅いのだ。
日本に唐辛子が伝来したのは※2戦国時代で、ポルトガルの宣教師が※3大友義鎮に献上したとの記録が残っており、中国に伝来したのは確か※4明朝末期だったと一刀は覚えていた。
おまけに、この時代で本格的な中華料理が食べられるのも変な話である。この時代の料理と言えば、焼物、煮物、羹(スープ)、膾(生肉や生魚を刺身のように薄く切ったもの)等が主な物であった。
余談だが、現在の中華料理の基礎が確立されたのは※5北宋の時代である。コークスを用いた焼き物用のかまどを調理に転用したのがきっかけだ。
「まっ……いっかぁ。細かい事気にしてもしょうがないし 」
「え? どうしたの? 」
「ううん、なんでもない。ところで桃香 」
「何かな? 一刀さん 」
誰に言うでもなく一刀はぼやくと、桃香が不思議そうに彼を見る。話を変えようと思い、彼が何か話題を振ろうと思ったその瞬間だった。町の一角で歌を歌う三人の少女が彼の視界に入る。恐らく旅芸人であろうか。一刀の目から見れば三人とも『合格点』だった。
「あれ……何だろ? 」
「え……。あっ、あの子達は旅芸人だね。時折城下町で歌や芸を披露しているんだよ? 女三人連れで良く旅ができるよね? でも……綺麗な歌声 」
一刀にそう答えると、桃香は歌が気に入ったのか、そのまま彼女等の歌に耳を傾ける。
『~~♪ 』
「あぁ……確かに綺麗な歌声だ 」
人の往来が激しい賑わいの中で、彼女等の歌声がはっきりと一刀の耳に届く。
小柄な少女が胡弓を軽やかに弾き、桃香と姿形が少し似ている少女が琵琶を鳴らし、眼鏡をかけた少女が鼓を叩く。それらが奏でる旋律にのせ、彼女達は歌う。
『~~~♪ 』
最後の小節を歌い終え、演奏も終えると、彼女達はゆっくり一礼する。やがて周囲から盛大な拍手が沸き起こり、拍手喝采を浴びる三人の顔は達成感に満ち溢れていた。
「ありがとう御座います、もし、ご満足いただけましたら『心づけ』をお願いしまーすっ! 」
桃香に似た少女が『心づけ』を要求する。すかさず眼鏡の少女が竹ざるをそっと前に出してきた。
しかし、『何だ、金取んのかよ~ 』等と言った文句がどこからか出始める。すると、興味が失せたかのか。ちゃっかり歌だけ聞いて彼らは彼女等の前から一人、また一人と去っていき、ついには誰もいなくなってしまった。
「何だよ、アレ。聞くだけ聞いて金払わないなんてひどすぎるだろ 」
さっさと立ち去っていた薄情な連中に毒づき、一刀はムスッと顔をしかめた。
「あ、あはは……。仕方がないよ、ああいう事は旅芸人の日常茶飯事だから。でも、一刀さんは払うんでしょ? だけど、払いすぎちゃ駄目だよ? 」
苦笑いを浮かべながら、桃香は懐から財布を取り出す一刀にそれとなく釘をさした。情をかけすぎると今度は自分達が窮してしまう。お人好しの彼女だが、絞めるところはきちんと締めているのだから。
「そう言う桃香だって……見捨てられないんだろ? 」
「あはっ、私もあんまり出せないけどね 」
しかし、そんな彼女もしっかり懐から財布を取り出していた。一刀もそんな彼女に苦笑いし、そう言うところが桃香らしいと思った。
「あのー、すみませーん 」
「ちょっといいですかー? 」
一刀と桃香が、落ち込んでいる三人に『心づけ』を出そうとしたその瞬間であった。
「おうっ、そこの小娘ども! 誰に断ってここで商売してンだぁ? あぁン!? 」
「おめぇら、ここで商売すんだったらショバ代払いな、ショバ代 」
「金がねぇンなら、体で払ってくれてもいいんだぜ? あぁ? 」
娘達の前に、十人ほどのごろつきが絡んできた。このろくでなしどもは事もあろうか、自分らの場所でも無いくせに『場所代を払え』と、彼女らに無理難題を押し付ける。
周囲に通行人はいるが、薄情な事に、誰も彼女らを助けようとしない。面倒事に係わり合いたくないのか、見て見ぬ振りで足早に通り過ぎる。彼らに気圧されたのか、三人ともすっかり怯えてしまい、互いに抱き寄せ合ってがくがくと震えていた。
「何てベタなお約束なんだよ……。でも、黙ってみてるわけにはいかないな 」
「ああ言う人たちは私大嫌いっ! 絶対に許せないんだからねっ! 」
その光景に一刀は怪訝そうに顔をしかめ、桃香は柳眉を吊り上げる。彼女は外出時には常時帯剣しており、その手が劉家に伝わる宝剣『靖王伝家』の柄に触れようとするが、一刀は慌ててそれを制する。
「一刀さんッ、どうして止めるの!? 」
「気持ちは判るが、剣を抜くな! ここは城下町なんだぞ? チャンバラやって傷害沙汰にでもなれば俺たち二人とも牢屋行きだっ! 」
「あっ…… 」
自分に食いつくかのように睨む彼女を、一刀は一喝する。すると、我に返ったのか、桃香の表情に落ち着きが戻った。
「それじゃ、どうするの? 」
「素手であいつらをぶちのめすまでだ。今の俺と桃香なら出来るからね。兄上達から特訓を受けてきたのはこういう時の為だろ? 」
「うんっ! それじゃ、久し振りに大暴れしちゃお♪ 」
そう言うと、一刀は既に拳をゴキゴキと鳴らし、桃香もすっと身構える。
「おいっ、そこのお前ら…… 」
「待てっ! 貴様ら、それでも男かっ! 」
そして、一刀が怯える三人に迫る無頼漢どもに喧嘩口上を述べようとした瞬間の事であった。一刀の口上に割り込み、出番を奪い取るかのように若い女の叫び声が響き渡る。
その場にいた全員が一斉に声の方を向くと、そこには一人の少女が細身の長剣片手に、凛々しい立ち姿をさらけ出していた。彼女の髪は踵にまで届くほど長く、鮮やかな薄紅色をしており、肌の色は褐色で、恐らく他所からの人間かと思える。
そして……彼女の顔はとても美しかった。気の強そうな顔立ちに、双眸に宿りし碧眼は強い意志の光を湛えている。体つきの方も申し分なく、その大きな形の良い尻は実に女らしかった。一刀は思わず彼女に見とれてしまい、そんな一刀に桃香は複雑な感情を抱く。
「真昼間なのにもかかわらず、大の男が働きもせずに、あまつさえか弱き娘達に対しての乱暴狼藉! そんな外道どもは孫文台が一子、孫仲謀が成敗してくれる! 」
「え……。孫……仲謀!? 」
そう啖呵を切った彼女に、一刀は自分の耳を疑った。目を見開き、孫仲謀と名乗った少女を凝視する。
「一刀さん、どうしたの? もしかして……あの子知り合いなの? 」
桃香はそんな一刀を不安そうな顔で見る。しかし、彼の顔を見た瞬間、彼女は思い出す。一刀は自分が初めて名を名乗った時と全く同じ顔になっていたからだ。
(孫仲謀って言ったよね、あの子……。もしかすると、一刀さんは知ってるんだ。それも孫仲謀という男の人を! )
以前、桃香は一心と一刀の話をこっそり聞いてしまった経緯がある。今の一刀の動揺ぶりから、あの少女がそれらと絡んでるのではないのかと、彼女は推測を立てた。
しかし、今はそんな事を考えてる場合ではない。目の前の厄介事を片付けなければならないのだ。かぶりを振って自身を正気づかせると、未だ動揺している彼を呼び覚ますべく、彼女は行動を起こす。
(マジかよ……、そんな都合のいい話が続いていたなんて……。劉備の次は孫権かよ、もしかすると、曹操まで女なのか……? どんだけ男女逆転してンだよっ! )
動揺しながらも、一刀の中に存在を消していた筈の疑問が蘇る。そして、今いるこの世界と、自分が抱く三国志の世界との違和感に堪えきれず、一刀は心の中で絶叫した。
「一刀さんッ、一刀さんッ! 」
不意に、揺れるような感覚と共に、一刀の耳に自分を呼ぶ声が聞こえてくる。気付いて見れば、桃香が悲痛そうな顔で自分の服の袖を掴んで体を揺さぶってた。そして、目前の一触即発の光景を見て、一刀は思考を切り替える。
「ごめん、ボーっとしていた。桃香、あの子に武器を使わせたら面倒だ。兎に角彼女より先にあいつらぶちのめすぞ! 」
「うんっ! 了解だよ。一刀さんッ! 」
その場へと駆け出す一刀と桃香。そこでは、既に主格らしき男が腰の物を抜き放っており、それを仲謀にちらつかせ始めていた。
「しぇ、雪蓮様ぁ~~! どうしたらよいのでしょうか? 私はお止めしたのですが、蓮華様が飛び出しちゃいましたっ! 」
「蓮華ったら……面倒起こすなって釘刺して置いたのに、だから世間知らずだって母様に言われんのよ……。おまけに本名まで名乗ってるし 」
そこから少し離れた酒家で慌てふためく少女がいる。明命だ。雪蓮と蓮華の姉妹と家来の明命の三人は、先日やっと幽州琢郡に辿り着いたのだ。城下町に宿を取り、それまで楽しく酒盃を傾けていた雪蓮であったが、明命の報告を受けるとたちまち不機嫌そうに顔をしかめる。
「ったく……ここは長沙じゃないんだから。ここの衛兵にでも捕まったら余計厄介になるのに……。ああ、もう! 明命、止めに行くわよ 」
そう言って、雪蓮は酒盃を卓の上にタンと勢い良く叩き付ける。
「ど、どちらを止めればよろしいのでしょうか? ごろつきどもですか? 蓮華様ですか? 」
「どちらともに決まってんじゃない 」
ニヤリと妖艶な笑みを浮かべ、卓の上に酒代を置いて酒家を後にする雪蓮。彼女のそれに、明命はゾッとするものを感じた。
(くっ、迂闊だったわ。 城下町で、しかも先に剣を抜いてしまうなんて……これでは完全に私の方が不利じゃない )
蓮華は後悔していた。義憤に駆られ抜剣したまでは良かったが、ここは孫家が治める長沙ではない。家の力が全く及ばない所なのだ。
基本、城下町での喧嘩沙汰、特に武器を用いた場合だと先に武器を出した方が不利になる。この状態で警備兵が来れば間違いなく彼女は牢屋行きだ。
蓮華は幼少時から英才教育を施されてきた。だが、彼女は実戦経験がないし、こんな形の喧嘩に関しては尚更だ。最悪な事に、世間知らずが祟ったのが相まってか、そこら辺の常識に疎かった。
自分の浅はかさを呪い、蓮華は歯噛みする。それに対し、彼らはしたり顔で下卑た笑みを浮かべながら、それぞれ腰の物を抜き放ち彼女にじりじりと迫ってきた。
「おいおい、お嬢ちゃんよぉ……。そいつぁ、おもちゃじゃねぇンだぜ? アンタが先に腰のモン抜いたんだ。覚悟できてんだろうながはっ! 」
不意に、主導権を握った筈の男の顔が苦痛で歪み始めた。得物を持った腕を後ろに捻じ曲げられ、首は後ろからガッチリと締め上げられている。
突然の出来事に呆気に取られてしまった蓮華の目に、自分と同い年か、少し上くらいと思われる少年の姿が映っていた。
「おい、ボンクラ……。真昼間から天下の往来で無粋な真似してんじゃねぇよ 」
「い、いでででででで!! 骨が折れるぅ! 」
「ったりめぇだっ! そんな役立たずの腕なんか折れちまった方が世の為人の為でえっ! 」
一心の口調を真似た一刀がドスを効かせた声で男をねじり上げる。一刀の膂力は、この三ヶ月の荒行で強くなっていた。彼がごろつきを締め上げる腕は可也太く、それが何よりの証拠である。
その光景を見た蓮華と男達は、口を開く事も動く事すらもせず、只成り行きを見ているだけだ。そんな状態がしばらく続いたが、それは鈍い音と共に終わりを告げる。そして、汚い悲鳴が当たり一面に響き渡った。
「ぐぎゃああああああああああ!! 腕が、腕がァああ!! 」
「安心しろよ、右肩外しただけだ。腕のいい骨接ぎでも探すんだな 」
右肩を押さえてのた打ち回りながら喚き散らす男に、一刀は掃き捨てるように言い放つ。
「てめぇ、良くも金兄ィを……ぐぶっ! 何じやがんだよ!! 」
弟分らしき男が一刀に襲い掛ろうとしたが、彼はいきなり両足を掴まれ、つんのめりになってしまう。足の自由を失い、彼は地べたに顔から叩き付けられた。
「どこ見てたのかな? 油断大敵だよ、お兄さん♪ 」
そう娘の声が彼の耳に聞こえると、次に尋常ならざる力が掴まれた部分に掛かり、その勢いで自身の体が思いっきり振り回され始める。そして、それは周囲にいた仲間を巻き込んだ。
「目がぁ、目が回るぅ!! 気持ち悪い! やめっ、ぶげっ! いでででっ!! 」
次々と襲い掛かってくる強烈な不快感と凄まじい痛みに堪えかね、彼は悲鳴を上げる。
「どう? 自分がマワされるのって? 気持ち悪いよね? 」
悲痛な声で喚き散らしている彼の両足を掴み、それ自身を振り回しているのは桃香だ。彼女は自分の体を軸にし、玩具を与えられた子供のように楽しそうな顔で独楽のように回り始める。
むごたらしい事に、彼女はその哀れな男を得物にし、それを他の連中にぶちかます荒業をやってのけたのだ。その凶悪な旋風を受け、頭蓋骨同士がぶつかり合う音と、潰されたような悲鳴を出しながら、彼等は次々となぎ倒されていく。
当然だが、得物にされた彼も只では済まされない。現に両目から涙を、鼻と口からはおびただしい血を流し、顔は原形をとどめない位に腫れ上がっていたのだ。そして、文字通りの大乱闘が始った。一刀が、重そうな拳や蹴りを顔面や腹部に叩き込ませると、桃香は肘や膝を相手の腹に突き刺すように打ち込む。
「な、何なの。この二人……やってる事が滅茶苦茶だわ。姉様と冥琳が子供の頃にしていたつかみ合いの喧嘩と全然違う…… 」
蓮華には目の前の光景が未だに信じられない。時折、お忍びで長沙の城下町を歩く事はあるが、大抵その時は思春や祭等と言った護衛が付いている。
母孫堅の統治が行き渡っている為、長沙は治安が荊州の中でも一番高かったという側面もあり、自分が居た所ではこう言った喧嘩はごく稀だったのだ。
だが、今自分の目の前で、歳もそんなに違わなさそうな二人の男女が、ごろつきどもの集団とやりあっている。
彼女が知ってる喧嘩といえば、姉の雪蓮と姉の親友の冥琳が子供の頃にしていたものとか、蓮華自身が三人の妹とやりあった程度のものしかない。
この二人は、自分の目から見て、強いと思った。下手をすれば、自分の家の親衛にも匹敵するか、或いはそれ以上かもしれない。いずれも徒手空拳で戦っていたが、身のさばき方が上手く、一発も殴られていなかった。
そんな二人の動きに思わずうなる蓮華であったが、いきなり彼女は息苦しさと共に体の自由を奪われる。
「動くな! 動くんじゃねぇぞ! この女バラしちまうぜ! 」
「くっ、無礼者……。放せ! 」
「あっ、あの子……さっきの仲謀さんだよね? 」
「くそっ、さてはボーっとしてたな? でなきゃ簡単に後ろ取られるかよ 」
一刀と桃香は勝ち誇ったかのような下品な声に動きを止める。すると、先程の仲謀なる少女が肥満体の巨漢に羽交い絞めにされており、短刀を持った禿頭の小男が狡猾そうな笑みを浮かべていた。恐らく、声の主はこれと思われる。苦悶の表情を浮かべる彼女の姿に、桃香は不安そうに顔を曇らせ、一刀は思わず舌打ちする。
「よ、良くやったぜ、陳…… 」
一刀に肩を外された男だ。男は右肩を押さえて、苦痛の表情を浮かべながらも自分の舎弟に歩み寄る。
「ヘヘッ、アニキぃ、やっぱ知恵を使ったモンの勝ちですぜぇ。ココですよ、ココ! 」
「お、俺もほめてほしいんだな 」
小男は剃りこみ跡が青々しく残った自身の頭を軽く指で叩くと、無表情の巨漢はそれに遅れて、たどたどしく語る。
「さぁ、形勢逆転だ! 思いっきり痛めつけてやる! 男は二度と立たねぇようにしちまえ! 女どもはねぐらに連れ込んでから可愛がるぞ! 」
顔を苦痛で生じた脂汗まみれにしながらも男が命令すると、残った連中がジリジリと一刀と桃香を取り囲み始める。
「形勢逆転ねぇ……プッ、ナニ抜かしてるんだか 」
「ホントだよねぇ、だって知恵を使ったもの勝ちと言った割にはお粗末だよね 」
だが、一刀と桃香は動じた気配を全く見せない、それどころか、軽くふき出すと余裕の笑みを周囲に向けた。
「なっ、何がおかしいんだ!? 」
「きっと、強がりですぜ。アニキ 」
「お、俺もそうおもうんだな 」
そうは言ったものの、この時三人は焦っていた。人質をとってるはずなのに、何でそんな余裕でいられるのかと。
「だってさ……。幾らここの住人が薄情者揃いでも、こんな騒ぎが続いていたんじゃ、誰か呼びにいってるぜ? 」
「うん、そろそろここの兵隊さんたちがやってくるよね? だったら、その時おじさんたちがまずいんじゃないのかなー? 」
二人のその言葉は、無頼漢どもを凍りつかせるのに十分な効果があった。人質をとった三人も同様で、彼らはたちまち顔を蒼白にし始める。
「だけど、その前にもっとやばそうな人が来た様だな。俺には判ったけど言う積もりなかったし 」
仲謀なる少女が人質にとられた時、一刀は気付いていた。人質をとっていた巨漢の後ろを、既に誰かの人影がとっていたのを。
「私も右に同じかな? 似合わない真似はしない方が身の為だって、昔の人は良く言ったよね 」
桃香も気付いていた。一際小柄な人影が小男の後ろに回りこんでいたのを。
「ご名答~♪ 場の空気を読むのが上手いわね、あなた達。ウチの妹にも見習わせてあげたい位だわ 」
「い、いだだだだだだだだだだだだっ!! 」
明るく答える若い女の声と共に、巨漢の男はいきなり後ろから頭をつかまれる。それはミシミシと嫌な音を立て彼の頭蓋を軋み始めた。
「隙だらけです、お覚悟! 」
「ぐぎゃっ! 」
そう、甲高い娘の声が聞こえると、小男の方もいきなり後頭部を殴られ、前のめりで倒れるとそのまま動かなくなる。
「しつこいわねぇ……。いい加減妹を放してくれない? このままだと頭を潰しちゃうけど? 」
「は、はなすから、これいじょうは、かん、べん、してほしいんだ……な 」
苛立たしげに女が言うと、激痛に堪えられなくなったのか、巨漢の男は羽交い絞めにしていた仲謀を解放すると、そのまま口から泡を吹き、白目を向いて気絶してしまった。
「ああっ! 」
「おっと 」
勢いが強かったのか、彼女はよろめき倒れそうになるが、咄嗟に一刀が受け止める。すると、彼女が使っている香の匂いか、甘い芳香が一刀の鼻をくすぐり、若い娘独特の柔らかい質感が体に伝わってきた。
(うわぁ……いい匂いだ、それに柔らかい……。ハッ! 駄目だ! デレデレしてたんじゃ桃香を裏切ってしまう! )
一刀は、桃香以外の少女に初めて触れた感触と興奮で、自分の胸が高鳴るのを感じる。しかし、瞬時にかぶりを振ってそれを無理やりかき消すと、彼女から手を離そうとした。
「ご、ごめんなさい……。足が震えて上手く立てないの。もう少しこうしてもらえるかしら…… 」
「え……、あの……その……(な、なんですとー!? 皇天后土の神々よ! これはあなた方が俺に与え給うた試練なのですか!? ) 」
(むー、成り行きなのは判るけど、何だか面白くないよねー? )
緊張が解けたのか、弱々しく涙声で訴え、自分を見上げる彼女の姿は、一刀を困惑させるのに十分な効果があった。彼女は一刀の胸元をギュッと掴んでおり、綺麗な足はがくがくと振るえている。悔しさと情けなさに苛まされたのか、青水晶を髣髴させる碧眼からは涙がぽろぽろと零れ落ちていた。
そんな状況だ。だから今の一刀は顔に出るほどハッキリ混乱してるし、未だに落ち着いてないのか少女は一刀にしがみついたままだ。
そして、不可抗力なのは頭では判ってはいるものの、自分の知らない娘が想い人である一刀にしがみついてるのが、桃香には物凄く面白くなかった。現に、彼女は不愉快そうに顔をしかめている。
「雪蓮様、全員片付けました! 」
「ありがと、明命。流石に祭が褒めるだけあるわ……。さぁて、残ってるのはあなた一人だけ……どう料理してあげよっか♪ 」
一方、自分の妹達が修羅場めいた雰囲気になってる事など露知らず。雪蓮と明命はごろつきども全員を血祭りに上げ、残る一人に対して最後の仕上げをしようとしていた。雪蓮は残忍な笑みを浮かべ、一刀が右肩を外した男につかつかと歩み寄る。
「ひっ、ひいいい…… 」
男はすっかり腰を抜かしており、股間には失禁による黒い染みが広がっていた。ふと、雪蓮の目がそこに止まる。すると、彼女は更に笑みを凄惨なものにした。
「ねぇ、人の妹を人質にとって、その後『ナニ』しようとしていたのかしら? まぁ、この程度の事でびびって漏らす様な、お粗末な『モノ』を使おうとしていたのは判るけど…… 」
「すっ、すんませんっ! もう、しませんから、勘弁してくださいっ! こ、殺さないでくれ!! 」
冷気のような雪蓮の殺気に中てられ、心胆を寒からしめた男は、自由な左腕を前に突き出して懸命に命乞いをする。
「ふぅ~ん。何で謝るのか判らないけどさ、何なら私が『ソレ』を気持ち良くさせてあげよっか? それも『とっておきの方法』で 」
「そ、その『とっておき』って、な、何なんだよっ!? 」
自分を見下ろし、残忍さと妖艶さが相まった笑みを浮かべる雪蓮の言葉に、男は思わず聞き返してしまった。
「知ってる? 男って『ソコ』を潰されると、最後のあがきで大量の精を放つんですって。それはもう、二度と得られない快感だそうよ……。だから、今私がそれをしてあげようか? 」
そう言い放つ雪蓮は、実に『イイ』笑顔をしていた。
「いっ、いやだぁあああああああああああああああああああああ!! 」
『男』としてある意味『死刑宣告』に等しい言葉を受け、男は大絶叫した後に白目を向くと気を失った。それを雪蓮は冷めた目で見る。
「ふんっ、なっさけないの。これしきの事でびびって気絶すんだったら、でかい面するなってんのよ 」
無様な姿をさらけ出す男を見下ろし、唾を吐き捨てるかのように雪蓮は蔑んだ。
「あ、あのー。雪蓮様 」
「なに? 明命 」
明命が恐る恐る話しかけると、雪蓮は何もなかったのように顔を向ける。
「え、えーと。本当に『潰す』つもりだったんですか? 」
どうやら、明命は雪蓮の言葉を真に受けていたようだ。顔を真っ赤にし、倒れている男の股間をチラリチラリと見ながら話している。
「さぁ……どうだろうかしらね? 」
「はぁ…… 」
しかし、雪蓮は笑いながらはぐらかすだけで、明命は曖昧に頷き返す事しかできなかった。そして、雪蓮は自分の視界に、未だ怯えっぱなしの三人の姿を捉えると、そちらの方へと足を運んだ。
「災難だったわね、あなたたち 」
「は、はい…… 」
雪蓮が優しく語り掛けると、先程の桃香に似た少女が怯えたままで答える。
「話は連れから聞いてるわ。本当だったらきちんと歌を聞きたいとこだけど、そろそろ兵士が来るからここを立ち去った方が良いわ。これ、良かったら路銀の足しにしてちょうだい 」
そう言うと、雪蓮は財布から銅銭をごそりと取り出し、彼女の手にジャランと音を立てながら押し付けた。すると彼女は驚きに目を見開く、※6五銖銭が二十枚以上あったからだ。
「こっ、こんなに? 聞いてもらっていない人から、
こんなに貰うわけにはいきませんよー! 」
「いいのいいの。その代わりと言っちゃなんだけど、今度会う事ができたらじっくり聞かせて頂戴 」
自分らの歌を聞いてもいない者から、こんなに『心づけ』を貰うわけにはいかない。彼女らにも旅芸人として、それなりの『矜持』がある。
当然彼女は断ろうとするが、雪蓮はそれを手を振りながらやんわり遮る。そして、いつになるか判らない口約束を一方的に押し付けるとその場を後にしようとした。、
「あのー、すみませーん! よろしかったらお名前だけでも教えてください。
私、張角っていいますー 」
大金をくれた恩人に名前でも聞きだそうと思い、少女は自分の名を名乗り、彼女から名を聞きだそうとした。
「私は孫伯符、長沙の孫伯符よ。一度長沙に来るといいわ。いいとこよ。それじゃあね、再見、『張角』 」
張角と名乗った少女の言葉に、雪蓮は歩を止め彼女の方を振り向くと、優しい笑みと共に自分の名を名乗る。そして、今度こそ彼女は張角の目の前から去っていった。
「孫伯符さんかぁ……、かっこいいなぁー 」
「天和姉さんっ、何ボーっとしてんのよ! 早くずらかろう! 」
「そうね、地和姉さんの言うとおりだわ。取り敢えず当面の生活費は得られたし、退散した方が無難よね 」
遠ざかる雪蓮の後姿を、憧憬の眼差しでジッと見つめる張角。彼女は心あらずといった顔になっていた。すると、小柄な少女が、そんな彼女を揺さぶり、この場から立ち去るよう促す。そして、眼鏡の少女も同意するかのように頷いた。会話の内容からして、どうやら三人は姉妹のようである。
「あ、ごめんねー。それじゃちーちゃん、れんほーちゃん。早くここを出ようか? 」
ゆるゆると立ち上がり、天和と呼ばれた張角は二人の妹と連れ立ってこの場を後にした。この時、天和は凛々しさと強さ、そして優しさを兼ね備えた雪蓮に強い憧れを抱くようになる。彼女の様な人物になりたいと強く願うようにもなったが、皮肉にもその願いは、後日『歪んだ形』で叶えられることになる。
張角こと『天和』、張宝こと『地和』、張梁こと『人和』の三姉妹。今はただの貧しい旅芸人でしかないが、やがて彼女達は空前絶後の力を手に入れる。その力が、まさかこの大陸史上において最も華やかで美しく、そして苛烈な戦乱の時代の幕開けになるとは、この時は微塵にも思っていなかった。
「蓮華、れーんーふぁー! 」
誰かが呼びかける声で、一刀は我に返った。すると、未だに自分にしがみついてるこの少女を助けてくれたあの女性が、こっちに向かっているではないか。彼女は後ろに長い黒髪の小柄な少女を従えており、雰囲気からして恐らく主従であろうと思われた。
「蓮華、ほら、しっかりなさい。彼困ってるわよ? それと、彼の可愛い奥さんも目くじら立て始めてるしね♪ ごめんねぇ、ウチの妹が迷惑かけちゃって。若夫婦のお二人さん♪ 」
「ね、姉様……ごめんなさい。それから、あなたにも謝らなくっちゃ、こんなに綺麗な奥さんがいるのに私ったら……本当にごめんなさい! 」
「えー、あー、そのー…… 」
「えーっ!? わっ、私が『奥さん』!? 」
彼女は、一刀にしがみついたままの呼んだ少女『蓮華』と呼ぶと、そっと蓮華の手に自分の手を添え、ゆっくりと引き離す。そして、謝意の言葉を言ったかと思うと、事もあろうか一刀と桃香の事を『若夫婦』呼ばわりし始める。
蓮華も姉の言葉を真に受けたのか、すっかり二人の事を夫婦と思い込んだようだ。自分のした事でこの若い夫婦の仲に亀裂が生じるのを恐れたのか、彼女は謝罪の後に勢い良く頭を下げる。
突拍子に夫婦呼ばわりされた事で、二人とも頭の整理がつかなくなったのか。一刀は曖昧な返事を返すだけであったし、桃香の方も、『奥さん』それも前に『綺麗な』とか、『可愛い』を付けられたせいで顔を真っ赤にし、目を白黒させていた。
「しぇ、雪蓮様、蓮華様! 衛兵が向かってます! 早々にここを立ち去りましょう! お二人の荷物は私が持っておりますのでご安心ください! 」
「いっけない。忘れてたわ。蓮華、明命! さっさとずらかるわよ! 」
二人の荷物を持った従者らしき黒髪の少女が声高に叫び、県城のある方向を指差すと、そこから衛兵の集団が走ってくるのが見えてきた。雪蓮と呼ばれた女は思い出したかのような顔になると、すぐさま妹と彼女を伴いこの場を立ち去ろうとし始める。その際、雪蓮は明命の手際のよさに舌を巻いたと同時に、内心彼女に感謝していた。
「あのー。もしよろしければ、私達の村に来ませんか? 」
「そうだな、村までは追っかけてこないと思うし 」
「あっ、それいいわね~。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわ 」
桃香と一刀も、既に逃げ支度を整えおり、桃香は三人に村へ来ないかと誘ってみた。一刀も名案だとばかりに頷き同意する。彼女の提案を受け、渡りに船と思ったのか、雪蓮は満面の笑みで快諾した。
そして、五人は全速力で城下町を後にすると、一刀と桃香が先行して後の三人を誘導する。その間、五人とも無我夢中で走っており口を開く余裕すらなかった。
※1:在位期間は清の同治元年-同治十三年。(西暦1861-1875年 )
※2:天正二十一年。(西暦1552年 )
※3:出家前の大友宗麟の名。
※4:西暦1700年頃。
※5:西暦960年-1127年まで中国を支配していた王朝。余談だが、『水滸伝』の時代はこの北宋末期である。
※6:前漢の元狩五年(紀元前118年)、武帝によって作られた貨幣。唐の武徳四年(西暦621年)まで鋳造され、当時では一般的に流通されていた。現在の価値にして約30~300円とバラバラであるが、ここの作中では300円のイメージにしておく。
ここまで読んでくださり誠に感謝しております。
前書きにも書きましたが、今回も実に『グダグダ』で御座いました。自分の悪癖で、一度書き始めると、着地点を決めたはずがそれを通り越し、次から次へと長々と書いてしまうのです。
特にスイッチが入ってしまうと、朝四時になろうが五時になろうが夢中になる始末。その影響で今週は慢性的な寝不足状態に……。(汗
今回の話から、孫姉妹が一刀達に本格的に絡むようになります。真・恋姫から、呉のキャラにほれ込むようになってしまったものでして、彼女らにもヒロイン性を強く持たせたいなと思っておりました。
それと、張三姉妹の話はアニメ版真・恋姫の第四幕を見て思いついたものです。まぁ、自分だったら彼女らに『心づけ』を払うよなーとか思ったのと、現在の作中の時間軸は黄巾の乱のチョッと前にしておりますので、売れない旅芸人時代の彼女らをゲスト出演させる事にしました。
作中にも書きましたが、恋姫では実に「メンマ」とか「麻婆豆腐」とか現代の中華料理が当たり前に出てきます。なんだか違和感を感じましたので、ウィキ先生や資料を見てみましたところ、突っ込みどころ満載でした。そこら辺は作中で詳しく説明しておきましたので、読んで頂ければ幸いです。
他にも、お金とか、書いてる内に自分でも疑問に思うことが出てきました。その都度ネットを駆使して調べたりするものですから、ちょん切ったとは言え、ここまで書くのに一苦労でした。(汗
最後に、桃香の回想で出てきたオリキャラ簡雍こと簡憲和です。劉備と言えば関羽・張飛の義兄弟との旗揚げのイメージが強いですが、彼の存在も忘れてはいけません。
劉備と同郷で幼なじみでも会った彼は、劉備と苦楽を共にし、劉備の立場が立派になっても『マブダチ』としてのスタンスを崩さなかったそうです。
太守になろうが、州牧になろうが、王になろうが彼は劉備と常時『タメ口』で会話してたとか、或いは会議の時には長椅子に横になったまま参加していたそうです。
しかし、無遠慮でデリカシーに欠けている側面があり、それを他者から責められるという事もあったとか。また、真名に設定した『松花』なのですが、花言葉で『無遠慮、大胆 』を意味するのはカラマツだったんです。流石に『唐松』ちゃんでは可哀想だと思ったので、『松の花』にし、読み方もピンイン発音風にしました。
早速ではありますが、これからちょん切った箇所に肉付けを始め、次話作成に取り掛かりたいと思います。ですが、遅筆ですので首をキリンさんにしてお待ちくださいませ……。
本当に申し訳ないっす!(涙
それでは、また! 不識庵・裏でした~