第三十一話「虎口『前編』 劉玄徳は孫文台と相見え、劉仲郷は磔台に己が覚悟を託す」
どうも、不識庵・裏です。前に予告した通り、今回は桃香達が青蓮達に会う話なのですが……途中で結構外れてしまい、案の定字数不足になってしまいました。
真に申し訳ありませんが、先日の「黄巾落日」と同じ様に、今回も「前後編」形式を採らせていただきます。
と、これまでは訂正前の前書きです。今回は納得の行かん出来だった故に、編集し直しの上での再投稿という形を採りました。
もし、再編集前の物をファイル保存した方が居るのなら、何処で区切ってるか見比べてみると宜しいでしょう! あ、本文自体はほぼのータッチですんで。
それでは、照烈異聞録第三十一話。最後まで読んで頂ければ嬉しく思います。
――序――
予州潁川郡は陽翟県。此処の県城の外には、先の黄巾討伐の戦いに参加した将達が陣取っており、その中には荊州長沙郡太守孫文台の陣があった。その本陣の天幕内に於いて、孫家当主たる孫文台こと青蓮は座に腰掛けており、如何にも待ちわびた風の彼女は、やや苛立たしげに肘掛をトントンと指で叩いていた。
そして、遂に痺れを切らしたのか、彼女は傍らに控える親友にして筆頭軍師の縁こと程徳謀を見やる。彼女は悠然とした風で茶碗を傾けており、どう見ても青蓮より余裕があるように思えた。そんな彼女が面白くなかったのか、青蓮は唇を尖らせてぼやいて見せる。
「フゥ……ねぇ、縁。まだ来ないのかしら? いい加減待ちくたびれてしまったわよ? 」
「まだよ、まだ。本日巳の刻(午前十時)に会うって、蓮華様を通じて劉備の方に言い渡していたじゃない? その巳の刻まで、まだ半刻(約一時間)もあるのよ? それまでの間、祭の幽州土産の『緑茶』でも飲んで、昂った気分を落ち着かせて見ては如何かしら? 大喬、小喬。青蓮にお茶を出して 」
「「はいっ、畏まりました。縁様 」」
そうしれっと返して見せると、彼女は側仕えの女官として軍に同行させた双子の姉妹に言い放つ。この双子の姉妹は、姉を大喬、妹を小喬と言い、それぞれ雪蓮と冥琳の愛妾として貰い受けられた経緯があった。
優れた『夜のお相手』であったのと同時に、女官としても優れていた彼女等は、雪蓮や冥琳だけでなく孫家の主な人間からも愛されており、今回も青蓮の鶴の一声で同行を命ぜられたのである。
「どうぞ、青蓮様。緑茶で御座います 」
「冷めない内にお飲み下さい 」
「ありがとう、二人とも。それじゃ、頂くわね? 」
あっと言う間に二人が茶を持ってくると、青蓮は笑みと共にそれを受け取り一口つける。すると、たちどころに彼女は相好を崩して見せた。
「はぁ……何て美味しいのかしら? 青茶(烏龍茶)よりも、癖が少ないし、飲み口も爽やかだわ 」
「でしょう? 他にも、『清酒』と名付けた米と麹で作ったお酒があったけど、私はそんなにお酒が得意じゃないから、こちらの方が好みね? 悪いけど、二人とも。お茶のお代わりを頂戴 」
「「はいっ、畏まりましたー 」」
そう、わざとらしく肩をすくめさせて見せると、縁は双子の娘にお茶のお代わりを要求し、その様子を横目に見つつ、青蓮はボソッとひとりごちて見せた。
「フフッ……今日来る者達も、この『緑茶』や『清酒』の様に、私にとっての『美味』であって欲しい物よね? フフッ、フフフフフフフ…… 」
この時の青蓮は、凄惨な笑みを美しい顔に浮かべており、今回彼女は恐ろしい思惑を胸中に抱いていたのである。
会見の席で、桃香達がどう言って来ようが、一心と一刀がそれぞれ雪蓮と蓮華と関係を持った事を楯にし、桃香達を含め劉家を丸ごと自身の掌中に収めようと目論んでいたのだ。
無論、『否』と答えた時点で、皆殺しにする積りであったし、既に甘寧を始めとした腕の立つ者達に周囲を固めさせていたのである。
何故なら、経緯はどうあれ伯想と仲郷の劉兄弟が自分の娘達に手を出した以上、自分の物にならなければ生かしておけぬと考えており、他家に取られるか或いは――今噂の劉玄徳が独自に勢力を築こう物なら、自分にとって最大の障害になりかねないとも思っていたからだ。
『義勇軍を率いる劉玄徳は、正しく漢を再興させた世祖(光武帝の廟号)の再来だ。彼女だけではない、その部下も一騎当千の猛者や神算鬼謀の持ち主揃いだし、更には『今蕭何』とも呼べる辣腕家が彼等を裏で支えている。もし、仮に劉玄徳が世祖の再来だとすれば、その部下達も嘗ての雲台二十八将さながらだ。恐らくだが、彼女等を掌中に出来れば天下も夢ではなかろうよ』
付け加え、この様な噂話までも聞かされる始末である。こうなって来ると、何れ強固な独自勢力を築き上げ、漢からの独立を目論んでる彼女にとって『劉玄徳とその仲間』は途轍も無い脅威だ。
どうせ、手に入れられぬのであれば、力の無い内に彼奴等を処分するのが無難であろう。例え、他から真偽を問われ様とも『自分の娘達が劉兄弟に騙され、挙句に彼等と姦通した』、『無教養な劉玄徳が自分に無礼を働いた』等と、口実なら幾らでも作れるからだ。
また、自分の臣下の中からも、劉玄徳達を迎え入れる事には賛否両論の声が上がっている。その中でも、特に『否』を唱えているのが冥琳こと周公瑾と思春こと甘興覇の二人で、それぞれ『智』と『武』に長けた二人の影響が強いせいか、『否』と唱える者達は徐々に増える有様である。
それに対し、『賛』と唱えるのは劉家の面々と長く接してきた明命こと周幼平と祭こと黄公覆で、冥琳達とは逆に彼女等を支援する者は余り居なかったのだ。ちなみにであるが、縁は「どちらにも付く気はないわね? こう言う時こそ、軍師たる者は中立的に物事を見させてもらうわ」と中立の立場をとっている。
こう言った複雑な事情が絡んでいる最中、本日青蓮と会見する桃香達は正に『虎口』に飛び込んで行く訳なのだが、まさかここでの出来事が雪蓮と蓮華に小蓮、そして明命と祭の人生を変えるほどの大きな影響を及ぼす事になろうとは、この時はまだ誰も微塵だに思っていなかったのである。
――壱――
――そして、未の刻になる少し前。奏香こと劉徳然率いる『樊県義勇軍』にて――
「奏香お嬢様ぁ~! 」
「え? どうしたのかな? 捜魂苦さん? 」
大声と共に、如何にも『肝っ玉母ちゃん』と言った風の堂々とした感じの女性が、慌しく天幕の中に入ってきた。彼女は姓は劉、名は磐、字を※1公厳、真名を捜魄苦と言い、可也変わった真名を持った女傑である。
実は彼女、南郡太守の劉景升を伯父に持ち、その彼が産まれたばかりの彼女に『人生とは己の魂魄の行く末を捜し求める苦行その物である』と言う意味を込めた真名を名付けたのだ。
然し、そんな真名を付けられたこの劉磐であるが、真名と同じくその本人も実に変わり者である。伯父の下で研鑽を積み、やがては将来を嘱望されていたのにも関わらず、南郡の片田舎で木こりをしていた元武芸者の霍峻と結婚し、やがて二人の間には一人の娘が生まれた。
捜魄苦と夫霍峻の夫婦関係は、正に『カカア天下』である。彼女は、生まれて間もない我が子をあやしつつ、実年齢より老け面の宿六目掛けこう言い放ったのだ。
『お前さん、木こりじゃ中々イイ収入得られないんだしさ、いっその事どっかの家に雇ってもらったらどうだい? それに、アンタ元は武芸者だったじゃないか? それと……折角の武芸を只の木こりで終わりにする気かいっ!? 』
『わっ、判ったよ! カアチャン!! 』
かくして、捜魄苦は頼りない宿六の尻を蹴り飛ばすと、その彼は当時樊の県令に就任したばかりの劉泌に警備兵として雇われ、木こりよりずっと安定した収入を得る事に成功したのである。
その後、彼女は夫と二人三脚で一人娘を育て上げ、手の掛からぬ年齢になってくると、今度は夫の雇い主である劉泌に自分を猛烈に売り込んだ。丁度その頃、劉泌は奏香を養女に引き取ったばかりであったので、捜魂苦に奏香の『お世話係』を命じたのである。
『さぁ、奏香お嬢様。この捜魄苦に全てお任せあれっ! 勉強に武芸の稽古、家事全般及び将来の旦那との夜の生活の知識と、『花嫁修業』の方もみーっちり叩き込んで差し上げますからねっ!? 』
『え、えーと……よっ、宜しくお願いしますっ!! 』
正に、有言実行とはこの事であった。何と、彼女は『お嬢様』の身の回りのお世話だけでなく、武芸と学問及び『花嫁修業』の先生と、実に一人何役もこなして見せたのである。やがて月日が流れ、見目麗しくご成長なさった『奏香お嬢様』はとある決意を抱き、それを聞かされた捜魄苦は豪く感動すると、彼女は恐ろしい行動に出たのだ。それは――
『ちょっ、ちょっとぉ~~!! お母さんってばぁ~! 私、戦争に行くのやだよ~!! 戦より学問に専念していたいんだってばぁ~~!! 』
『うおいっ、カアチャン! 戦場に行かされるのはカンベン!! 俺は血を見るのが苦手なんだよぉ~~!! 』
『アンタ、それに颯庫雅もッ!(霍峻の娘霍弋の真名) この期に及んで、二人ともグダグダ言ってんじゃないよっ!! 国難に立ち向かおうって、奏香お嬢様が義勇軍立ち上げたってのに、アタシ等だけが安全なトコでのうのうとしてる訳にも行かないだろっ!? でないと、二人とも小遣い十分の一にするよっ!? 』
『それも嫌だって~! 戦も嫌いだし、お小遣い減らされるのも嫌~~! 』
『俺も颯庫雅と同意見だ~~!! って、おい、義勇兵になっちまったら、お勤めが出来ねェじゃんかっ!? 俺の給料どうなるんだぁ~~!! 』
『さ、アタシ等も今日から奏香お嬢様の義勇兵さ! 目先の給料や学問より、将来の安寧だよ!? 黄巾野郎を皆纏めてぶっ飛ばすよぉ~~!! 』
『いっ、嫌ァアアアアアアアアアアアアア~~!! 人が争いを産むなら、皆死ぬしかないじゃないっ! あなたもっ! 私も~~!! 』
『ほう、颯庫雅。親に向かってそんな口を叩くとはねェ……イイだろう、一年間小遣い十分の一決定ッ!! 』
『嫌アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア~~ッ!! 』
『俺の給料~~~!! 』
……と、まぁ、今回彼女は『お嬢様』の恋が成就出来る様にと思いつつ、戦の方でも彼女を見事護って見せんと、嫌がる旦那と娘を無理矢理引き摺り、『お嬢様の義勇軍』にはせ参じたのである。
「はいっ、お嬢様が何時も噂されてる『劉玄徳』殿が、今日孫文台様の所に来るんですって! 孫家の方は元より、こっちの方でも話題に上がっておりますよぉ~! 」
「ええ~っ! それ、本当なのっ!? 」
「え? 『劉玄徳』って何時もお前が話していた『桃香ちゃん』の事だろっ? でも、何でなんだ? 」
「うーん、何があるんだろな? 俺にもさっぱり判らん 」
「なっ……劉、玄徳…… 」
その捜魄苦の報告に、奏香は驚くと共に嬉しそうに目をキラキラさせ、雄雲こと関坦之と修史こと陳叔至は驚きの中にも引っ掛かりを覚え、霧花こと黄公衡は『劉玄徳』と言う名に言葉を詰まらせるとそのまま固まってしまった。
「ね、みんな。どうせなら、これから桃香ちゃん達を見に行かない!? 私ね、桃香ちゃんにずーっと逢いたかったんだぁ! それにね、運が良ければお話しする事も出来るかもしれないし? 」
「あ、ああ? 良いぜ? まっ、じっとしてるよりずっと良いしな? どうせ、嫌だと言っても無理矢理つき合わされんの目に見えてるし 」
「まぁ、俺の主な役割は奏香の護衛だからな? 良いぜ、お前に付き合うよ 」
「……判った、貴公の言葉に従おう 」
「はいはいっ、それじゃアタシはここでお留守番しておりますからね? 後で感想をお聞かせ下さいな♪ 」
そして、じっとしていられなくなったのか、奏香は傍らの雄雲らに急かす様言葉を発すると、雄雲と修史は苦笑交じりで頷き、霧花はすこし間を置いてからゆっくりと首肯して見せた。そんな風で捜魄苦こと劉磐を留守番に残すと、早速四人は孫家本陣の天幕の方へと向かう。既にそこには沢山の人だかりが出来ており、奏香達は身を捻らせて無理矢理そこに入り込んだ。
「ほら、こっちだ。ったく、相変わらずとろいよな? 」
「うぅ~! だぁってぇ、私雄雲ちゃんみたいに上手く動けないんだもん! 」
雄雲に手を引かれ、何とか奏香が這い出てくるが、人だかりに揉まれた彼女の衣服と髪はグチャグチャにされており、そんな彼女に呆れつつも、雄雲は彼女の乱れた髪を直してやった。
「ほらっ、髪が乱れてるぞ? 女の子なんだからさ、ちゃんとしとけよ? 」
「うっ、うん……ありがと 」
恐らく、幼馴染の関係から来る何気ない気遣いであったのかも知れないが、昔から雄雲に『恋心』を抱く奏香から見ればそれは格別の物で、彼女は思わず頬を染めてしまう。
「結構、人ごみ半端無いからな? 離れない様に手を握っててやるよ 」
「うんっ♪ 」
そうぶっきら棒に言うと、雄雲は無造作に奏香に手を差し出し、彼女は満面の笑みと共にそれを強く握り締める。それはまるで、嬉しさの余り尻尾をパタパタと振る仔犬宛らの様であった。
(最近の雄雲ちゃん、何だか顔付きも大人びてきたし、背も高くなってきたし、体つきの方もガッチリしてきたよね? 始めて逢った時は同じ位の背丈だったのになぁ…… )
この幼馴染の少年に、奏香は熱い眼差しを向ける。最近の雄雲は顔つきもそうだが、体つきの方も可也変わり始め、『少年』から『男』への脱皮を始めていたのだ。それが醸し出す逞しさと頼もしさは、奏香の心に於ける彼の存在をより強める事となる。
「…… 」
(雄雲ちゃん、だーい好きだよ? 今も、そしてこれからも…… )
そして、無意識の内にであるが、雄雲は奏香の肩に手を回し、彼女もそのまま彼に身を預けたのである。
「ほら、霧花。大丈夫か? 」
「修史殿、真にかたじけない……。ご覧の通り、私は小さいからな? こうやって人ごみを抜けるのは正直苦手なのだ 」
「いや、良いさ。奏香からも、お前を護ってやってくれって言われてるからな? 」
「フフッ、どうやら私は良い主人を持った様だ 」
一方の修史も、霧花を何とか自分の方へと引っ張り出す。彼女はずり落ちた帽子を被り直すと、修史に頭を下げて礼を言うが、当の彼から返された言葉に思わず霧花は微笑んで見せた。然し、その笑みはどこか儚げであった。
「おいっ、来たぞ! 幽州の劉玄徳だ! 」
そして、とある一角の方から、誰かが声高に叫ぶ。どうやら、桃香達が到着した様だ。
「本当だ! 噂通り凄そうな連中引き連れてるぞ! 」
「あんな可愛い女の子が、凄腕の豪傑や切れ者従えてるなんて想像できないぞ! 」
「ええ~っ!? もう来たのぉ!? 」
「どっ、何処なんだよ? 全然見えないぞ? 」
「おいおい、あんまり身を乗り出すなよ? 怪我したら大事なんだからなっ? 」
「何処だ、何処に居るのだ? 」
次々と上がる言葉に煽られたのか、奏香達四人も食い入る様に本陣天幕と逆の方を必死に見やると、少しもしない内に桃香達一行が彼女等の視界に入ってきた。数年振りに目にした従姉の姿に奏香が思わず感嘆すると、雄雲の方も昨年逢った従姉の姿に両の眼を大きく見開いて見せた。
「うわぁ……桃香ちゃん、何て綺麗になったんだろ? 楼桑村に居た時とまるで別人みたい…… 」
「あ、愛紗? それに鈴々まで……。そうか、あの二人玄徳さんの義勇軍に入ったんだな? こりゃ、後で会って見ないとなぁ……久し振りに手合わせもしたいし 」
「へぇ~、アレが噂の『劉玄徳とその仲間』かぁ~! ウチの方もそんじょそこら辺の連中に負けてないと思ってたが、こりゃあ、アッチの方が格上だな? 」
「あれが……『劉玄徳』。顔立ちも美しいが、全身から漂う気品と風格……正に『あのお方』その物だ……嗚呼、この世界にも『王道』を行く人物が居たとは……! 」
桃香と彼女が引き連れる将達の姿を目にし、その威容に修史が素直に感嘆すると、霧花はとある人物の面影を桃香に重ね合わせて無意識の内に落涙する。
そして――次の瞬間、また一際大きな声が上がり始めたのだ。
「おっ、おいっ! 劉玄徳達の後ろを歩いているあの漢達は誰なんだ? んんっ、まさか? 」
「間違いねェ! 劉玄徳の従兄『劉伯想』とその取り巻き連中だ! 劉玄徳の兄貴分だって聞いてるぞ!? 」
「おい、見ろよ。劉伯想もだが、後ろに従えてる奴等も凄そうだぜ? 」
「本当だ、何だか凄そうな連中ばっかだよなぁ~! 」
無論、その声に気付かぬ四人ではない。吊られる様に、奏香達は桃香達女性陣の後ろに付き従い、悠然と歩を進める一団の方に目を向ける。そう、その一団の正体とは、他ならぬ『一心と愉快な仲間達』だったのだ。
一心もそうだが、彼が引き連れるは義雲を筆頭とした一騎当千の猛者どもに、照世を中心とした『幽州の三賢人』であった為、彼等が放つ堂々たる威容は、先程の桃香達を遥かに凌駕していたのである。この彼等の姿に、奏香たち四人は完全に圧倒されてしまった。
「この男の人達……何て立派なんだろ? まるで皇帝の行幸を見てるみたい…… 」
「あ、ああ……後ろに従えてる連中も、皆只者じゃない! 恐らくだけど、皆孫堅さんの部下より凄いかもしれないぞ? 」
「そうだな……それに、あの福耳の男が引き連れてる六人の連中だが、恐らく俺なんかじゃガチでやりあっても絶対に勝てないぞ!? 」
「……なっ、何故だっ? 何故ッ!? 」
奏香、雄雲、修史の三人がそれぞれ感想を述べていると、霧花だけは動揺を露にしてしまい、まるで『在り得ない者』を見たかのような表情である。そして、彼女は誰にも聞こえない位の小さな物であったが、思わず言葉を出してしまった。
(せ、先帝陛下、それに関将軍達だけでなく、諸葛丞相まで……皆若返っているが、あのお姿をどうして見間違えようっ!? 然し、これは幻なのかっ? 仮に幻であるのなら、未だ皇天后土は先帝陛下に不忠を働いた私に当て付けをなさるお積りなのかっ!? )
先程の『劉備=桃香』の姿に感動の涙を流した事から一変し、霧花の心に荒れ狂う大波が押し寄せてくる。彼女はギュッと唇をかみ締めると、悠然と歩を進める一心達の後姿を見やり、とある決意を胸に抱いた。
(今宵でも良い、何とか劉伯想と会う機会を作り、彼に問うてみよう。もし……彼が『先帝陛下』であれば、その時私は…… )
この時霧花の心中には、希望、絶望、そして恐怖と様々な物が複雑に絡み合っていたのだが、やがて彼女は『魂の救い』を得る事となる。
――弐――
「主公! 」
「何事か? 」
約束通りの時刻になるのと同時に、一人の兵士が天幕の中に入ってくると、彼は青蓮の前に跪き拱手一礼の後に報告を始めた。
「はっ、劉玄徳殿がお見えになられました。どうやら、その家来達も同行してきた模様です 」
「判った、通せ 」
「はっ! 」
足早にその場を去る兵士の後姿を見やりつつ、青蓮は『遂に来たわね?』とニヤリと笑みを浮かべる。然し、そんな彼女の昂揚感をぶち壊すかのような呻き声が何処から上がった。
「う゛~~っ、アンマリ大きな声で叫ばないでよぉ~! 頭に響くじゃない…… 」
その声の主とは、他ならぬ青蓮の嫡子たる雪蓮こと孫伯符であった。此処に来る前に、照世達から二日酔いの薬を煎じて貰った物の、どうやら大量に摂取した酒精は彼女を易々とは解放してくれなかったようである。彼女は未だに青褪めた顔を苦痛で顰めさせており、それに付け加え周囲に熟柿の臭いを撒き散らしていたのだ。
「ねっ、姉様……皆が睨んでいますよ? 」
「雪蓮姉様、お酒くさぁ~~いっ! もうっ、サイッテーよね!? だったら、そんなになるまで夕べ深酒しなければ良かったんじゃないっ! 」
「う゛~~判ったから、シャオ。そんなに大きな声出さないでよ…… 」
これらの醜態を曝け出していた雪蓮であったが、そんな彼女を蓮華と小蓮の妹二人が窘める。悲惨な事に、彼女等は手巾を鼻に宛がっており、如何に雪蓮が酒臭いのかが窺えた。
この時、雪蓮を含めた青蓮の三人の娘達は、孫家の姫君らしい服装で女らしく着飾っていたのだが、雪蓮のお陰で全て台無しである。オマケに彼女等だけでなく、傍らに控えた家臣達も手巾を鼻に宛がっていた。
「この馬鹿娘が、お前は私の嫡子でありながら、齢も二十であろうに? よもや、こんな大切な時に二日酔いで臨むとは……未だに己の身を弁えられぬのかっ!? 」
どうやら、青蓮も強い不快感を抱いたようで、彼女もどぎつい視線を長女に向けると、対する雪蓮は余計に顔を顰めさせて見せる。
「う゛ー……だぁってぇ~~痛いモンは痛いんだもォ~~ン! 」
「ハアッ……これが終われば、好きなだけ休んでて良いから、今だけはシャキッとしなさい、シャキッと。でないと、婿殿に呆れられるわよ? 」
「う゛あ゛~~~い゛っ…… 」
「う゛っ……本当に酒臭いわね、この馬鹿娘はっ……!!
母の言葉にそう返す雪蓮ではあった物の、口を開く傍から何とも言えぬ酒精の臭いが青蓮を襲う。流石にこれにはひとたまりも無かったのか、青蓮は顔を思い切り顰めてしまった。
「大喬、小喬ッ! この『飲んだ暮れ』に香り玉を噛ませなさいっ!! 」
「「はっ、はいっ!! 」」
未だにしかめっ面の青蓮が、傍らの大喬と小喬に『香り玉』を持ってこさせる様に命ずると、彼女等は慌てて服の中にしまっていた『香り玉』を雪蓮に手渡す。「ありがとう」と一言礼を言うと、雪蓮はそれを口中に含み、舌でコロコロと転がし始めた。
「劉玄徳殿の御成ぁ~りぃ~っ 」
長沙から連れてきた召使いの一人がそう叫ぶと、両隣に愛紗と鈴々、その後ろに星と紫苑、そして朱里と雛里に松花を従えた桃香が青蓮の前に姿を現す。彼女の姿を目にし、青蓮の周りに控えた孫家の将兵からはヒソヒソと話し声が交され始めた。
「ほうっ……幽州の田舎娘と聞いていたが……これは中々の人物ではないのか? 」
「ああっ、何でも中山靖王の末裔だとの事だが、強ち嘘でもなさそうだな? まるで、由緒ある家柄の姫君にも見えるぞ? 」
「ふむ、流石は桃香殿じゃ。キチンと然るべき人物の前での礼を弁えてるようじゃな? フフッ、綺麗な『おべべ』を召されとるようじゃが、差し詰め松花か、或いは菖蒲殿か陽春殿に見立てて貰った様じゃの? 」
そして、その中には山茶こと祖大栄、蝋梅こと韓義公の姿もあり、祭こと黄公覆は微笑ましげに桃香を見詰めていた。この時、桃香は何時もの服装ではなく、松花や陽春が用意してくれた晴れ着に身を包んでおり、これに関しては、桃香の母親代わりでもある師母陽春の意向が可也強かったのだ。
『桃香、貴女はまだ正式に仕官していませんから、寧ろ姫君らしい服装で臨んだ方が良いでしょう。フフッ、都で留守を預けてる私の娘はお洒落に無頓着だったから……この際、貴女にその鬱憤を晴らさせて貰おうかしら!? 』
『へ? へ? ほえ? よ、陽春老師、何だか目つきが怖いんですけどー…… 』
『観念なさい、桃香。楼桑村の田舎娘のまんまって訳にも行かないでしょ? それに、あの形見の服だって可也汚れてたから、今洗濯してる最中なの。だから、大人しく私達の着せ替え人形にされちゃいなさーいっ♪ 』
『あはは、何だか面白そうだべっちゃねぇ? 実はっしゃっ、あだしもねぇ桃香さんさいっぺん『めんこいあがいしょ』(可愛い晴れ着)ばぁ、着させたかったんだべっちゃよ~♪ 』
訳:『あはは、何だか面白そうだわねぇ? 実はさ、私もねぇ桃香さんに一度で良いから『可愛い晴れ着』を着させたかったのよぉ~♪ 』
『うひゃああああああ~~っ! 』
こうして、三人の女によって桃香は見事に着飾られてしまう。赤や薄紅色等で鮮やかに染め上げられた絹布をふんだんに使った晴れ着に、頭には金細工を施した髪飾りが挿されており、極めつけは唇に紅を引き、程よい香りを放つ香り袋を懐中に忍ばせていたのだ。
「これが、劉玄徳か……並み居る孫家の者達を前にしているのにも関わらず、意外に堂々としている。流石は漢室の末裔を自称するだけはあるか? 」
「あれが関羽と張飛か……待ってろよ、今すぐにでも貴様等のそっ首貰い受けてみせる……!! そして劉備ッ、貴様の首もだッ! 高が幽州の田舎娘の分際で、雪蓮様や蓮華様達と馴れ馴れしく接する事自体、実に腹立たしいっ! 誇り高き孫家のご息女を、一体何だと思っているっ! 死を以って報いをくれてやるっ 」
逆に、青蓮の宿将三人とは全く正反対の視線を向ける者も居る。それは冥琳こと周公瑾と、思春こと甘興覇の二人であった。実はこの二人、昨年雪蓮と蓮華が明命を伴い幽州に旅立った当時は大規模な水軍の調練をしている最中だった事もあり、その事実を知らされたのは一月も後の事だったのである。
無論、それぞれ雪蓮や蓮華に特別な想いを抱いてる物だから、自分等に何の報せも無く遠い土地に旅立った事が物凄く面白くなかったのだ。
オマケに、何やら得体の知れぬ男達と契ったとも聞かされている。正直、二人は今すぐにでもそいつらの首を跳ね飛ばしてやりたいとも思っていたし、蓮華や雪蓮と親しくなっていた劉備の存在も気に喰わなかったのだ。
「ほーう、アレが劉玄徳に、関羽と張飛を始めとした取り巻き連中か? それにしても、強そうなの一杯従えてんじゃねぇか? 俺っチとアイツ等、どっちが強ぇか試してみてぇもんだぜ? 」
そして、今度は別の方で、桃香の後ろに付き従う愛紗達に挑発的な視線をぶつける男が一人。彼はぼさぼさの前髪を上げようともせずに、右手を無造作に胸元に突っ込んでいて、もう片方の手で石つぶてを軽く弾いては弄んでいる。
この男は姓を丁、名を奉、字を承淵と言い、元は妹の丁封と兄妹揃って『錦帆賊』の一員として、頭目の思春の下長江一帯を荒らし回っていたのだが、やがて頭目の思春が孫家に仕える様になると、彼等兄妹も彼女に従うべく孫家の臣下に加わったのだ。
彼は、血気盛んな南方の侠らしく、実に獰猛な男である。元頭目の思春をして、『一度でも頭に血が上ると、承淵ほど手に負えぬものは居りませぬ。アレこそ正に、江賊をやる為に生まれてきたような男です』と言わしめるほどだ。
そんな彼だが、普段は飄々としており、自分の鍛錬と酒を飲む事にしか興味を示さず、身嗜みも実に無頓着である。その上頭髪も手入れしていない物だから、伸ばしっ放しの頭髪を後ろで纏めているだけで、前髪の方もだらしなく顔に掛かったままであった。
鍛錬をずっと積み重ねた彼だが、その特技は『つぶて』を飛ばす事にある。至近距離では可也有効な殺傷力を誇り、一度狙えば百発百中の腕前を誇っていたのだ。無論、彼の立場も頭目に倣い『否』である。正確に言えば、彼は関羽や張飛と言った豪傑連中に喧嘩を売りたかったのだ。
そんな思惑があるとは些細も知らず、桃香達は青蓮達の前まで歩を進めると、一同は流れるような所作で青蓮に対し拱手行礼を行う。
「お初にお目に掛かります、孫閣下。私は劉玄徳で御座います。此度の黄巾との戦に於かれましては、閣下の大切なご息女やご家来衆の方々にご協力を賜り、この玄徳真に感謝御礼申し上げる次第にて御座います 」
普段とは全く違う凛とした声色で、桃香は名乗りを上げると、次に雪蓮や蓮華を始めとした孫家の人間に協力してもらった事への感謝の意を示した。その口上も実に堂が入った物であったが、前の日に照世達や陽春と相談して考えた物である。
「初めまして、劉玄徳殿。良くぞ孫家へ、私が当主の孫文台よ? 以後良しなに…… 」
(ふむ、一応礼儀は弁えてる様ね? この時点なら及第かしら? )
そして、桃香に続く様に、愛紗を始めとした仲間達が次々と名乗りを上げると、青蓮達は興味深そうに目を細め、逆に冥琳達は更に一層険しげな視線を彼女らに向ける。無論、それに気付かぬ桃香達ではなかった。
(やっぱりだ……蓮華ちゃんが言ってた『油断するな』って、こう言う事だったんだね? どう見ても、孫堅さん目が笑ってないし、あそこの人達から向けられる視線も、好意的とは思えないもの? 確か、朱里ちゃんと雛里ちゃんのお話だと、あの長い黒髪の眼鏡の美人さんが周公瑾さんだよね? そして、その両隣の人達も……名前は判らないけど、凄く強そう。何か悪い事が起こらなければ良いんだけど…… )
(あの女、周公瑾と言ったか? それに、奴の隣に居る二人の武官から刺々しい物が感じられる。特に、女の方からは一際危険な物を感じるぞ? もし、義姉上に何かしてみろ? この関雲長が、その首へし折ってくれる! )
(何だか知らないけど、あの三人とってもいけ好かないのだー!! 桃香お姉ちゃんをいじめる積りなら、鈴々は容赦しないのだーっ!! )
(ふむ……若しやすれば、あの女の武官。明命殿の話に上がっていた『甘興覇』かも知れぬな? 恐らくだが、可也の腕前と見る。隣の男も、甘興覇に負けぬ程の威圧を感じるぞ? 最悪……奴等と相対する事もありえるかも知れぬ。 )
(どうやら、私達は『虎口』に飛び込んだと言っても過言ではないでしょう。最悪、桃香さんだけは何としてでも護って見せないと……この娘は私達にとって大切な主公なのですから……。孫家の方々、高々義勇軍と思って甘く見ていますと、痛い目に遭わせますわよっ!? )
(ったく、こんな南からやってきた連中に舐められて溜るかってのよ! どれだけ凄いのか知らないけど、桃香。私達の楼桑村魂、あのえっらそーなオバハンにしこたまぶつけてやんなさいっ!! )
表向きは毅然と振舞っていた物の、桃香は首筋に刃を付き付けられるかの様な感触を覚え、愛紗と鈴々、そして星や紫苑に気丈な松花は逆に睨み返して見せるといった水面下の攻防が行われ始めていたのである。
(やっぱりだよね? 雛里ちゃん。孫堅さん達は私達に好意的じゃないみたいだよ? 照世老師たちと事前に策を練っておいて正解だったよね? )
(うんっ、朱里ちゃん。多分間違いないと思うけど、孫堅さんは一心様達と雪蓮さん達との事を楯にとって、私達をそのまま手に入れようって魂胆。それに従わなかったら殺すつもりだと思う。馬家の琥珀様達にも一芝居打つようお願いしたし、上手く行けば良いよね? )
(予定では次に一心様たちがここに来て…… )
(そして、最後に来る予定の一刀様、他にも陽春様や菖蒲様達にも一芝居打って貰い、孫堅さん達の度肝を抜いて貰う。これ位しないと、孫堅さん達を黙らせる事は出来ないから…… )
全く声に出していなかったが、まるで会話するかの如く心を通い合わす朱里と雛里。いつもの『はわわ』や『あわわ』ではなく、二人は軍師の顔で座上の青蓮を真っ直ぐ見据えていたのだ。
「ところでだけど、劉玄徳殿……我が娘伯符と仲謀の夫となる殿方達の姿が見えないのだけど? 」
桃香達を一瞥し、少し物足りげな感じで言葉を発する青蓮。然し、それに対し桃香はやんわりと微笑んで見せた。
「はい、行き成り大挙して押し寄せるのも無粋と思いました故に、我が従兄伯想達には外で控えてもらっております 」
「あら? そんな遠慮は無用よ? 何せ、これより貴女達と私達は家族も同然……だから、その『家族』たる彼等の顔も見てみたいわ? 構わない、ここに通しなさい 」
「はい、畏まりました 」
少し意表を突かれたかの様に、青蓮が目をぱちくりさせて言うと、桃香は直ぐに松花に「一心兄さん達を呼んで来て」と一言告げ、それに「合点承知之助!」と小気味良く応えて見せると、松花は『お嬢様』らしく上品な足取りで一旦外に出る。そして、そこから間もなくして『一心兄さんと愉快な仲間達』が、青蓮の前に姿を現す。
「なっ……これが劉伯想? 何と威風堂々たる漢なのっ!? まるで、古の高祖を見てる様だわ? 」
「くっ、あれが雪蓮と契った劉伯想か、何て堂々としている。そして、先程会った諸葛然明に龐統伯と徐季直……流石は『幽州の三賢人』と呼ばれるだけはある。こやつ等は正に別格の雰囲気だ……! 」
「くうっ、この長髯や虎髯の大男に白銀の鎧武者だけでなく、他の連中も何て威圧を放っているのだ……先程の関羽や張飛よりこいつ等の方が恐ろしく見えるぞ 」
「へえっ……中々喧嘩のし甲斐がありそうな手駒が揃ってンじゃねぇか……早くこいつ等とも喧嘩がしてみてぇ!! 」
「むむっ……これが劉伯想か? 然し、雪蓮様にまことお似合いの人物に見える。中々良き漢だ 」
「ほほう……これだけの堂々たる大丈夫なら、雪蓮様が惚れ込むのも無理も無い。かくなる上は、今日にでも仮祝言を挙げさせてやりたい物だ 」
「ふふっ、流石は婿殿じゃ。青蓮様を前にしても微動だにしておらぬ。あれだけ肝が据わった男子、そうざらには居らぬわ 」
彼等を見た瞬間、青蓮だけでなく周りの者達も一斉に驚きの声を上げてしまった。冥琳は一心や照世達に圧巻されてしまい、思春は義雲等の放つ威圧に戦慄を覚え、丁奉は前髪に隠れた双眼を一層険しくさせて、危険な物を纏わせつかせる。山茶と蝋梅は頼もしげに一心を見やり、長い事彼等と触れ合ってきた祭は改めて一心と言う漢の偉大さに感銘を覚えてしまった。
この時、一心は衣服を全て改めており、頭に冠を挿し、緋色の長衣の下に上衣下裳と、正に貴人に相対する時の正式な服装で場に臨んだのである。楼桑村の時みたいに、緋色の長衣の下に平服姿か、或いは鎧姿しか見ていなかった雪蓮達三姉妹は言うに及ばず、祭の方も思わず彼の正装姿に見入ってしまった。
「はぁ……流石よね? ここまで化けるなんて……何時もの『べらんめぇ』で喋るあの一心とは到底思えないわ…… 」
「ええ、確かに……ここまで堂々として気品に溢れたお義兄様始めて見ました…… 」
「ふぅ~~ん。こうして見ると、あのオジサン結構渋いじゃなーい? シャオ見直しちゃった 」
「ふふふ……まこと、中々良い漢っぷりじゃのう? まるで王侯の風格よな? 」
悠然と青蓮の前まで歩を進め、一心は桃香の隣に並ぶと、彼は優雅な仕草で拱手行礼を行い、後ろに付き従う義雲達も一斉にそれに続くと、朗々たる声を響かせて一心は名乗りを上げる。この時の一心は、正に『劉玄徳』宛らの威厳に溢れていたのだ。
「お初にお目に掛かります、孫閣下……。私は劉思、字は伯想と申します。此度は、垢染みた田舎者に過ぎぬ我等の為に斯様な場を設けて頂き、この伯想、まこと恐悦至極にて御座いまする 」
「……丁寧なご挨拶、真に痛み入る。伯想殿、私が孫文台だ。然し、貴殿は我が娘伯符と契りを交わしたと聞かされている。故に、斯様な堅苦しい挨拶は無用だ。さ、もっと楽に成されるが良い、『婿殿』…… 」
「はっ、格別のお気遣い。まこと、痛み入りまする…… 」
「……っ! 」
言葉尻に、僅かばかりの威圧を含ませて青蓮が一心を見据えると、対する彼は余裕溢れた笑みで応じて見せる。この時、青蓮の心に激しい動揺が襲い始めた。何故なら、夫を喪った後操を立て、男を近付けぬ様にしていたのだが、一心から放たれる『侠気』にすっかり中てられてしまったのである。
「んー? どうしたの母様? 何だか、変な顔してるんだけど……? 」
「大丈夫ですか、母様? どうやら顔も赤いようですし、お加減でも悪いのでは……? 」
「母様ー、一体どうしちゃったのよー? 具合悪いんなら、今日は一旦取りやめて、また後日にでもするー? 」
無論、そんな青蓮の様子に気付かぬ雪蓮達ではない。この三姉妹はそれぞれ眉を潜めつつ母の元に近寄って見せるが、当の彼女は軽くかぶりを振って見せた。
「大丈夫よ、雪蓮が余りにも酒臭かったから、少し酔ったみたいだわ? フフッ 」
「あー……成る程、それで 」
「だよねー? 香り玉口に入れてるけど、まだお酒臭いもん 」
「ぶーぶー、何よそれー!? まるで私が悪人みたいじゃなーい! 」
強ち嘘でもなかったが、青蓮が咄嗟に思い付いた言い訳に蓮華と小蓮が納得したかの様に頷いてみせると、対象にされてしまった雪蓮は面白くなさげに頬を膨らませる。その親子間のやり取りが余りにも可笑しかったのか、周囲からの失笑を誘ってしまい、先程まで場を覆っていた剣呑な雰囲気は一気に和らいでしまった。
「孫閣下、どうやら伯符殿の酔気に中てられたご様子ですが、大事御座いませぬか? 若し、何でしたら私と玄徳は後日出直す所存で御座いますが? 」
本気で心配するかの様に、一心まで青蓮を窺ってくるが、当の彼女はそれに対しキッパリと言い放つ。
「いえ、本当に大事無いわ、本当にね? それと、貴殿の弟御がまだ見えていない様だけど、まさか体調でも崩されたのかしら? 」
「うひゃっ! 」
「あっ…… 」
「ううっ…… 」
「むうっ……! 」
青蓮のその言葉に、桃香に蓮華、そして愛紗に星と、昨晩一刀を交えて乱痴気騒ぎを起した恋姫達が、思わず顔を赤らめ呻いてしまう。
「……ッ!! 」
どうやら、その様子は思春の目に入った様だ。自分にとって心酔する蓮華が、男の事でうろたえる姿に、彼女は思わず歯軋りをしてしまった。然し、そんな彼女に誰も気付かなかった様で、一心は少し間を置き、言葉を発す。
「……我が弟仲郷で御座いますが、何やら閣下にお見せしたき物があるとか。故に、その支度で少々遅れておりまする。不肖の弟に代わり、この伯想閣下に対し深くお詫び申し上げまする 」
「我が従兄仲郷の不始末は、私にとっての不始末も同じです。真に申し訳ありません、孫閣下…… 」
申し訳無さそうに一心と桃香が謝罪の言葉を言うと、彼等は一斉に頭を下げる。この時、ひれ伏した一心と桃香はそれぞれしたり顔で笑みを浮かべていた。
(さぁってっとぉ、北の字よぉ。おめぇの為、一心兄ちゃんが下げたくもねェ頭ァ下げてやったんだ。雪蓮達のおっ母さんの度肝を抜いてやれよ? )
(一刀さん、お膳立てはしてあげたからね? 後は頼んだよ? )
「そう、ならば仕方が無いわね? それでは、暫く待たせて頂こうかしら? 」
少し面白なさげに言い放つ青蓮であったが、彼女はチラッと未だにひれ伏したままの一心を見やる。
「フウッ…… 」
(この劉伯想だけど、良く見てみれば中々良い漢ね……? あの人を喪ってから彼是十数年。男を近付けぬ様にして来たけど……これだけの侠気溢れた男子が近くに居るというのは、ある意味拷問だわ。さぞや、雪蓮はこの漢に抱かれてイイ想いをしたのでしょうね? だけど……これだけの漢なら、久々に『味見』をしてみても良いかしら? 私もまだ『女』を捨てた積りではないのだから……フフフフフフフ )
何故か、彼を見詰める彼女の視線は危うさと熱っぽさを交えた物に変わっており、それはまるで『男を意識する女』の物であった。そして――彼女は無意識の内に艶かしく舌なめずりをして見せたのである。
(……? 母様、一体どうしちゃったのかしら? 何だか、さっきから一心ばっか見詰めてるし、舌なめずりもしてたみたいだけど……? まさかっ!? )
然し、それに気付かぬ雪蓮ではなかった。先程から自分の母が普段見せない物を目の当たりにし、そこから何やら危うい物を感じ取ったのか、思わず青蓮を睨み付ける。
「……ッ! 」
「フフッ、どうしたのかしら雪蓮? 行き成り睨み付けるなんて、何か変な真似でもしたかしら? 」
「ううんっ、何でもない…… 」
自分なりに凄んで見せた雪蓮であったが、どうやら母の方が上の様であった。まるで、自身の内心を見透かすかの様な、青蓮の蠱惑的な笑みに中てられてしまうと、結局雪蓮はばつが悪そうに顔を顰める事しか出来なかったのである。
(なっ、何だぁ? さっきから、この色ボケオバハンから何だか『オッソロシイ』もんが感じられるぜ……まるで、祭さんが始めて楼桑村に来た時に見せたモンに似てやがる……言っとくが、『ソッチ』の方はお断りだからなっ!? 『熟女まにあ』の義雲か、永盛の頑固ジジイに相談しろい! )
当然、その親子のやり取りもだが、青蓮から自分に向けられている物の正体に気付かぬ一心ではない。確かに、目前の青蓮は美女であったが、『鮮度』重視の彼にとって彼女は完全に『守備範囲外』だったのだ。顔には出さぬ物の、一心は内心で毒づいてみせる。
そこから、誰も一言も発しようともせず、只々不気味な時間がゆっくりと過ぎ行くのであった。
――三――
――一方、その頃。孫家の陣のとある一角にて――
「やぁやぁ、我こそは勇者朱義封なりー! 勇者たる拙者の行く手を立ち塞がる者はこの剣の錆にしてくれるー! 」
「~~っ!! 」
朱君理の養子である創宝こと朱義封が、右手に豪華な拵えを施した長剣を高々と掲げて、何やらカッコいい台詞を声高に叫んでおり、彼の後ろでは朱家の使用人にして創宝のお世話係を勤める優里こと諸葛子瑜が恥ずかしさの余り顔を真っ赤にして俯かせている。
この時の創宝は金ぴかの鎧兜を身に纏い、その上には真紅の戦袍を翻していて、正に『ぼくがかんがえたかっこいいゆうしゃ』と思える様な出で立ちであった。
「んんっ? どうしたのだ、優里? さっきから何を黙っている? 」
「~~~っ! 」
どうやら、後ろの優里が先程から無反応である事に気付いた様で、訝しげに彼女の方を振り向いて見せる。すると、彼女は感情を爆発させるが如く、大声で叫び始めた。
「当たり前ですっ! 長沙から補給物資を届ける様奥様に言われただけの筈なのに、何でその様な格好をしているのですかっ! オマケに、私の服を何処かにやってこんな恥ずかしい鎧着させるし~~!! 若の馬鹿ッ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿河馬河馬河馬河馬ッ!! 変態ッ! 信じられないっ!! もうっ、死んじゃえ~~!! 」
「なっ、何という罵詈雑言っ! たとえ優里と言えども、そこまで罵られては拙者とて傷ついてしまうではないかっ! それにな、勇者に付き従う従者に相応しき『女戦士』の鎧を見立ててやったのだぞ? 感謝されこそすれ、そこまで罵られる覚えはないっ! 」
「くう~~っ! こんな裸同然の格好の何処が『女戦士の鎧』ですかっ! これを着させる若も変態だけど、作った鍛冶師も変態ですっ! お陰で長沙から潁川までずーっとこれを着続ける羽目になってしまい、その間どれだけ恥ずかしかったかっ!! 」
と、涙ぐませる優里。そう、この時の彼女の出で立ちは……実に強烈過ぎた物であったのだ。
頭には兜とは言えない金属製の髪飾りが取り付けてあるだけだし、体の方もホンの少ししかない乳房を申し訳程度に覆っただけの胸当てに、下半身の方も腰と股間周りを短く切った裙の上に薄っぺらい鉄板を被せただけの物と、実に鎧とは程遠い代物だったのである。更に、極めつけであるが、それは全て真紅に染められていたのだ。
そう、簡単に言ってしまえば『ビキニアーマー』なる物を装着させられていたのである。只でさえ、女として体型に自信が無い自分にとり、これを着させられると言うのは裸で外を歩けと言われるのと同じ位の屈辱であったのだ。
「何を言うか、実に似合ってるではないか! これを作らせるのに、拙者は母上を説得し、二千銭もの大金を出させてもらったのだぞ? 」
「なっ、にっ、二千銭も……何ていう無駄遣いなんだろうっ!? それも、何で奥様がこんな悪趣味な物に大金を出すなんて…… 」
開き直ったかの様に言い放つ創宝に、優里は激しい眩暈を覚える。そして、次に彼が言った言葉に優里は完全にキレてしまった。
「なぁに、簡単な事だ。『私心無く、一生懸命仕えてる優里に綺麗な服を着させてやりたいので、お金を下さい』と母上にお願いしたのだ。母上は優里に甘いからな? だから、ポンと出してくれたのだぞ? 」
「そうですか、そうですか……それはよう御座いました。で、若? これの何処が、『綺麗な服』なのでしょうか? どう見ても若の変態趣味丸出しの代物にしか思えぬのですが…… 」
そう呟くと、優里はゆっくりと鉄疾黎骨朶を両手に構えて、じりじりと創宝に詰め寄り始める。
「なっ……優里、まさか完全に立腹しておるのか? 」
この時ばかりは、流石に鈍感な創宝も彼女が完全に怒り狂っていたのを理解し、優里がじりじりと詰め寄って来る分、後ずさりし始めた。
「えぇ……この諸葛子瑜、一生物の赤っ恥をかかせてくれた若の事を……根に持って恨みます。覚悟しろ? 」
「ひいいいいいいいいいいいいっ!? 」
「あっ!! 逃げるなっ!? お待ちなさいっ、若アアアアアァァァァァァァァッ!! 」
言葉尻に可也の殺気を含ませた優里に、創宝は完全に怯えの表情になると、彼は回れ右してその場から全速力で駆け出す。無論そんな彼を見逃す積りは無い、優里は自身の体より巨大な獲物を振り翳しながら、その後を追いかけ始めるのであった。
「こっ、こんな所で従者に撲殺されてたまるか~~!! 従者に撲殺されたとあれば、この朱義封。朱家末代まで恥曝しの汚名を被ってしまう~! 」
「大丈夫ですっ! 若はもう十分に朱家の恥曝しですからっ! 」
暫くの間、どうしようもなく情けない追跡劇を繰り広げる二人であったが、やがて終焉の時が訪れる。二人の前に、尋常ならざる出で立ちの者が立ちはだかったからだ。
「…… 」
「んなっ? 何だ、この男はっ!? 七尺六寸(約177センチ)の拙者より背が高いぞっ!? 」
「ひゃあっ!? なっ、何なの? この大男は……まるで罪人みたいな出で立ちをしているっ!? 」
その男は、身の丈八尺を少し越えており(約190センチ前後)、体つきの方も背に見合うほどの実に筋骨逞しい物であった。男は何やら巨大な物体を担いでおり、足取り重く歩を進ませていたのである。未だ動揺する創宝と優里目掛け、男は汗まみれの顔を苦しげに顰めながらも、威圧的な口調で話し掛けてきた。
「お主等に訪ねる……孫文台の天幕は何処じゃっ? 」
「んなっ……我が主公を呼び捨てとは、貴様一体何奴だっ!? 」
「そ、そうだ。そんな罪人みたいな格好をしているのに、文台様の御前に案内できる訳ないじゃないか? 」
精一杯の虚勢を張り、男に言い返す二人であったが、どう見ても彼に圧されてる。現に、二人とも顔をサーッと青褪めさせ、がくがくと体を震わせていたのだから。
「つべこべ口応えを申すなあっ! 俺は孫文台の天幕が何処かと尋ねておるっ!! 知っているのなら直ぐにそこまで案内せいっ! 知らぬのであらば俺の前から即刻消え失せよっ!! 」
そう叫ぶと、男は忌々しげに首を振り、顔に掛かった前髪を振り払う。よくよく見てみれば、男は隻眼であった。右の瞼が狭まっており、そこから見える右目は白く濁っている。この男の恐ろしい素顔にすっかり中てられてしまうと、二人は全力で首を何度も縦に振って見せた。
「わ、判った! あ、案内してやろう!! 」
「あ、案内するから、へ、変な気を起すなよっ!? わっ、私はまだ嫁入り前の綺麗な体なんだからなっ? 浚うなよ? 犯すなよ? 孕ませるなよっ!? 」
怯えを見せつつ、何とか気丈に振舞う二人であったが、優里が言った言葉に男は呆れ笑いを浮かべる。
「案ずるな、俺は既に五人も女が居る。それに、嫌がる女子を手篭めにするのは好かぬからな? 」
「なっ……ごっ、五人も女が居るのかっ!? 拙者はまだ清童(童貞)であると言うのに、何と言ううらやまけしからん真似をっ!! 」
「ううっ、五人も手篭めにしたのか……一体何処の娘を拐かしてきたんだろう…… 」
そう返した男の言葉に、創宝と優里は顔を顰めてしまう物の、結局彼等は男を青蓮の天幕の方へと案内する事となった。
「そう言えば、まだ名を聞いていなかったな? 拙者は朱然、字は義封と申す。優里、お前も名乗るが良い 」
「ううっ、畏まりました。私は、義封様の従者の諸葛瑾、字は子瑜だ……何でこんな奴に名乗らなくっちゃいけないんだろ? 」
その途中、創宝は男の方を振り向き、名を尋ねるべく自身も名乗りを上げると、彼に促され渋々優里も名乗りを上げる。すると、次の瞬間、男は何かを思い出すかの様に目を瞬かせると、優里にとって実に懐かしい名前がその口から告げられた。
「んんっ? 諸葛子瑜……そうか、この前朱里から一つ年上の姉が孫家の臣に仕えていると言う話を聞かされていたが、そなたであったか……確かに、妹に似ている 」
「え、ええっ? いっ、妹を知っているの? しかも、真名で呼んでるなんて……まさか、朱里はこの鬼みたいな大男に浚われて、襲われた挙句に孕まされたんじゃ……そうだ、きっとそうに違いないっ! もしかすると、雛里までこの好色鬼畜外道野郎に喰われたのかも…… 」
久し振りに聞く妹の名に、思わず優里は目を白黒させたが、次の瞬間この鬼の様な体躯の大男に、泣き喚く自分の妹とその親友が丸裸に引ん剥かれ、見るも無残に乱暴される様が脳裏を過ぎってくる。
「おいっ……俺を何だと思うているっ? 確かにそなたの妹は美しいと思うが、生憎『ソッチ』の気は持っておらぬっ! 」
「うひゃああっ!! むさい顔近づけんなっ! まさか、犯す気かっ!? 」
行き成り、優里の視界に男の顔が入り込んできた。彼女の勝手な想像を聞かされた事に堪らなくなったのか、男は大声で怒鳴りつけると、優里は思わず腰を抜かしてしまい、左腕で己自身を庇いつつ、もう片方の腕を前に突き出し男を拒絶する。
「優里ぃ~。頼むから、この御仁を怒らせるな。折角拙者が名を聞こうと思っていたのに、拙者の苦労が台無しではないか? 」
「はっ、はいっ……申し訳ありません、若 」
完全に呆れ顔で優里の手を取り、彼女を立たせる創宝に対し、恥ずかしさの余り顔を真っ赤にして俯かせる優里。この時、二人の立場は長沙に居た時とは全くの真逆であった。この状況に、男は完全に苦笑してしまうと、頭を軽く下げて謝意を示す。
「すまなかったな、話をそらせてしまって。朱義封殿、諸葛子瑜殿。それと名であったな? 確かに、名を知らなければ話もし辛かろうし、目通りの時も、そなた達に取り次ぎをし辛いからな? 」
「うむ、そうだ。で――貴公に改めて問う。名は何と申すのだ? 」
男の雰囲気に少しは慣れたのか、先ほどより毅然とした態度で臨む義封に、男は名乗りを上げた。
「俺は……中山靖王劉勝を祖に持つ劉玄徳が従兄、姓は劉、名は北、字は仲郷っ! これが俺の名だっ! 」
「なっ、劉仲郷? まさか、この大男が……仲謀様と契ったと専ら噂になってる『あの』劉仲郷だとぉ!? 何てうらやまけしからんっ! まさか、拙者等の仲間で愛好されし同人艶画本※2『非常相愛 仲謀公主』に描かれてる様な事をさせたとかっ? 」
「え……これが、あの仲謀様を『喰っちゃった』って噂の劉仲郷だってぇ!? こんな鬼みたいな大男に清楚で可憐な仲謀様が……嗚呼、お労しや 」
「はははは……そう思われても仕方が無いか? 」
劉仲郷と名乗る大男――即ち一刀に、それぞれ驚き喚く創宝と優里であったが、対する一刀は実に堂々たる『漢の笑み』を浮かべて見せる。後に創宝と優里は一刀と親しい友人関係になるのだが、この時は一刀の存在に只々圧倒されるのみであったのだ。
――四――
「さぁ、着いたぞ。ここが我等が主公にして、荊州長沙郡太守である孫文台閣下の天幕だ 」
「かたじけないな、義封殿 」
「ほっ、本当にこの出で立ちのまま文台様に目通りする気なのか、この男は!? 」
創宝こと朱義封と、優里こと諸葛子瑜の両名が、一際大きい天幕の前まで一刀を案内する。そこには朱色に染め上げられた『孫』の軍旗が風に吹かれはためいていた。
「流石に『長沙に江東の虎ありき』と噂されてるだけはある。天幕だけでも実に立派な物だな? 」
「それでは、拙者と優里は文台様に貴公を連れて来た事を報告してくる。拙者が呼びかけるまでそこで待っててくれ。行くぞ、優里 」
「はっ、はいっ。若っ……劉仲郷、お前に一言言っておくが、この軍にも若い女性の兵は結構居る。間違っても変な気を起すなよ? 」
それらから感じられる威容に、隻眼を細め一刀が感嘆していると、その一方で主君たる青蓮に断りを入れる為、創宝は優里を促しつつ天幕の中に入ろうとする。だが、未だ一刀に懐疑的な優里は、きつい口調で彼に釘を刺すと共に険しげに彼を睨み付けると、対する一刀は苦笑いで頷くのであった。
「フウッ……流石に重いな? 一旦降ろすか 」
創宝と優里が天幕の向こうに消えるのを確認すると、一刀は「よっこらしょ」と声を上げて今まで担いでいた『巨大な物体』を地面に降ろす。次に、彼は思い切り伸びをすると、凝り固まっていた体を解すべく軽い柔軟を始めた。
「ンンッ……? 」
ふと、一刀の視界の片隅に何かが見える。少し動きを止め、今度は体の向きをあちらこちらに変えながら柔軟を再び始めるが、矢張り己の視界に何やら人影らしき物が点在して見えたのだ。
(矢張りな……どうやら、親睦を深める為の会見ならぬ、正しく『鴻門の会』と言う訳か…… )
一刀の視界に入ったその人影であるが、それ等は全て武装した孫家の兵で、彼等の配置されてる位置を見るからに、到底警備の者とは思えない。どうやら、蓮華の言った『油断するな』の意味が、正にこう言う事なのかと、思わず一刀は苦笑してみせる。
(まぁ、良いさ。今は気付かない振りをしといてやる。それに……雪蓮さんや蓮華達も覚悟を決めたんだ。だったら、俺もその覚悟に応えて見せないとなっ? )
そして、柔軟を終えたのか一刀はゆっくり立ち上がると、両手で己の頬を叩いて気合を入れ直し、天幕の方を鋭く見据えてみせる。そこから少しして、入り口から姿を現し、自分を呼ぶ創宝の声が聞こえてきた。
「仲郷殿ーっ、中に入られよ 」
「判った、今そちらに参る 」
そう彼に答えて見せると、一刀は再び『巨大な物体』を担ぎ直し、足取り重く天幕の中へと向かって行ったのである。
――五――
――時間を少しだけ遡り、青蓮の天幕にて――
「申し上げますッ! 」
「何事かっ!? 」
あれから、時間が止まったままの天幕内に再び動きが生じ始める。一人の兵士が、息を切らせて駆け込んできたからだ。
「はっ、朱義封殿と諸葛子瑜殿が、主公に目通りを願い出ておりますっ!! 」
「んっ……海棠(創宝の義母朱治の真名)の息子と子瑜が? 判った、通せ! 」
「えっ……優里姉さん? 優里姉さんが? 」
「え? 優里ちゃんがここに来てるの? 」
「…… 」
(諸葛子瑜……間違いない、この世界における瑾兄上の事だな? 私の知ってる兄上は、誠心誠意に溢れており、且つ慎み深くまこと人好きされる立派なお方であった。さぞ、ここの世界の兄上も立派な士大夫なのであろう…… )
兵士の言葉に、青蓮、そして朱里と雛里がそれぞれ驚いて見せると、照世は僅かに眉を動かす。この時、照世は自分にとって素晴らしかった兄の面影を思い浮かべていた。
「失礼致します! 」
「し、失礼致します…… 」
声と共に、中に入ってきた創宝と優里の姿を見た瞬間、一同は思わず呆気に取られてしまう。創宝は金ぴかの鎧兜だったし、優里に到っては真紅に染め上げた『ビキニアーマー』であったからだ。
「若しかして……朱義封と諸葛子瑜……なの? 」
「はっ! 朱君理の子朱義封とその従者諸葛子瑜で御座いまするっ! 」
「ううっ……は、はい。諸葛子瑜で御座います、文台様…… 」
恐る恐る青蓮が問いかけてくると、威勢良く溌剌と答える創宝に対し、顔を真っ赤にさせて頷く優里。
「何て事……何時もの可愛らしい女官の服ではなく、まさか斯様な出で立ちをするとは……海棠もさぞ嘆いてる事でしょう…… 」
「ふむ、諸葛子瑜。その鎧は可愛らしいと思うけど……もう少し『体に見合った』物にした方が良かったわね? 少し残念だわ…… 」
この光景に、青蓮や縁こと程徳謀は言うに及ばず、孫家の主だった面々も顔を強張らせてしまい、それどころか――
「は、はわわわわわわわわ~~~っ!! ゆっ、優里姉さんッ!? 」
「あっ、あわわわわ~~!! ゆっ、優里ちゃんなのっ!? 」
「なっ……こ、この破廉恥な出で立ちをした幼子が……諸葛子瑜とな? 何と言う破廉恥な……これでは孔明ならぬ、『子瑜の罠』ではないか……!? 」
実妹の朱里や妹弟子である雛里は思わず大声を上げてしまい、照世は某少女漫画風に両眼どころか全て真っ白になって固まると、意味不明の言葉と共にその手から白羽扇をポトリと落としてしまう。
「え、えーと。あ、アレが朱里ちゃんが何時も自慢しているお姉さんなんだよね? あ、あはは……何だか前衛的な格好してるよね? 」
「何だぁ、あの娘っ子? 殆ど丸裸みてぇな鎧着てるたぁ、随分と恥ずかしい格好してんじゃねぇか? 一編親の顔を拝んでみてぇもんだなぁ? 」
桃香は完全に引きつった表情で乾いた笑い声を上げ、一心の方は『幼女の裸体など興味なし』と言わんばかりに、思わずいつもの口調で呆れ返ってしまった。
「しゅ、朱里に雛里……? 何でここに居るのっ!? いっ、いやそうじゃないっ! みっ、見るなーっ!! お願いだから、二人とも見るなああああああああっ!! 」
一方の優里の目にも、約二年振りに再会した実妹に妹弟子の姿が映ったのであろう。彼女は両腕で自分の体を隠すと、完全に取り乱したかの様に声高に叫んでしまった。
「おいおい……このままじゃ話が進まないだろ? 」
「全くだな……オマケに朱里や雛里だけでなく照世までも取り乱してしまっている。早く何とかしなければ 」
然し、この場に於いて余り取り乱さなかった物が約二名。それは他ならぬ喜楽と道信である。完全に呆れたかの様にぼやく彼等であったが、直ぐに行動に移した。先ず、喜楽は両腕で自分の体を隠してうずくまる優里の元へと歩み寄り、その小さな体に自分が着ていた長衣をそっとかける。
「あっ……すっ、すみません 」
「なぁに、気にするこた無いさ? まぁ、恐らくだが自分の意思で着たんじゃないんだろ? そんな事よりも―― 」
小声で謝意を示す優里にやんわりと微笑む喜楽であったが、彼は彼女の隣で呆然自失としている創宝を見やると、今度は道信がそちらの方へと向かい、気を取り戻させるべく少し大きめの声で呼びかけた。
「失礼、確か朱義封殿でしたな? どうやら、この可愛らしい小姐(お嬢さん)の出で立ちに魅せられた所為か、皆さん取り乱してる様です。真に済まないが、今一度貴殿の主君に呼びかけてくれませんか? このままにしていても、何時まで経っても場が収まりませんからな? 」
「はっ!? そうであった! 済まぬな、えーと…… 」
「ああ? 私ですか? 私は徐季直と申す学者崩れです。こちらの龐統伯や諸葛然明とは学友同士でしてね? 今回、あちらにおわす劉玄徳殿の下で軍師を務めております。以後良しなに 」
「真にかたじけない、徐季直殿。それでは――主公ッ! 主公にご報告致し儀が御座いまするっ!! 」
道信に呼びかけられ、正気を取り戻した創宝が再度青蓮に大声で言上すると、その間に彼等は自身が居た場所へと戻る。すると、恐らく彼も正気を取り戻していたのであろう。慧眼の友にして筆頭軍師の照世が、何時もの涼やかな顔で二人に頭を下げると彼等に詫びを入れた。
「済まぬな、喜楽、道信……思わず取り乱してしまった様だ。私もまだまだだな? 」
「なぁに、良いさ。筆頭軍師殿たる君が手に負えなくなった時の為に、俺や道信が居るんだぜ? 何せ、あの度豪い格好の女の子が子瑜師兄と来ている。恐らくだが、君と同じ立場であれば、俺や道信でも取り乱しちまうよ 」
「私も喜楽と同じだ。一刀殿の言葉を借りるなら、正しくアレこそ『あばんぎゃるど』だろうな? 恥ずかしながら、私も一瞬取り乱してしまったよ 」
「フフッ……私は好き友を持った様だ 」
何時もの様に、気さくな喜楽と生真面目な道信。この二人を照世は頼もしげに見やる。考えてみれば、早々に彼等を失った前世と違い、今はこうして直ぐに自分を支えてくれるのだ。改めて、照世はこの二人の存在の有り難さを痛感した。
「――ッ! 済まなかったわね、義封。で、一体どうしたのかしら? 」
「ははっ! 劉仲郷なる者が主公に目通りを願い出ておりますっ! 如何致しましょうや!? 」
「……そう 」
創宝の呼びかけに、青蓮も正気を取り戻すと、直ぐに彼を見やる。だが、彼の言った言葉を聞いたその瞬間。それに返す自身の声が思わず低くなっているのを自覚した。
「良いわ、ここへ通しなさい 」
「はっ! 」
青蓮にそう言われると、創宝は外に待ってる一刀に伝えるべく一旦天幕の外へと出る。そして――
『仲郷殿ーっ、中に入られよ 』
『判った、今そちらに参る 』
このやり取りを聞いた瞬間、青蓮やその隣に居る雪蓮達だけではなく、孫家の者達にも緊張の色が走る。若く張りのある創宝の声に対し、劉仲郷と思われし男の声は、意外と野太く聞こえたからだ。
(フフッ……蓮華と契った劉仲郷とやらのお出ましね? さて、彼は私に見せたい物があると言ってたけど、一体何を見せてくれるのやら……楽しみにさせて貰うわよ? )
そう心の中で呟くと、青蓮は蠱惑的な笑みで口元を歪めさせ、その蒼き双眼には危険な光を宿してみせる。それは、まるでこれから先に起こる『一騒動』を予想している様にも思えた。
――六――
「なっ、この大男が劉仲郷だと? 出で立ちはもとより、全てが全て、兄の伯想と丸きり正反対ではないか? こやつは然るべき人物に対する礼をも弁えておらぬのかっ? 」
「これが劉仲郷、一体何処の罪人だ? その様な出で立ちで青蓮様の御前に来るとは……我等孫家を何処まで馬鹿にしているのだっ? よりにもよって、こんな奴に蓮華様が抱かれたとは……今すぐにでも、あやつの一物を引き千切ってやりたいところだ!! 」
「ほう、コイツがねェ……まぁ、確かに体つきは凄ェが、俺から見りゃ差し詰め独活の大木だな? さっきの連中に比べりゃ、コイツは雑魚だな、雑魚。こんなんじゃなく、あいつ等の方と喧嘩してぇぜ 」
創宝に案内され、遂に一刀が青蓮の前に姿を現す。彼の尋常ならざる出で立ちに、冥琳こと周公瑾に思春こと甘興覇は露骨に不快感を示し、丁奉は完全に侮蔑の視線を向けて見せた。それに対し、祭こと黄公覆を始めとした百戦錬磨の宿将達は並々ならぬ緊張を覚えると共に、一刀を頼もしげに見やる。
「ふむ、流石は蓮華様が惚れ込んだ若婿殿(祭が一刀につけたあだ名)だけはある。わざとああ言う出で立ちをする事により、青蓮様に己が覚悟を見せておるのじゃ。今は完全に茹って居るが、冷静になれば、恐らく公瑾と興覇の方も彼の凄さが良く良く判るじゃろうよ? 」
「全くだな、祭よ。まぁ、あの二人に関しては仕方があるまい。何せ、公瑾と興覇は雪蓮様と蓮華様にそれぞれ強く入れ込んでおるからな? 今は無理でも、少し時が経てば冷静になろうよ 」
祭の意見に、山茶こと祖大栄が頷いて見せるが、その一方で一刀を侮蔑に見やっている丁奉には眉を顰めて見せた。
「だが然し……承淵(丁奉の字)の孺子はなっとらぬわ。全く、雪蓮様より一歳年長の癖に、この男子の本質を見抜けぬ様では、まだまだ洟垂れも良い所だな? それに、確かお前の話だと、彼の仲郷なる男子は際的孫なる娘を護りながら勇敢に槍を振るい、挙げた黄賊の首級も百近くあったとの事ではないか? おまけに、際的孫には傷一つ付けさせなんだと言う……。承淵にその様な真似は出来ぬであろうよ? 」
「私も山茶と同意見だ。青蓮様ほどのお人を前に、ああ言う出で立ちが出来るとは、中々に度胸が据わっておる証拠よ。今の公瑾と興覇は、感情的になり過ぎてるだけだが、強者との喧嘩しか考えておらぬあの孺子は落第だ。これが終わったら、我等であの孺子に灸を据えてやるか? 大体あの生意気な洟垂れには、将としての自覚が無さ過ぎるわ 」
山茶の言葉に、蝋梅こと韓義公が冗談めかして返して見せると、祭と山茶が苦笑して頷いて見せるが、その間に創宝は青蓮の前に歩み寄り声を張り上げた。
「主公、仲郷殿をお連れ致しました 」
「ご苦労……義封、そして子瑜。仲郷殿を案内してくれた褒美として、貴方達にこの場での同席を許すわ。祭達の方に行きなさい 」
「はっ、有り難き幸せ 」
「はっ、仰せのままに…… 」
フッと薄く笑みを浮かべる青蓮に促され、創宝と優里が祭達の方へと向かうと、彼等に案内されてきた一刀は青蓮の前まで歩を進める。次に、彼は『巨大な物体』を地面にゆっくり降ろすと、拱手行礼ではなく剣道で学んだ座礼を行い、彼女に名乗りを上げた。
「お初にお目に掛かりまする、孫閣下。某は劉北、字は仲郷と申す田舎者にて御座いまする。此度は、斯様な会見の場を設けて頂けたのにも関わらず、遅参致しまするは真に無礼の極み。この仲郷、謹んで閣下にお詫び申し上げまする 」
「……苦しゅうない、面を上げられよ仲郷殿 」
(何なの、この男は? 歳不相応の気迫が滲み出ているわ…… )
表向きは平然と振舞っていた青蓮であったが、内心で些か戸惑いを覚えていたのである。無論、一刀から発せられる気迫に中てられたのもあるが、その出で立ちもそれに拍車を掛けていたのだ。
「はっ 」
青蓮に促され、一刀が面を上げると、彼女の視界には強張った隻眼の彼の顔が大きく写る。この時、一刀は眼帯をしておらず、醜く盲いた右目を彼女に曝け出していたのだ。それに付け加え、出で立ちの方であるが、頭は髷を結わずに下ろした髪を乱しており、筋骨逞しい体には白帷子の襟を左前にした物を纏い、その上には黒く染め上げた戦袍を羽織っている。足の方も素足に草鞋履きと、まるで刑場に引き出される罪人宛らであったのだ。
(……それに、この十字型の大きな柱は一体何? 何か良い感じがしないのだけど…… )
「ところだけど、仲郷殿。玄徳殿や貴殿の兄伯想殿の話によれば、何やら私に見せたい物があるとか? それは一体何かしら? 」
一刀が持ってきた十字型に組まれた大きな柱を目にし、青蓮は訝しげに彼に訪ねる。すると、次の瞬間――一刀は途方も無い事を言ってのけて見せた。
「はっ、閣下にお見せしたかった物は……この仲郷が『覚悟』にて御座りまするっ! 」
「なっ……!? 」
彼の言った言葉に、一瞬ではあったが青蓮は思わず顔を強張らせる。無論、周りの孫家の将達からもどよめきが起こり始め、思春に到っては思わず腰の物に手を掛けてしまい、丁奉は弄んでいた石つぶてを投擲する構えをしてみせた。
「濫りに騒ぐな。私に見せたい物があると、この仲郷殿が言っただけに過ぎぬっ! 悪戯に心を乱すでないっ! 」
然し、直ぐに気を取り直したのか、青蓮が上げた一声にそれ等は全て静まってしまう。そして、彼女は『江東の虎』その物とも言える凄みを効かせると、一刀を真っ直ぐ睨み返して見せた。
「仲郷殿、真に済まなかったわね? 臣下の者達が騒がしくしたようで。確か、貴方は私に『覚悟』を見せると言っていたわね? それは一体どう言う意味なのかしら? 良ければ聞かせて貰おうかしら? 」
「はっ、それではこの劉仲郷、孫閣下に申し上げる。この仲郷、生涯共にあるは劉玄徳只一人のみっ! 某や我が兄伯想は、恐れ多くも閣下のご息女達と契りを交わしてしまいましたが、かと言えそれを引け目に孫家に仕えようとは些かも思うておりませぬっ! また、我が主玄徳が忠節を誓うのは『漢』、只それのみっ! 無論、某や兄伯想だけでなく、他の者達も我が主と志を等しくしておりまするっ! 」
「なっ……! 」
「いっ、行き成り何て事を……! 」
「くうっ、何たる傲慢な男だ!! 蓮華様を瑕物にしておきながら、ぬけぬけと良くも言う……!! 」
正に『剛速球のストレートをストライクゾーンのど真ん中に叩き込んだ』とも言える一刀の発言であった。これにより、青蓮は露骨に不快感を顔に示し、冥琳や思春等は完全に敵愾心剥き出しの表情を見せる。
「一刀さん…… 」
「一刀よ、良くぞ言ってくれた。それでこそ私の弟だ 」
「ふふっ、もっと言っちゃいなさい、一刀♪ 」
「一刀、貴方も桃香に負けない位立派よ? 」
「ふ~ん、母様相手に良くずけずけと言えるよねー? 」
「フフッ、若婿殿。青蓮様に気兼ねは無用じゃ、もっと宣うがええ 」
然し、その一方では桃香や一心を始めとした劉家の面々や、雪蓮達三姉妹、そして祭は実に微笑ましく一刀に温かい眼差しを向けていたのだ。そして、一刀の舌鋒は更に鋭さと熱を帯びる。
彼は傍らに置いた十字型の柱、即ち『磔』に用いる『磔台』を指差し、畳み掛けるかの様に言葉を発し続けた。正に、その様たるや虎を呑み込まんとす独眼竜宛らである。
「閣下、閣下が某と兄伯想がご息女達に仕出かした事を楯にし、我が主ごと劉家を丸々御自らの掌中に収めよう物なら、それは謹んでお断り致しまするっ! もし、お聞き入れ願わなく、閣下が無理にでも我が主に手を出そう物なら……この仲郷、閣下と刺し違えてでもそれをお止めし、然る後にこの腹掻き切って、己が屍をこの磔台に晒して見せる所存ッ!! これこそが、劉仲郷が『覚悟』にて御座いまするっ!! 」
そこまで言うと、一刀は懐から短刀を取り出し、それを青蓮の前にスッと置いてみせると、隻眼に激しい炎を揺らめかせながら彼女を真っ直ぐ見据えて見せた。
「……っ!! 」
「黙れえッ!! この醜い片目の田舎者がっ!! 我等が主孫文台様を何と心得てるかっ!! 」
「外野が口を挟むなあっ!! 某は閣下に覚悟をお見せしているのだっ! 其処許が割り込む道理なぞ無いッ!! 」
正々堂々たる一刀の、威勢の良い啖呵斬りに青蓮は絶句し、美しい顔を真紅に染める。そして、そのやり取りを見ていた思春は遂に我慢できなくなり、それを遮るべく怒鳴りつけるが、逆に一刀から思い切り睨み返されると、一喝されてしまった。
「ぬうっ、片目の孺子が……何と生意気なっ! 青蓮様、最早我慢できませんっ!! この者の首を斬らせて下さいっ! 」
「おのれ、無位無官の田舎者の分際で、蓮華様や雪蓮を瑕物にしただけでなく、その上青蓮様に対して何たる倣岸不遜な物言いだ! 劉仲郷……いや劉家の者達よ。よもや、生きて帰れると思うなよ!? 」
「ケッ、独活の大木の癖に言うじゃねェか……お頭ァ、何だったらコイツ潰してやろうか? 」
「孺子が……この『江東の虎』を前に、良くぞそこまで言ってくれたわね? 成る程、大した覚悟だわ? 」
「…… 」
思春、冥琳、丁奉、そして彼女らと意を同じくする者から、凄まじい殺意が一刀に向けられ始める。無論、青蓮も完全に怒り心頭で、彼女はすっくと座から立ち上がると、腰に帯びた孫家伝来の宝剣『南海覇王』を抜き放ち、一刀の面前に突きつけて見せた。然し、対する一刀はそれに一向に怯む様子も無く、只ひたすら青蓮を強く見据える。そして――
「玄徳殿、仲郷殿は斯様に申していたけど、よもや彼の作り話ではないのね? 」
そう冷たく言い放つと、今度は一刀に向けた切っ先を桃香の方に向け直した。すると、桃香も怯える様を見せる事無く、一刀に負けない位の強い眼差しを青蓮に向けてみせる。
「はい、仲郷殿が先程閣下に申し上げた通りです。私は、この大陸に生きる全ての人達が明るく笑いながら生を全うし、争いの無い世の中を作りたいと思っております。ですが、その為にも高祖が興し、世祖が再び興した『漢』を蘇らせなければなりません。私は私や私を信じて来てくれた皆を裏切らぬ為、この志は曲げる積りは全くありません。況してや、誰かに使われるだけの一生で終わるのも御免蒙りたく存じ上げます 」
「そう、そう……フッ、フフフ……アーハッハッハッハッハ!! 」
毅然とした態度で桃香がそう答えて見せると、突如青蓮は笑い声を上げ始めた。最初は含み笑いめいた物であったが、それは徐々に高笑いへと変わる。彼女の高笑いを耳にし、雪蓮達は言うに及ばず、青蓮こと孫文台と言う女傑を知る者達の顔からは、焦りや怯えの色が浮かび上がり始めた。
「やっばー……あの高笑い、母様『マジギレ』起こしてるわよ? 」
「たっ、確か、あの高笑いを受けて生きていた者は居なかったって、昔祭が話していたのを覚えてるわ 」
「雪蓮姉様、蓮華姉様……シャオ、今の母様何だかとても怖いよ…… 」
「むうっ……予想はしていたが、矢張り出たか? 青蓮様の『死の高笑い』が……あれを受けて生きていた者は一人も居らぬ。じゃが、若婿殿もそうじゃし、婿殿に桃香殿をお守りする者達は一角ならぬ猛者ども揃いよ。恐らくじゃが、青蓮様とて上手くは行くまい? さて……どうなさるのやら? 」
そう言うと、祭は両目を狭めて一刀や義雲に義雷を始めとした漢達に、愛紗と鈴々を始めとした武に長けた恋姫達を見やる。この時、祭は青蓮の恐ろしい伝説に終止符を打って欲しいと言う、彼女の部下にしては不謹慎とも言える期待を彼等に寄せていたのだ。
※1:史実及び演義における劉磐の字は不明。拙作のオリジナル設定。『磐』は『いわお』と言う意味なので、一応だが同義語に当たる『厳』を用いた。
※2:簡単に和訳すれば、エロ同人誌『ラブラブ仲謀姫』と言う意味。
ここまで読んで下さり真に有難う御座います。
さて、今回のお話は正にタイトル通り『虎口』に飛び込む桃香達のお話ですが、本当は一話で綺麗に終わらせようって思っていたのですよ。(汗
『壱』の部分で奏香お嬢様の元に飛び込んで来た使用人『劉磐』ですが、劉表の甥で且つ実に勇猛で、後に劉備に仕えた位しか判ってないんですよね。本当は、只の使用人の体格のいいオバちゃんにしようって思ってたんですが、ここで変なスイッチが入ってしまいまして……。気付いたらああなっていた訳です。(汗
劉磐の旦那を霍峻にして、娘は霍弋、然もこの親子と言うかモデルはもろ『う◎われるもの』に出てくる『ソポク』、『テオロ』、『サクヤ』にしちまいました!(汗 私、結構『うたわれるもの』好きなんで。(苦笑
奏香こと劉封たちが、桃香や一心達の行列を見に行ったシーンですが、奏香と雄雲の関係は一刀が直ぐ『ソッチ』に持っていったのに対し、純愛路線風にして見ました。
また、黄権こと霧花が一心達の姿に激しく動揺したシーンですが……彼女の設定は、高島智明様の作品「恋姫無双演義~黄権伝~」に準拠しておりますので、それをご覧になれば納得できるかと。(汗
せめて、ここで描く霧花ちゃんには『救済措置』を上げたいと思い、本当に会いたかった人物との邂逅シーンを取り入れたのです。
次に、鍼の筵状態の桃香達ですが、ここでは敢えて桃香のヒロイン性と、一心の『劉備らしさ』を強調させようと思いました。このシーンは、横山三国志二十九巻『政略結婚』を読んでイメージを高めましたね。正直難産でした。(汗
それと、今回登場させた丁奉ですが、これはふかやん様から送られてきたキャライメージを採用させて頂きました。ふかやん様、真に感謝!
昨年六月以来の再登場の創宝こと朱然と優里こと諸葛瑾。この二人は、母ちゃんに命令されて、遥々長沙から潁川まで軍需物資輸送してきたって設定にしています。
ここでは、オタク男創宝ならではでの『お約束』な演出を入れてみました。如何にも『勇者様』見たいな感じの鎧や剣で武装する彼に対し、真紅のビキニアーマーを着させられた優里。
優里の外見モデルは、AXL作品の「Like a Butler」の『秋津原瑞穂』ですので、妹と同じ体型の彼女がこれを着させられると言うのは、物凄く屈辱でしょうねぇ~!(苦笑
筋骨逞しい大男――はい、実はこれ一刀です。外史の世界に来た時は、178前後位の身長イメージにしてたんですけど、漢どもの猛特訓の効果でああなってしまいまい、体つきだけは既に兄一心を越えてしまいました。(苦笑
現在、一刀の身長は190センチあります。書いてて、段々一刀が『ベルセルク』の『ガッツ』とダブってしまいましたね。(苦笑
次回なんですが……これから直ぐに取り掛かります。待たせるのも嫌だし、書ける時は出来るだけ集中砲火で取り組む積りですので。
何時更新出来るかは明言できません。ですが、出来るだけ早く仕上げるように致します! 孫家VS劉家の行く末や如何に? また次回でお会い致しましょう!
それでは、また~! 不識庵・裏でした~!
追伸:飽きっぽい性分の自分が三十話越えか……未だに信じられない……
と、ここまでは訂正前の後書きで御座います。私もそれなりに自分のやり方を身につけ、段落ごとに数字を割り振る形式をしておりますので、大分区切りがし易くなったなぁって思っています。
私もまだまだ駄文書きですし、辛辣なご意見を受けることもありますからね?
ええと、次の後編は……これこそ、フルバーニアンに蘇らせる作業の大元になります。
ついでに、削除したエピソードも入れてみっかとか思ってたりして。(苦笑 おまけに、会社側の都合で急遽夜勤が明日になり、そのまま自宅待機と言われたんで、今夜は……完徹したろうじゃねぇか!! ちっくしょうめぇ!! トコトンやったろうじゃねぇか! ってのが今の私の気持ちです。
では、これから気合入れて頑張りマース!! イカン、タバコがそろそろ切れるか? 買ってこないとなぁ~!(汗