第二十六話「朝焼けの再会」
どうも、不識庵・裏です。
今回はマジで参りました……。執筆に取り掛かったのが先月の二十日だったのですが、再就職に伴う環境変化に心と体がついてこれず、折れそうな時もありました。おまけに、希望を抱いて飛び込んだ先から、思わぬ形で裏切られてしまい、数日間凹んじゃいましたねぇ……。
ですが、気を取り直し、友人知人や再就職を助力して下さった人達の力を借りて、何とか元の経験を活かせる会社への再々就職を果たすことが出来ました。協力して下さった皆さんに、この場を借りて御礼の言葉を贈らせて貰います。本当に有難う!!
ま、明後日から再度新しい職場への仕事と成りまして、せめて空いた時間を有効に使うべと、ここ数日間はPCと睨めっこして、何とか公約を護ろうと己を奮起させました。
書き終えるのに一月以上を要した今回の更新ですが、楽しんで頂ければ幸いです。
それでは、照烈異聞録第二十六話。最後まで読んで頂ければ嬉しく思います。
――序――
冀州魏郡は黎陽にて、桃香達に蹴散らされた偽劉備こと張闓率いる黄巾本隊であったが、彼等は司隷に逃げ込む事に成功した。狡知に長け、舌先三寸達者な張闓は、早速張角・張宝・張梁の三姉妹をおだて上げると、彼等は人口の多い河内郡、河南尹を中心に布教活動を展開する。
その結果、司隷に逃げ込んだ当初は三千にまで撃ち減らされていた信者の数も、波才に合流するべく予州潁川郡に入った頃には約五万にまで回復していた。兵力を集結させ、何としてでも自分達の天下を作らんとたくらむ張闓・孫仲・高昇の三悪童であったが、ここで彼等は思わぬ報告を受ける。
何と、潁川郡で暴れまわっていた波才が、曹操と皇甫嵩の軍によって討ち取られたと言うのだ。おまけに、波才を討ち取ったのは『天の御遣い』を自称する正体不明の人物で、これによって潁川の黄巾軍は完全に瓦解してしまい、こちらと合流できたのは五百にも満たない僅かな兵だけだったのである。
然し、流石は悪童張闓である。彼はまたしても張三姉妹を上手く乗せると、『決起集会』なる物を行わせて、兵達の士気を最大限にまで吊り上げさせたのだ。それに付け加え、幸か不幸か荊州南陽で蜂起した南陽黄巾軍の生き残りがこちらの方へと合流してきたのである。
この時、張闓は思わず笑いが止まらなかった。何故ならば、残存兵力を率いてきた韓忠・孫夏・趙弘の三人は一時期とは言え、『江東の虎』と恐れられた孫文台を手こずらせるほどの戦上手であったし、自分とは違い兵の統率にも優れていた人物である。
その証拠に、約十万ほどあった南陽の兵力であったが、何と彼等はその内約半数を纏めてきたのである。これは、余程の戦巧者でなければ出来ぬ芸当であった。この威勢を駆り、黄巾軍約十万は潁川の治府が置かれている陽翟県を強襲。
一方の太守李旻は、防戦する物の結局持ち堪える事が叶わず。彼は一千にまで撃ち減らされた兵を引き連れ、曹操と皇甫嵩が軍を駐留させている許県へと逃亡したのである。その間、張闓達黄巾は更なる『布教活動』を展開させ、陽翟を中心に兵力をまた更に増強。遂には陽翟に隣接する潁陽、潁陰の両県までをも陥落させたのだ。
『ハハッ、意外とちょろいモンだな? このまま曹操と皇甫嵩、そして劉備の息の根を止めてやる!! まぁ、劉備と曹操なら俺の奴隷にしても良いけどな? 曹操も中々イイ女だったし、アッチの方もさぞや具合が良さそうだしな? 』
得意満面で馬鹿笑いする張闓であったが、この悪童は先程名前に挙げなかった者の存在をすっかり忘れていたのである。後日、その手痛いしっぺ返しを受ける事になろうとは、この時彼は微塵にも思っていなかったのだ。
後漢末期に発生した『黄巾の乱』と言う一大事件の中で、尤も激戦と呼ばれたのが『潁川の戦い』であったが、その中でも特に激しい戦いの始まりが徐々に迫ろうとしていたのである。
――一――
予州潁川郡は、正に予州の心臓部と言える地である。我々の歴史では、かの光武帝劉秀が僅か三千の手勢を率い、公称百万の『新』王朝の軍勢を撃破した『昆陽の戦い』が行われた地で、他にも当時の著名な知識人を多数排出した事でも有名であった。
後に、曹操が都を築いた許昌もこの郡に存在するのだが、当時はまだ許県と呼ばれており、郡内の一つの県にしか過ぎなかったのである。
その許県にて、曹孟徳こと華琳と皇甫嵩、そして長社にて合流した朱儁は次の戦に備えるべく、兵馬を休ませていた。その間、彼女等は陽翟県から落ち延びてきた、潁川郡太守李旻を保護したのである。
華琳と皇甫嵩そして朱儁の三人は、まだ人心地つかぬ李旻から思わぬ事態を告げられた。何と、黄巾の本隊が勢いを取り戻し、潁陽・潁陰の両県が奴等によって陥落させられたと言うのだ。その報せを受け、驚愕する皇甫嵩と朱儁であったが、華琳だけは努めて平常心を保っていた。
何故ならば、華琳は次の戦こそ大掛かりな物と睨んでおり、彼女は春蘭こと夏侯惇、秋蘭こと夏侯淵、桂花こと荀彧を本拠の守りを任せていた精鋭と共にここへ呼び寄せていたのである。
この頃になると、兗州の黄巾賊はほぼ殲滅されていた事もあり、他にも、異母妹の曹子脩、兗州任城国出自で智勇に優れた呂子格等の、陳留の守りを任せられる人材がいた事もあった。従って、華琳は本拠の護りにさほど兵力を割かなくとも大丈夫であろうと判断したのである。
黄巾どもとの一大決戦になろうと思われる次の戦いにおいて、彼女は万全の体制で臨みたかったのだ。
陳留からの援軍到着に、曹家軍は一斉に色めき立った物の、浮かれてばかりもいられない。早速華琳は主だった将達に軍の再編成を命じると、自身は久し振りに会った麗謡こと卞氏を引き連れ、城下町の方へと視察に向かったのである。これに関しては、麗謡恋しさに堪らなくなった彼女が、絶対に連れてくるようにと厳命していたからだ。
「どうかしら、麗謡。貴女から見た許の街は? 」
自身より背丈の高い麗謡の顔を見上げながら、華琳はいつもの不敵な笑みを浮かべていた。
「はい、陳留の街も物凄く賑わいがありましたが、ここはもっと沢山の賑わいで溢れております 」
華琳の左腕をそっと掴んでいた麗謡が、にこりと柔らかな笑みで返す。
「フフッ……貴女もそう思っていたのね? ねぇ、麗謡。貴女、この街が欲しいと思わない? 」
華琳は口角を更に吊り上げると、麗謡の目をじっと見つめる。彼女の瞳には、何やら危険な色合いが混ざっているように思えた。
「はい、華琳様。麗謡もこの街が欲しいと思います。華琳様の欲しい物は麗謡の欲しい物でもあります。華琳様が海を欲するのであれば海を、山を欲するのであれば山を、そして――天を欲するならば、麗謡は貴女様と共に天を掴みたく存じます…… 」
対する麗謡の方も、すっかり華琳に馴染んでしまったのだろうか。彼女の方も、満面の笑みと共に答えて見せたのである。
「ふふっ、貴女って、本当に愛しい子……ならば、麗謡。それが実現されるよう、貴女はずっと私の傍にいなさい。これは、命令よ? 」
「はい、華琳様…… 」
互いに頬を紅く染めて、じっと見詰め合う二人。やがて、華琳は少し強引に麗謡の腕を引っ張ると、城外の自軍の陣へと戻るや否や天幕に潜り込むと、彼女とすこぶる甘い時を過ごし始めた。この時、天幕の外へ漏れる麗謡の甘い嬌声に、春蘭、秋蘭、桂花からは嫉妬の炎と不快な歯軋りの音が生じてしまい、近くにいた者たちの心胆を寒からしめたのである。
なお、この時華琳が戯れで麗謡に言った『この街が欲しいと思わない? 』の言葉だが、これは後日実現する事となった。その際、華琳は『許を以って益々昌える』との予言を受け、名を『許昌』と改めると、許昌は新生曹家の本拠地に相応しい都へと大変貌を遂げたのである。
――二――
さて、その華琳の本隊から可也離れた所に、及川隊が配置されていた。隊を率いる佑の天幕にて、佑個人の軍師にて恋人である司馬仲達こと仙蓼は、主たる佑に報告を行っていたのである。
『佑様、先程黎陽に向かわせていた『すぱい』より密書が届きました……小声にて大変お聞き苦しく思いますが、何卒ご容赦下さいませ 』
『かめへん、かめへん。ワイ等は言わば※1『面従腹背』やからな? 孟徳はんや、あの性悪ドチビブスに、妄想鼻血娘はんや万年お昼寝娘はんにも聞かせたない話なんやろ? ほな、いつも通り頼むで 』
スパイからの報告ゆえに、彼女は小声でその内容を読み上げ始める。無論、彼女は華琳に対して表向きは臣従してるが、忠誠心なぞ微塵も持っておらず、それどころか同じ曹家軍の将も敵同然とみなしていたのだ。よって、彼女は他の誰かに聞かれぬよう細心の注意を払っており、既に自分や佑に同調している凪・真桜・沙和の三人を外の見張りに立たせていたのである。
『はい、実はその『すぱい』なのですが、彼女は盧植の隊に紛れ込むことに成功し、先日話に上がりました『劉仲郷』との接触にも成功したのです 』
仙蓼の言葉に、佑の片眉がグンと吊り上ると、彼はおもむろに口角を歪めて見せた。
『ほーう……で、どないなったん? まっ、仙蓼の事や。『彼女』言うんやから、差し詰めベッピンはんでも手配したんやろ? 』
彼の反応を確かめると、仙蓼は少し怪訝そうな顔になる物の、気を取り直して報告を続けた。
『はい、聞いた話によれば、劉仲郷は可也好色な男だそうです。従って、彼の気を惹き易いよう私なりに『極上』の者を送り込みました。それでですが、どうやら彼は一振りの刀と書いて『一刀』と言う真名で呼ばれているようです 』
『……何やとぉ!? それは、ホンマか? 』
次の瞬間である。行き成り佑は驚愕で両目をカッと見開かせたのである。彼の驚きように、仙蓼も驚愕を禁じえなかった。
『……はい、彼は既に司令官の盧植や、他の義勇軍の面々から『一刀』と呼ばれているとか。これに関しては、『すぱい』が周りの者からそれなりに聞き出して知った事です 』
『そっかぁ……(やっぱ、ほぼ間違いないわ。劉仲郷なんてのは、真っ赤な偽名や。やっぱ、かずピーもこっち来とったんや。これは、えらい難儀な事になりそうやで……!? ) 』
『……佑様? 』
『おおっ!? 』
顎を掴んで何やら深く考え込んでる佑の素振りに、それを訝しむように仙蓼がじっと彼の顔を覗き込んでくる。突然彼女の顔が自分の視界に入り込んできた物だから、佑は思わず大声を上げてしまった。
『どうしたのですか、一体……? 先日もそうでしたが、佑様の『劉仲郷』への執心振りはいささか常軌を逸しております。もし、宜しければ『劉仲郷』に関して存じている事を教えて頂けませんか? 』
『うーん……せやなぁ、まだ実際本人見てへんから何とも言えへん。けどな、もしかするとソイツ、ワイと同じ世界の人間やと思うんや 』
『ええっ!? そ、それは真の事なのですかっ!? 』
今度は仙蓼が驚く番であった。彼女の方も『信じられない』と言った風で、驚きの余り大きく目を見開いて見せる。
『まぁ、さっきも言うたけど、こればっかは本人に会ってみぃひんと判らん。あ、これオフレコで頼むで? ワイと仙蓼だけの秘密や 』
『畏まりました、佑様……それでは、『彼女』には再び劉仲郷への接触を続けるように命じておきます 』
『ああ、頼んだで……で、あと他にも何か報告する事はあるんか? 』
両手を後ろ手に組み、佑は仙蓼をじっと見やると、彼女は再び事務的な口調で報告を再開させた。
『はい、これも『彼女』からの報告でしたが、黄巾賊の『劉玄徳』は完全な偽者のようでした。何でも、嘗て劉玄徳の故郷楼桑村を荒らしまわった悪童で、『張闓』と言うのが奴の本名だそうです。黎陽の戦いの折、張闓なる者は劉玄徳を毒矢で殺そうとしましたが、それを劉仲郷が身代わりに受けたとか。毒に中った彼は、生死の境を彷徨った物の幸い回復しましたが、代償として右目を盲いたそうです 』
『ふぅ~ん……そっかぁ、右目を失明したんかぁ。それは難儀なこっちゃな? でもまぁ、立派なナイト振りや。仮に劉仲郷がアイツだとすれば、十分ありえる話や。かずピーは、女の子限定で優しい奴やしなぁ? 』
『フフッ、佑様がそう仰られるのなら間違いない話でしょう。他にも、黄巾の動向に関してですが…… 』
仙蓼の報告を頭に入れつつ、もう一方で佑は物思いに耽り始める。無論、それは先程の『劉仲郷』の件であった。この時、佑は仙蓼に背を向けており、背中越しで彼女の報告を受ける彼の顔には物凄く深い皺が刻み込まれていたのである。
(どうする? 仮に『劉仲郷』が『かずピー』本人なら、こっちのシンパに引き入れられたらサイコーや。せやけど、変なトコでクソ真面目なアイツの事や……恐らく、ワイの野望の障害になる可能性の方が高そうや。まぁ、先ずは会ってみぃひんとなぁ…… )
だが、物思いに耽っていたのは彼だけではない。仙蓼もまた、報告をしつつ謀略に長けた頭脳を稼動させていたのだ。
(劉仲郷なる者が、仮に佑様の知己であったとしても、もしやすれば佑様の障害になる恐れも考えられる。いざと言う時は劉仲郷を殺すよう、『あれ』に命じた方が良いかも知れない…… )
思考を巡らす佑と仙蓼。両者の瞳には、何やら危険な色合いが含まれていたのである。
――三――
――時を遡り、十日前。兗州陳留郡は尉氏県から外れた、予州との州境近くの道中にて――
「伯描さん、腰とかは痛くないかい? 俺が乗っているのは、普通の馬ではなく軍馬だからね。だから、君の様に華奢な子には少し乗り心地が悪いと思うんだけど? 」
「いいえ、私は大丈夫です。仲郷様……先程は有難う御座いました 」
「いっ、いや、別に気にしなくっても良いよ。女の子を一人だけにしてほっとく訳にも行かないしね? 」
桃香達を追うべく、潁川に向かう一刀達であったが、彼等は道中黄賊どもに追い立てられていた一人の女性を救った。この時、隻眼での槍捌きを試すのも兼ねて、一刀が賊どもに立ち向かい、見事彼女を助け出したのである。危うい所を救った彼女であったが、どうやら足を痛めていたらしく、この際已む無しと判断して一刀は自分の前に乗せる形で、彼女を愛馬黒風に乗せたのである。
何と、聞けば彼女。鄴の都にまで名の知れた劉玄徳の義勇軍に、何でも良いから助力したいと一念発起し、鄴の都を出たのはいいのだがその道中黄巾どもに襲われたと言うのだ。早速、一刀は司令官である陽春にその事を話すと、彼女はどこか安全な場所が見つかるまでの間、暫く自軍で保護する事を決めたのである。
この彼女であるが、姓は章、名は椿畫、字は伯描と名乗っており、見るからに深窓の令嬢と言った雰囲気であった。足を怪我している事もあってか、伯描は非常に怯えきっていた。最初は後続の輜重隊の荷車に乗せようと思ったのだが、当の彼女は自分を救ってくれた一刀から離れたがらず、已む無く黒風の上に乗せる形になってしまったのだ。
「むうっ…… 」
「どうした、愛紗よ? アレは一刀殿が、助けた女子を馬に乗せているだけではないか? だのに、何故面白くない顔をしている? まさか、嫉妬の情でも湧いてきたか? 」
然し、このやり取りを大変面白くなさげで見やる者がいる。それは、最近一刀を意識し始めた愛紗であった。現に、今も彼女は馬上で一刀にもたれかかる伯描に険しげな視線を送っていたのである。いつもの悪癖が出たのか、彼女の隣で轡を並べる星がニヤリと口角を歪めて見せると、愛紗を冷やかし始めた。案の定、愛紗は顔を真っ赤にさせると、すぐさま星に食って掛かる。
「なっ、何を言うかッ、星ッ!! 大体、一刀様には義姉上がおられるだろうに!! 私如きが入れる余地など何処にもないのだぞッ!? 」
「おーおー、怖い怖い。愛紗よ、一刀殿は既に桃香様だけではない。孫家の蓮華姫に、馬家の翠姫までお手つきをしたのだぞ? 今更、お主一人がそれに加わった所で、誰も文句なぞ言いはしない物さ、フフッ 」
「んなっ…… 」
いつもの様に、おちょくりを交えた星の言葉を受け、愛紗はたちどころに自身の頭に血が上ると、思わず絶句してしまう。彼女の口中からギリッと、奥歯を噛み締める音が聞こえてきた。然し、すぐさま愛紗は、一つ深呼吸して脳内に新鮮な空気を送り込み、ゆだった頭を落ち着かせる。そして、今度は愛紗がニヤリと笑って見せると、星にやり返し始めた。
「全く、また貴様の手に引っ掛かる所だった……然し、そう言う貴様こそ一刀様の事をどう思っている? どうも、臨菑の時といい、黎陽の時といい、何かと貴様は一刀様の事で直ぐ私をからかってくる。もしやすると、貴様の方こそ一刀様を好いているのではないのか?」
「なっ……!! 」
今度は星がうろたえる番であった。いつも自分が主導権を握っていた愛紗だけに、その彼女から逆にやり返されてしまうと、突然彼女の心はかき乱されたのである。先程の愛紗と同じく、星の方も顔を真っ赤にさせてしまった。
「ばっ、馬鹿な事を申すでない!! 大体私が一刀殿の事など…… 」
「ふんっ、顔を真っ赤にして言った所で、説得力などあるものか? 」
「くうっ、愛紗にやり返されるとは……この趙子龍一生の不覚! 」
「私にやり返されただけで一生の不覚とは、一体どう言う意味だっ、星ッ!? 」
そうしている内に、やがて二人はどうしようもない言い争いを始める始末。この二人の娘ッ子の口喧嘩に、彼女等の後ろでは義雲と雲昇が呆れ顔になっていた。
「全く……あれだけ言い争う気力があるのなら、それを戦場で発揮させぬか? 本当に呆れて物も言えぬわ 」
「同感ですね……然し、義雲殿。口喧嘩が出来ると言う事は、それだけあの二人に余裕がある証拠ですよ? 」
雲昇が僅かに口元に笑みを浮かべて見せると、義雲は納得行ったように深く頷いてみせる。彼の方もフッと口角を歪めて見せた。
「成る程な? それなら納得が行くと言う物だ。確かに、あんなに落ち込んでいた愛紗であったが、どうやら完全に立ち直ったようだしな? お陰で、わしも一安心と言う物よ 」
「ええ、義雲殿の仰る通りです。それに、愛紗殿に星殿も私達に真名を預けてくれました。これによって、我々の結束もより強くなってきましたからね? 」
「うむ、これから先一体どうなるか判らぬが、桃香殿が己の道を突き進む為にも、将たるわし等が力を合わせねば無理と言う物だからな? 」
そして、二人の漢達は目前の二人の娘ッ子より先の一刀達に目を向ける。心なしか、一刀に甘える伯描の姿に、義雲と雲昇は少し眉を顰めていた。
「あの娘、確か章伯描と申したよな? まさか、一刀に気があるわけではあるまいな? 」
「そうですね……正直、私も不安です。一刀殿の女性関係には余り口を挟みたくはありませんが、このままだと桃香殿に要らぬ心配の種を与えるやも知れません。おまけに、あの伯描なる娘は中々の器量良しです。女ッ気の無い私が言うのもなんですが、伯描殿はかの『陰麗華』並みの器量だと思いますよ? 」
「ははっ、真面目なお主が冗談を言うとは珍しい。まぁ、仮にあの娘が『陰麗華』並みであるのなら、差し詰め一刀は『執金吾』にならねばならぬな? 」
「ふふっ、義雲殿が冗談を言うとは……明日は泰山が鳴動するやも知れませんね? 」
最後に互いで冗談で〆ると、珍しく義雲と雲昇は声高に笑い合う。この時二人が胸中に抱いた不安であったが、それは後に様々な形で的中する事となった。
――四――
さて、時間を元に戻し、予州潁川郡は長社県。県城より百里(約四十一キロ)ほど南に進んだとある所にて――ようやく潁川に入った桃香達は、兵馬を休ませていた。義勇軍本陣の天幕内にて、桃香達義勇軍の将達は、皆一同に会しての夕食を摂っていたのである。
これに関してだが、桃香自身余り身分の上下とは関係の無い生活を過ごしていたのと、戦においても楼桑村の暮らしを忘れたくなかったのもあった。
それ故に、将達の方も極力都合を合わせ、全員で食事を摂るのが暗黙の了解になっていたのである。余談であるが、最初は楼桑村義勇軍の将達だけだったのが、いつの間にか鄒靖こと菖蒲に白蓮とここには居ないが星までもが加わるようになっていた。
「おかわりなのだー! 」
「アタシもおかわりっ! 」
口の周りを食べかすだらけにしながら、鈴々が空になった大きな丼をドンと前に突き出すと、それと競い合うように翠も丼を前に突き出す。満面の笑みで丼を突き出す彼女等の姿に、桃香はニコッと笑みを浮かべて見せた。
「はいはい、ちょっと待っててね? 」
「おうおう、良く食うねぇ~? まっ、食える時に食っとくのは良い事だ。何せ、戦になりゃあ飯を喰う暇すら無ぇしなぁ? 」
上座に座った一心が、微笑ましげに酒盃を傾ける。食事の席において、いつも上座に座るのは彼であった。何故ならば、楼桑村にいた時、桃香は一心を家長にしていたからである。
彼の右隣で食事を摂っていた桃香は、食べる手を一旦やめると、嬉しそうに鈴々と翠から突き出された丼を受け取り、それに代わりの麦粥をたっぷりと注ぎ込んで二人に手渡した。
「はい、どうぞ 」
「桃香お姉ちゃん、ありがとうなのだ! 」
「おっ、あんがとな? 」
桃香からおかわりを受け取ると、二人はお下品な音を立てながら麦粥を胃袋の中に流し込み始める。その二人の姿に、壮雄と義雷はそれぞれ顔を顰めさせた。
「全く、世々公侯の家柄の出であるのに……翠よ、もう少し上品に喰えぬのか? 」
「全くだぜ! 翠だけじゃねぇ、そこのチビッ子もちったぁ俺みてぇに上品に決めらんねぇのかよ!? 」
壮雄は翠をジトッと半目で見やると、自身は貴公子然とした振る舞いで優雅に箸を進め、義雷は握り拳大の炙った羊の肉を、ポイと口の中に放り込みそれを骨ごと噛み砕く。彼の口中からは、ボキボキと骨が砕かれる音が響き渡った。
「うーん、壮雄さんは判るんだけど、義雷おじさんは翠姉様達の事言えないんじゃないの? これなら、虎の方がもっと上品に食べると思うんだけどな……? 」
彼等と真向かいで食事を摂っていた蒲公英が顔をひくつかせていると、突如大きな声が上がった。
「おっ、この青椒牛肉絲は美味い! どなたが作られたのかな? 」
意外にも、その声の主は固生であった。彼は皿に盛られた青椒牛肉絲 を無我夢中で食べており、実に幸せそうな顔をしている。
「あっ、固生老師。その青椒牛肉絲、白蓮ちゃんが作ったんですよ? 」
「おっ、おいっ、桃香。大きな声で言わないでくれよっ。恥ずかしいじゃないか…… 」
明るい声で桃香が彼に答えて見せると、彼女の隣で食事を摂っていた白蓮の顔が見る見る内に赤くなっていった。
「成る程、白蓮殿が作られたのか? いや、この固生。貴殿の味付けが気に入りましたぞ? 白蓮殿を嫁に貰った男は、中原一の幸せ者になれますな? 」
「んあっ!? よっ、嫁ぇ~~? 」
固生なりの、素直に言った褒め言葉であったが、その言葉に白蓮は目を白黒させてしまう。すると、あちらこちらから彼女に冷やかしが飛んできた。
「いがったんでねぇの、白蓮? おめさほどの娘っ子なら、何処に嫁に行っても大丈夫だよぉ? そう言えば、あだしの部下だった時も、あんだは良く自分で食うモン作ってたよねぇ? 確かぁ、洗濯や掃除も自分ですてたし、何てぇ家庭的な娘っ子なんだって正直おでれぇたもんだべっちゃよ? 」
満面の笑みで酒盃を傾け、当時の事を交えながら白蓮の手料理に舌鼓を打つ菖蒲。
「ふぅ~~ん。人間、何かかしら取り得があるって言うけど、料理が出来るのは良い事よ? 白蓮だったら素敵な奥さんになれるんじゃないの? フフッ 」
ちゃっかり、上座の一心の左隣で酒盃を傾ける雪蓮。今の彼女はこの騒ぎを心底楽しんでるようであった。
「ふむ、火の通り具合といい、醤の加減といい、文句無しの出来じゃな? 何せ文台様は料理下手だったんでのう、それ故に儂が代わりに食事を作っておったんじゃが、その儂から見ても及第ですぞ、白蓮殿? ふむ、これ位味付けが濃いのであれば……『五』が合っておるの? 『七』では、少しくどくなるわい 」
ニッと口角を歪め、白蓮の作った料理を啄ばみながら、ちゃっかり喜楽からくすねて来た彼ご自慢の清酒を傾ける祭。だが、それも一瞬の事で、彼女は様々な料理を一口ずつ運んでは、幾つかの清酒を一口ずつ含ませ、それぞれの後味を確かめていた。
「あ、あの……あんまり褒めないでくれよう~~。これは黎陽にいた時に、紫苑殿に手取り足取り教えてもらっただけなんだぞ? 」
余り褒められ慣れていなかったのか、赤面した白蓮が気恥ずかしそうに周囲を見やる。然し、そんな彼女に止めを刺すかの如く、固生はキッパリと言い放った。
「いやっ、紫苑殿に教えてもらった成果を出されただけでも、ご立派な物です。この固生、貴女と言う女性に益々惚れ込んでしまいそうです 」
「え……? こ、固生殿……? 」
固生は、実に正直な男である。固い信念で人生を行くと言う意味合いで、『固生』の真名を名乗った彼であるが、ここの所公孫瓉こと白蓮に対し、異性としての魅力を感じていたのである。一見地味だが、野に咲く花の様なたくましさと美しさを兼ね備えた白蓮のような女性が、固生の好みだったのだ。
彼は、一心の様に洒落た風で女を口説けないし、況してや一刀の様に複数の女性を同時に愛する真似も出来なかった。それ故に、言うべき時はハッキリ言っておこうと思い、彼は馬鹿正直に白蓮に自身の本音を語ったのである。
この、真面目な好青年の告白に、思わず他の者達も目が点になってしまった。良く良く見てみると、固生の方も顔を真っ赤にさせている。今の彼は、正に『漢』の顔をしていた。そして、固生は大きく息を吸うと、自分の思いの丈を白蓮にぶつけた。
「この固生、白蓮殿に惚れましたっ! 然るに、貴女からの返事を今すぐに聞こうとは思いませんッ! 白蓮殿から返事を聞かせてもらうまで、私は何時までもお待ちいたしておりますッ! 」
「☆◎△■×~~~!? 」
声高に叫び、周りの皆が絶句しているのを他所に、固生は物凄い勢いで食事を平らげ、『ご馳走様でしたッ!』と言い残して席を立つ。この時の彼の後姿も、正に『漢』らしかった。
「こっ、固生殿が、私の事を……どうして? 」
そこから暫く経ち、我に返った白蓮が一人ぼやいた途端、ワッと堰を切った様に他の者達が彼女をはやし立てる。早速いい肴を見つけたかと言わんばかりに、彼らの目は好奇に満ち溢れていたのだ。
「白蓮ちゃーん、良かったじゃない! 固生老師って、楼桑村にいた時結構女の子からの人気あったんだよー? 」
「白蓮殿、固生老師ほどの大丈夫から好意を寄せられるって、早々ありませんよ? 固生老師は文武両面に優れていますし、この蓮華から見ても白蓮殿に吊り合うお方だと思います 」
「フフッ、白蓮。固生ほどの漢から好意を寄せられるって、ある意味女として栄誉な事じゃない? 恐らくだけど、固生を振っちゃったら、今後貴方に良縁は中々来ないと思うわね? 」
「おうおう、白蓮ちゃん。あの堅物固生に惚れられるって、泰山が鳴動する程の出来事なんだぜ? こんな千載一遇の好機逃しちまったら、一生後悔しちまうぞ? 」
「んだねぇ、あだしも皆と同ず意見だべっちゃよ? あだしの目から見て、固生さんは一際優れた人物だぁ。恐らくだけんども、世が世ならあん人はぁ大将軍にまでなれる器だと思うんだべっちゃよ? 白蓮、悪い事はいわねぇ! この際、前向きさ考えてみたらいいんでねぇのすか? 」
「ちょっ、ちょっと待ってくれよぉ~~~!! 行き成り言われたから、心の準備なんかある訳ないだろぉ~~~!! 少し考えさせてくれよぉ~~~!! 」
桃香、蓮華、雪蓮、一心、菖蒲に捲くし立てられる最中、白蓮は目をグルグルさせて混乱の様相を呈する始末。一方、そんな彼女等を他所に、黙々と食事を続ける壮雄と義雷であったが、突然義雷が壮雄の卓上に置いてあった酒盃に酒を注ぎ始めた。
「壮雄……まぁ、今回は諦めろや? おめぇが白蓮ちゃんに好意を寄せてたのは知ってたんだ。まっ、それ飲んで次の春を探すこったな? 」
「すまぬな、義雷……今回ばかりは弟に譲ってやろう。いつもいつも俺の影に隠れていたのだしな? 」
実は、壮雄も白蓮に好意を寄せていたのである。白馬陣を率い、勇猛果敢に敵に当たる彼女の姿に、壮雄もいつしか惹かれていたのだ。義雷は義雷で、妙に勘の鋭い所がある。従って、今回の馬兄弟の一件も、既に彼は見抜いていたのである。
壮雄に酒を注ぎ終えると、義雷も自身の酒盃に酒を注ぎ、そして漢達は無言で杯を軽くぶつけ合うと、一気にそれを傾けて見せた。
「フゥ~~~ 」
「ハァ~~~ 」
心なしか、力なく酒精まみれの息を吐く義雲と壮雄であったが、二人の顔には何処ぞとなく『漢の哀愁』が漂っていたのである。
「たっ、大変ですッ!! 菖蒲様、一心様、桃香殿っ! 一大事です!! 」
然し、二人のそんな空気をぶち壊すが如く、先程退出したばかりの固生が血相を変えて天幕の中に飛び込んできた。彼の様子に只事ならぬと判断してか、すぐさま総司令官たる菖蒲が声をかける。
「固生さん、何かあったのすか!? 」
固生は、一旦呼吸を落ち着かせると、両手を胸の前で組み合わせる――拱手の礼をしてから、報告を始めた。
「はっ! 先程、許県に駐留している皇甫閣下へ送った伝令から、火急の報せが届きました! 何と、我々が行方を追ってた張闓率いる黄狗どもが勢いを取り戻し、陽翟を陥落させたと言うのです。おまけに、奴等はその勢いに乗じ潁陽・潁陰の両県まで陥落させたとの事ですっ! 」
一旦呼吸を落ち着かせ、固生は更に報告を続ける。
「然も、それだけではありません! 奴等は潁陰で更に兵を募ったようで、その一部が再び長社を陥落すべくこちらに向かっているとの事ですッ!! 皇甫閣下から菖蒲様宛で、可能であれば迎撃し、然る後に殲滅せよとの事です! 」
固生が告げた内容に、一同は一気に顔を引き締め始める。あれだけ食事に夢中になっていた翠や鈴々であったが、彼女等は一気に麦粥を胃袋に流し込むと、いつしか二人とも『将』の顔に切り替わっていた。
「……固生老師、敵の旗印は判明していますか? 」
眉を顰め、桃香が固生の顔をじっと見やると、彼は一呼吸置き言葉を続けた。
「桃香殿、落ち着いて下され。流石にそこまでは判明しておりません。ですが、先程斥侯を放っておきました。暫くすれば判明する事でしょう…… 」
「あっ、確かにそうですよね? すみません……もしかしたら、私の名を語る張闓が来ているのかなーって、思ってしまって…… 」
やや肩を落してしょんぼりとする桃香であったが、彼女の緊張を解きほぐすべく、一心が軽く桃香の肩を叩く。
「なぁ~に、焦るこたねぇさ、桃香。どの道どう足掻こうが、あの糞餓鬼どもの末路はもう決まってんだ。逆にお前が焦っちゃあ、変なとこで空回りしちまうぞ? 空回りすんのは、『北の字』と閨でいちゃつく時だけにしときな? 」
「もうっ、一心兄さんってばぁ~~! 恥ずかしいよぉ~~!! 」
「フフッ、一心の言う通りよね? そんなに硬くなってたんじゃ、いざと言うとき大ドジ踏んじゃうわよ? 」
一心が言い放った下卑た冗談に、桃香が顔を真っ赤にして軽く怒って見せると、周囲からは大きな笑い声が飛び交う。彼のこの何気ない一言に、桃香は肩の力を抜く事が出来た。その二人のやり取りを、彼の左隣の雪蓮が微笑ましく見詰める。
(桃香も大変だけど、一心もある意味大変よね? 一刀がいない今、桃香の心の支えにならなくっちゃいけないんだから……。でも、流石は一心だわ。一見下世話な冗談だけど、何気なく桃香の緊張を解き解したんだもの……矢張り、彼こそが私の夫に相応しいわね? 出来うるのであれば、今度は桃香ではなく私を支えて欲しい……。覚えておくのね、桃香。いつか一心を独占するのは、この孫伯符よ? その時が来るまでは、貴女に預けておいてあげる…… )
雪蓮が二人を、特に桃香に向ける視線には少しばかりの嫉妬が混ざっていたのである。然し、雪蓮のそんな思いに気付く者は誰もいなかったのだ。
――五――
――黄巾軍来る――この報を受け、早速義勇軍本陣の天幕は臨時の司令部と化す。にぎやかな団欒の場であった夕食は全て片付けられ、卓の上には大きな地図が広げられており、それには周囲の地形が描かれていた。早速、この軍の総司令官たる菖蒲が言葉を発する。
「さて、先程皇甫閣下からの報せでもあったけどしゃっ。性懲りも無く黄巾どもが再び暴れ始めたようだべっちゃね? ホント、奴等のしぶとさは蟑螂(ゴキブリ)並みだべっちゃねぇ? 」
「菖蒲さん、流石に黄色い蟑螂はいねぇぜ? まっ、奴等は何でも喰う悪食だし、そんじょそこらに出没する糞蟲だしな? 良く良く考えて見りゃあ、糞蟲と言う点じゃ、黄狗どももそれと同じじゃねぇか? 」
冗談めいた菖蒲のぼやきに、一心も冗談で返して見せると、周囲からは笑い声が飛び交う。流石の照世も、白羽扇を口元に宛がい笑い声を上げていた。
「はっはっは、それは上手い喩えですな? では、黄色い蟑螂どもを殲滅させるとするならば……道信、朱里、雛里、君等三人なら何が有効と思うかな? 」
この神算鬼謀の持ち主たる、義勇軍の筆頭軍師が傍らの三人を伺うと、三人は少し顎を摘んでから、それぞれ自分等の考えた答えを出した。
「無論、火だな。照世、一番効率良く敵を殲滅させるのならば、火計が一番有効的だ 」
「私も同じです、敵の寝込みを襲って火を放つか、或いは予め火種を仕掛けた所に誘い込み、一気に火を掛けるのがいいと思います 」
「私も、道信老師や朱里ちゃんと同じです。幸い、この街道沿いには燃え易い草が生い茂っております。あわっ、で、ですから、火種として十分使えるかと思いましゅ…… 」
「そう、確かに三人の言う通りだ。息を吹き返し始めた蟑螂どもを徹底的に殲滅させるのであれば、火計ほど最上の策はない。ならば、今回はそれを用いよう 」
的を射た三人の答に、照世が満足そうに頷いてみせると、彼は地図に視線を向ける。彼の一挙手一投足に、誰しもが注目し始めた。
「斥侯からの報告が入るまでは何とも言えませぬが、恐らく潁陰の黄巾はこちら長社を目指して北上して攻め入って来るでしょう。ならば、私達はここより南の方に打って出て布陣し、然る後に奴等を迎え撃ちます。然し、ここでの注意点は目前の敵に夢中になり過ぎない事です。適度に戦い、わざと負けて誘い込むのです。ですが、敵に怪しまれぬよう、適度と言えどもある程度は真剣に戦ったかのように見せかける必要があります 」
ここまで、作戦を説明した照世であったが、さっそく『残念な子』代表の翠と鈴々の頭から煙が生じ始める。二人の頭は、既に彼の言っている事が理解できかねない様であった。
「なっ、何を言ってるのか、鈴々には全く判らないのだ……? 」
「え、えーと……適当である程度真剣? どうやって戦えばいいんだ……? 」
「えっと……翠ちゃん、鈴々ちゃん? もしかして、照世老師の言ってる意味が判んないのかな? 」
顔をひくつかせながら桃香が言うと、二人はそろって何度も首を縦に振る。この二人の反応に、照世もやや眉を顰める物の、すぐさま彼は表情を改めて説明を続けた。
「今、我々が陣を布いているこの場所の周囲を始めとした街道沿いですが、先程雛里が申した通り丈の長い草が生い茂っております。先に斬りこんだ囮をそこに紛れ込ませ、また火を仕掛ける兵を伏せさせたり、火種として用いるのにも打ってつけです。運が良いことに、風向きはこちらから見て追い風……ならば、火を放ってもこちらの方までには届かないでしょう。火計を仕掛けるには、正にもってこいの状況ですな? 」
ここまで語り、照世が周囲を見やると、今度は道信が言葉を発する。彼は少し顔をにやつかせると、地図のとある一点を指して見せた。
「照世、奴等をおびき寄せるのに丁度良い場所があるぞ。ここなんかどうだ? 」
言葉と共に、道信が指差したのは、ここより更に南に進んだとある箇所である。図面に描かれていたその箇所は、周囲を草に囲まれているが、そこだけは開けた平地であったのだ。彼の言葉に、照世は目を細めると、この智に長けた親友に感嘆の言葉を送る。
「ほほう……流石は道信だ。地の利を良く見ている……ここなら、黄色い蟑螂どもを殲滅させるのに打ってつけだな? 」
「確かに、道信老師の仰られる通りです。おまけにここら辺には邑が無いようですし、火計を仕掛けるにしても、余計な被害を出さずに済みましゅっ! 」
「今回は私達の方に地の利があります。ですから、それを上手く利用すれば効率的に敵を殲滅させる事が出来るかと。あわっ、そっ、それに先に斬りこんだ囮を草むらの中に紛れ込ませれば、黄巾達はこちらを探すのに戸惑うに違いありません……そこら辺で相手の隙を誘う事ができるかと思いましゅ…… 」
道信の言葉を補足するべく、朱里と雛里がそれぞれ意見を付け加えると、照世と道信はこの二人の少女に温かな視線を交え、優しく微笑む。一方、周りの皆からはそんな彼等を賞賛するかのように、大きな感嘆の声が次々と上がった。
「だったら、今回の作戦は『蟑螂恢恢作戦』がいいと思うのだー! 」
突然大声で叫び、トンでもない作戦名を付ける鈴々。彼女のこの発言に、全員目が点になってしまった。回りが呆気に取られる中、少し眉を顰めさせた蓮華が鈴々に尋ねる。
「鈴々、『蟑螂』はわかるけど、『恢恢』って、どういう意味なのかしら? 」
「んーと、愛紗が悪い奴をやっつけてた時に良く言ってた言葉なんだけど、『天もかいかいで、袖にしたらお漏らし』とかって言ってたのだ! だから、鈴々はそこから思いついたのだ! 」
「え……? 一体どういう意味なのかしら、それ? 」
鈴々の答えに、蓮華が余計に眉根を寄せていると、何か気付いたのかすぐさま照世が言葉を付け加える。この時の彼は、いささかばかり苦笑いを浮かべていた。
「蓮華殿、恐らくですが鈴々殿が言いたいのは、『天網恢恢疎而不漏』の事でしょう。即ち、『天網恢恢疎にして漏らさず』――※2老子の言葉ですな? 鈴々殿の義姉である雲長殿は、学識深い面もあります。彼女が『老子道徳経』を読んでいてもおかしくはないでしょう 」
照世の補足説明を受け、そこで始めて蓮華は納得したかのように頷く。
「あ……成る程、それなら理解できます 」
「あはは……鈴々ちゃん。愛紗ちゃんほどやれとは言わないけど、時折お勉強しとかないとちゃんと相手は理解してくれないんだよ? この戦いが終わったら、私と一緒に本でも読もうか? 」
苦笑いしながら桃香が鈴々に言うと、途端に彼女の顔からサーッと血の気が降り始めた。
「うにゃ~~~。鈴々、お勉強はきらいなのだ…… 」
本当に嫌そうな顔でぼやく鈴々であったが、突然義雷ががなり立てるような声で彼女に話しかける。
「観念するこったな、小鈴々! 俺も昔ぁ、学問は死ぬほどでぇ嫌ェだったが、兄者や照世たちのお陰で、今じゃ『知性派』って奴よ! おめぇも努力すりゃ、俺様みてぇに滅茶苦茶強くって、知的な奴になれるぜ! 」
「はぁ? 義雷、今何か言ったか? どうも、最近年の割りに耳が聞こえ辛くなっちまってなァ? 」
「え、ええと……義雷兄さん? 義雷兄さんが、まともに頭使ったの見たことが無いんだけど……? 」
「え? 兄者、桃香ちゃん……? 二人の目から見た俺って、どんな風に見えんだよ? 少なくとも、小鈴々や翠よりは馬鹿じゃねぇと思うんだけ、ど……? 」
そう、誇らしげに語ると、自身の分厚い胸板を小さな南瓜大の拳でドンと叩く義雷であったが、そんな彼の姿に一心と桃香を始めとした周囲の者達は、皆微妙な顔になる。二人から指摘を受け、思わず義雷が肩を落してしょんぼりさせると、筆頭軍師たる照世に到っては、苦笑を露わにしていた。
「ははは、少々余興が入ったようですが……菖蒲様、折角鈴々殿が面白き作戦名を考えて下さったのです。今回の作戦名は、『天網恢恢』に引っ掛け、『蟑螂恢恢』で宜しいですかな? 」
周りの皆と同じく、微妙な表情のまま固まっていた菖蒲であったが、照世に声を掛けられ彼女は正気を取り戻す。気を取り直すと、彼女は一呼吸の後に返事を返した。
「あ? う、うんっ、いいんでねぇのすか? 『天網恢恢疎にして漏らさず』の言葉に引っ掛けて、今回の作戦は『蟑螂恢恢』と名付けるべっちゃよ 」
かくして、この場にいない喜楽を除いた四人の軍師で考案し、鈴々が名付けた『蟑螂恢恢』――日本語で言う所の『ごきぶりホイホイ』作戦が開始される。正直言って、余りにも馬鹿馬鹿しい作戦名であったが、大陸を荒らす蟑螂どもを駆逐するには打ってつけとも言えた。
その直後、斥侯からの報告が届く。潁陰から攻め入る黄巾の数は、推定で約四万前後。旗印の方はと言うと、黄巾の旗印の中には『韓』と『趙』と書かれた物が交ざっており、桃香達が血眼になって探している悪童の名は書かれていなかったとの事だ。
この報せに、桃香達は一旦落胆する物の、すぐさま気を引き締め直す。良く良く考えてみるに、狡猾な張闓が、まさか見す見すこちらの方へ攻め入るとは思えなかったからだ。恐らく、奴であれば、現時点で一番安全な陽翟に篭っているであろうと想像がついたのである。
――六――
――そこから二刻後(約四時間)、潁陰から長社目掛け北上する黄巾軍――
「くそっ、劉備の奴めがっ! 実力も無いくせに、陽翟を陥として以降調子付きおって……大賢良師様の命を騙り、潁陰を陥としたばかりの我々に長社を攻め取って来いとは、無茶な命令ばかり出しおる。そうは思わぬか、趙弘よ? 」
「同感だ。少しばかり顔が良く、口先も達者で大賢良師様の覚えが目出度いのを傘に着て、やりたい放題。然し、実際の奴を見てみろ? 広宗では官軍の三倍の兵を率いていたのにも拘らず、黎陽が官軍に押さえられたと知るや否や、あっさりと広宗を放棄し、次に潁川に逃れるべく無茶な強行軍を強いた物だから五万の犠牲を出す始末。極め付けが、先程の黎陽では十万の兵の約九割以上をも失ったではないか! おまけに、大賢良師様、地公将軍様、人公将軍様まで危うい目に遭わせたと言う。かくなる上は、何れ折を見て我々と孫夏で奴を始末せぬか? 無論、奴の取り巻きの孫仲に高昇もな? 」
劉備を名乗る張闓から無茶な命令を出され、黄巾の将『趙弘』と『韓忠』の二人は行軍中の馬上でそれぞれ彼への悪態を吐いていた。大賢良師の命令と謳っているが、実際は奴の命令に渋々従った彼等は同僚の孫夏に留守を任せ、軍を長社へと差し向けたのである。
然し、趙弘・韓忠・孫夏の三人は張角達三姉妹には心服していたが、彼女等三姉妹にべったりと纏わり付く劉備――張闓・孫仲・高昇の三人を激しく嫌悪していた。先程の二人の会話からして、どれだけあの『毒蟲』どもを嫌っているのかが覗えよう。
「あぁ、それには俺も賛成だが……先ずは長社を奪還せねばならぬ。志半ばに散った波才殿の無念も晴らさねばならぬしな? 」
「うむ、波才殿も実に不憫であった。まさか、『天の御遣い』等と騙る者に不覚を取ったのだからな…… 」
張闓の始末を検討しつつ、長社で散った同胞に想いを馳せる二人であったが、彼等の前に一人の黄巾兵が現れる。彼はすぐさま拱手一礼の後に、趙弘と韓忠に報告を始めた。
「申し上げますッ! 」
「どうした? 」
「何事か? 」
「はっ、ここより二十里(約八.二キロ)ほど北で、官軍が陣を布いて待ち構えております。旗印には『鄒』と書かれており、どうやら青州と黎陽で我が軍を殲滅させた鄒靖かと思われますッ! 」
この兵士からの報告に、趙弘と韓忠――二人の黄巾の将は口角を歪める。鄒靖と言えば、青州で暴れまわった鄧茂と程遠志を撃ち破り、更には黎陽で我等が大賢良師様達を危地に追いやった張本人ではないか。
思わぬ形で、敵討ちが出来ると思うと、彼等の興味は目前の鄒靖に切り替わったのだ。興奮したのか、少しばかり声量を大きくさせ、趙弘は兵に尋ねる。
「ご苦労、敵の兵力はどれほどか? 」
「はっ! 目視のみで大凡ではありますが、約二万五千前後かと思われますッ! 」
「判った、大儀である。全軍に伝えよっ! これより我等は一丸となって鄒靖を蹴散らすッ! 鄧茂や程遠志の恨みを晴らすだけでなく、先日の黎陽の借りを返すいい機会だからな!? 」
「はっ! 畏まりました! 」
すっかり戦意を昂揚させたのか、趙弘が声高にそう告げると、兵士は彼の命を伝えるべく後方へ去って行った。兵士の姿が消えると、すぐさま趙弘の隣で馬を並べていた韓忠が話しかけてきた。
「行き成りだな、趙弘。然し、鄒靖を討つのは俺としても賛成だ。幸いにも兵力もこちらの方が上だし、あの『江東の虎』を手こずらせた我々の力を見せ付けてやろうではないか! 」
最初は苦笑交じりであったが、言葉を続けて行く内にすっかり昂ぶった僚友の顔に、趙弘は満足そうに頷く。
「そうだ! 先ずは劉備を血祭りに上げる前に、目前の鄒靖を血祭りに上げ、奴の首を散った同胞達に捧げてみしょうぞ! 」
すっかり気炎を上げる二人の黄巾の将であったが、まさかその一方で自分達が馬鹿馬鹿しい名を付けられた作戦の餌食になろうとは、夢にも思っていなかったのである。
――七――
――半刻後(約一時間)、囮の鄒靖の部隊にて――
「かっ、閣下ー! 」
趙弘と韓忠、二匹の黄色い蟑螂を引き付けるべく、囮部隊として待ち構えていた菖蒲の前に一人の伝令兵が跪く。すぐさま、彼女はその伝令兵に訊ねた。
「なじょしたのすか? もすかすて、もう黄巾どもがおらほさ目掛けて来たんだべか? 」
訳:「どうしたのかしら? もしかして、もう黄巾どもが私達の所目掛けて来たのかしら? 」
「はっ! 黄巾の部隊が後二、三里(約八百メートル~一.二キロメートル)の所まで迫っており、直に我が陣の方へ到達します! 奴等の戦意は昂揚しており、我等を飲み尽くさんとす勢いですっ! 」
彼の報告に、菖蒲は一回深呼吸して見せると、後ろを振り返り声高に号令を下す。彼女の右手には、照世から貰った軍配が握られていた。『倭の人間は、合戦の際に総大将がこれを用いる』と照世から聞かされた彼女は、この『軍配』をいたく気に入るようになり、以降戦の際にはこれを用いようと決めていたのである。
「いいか、おめたづ! さっきあだしがかだった事ばぁ、忘れんでねぇべっちゃよ!? 」
訳:「いいか、お前達! さっき私が話した事を、忘れるんじゃないわよ!? 」
「「「「「おおーっ!! 」」」」」
威勢の良い兵達の返事に満足したのか、菖蒲は深く頷くと、右手を大きく掲げ勢い良く軍配を振り下ろした。
「んだらばっ、全軍……かかれーっ!! 」
訳:「それならっ、全軍……かかれーっ!! 」
「「「「「「おおおおおおおおおっ!! 」」」」」
こうして、菖蒲こと鄒靖率いる二万五千の囮部隊は、長社郊外にて趙弘・韓忠率いる四万の黄巾軍と激突する。囮部隊の陣立てに関しては、『相手に深手を負わせる役』と、『戦の状況を読み取り将兵が血気にはやった際に抑止をかける役』の二つに分けられた。
「うにゃああああああああっ!! 」
「ぬおらっしゃらぁああああああ~~っ!! 」
「うおっしゃらぁああああああ~~っ!! 」
「どうりゃあああああっ!! 」
「はあああああああっ!! 」
その、『深手を負わせる役』を担うのが、鈴々・義雷・翠・壮雄・雪蓮。この五人の猛者達は、期待に見合った働きを見せた。彼等が振るう得物は、月明かりに反射し妖しく煌き、次々と黄巾どもの命を刈り取る。
「鈴々ちゃん! あんまり深く突っ込んじゃ駄目だよっ!? 」
「おい、義雷! 義雲に雲昇もいねぇんだ! あんまりおいらの手を焼かせんじゃねぇぞ! 」
「す、翠姉様ってばぁ~~!! 暴走し過ぎだって、どうどう~~!! 」
「兄上! 突っ込み過ぎです! ある程度蹴散らしたら、一旦退いて下され! 」
「ね、姉様~~!! これ以上暴れると、相手が逃げてしまいます!! 」
一方、先程の五人に『抑止をかける役』が、桃香・一心・蒲公英・固生・蓮華であった。彼等は控えめに敵を屠りつつ、熱気が上がり捲った彼等を抑えるべく、しきりに大声をかける。ハッキリ言って、抑止担当の五人の負担が大きいのは、誰の目から見ても明らかであった。
「くそっ! 兵力はこちらが上だと言うのに、鄒靖め。腕の立つ武芸者でも雇ったか? 」
「ああ、あの大暴れしている五人。可也の手練だ。どうする、趙弘よ? かくなる上は一旦潁陰に退くか? 」
この光景に、趙弘と韓忠は苦々しげな視線を送る。趙弘より慎重な韓忠に到っては、既に一旦退くべきかと考え始めていたのだ。然し、そんな僚友の言葉に趙弘は眉根を吊り上げ、声高に抗いの言葉を叫ぶ。
「冗談ではないッ! 今ここで我等がおめおめと退いて見ろ? 我等は肩身の狭い思いをするどころか、却って『あの』劉備が余計でかい面をするだけだ! そうなれば、黄巾党は完全に奴の私兵集団になり兼ねんッ! 一にあの糞蟲どもを誅する為ッ! 二に大賢良師様達の為ッ! 三に黄巾の御世を作る為ッ! そしてぇ、散って行った英霊達に報いる為ェ……今ここで立ち止まる訳には行かぬのだぁあああああああああああッ!!!! 」
「まっ、待て趙弘ッ!! 血気にはやり過ぎれば、先日の南陽の二の舞になるぞッ!! 」
遂に激高した彼は馬の腹を蹴飛ばすと、韓忠の制止を振り切り、目前で無残な殺戮を繰り広げる義雷に斬って掛かる。一方の義雷であったが、すぐさま自分の視界に得物を振り下ろさんとす趙弘の姿が入ってくると、彼はニヤリと笑って見せた。この時の義雷は、正に獲物を見つけたかのような、野獣の如き凄まじさが滲み出ていたのである。
「ぬおおおおおおお~~~っ!! 」
「おっとぉ! 」
気合一閃、趙弘は己の得物――※3歯翼月牙鎲を義雷目掛け振り下ろすが、対する義雷は余裕綽々と言わんばかりに、蛇矛の刃でそれを受け止める。渾身の一撃をアッサリと受け止められ、趙弘は戸惑いを浮かべてしまった。
「なっ、何いっ!! 受け止めただとおっ!? 」
「へへっ、黄巾野郎の癖して中々重い一撃じゃねぇかよ? 思わずびっくらこいちまったぜ!? 」
もし、仮に義雷の存在が黄巾の中にまで知れ渡っていたのなら、趙弘と言えども義雷に斬って掛かるのを躊躇ったであろう。然し、幸か不幸か趙弘は義雷の事なぞ存じていなかったのだ。会心の一撃をあっさりと受け止められた事により、趙弘の頭には更に血が上り始める。
「おのれぇええええ!! 官軍の狗がァ!! 俺の名は趙弘! 冥土への土産話にその名を覚えておくがいい!! 」
趙弘の名乗り上げに義雷はペッと唾を地面に吐き棄てると、蛇矛をビュオウッと勢い良く一振りして、ガシッと小脇に抱えて見せた。
「面白ぇ!! 俺様は幽州の劉伯想が三弟張叔高!! テメェの方こそ、東嶽大帝への申し開きを考えとくんだなッ! 」
「何をうっ! ならば今の大言、泰山地獄にて後悔させてくれるッ!! 」
かくして、趙弘と義雷の一騎討ちが始まるのかと思いきや、突如義雷の左前方の視界に義兄一心の姿が映る。一心はしきりに口をパクパクさせており、何かを言おうとしていた。
『オイ、義雷! 何熱くなってやがんでぇ! 菖蒲さんから引き上げの合図だ、さっさとずらかるぞ! 』
「……? 何言ってんだ、兄者? 全然聞こえねぇよ? もちっと大きい声で言ってくれねぇとわかんねぇぞ!? ……んん? 」
そうぼやいてみた物の、一心によって少し気を逸らされた影響か、自身の周囲をじっと見やり状況を判断する。そして、すぐさま軍師達が立てた作戦が彼の脳裏を過ぎってきた。
(おおっとぉ! いけねぇ、いけねぇ……今の俺は『知性派』って奴だったんだ! 我武者羅に得物ブン回す位ぇだったら、小鈴々やションベン娘の翠でもできらぁがな! そんじゃ、この脳筋野郎を引き付けるとするかい! )
頭を冷やし、義雷はニッと笑って見せると、義兄に対し親指をグッと立ててみせる。そんな義弟の姿に得心したのか、一心は満足そうに頷き返した。そして、義雷はすぐさま趙弘に向き直ると、威勢良く声高に叫んでみせる。
「やいやいやいやいっ、趙弘って言ったよなァ!? この張叔高様には一撃必殺の奥義があるんだ! それを使えば、てめぇなんざイチコロよォ! 俺様の『奥義』、とくと受けて見やがれぇいっ! 」
「何ッ!? 一体どの様な奥義なのだ!? 」
義雷の言葉に、趙弘は思わず戦慄を覚えると、顔を顰めて身構えた。対する彼は、勿体振った様に不気味な含み笑いを始める。
「フッフッフ……俺様の奥義とくと受けて見やがれいッ! とっておきの奴だッ! いいか!? 息が止まるまでとことんやるぜ!? フフフフフフ……それはなぁ、逃げるんだよォォォーッ! アバヨ、趙弘! 一昨日来ゃあがれってんだい! その首預けといてやるぜ!! 」
「うっ、うわっ! 叔高様が逃げたぞ! 」
「叔高様が逃げたんじゃ、俺達ももう駄目だぁ~~~!! 」
そう叫ぶと、行き成り義雷は馬首を返して一目散に逃げ始めた。義勇軍の中でも一、二を争う武を誇る彼が、敵将を前にして逃げ出した事により、一気に官軍の士気は瓦解し始める。兵達の方も、我先にとこの場から逃げ出し始めた。無論、これを見逃さぬ趙弘ではない。思いもよらぬ形で意気を削がれ、彼は正に怒り心頭の形相になったのである。
「おのれぇええええいっ!! あれだけ散々勿体振っておいて、逃げおおせる積もりかッ!! 卑劣なる臆病者どもめがッ! この趙弘の得物の餌食にしてくれるッ!! 」
「敵は見掛け倒しだっ! 徹底的に追い詰めて、奴等を根こそぎ屠ってくれんっ!! 」
「「「「おおおおーっ!! 」」」
顔を真っ赤にさせて、趙弘が得物を振りかざしながら馬を走らせ、続く韓忠も※4大斧を天高く掲げると、黄巾の士気は一気に昂揚する。彼等は一丸と成り、無様に逃げる官軍の尻を追い駆け始めた。
「おい、義雷。中々見事な逃げっぷりだったぜ? ちったぁ、勉強したみてぇだな!? 」
「あったぼうよ! 俺だって、キチンと頭は使うぜ!? 何せ、俺様ァ『知性派』って奴だからよ! 」
作戦通り、わざと逃げながら馬を並走させる一心と義雷。いかにも悪人めいた笑みと共に、一心がこの義弟を褒めると、対する彼の方も得意満面で頭をトントンと突付く素振りを見せる。然し、そんな自称『知性派』たる義雷に向け、共に馬を走らす周りの者達は訝しげな視線を彼にぶつけていた。
「う~~ん、何だかあのおッちゃん。鈴々と同じおつむにしか思えないのだ……。さっきだって、鈴々より暴れていたもん! 」
「あ、あははははははは……まぁ、余り深く考えちゃ駄目だよ? ああ見えても義雷兄さんは、自称『知性派』なんだからね? 」
「ほう……あの義雷にも少しは考える頭があったか? これは意外であった。何せ、奴の頭に血が上る速さは、この俺より上だしな? 」
「兄上……敢えて私は何も言いませぬ。余計な事を言えば、義雷殿から思わぬとばっちりを受けますので 」
「へぇ~~~義雷が『知性派』ねぇ? アレが『知性派』だったら、ウチの家臣たちは皆『神算鬼謀』の持ち主になれるんじゃないの? 」
「ねっ、姉様……義雷老師に聞こえますよ? 義雷老師の場合、例え姉様でも手加減抜きで喧嘩しますから、余り聞こえるような声で言わない方が…… 」
「義雷が『知性派』だって? 仮に義雷が『知性派』だったら、泰山が鳴動しちまうぜ 」
「うーん、義雷おじさんよりも、むしろ『お猿さん』の方が賢そうに思えるんだけど? 義雲おじさんや一心おじさんと違って、ハチャメチャな人だしね? あ~あ、義雲おじさんや、美しい雲昇お兄様達早く戻ってこないかなァ? やっぱ、あの二人がいないと、脳筋だらけのこの軍隊が引き締まんないよぉ~~! 」
鈴々・桃香・壮雄・固生・雪蓮・蓮華、そして翠と蒲公英がそれぞれ呆れ顔になっていると、やがて彼等の目前に草むらが見えてくる。すると、彼等の中に紛れ、馬を走らせていた菖蒲が軍配を勢い良く振りかざし、声高に叫んだ。
「散れッ! 」
只それだけの短い言葉であったが、彼等は全員頷いてみせると、作戦通りめいめいの方向へと散って行ったのである。
――八――
「ぬうっ、奴等は一体何処へ行った!? 」
「くそっ、ぬかったわ! 奴等め、この草むらに紛れて姿をくらませおったな!? 」
「ああ、それにここの周囲は背の高い草に覆われている。何やら嫌な予感がするぞ…… 」
趙弘と韓忠率いる黄巾軍であったが、彼等は菖蒲率いる官軍を追う内にその姿を見失う。彼等は今、例の開けた場所にて右往左往していたのだ。おまけに、吹いてくる風は向かい風であるし、何か嫌な雰囲気が漂い始めたのである。
「かくなる上は、仕方あるまい。者ども、このまま長社へ前進―― 」
「うわあっ! 」
『このままでは考えあぐねても仕方が無い 』――そう考え、趙弘が命令を出そうとしたその瞬間。一人の兵士が大仰に足を滑らせたのだ。思わぬ形で出足を挫かれてしまい、趙弘は苛立たしげにその兵士を睨みつける。
「オイッ、貴様ッ! 何をしているかッ!? 」
殺気を交えた趙弘の怒声を浴び、兵士はすっかり怯えきったかのように、弱々しい声で応じた。
「は、はっ。申し訳御座いませぬ……。ここに入った時から、何やら足が思うように動かず、滑り易くなっているのです 」
「何だとッ!? 」
「何ッ!? それはどう言う事かッ!? 」
その答えに趙弘と韓忠が周りを見てみると、何やら異様な光景が彼等の目に映る。キチンと立っている者は余りおらず、皆歩き辛そうにしていたり、何度も足を滑らそうとしていたからだ。そして、彼等は自分等の足元を良く見てみる。すると、彼等は驚愕の余り目を大きく見開かせた。
「かっ、韓忠!! これは、まさか……? 」
「あっ、油だっ! 油、それに何やら松脂らしき物まで混ざっているぞ! これでは、足が取られるのも無理も無い……まさか!? 」
「多分、そのまさかだっ! 官軍は火をかける気だ! 逃げる奴等から見て、風向きは追い風、我々には向かい風の状況だ!! この状況で火をかけられて見ろ!? 我々はあっと言う間に火達磨にされるぞ!? 」
「くそっ、まんまと嵌められたか……!! 全軍、退けーッ!! 潁陰に引き返すぞーっ!! 早く退けーッ!! 」
ようやく、自分等の置かれている状況に気付いたのか、韓忠が声高に撤退命令を下すが、無情にもそれを打ち砕くかの如く、とある方から別の声が聞こえてきた。
「今じゃっ! 者どもッ、火矢を放ていッ!! 」
「黄巾を巻いた蟑螂どもに、猛火の馳走をたんと味わわせてやるのじゃッ!! 放てぇーーーっ!! 」
「それーっ!! 蟑螂たちなんか、ぜーんぶ燃やしちゃえーっ!! 」
「「「「「オオーッ!! 」」」」」
声の主は、永盛こと黄国実と祭こと黄公覆に、小蓮こと孫尚香であった。弓を得意とする彼等は、それぞれ自身の弓に火矢を番えると、勢い良くそれを解き放つ。三人に続くかのように、弓を携えた兵たちが、次々と火矢の雨を黄巾どもに降り注がせた。
風向きは追い風であった為、普段より矢は飛ぶし、仮に黄巾どもに届く途中で火矢が落ちたとしても、周囲は燃え易い草に覆われている。火矢が落ちた所からは、瞬く間に出火し、追い風も手伝ってか、それはいつしか巨大な業火の舌と化して黄巾達を舐め回し始めた。
「ぎゃああああああああっ!! アヂアヂアヂ!! アヂャアアアアアアッ!! 」
「ギャハアアアアアアッ!! たっ、助けてくれぇえええ!! 」
「ばっ、馬鹿野郎!! こっちくんじゃねぇえええええ!! 」
黄巾たちがおびき寄せられた場所は、正に紅蓮の地獄絵図と化す。あっと言う間に火達磨になった彼等は、力無くその場に倒れると、地面に撒き散らされた油と松脂の混合物に引火して、更なる炎を生む。助けを求めるべく近くの仲間に駆け寄る者もいたが、却って錯乱状態になった同士からも無残に斬り殺されると、哀れにもそれはまた更なる火種と化したのだ。
「ヒイイイイイイイッ!! 母ちゃん! 助けてぇっ!! 」
「いっ、嫌だああああッ!! こんなとこで焼け死ぬなんてぇ!! 俺はまだ天和ちゃん達の歌を聞きたいんだぁああああああ!! アッ、アッ、アッ……ア゛アアアアアアアアア~~ッ!! 」
「うっ……人が焼け死ぬ姿なんて、生まれて始めて見ちまった……。暫く夢に出てきそうだよ 」
「あの、四人の軍師。本当にオッソロシイ策を考えるよな? こっちの方にいてくれて本当に良かったぜ……これが敵にいるかと思うと……ううっ、ションベンちびりそうだッ!! 」
照世・道信・朱里・雛里――この四人の軍師が考案した『蟑螂恢恢』作戦は、予想以上の効果をもたらす。悲鳴を上げながら次々と焼け死んでいく黄巾兵の姿に、官軍の将兵は心胆を寒からしめると、この四人の軍師が味方で本当に良かったと心から思ったのだ。
「くっ、くそっ……このままでは、全滅だ!! 」
「何が何でも、ここを斬り抜けるしかあるまいッ!! 」
勢い良く迫り来る紅蓮の炎を前にし、趙弘と韓忠は死地を潜り抜けんと、しきりに突破口を探す。両者は血眼になって周囲を見やるが、何処も彼処も火に包まれており、絶望感と言う名の死神がじわじわと彼等の心を蝕み始めた。
二人が抜け道を探す一方で、兵達は次々と火達磨と化して倒れ、次から次へとその数を減らしていく。それは、まるで泰山地獄の支配者たる東嶽大帝が、咎人を断罪すべく火炙りにかけているようであった。
「ん……あれはっ!? 」
火の熱さと光、そして火種から生じた煙に目を燻られつつ、涙ぐみながら抜け道を探していた韓忠であったが、唯一北西の方角に炎が途切れている部分が涙でぼやけた視界に入る。歓喜の余り、彼は破顔一笑してみせると、僚友趙弘と生き残った兵達に大声で呼びかけた。
「おいっ! あそこはまだ燃えていないぞ! 抜け出すのならあそこしかないッ!! 急げーッ!! 」
「おおっ! 正しくこれぞ天佑! これは大賢良師様の加護に違いあるまいッ!! 皆の者っ! 急いでここから立ち去るのだっ! 大賢良師様達の『天の歌』を聞きたい者は、逸早くここから脱出せよーッ!! 」
「おおおーっ! 」
「天和ちゃーん! 地和ちゃーん! 人和ちゃーん! 待っててくれよォ~~!! 絶対に生きて還るからなァ~~!! 」
こうして、韓忠と趙弘、そして彼等に率いられた潁陰の黄巾兵の生き残りは、何とかここの灼熱地獄を脱する事が出来たのである。然し、無残にも彼等はこの灼熱の罠により、四万あった兵士数の内八割を失ってしまったのだ。
然し、この事を見抜いていなかった照世ではない。灼熱地獄から離れた所で、蟑螂どもが逃げおおせる光景を見やりつつ、馬上にて彼はこの光景を見やっていた。彼は口元に白羽扇を宛がい、口元を僅かに歪めるだけの笑みを浮かべる。
「フフフフフフ……何処へ逃げようとも、貴様等の前途には最早泰山地獄しかない。黎陽の軍が盧閣下の軍と合流し、こちらに追いついてくれたのも真に幸いであった。ご復活成されたご舎弟様の武、冥府の土産にとくと味わってから逝くが良い…… 」
そう、ひっそりと呟く彼の双眸は、まるで遙か先の事を見通すかのように知性の光が激しく煌いていたのだ。
――九――
――一方、その頃。趙弘達が逃げる方向に陣取った陽春(盧植)の軍の、とある隊にて――
「ご報告いたしますッ! 」
「何事かッ!? 」
一人の兵士が、馬上の一刀の前で跪く。実はこの兵士、先日繁陽にて陽春が保護した例の黄巾兵であった。彼はぼさぼさの頭髪の上に黄巾を巻きつけ、緑色に染め上げた鎧の上に黄色の戦袍を羽織っている。彼は、姓を劉と言い、名を辟と言った。
あの後、陽春を治療した『華佗』と名乗る旅の医師に命を救われた彼は、元々嫌々入った為か、黄巾党を捨てて官軍の方に鞍替えする。やがて彼は軍と共に行動するようになると、その道中で逢いたかった嘗ての自分の頭目(親分)、廖元倹との再会を果たしたのだ。黎陽に向かう行軍の途中、張闓に殺されようとした劉辟を庇ったのが、この廖元倹である。
『廖哥哥(廖兄ィ)!! 良くぞ、良くぞ生きてくれてて……俺、本当に哥哥に逢いたかった……!! 』
『スマンなぁ、劉辟ィ。お前にはえらい難儀な思いさせたわぁ。左目は喪うてもうたが、それ以外ならこの通りピンピンしとるでぇ~! なぁ、劉辟。ワシをここの総大将はんに会わせてくれへんかぁ? お前が厄介になった礼も言いたいしなぁ? 』
廖元倹は名を化と言い、張闓に深手を負わされ左目を喪うが。辛くも彼は命を拾う。以降、彼は何とか散り散りになった部下達を纏めると、復讐する機を狙うべく潁川に潜伏していたのだ。陽春の計らいにより、劉辟は廖元倹の隊に編入されたのだが、今度はその廖元倹が一刀をすっかり気に入るようになる。
『ほーう、アンタもあの劉備の糞餓鬼に片目をやられたんやってなぁ? ワシは左目、アンタは右目……何だかワシら気が合いそうやなァ? もし良かったら、アンタの真名をワシに預けてくれへんかぁ? ワシもアンタに真名を預けるさかいになァ? ヒャーッ、ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!! 』
『え、えーと……し、暫く考えさせて下さい……(どっから、どう見ても『ヤ』の付く人にしか見えないぞ……それに、日本にいた時こんな感じの人見かけたような……? ) 』
最初は戸惑ったものの、少しして廖元倹と言う人と成りに慣れたのか、一刀と彼はすっかり意気投合する。この廖元倹であるが、彼は真名を『吾朗』といい、互いに真名で呼び合うようになった。
『良いですか、一刀? 人として、そして将として己に磨きをかけるのです。桃香を支えたいのであれば、貴方も人の上に立つ存在に成らないといけませんよ? 』
これを好機と見たのか、陽春の鶴の一声により、吾朗率いる『元黄巾賊』は一刀の麾下に編入される。かくして、一刀だけの『劉仲郷隊』が創設されたのだ。
「へえっ、盧閣下からのお達しでやす! 黄巾の生き残りがこっちの方に向かっており、そいつらを蹴散らせとの事でやす! 」
劉辟からの報告を受け、一刀は思わずキッと表情を引き締めると、少し威勢を張ったかのように声を強めさせる。
「判った、大儀である! この仲郷、敵将の首級を見事上げて見せると、閣下に伝えておけいっ! 」
「へいっ! 」
一刀の返事を陽春に伝えるべく、劉辟が彼の前から去っていくと、すかさず彼の傍の吾朗が馬を寄せてきた。
「一刀チャァ~~~ン! アンマきばっとると、いざと言う時空回りしてまうでぇ? アンタはこの隊の大将なんや! 大将ちゅうモンは、デーンと構えてないといかんでぇ~~! ワシを見てみ? デーンと構えとるやろ? 」
顔をにやつかせながら言うと、吾朗はわざとらしく胸を反らし、『えへん』と鼻から息を吐いて見せる。そんな彼の姿に、周りの者達は思わず吹きし笑いをしてしまうと、それに釣られるかのように一刀もプッと吹き出してしまった。
「全く……吾朗の哥哥も、随分と言ってくれますよね? でも、お陰様で少しは肩の力が抜けましたよ 」
「それは重畳やぁ。ま、普段はテケトーに力抜いて、やる時は徹底的にやればええんや。あのベッピンの盧閣下も言うてたやろぉ? これはアンタにとっても『お勉強』の一環なんや。ワシも出来るだけ補佐したるさかいなぁ? 無論、ワシの兵隊達もアンタに力を貸すでぇ~~!! なぁ、雛菊ゥ? 」
一刀に言いながら、とある方を向いて吾朗が振ると、彼に『雛菊』と呼ばれた一際背の高い美少女が挙手と共にのんびりした声で応じる。
「はぁ~い、私も頭目と同じでぇす~。体が大きい事しか、取り得がありませんけどぉ、私も大将に協力したいと思ってますから~ 」
この、のんびりとした雰囲気の大柄な美少女であるが、彼女は周倉と言い現在十六歳。身の丈は八尺を雄に越え、下手をすれば義雷と同じくらいの背丈である。体つきの方も、実に背丈に見合っただけ女らしさが強調されていた。
彼女は関西(涼州)の出だそうで、齢十五の時に学問を志す。既に天下で名が知られていた水鏡の下で勉学に励もうと、彼女は荊州を目指したのだが途中で道に迷ってしまい、南陽で路銀が尽きかけた所を吾朗こと廖化に拾われたのだ。それ以降、彼女は不思議な魅力を持った廖化に惚れ込んでしまい、彼の子分になった訳である。
彼女の出で立ちであるが、どうやら女流の儒家らしく、頭には布製の冠を被っている。その大きな体には儒服の上に鎧を纏っており、裙と呼ばれるスカートは短めに切っていて、すらりとした足を露出させていた。
そして、極め付けが彼女の得物である。彼女は生まれながらの怪力の持ち主で、ちょっと撫でた積もりでも簡単にポキンと折ってしまい、力の加減が出来なかったのだ。
そんな彼女に掛かってしまえば、並大抵の武具は直ぐに壊れて使い物にならなくなるので、加減が出来ぬ彼女専用に作られた金瓜錘と呼ばれる打撃武器を持たされていたのである。この金瓜錘であるが、巨大な棒付きキャンディーの様な形状をしているのが特徴だ。
「ありがとう、周倉。黄巾だったり、官軍だったりと敵がコロコロ変わって大変だと思うけど、宜しく頼むよ? 」
隻眼の一刀がフッと微笑んで見せると、たちどころに雛菊は顔を真っ赤にさせる。然し、次の瞬間恐ろしい光景が一刀を待ち受けていた!
「いやですぅ~~!! そんなに優しい顔で微笑まないで下さい~~!! 何だか恥ずかしいじゃないですかァ~~!! やんやんっ!! 」
猛烈に恥ずかしがる素振りを見せた雛菊であったが、彼女は「やんやん」と身悶えしながら、その大きな得物をブン回し始める。こんなモンで殴られた日にゃあ、簡単に木っ端微塵にされてしまうであろう。彼女の周囲にいた兵達は、恐怖の余りその場から逃げ出し始めた。
「うっ、うわあっ! オイコラ周倉! そんなモンぶん回すんじゃねぇ!! 」
「うぉいっ、俺達を殺す気か!? 何考えてんだよ、このデカ娘! うっ、うわっ! こっちに来んじゃねぇっ! 」
「ひっ、ひいいいいいいっ! 冗談じゃねぇぜ!! 俺は死ぬときゃあ、女の腹の上って決めてんだぁ!! こんなデカ女に撲殺されてたまっかよぉ!! 」
「オッ、オガアヂャアーン!! たっ、助けてぇえええええええっ!! 」
お約束通りの混乱を起こし始めた彼等に、思わず一刀は目が点になってしまうと、呆れ顔の吾朗がすかさず一刀に話しかけてきた。
「はい……? 」
「一刀チャァ~~ン……アカン、アカンでぇ? ああ見えて、雛菊は『ウブ』やさかい。一刀チャンのような色男に褒め言葉かけられると、ああなってまうのや……気ィつけなアカンでぇ? 」
「す、すんません……以後、気をつけます…… 」
顔を引きつらせながら、一刀が深く頷いてみせると、先程の劉辟が戻ってくる。彼は再度一刀の前に跪くと、拱手一礼の後に報告を始めた。
「大将! 廖哥哥! 黄巾の蟑螂野郎がやって来ました! 旗印は『趙』と『韓』で、その数は約八千! ご命令をお願いいたしやすッ!! 」
彼の報告に、アレだけ騒いでいた雛菊に、呆然としていた一刀や吾朗もすぐさま表情を引き締める。
「『趙』と『韓』の旗印かァ……ひょっとして、『趙弘』と『韓忠』かも知れんわぁ。あの二人、昔袁術の部下やったそうやけど、あの糞餓鬼の暴政に嫌気さして黄巾に鞍替えした連中や。戦は上手いけど、あの二人ものごっつ阿呆やからなぁ……で、どないするん? 一刀チャン? 」
真面目な顔で吾朗が一刀を覗うと、彼はいつしか兜の下の顔を『将』の物に切り替えていた。一刀は無言で劉辟に己の得物を手渡すと、彼は黙ってそれを受け取り、『槍持ち』の如くその傍に控える。
帯に挿した軍配を右手で手繰り寄せ、一刀はそれをグッと握り締めると、いつもとは違う神妙な雰囲気を漂わせながら言葉を発し始めた。
「……皆の者、心して聞くが良い! 此度我等は盧閣下のご温情を賜り、運良く黄巾どもと戦う機会を与えられた。この戦は我等の華々しき初陣であるッ! 然るに、皆心を震わせよッ! この国を食い物にする黄巾どもを何人たりとも生かしておくなッ!! 」
「「「「応ッ!!! 」」」」
吾朗を含め、『劉仲郷隊』の面々が威勢良く応えて見せると、一刀は軍配を天高く掲げてみせる。そして……それを勢い良く振り下ろした!!
「……押し出せぇーーーーーーーっ!!!!! 」
「「「「「ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!! 」」」」」
号令を下し終えた一刀が軍配を再び帯に挿すと、すかさず劉辟が先程手渡された大身槍を一刀に差し出す。劉辟から戻された大身槍を携え、一刀は愛馬黒風を爆走させた。
「押せーッ! 押し出せーッ!! 」
かくして、一刀率いる『劉仲郷隊』総勢三百五十名の荒くれどもは、こちらの方へ逃げおおせる趙弘・韓忠の部隊と激突したのである。先ずは露払いとして、八尺を超える大身の雛菊が敵に当たる。彼女はいつも通りのホンワカとした雰囲気のまま、金瓜錘をぶん回した。
「そぉ~~~れっ♪ 」
「ブゴッ! 」
「ギャバッ! 」
「ヒギッ! 」
いかにも可愛らしい彼女の掛け声であったが、それとは裏腹に数名の黄巾兵が頭部を粉砕される。我々の世界で言うならば、まるで次々と西瓜割りをするかのように思えた。あっと言う間に、数名の兵士が頭部の無い躯と化すと、途端に彼等の間に恐怖心が落ちてくる。次に、一刀の副将を命ぜられた吾朗が、嬉々とした表情で手にした刀の刀身を舐め回して見せた。
「ヒィーッ、ヒッヒッヒッヒ! 何や、お前らァ……もしかして、もうビビリこいてもうたんかぁ? そないな事言わんと……もっと楽しまなアカンでぇ~~~!! ワシは廖元倹! 『劉家の狂犬』言うんは、ワシの事じゃあ~! 冥土の土産によぉ~~く、覚えときぃ!! ヒャアアアッ……ハァアアアアアアアッ!! 」
奇声を上げ、吾朗は馬を走らせると苗刀と命名した刀を、逃げ惑う黄巾どもに次々と振り下ろす。この苗刀であるが、一刀が腰に佩いていた日本刀を大層気に入り、腕の良い鍛冶師に作らせた経緯があったのだ。
あちらこちらで、※5曼珠沙華の如き深紅の華を咲かす彼の姿に、敵味方双方とも戦慄を覚える。また、勝手に彼が自称した『劉家の狂犬』であるが、後に彼の通り名となった。
「一遍死ねやあああああっ!! 」
「ぎゃあっ! 」
「ぎゃひいっ! 」
「ぎゃあああああっ!! 」
「な、何だあの野郎は!! まるで人殺しを楽しんでやがる! こいつは危険だ、出来るだけ避けろーっ!! 」
「うわぁ……廖哥哥、いつもより目がイッてるぜ……余程嬉しかったんだな? 」
「あぁ。ありゃあ、いつもの三倍の迫力があるぜ? こう言う時の哥哥には近寄らねぇ方が無難だ……下手すりゃ、俺らまでとばっちりだよ 」
一方、そんな彼等を他所に、一刀は威勢良く大身槍を振るう。右目を喪った事により、以前より敵に当て辛くはなったが、それでも彼は何とかこの状況に馴染もうとしていた。
「ちぇすとぉっ! 」
「ぐあっ! 」
「チッ……前みたいに、一突きと言う訳には行かないか……! こればかりは、慣れるしかないな!? 」
両目が健在であった頃ならば、敵の急所を一突きにして見せた物の、隻眼の今ではやや少しずれてしまう。思わず一刀が苦虫を噛み潰していると、行き成り、右の方から槍が飛び出してきた。
「この片目野郎っ! くたばりやがれっ! 」
「うおっ! 」
「くそっ、かわすんじゃねぇっ!! 」
間一髪、馬上の一刀は、それを何とかかわしてみせる。すると、憎々しげに槍を繰り出してきた先程の黄巾兵が、突如背後から真っ二つにされたのだ。
「はああああああっ!! 」
「ぎゃあっ! 」
突然の助太刀に、一刀は目を白黒させたが、その正体は他ならぬ愛紗であった。思わず一刀が声を上げると、愛紗はやや不服そうに顔を顰めてみせる。
「愛紗ッ!? 」
「一刀様ッ! 私を忘れてもらっては困ります! 私は貴方様の右目なのです。ですから、どうか無理だけはなされませんよう! 」
「ははっ、ゴメンゴメン……。今回から俺も隊を任されるようになってしまってさ、気負い過ぎちまったよ 」
「全く……初めて持った部下とは言え、将も兵も全て元黄巾。居ても立っても居られなくなったので、義雲義兄上にお願いして、貴方様のお傍に置かせてもらうようにしましたから…… 」
チロッと、疑わしげな視線で周囲の吾朗や雛菊を見やる愛紗であったが、すかさず一刀は彼女を窘めた。
「清廉潔白を信条とする君の気持ちは判る……だけどさ、吾朗の哥哥や周倉に劉辟さんも、元は袁術の暴政が原因で已む無く黄巾になったんだ。そんな彼等を悪く言っては駄目だよ、愛紗? 」
「はっ、はいっ……申し訳ありません…… 」
隻眼をやや吊り上げさせた一刀に窘められ、ばつが悪そうな風で愛紗が謝ると、今度は吾朗が馬を寄せて来て彼女に絡んできた。
「そこのオッパイのでかい黒髪のお姉ちゃぁ~ん……随分と言うてくれるやないかぁ? 確かにワシ等は『元黄巾』や。せやけどな、この廖元倹! 一時は黄巾に身を落とした言うても、ワシ等は一回こっきりも弱いモンを甚振った事は無いんや。一刀チャンにはワシがついているさかい。アンタは精々、そのでかいオッパイを一刀チャンの為に使う事だけ考えとくんやなぁ!? イーヒッヒッヒッヒ!! 」
すると、今度は愛紗が黙っていない。吾朗の下世話な台詞に激高したのか、彼女は顔を真っ赤にさせると青龍偃月刀を彼に突きつける。
「こっ、このっ……貴様、廖元倹とか申したな? この関雲長、今の貴様の言葉には、女としてそして武人としての屈辱を覚えたぞ!! 何だったら、どちらが一刀様のお傍に相応しいか、今ここで決着をつけてやろうか!? 」
物凄い愛紗の睨みに、吾朗は怯む所か却って恍惚の表情で身悶えてみせると、途端に残虐そうな笑みを浮かべて見せた。
「オオ~~ッ……ホンマええわぁ。ワシ、アンタみたいに気の強い女はめっちゃ好きやねん……けどなぁ、女言うても無理な背伸びは怪我の元やでぇ……? 」
「良いだろう、ならばその言葉……今すぐ後悔させてやるッ! 」
激しく火花を散らす吾朗と愛紗。両者の間には一触即発の空気が漂い始めるが、それを直ぐに一刀が止めに入る。隻眼をクワッと見開かせ、一刀は両者を一喝する。この時の彼は、正に怒れる『独眼竜』さながらであった。
「哥哥ッ、それに愛紗も! 今は戦闘中なんだぞッ!? こんな時に味方同士でいがみ合って何になるんだっ!? 喧嘩をしたいのなら、後にしてくれよッ!! 」
彼の怒気にすっかり毒気を抜かれたのか、吾朗と愛紗はそれぞれ気まずそうな顔になると、互いに頭を下げそれぞれ非を詫びた。
「うっ、す、すみません……廖元倹殿、先程は言葉が過ぎた。申し訳ない…… 」
「いやぁ~~。ワシも大人げ無かったわァ~~! ホンマにごめんなぁ、雲長はん。ほな、さっきの事は互いに水に流しまひょか? 」
「あぁ、そうだな。今日から我等は同志。ならば、互いに力を合わせよう 」
「ヨッシャ、契約成立や! ワシは廖化、字は元倹! 雲長はん、今後ともよろしゅうに 」
「我が名は関羽、字は雲長! 元倹殿、私の方こそ宜しく頼む! 」
かくして、一刀の仲裁を経て両者は和解すると、互いに握手しわだかまりを無くす。そして、二人は隻眼の一刀を補うように、互いの武を振るわせ始めた。これ以降、吾朗も愛紗に心酔するようになると、互いに真名を預けあうようになり、愛紗の方もまた、元の身分で相手を見下す悪癖を控えるようになった。
――十――
「くそっ、これは悪夢だっ!! 黄巾の御世を夢見た我等が、何故かような悪夢を見なければならぬのだっ!! 」
「奸物劉備を誅するまで、我等はまだ死ぬ事が出来ぬッ!! 全ては黄巾の御世の為、大賢良師様達の為、我々はまだ逝く訳にはいかぬのだっ!! 」
運良く紅蓮の灼熱地獄を脱した趙弘と韓忠であったが、彼等を待ち受けていたのは更なる地獄であった。彼等が逃げ込んだ先には、盧植こと陽春率いる官軍が待ち受けており、兵力は自分等の半数程度しかなかったのだが、その質は極めて高かったのである。
それに付け加え、兵を率いる将達は全て一騎当千の猛者で固められており、次なる戦場も生き残った八千の黄巾の血で染められたのだ。懸命に逃げ惑う兵たちを何とか叱咤する二人であったが、そうこうしている内に、鄒靖こと菖蒲の方も全軍を上げ彼等を追撃してきたのである。周りを官軍に囲まれ、正に彼等は袋の鼠と化してしまったのだ。
前後左右、所構わず襲い来る敵を斬り伏せている内に、二人の黄巾の将はふと周りを見やる。気付いてみれば、自分等の周囲には僅か百名の兵しか残っていなかったのだ。官兵、黄巾兵関係無く、大勢の躯が自分達の足元を覆いつくしており、官軍はじっと自分等を取り囲んだままである。それらが醸し出す不気味な静寂が場に漂っていた。
絶望感を通り越した諦念か、一つ深呼吸して見せると、これまで共に戦ってきた僚友を見やり、趙弘は感慨深げに語り始める。この時の彼は、実にすがすがしい顔をしていた。
「韓忠……どうやら、ここで果てるのが我等の運命のようだ。思えば、あの『汝南袁氏』の後継を自称する孺子を止められなかった時点で、既に我等の末路は決まっていたのかもしれない…… 」
この僚友の言葉に何やら悟ったのか、韓忠も実にすがすがしい顔で応じる。
「そうだな、趙弘よ……。我等に安らぎを与えて下さった、黄巾党や大賢良師様に安易に身を委ね、人としての道を踏み外した我等に対する皇天后土の導きやも知れぬ……だが、このままでは終わらぬッ! まだ終わる訳には行かんのだっ!! 」
「ああ、お前の言う通り……かくなる上は、我等の戦いが後世に残るよう、最後は武人らしく華々しく散って見せん!! 」
二人は覚悟を決め、恐らく自分等の最期となろう斬り込みを決意すると、これまで自分等に従ってきた兵たちを見やった。
「お前達は、無理についてこなくとも良い。ここの総大将盧植は一角の人格者だ。然るに、我等が出た後降伏せよ 」
「これ以上、我等や大賢良師様達への義理立ては不要と言うものだ……。残りの人生は、故郷で幸せに過ごすが良い…… 」
自分達を従えて来たこの二人から、『降伏せよ』と思わぬ言葉をかけられ、兵達は一瞬逡巡する物の彼等は一斉に泣き始める。そして、一人の兵士が涙ながらに彼等に懇願した。
「お願いですッ! 私達を置いて逝かないで下さいッ! 私達は南陽での決起以来、ずっとお二人のお傍に居りました。かくなる上は、泰山地獄までお供させてくださいッ!! 」
「俺もですッ! 今更、おめおめと降伏なんかできませんッ!! 」
「東嶽大帝のお裁きなら、お二人と共に受けたく思いますッ! 」
「趙弘様、韓忠様お願いですっ、どうか見捨てないで下さいッ! 」
「趙弘様ッ! 」
「韓忠様ッ!! 」
最後の最後まで自分達に付き従ってきた百名の兵士であったが、どうやら彼らの方も既に一致団結で覚悟を決めていたようである。彼等の懇願を受け、馬上の趙弘と韓忠は思わず涙ぐんでしまった。
「お前達、そこまで……! いいだろう、ならば泰山地獄への共を許す! 我々について来るが良い!! 」
「お前達が居るのなら、東嶽大帝の裁きも怖くは無いぞ……! 勇士達よ、官軍の腰抜けどもに我等の戦い振りをとくと見せ付けてやろうぞ!! 」
かくして、趙弘と韓忠を含めた百二名の猛者は、官軍へ最後の突撃を決行する。最後の最後まで抵抗する彼等の姿に、総司令官の陽春は只無言で首を縦に振って見せた。
「…… 」
「全軍、総攻撃をかけろーっ!! 敵は最後の最後まで戦った勇者達だ! それ相応の礼を以って応じてやれッ!! 」
「「「「「「ハッ!! 」」」」」」
陽春の意図を悟り、副将の張鈞が声高に号令を下すと、盧植・鄒靖の総勢約八万の兵は彼等目掛け総掛りを始めた。百二名の兵は懸命に応戦する物の、一人また一人と泰山地獄へと旅立つ。すると、趙弘の視界の前方に一丈八尺の蛇矛を携えた義雷の姿が映った。
「……貴様はッ! 先程の張叔高かッ!? 」
「おうよ、張叔高様だ。途中で止めちまったが趙弘よ、さっきの勝負の続きをやろうじゃねぇか! この俺様が、テメェを泰山地獄へと誘ってやらァ!! 」
「フッ、その言葉そっくり貴様に返してくれるッ! 仮に討ち果たせずとも、この趙弘、貴様を道連れにせんっ! 」
「面白れェ! やれんものならやって見ゃあがれいっ!! 」
義雷と趙弘、両者は馬を走らせ互いの得物をぶつけ合う。満身創痍なのにも拘らず、趙弘から放たれる気迫は凄まじかった。だが、片や前世で幾数多もの修羅場を潜り抜け、義兄より『自分より強い漢』と評された義雷だけある。十合を数えぬ内に、彼は容易く趙弘の胸を蛇矛で貫いて見せたのだ。
「ぬおらっしゃああああああああああっ!! 」
「ガハッ……! 」
雷撃のような義雷の突きを受け、趙弘の口からは鮮血の滝が吹き出す。最後の最後で、趙弘は澄んだ瞳で義雷を見やると、途切れ途切れで話しかけてきた。
「見……見事、だ……。張、叔高と言ったな……? と、東嶽大帝に良い土産話が……出来、そうだ…… 」
それが臨終の言葉となったのか、趙弘は白目を剥くと力無く落馬する。彼の最期を看取り、愛馬から飛び降りて彼の躯に近寄ると、義雷はそっと彼の瞼を閉じてやった。
「黄巾の癖して、中々見事な最期だったぜ趙弘……色々事情があったかもしんねぇけどよ、おめぇは道を間違えたんだ。今度生まれて来るときゃあ、真人間になってくるんだな? 勝負の続きは、泰山地獄でしてやらァ…… 」
彼にしては珍しくそっと囁くと、義雷は抜刀の後に趙弘の首を刎ね落し、それを高々と掲げて見せた。
「賊将趙弘、劉伯想が義弟張叔高が討ち取ったりぃ!! 」
「「「「「オオオオオオーッ!!! 」」」」」
趙弘の首を掲げる義雷の姿に、兵達は歓声を上げ、その光景は韓忠の目にも入る。彼は涙を拭うと、キッと表情を引き締めて前に向き直ると、彼の視界に冷艶鋸を携えた義雲の姿が映った。
「そこなる髯の大男! 貴様も官軍の将か!? 」
突然声を掛けられ、義雲は僅かに眉を吊り上げると、自分を呼びかけたこの男をじっと見やる。次に、彼は低く響く声で韓忠に応じて見せた。
「いかにも…… 」
「これは重畳! 我こそは南陽の韓忠! 貴様には我が生涯最後の武を見せてくれようぞ!! ハアッ!! 」
大斧を振りかざし、馬を走らせながら自分に斬りかかって来る韓忠の姿に、義雲は冷艶鋸を両手で握り締める。彼もまた同じく、愛馬赤兎を韓忠目掛けて走らせ始めた。
「よかろう……わしは関仲拡! うぬの最期を看取ってくれん! いざっ、参るッ!! 」
すれ違い様、韓忠は渾身の一撃を義雲に見舞わせようとしたが、咄嗟に彼は冷艶鋸でそれを容易く受け止める。
「ハアアアッ!! 」
「ぬうんっ!! 」
「なっ、何ッ……いとも容易く止めただと!? 」
「中々鋭い一撃であった……。並大抵の者ならば、今の一撃で倒されていたであろう。然し、わしはそれなりに自負している積もりでな? どれ、次はわしの番だな? この関仲拡の武、とくと受けてみるが良い! 」
あっさりと会心の一撃を受け止められ、驚愕する韓忠であったが、次に義雲の放つ斬撃が襲い掛かってきた。あれだけ重そうな得物を自由自在に操り、次々と鋭い一撃を繰り出す彼の姿に、韓忠は恐怖を覚える。然し、『自分にはもう後が無いのだ』――そう言い聞かせると、韓忠は己を奮い立たせて、必死の形相で義雲の攻撃を受け止める。
一方の義雲であるが、懸命に自分の攻撃を受け止める韓忠の姿に、彼は好感を覚える。双方互いの武をぶつけ合っているのにも拘らず、義雲は余裕めいた笑みと共に、韓忠に話しかけた。
「中々良い顔をしている……出来うるのであれば、うぬとはもっと前に会いたかったな!? 」
「俺もだっ……! だが、今は黄巾の御世にならんとしているっ! 最早、死に逝く蒼天に何の価値も無しッ!! 関仲拡よっ! この逢瀬こそ、正しく我等の運命だったのだぁっ! 」
武に携わるもの同士に通ずる、『何か』を感じたのだろうか。韓忠は会心の笑みで応えて見せると、彼は再び義雲に大斧をぶつけ始める。この頃、既に黄巾の兵百名は全て討ち果たされており、残るはこの韓忠だけであった。
義雲と韓忠が繰り広げるこの一騎討ちを、陽春を始めとした官軍や義勇軍の将兵も、只々黙ってその成り行きを見守る。双方の撃ち合いが、丁度三十合に達しようとした所で、遂に終局が訪れた。
「ぬんっ!! 」
「ぐわああああああああああっ!! 」
重い音を立てて、義雲の冷艶鋸が韓忠を袈裟斬りにする。斬られた箇所から大量の血飛沫を噴き出させ、韓忠は断末魔の悲鳴を上げると、そのまま落馬し敢え無く絶命したのだ。韓忠から噴き出た、大量の返り血を浴びつつ、義雲は下馬するとゆっくり彼の躯の方へと歩み寄る。
「韓忠よ、うぬの様に骨のある漢と闘えた事、この関仲拡生涯忘れはせぬ。後日、泰山地獄にてうぬと再び見えんっ! その時まで、じっくり待ってるが良い…… 」
しみじみ語ると、先程義弟がしたのと同じ様に、彼もまた抜刀する。そして、勢い良く韓忠の首を刎ね落すと、それを高々と掲げて見せた。
「賊将韓忠! 劉伯想が義弟関仲拡が討ち取ったり! 」
「「「「「「オオオオオオオーッ!! 」」」」」」
義弟に負けんじと言わんばかりに、義雲も声を大にして勝ち名乗りを上げると、周囲からは喝采や歓声が飛び交う。かくして、長社近郊における戦いは、黄巾側の全滅により幕を閉じたのであった。
――十二――
夜半過ぎに始まった長社近郊の戦闘であったが、義雲が韓忠との一騎打ちに勝利し、戦闘がすべて終わる頃には既に夜明けになろうとしていた。陽春は菖蒲と生きて再会できた事に大喜びし、生き残った者達は、戦の後始末を始める。
照世を始めとした軍師達は、手の空いている将兵に命じると、先程仕掛けた火計の消火作業を行わせる。そんな中、桃香、蓮華、そして翠の三人は馬を走らせ、逢いたかった顔を捜し始めた。
「一刀さんッ……どこっ、どこなのっ? 」
「一刀……お願い、どこにいるのっ!? 」
「一刀ぉ~~!! お願いだ、姿を見せてくれよォ!! 」
逸る心を抑えずに、三人の恋姫は想い人の姿を捜し求める。やがて、彼女等の前方に一騎の騎馬武者の影が見えてきた。徐々に近付く馬蹄の音に気付いたのか、彼はゆっくりと彼女等の方へと馬首を向ける。朝日の影が邪魔して上手く見えないが、心なしか彼は微笑んでるようにも思えた。
朝日の照り返しを受け、三日月の前立ては金色の煌きを放ち、身に纏った漆黒の具足は彼の勇壮な雰囲気を一層醸し出す。その人影の主は……姓は劉、名は北、字は仲郷、真名を一刀と言った。
お互い肌を重ね、愛し合った三人の女性を前にし、一刀は優しく微笑んでみせる。然し、対する彼女等は彼の顔を見た瞬間、思わず息を呑んでしまった。
「桃香、蓮華、翠……やっと逢えたね? 俺、君達に物凄く逢いたかったんだよ…… 」
「ッ……!? かっ、一刀さん、その目……一体どうしたの? 」
「一刀、その目は一体……まさか、怪我でもしたの? 」
「おっ、おいっ、一刀……何で、片目になっちまったんだ……!? 」
何故ならば、あれほど綺麗な瞳をしていた両目の内、右の片方が無骨な刀の鍔の眼帯で覆われており、今の彼は『隻眼』だったからである。彼女等の驚きようを目の当たりにし、一刀は寂しそうな笑みで彼女等に話しかけてきた。
「ハハッ……判ってるとは思うけど、原因はあの毒だよ。後一歩で死ぬとこだったけど、間一髪解毒剤を飲ませて貰ったんだ。運良く命は拾えたけど、ご覧の通りの有様さ? やっぱ、この顔は醜いかなァ? ゴメンな、三人には絶望させちまって…… 」
そこまで言うと、一刀は力なく笑い声を上げる。然し、意を決したのか、桃香は突然馬を走らせ始めた。思いもよらぬ彼女の行動に、蓮華と翠は呆気に取られてしまう。
「……ハッ! 」
「桃香? 」
「オイ、桃香! 一体何をする気なんだ!? 」
やがて一刀の方へ近寄ったその刹那、彼女は勢い良く飛び出すと、馬上の彼目掛け思いっきり抱きついて見せた。
「えぇーいっ!! 」
「うわっ!! あっ、危ないじゃないか桃香! 怪我しちまったら大事だろう!? 何考えてるんだよッ!? 」
何とか踏み止まり、この一途な恋姫の突撃を受け止めた一刀。然し、先程のしんみりとした物から打って変わり、彼は顔を真っ赤にさせて彼女の無茶な行動を咎める。だが、当の彼女はケロッとした顔になると、満面の笑みで彼に応えて見せた。
「だって、嬉しかったんだモンッ! 私、一刀さんにとーっても逢いたかったんだからねっ!? 片目を喪っちゃったけど、それでも一刀さんは一刀さんなんだよっ? 大丈夫、たとえ一刀さんが二度と勃てなくなっても、私がちゃあんと面倒見てあげるんだからッ! 」
「……何だか、字が微妙に違うような気がするんだが、俺の勘違いかな……? 」
意味深な彼女の言葉に、一刀が複雑げに顔を顰めていると、桃香は行き成り蓮華と翠の方を振り向き、彼女等に大声で呼びかける。
「蓮華ちゃーん! 翠ちゃーん! 二人とも早くおいでよー!! さもないと、私が一刀さんを独り占めしちゃうぞ~~!? 」
「え……? 」
「んなっ……☆×@△?※~~~!! 」
突然の彼女の言葉に、二人の姫は目を白黒させていたが、その間にも桃香がわざとらしく一刀の体に身を摺り寄せている内に、二人の心は激しく燃え上がった。
「……桃香、抜け駆けは許さないわよ? 一刀を交えての秘め事は、私達三人一緒が原則でしょう!? 待ってなさい、一刀! 今すぐこの桃色娘から貴方を解放してあげるわっ! 」
「コンチクショウ~~~!! 桃香、お前だけ独り占めはずるいぞっ!! 馬を使った芸当で、アタシを出し抜こうなんざ、百年早いんだよォッ!! 」
「ちょっ、待て待て待て待て待てっ!! 俺は病み上がりなんだから、三人同時に相手に出来る訳無いだろォ!? 勘弁してくれぇ~~~!! 」
二人は顔を真っ赤にさせると、先程の桃香と同じく馬を走らせ、馬上の一刀目掛けて抱きつき始める。あっと言う間に、黒風の背中は四人の男女でガッチリと固められてしまった。
流石にこればかりは黒風も堪らなかったのだろうか、彼は直ぐにその場でしゃがみ込んでしまうと、忽ち四人は一斉にずり落ちてしまった。
「おわっ!? 」
「ひゃあっ!? 」
「きゃっ!? 」
「うわっ!? 」
不貞腐れてしまったのか、悲鳴を上げる四人を他所に、黒風はその場で不貞寝を決め込んでしまう。そんな彼の姿が滑稽であったのか、思わず一刀は笑い声を上げてしまうと、桃香に蓮華、そして翠の三人も吊られて笑い声を上げた。
最初は僅かしか見えなかった太陽であったが、今は徐々に空の色を鮮やかな青に変えようとしており、前途溢れる四人の少年少女を明るく照らし始める。それは、死を乗り越えて再会を果たした彼等を祝福しているように思えた。
――十三――
不貞寝を決め込んだ黒風にもたれかかり、何気ない雑談で笑い声を上げる彼等の姿を遠くから見やる者が居る。
「矢張り、仙蓼様が仰られた通りだ……劉仲郷、何て好色な男なんだろう? 」
声からして女性と思われたが、その者は近くの木陰に潜んで、そのやり取りを見ていたのだ。三人の恋姫たちと楽しそうに話している一刀の姿に、『彼女』は思わず舌打ちしてしまう。
「チッ……! 仙蓼様からのご命令があれば、あの様な軟弱な好色漢、即座に始末できる物を…… 」
そう毒づくと、『彼女』は一層目を険しくさせて、一刀を睨みつける。今の『彼女』のその姿は、正しく得物を付けねらう猛禽類の如き鋭さが感じられた。やがて、彼女は溜息を一つ吐くと、そっとひとりごちる。この時の彼女の声色には、ある種の蔑みが混ざっていた。
「フンッ……まぁ、いい。今の私の任務は、劉仲郷の監視だ。劉仲郷、貴様が司馬仲達様の妨げになるのであれば、私は即座に貴様の命を貰う……! 精々、今はその破廉恥な女どもとの色事に愉しんでいるが良いッ……!! 」
言葉を終え、『彼女』はひっそりと姿を眩ます。果たして『彼女』の正体は一体何者なのか? それを知りうるのは司馬仲達こと仙蓼と、天地を司る皇天后土のみだったのである。
※1:表向きは従ってるが、心の中では従っていないと言う意味。
※2:古代中国の哲学者。道教創案の中心人物。『老子道徳経』(日本では『老子』で呼ばれている)を著した。
※3:古代兵器の一つ。矛のような長刃の両側に、翼状の鋸刃を付けた物。矛刃の部分で刺突し、鋸刃の部分で相手の鎧や衣服を引っ掛ける事が出来る。
※4:長柄の先に斧を取り付けた武器。西洋の武器ポールアックスに似通った形状をしている。
※5:ヒガンバナの別名。
ここまで読んで頂き、真に感謝いたします。
さて、今回は……ハッきり言って、長ったらしかったなァと思いました。私は上手い着地点を探すのが下手糞な上に、『ああしたい、こうしたい』とか思ってる内にホイホイと継ぎ足す物ですから、いつしか長いお話になる傾向があるんです。(苦笑
今回は場面ごとに番号を割り振り、読みやすくしてみようと言う狙いもありました。もし、『読みづれぇよ、アホンダラ』なんと思われましたら、ご意見を寄せて下さいマシ。
劉備を名乗る張闓ですが、コイツは変なとこで悪運強いです。一旦全滅しかける物の、何とか息を吹き返した上に南陽の残党を合流させて、再度潁川で大暴れ。あ、黄巾軍が陽翟県を落としたと言うのは、本当の話のようです。
只、陽翟に隣接する潁陽と潁陰を手中に収めたりとか、韓忠と趙弘が再び長社を攻め落とそうと襲い掛かってきたのは、私個人のオリジナル設定なんで、鵜呑みにせんといてねぇ~~!(汗
ちょーっと、書いてる本人も本編のハイライトが物凄くシンドイので、割愛させてもらいますが、本当は今回の話で一刀と佑、桃香と華琳を邂逅させようと思ってました、が……流石に根負けしたのと、モウチョイで字数オーバー(38,770文字)に到達したので、次回に回す事にしました。本当にゴメンナサイ。(DOGEZA
元祖(?)孔明こと照世達四人の軍師が考えた『ごきぶりホイホイ作戦』ですが、かの『ごきぶりホイホイ』は中国では『小強恢恢』と呼ばれてます。
作中でもありましたが、『恢恢』の発音が『ホイホイ』に似ていたのと、『天網恢恢疎にして漏らさず』の言葉に引っ掛けたらしいとの事です。
ここら辺の火計のアイデアですが、元ネタは横山三国志の二巻です。劉備が潁川で朱儁に馬鹿にされつつ、黄巾賊に奇襲を掛ける際に火を放ったのを元にさせてもらいました。
ここから、趙弘と韓忠の一騎討ちで〆るまで、実に頭を使いましたねぇ……。スッカスカの脳味噌の私では、ここまでが現在の限界です。
表現が弱いと思われましたら、本当にゴメンナサイとしか言いようが無いです!だって、私は本当に戦描写が苦手なものですからッ!!(滝涙
今回、オリキャラを合計四人登場させました。章椿畫こと伯描さんですが、彼女のイメージはAXLの『恋する乙女と守護の楯』に登場する『真田設子』です。従って、CVイメージは『松田理沙』さんですねぇ~~。
この章椿畫ですが、ちょっと凝っておりまして、三国志に出てくる人物と同音異語に仕立ててあります。判った方が居ても、敢えてネタ晴らしはしないで下さいね?(汗
次に、廖化! これはもう……元キャラバレバレなんで、敢えて公表しませんッ! 左目が無い、関西弁、直ぐにキレるおっかない人……世紀末雑魚様からのリクエストにお答えしました!!(笑 あ、CVイメージは、モロ『宇垣秀成』さんですんで!(苦笑
真名の方ですが、世紀末雑魚様がキチンと考えてくれてたんですが、この際開き直って『モロマンマ』にしちまおうと思い、『吾朗』にしました。世紀末雑魚様、100%期待に応えず申し訳ないっす!(DOGEZA
次に周倉ですが、これの元キャラは、現在メーカーが無くなったトライファーストさんから発売された『レッスルエンンジェルスサバイバー2』に登場するレスラー、『大空みぎり』です。
もろ美少女の彼女なんですけど、何と身長190cmの設定で、然も生まれついてのパワーファイター!! 演義のみの人物なんですが、愛紗に負けずインパクトのある奴にしようと思い、彼女を元キャラにしました。余談ですが、CVイメージは折笠富美子さんです。
真名の雛菊ですが、真名と見てくれが正に正反対! 書いてて苦笑しました。この雛菊なんですが、花言葉が『純潔』、『無邪気』、『乙女の無邪気』、『お人好し』の意味でしたので、天然ジェノサイダーたる彼女に相応しいと思いました。(苦笑
最後に出てくる劉辟ですが、これは二十一話に出て来た、黄巾兵の生き残りです。彼の外見イメージは、ふかやん様から送られてきた周倉を使用しております。
今回で、ようやっと約二ヶ月越しで一刀と桃香・蓮華、そして翠と再会させる事ができました。一つの目標をクリアできて、今は少し安堵しております。
然し、まだ黄巾の乱は終わっていません!! 次回こそ、あの糞野郎にもそろそろ……って、展開にしたいかなァ? とか思っております。
次回の更新ですが、出来るだけ早く続きを書く積もりです。然し、自分にも生活がありますし、執筆に没頭できるのも限られてますんで、中々に上手く行かない事でしょう。
でも、それでもっ! 来月中には更新したいと思っていますから、どうか皆様方には、それまでお待ち頂きたく思いますッ!
アレコレ長くなってしまいましたが、今回はこれにて失礼させて頂きます。
それでは、また~! 不識庵・裏でした~~!!
……結局、新しいことにチャレンジした結果がある意味元さやに終わりました。矢張り、四十近くになると無理が来るのかなァ?