第二十四話「長社の戦い」
どうも、不識庵・裏です。
今回も更新に一月を要してしまいました。暑かったのもありましたけど、一番の原因は矢張りテンションダウンです。
先月の5日に前回のお話を投稿し、その翌日には次回の話をホンの数百字書いたのですが、そこから書く気が起こらなくなってしまいました。
約二週間ダラダラ過ごしてしまい、ようやっと下旬に入ってから、少しずつですがやる気を取り戻し、そして先程までは一心不乱でした。
最初は数百字程度だったのが、気付けば3万5千字オーバー……。良くこれだけの長ったらしい字数稼ぎが出来るもんだと、自分に呆れちゃいますね。
それでは、照烈異聞録第二十四話。最後まで読んでいただければ嬉しく思います。
少し時間を遡り、荊州南郡は樊県。この県は漢水(長江の支流)を挟み、同郡の襄陽県を対岸に臨んでいる。ここの県令を任されているのは劉泌と言う人物で、彼には年頃の養女が居た。
その養女であるが、彼女は実に複雑な経緯の持ち主である。今を去る事数年前、彼女は幽州涿郡から荊州長沙郡※1は羅県の名家である寇家に養女として迎え入れられた。
だが、間もなくして、彼女はその里親である寇夫妻が相次いで亡くなる災難に見舞われてしまい、当時まだ幼かった彼女は行き成り路頭に迷ってしまったのである。
本来なら、実家のある幽州に戻るのも一つの手ではあった。然し、彼女には自分なりに抱いた志がある。
『私、叔母さん夫婦に必要とされたから、荊州へ養子に来たんだよ? だから、私……立派になって見せようってと思ったの。今更おめおめ戻る事なんか出来ないし、『出戻り』と陰口叩かれて、故郷の皆に迷惑掛けたくないよっ! 』
結局、己の信念を曲げなかった彼女は、その後寇家の親戚中をたらい回しにされた。そして、遂には巡り巡って養父方の叔父であり、劉家と養子縁組していた劉泌の所に回されたのである。
この頃、既に劉泌本人は樊の県令になっていたのと、それなりに地位と財力を持ち合わせていた事もあり、彼は彼女を新たに養女として迎え入れる事にしたのだ。
幸か不幸か、その彼女は寇姓を名乗る前は劉姓を名乗っており、新しい姓となった『劉』の姓を名乗る事に何ら抵抗は無かった。
その彼女とは――姓は『劉』、名は『封』、字を『徳然』、真名を『奏香』と言い、現在十六歳。奇妙な運命に導かれた奏香であるが、新たな住処となった樊県にて、彼女は『頼れる男の子』と出会ったのである。
その『頼れる男の子』の彼であるが――
「ふぅ~~~! 我ながら美味しく出来たな? 時々自分の腕が信じられないと思うぞ 」
城下町に存在する少し大きめの家の中で、その彼は御満悦で麺をすすっていた。年の頃は十六・七位だろうか? 少々大人びて見えなくもないが、一刀より体つきは小さいし、顔つきも幼く見える。
「ったく、あの糞親父に馬鹿兄貴! 普通可愛い末っ子の生活費を置き忘れるか? 本当に考えられないぞ! あの二人のお陰で、今日も手作り具無し※2湯麺での昼飯だ! 」
自分で作った『具無しの湯麺』を食べる手を止め、彼はムスッと顔を顰めて見せると、何処かを睨みつけて一人毒づいた。
「……はあっ、たまにはちゃんとした料理が食いたいよなぁ~~~。乾焼蝦仁(エビチリ)、青椒牛肉絲、棒棒鶏とかさ……。やっぱ、具無しの湯麺ばっかじゃ飽きちまうよ 」
彼の父は多少なりの商いをしており、既に父の補佐を務めていた兄である長男を従え、先日仕事の為に南の武陵へ出掛けてしまったのだ。然し、その父と兄は、事もあろうか必要な生活費を、留守を任せた彼の為に置いていかなかったのである。おまけに、長らく家を留守にする事もあってか、僅かな使用人達には全員暇を与えていた為、憐れ残された彼は孤立無援となってしまったのだ。
『こんなんじゃ飢え死にしちまうよ! 早速あの二人に金を寄越せって文を送らないと! 』
そう言うと、彼は慌てて文をしたため、武陵方面に向かう行商に頼み込んでそれを送らせるものの、運良く十日後に帰ってきた父の返書を見た瞬間――彼は愕然となってしまった。
『テヘッ、ゴメンネ? 悪いのだが、父さんも寧にも、お前に送れる程の余裕が無いのだ。済まないが、暫くの間何とかしてくれ。なんなら、家にあるモン勝手に食っても構わんぞ? 但し、拾い食いだけはしないように!
――父より―― 』
『……あんの、糞親父ィイイイイイイイイイッ!!! 一銭も送る気が無いのかよっ!? 』
返書に書かれていたそのふざけた文面に、彼はこの場に居らぬ父目掛け、心底から呪詛の言葉を吐いた物である。家に金庫はあると聞かされた事はあるが、鍵は常時父が持っている為自分では開ける事が出来ないし、おまけにその所在すら息子である彼には知らされてなかったのだ。
然し、彼は挫けなかった。幸いにして、自身は子供の頃から武芸や学問だけでなく、自立出来るよう家事を含めて一通りの事が出来るよう仕込まれている。気持ちを切り替えた彼は、僅かばかり残っていた十銭ほどの小遣いを取って置くと、家の中に残っていた小麦粉とかの食料を上手く工夫して、毎日の食事をそれで賄う事にした。
現に、今彼が食べている『具無し湯麺』の麺も自作であったし、湯に至っては隣家に住んでいる老夫婦から分けてもらった物である。それと、彼には『強力な援軍』が存在していた。
その『強力な援軍』であるが――
「でぇぇぇぇぇいっ!! 」
威勢の良い掛け声と共に、一人の少女が玄関の扉を開けて、家の中に雪崩れ込む。彼女は両手に鍋を持っていた。
「雄雲ちゃん、雄雲ちゃん! あのねあのねっ! 」
「奏香……。前にも言ったと思うが、行き成り雪崩れ込んでくんなよ? それと……今日も持ってきてくれたんだな? お陰で助かる 」
「あ……うん。これ、牛肉と大根に※3粉皮をお醤油で煮込んだ物なんだけど、良かったら食べてね? 」
「おおっ!? これ、奏香が作ったんだろ? 相変わらず美味そうだし、お前だったらいい嫁さんになれるぜ? そんじゃ、いっただきまーす♪ 」
「えへへへへへへ……。お、お嫁さんって、何だか照れちゃうな? でもね、私は雄雲ちゃんと……って、ちっがーう!! そうじゃなくって! 雄雲ちゃん、聞いて聞いて!! 」
『雄雲』と呼ばれた彼が、『奏香』と呼んだ彼女に対して顔を渋くさせるものの、奏香が両手に持った鍋の存在に思わず頬を綻ばせる。早速雄雲が彼女から鍋を受け取り、煮物を皿に載せてそれに箸をつけようとした瞬間。又しても奏香は声を大にして叫んだ。
「あ? どうしたんだよ、一体? 」
「実はね、この前故郷(幽州)の知人からお便りが届いたの。これ、読んで貰えるかな? 」
「ふぅ~ん。要するにだ、これを読んで貰いたいが為にわざわざ人の家に雪崩れ込んできた訳か? 全く、だったらそんなに騒ぎ立てなくっても良いだろうに……。まぁ、いい。それじゃ、読ませて貰うぞ? ふむ、ふむ……んなっ!? 」
奏香が一巻の竹簡を雄雲に手渡すと、彼はそれを紐解き、書かれている文面に目を通し始める。最初の内はいかにも興味無さげな雄雲であったが、段々と読んでいる内に彼の表情が見る見ると変わっていくのが窺えた。
「これって……。お前がいつも話してくれた『桃香ちゃん』、おっと『玄徳さん』の事だろ? あの人、マジで黄巾討伐の義勇軍立ち上げたのかよっ!? 」
「うんっ、そうなんだよ! 桃香ちゃんって、余りお勉強は得意じゃないし、取り立てて腕っ節もある訳じゃなかったけど、正義感だけは人一倍強かったんだもんっ! 私ね、桃香ちゃんなら、絶対将来何か大きい事するんじゃないかって思ってたんだよ? 」
感嘆を交えて雄雲が言うと、奏香は我が事の様に満面の笑みで答えて見せる。彼女には、自分より一つ年上の従姉がいた。当時の事を思い返したのか、奏香は未だ興奮冷めやらぬといった風である。
「小さい時なんかね、村の大きな桑の木をじっと見詰めてさ、そしたら桃香ちゃん『私も大きくなったら天子が乗る馬車に乗るんだ 』って言ったもんだから、私のお父さんが慌てて口を塞いだ事もあったんだよ? 」
「ふーん……で、おまいさんは、一体何が目的なんだね? 確かに、玄徳さんが義勇軍立ち上げたのはマジで凄いと思う。だけどさ、人が昼飯食ってる時に、それもわざわざ扉を蹴破って来てまで話す事じゃないと思うんだがねぇ……。大抵、さっき見たいな前振りでお前が来るってのはもうお決まりなんだよ? ったく、悪い癖だぜ…… 」
「う゛っ…… 」
然し、突然彼はじっと奏香を見詰め始めると、少し間を置いてから彼女に尋ねた。半目になった彼が、ジトッと奏香を見やると、対する奏香は図星を突かれたかの様に呻いてしまう。すると、彼女は両手をパンと合わせて拝み倒すかのように叫んだ。
「一生のお願いっ!! 」
「ハァ~~~ッ 」
懇願してくる彼女に、雄雲は『またか』と内心呆れ帰ってしまう。思えば、彼女と知り合ったのも、父がここの県令劉泌とは昔からの親友だったからだ。互いの父に引き合わされた二人は、同い年と言う事もあってか、それ以来『幼馴染』の関係を築き上げ今日に到る。
奏香は生まれ故郷にいた頃、私塾で学び良い成績を修めていたと聞かされていた事もあってか、確かに学識深かった。……だが、そんな彼女には少し困った所があった。
雄雲はある程度の事は一通りこなせる事が出来るし、頼りにされがちなのもある為か、奏香は何かにつけて『一生のお願い』と彼を拝み倒す悪癖があったのである。
「あのさぁ……始めてお前に出会ってから、彼是四年程経つが、お前の『一生のお願い』は今ので通算千と二百十六回目だ。何を頼むのかは知らんが、いい加減俺を当てにするのを止めろよな? 」
気疲れした風で、雄雲はつい最近彼女に頼まれた事をぼやき始めた。
「現に俺は昨日、その『一生のお願い』で木から降りられなくなった猫を助ける羽目になったし。一昨日なんかは、干してたお前の下着かっぱらった奴と命懸けの取っ組み合いしたしな…… 」
「え、えぇ~~とぉ、そのぉ…… 」
然し、彼女の『一生のお願い』は、大抵が自分なら出来そうな範囲内であったので、その都度彼女のお願いに答えて見せた物である。今回も余り大した事ではないであろうと思い、雄雲は不承不承頷きながらも彼女に応じてみせた。
「しょうがねぇなぁ……。で、今回の『一生のお願い』は何だ? 出来る範囲でならやってやるぞ? 」
「え、本当にいいの……? 」
「『出来る範囲』だけだからな? 」
少し上目遣いで彼を見やりながら、奏香が尋ねてくるが、雄雲は釘を打つが如く言い放つ。然し、次の彼女の答えを聞いた瞬間――彼は全力で拒否した。
「あのねっ、私も黄巾討伐の義勇軍を立ち上げたいのっ!! 」
「却ッッッ下だっ!! 」
「え~~っ!? どうしてさー!? 」
彼の拒否発言に、奏香は眉根を吊り上げ食い下がらんとするが、雄雲の方も眉を逆さ『ハの字』にして言い返す。
「あのなぁ、大方お前の事だ。従姉の玄徳さんに感化されて、それなら自分もって思ったんだろ? だけどな、冷静に考えてみろ。義勇軍義勇軍って簡単に言うけどよ、金も要るし人も要るんだぞ? 多分だが、玄徳さんの場合はその『金と人』が運良く集まったからこそ、それが出来たんじゃないのか? 」
「うんっ……言われてみれば確かにそうだよね? 」
「第一、お前はここの県令の養女にしか過ぎないし、俺に至っては儲けの少ない商人の小倅だ。こんな俺達に、まともな金と人が集まる訳無いだろうっ!? 大体、そんな真似したら劉泌さんを困らせるだけじゃないかっ!! 」
「うっ…… 」
激しい剣幕で雄雲からやり返され、奏香はシュンとうなだれるが、雄雲は少し表情を和らげて見せた。
「まぁ……お前も曲がった事が嫌いなのは良く知ってるし、俺もあの『黄巾賊』は嫌いだ。取り敢えずはさ、駄目元でも良いから劉泌おじさんに言って見たらどうだ? 何だったら、俺もついてってやるぞ? 」
「雄雲ちゃん…… 」
思わぬ彼の提案に、奏香の表情が明るくなった。
「それにさ、俺もお前もお互い十六だ。世間一般じゃ、一人立ちしてもおかしくない年頃だしな? まっ、俺もちゃらんぽらんな親父達に飢え死にさせられるよか、外の世界で何かした方ががマシさ。義勇軍は無理だとしても、どこかの軍に義勇兵としてついてくのも手だぜ? 」
「雄雲ちゃん! だーい好きだよっ!! 」
雄雲の言葉に感極まり、思わず奏香は彼に抱きついてみせると、途端に雄雲は顔を赤らめる。
「ばっ、馬鹿っ!! 何考えてんだよっ!! 恥ずかしいだろう! 」
こうして、奏香は雄雲を伴い、養父劉泌に自分の決意を話した。その話を受け、最初養父の彼は難色を示す。然し、養女の『大切なお友達』で、親友関定の息子雄雲は可也出来た人物だ。そんな彼なら、上手く彼女を補佐してくれるだろうと判断し、奏香に幾許かの軍資金を用立てするだけでなく、何と彼は自分の私設武官まで二人に同行させたのである。
「それじゃ、坦之、いや雄雲君。ウチの娘を頼んだよぉ~~! 何せこの娘おっちょこちょいだからね? お父さんとしては心配なんだよぉ~! それと、修ちゃんの方も、この二人をちゃんと護ってくれよな? 」
それから数日後、劉泌の屋敷の門前には数百名の義勇兵が集まっており、奏香と雄雲に『修ちゃん』と呼ばれたその武官は、奏香の養父である劉泌の見送りを受けた。
劉泌は五十手前の明るい雰囲気の男で、気さくな人物である。何せ、赤の他人である奏香をすんなり養子として受け入れただけでなく、まるで最初から親子であるかのように接していたからだ。
「もっ、もうっ、お父さんってば! 声高にそんな事言わないでよぉ~! とっても恥ずかしいじゃない! 」
「はっ、ははっ。それじゃ、劉おじさん。奏香の事はお任せ下さい 」
「あぁ、判ってるよ劉のオヤジ。俺にとっても、この二人は弟や妹みたいなモンだしな? それに、場数は俺の方が踏んでるし、どんな時もこの二人を護って見せるさ 」
一方の見送りを受ける三人であるが、義勇軍として戦いに赴くだけに、それぞれ武装していた。奏香は明るい薄茶色の帽子を被り、軽装の鎧を身に纏っていて、腰には細身の剣を佩いている。奏香自身、実戦経験はほぼ皆無であったが、いざと言う時自分自身を護れるよう養父から手ほどきを受けていたのだ。
雄雲の方であるが、彼が着ている鎧も本格的な造りの物で、その上に濃緑色の長衣を纏い、頭にはそれと同色の鉢金をつけた頭巾を被っている。そして、彼が右手に携えた青龍偃月刀は、可也の威圧感を放っていた。
実はこの雄雲。彼は昔、父や兄に同行して旅に出たその道中で、盗賊どもと斬り合いを演じ、大なり小なり人を殺した経験があるのだ。それ故に、今回黄巾討伐の義勇軍を立ち上げたいと言う奏香の願いを叶えてやろうと、彼は決心したのである。
そして、最後の武官の彼であるが、彼は姓を陳、名を到、字を叔至、真名を『修史』と言い、現在二十歳。彼は身の丈七尺(約百六十三センチ)の、非常に小柄な青年だが、意外にもその膂力は強靭で、劉泌から自身の護衛を任されるほどの武勇を誇っていた。
彼は元々孤児で、樊の城下町で盗みを働きながら暮らしていた所を、県令に着任して間もない劉泌に拾われた経緯がある。それ以降、修史は劉泌を父同様に慕うようになり、彼の為立派な大丈夫にならんと、武芸の鍛錬に励んできたのだ。
また、彼は劉泌の養女たる奏香や、その親友である雄雲と兄弟同然に接するようになり、時間があれば二人に武芸の手解きをしていたのである。一方の二人にとっても、修史は正に頼れる兄貴分でもあったのだ。
そんな三人を頼もしげに見やりながら、劉泌は何時もの様な軽い口調で彼等に話しかける。
「さてと……いいかね? 義勇軍として活躍したかったら、北の南陽に行って見ると良いよ? 現在、あそこじゃ張曼成って黄巾の大幹部が大暴れしてるんだ 」
あちらの情勢を思い出すかのように、劉泌は少し眉根を吊り上げた。
「オマケに、あそこの太守袁術は救いようの無い『オバカ』でねぇ~! 自分の統治する郡がこんな事態になっているのにも拘らず、まともに手を打たないどころか、長沙の太守孫堅に鎮圧を命じてるんだよ。全く、両者の間に何があるか知らないが、腹の立つ話だよねぇ? 」
「ええ~~っ!? 郡の太守さんなのに、袁術さんって人は何もしてないの!? 」
「何だよそれ……。それだったら、ここの太守劉表の方がまだマシってモンだぜ? 」
「しょうがない、何せ袁術はまだ十三のガキだからな? オマケに側近の張勲って奴も、舌先三寸が得意の可也なクセモノだ。自分等は手を汚さずに、敢えて他力本願で難局を凌ぎきる……。虫唾が走るな 」
「それでだがね、売り込むんだったら、袁術ではなく孫堅の方にしなさい。孫文台は『江東の虎』と呼ばれるほどの戦上手だし、何よりも人としても優れているしね? 恐らくだけど、彼女はこれからも更に伸びるかもしれないよ? 」
そして、彼はニッと口角をゆがめて見せる。何だか、今の劉泌は腹に一物秘めてるようにも思えた。
「私が言うのも何だが、君達三人は中々のモンだと思う。もし、何だったら孫堅さんの部下になっても良いんだよ? そしたら、私はこんなとこの県令なんざ即辞めて、働かずに悠々自適の隠居生活! うぅ~~ん、考えただけでも……グフッ、グフグフグフグフフ~~ッ!! 」
「お、お父さん…… 」
「あ、あのー……おじさん? 」
「またかよ、このぐうたらオヤジが…… 」
最後の方で、トンでもない自分の老後を妄想する劉泌の姿に、三人はしらけ顔になってしまう。然し、そんな彼を他所に修史は奏香と雄雲に話しかけた。
「さて、オヤジが言った事だが、最後の方は聞かなかった事にしても、南陽で戦ってる孫堅に売り込むのは俺としても賛成だ。お前達はどうだ? 」
「うんっ、修史ちゃんの言う通りだよね? だったら、そこに行こう! 」
「だな、のんべんだらりと回るよりは、明確に戦ってる方に行くのが正解だぜ 」
「よしっ、それじゃ行動を起こさないとな? ほら、奏香。総大将はお前なんだ、早速号令を掛けろよ? 」
二人が頷いて見せると、修史は満足そうに頷き返し、そして義勇軍の総大将である奏香を促した。彼に促され、彼女は慌てて後ろを振り返ると、自分達に付き従う義勇兵達に声高で号令を下す。
「みんなー! 私達はこれから南陽郡の方に向かうよー! そして、黄巾達をやっつけよう! 」
「「「「お~っ!!! 」」」
「よしっ、それじゃ出発だ! 目指すは北の南陽。それまでの道中、皆気をつけて行けよっ!? 」
「無茶はするんじゃないぞっ? 具合が悪くなった奴は直ぐに俺達に申し出るんだっ! 」
こうして、彼等は未だに不気味な含み笑いを続ける劉泌を放置し、一路北の南陽郡を目指した。その道中、彼等は黄公衡なる少女と知り合うと、彼女を参謀として迎え入れる。無事南陽に到着した彼等は、袁術から黄巾退治を丸投げされた孫文台の軍に馳せ参じ、張曼成を撃破すると言う見事な戦果を上げたのだ。
また、雄雲の戦働きには目を見張る物があり、一騎打ちの末に張曼成の首を取ったのである。そんな彼に、孫堅こと青蓮は、『正に虎児(虎の子)である』と評した。
雄雲を真名に持つ、この少年であるが、彼は姓を『関』、名を『平』、字を『坦之』と言い、歳は奏香と同い年の十六歳。
青蓮から『虎児』と評された彼は、後に『劉家十二神将』の次に位置する『劉家五虎将』の一人に名を連ねたのである。後年劉家を武で支えた『虎臣』たる彼も、この時はまだ幼く『虎児』にしか過ぎなかった。
こうして、南陽の黄巾を鎮圧した青蓮は、奏香を自分の前に召し出す。曹孟徳程ではないにしろ、優れた人材を常時欲した彼女は、早速この智勇徳を兼ね備えた面々を、己が臣として手元に置きたかった。だが、対する奏香は彼女からの誘いを丁重に断ったのである。
『申し訳ありません。文台様のお申し出は大変嬉しいのですが、私会いたい人がいるんです。ですから、その人と再会するまでは誰にもお仕えしたくありません…… 』
『そう、残念ね……。ならば、劉徳然殿。いま少しの間私達に付き合ってもらえないかしら? 』
『はい、それは別に構いません。国を憂い、黄巾をやっつけたい思いは官軍であろうと平民であろうと関係ありませんからッ! 』
『ありがとう、徳然殿……。実はね、先日私達が蹴散らした南陽の黄巾の残党なんだけど、奴等は散り散りになった仲間をかき集め、どうやら予州は潁川の方へ向かったらしいのよ。
漢に仕える者として、私は奴等を殲滅させなければならない。恐らくだけど、潁川の黄巾を全滅させる事が出来れば……。二度と黄巾どもが姿を見せる事は無いでしょうね? 』
『判りましたッ! 私、やりますッ!! 』
『フフッ、期待しているわよ? 』
かくして、戦いの疲れも癒えぬまま、青蓮と奏香の軍は新たに予州は潁川目指して行軍を開始する。その際、青蓮は散々袁術と張勲を睨みつけ、吝嗇で我侭なOBAKAどもから軍費と糧秣を出させたのだが、それも微々たる物であった。潁川に到着した彼女等は、そこで思わぬ再会を果たすのだが、それはまだまだ先の事である。
――時間を現在に戻し、予州潁川郡は長社県。城内のとある一室にて――
「朱閣下ーっ!! 」
「どうしたっ!? 何事かっ!? 」
臨時の司令室であるこの室内に、伝令の兵士が息を切らして駆け込んできた。彼は少し呼吸を整えると、卓の向こう側の『朱閣下』こと朱儁に報告を始める。
「はっ、援軍がこちらの方へ向かっているとの事です! 旗印は『皇甫』と『曹』との事で、恐らく左車騎将軍の皇甫閣下と陳留郡太守曹孟徳殿かと思われますっ!! 」
「そうか、やっと来たか……。あと少し遅ければ、今頃我等は晒し首になっている所だったぞ 」
報告を受け、先程までこわばったままであった朱儁の表情も少しばかり解れる。朱儁は字を公偉と言い、役職は右中郎将。今回彼は予州方面の黄巾を討伐するべく、波才率いる軍勢に当った訳なのだが……。この時朱儁は敵を舐めてかかってしまった。
愚かな事に、彼は全くの無策で黄巾どもと干戈を交えてしまう。朱儁は菖蒲こと鄒靖からは、『勇猛果敢であるが、剛直が過ぎ、柔軟さと協調性に欠けている 』と評価されており、自身が得意とする勢い任せで敵に当たったのだ。
然し、波才率いる予州の黄巾軍は真に強かった。あっと言う間に、朱儁は手勢の四割を失うと言う損失を出してしまい、ほうほうの体で長社の城に逃げ込む。以降、彼はそこから一歩も動かず、追撃してきた波才の攻撃に耐える日々を過ごしていたのだ。
「先ずは重畳で御座いますね、朱閣下? これで少しは報われると言う物です 」
「元直の言う通りです。後は彼等と連携を取る事が出来れば、逆に勝機を掴む事も可能かと 」
「ああ、そうだな……。然し、そち達二人がいなければこの朱公偉。今頃黄巾どもに晒し首にされ、主上の兵を無駄に死なせた咎を泰山地獄にて責められる所であった。真に感謝するぞ 」
兵からの報告を受け、朱儁が安堵の表情を浮かべていると、彼の後ろに控えていた二人の少年少女が彼に話し掛けてくる。朱儁は後ろを振り返り、二人に対して頭を下げて謝意を示すと、それぞれの手を強く握り締めた。
「いえ、礼には及びません。私達としても、一刻も早くはぐれた仲間に会わなければなりませんので 」
「はい、伯約師兄の申す通りです。先ずはここの黄巾軍を殲滅させなければ 」
この二人であるが、先日予州で朱里と雛里と生き別れになってしまった姜伯約こと風雷と、徐元直こと菊里である。あの後、二人は何とか死地を切り抜けると、命辛々長社の城に逃げ込む事に成功したのだ。
然し、そこから間もなく、今度は朱儁率いる官軍までもがここに駆け込んでくる始末。その軍勢の疲弊振りを目にした二人は、これは只事ではないと判断すると、二人は意を決して軍を率いる朱儁の許を訪れた。
『何だ、貴様等は……? ここは子供が来る所ではない、帰れ! それとも一兵卒として雇って欲しいのなら、他をあたるのだな? 』
最初、朱儁は自身の性格も災いしてか、自分の前に現れたこの二人の少年少女に対し、訝しげな視線を向ける。だが、そんな彼の視線に屈さずに、二人は名を名乗り、更には都でも知られた師母水鏡の名を出すと、流石の朱儁も思わず相好を崩した。
『お目通りを適えて頂き、恐悦至極にて御座います朱閣下。某は姓は姜、名は維、字を伯約と申す者です。某とこちらの徐元直は、荊州は襄陽の水鏡こと司馬徳操(『徳操』とは司馬徽の字)の下で学問や兵法を学びました。此度は某と元直の才を、閣下の御為に存分に振るわせて頂きたく思い、馳せ参じた次第。何卒、お聞き入れくださるようお願い申し上げます! 』
『お初にお目に掛かります、朱閣下。先程師兄の伯約に紹介されましたが、私の姓は徐、名は庶、字は元直。私も師兄には一歩譲りますが、兵法を学んでおります。どうか、師兄共々、お引き立て頂きたく存じ上げます! 』
『……何と、そち達は都でも高名な、かの『水鏡』の下で学んだと言うのか!? 天はまだこの朱公偉を見捨てていなかったか……。ならば、頼むっ! 二人とも、この儂に力を貸してくれ!! 先程は無礼な事を申してしまった、真に申し訳ない 』
『いえ、確かに閣下が仰られる通り、某も元直もまだまだ子供です。ですが、漢を憂える心は誰にも引けは取りませぬ。必ずや、我等二人が閣下を死地からお救いして見せましょう! 』
『私も伯約師兄も修行中の身ではありますが、武芸と兵法にいささか自負が御座います。先ずは、私達二人の手並みをご覧下さいませ 』
先程までの高圧的な態度を取り消し、自分達に平身低頭して懇願する朱儁の姿に溜飲を下げた二人は、兵の指揮権を朱儁から委ねられる。そこで彼等は、実に見事な手腕を発揮して見せたのだ。
幸いにして、城内の水源は枯らされていなかった為か、水には苦労する事が無かった。二人は頻繁に大鍋で湯を沸かせると、城壁をよじ登ってくる黄巾どもに熱湯を浴びせかけて叩き落す。時には兵や住民から出た排泄物をばら撒くといった、非常にお下品で汚い手段も厭わなかった。
風雷であるが、彼は師母水鏡からは『せっかちが過ぎる所もあるが、智と武の均衡が極めて高く、大将軍か三公に昇れる器であろう 』とまで評されており、菊里もまた『武は風雷に劣るが、智は彼に勝っている。彼女もまた三公になれる器だ 』と評されている。
そこまで師母に評された二人は、その期待を裏切らぬ働きを見せた。何と、彼等は少数の兵を用いてこっそり外に出ると、黄巾にとって貴重な軍需物資を掠め取る離れ業までをも演じて見せたのである。これにより、朱儁の兵は更に日数を稼ぐ事が可能になったのだ。
『お・のぉーれぇっっっ!! あの阿呆の朱儁の癖に、一体何処で優れた脳味噌に取り替えたと言うのだ? このままでは、我輩の面目が立たぬではないかアッ!! 』
ここまでやられてしまうと、流石の波才も責めあぐねてしまい、彼の方もまた悪戯に兵を損失させる訳には行かず只悪戯に日々を過ごす事しか出来なくなったのである。運悪く、彼には更なる凶報が知らされる。何と、冀州魏郡の黎陽が官軍に抑えられたと言うのだ。
黎陽を抑えられてしまうと、広宗の本隊もだがこちらの方も合流が出来なくなってしまう。――どうすればいい物か? そう思っていても堂々巡りに終わり、彼は軍を動かす決断が出来なくなってしまったのだ。
然し、そんな最中別の報せが彼の元にもたらされた。何と、広宗の大賢良師に代わり軍を率いる劉備が、大賢良師共々こちらの方へと向かっているとの事なのだ。この報せに上機嫌になった彼は、兵達を自分の前に集めると、彼等に対し声高に叫ぶ。
『黄巾の同志達よっ、喜ぶが良い!! 大賢良師様、地公将軍様、人公将軍様が我々の下へお越し下さるのだ!! 然るに、皆心を震わせよ! 黄巾の御世は直に我等の元にやってくるぞ!! 』
『オオオオオーッ!! 』
彼の言葉に兵達は士気を鼓舞されると、一斉に鬨の声を上げた。やがて、何処からか歌声が聞こえてくると、それは全体を包み込んで辺り一面に響き渡り、彼らの陣から数里離れた長社の城まで届いたのである。
『蒼天已ニ死ス~♪ 黄天當ニ立ツベシ~♪ 歲甲子ニ在リテ~♪ 天下大吉~♪ 』
「チッ……黄巾どもが下手糞な歌を歌っておる。実に聞くに堪えんな…… 」
黄巾が掲げる標語、『漢の時代はもう終わった、これからは我等黄巾の御世である 』――それを声高に謳いあげた物が城内の方にまで流れ込んでくると、朱儁は忌々しげに渋面を作った。彼に釣られるかのように、周りの者達も同じ様に顔をしかめてしまい、風雷と菊里もその例に外れていなかった。
「全くです。然し、あと少し持ち堪えさせればこちらの勝利です。奴等の下手糞な歌声も、やがて東嶽大帝の御前で披露される事となりましょう 」
「私も師兄と同じです。閣下、もう少しの辛抱です。先ずは、援軍が到着するまでの間、何としてでも長社を持ち堪えさせましょう 」
「うむ、全くそち達の申すとおりだな。それでは、あと少しの間。我等は持ち堪えて見せるとするか? 」
「「はっ!! 」」
――同時刻、長社の波才の陣より少し離れたとある街道にて――
「全く、聞くに堪えない歌声ね? これなら、春蘭か猪に詩を吟じさせた方がマシだと言う物だわ…… 」
「華琳様ー、そんな事を言っては春蘭ちゃんと猪さんに失礼という物なのですー 」
この下手糞な歌声を聴かされていたのは、何も朱儁達だけではない。波才を責め立てんと、ゆっくり忍び寄っていた曹操こと華琳と、皇甫嵩の方にまで届いていたのだ。
聞くに堪えぬ歌を聴かされ、馬上の華琳が渋面で悪態を吐いてみせると、すぐさま彼女の右隣で轡を並べていた程昱こと風が、気だるそうな声でそんな彼女を窘めた。
「オホンッ! 華琳様、後もう少しで波才の陣に斬りこめます 」
「ふむ……そうね。ならば、風に稟。取り立てて何か策はあるかしら? 」
わざとらしげな咳払いを一つして、郭嘉こと稟が華琳の左隣の方へと馬を進めてくると、華琳は表情を引き締めて自身の両隣に控える軍師を見やる。
「そうですねー。今は手筈通り事は進んでいますし、当初の予定通り奇襲で宜しいかと風は思うのですよー 」
「ええ、風の言う通りですが油断は禁物です。一気に襲い掛かり、大々的な痛手を負わせないといけません。先ず、第一陣の我々が一気に襲い掛かかり波才を撹乱。次に第二陣の皇甫閣下の手勢が陣に火を放つ。この通りにやれば、流石の波才でも一溜まりも無いでしょう 」
「判ったわ……。第二陣の皇甫閣下の方にも伝えて頂戴。『当初の予定通りで行く』とね? 」
「はっ! 」
「畏まりましたー 」
こうして華琳は命令を下すと、彼女は自軍の速度を速めさせ、士気を鼓舞するべく自身は陣頭に立った。愛馬絶影の腹を蹴り、華琳は馬を走らせる。その際、彼女は自分の両隣で懸命に馬を走らす二人の少女の姿を見やると、微笑ましげな笑みと共に彼女等に呼びかけた。
「季衣! 流琉! 二人とも、馬の扱いにはもう慣れたかしら!? 」
「はっ、はいっ! ボクは大丈夫ですっ、華琳様っ! 陳留にいた時、春蘭様に散々教えてもらいましたからっ! 」
「私もです、華琳様っ! 私も秋蘭様に丁寧に教えてもらいましたっ! 」
「そう、ならば重畳。二人とも、しっかり私についてきなさいっ! 」
「「はいっ! 」」
健気に答える二人に、華琳は満足気に頷いて見せると、彼女は更に馬を速く走らせる。一方の二人も、敬愛する主公に遅れてなるものかと必死の形相で手綱を握り締めた。
「流琉ッ! 一人でも多くやっつけた方のおごりだからねっ!? 」
「私だって……季衣には負けないんだからッ!! 」
懸命に馬を走らせながら、華琳に『季衣』と呼ばれた少女が、同じく『流琉』と呼ばれた少女に言うと、彼女は少しムキになった風でやり返す。『季衣』を真名に持つこの少女は、姓を許、名を褚、字を仲康と言い、一方の『流琉』であるが、彼女は姓を典、名を韋と言い、二人は何れもまだ十五歳の幼い少女であった。
この二人であるが、実に幼げで可愛らしい外見をしており、非常に小柄である。然し、季衣はその外見に似合わぬ強力の士で、巨大な鉄球を得物に敵兵をなぎ倒すその姿に、華琳は『我が※4樊噲である 』と褒め称え、自身の親衛を任せた。
一方の流琉の方であるが、彼女は分厚い円盤に太い縄を括り付けた形状の、一風変わった得物を得意としており、これを自由自在に操り大勢の敵を屠った物である。華琳はそんな流琉に、『古の※5悪来の再来である 』と褒め称えると『悪来典韋』とあだ名し、彼女にもまた季衣と同じく自身の親衛を任せたのだ。
これらの万夫不当で、且つ愛くるしい二人の豪傑を得た事に、華琳は大層喜んだ物である。何故なら、これまで自身の臣下において武に優れた者と言えば、春蘭秋蘭姉妹の両夏侯が筆頭であった。然し、この二人を常時自分の親衛としておく訳には行かない。
だがその一方で、戦場において安心して自分の傍に置ける程、信頼できる人物に欠けているのも家中の現状であった。確かに同族の曹仁と曹洪は武に優れているが、形骸上の同族にしか過ぎない彼女等を華琳は余り信用していなかったのである。
『いつも曹家の名ををひけらかす子孝(曹仁の字)に、吝嗇が過ぎる子廉の二人では、到底私の背中を任せる訳には行かないわね? 無論、文烈(曹休の字)と子丹(曹真の字)もあの二人と同じだわ 』
華琳は確かに沛国曹家の出ではあるが、その血筋を引いているのは祖父の曹騰であって、彼女の実父である曹嵩は夏侯氏の出自である。
父曹嵩は『宦官の養子』、自分自身は『宦官の孫』と揶揄されてきたが、何も彼女等を揶揄してきた存在は外だけではない。同族たる曹家の人間からも、揶揄されてきたのだ。そんな経緯があった為に、彼女は一際『血筋』と言う物を露骨に嫌悪していたのである。そんな血筋に頼らず、華琳は己の実力で現在の地位を勝ち取ってきたのだ。
現在、自身が従えてる者の中に、そんな『同族』の人間も含まれているが、彼女等が臣従しているのも華琳が力をつけた結果に過ぎなかったのである。
だが、華琳は春蘭こと夏侯惇と、秋蘭こと夏侯淵だけは自身が官に着いた時から片時も手放さず、常に自分の傍に置いていた。父曹嵩の実兄がこの二人の父親と言う事もあり、彼女等とは子供の頃からの付き合いだったのである。
この二人の姉妹は、自分より年少の従妹を『将来の主君』と仰いでおり、来るべきその日に備えて研鑽を重ねていたのだ。やがて、華琳が郎に任じられると、二人はこぞって彼女付きの武官としてその手腕を発揮して見せたのである。
そして、遂に陳留郡太守に命ぜられると、華琳はこの二人をそれぞれ『都尉』、即ち郡の治安をひいてはその軍勢を統括する役職に就ける。だが、同時に彼女は重大な課題を抱える事となった。それが、先程の『自分の背中を任せる人物』だった訳である。
然し、華琳は季衣と流琉を得た事によって、その課題を解決する事が出来た。愛馬絶影を走らせ、彼女は自分に必死に付いて来る二人の少女に、頼もしさと愛しさを交えた熱い眼差しを送る。
『フフッ……季衣、流琉。二人とも実に純粋で、私を慕ってくれている可愛い娘達……。さぁ、我が樊噲と悪来よ……この曹孟徳の前で、思う存分その力を振るうが良い!! 』
艶かしく舌なめずりしてみせると、華琳は一気に表情を引き締め、愛用の得物である大鎌『絶』の柄を握り締めた。その大鎌の刃は、これから黄巾どもの魂を刈り取るかの様で、それは妖しげな煌きを放っていたのである。
さて、曹孟徳こと華琳は同族である曹家の人間に対し身贔屓はせず、一つでも優れた物を持っていれば身分の貴賎を問わずに人材を登用し、彼女の家中は正に『実力主義社会』を形成していた。
然し、それとは裏腹に、実際の血族である夏侯惇と夏侯淵だけは、常に重職に就けていたのである。これに関し、後世の歴史家『家 康像』は以下の様に述べていた。
『地方の一太守に過ぎなかった曹孟徳が、一代であそこまでの一大勢力を築いたのは周知の事実であるが、その原動力の一つに『血筋へのアンチテーゼ』も含まれていたと思われる。
だが、そんな彼女でも実際の血族である夏侯惇と夏侯淵の姉妹だけは終始重職に就け、国の大事を任せていたのだ。確かに、夏侯元譲と夏侯妙才の姉妹は将として優れた才能を持っていたが、血筋を好ましく思わぬ曹孟徳が、その血筋を頼りにしていたのは何とも皮肉な話である 』
「さあてっと、それじゃ爾特、蘭花ちゃん、行くわよ? 黄巾どもにアタシ達の戦い振りを見せ付けなくっちゃいけないとね!? 」
大枚を叩いて入手した駿馬に跨り、雪露こと曹真は鞭を片手で、不敵な笑みを浮かべてみせる。そんな彼女を目の当たりにし、両隣で控えていた爾特こと鄧艾と、蘭花こと郭淮は呆れ顔になってしまい、それぞれ馬を雪露の方へと寄せてきた。
「おい雪露、お前は子孝(曹仁の字)の副将だろう? 副将のお前が、主将たるアレを出し抜いてどうするんだ? また、あの癇癪持ちがわめき散らすぞ!? 」
「えぇと、雪露さん。お気持ちは判りますけど、ここは爾特君の言う通りです。只でさえ、子孝さんは癇癪持ちなんですから、雪露さんが出し抜いたらあの人に何言われるか判りませんよ? 」
然し、そんな二人の諫言に耳も貸さずと言った風で、雪露はきっぱりと言い放つ。
「フンッ、あの発育不良な『わがままお嬢』には『忠犬』が居るんだし、アタシが補佐に回ろうモンなら却って火に油を注ぐだけよ? 取り敢えず、連携崩さなきゃ良いんでしょ? それに、子孝の奴はアタシを嫌っているしね? まぁ、アタシもアイツは嫌いだけど 」
「まぁ……確かにそうだな。俺もアイツの面倒は見たくないぜ? アレの従者、満伯寧には同情したくなる時があるしな…… 」
「うんっ……確かにそうだよね。私もあの人苦手だし……。伯寧さんも凄いよね? あの子孝さんの酷い仕打ちに、いつも耐えてるんだから 」
忌々しげに顔をしかめる雪露に、爾特と蘭花も複雑な顔になると、雪露は遥か前方を見やった。そんな彼女の顔には、どこか儚げな物が窺える。
「アタシはね、名門に相応しい人間になるべく、あらゆる努力をしてきたわ……。生まれではなく、アタシは自分自身の力で名門足り得たいのよッ!! だから、折角得たこの好機。アタシは見す見す見逃す気は無いわッ!! 」
「雪露…… 」
「雪露さん…… 」
表情を曇らせて、爾特と蘭花が雪露を窺うが、行き成り彼女はパッと明るい笑顔になって見せた。
「さぁっ、湿っぽいのはこれ位でやめにしましょ? 先ずは前方の黄巾どもに、この雪露様が『滅びの歌』を歌わせてあげないとね!? 」
「……ああっ! 」
「はいっ! 」
爾特と蘭花が笑顔になって見せると、雪露は手にした鞭で地面を打ち鳴らし、声高に号令を掛けた。
「いっくわよーっ……アタシの後に続けぇーっ!! 」
「曹真隊、全員続け! 但し、こっちの前方を行く曹仁隊を出し抜くなよッ!? 」
「みんなーっ! 力を貸して! 敵をやっつけるまでっ!! 」
「オオオオーッ!! 」
爾特と蘭花も彼女に続くと、士気を鼓舞され、兵達は雄叫びを上げる。沛国曹家の人間の中でも、雪露は一際優れた才覚を持っていた為か、彼女の持つ兵の質も実に高かったのだ。
かくして、形式上では自分の主将に当たる曹子孝こと曹仁の兵を刺激せぬよう、彼女等の隊は意気揚々と敵陣に向かって行ったのである。
「子孝様ッ! 後方の子丹様の隊が動きを速めてまいりましたッ! 」
「なっ、なんですってぇっ!? きぃ~~っ! あんの、胸デカ女!! 一体ナニ考えてんのよッ!! 」
一方、雪露こと曹真の隊より前方に位置する曹子孝こと曹仁の隊。一人の兵士から報告を受け、馬上の子孝は甲高い声で喚き散らしていた。子孝は華琳と同い年の十六歳で、桃色が掛かった柔らかな金髪に白磁の様な肌を持った小柄な美少女である。
今回、彼女は両夏侯の代わりとして曹家の武として参陣していた。この子孝であるが、司馬仲達こと仙蓼から『両夏侯に匹敵するほどの武を誇る』と称されているだけあって、己の武に一際自負を持っている。彼女は、自分に合わせて作らせた特注品の朴刀を得物としており、それには煌びやかな装飾が施されていた。
「フンッ、あの胸デカがせっついて来たって事は、早く軍を進ませろッて事ね? こうなったら……賽特!! 」
不満げに鼻を鳴らすと、子孝は後ろを振り向き、彼女の直ぐ後ろに控えていた少年を呼びつけた。
「何だよ、露意思 」
恐らく子孝の真名であろうか、少年は彼女を『露意思』と呼ぶと、不貞腐れた風で頬を膨らませる。然し、彼女はそれに取り合おうともせずに大声で喚き散らした。
「アンタも聞いたでしょ? 子丹の奴が動きを速めてきたわ。同族に出し抜かれる様じゃ、曹家に生まれた者としての名折れよっ!? さぁ、こっちも急ぐよう兵達に伝えなさいッ!! 」
「へいへい…… 」
『またか』と言わんばかりに、『賽特』と呼ばれた彼はげんなりした顔になるが、彼は直ぐに表情を改めると近くに居た卒長に命令を伝えた。
「今の聞いただろ? こっちも急がせろっ! 曹真隊に追いつかれるなよっ!? 」
「はっ、伯寧様ッ! 」
命令を伝えるべく、卒長が自分の元から去っていくのを確認し、伯寧と呼ばれた賽特は前に向き直る。すると、自分の目に飛び込んできた光景に、すぐさま彼は顔を険しくさせた。
「さあっ、この子孝様の後について来るのよっ! あたしの兵である以上、敵に後ろを見せるのは赦さないからッ!! 」
「全く……孟徳さんお気に入りの夏侯惇じゃないんだ。後先考えずに前に突っ込むなんて、馬鹿でも出来るぜ…… 」
何と、既に露意思は得物片手で愛馬を走らせ始めていたのである。露意思こと曹仁は、常時名門の生まれである事を己が誇りとしていた。だが、性質の悪い事に自身の生き様を部下にまで強要する所がある。現に、今こうして彼女一人が暴走を始めているのも、その表われであった。
「まっ、しゃあないなぁ……。アイツ死なせたら、後でアイツの親父さんからナニ言われるかわかんねぇし、アイツ抑えられんの俺だけだしなァ…… 」
諦めきった風でぼやいて見せると、伯寧は背に括り付けてあった長剣を抜き放つ。そして、彼女を見失わぬよう自身も馬を走らせ始めた。
この賽特であるが、姓は満、名を寵、字を伯寧と言い、現在十七歳。幼い頃から露意思の家に仕えており、将来の主人である彼女を補佐するべく、智勇両面で鍛え上げられた俊英である。後年、彼は主人共々大役を任されるようになるのだが、この時はまだしがない一従者にしか過ぎなかった。
「おうおう、皆はん血気盛んでんなぁ~♪ 」
一方、曹家軍どころか、第二陣の皇甫嵩の軍の最後尾に位置する佑の隊。殺気立って、波才の陣目掛け雪崩れ込もうとする軍勢の姿を見やり、佑はニヤリと笑みを浮かべる。華琳はハナッから彼を当てにしておらず、一番安全な最後尾の方に回していたのだ。
「隊長、その様に悠々と構えているだけですかっ!? 既に皇甫閣下の第二陣も動いていますよっ!? 」
「せや、そんなのんきに構えてたら、ウチらまた能無し呼ばわりされるで? 」
「むーっ、隊長ー! 遅いのは『ソッチの方』だけでいいのー!! 」
「なっ、沙和ッ!? 何でそれを知っとるんっ!? ワイと仙蓼だけの秘密やのに……。さては、お前エスパーかっ!? 」
「御遣い様、ボケるのはそれ位にして下さいませ! 」
「あだっ!! 」
凪、真桜、沙和の三人に突っ込まれ、特に沙和のツッコミに佑がボケてみせると、すかさず赤面した仙蓼が手にした張り扇で彼の頭をドツいてみせる。そんな彼等の漫才染みたやり取りは、彼が率いる三百名の兵達からの哄笑を誘った。
「さてと……みんな、これで少しは肩の力抜けたかァ? 」
仙蓼からどつかれ、ずり落ちた眼鏡と帽子を直して見せると、佑はキリッと表情を引き締め部下達に向き直る。一方の仙蓼を始めとした将や兵達の方も、彼の変わり様を見て一気に姿勢を正した。そして、佑は出立前の時と同じ様に、英雄然とした素振りで演説を始めたのである。
「ここに集いし勇者達よ! 今こそ我等は黄巾どもに襲撃をかけるっ! 私に従えば、諸君等には必勝の二文字がやって来る! 一つでも敵の黄巾を奪ってきた者には、それなりの報いを以って応えて見せよう! 」
真剣な表情で演説に耳を傾ける兵達の反応を見やりつつ、佑は大仰に彼等の前で右手を広げて見せた。
「敵の頭巾一つにつき五十! 大将首を取った者には……五千だ、五千出そう!! 勇者達よ、敵の黄色い頭巾を奪って来いッ! 生きて大金を持ち帰り、極上の女や美酒を味わう為の足しにするが良い!! 」
彼のその言葉を聞いた瞬間、兵達全ての目が点になると、直ぐに彼等の間からざわめきが聞こえ始める。五十銭と言えば、月の給金の約一割に相当する額だ。おまけに五千銭ともなれば、中々お目にかかれぬ大金だったのである。そして、遂に彼の言葉が信じきれなかったのか、一人の若い兵士が挙手と共に大声で彼に尋ねた。
「眼鏡隊長殿ッ! お聞きしたい事がありますッ! 敵の黄巾一枚につき五十、大将首に五千とは本当の事なのでしょうか!? 」
「当たり前だッ! 私を信じろッ! これから死地へ赴けと、私は君達に難儀な命令を下すのだッ! ならば、然るべき形で報いるのは当然の事ではないかッ!? 」
目をカッと見開き、佑がキッパリ断言して見せると、忽ち兵達の間から歓声が飛び交う。それは熱気の渦となり、佑達を包み込んだ。
「隊長ッ! 眼鏡隊長万歳ッ! 眼鏡隊長万歳ッ!! 」
然し、佑の言葉を信用していなかったのは兵達だけではない、彼の傍に控えていた凪、真桜、沙和も疑わしげな視線を彼に向けていたのである。歓声を上げ捲る兵達への不安を胸に抱きながら、三人は彼に話しかけた。
「隊長、先程のお言葉なのですが……。隊長が華琳様から頂いてる月の小遣いは、精々七百銭程度じゃないですか? その様な大金、本当に用立てているのですか? 」
「せや! ウチ等かて六百銭程度しか貰ってないで? もし、それがホンマやったら……。アカン! 『からくり夏侯惇将軍』の新しい奴が欲しくなるやんか! 」
「隊長ー、ウソツキは泥棒の始まりなのー。でも、それが本当だったら……沙和は新しい服が欲しいのー!! 」
すると、佑はフッと不敵な笑みを浮かべ、隣に居た仙蓼をチラッと見てから三人に答えて見せた。
「あぁ、ホンマやで? まぁ、これにはちぃとカラクリがあるんよ 」
「「「カラクリっ!? 」」」
「そのカラクリやけど……仙蓼、説明頼むわ 」
少しめんどくさげな風で、佑が仙蓼に振ると、彼女はクスクスと笑いながら彼女等に説明を始めた。
「フフッ、お三方。最近陳留の店々に、変わった意匠を凝らした服や食べ物とかが出回っていませんでしたか? 」
「そう言えば……最近可愛らしい、いっ、いやっ! な、軟弱な意匠の薄っぺらい服を見かけたな? それと、唐辛子で作った甘酸っぱいたれをかけた串焼きとかも見かけたし…… 」
「せやなぁ、凪の言う通り、確かにそんなん見かけたわぁ。ウチの方も、一風変わった工具とか見かけたしなぁ? せやから、思わず欲しくなってもうたで 」
「あの『哥德蘿莉』って書いてあった服、とっても可愛かったのー! 『唷谷濡特』とか言う、牛の乳を発酵させた食べ物なんか、サッパリして美味しかったのー! 」
仙蓼の問い掛けに、三人がそれぞれ答えて見せたその瞬間、したり顔で佑と彼女がニヤリと笑って見せると、更に仙蓼は言葉を続ける。
「実はですね、それらの物なのですが、全て佑様が『天の国』から齎した知識を元に作らせた物なのです。
幸いにも、私の家には財が御座います。私はそれ等を資金として、衣工食とあらゆる職人達に試作させました。そして、試行錯誤の末に完成させた物を、こっそり陳留だけでなく、他の町や邑々にまで広めさせたのです。
無論ですが、それ等の製法はこちらの独占にしており、迂闊に真似る事が出来ない様にしてあります 」
「なっ、何とッ!? 」
「へっ? それホンマかいな!? 」
「嘘ッ!? 」
「……まぁ、モチロン只言う訳にはいかん。ワイと仙蓼は、そこから売り上げの一割を著作権料として頂いた訳や。案の定、物の見事に馬鹿売れしたもんやから、ワイ等笑いが止まらんかったわぁ~。
お蔭さんで、しっかり元は取れたし、こうやって兵達への臨時ボーナス出す為の軍資金も調達できたしなぁ? 嬉しい事に、商人達からのバックアップ言うオマケもついたんやでぇ~!
……『塵も積もれば山となる』言う言葉はホンマや。ホンの僅かな儲けでも、それが毎日入り込むんやぞ? せやから、あっちゅう間に億万長者になれた訳や 」
得意満面と言わんばかりの佑であったが、何かかしらの引っ掛かりを覚え、三人は神妙な顔で彼に尋ねた。
「……理由は判りました。ですが、この事は華琳様は御存知で? 」
「せや! まさかとは言わんけど、華琳様に隠れてコッソリやってる訳やないんやろ? 」
「そうなのそうなのー! もし、華琳様に内緒だったら大変な事になるのー! 」
「はぁ? お前等、ナニ言うてんねん? 何で、ワイ等が孟徳はんにオイシイ話持ちかけなアカンのよ? 大体、そこまでしてやる義理なんかワイ等には無いで? 」
「ええ、佑様の仰る通りです。只でさえ潤沢な財を持つ孟徳殿に、これ以上の利は無用という物です。それに、これ等の事は簡単に足が出ぬ様にしてありますしね? ですから、例え勘の鋭い孟徳殿でも中々気付けない事でしょう…… 」
「「「なっ!? 」」」
『何を言ってるのだ?』と言わんばかりに、佑と仙蓼が言い放ったその言葉を受け、三人の間に戦慄が走る。忽ち彼女等はその場で固まってしまった。
「たっ、隊長、それと仲達殿……貴方達は一体何をお考えなのか? それに、どうしてその様な事を我々に…… 」
三人の中で一番意志の強い凪が、硬直を振りほどいて佑と仙蓼に尋ねると、佑は優しげな笑みを三人に向ける。
「決まっとるやんか、ワイはな、『正真正銘の天の御遣い』になりたいだけや。それとな、お前等三人はワイが得た最初の部下なんや。ワイはお前等を、仙蓼と同じ位信じとんのやぞ? 」
佑は三人の顔をじっと覗き込んだ。
「……お前等は単なる部下やない。この『及川佑』にとって、大切な女達や。今まで我慢しとったけど、ホンマはお前等とも閨で一発極めてやりたい想うとったんや。これ、ホンマやで? 」
「隊長、そこまで私達の事を……私もッ、私もッ……隊長に抱かれたいと想っていましたっ! 」
「今の言葉ホンマか、隊長……? せやったら、ウチ嬉しいわぁ…… 」
「沙和もっ、沙和も~~! 初めては隊長としたかったのー!! 」
彼の告白を受け、三人の顔に赤味が差すと、それに発奮され彼女等は一斉に気炎を上げ始めた。
「よぉ~~しっ! 楽進隊! 全軍全速前進ッ! 大手柄を上げるのは我々だっ! 総員奮励努力せよっ! 」
「李典隊も行くでっ! 黄巾どもをバッタバッタやっつけて、大金持ちになったろうやないかっ! 五千銭はウチ等のモンやで! 」
「貴様等ぁー! よぉ~~く聞けぇ!! これより于禁隊は全力で敵を殲滅させるのー!! 敵の頭巾を一枚でも持って来れないタ○ナシ野郎は、ウ○コ食いながら、カマを掘られて死ねなのー!! 」
「オオオオーッ!! 」
「さー、いえっさー!! 」
彼女等が発する気炎を浴び、兵達の士気が更に昂ぶりつつあると、佑は白馬に跨り抜刀し、それを高々と天に掲げて号令を下す。そして、彼はアメリカ海兵隊の士気高揚の掛け声の語源になった、あの有名な言葉を叫んだ。
「行くぞッ! 勇者達よっ! 全員私に続けぇッ!! 工和ッ! 」
「工和ッ! 工和ッ! 工和ッ! 」
「工和ッ! 工和ッ! 工和ッ! 」
「工和ッ! 工和ッ! 工和ッ! 」
「工和ッ! 工和ッ! 工和ッ! 」
右手を天に突き上げ、兵達が掛け声を挙げると彼らだけでなく、凪を始めとした将達も繰り返し叫ぶ。彼等の目つきはギラギラしており、黄巾どもを刈り取らんと、危うさを秘めた輝きを放っていたのだ。
「フフッ……波才の陣まであと少し。さぁて、どう料理してあげようかしら? 」
「主っ、主公ーっ!! 」
愛馬絶影を走らせ、あと少しで波才の陣に到達せん所までに達し、華琳が馬上で目をぎらつかせていると、急遽彼女の傍に一人の伝令兵が馬を寄せて来る。昂揚していた戦意をぶち壊しにされ、華琳は険しげな視線をその兵にぶつけた。
「何かしらっ! 今これから敵陣に奇襲をかける所なのよ!? もし、くだらぬ事であれば、即刻首を刎ねるわよ!? 」
殺気立った彼女の視線に中てられ、彼は思わず怯んでしまう物の、すぐさま意を決して声高に彼女に報告を始めた。
「ハッ! 我が軍の遥か後方より、凄まじい勢いで駆けて来る一団がありますっ!! 奴等は奇声を上げながら、皇甫閣下の軍だけでなく、我が軍の諸将の隊をも追い抜き、今こちらの方に迫らんとしておりますっ!! 」
「なっ!? 一体何者なのっ!? 至急調べさせなさいっ!! 」
華琳は狼狽し、慌てて兵士に命じるが、時既に遅く彼女の耳に奇妙な声が聞こえてきた。
――工和ッ! 工和ッ! 工和ッ!! ――
「なっ、何なの!? この声は? 意味が判らないわッ!? 」
びっくり仰天と言わんばかりに、華琳が驚きの表情になると、徐々にその声は大きくなる。やがて、それはひとかたまりの集団となり、彼女の視界に現れた。
「工和ッ! 」
「工和ッ! 」
「工和ッ! 」
「工和ッ! 」
「聞けいっ! 我等は『陳留の守護者』及川警邏隊ッ! いざ、敵陣へ推して参らんッ! 各々方、そこを退けられよっ!! 」
「どけどけぇっ! 及川隊のお通りやッ! どかん奴は『お菊ちゃん』をケツの穴につっこませたるでぇ~~!! 」
「そこの犬のウ○コ野郎どもー!! そこをどけなのーっ!! 」
飛び交う怒号に紛れ、声高に口上を述べるは楽進こと凪。彼女の体からは、気炎が揺らめいており、眼は鋭い光を放っていた。彼女だけではない、李典こと真桜、于禁こと沙和や、他の兵達まで目をギラギラさせ、とてつもない覇気を漲らせていたのである。
「あっ、あれは……! まさか、あの『ごくつぶし』どもッ!? 足手纏いになると思ったから、第二陣の最後尾に配置した筈。なのに、何故ッ!? 何故なのよッ!? 」
目の前の光景に、信じられないと言った風で華琳が言うが、現に佑率いる『及川警邏隊』の野郎ども三百名は怒涛の如き勢いで彼女等を出し抜いて行く。そして――次の瞬間。彼女は白馬に跨る佑とすれ違った。
「……ッ!? 」
「…… 」
思わぬ出来事に絶句し、何も言えぬ華琳。それに対し、佑は何やら口を動かして見せると、彼はしたり顔で彼女を追い越して見せたのである。
「あ、あの、ごくつぶしがぁ~~!! ごくつぶしの分際で、良くもこの曹孟徳を出し抜いてくれたわねッ!? 」
「華琳様ー、どうなされましたかー? 先ずは落ち着いて下さい、将たる者が怒りを露わにすれば、敗軍の兆しになってしまいますよー? 」
「華琳様ッ、一体何が? まずはお気を鎮めて下さい! 仮にも貴女様は総大将です! 総大将たる者が取り乱せば、全軍の士気に関わります! 」
思わず動きを止めてしまい、馬上で華琳が怒りを露わにしてみせると、すぐさま風と稟が馬を彼女の方へと寄せてきた。彼女等に諌められ、華琳は一つ深呼吸すると、怒りを噛み殺しながら語り始めた。
「……どうやら、私はあのごくつぶしを見くびっていたようだわ。 あの男、どの様な手段を使ったのか知らないけど、自分の将兵の士気を強烈に鼓舞したみたいね? 」
まだ、怒りを抑え切れてないのか、華琳は少し間を置く。
「弱卒呼ばわりされていた、彼の兵の動きは正に神速だったわ……。お陰で、あの男一人に全軍出し抜かれてしまうし、よりにもよって、アイツ、すれ違い様私にこう言ったのよ……!! 」
「ふむ、何と言ったのでしょうかー? 」
「ええ、一体彼は華琳様に何を……? 」
二人に尋ねられ、彼女は忌々しげに顔を顰めながらも言葉を続ける。
「『ほな、孟徳はん。お先させてもらいますー 』ってね!? 曹孟徳であるこの私を、ここまで不愉快にさせてくれたのは、『あの』麗羽以来だわ……!! 」
「ふぇ~~~大胆不敵とは、まさにこの事ですねー。風も驚いたのですよー 」
「なっ、何て身の程知らずで破廉恥な真似をッ!? 仮にも華琳様の臣下であると言うのに…… 」
然し、風と稟はそう答えて見せた物の、直ぐに軍師の顔に切り替え、頭脳を高速で稼動させる。目の前の事象に驚いてばかりでいては、『機に臨んで変に応じる』術を扱いこなせないからだ。少し間を置き、考えを纏め終えた二人は、未だ燻ったままの華琳に進言をする。
「華琳様ー。こうなった以上、逆に好機と切り替えましょー。残念ですが、我が軍の中で取り分け士気が高いのは、お兄さんの隊みたいですしねー? 精々、お兄さん達には大暴れしてもらいましょー 」
「そうですね、風の言う通りです。寧ろ、これこそ我々にとっての好機。強固な結束を持った黄巾どもに、楔を打ち込むのには丁度良いでしょう 」
「これが好機ですって? 何故かしら? 理由を教えて貰えば有難いのだけれど……? 」
語尾に可也の苛立ちを含ませ、華琳が言うと、二人は言葉を続けた。
「はいー。昨晩の宴を覚えておいででしょーかー? あの時、皇甫将軍は華琳様にこう言われましたよねー? 」
何時もの様に飴を咥えたまま、風はチラッと華琳を見やる。
「『こちらに『天の御遣い』が居るぞと触れ回ってやれば、それは黄巾どもにとっても大きな衝撃となる 』と。ならば、その言葉通りにしてやれば良いのですー。若しかすると、あのお兄さんの事ですから、自分から『天の御遣いが波才を倒したぞー 』って言うかも知れませんよー? そうなったら、黄巾達に動揺を与える事が出来るのですー 」
風が一旦そこで口を閉ざすと、稟は眼鏡の弦を摘んで、鋭い知性の眼光を華琳に浴びせた。
「黄巾達は、指導者たる張三兄弟を次の天と仰いでおります。ですが、こちらの及川殿にも『天の御遣い』を名乗らせているのを忘れてはおりませんよね? 然るに、その彼が波才を倒したとすれば……黄巾達に、自分の指導者が天意に沿った者ではなかったと思い込ませられるでしょう 」
「アッ…… 」
酒席の上での戯言と思い、記憶の片隅から消し去っていた事を引っ張り出され、思わず華琳は言葉を失う。その表情を確認して、また更に二人は華琳への進言を続けた。
「華琳様が、己が手で天下を掴むには、まだまだ勝ち抜いていかなければならないのです。この黄巾討伐はその第一歩にしか過ぎませんしねー? お行儀が悪いかもしれませんけど、使える物はジャンジャン使ってしまいましょー 」
「及川殿の存在は、華琳様が天下を手に入れる為にはまだまだ必要です。ここは私達にではなく、彼に華を持たせた方が宜しいかと? 」
稟は、前をチラッと見てから、再び華琳の方へと向き直る。
「恐らくですが、かの『司馬八達』で一際優れた司馬仲達殿が、何か彼に入れ知恵をしたかもしれません。ですが、彼女の才を扱うにしても、彼の存在は欠かせません。それに、彼を上手くおだて上げれば、華琳様に対し頑なな態度の仲達殿を懐柔できるかと? 目先の小事に拘るよりも、寧ろ後の大事に拘るべきでしょう 」
二人の軍師に諌められ、頭を冷やしたのか、華琳は表情を何時もの物に戻す。そして、穏やかな口調と共に二人に言葉を返した。
「……流石だわ、風、稟。貴女達に言われて、この曹孟徳目が覚めたわ。そうね、確かにそうだったわ。私の覇道は、こんなちっぽけな争いに、目くじらを立てる事ではなかった……。フフッ、冷静になって見ると、何だか恥ずかしくなってしまうわね? 」
そして、陳留で留守番を命じた筆頭軍師の顔がフッと彼女の脳裏に浮かんでくると、思わず華琳は苦笑する。
「多分だけど、男嫌いの桂花だったら、貴女達の様にここまで言ってくれなかったわ。それでは、風に稟。早速貴女達の言葉を聞き入れましょう! 全軍に伝えよ! 我等はこれより及川隊の援護に回る! 決して彼等を死なせてはならぬぞッ! 」
「はっ! 」
「はいー 」
思わぬ不確定要素が入ったが、華琳は表情を一気に引き締め声高に号令を下す。兵達に華琳の命令を伝えるべく、風と稟が彼女の前から一旦姿を消したのを確認してから、華琳は前に向き直った。
彼女の前方に見えるは、黄巾の賊将波才の陣。既に、そこからは怒号や悲鳴に、剣戟の音が飛び交い始めている。そこを睨みつけ、華琳はひとりごちて見せた。
「今回は貴方達に譲ってあげるわ……。でも、いつもいつもそう上手く行くと思わない事ね? 及川佑、そして司馬仲達…… 」
そう呟く彼女の双眼には、仄暗き焔が揺らめいていたのである。
――一方その頃、波才の陣にて――
「はっ、波才様ーっ!! 」
「何事かッ! 我輩の愉しみを邪魔しおって! 」
本陣の天幕にて、酒色に耽っていた波才の前に一人の黄巾兵が駆け込んできた。丸裸の美女数名を侍らせ、瓶ごと酒をラッパ飲みしていた波才は、不機嫌そうに顔を顰める。
「てっ、敵が奇襲を掛けて参りましたッ!! 」
「なぁにぃ~~~!! 見張りの者は何処を見とったのだァ!? まさか、阿呆の朱儁が攻めてきたのかあっ!? 」
その報告を受け、波才は更に声を荒げて見せると、酒瓶を一気に傾け、中身が空になったそれを力任せで地面に叩きつける。叩きつけられたそれは大きな音を立てて砕け散り、細かい破片が辺り一面に飛び散った。
「いっ、いえっ! 朱儁では御座いませんッ! ですが、敵は奇声を発しており、その戦い振りも常軌を逸しておりますッ! 付け加えて寝込みを襲われた影響で、兵達の間で混乱が起こり。同士討ちにまで発展している模様ですッ!! 」
「お・のぉーれえっ!! この度阿呆どもがぁっ!! この我輩の兵であると言うのに、敵味方の区別がつかぬと言うのかアッ!? こうなった以上、我輩も出るッ!! 女どもよ、我輩の鎧を持てい!! 」
「はっ、はいっ。波才様 」
忌々しげに喚き散らすと、巨躯を誇る波才はすっくと立ち上がる。そして、先程まで自身の慰み物にしていた女達に命じると、すぐさま彼女等は波才に鎧を着させ始めた。身支度を整え、波才が天幕の外に出ると、思わず彼は言葉を失ってしまう。
「んなっ!? 我輩の陣が燃えているだとぉ!? 」
彼が目にした光景は、惨憺たる有様であった。自身の兵達は同士討ちを繰り広げており、付け加えて糧秣や、武具を始めとした物資の置き場からは火の手が上がっていたのである。
これ等は、既に到達した及川隊を始めとした曹家軍だけでなく、第二陣として雪崩れ込んできた皇甫嵩の軍による仕業でもあったのだ。
「工和ッ!! 工和ッ!! 」
「ひっ、ひいいいいいいいっ!! あぎゃっ!! 」
「ん……? 」
ふと、奇妙な掛け声が彼の耳に入る。声のした方を振り向いて見れば、声の主かと思われる官兵達がこぞって自分の兵を虐殺しており、その躯から黄巾を奪い取っていたのだ。
「なっ、何だぁ! あの者どもは!? 目つきが普通の人間ではないぞっ!? 」
その異様さを目の当たりにし、黄巾党きっての武闘派で知られた波才も、この時ばかりは流石に恐怖を覚える。無論、それは先程の『及川警邏隊』の面々であった。
「やっ、やめろぉっ!! ガハアッ! 」
「よっしゃあっ! これで十枚目! 五百の大台に到達だぁ!! 」
「たっ、助け……アガアッ! 」
「甘いなッ!? こっちは二十だ! 千になったぜ! 」
「なっ、何とぉ!? 只の雑兵に我輩の、我輩の精兵達が次々と屠られてるだとぉ!? 」
奇声を上げ、嬉々としながら黄巾兵を虐殺し捲る彼等の戦い振りは、正に常軌を逸していたのだ。波才の率いる兵士は、他の黄巾兵と比べ格段にその質は高い。然し、今自分の眼前で繰り広げられるその光景は、自分が誇りとしてきた物が音を立てて崩れ去るようであった。
「お・のぉーれええええいっ!! かくなる上は、我輩自らこの『妖かし』どもを屠ってくれるわァッ!! 」
これ以上、我慢できなくなったのか。波才は、腰に帯びた剛剣を抜き放ち、大地を揺らすように声を震わせ周囲に殺気を飛ばす。
「聞けい、この雑兵どもぉッ!! 我輩は波才であーるっ! 我輩に討伐されたい者は、進んで前に出るが良いっ! 」
辺り一面の空気をビリビリ震わせながら、波才が名乗りを上げると、周囲で殺戮を繰り返した官兵達であったが、彼等は一斉にギラギラした目をそこへ向けた。
「五千銭だ! 五千銭の大将首だ! 」
「五千銭は俺んモンだァ! 」
「いや、俺が貰う! 」
恐らく、佑の兵であろう。彼等はうわ言の様に繰り返しながら、ジリジリと波才との距離を詰め始める。やがて、彼等はこの巨躯を誇る黄巾の大幹部めがけ、一斉に襲い掛かった。
「ふぅんぬうっ!! 」
「ぎゃあっ! 」
「ぐはあっ!! 」
「あひいっ!? 」
然し、流石は波才である。手にした剛剣を一閃させると、あっと言う間に彼等の命を刈り取ってしまった。
「フンッ、他愛も無いっ! この我輩の首が欲しくば、数人の兵では物足りぬわアッ!! 」
不敵に鼻を鳴らす波才の前には、嘗て人であった者の部位が、無残に転がっていたのである。
「仙蓼、あのバケモンはっ!? 」
無論、その光景は馬上でサーベルを振るう佑の視界にも入る。すかさず、彼は隣に控える仙蓼を伺った。
「佑様、あれが波才にて御座います。黄巾きっての武闘派で、昔は流浪の武芸者だったとか。お気をつけ下さいませ 」
「成る程……ほな、アイツ倒せばここの陣は瓦解するっちゅう訳やな? 」
波才に見入る佑であったが、既に彼の目は危険な色を帯びており、仙蓼は思わず焦りを覚える。
「佑様……まさか? 危険ですッ! おやめ下さいませ! 」
「その『まさか』やっ! ここで敵将前にビビリこいてもうたら、皆ワイについてきてくれへん! 男及川佑、一世一代の大勝負じゃあっ! いっくでぇ、馬倫哥! 」
仙蓼の制止を振り切ると、佑は愛馬を走らせ、波才の方へと向かって行った。
「たっ、佑様ッ! かくなる上は……文謙殿、曼成殿、文則殿ッ! 御遣い様をッ! 」
「ああっ、判っているッ! 仲達殿、後は我々にっ! 」
「まかしとき! 隊長死なせてもうたら、一発極めれへんしなぁ? 」
「沙和にお任せなの~! これが終わったら、隊長に可愛がってもらうのーっ!! 」
ある意味、無謀とも取れる佑の行動に焦りを覚え、仙蓼は凪達三人を呼びつけると、彼女等は直ぐに後を追って行ったのである。
「うぬぬぬ~っ! これ以上は無理かッ!? ならば、ここを諦めるしかあるまい! 」
しぶとく敵を屠っていた波才であったが、流石の彼であっても、最早状況を覆す事は無理だと悟った。かくなる上は、残った兵を引き連れ、こちらに向かっている張角と合流し再起を図ろうと判断したのである。
「んっ? 」
退却命令を下さんと、行動を起こそうとしたその時、彼の目前に白馬に跨った一人の男が現れた。
「貴様が賊将波才か? 」
その男は自分より若かった。何やら絹で作られたような白い服を着ており、頭には変わった帽子を被っている。不敵そうな顔には眼鏡をかけており、手にした細身の曲刀も業物である事が窺えた。
「いかにも、我輩が波才であるっ! 」
『一体この男は何者か? 』そんな疑念を抱きつつも、波才は名乗りを上げた。もし、仮に一騎打ちを挑んできたのであれば、返り討ちにできると踏んでおり、奴が乗ってる馬を奪えれば上出来であるとも考えたからだ。
「そうか……ならば、聞くが良い! 我こそは、天帝より遣われし『天の御遣い』及川佑なりっ! 賊将波才っ! 天は、貴様等黄巾なる僭称者どもの所業に大層憤慨しておられるッ! 然るにこの佑、天帝に代わりて貴様に天誅を下さんッ!! いざっ、参るッ!! 」
佑の言葉に、波才だけでなく周囲の黄巾達は激しく動揺した。自分等は指導者の張角を天に抱いており、自分等こそが天兵であると信じていたからだ。然し、この正体不明の男は自分の事を『天の御遣い』と称している。確かに、見慣れぬ服を着ているが、にわかには信じ難がった。
「お・のぉーれええっ、小癪な小童がぁっ!! どうせ、貴様の抜かす事は偽りであろう! この我輩が、貴様の化けの皮を引っぺがしてくれるわあっ!! 」
「フッ、偽りか真か貴様の目で確かめるがいいっ!! 」
激高しながら、波才が馬上の佑目掛け剛剣を振り下ろすと、対する彼は涼やかな笑みと共に手にしたサーベルで受け流す。『天の御遣い』佑と、『黄巾の将』波才。二人の激しい一騎打ちが、今幕を切って落とされたのだ。
「隊長! 御無事ですかッ!? 」
「隊長! 生きとるかー!? 」
「隊長~! 助太刀に来たの~! 」
二人の斬り合いが、丁度十合を数えた頃。凪、真桜、沙和の三人がその場に駆けつける。今すぐにでも、彼に助太刀せんと、その場に駆け寄ろうとした。
「なっ! な、なんとすごい威圧感だ! 一歩も動けない! 」
「う、嘘ッ!? 何でウチ等動けへんのや!? 」
「な、何だか隊長いつもより怖いの~~ 」
然し、何故か三人は思うように体を動かす事が出来ない。何故ならば、三人とも、真剣勝負を繰り広げる佑と波才から発せられる威圧感に中てられてしまったからだ。
「ぬおおおおおっ! 」
「はああああっ! 」
「あのごくつぶし……案外やるじゃないの 」
その二人の激しい鍔迫り合いは、馬上で絶を振るっていた華琳の目にも映る。彼女は目を細め、剛勇を以って知られた波才とやり合う佑への評価を改めていた。
「佑兄ちゃんッ、負けんなーッ! 」
「佑兄様ッ、負けないでッ! 」
華琳の傍で得物を振るいつつ、季衣と流琉は佑の必勝を祈願し、熱烈な声援を送る。彼を見詰める彼女等の視線には、好意以上の熱気が帯びられていた。
「なっ、何であのゴクツブシの奴婢が波才と一騎討ちしてんのよぉっ!? 本当だったら、あたしがするはずだったのにぃ~~っ! きっと、これは夢だわッ! 何かの間違いよっ! 」
「そんな事抜かしてる場合か、露意思ッ! ごねる暇あったら、目の前の敵を倒せってんだよっ! アイツへの文句なら後で言え! 」
得物を振るう手を止め、只々歯噛みする露意思。だが、そんな彼女を咎めるべく、賽特は敵を屠りつつ怒鳴りつけた。
「あ~あ、結局あの『御遣い』さんにオイシイ所取られちゃったわね? 折角、この雪露様の華々しい活躍を見せつけようと思ってたのに、残念だわ? 」
「しょうがないさ、戦は流れに乗った奴が一番の旨みを味わえるんだ。今回ばかりは諦めろ、雪露 」
「爾特君の言う通りです。今は敵を倒しつつ、『御遣い』さんの勝利を信じましょう。雪露さん 」
言葉とは裏腹に、余り残念そうな素振りを見せていない雪露、爾特、蘭花。余裕溢れるその姿に、彼等はまだまだ余力を残しているようにも思えた。
「フフッ、あの御遣いさん。興味が湧いてきたわね? 」
妖しい笑みを交え、雪露は佑に危険な視線を送る。この時から、雪露達は佑等に興味を持ち始め、後日誼を通じるようにまでなった。
「ふえ~~~っ、あのお兄さん、初めて会った時とはまるで別人ですよね-? 昨年、追剥ぎに追いかけられていたのが嘘みたいですよー 」
「だな? あのヘタレガキがここまでやり合うたぁ、正直俺も驚いちまったぜ 」
「多分と言うか、間違いないでしょう。彼が大化けしたのは、司馬仲達の存在です。風、凡人さえも英雄に化けさせる彼女の力が、私にはとても恐ろしい……。さっき、あの様な事を華琳様に言いましたが、矢張り機を見て排除するべきでは……? 」
佑の大化け振りを目の当たりにし、風と宝譿が感嘆を交えていると、稟は彼の背後にいる仙蓼の存在に戦慄を覚える。この時の彼女の顔は、少し青ざめていた。
「そうですねー。どうやら、仲達さんは華琳様に信服していませんしー。ですが、ここで彼女を排除すると言うのは、風は賛成できないのです 」
只でさえ眠そうな目を半目にし、風は飴を咥えて稟をじっと見詰める。親友からの思わぬ反対意見に、稟は戸惑いを浮かべた。
「どうしてですか、風? あの二人を野放しにしておけば、いずれ華琳様に害を成すやも知れないのですよッ!? 」
「まぁまぁ、稟ちゃん。落ち着いて落ち着いてー。そんなに鼻息を荒くしちゃうと、また鼻血を出してしまいますよー? 」
クスクス笑いながら風は稟を宥めると、彼女は咄嗟に自分の鼻に手を宛がう。幸いにも、出血はしていなかった。
「全く、貴女って人はいつもそうやって泰然自若と構えてるんですから…… 」
ムスッと不貞腐れる稟を他所に、風はいつもの口調で説明を始める。
「確かに、あのお二人さんは危険なのかも知れませんよねー? ですが、これからもあの二人は必要だと、風は思っているのですよー 」
「何故、そう思うのです? 」
怪訝そうに自分を窺ってくる稟に、風は『やれやれ』と言わんばかりに一つ溜息を吐くと口を閉ざしてしまい、代わりに彼女の頭上で宝譿が声を発した。
「おいおい、稟よぉ。お前だって判ってんだろ? ここの連中はみーんなクセモン揃いなんだ。特に筆頭武官の春蘭に、筆頭軍師の桂花があんなんだぜ? 優れた才能持ってても、性格がアレじゃあ、どっかで不平不満も募るってモンさ? 」
「あっ、確かに……。春蘭は人の話を聞かない所がありますし、桂花に至っては男性の文武官から陰口を叩かれていますしね? 」
宝譿の言葉に思い当たり、稟はハッとなる。確かに、両人ともそれぞれの分野で優れでいるが、性格に問題がありすぎだし、些細な事でいがみ合いを行う。付け加えて、彼女等二人の事を快く思わない輩が結構多いのも確かであった。
華琳や秋蘭がその都度仲裁に入ったり、他方から寄せられる彼女等への不平不満にも耳を傾けたりもしたが、仮にどちらか或いは両方欠いた場合の事を考えると、稟は自分の背筋が寒くなるのを感じた。
「それによぉ、『毒を以って毒を制する』って言葉もあんだろ? これからは、あの二人にその『毒』の役目をやってもらった方が、俺達としても今後楽になるんじゃねぇの? 」
「成る程。時として、劇毒を用いるのも手ですね? 春蘭や桂花の『毒』に対し、及川殿と仲達殿の『毒』をぶつける……。華琳様の気苦労が減るかもしれないわね? 」
得心したように稟が頷くと、風はにこりと笑って見せた。
「そう言う事なのです。天下を掴むのは奇麗事だけでは出来ませんしねー? 」
「全く、風にはいつも驚かされてしまいます 」
「いえいえー。そんな事は無いのです。風の方も稟ちゃんがいるから、こうやって考える事が出来るんですよー? 」
二人は互いに笑い合って見せるが、それもホンの僅かな事であった。二人は前に向き直ると、佑と波才の死闘の行く末を見守ったのである。
「佑様、仙蓼は貴方の勝利をお祈りいたします。どうか、天が貴方の味方でありますように、そして波才の首を見事持ち帰って来て下さいませ…… 」
両手を胸の前で組み、佑の必勝を願い天に祈りを捧げる仙蓼。この時の彼女は、いつもの柔和な顔の影に怜悧な刃を忍ばせた策士ではない。及川佑と言う只の漢を、純粋に心から愛する一人の女であったのだ。
そして、果てしなき両者の死闘も遂に終局を迎える。確かに波才は凄かった、だが長い事酒色に耽りすぎたせいで、彼の体には衰えが生じていたのだ。逆に佑は、華琳の前では昼行灯を決め込んでいたが、その陰に隠れ必死に己を鍛え続けていたのである。
「いやああああああああっ!! 」
「なっ、何だとぉっ!? 」
「面ッ、面ッ、面ェエエエエエエエエンッ!! 」
その両者の差が、波才にとって致命的になってしまった。彼の動きは段々鈍るようになってしまい、ホンの僅かな隙を見せてしまったのだ。無論、それを見逃さぬ佑ではない。彼はサーベルを波才目掛け振り下ろし、彼の脳天を唐竹割りにして見せたのである。
「ばっ、馬、鹿なっ…… 」
斬られた箇所から血飛沫を噴出させ、未だに信じられぬと言った風で波才は背中から地面に倒れる。
「……! 」
彼の最後の足掻きか、何か言おうと口を動かして見せるが、それが声に出ることは無かった。やがて、波才は白目を剥いてしまうと、彼はそのまま泰山地獄へと旅立ったのである。
「ホンマに済まないなぁ……ワイ等がここでのし上がる為にも、アンタは必要な犠牲なんや。悪いけど、首をもらうで? 」
愛馬馬倫哥から飛び降り、サーベル片手で佑は、既に事切れた波才を哀れむかのように見下ろした。
「ナンマンダブ、ナンマンダブ……成仏してなァ? 」
胸の前で左手を垂直に立て、うろ覚えの経文を唱えると、佑はサーベルを波才の首目掛け振り下ろす。そして、転がり落ちたそれを手に取り、高々と掲げて見せた。
「黄巾どもよ、これを見るが良い!! たった今波才は、天の御遣いたる我が誅したッ! これで見知ったか、黄巾どもよっ! 天は貴様等黄巾にあらず、我等にありっ! 」
佑の左手に高々と掲げられた波才の首――それは、黄巾の賊兵に衝撃を与えるのに十分であった。黄賊どもの間から、一斉にどよめきが起こり始めると、彼等の心は絶望感と恐怖心で押し潰されてしまう。
「はっ、波才様が倒されたッ!! 」
「あの男が『天の御遣い』と言うのは、矢張り本当だったのかっ!? 」
「我等が大賢良師様は、次の天ではなかったのか!? 」
「もっ、もう。天が誰でも関係ねぇ、にっ、逃げろおおおっ!! 」
「ひっ、ひいいいいいいっ!! 」
すっかり戦意を喪失され、生き残った黄巾兵は我先にと、散り散りに逃げ始めた。然し、予州を散々食い荒らしたツケだろうか。彼等には新たな絶望が待ち受けていたのである。
「かかれえっ!! 先日の借りを黄巾どもにぶつけてやれえっ!! 」
「行くぞ、者どもっ! 無碍に殺された者達の恨みを晴らしてやれえっ!! 」
「害悪しか成さない黄狗どもに情は無用! 命乞いをしても容赦なく斬り捨てよッ!! 」
「うっ、うわああああああっ!! 」
「たっ、助けてくれええええっ!! 」
「もっ、もうしませんから、命だけは!! 」
逃げ惑う黄巾どもに、別の方から新たな軍勢が襲い掛かる。その正体は、長社にて籠城していた朱儁の軍であった。彼は華琳・皇甫嵩の軍の動きに合わせ、城門を開き討って出ると、風雷と菊里を引きつれ波才軍の残敵掃討に当ったのである。
蝗の如く、予州を荒らし回った波才の軍勢は約五万あったが、彼等は将の波才を始めとした約六割の兵力を長社で失ってしまったのである。一方の生き残った者達も、その殆どが脱落してしまい、司隷河内郡にて兵力を回復させた張角の本隊と合流出来たのは、僅か五百にも満たなかった。
「ふうっ、何や腰が抜けてもうたわ。ヤッパ、命懸けの斬り合いはショッチュウやるモンやないわぁ~~!! 」
敵が逃げおおせるのを確認し、緊張が解けたのか、佑は左手に掲げた波才の首を取り落とすと、力なくその場にへたり込む。すると、彼目掛け数人の人影が駆け寄ってきた。
「御遣い様ァ~~!! 」
「隊長ッ! ご無事ですかッ!? 」
「隊長ー!! 今更腰抜けたんかぁ~!? 」
「隊長~~!! へたるのは『アレ』だけでいいのぉ~~!! 」
「お~う、お前達ー。ワイは無事や、少々疲れただけって、うおっ!? 」
声と共に、彼に駆け寄ってきたのは仙蓼、凪、真桜、沙和であった。彼女等は目に涙を浮かべており、四人は一斉に佑に抱きついたのである。思わぬ役得と思いつつも、彼は少し辛そうな顔になっていた。
「あ、あはは。アンマ強うせんといてぇな? これでも、ワイめっちゃ疲れとんねん。今すぐにでも、オネンネしたいとこや…… 」
「駄目ですッ! 赦しませんッ! 佑様は無謀過ぎますッ!! 佑様に万一の事があったら、私は……! 私を心配させた佑様には、罰を与えねばなりませんッ! 覚悟してくださいましっ! 」
「私も仲達殿と同じです、隊長! 貴方には、早速約束を果たしてもらいますからねッ!? 」
「せやっ! 忘れたなんて言わせへん!! 」
「みんなの言う通りなのー! 隊長にはこれから頑張ってもらうのー! 『十二刻(二十四時間)戦えますか?』の飲み薬とか、うんと用意してあるから、だから寝なくても大丈夫なのーっ!! 」
「イイイッ!? おっ、お前等。ワイを死なす気かーっ!? 」
彼女等の胸の内を聞かされ、見る見る佑の顔色が青くなる。今の彼なら、そのまま泰山地獄にでも行けそうに思えた。
「随分、仲良くなっているのね? 」
行き成り、少しばかりの呆れを交えた声が彼等の耳に入り込む。その声の主は顔を見なくとも判っていた。何故ならば、いつも聞かされているからだ。
「どっしぇえええええっ!? もっ、孟徳はんッ!? な、何の用でっしゃろ? 」
「もっ、申し訳御座いません。主公の御前ではしたない真似をしてしまいました 」
「もっ、申し訳ありません華琳様ッ! 」
「ホンマ、堪忍してください! 感情を抑え切れへんかったから、つい 」
「ごっ、御免なさい、華琳様ッ! みんな沙和達が悪いのっ! だから隊長にお仕置きしないで欲しいのー!! 」
後に季衣と流琉を従え、華琳はいつもの高圧的な視線で彼ら四人を見下ろす。何故かは知らないが、彼女が後に従えてる二人は不機嫌そうに顔を顰めていた。慌てて、彼等は姿勢を正そうとしたが、華琳は軽く手で遮る。
「気にせずとも良いわ、そのままで結構。それと、何の用かですって? 決まってるじゃない、今回一番の戦功を上げたのは貴方達なのよ? 戦功第一を表彰するのは、主君として当然の事ではなくて? 」
「は、はぁ。そらどうもぉ~。今回ばっかは、疲れましたわァ~ 」
昼行灯の顔で、佑が気抜けした風になって見せると、華琳は周囲を見回し始めた。
「貴方達、周りを御覧なさい 」
「へ? 」
「はい? 」
「はぁ? 」
「ほえ? 一体何なん? 」
「何かあるのー? 」
彼女に促され、四人も自分等の周囲を見回し始めてみると、兵達が一斉に自分等を見ているのが窺える。そして、その中の一部の者達が一斉に諸手を上げながら歓声を上げ始めた。
「隊長ッ! 眼鏡隊長万歳ッ! 眼鏡隊長万歳ッ! 」
「眼鏡隊長万歳ッ! 」
「眼鏡隊長万歳ッ! 」
「眼鏡隊長万歳ッ!! 」
最初はホンの僅かだった歓声であったが、それはいつしか全員で叫ぶ様になり、それは強烈な熱気の嵐となって彼等を包み込んだ。
「どうかしら、及川佑? 最初は貴方達の兵だけだったのに、いつの間にか他の隊の者達まで貴方を褒め称えている。これを戦功第一と言わずに何と言うのかしら? 」
「せやけど、孟徳はん。ワイ等抜け駆けしたんやで? 普通罰するモンちゃいまっか? 」
わざとらしく、彼はすっとぼけた風で華琳を伺うが、彼女の方は複雑な表情で歓声を上げる兵達を見やったままである。
「……この状況で、貴方達を罰しようものなら、私は兵や他の者達からの信頼を失ってしまうわ? そうなってしまえば、次の戦から命懸けで戦う気を起こさなくなってしまうもの 」
少し表情を明るめに砕けさせると、華琳は改めて佑に向き直った。思えば、彼女がこう言った顔を彼に見せるのは初めてであった。
「それと、抜け駆けの件だったわね? これに関しては、明確な指示を出さなかった私の手落ちだわ。もし、貴方を罰するのであれば、それより先に私自身を罰しなくてはならないわね? だから、貴方達を咎める気は無いわ、安心なさい 」
「はあ……どうも、おおきに。孟徳はん 」
意外なお沙汰を受け、彼は彼女に頭を下げ謝意を示すが、対する華琳は少し不満げな顔になる。
「待ちなさい、及川佑。貴方、昨年私と交わした約束を覚えているかしら? 」
「は? えぇと、確か……!? 」
彼女の言葉に引っ掛かりを覚え、佑は必死に記憶の引き出しを開け始める。すると、彼の脳裏に昨年始めて華琳に謁見したときの事が蘇ってきた。
『私を真名で呼びたかったら、それなりの成果を出して信頼を得られるよう頑張って頂戴。それまでは私の事は字の『孟徳』で呼ぶ事。いいわね、『佑』? 』
「やっと思い出したようね? 」
「あー、確かにその様な事を仰っとりましたなぁ? ワイ、すっかり忘れてましたわ。ですが、それが何か……? 」
佑の答えに、華琳は心底呆れ返ってしまった。
「貴方ね……。折角思い出させて上げたのに、『それが何か? 』ですってぇ? 貴方、ここまで来れば私が何を言いたいのか判るのではなくって!? 」
言葉尻を震わせながら、華琳が顔をひくつかせていると、ようやっと佑は気付いたようである。彼は『アッ』と短く叫んだ。
「もっ、孟徳はん、それはまさか……? 」
「次回から私の事は、真名の『華琳』で呼ぶ事。良いわね? 」
「わっかりましたー、孟徳、いや華琳はんっ! 」
「はい、良く出来たわね? 後は私達の方で後始末しておくから、貴方達は早く休みなさい。波才を倒す事は出来たけど、未だに張角は健在だわ。しっかり休んで英気を養うのも将の務めよ? 」
踵を返し、華琳は自分に付き従っていた季衣と流琉に『帰るわよ』と短く告げると、佑達の前から去って行ったのである。かくして、潁川における長社での戦闘は、官軍側の逆転勝利で終わったのだが、これは前哨戦にしか過ぎなかったのである。
――一方、そこから少し離れた街道筋にて――
「くっ、屈辱だわ! 華琳と同じ曹一族のこの私を踏みつけていくだなんて、本当に屈辱だわ!! 」
そこでは、曹子廉こと曹洪が悔しさの余り、顔を顰めさせていた。彼女は運悪く、行軍途中落馬してしまい、事もあろうか副将の文烈(曹休の字)を始めとした部下にまで気付かれていなかったのだ。
その後、彼女は生き地獄を経験した。何と、無情にも他の者達は彼女に全く気付く事無く、次から次へと踏みつけて行ったのである。
沢山の兵馬に踏みつけにされる中で、彼女は意識を失ってしまった。次に目を覚ましてみれば、既に全軍は通り過ぎてしまい、それどころか戦い自体も終わっていたのだ。薄情にも、彼女の愛馬だけはちゃっかり難を逃れ、今は暢気に道端の草を食んでいたのである。
「くっ……私に気付かないなんて、文烈の奴ぅ……一体私を何だと思っているのよっ!? 」
顔だけでなく、髪や軍装にまで靴跡や馬蹄の跡だらけにされ、得物の柄を杖代わりに彼女は立っている物の、その足元はよろめいていた。
「見てなさいッ!! 次こそ、この柊琳(曹洪の真名)様の出番なんだからねっ!! 」
無論、誰もそれに答える者はこの場には居なかった。然し、薄情な彼女の馬だけは、歯を剥き出しにして、まるで嘲笑うかのように高くいなないて見せたのである。
※1:羅候国とも呼ばれている。
※2:我々が『タンメン』と呼んでいる物とは別物。即ち、『湯(スープ)』に入れた麺の事を指す。
※3:緑豆のでん粉を水で練った物を平らに延ばした物で、別名『板春雨』。また、春雨はこれを細く延ばした物である。
※4:漢の高祖(劉邦)の旗揚げ以来の家臣。劉邦の妻呂雉(後の呂后)の妹呂須を妻に娶っていたので、劉邦とは義兄弟の間柄である。忠勇無双の人物で、常に優れた武勲を挙げており、『鴻門の会』においては主君劉邦の身を項羽の魔の手から救った。
※5:殷末の紂王時代の官僚。剛力で知られたが、人を讒言し、傷つける事が巧みであったと言う。その為に諸侯から嫌われて反感を買ってしまい、ついに殷周革命を促進させてしまう。後に周の武王が殷の紂王を討った時に、主君と共に討たれた。
ここまで読んで下さり真にありがとう御座います。
今回の話は、いつもと中心人物が違うんで、かなりのエネルギーを使いましたねえ~。もう、精神面でクタクタですよ。
さて、今回のメインは波才との戦いですが、この内容は史実通りではありませんので御注意下さいませ!(笑 黄巾の乱関係の資料を読ませてもらい、後は自分なりに考えた物とかを入れて見ました。
今回出したオリジナル・キャラクターですが、先ず『奏香』と『雄雲』です。この二人、三国志演義で言うとこの『劉封』と『関平』です。
劉備には年齢の近い『徳然』なる従弟が居たそうなので、本当は養子となる劉封を従妹の形で出そうと思いました。
この徳然さんですが、『徳然』は字で名は不明なのです。 また、それとは逆に劉封の方も、字が知られておりません。これらの事を踏まえて本当に好都合と思いましたね~。
『奏香』のモデルですが、AXLから出されている『Like a Butler』(18歳未満禁止作品)に出てくる、『弓野 奏』です。声のイメージは有栖川みや美さんにしています。
次に『関平』こと雄雲。こちらは、簡単に言えば、そつなくこなす主人公タイプなんです。本当は元にしたキャラの名前を真名に使おうかと思ったのですが、語呂と言うか馴染み辛かったので、義雲の『雲』に『雄』をくっつけ若々しくさせようと思い『雄雲』にしました。
彼のモデルなのですが、先述の『Like a Butler』の主人公『鳴海和樹』です。この主人公、大抵の事はこなせるんですが、悪い言い方すると器用貧乏なんですよね。声のイメージはまだ定めていません……。
また、劉泌さんと陳到こと『修史』。この二人はAXL作品『恋する乙女と守護の楯』に出てくる『課長』と主人公『如月修史』が元キャラです。
ですので、劉泌さんの方は矢尾一樹さんの声で、陳到こと『修史』の方は釘宮理恵さんの声(男声バージョン)で読んでくださいませ。
この四人、書いてて何だか気に入っちゃったんで、後の話でもまた出す予定にしております。
曹家軍サイドの新キャラの曹仁と満寵。もう、これは何と言うか……バレバレですよね? はい、完全に前回と同じくモロバレ覚悟で登場させました。
何せ、家名に拘っていて、然も向こう見ずな位なキャラだから、結構合ってると思っていたんですよ!
あ、一応ですが、原作作品の中文版調べてピンイン発音を確認した後、それと同音異語になる字を探して、あの様な真名にしました。
元々、本当は『露易絲』だったんですが、同音異語の字を調べたら、『露意思』となったんで、『意思を露わにする』彼女にはちょうど良い組み合わせになったんですよ。
ここに出てくる曹仁こと『露意思』ですが、『疾風の騎士姫』の主人公、カリンの格好したルイズ様を想像して下さいませ。
次に満寵さんです。彼の真名『賽特』ですが、これ中国語関係のサイトを片っ端から調べ上げ、それっぽい発音とか、字を調べ上げた結果で御座います。まぁ、『とりわけ競い合う』と言う意味になりますので、あのヌケテル少年にはある意味ぴったりかと。(笑
あ、彼の扱う剣ですが、アレはデルフリンガーを髣髴させるイメージにしてあります。でも、喋りませんがね?(苦笑
それと、CVイメージは……『今更ナニ抜かしてんだ!』ですよね? ですので、割愛しときます。(苦笑
余談ですが、沙和の台詞に出てきた『ヨーグルト』の当て字もそうやって調べました。ホンの僅かな事なのですが、それでも調べるのに二時間かかりましたねぇ~。
及川警邏隊が、士気高揚の際に上げた掛け声『工和(ガン・ホー、GUNG-HO)ですが、中国語が由来と言うのはマジです。多分、私より詳しい方は沢山いると思いますけどね?
何せ、沙和の隊が『海兵式訓練法』入れてるのに、『工和』出さんのはおかしいだろ? と思ったんで、敢えて今回出す事に決めました。
クライマックスの方で、佑と一騎打ちを繰り広げた波才なんですが……。これにも元キャラが存在しています。さて、誰でしょう? 判った方は感想欄にでも書いてくださいまし。
さて、次回から一刀達の方に話を戻します。いつまでも彼を毒で寝込んだままにする訳には行きませんしね? また、次回でお会い致したく思います!
それでは、また~! 不識庵・裏でした~!