第二十三話「いざ、潁川へ」
どうも、不識庵・裏です。
前回の更新より彼是一月以上のお時間を頂いてしまいました。これに関しては本当に申し訳なく思います。
予想通り、先月も仕事量が半端ではなく、猛暑も重なってと体力の消耗が著しかったです。休みの日になっても無気力がちになり、コンディションとモチベーションが全然維持できなかったですね。
おまけに、自身のスキルアップを図りたいと思い、現在大型特殊車両免許を取得するべく、空いた時間を狙って教習所へ通ってる物ですから、書く時間を得る事ができませんでした。
そんなこんなでグダグダ状態で書き上げたましたが、照烈異聞録第二十三話。最後まで読んでいただければ嬉しく思います。
「喜楽老師、一刀さんの容態はどうなんでしょうか? 」
「喜楽老師、一刀はっ!? お願いです、何か答えてくださいっ!! 」
「なぁ、喜楽老師。一刀は大丈夫なんだよなっ? なっ? 」
先日、黎陽近郊にて黄巾本隊との戦闘の折に、一刀は『劉備』を名乗った張闓が放った毒矢から愛紗を守るべく、彼女の身代わりになってしまった。以降、一刀はずっと床に伏せったままである。
義勇軍が誇る『幽州の三賢人』の内、喜楽こと龐統伯が医学と薬学に明るかった事もあり、彼が一刀に当った訳なのだが……。流石にこの時の彼は、懇願するかのように詰め寄ってくる桃香、蓮華、翠の三人に対し、実に渋い顔をして首を横に振った。
「ゴメン。俺は元々本職じゃないから、そこまで詳しく診る事が出来ない。かの『五斗米道』に伝わる医術を修めた訳でもないから、北の字君を直す手立てが見つからないんだよ。おまけに彼の右腕から抜いた毒矢に使われた毒の方も、永盛殿や紫苑さん、そして祭さんにも見てもらったんだが……。あの人達も何の毒なのかさっぱり判らないとの事なんだ 」
「そ、そんな…… 」
「嘘…… 」
「な、何で一刀がそんな目に遭わなければならないんだよ…… 」
申し訳無さそうに言ってくる喜楽の言葉に、三人の前に絶望の闇が落ちてくる――――忽ち彼女等は力無くその場にへたり込んでしまった。
「北の字君の容態を見るからに、猛毒に中ったのは間違いないだろう。彼の症状は※1附子(トリカブト)に中った時の物に似ている。だけど、ありゃ即効性なんでね? だから、仮にそれだとすれば、今頃彼は墓の中で永い眠りについている。おまけにコイツは悪質でね……解毒剤が無いんだよ 」
「解毒剤が無いだとぉ!? アンタ、良くもそんな事言えるなっ!? アンタだって『幽州の三賢人』の一人だろう!? だから……。だからっ、何とかしてくれよぉ~っ!! 」
忌々しげに顔をしかめる喜楽に耐え切れなくなったのか、翠は思わず逆上してしまい、彼の胸倉を掴むとそのまま壁に叩き付け大声で喚き散らす。鬼の形相で彼を睨みつける彼女の目には、大粒の涙が浮かんでいた。
「翠ちゃん……。すまん、こうなってしまうと俺達も正直お手上げなんだ……。本当にゴメン…… 」
「そんな…… 」
翠の気持ちを理解していたのか、喜楽は彼女を責めるどころか、逆に彼女に対して頭を下げて謝ると、翠は喜楽の胸倉を掴んだまま膝を突いてしまい力なく泣き崩れてしまう。そんな彼女につられるかのように、桃香と蓮華も大きな声を上げて泣き崩れてしまった。
「畜生め……。正直今回は手痛い損害を出しちまったぜ…… 」
「そうね……。一刀の事もそうだけど、ウチの方からも結構死人出しちゃったし、あの子達はすっかり落ち込んじゃってるしね? これじゃ軍全体の士気にも影響しかねないわ? 」
「チッ、あの糞餓鬼どもが……。矢張りあん時全員ぶっ殺して置けば良かったぜ……! 」
「糞餓鬼って、あの張闓達の事よね? 松花から話は聞かされてたけど、本当に糞餓鬼ね、そいつ……。正直、ここまで本当に殺したいと思った奴は見た事が無いわ 」
城内のとある一室にて、一心は雪蓮と差し向かいで酒を飲んでいる。二人とも実に忌々しげに顔を顰めており、折角の美酒の味も台無しであった。
「で、これからどうするの? 一心 」
雪蓮は目を狭めて一心に話しかける。一心には彼女が言わんがしている事が判っていた。
「そうだなぁ……。今回ばっかは、あいつ等三人をここに置いといて、北の字の傍に居させてやるのもありかも知れねぇ。だが、おいらとしては極力それはやりたかねぇんだ。それをしちまったら、桃香達がこれ以上伸びなくなっちまわぁ 」
「どうして? 私はあの三人を一刀の傍に置くべきだと思うんだけど? 」
やや目を吊り上げながら雪蓮が反論してくるが、それをやんわりと一心が制す。
「あぁ、雪蓮の気持ちは判る。然し、この義勇軍だけじゃなく、官軍の方もだが、皆掛け替えのねぇ人間を故郷に残しこうやって戦ってるんだ。況してや先日の戦いで義勇兵の中から死者が出たしな? おまけに、そん中にゃあ身重の女房楼桑村に残したまま逝っちまった奴だって居るんだよ。
……この義勇軍の総大将はおいらや雪蓮でも誰でもねぇ、桃香なんだよ。その桃香が自分の好きな奴がくたばり掛けてるから、これ以上進軍出来ませんって言ってみろい? あっと言う間に、この義勇軍はバラバラになっちまわぁ 」
一心の放った言葉に、雪蓮は思わず「うっ」と呻いて見せた後に、納得したかのような表情になった。
「……成る程ね、言われてみれば確かにそうだわ。何だか、昔冥琳や母様に言われた事を思い出しちゃった。『人の上に立つ者は私情に駆られてはならぬ』ってね? 」
「実はよ、昔おいらも情に駆られた挙句。取り返しのつかねぇ、下手ァ打った事があったんでなぁ……。だから、あいつにゃあおいらと同じ轍を踏んで欲しくねぇのさ 」
しみじみと語る一心の姿を、雪蓮は伏し目がちでじっと見つめると、彼女は何気なく彼に尋ねる。
「ふぅ~ん……。一心にもそんな過去があったんだ? 」
「まぁな……。昔、ちょいとな…… 」
苦笑を交えながら一心がそう答えると、彼は意味深っぽく雪蓮をじっと見詰め返し、後は黙って酒盃を傾けるだけで、この時の彼が何を思っているのか彼女には理解できなかった。
「あれ……? ここはどこ? うひゃあっ!? な、何で服を着てないの~~!! 」
桃香は目を覚ますと、自身が星の海の中で佇んでいる事に気付く。然し、自身の体を良く良く見てみれば、自分は服を着ておらず丸裸であった。
「桃香っ、そこにいるのねっ!? 」
「お~い、桃香ぁ~! 」
すると、何処からか自分に声が掛けられてくる。声のする方を向いてみれば、蓮華と翠が、こちらも自分と同じ一糸纏わぬ姿で星の海を漂っていた。
「蓮華ちゃん? 翠ちゃん? どうして二人ともここに……? 」
「判らないわ、だって、私達三人とも一刀の傍にずっと居たのよ? どの様な経緯でここに居るのかサッパリ判らないわ? 」
「あぁ、蓮華の言う通りだぜ? あたしだって、何でここに居るのか全然判らない…… 」
三人は互いに歩み寄ると、腕組みしながら首を傾げる。何故なら、自分達は先程まで一刀にずっと付きっ切りだった。それなのに、いつの間にやら丸裸で星空の中に佇んでいる。もし、これが夢だと言うのなら、何だか出来過ぎのように思えた。
『桃香……。蓮華……。翠…… 』
すると、何処からか三人を呼ぶ声が聞こえてくる。それは紛れも無く何時も聞きなれた一刀の物であった。その声に耳聡く反応し、彼女等は一斉に声のした方を向くと彼の名を声高に叫んだ。
「一刀さんっ!? 」
「一刀? 一刀なのっ!? 」
「一刀っ、あたし等はここだ! だから姿を見せてくれよ!! 」
『ああ、判ったよ…… 』
桃香、蓮華、翠――彼女等の呼びかけに答えるべく、鎧姿の一刀が彼女等の目前にその身をおぼろげに映す。然し、何故か彼は両目を閉じていた。
「一刀さん……。良かった、生きてるんだよね? あれ? 一刀さん、目は……? 」
「一刀……。私達本当に心配したんだから……。でも、何故両目を閉じているの? 」
「そうだよ、蓮華の言う通りだ。何で両目を閉じてるんだ? 理由位教えてくれたって良いじゃないか? 」
三人の問い掛けに、両目を閉じたまま一刀は苦笑交じりで語り始める。
「ははっ、何故かな? 三人の気配は判るんだけど、目が開かないんだ。まぁ、そんな事はどうでも良いさ。それよりも、俺は君達にちゃんと言っておかなくっちゃならない事があるんだ。これから俺の言う事を聞いてくれよ? 」
表情を真剣な物に切り替えて一刀が言うと、三人は黙ってそれに頷く。目は見えずとも、何となく雰囲気で判ったのか一刀は言葉を続けた。
「良いかい? これから君達はそのまま潁川へ向かうんだ。無論だけどさ、そこら辺は兄上や他の皆も上手く説得してくれよ? 桃香も蓮華も翠も優しいから、多分毒矢を受けた俺にかまけてると思う。だけど、そんな事をされたって俺は嬉しくないよ? 」
「「「ッ!? 」」」
意外な事を言われてしまい、桃香達は動揺を色に表す。そして、彼女等は一斉に一刀に詰め寄った。
「ちょっ、ちょっと一刀さんっ!! そんな事出来る訳無いよ? だって、だって……一刀さん今にも死にそうなんだもんっ!! 」
「そうよ、桃香の言う通りだわっ!! そんな薄情な真似、私達に出来る訳無いじゃないっ!? 」
「それは無いだろ一刀ぉ!! あたし等にお前の事を見捨てろって言うのかよっ!? 」
声高にまくし立てる三人に、一刀は長嘆息して肩を竦めて見せると、彼は両手を前に突き出し、宥める仕草をしてみせる。
「おいおい、俺は何も見捨ててくれとは言ってないんだ。君達には俺の事よりも重大な事があるんじゃないのか? 黄巾討伐もそうだけどさ、桃香、君は俺に言ったよね? 『争いの無い世の中を作りたい』ってさ 」
「うっ、うん…… 」
一刀の問い掛けに、桃香が戸惑い気味で答えると、一刀は更に言葉を続けた。
「だけど、その夢を実現させる為には、先ず戦い抜いて行かなくっちゃならない。今やってる黄巾討伐は、その第一歩にしか過ぎないんだよ? だのに、その第一歩の段階で俺の事を理由に躓いてどうすると言うんだい? 正直、それは桃香の事を信じてくれる皆に対する最大の裏切りなんだよ?
それと、桃香だけじゃない。蓮華に翠もだ。蓮華は将来孫家を引っ張る雪蓮さんを支えなくっちゃいけないし、翠は琥珀様の跡を継いで西涼馬家の当主になる立場の人間だ。三人とも何れは人の上に立たなくっちゃならない人間の筈。だのに、その君達が情に駆られて一体何になると言うんだい? 昔楼桑村で照世老師から教わった事を忘れたとは言わせないよ? 」
「あっ…… 」
「そっ、それは…… 」
「うっ…… 」
一刀に言われると、嘗て照世から帝王学の講義を受けた際に、その照世から言われた言葉が三人の脳裏を過ぎる。
諸葛瞭曰く
『人の上に立つ者は、民臣問わず慈愛の心を以って臨まなければなりませんが、自身は私情に駆られて軽はずみな行いをしてはなりませぬ。何故なら、人の上に立つ者が私情に駆られてしまいますと、臣兵達に示しがつかなくなると同時に人心は離れ、家の、ひいては国の滅亡にも繋がりかねないからです。
この照世も、嘗て私情に駆られ取り返しのつかぬ大失敗をした人物を間近で見た事があります。将来雪蓮殿を補佐される蓮華殿や、琥珀様の跡を継がれる翠殿にはそれと同じ轍は踏んで欲しくありませんな? 無論、桃香殿もですぞ? 』
『う~~ん。正直出来るかどうか判りませんけど、その時が仮にあるのなら今の老師の言葉を思い出します 』
『判りました照世老師。私も昔長沙で母様を始めとした皆から、今の老師のお言葉と同じ事を言われた事がありますし……。『情』だけでは、人を纏める事など到底不可能ですから 』
『あたしにはちょっと微妙だな……。でも、西涼に居た頃母様に似たような事を言われてたっけ……。『情に駆られ過ぎると、周りが見えなくなる』ってさ。まっ、あたしも桃香と同じだよ? そんな状況になったら、迷わず今の老師の言葉を思い出す事にするさ 』
この時彼女等は照世にそう答えた物だが、現に今、正に照世からの教えを実行しなければならない状況と直面している。然し、三人は躊躇するばかりで、明確な態度に出る事が出来なかった。
「やれやれ、世話の掛かるお姫様達だなぁ…… 」
やや呆れが入った風で一刀が言うと、彼はやんわりと語り掛けた。
「約束するよ。俺は絶対に君等を追いかけるからさ? だから、先ずは黄巾討伐の方に専念して欲しい。悪戯に情に振り回されて、今自分のすべき事を見失わないでくれ! この通りだから! 」
最後の方で力強く叫ぶと、一刀は頭を下げて三人に頼み込む。そんな彼の姿に、三人は彼の名を呟くと黙り込んでしまった。
「一刀さん…… 」
「一刀…… 」
「一刀、お前…… 」
そこから少しばかりの沈黙の後、桃香は自身の胸元で両拳をグッと握り締めると、意を決したかのように口を開く。この時、彼女の両目には強い意志の光が宿っており、完全に迷いを断ち切ったかのようであった。
「判ったよ、一刀さん。私、皆と一緒に一足先に潁川に向かうね? そして、一刀さんに戦勝報告が出来るようにしておくから! 」
「桃香、行き成り何を言ってるのっ!? 」
「とっ、桃香ぁ!? 」
「ありがとう、桃香…… 」
彼女の想いを耳にし、一刀は満足げに頷くが、蓮華と翠は困惑して見せると、迷わず二人は桃香に詰め寄り始める。
「ちょっ、ちょっと桃香! 気は確かなの? 今一刀がこんな状態なのに! 」
「ああ、蓮華の言う通りだ! お前ナニ考えてんだよっ!? 」
だが、桃香は表情をきりっと引き締めると、真っすぐ二人を見やり、毅然とした態度で二人に語りかけた。
「蓮華ちゃん、翠ちゃん……。本音を言うと私だって一刀さんに付きっ切りでいたいよ? でも、そんな事をしていたって黄巾達を、ううん、張闓達の悪行を食い止める事は出来ないんだよ?
それに……、今私達がこうやって立ち止まってるだけでも、張闓達に酷い目に遭わされる人たちが増えるだけ。だったら、私達は今自分のすべき事をしなくっちゃいけない! この前の黎陽の戦いで、身重の奥さんを楼桑村に残したまま逝ってしまった人もいるしね……。
そんな目に遭った人が居ると言うのに、私だけが特別扱いのような態度を取っていては、私に力を貸してくれる一心兄さんや他の皆に申し訳が立たないよ! だから、だから……。蓮華ちゃん、翠ちゃんお願い……。改めて私に力を貸して!! 」
「桃香…… 」
「桃香、お前…… 」
桃香の真摯な訴えは蓮華と翠――二人の胸を打つ。二人は少し考え込む仕草をしてみせると、何れも桃香に負けぬほどの強い意思の光を湛えた目で真っすぐ桃香を見つめ返した。
「判ったわ、桃香。良く良く考えてみれば、一刀や桃香の言うことは正しいわ。一刀の傍についててあげる事は何時でも出来るけど、黄巾を使う張闓達の悪行は今すぐにでも止めなくっちゃいけない。この孫仲謀、改めて劉玄徳に力を貸すわ 」
「ああ、あたしもさ! 本当は一刀の傍にいたいけど、今ここで張闓の野郎をブッ潰さないとトンでもない事になってしまうからな? この馬孟起も劉玄徳に力を貸すぜ! 」
「ありがとう、二人とも…… 」
二人の強い意思表示の表れを聞き、桃香が嬉しさの余りに涙ぐんでいると、一刀はニッコリと笑みを浮かべて見せた。
「どうやら、三人とも大丈夫みたいだね? じゃ、俺は少しの間骨休みさせてもらうよ。みんな、潁川でまた会おうな? そん時には良い報告を聞かせてくれよ? 」
「うんっ! 任せといて! だから、一刀さんは早く体を治してね? 」
「任せてっ! 一刀には良い報告が出来るようにしておくから 」
「ああっ、だから一刀は早く良くなってくれよ? そして……その……。※◎△■☆~~~!! ああっ、めんどくさい!! 良くなったら、あたし等をまた抱いてくれよな!? 約束だぞっ!? 」
威勢良く叫んで見せたものの、だんだんどもり始めた翠であったが、やけっぱちを言わんばかりに赤面させながら思いの丈を一刀に叩き付ける。すると、他の三人から高らかな笑い声が上がった。
「あはははははっ! たっ、確かにそれは重要な事だな? 判ってるよ、俺の方だってまだまだ君達を抱きたいと思ってるんだ。こんな所で死ぬ訳には逝かないよ? 」
「あはははっ! そうだね、一刀さんにはまだまだ頑張って貰わないといけないんだから。だって、私一刀さんと子供をたーくさん作りたいと思ってるし♪ 」
「うふふふふっ、そっ、それは確かに重要よね? あと、桃香。私だって一刀との間に子供を沢山作りたいと思ってるのよ? 桃香や翠に出遅れる積りは更々無いわね? 」
「なっ!? @×△∀※~~!! おっ、お前等そんな事考えてたのかよっ!? ちっくしょぉ~~! こうなったらあたしも負けてられっか!! おい、一刀! 潁川で子作りすっからなっ? だから、逃げんじゃないぞっ!?
無事に西涼に帰ったら、そん時母様の前であたしの子を見せつけてやる!! そしたらこう言ってやるんだ、『あたしの子だ。今日から母様は『お婆様』だ 』ってさ! 」
「おいおい、その時はまだ俺は病み上がりなんだからな? お手柔らかにしてくれないと、また床に伏せっちまうよ 」
少しばかりの怯えを交えながら、一刀が言ったのを切欠に、四人の少年少女は年相応の健康そうな笑い声を高らかに上げる。彼等を包み込む星空の中に、その笑い声は何時までもこだましていた。
「んっ…… 」
窓から差し込む朝日に刺激され、桃香は目覚める。あの後、蓮華や翠と共に一晩中一刀を看病していて、そのまま眠りこけていたようだ。どうやら、気付かぬ内に自分達は一刀の寝台にうつ伏せになっていたようである。
一刀は未だに臥せったままで目を覚ましておらず、時折苦しそうに喘いでいるのもあの時のままであった。桃香が目を覚ましたのが引き金になったのか、蓮華と翠も目を覚ます。すると、二人は何か気恥ずかしそうに桃香を見やった。
「おはよう、蓮華ちゃん、翠ちゃん…… 」
「おっ、おはよう。桃香 」
「おはよう…… 」
形どおりの挨拶は交わしたものの、三人はそれっきり黙りこくってしまい、何だかばつの悪そうな空気がそこに漂い始める。そして、おもむろに翠が口を開いた。
「なぁ、桃香に蓮華。もしかしてお前等夕べ変な夢見なかったか? 丸裸で星空の中に居てさ、鎧姿の一刀に出会ったって奴なんだけど 」
「え!? 翠ちゃんもあの夢見たの? 」
「翠、それに桃香も? まさか、私達同じ夢を見たって言う訳? 」
三人は驚きの表情になると、ふと彼女等の視界の片隅に未だ目覚めぬ一刀の姿が映る。何故か、苦しげに喘いでいるはずなのに、心なしか彼は笑みを浮かべているようであった。
「もしかして、これって……。※2皇天后土が夢の中で一刀さんと会わせてくれたんじゃないのかな? 」
一刀の顔を見やり、桃香は優しげに微笑みながら自分なりの推論を言うと、蓮華も翠も納得したかのように頷いて見せた。
「そうね、間違いないわ。恐らくだけど、これは皇天后土のお導きね? 」
「だな、だって四人とも同じ夢を見ただなんて、偶然じゃすまされないぜ? 皇天后土に感謝しないと罰が当っちまうな? 」
「うんっ! それじゃ、蓮華ちゃん、翠ちゃん。何をすべきか判るよね? 」
「ええっ、無論判ってるわ! 」
「ああっ、黄巾どもを、そして張闓の野郎をぶっ飛ばしたろうぜ!! 」
三人は気勢を上げると、グッと顔を引き締めて部屋を後にしようとする。その際、彼女等は未だ臥せったままの一刀に少しばかりの別れを告げた。
「じゃあね、一刀さん。行って来るよ? 」
「一刀、今度会うまでには元気な姿を見せてね? 」
「一刀……。あたし達、お前が戻って来るのを信じてるからな? 」
「さてと……。どうやってあいつ等を説得すっかねぇ? 」
「そうねぇ……。あの三人結構頑固だから、骨が折れそうよ? 」
実に渋い顔をしながら、一心と雪蓮は桃香達を説得するべく、彼女等が篭っているであろう一刀の部屋へと向かっていた。何せ、三人とも『理』より『情』を優先させる傾向がある為、説き伏せるのも実に大変だと思われたからだ。
「あー、ちっくしょうめぇ。こんな事なら、照世達でも連れてくりゃ良かったぜ 」
「そうね……。ああ~~!! こう言う時ウチの方も冥琳がいれば良かったのにぃ~~!! 」
「んっ、ありゃあ……。桃香じゃねぇか? 」
「あら、本当だわ。それに、蓮華と翠も…… 」
この場にいないそれぞれの知恵袋の名を叫んで、二人が忌々しげに顔を顰めていると、彼等の前方より桃香達三人がこちらの方へと歩を進めてくる。彼女等の姿を確認し、先ずは何とか言葉を聞いて貰おうと、一心が桃香に話しかけた。
「なっ、なぁ桃香。これからの事なんだけどよ…… 」
「一心兄さん、軍は直ぐに動かせるの? 」
「なっ!? 」
彼の言葉を遮る形で、桃香が尋ねてくると、一心は思わず驚きの表情になる。そして、彼はやや口篭ったような風で桃香に答えた。
「あっ、ああ。夕べ皆で必死こいて再編したからな? お前が号令かけりゃ直ぐにでも動かせるぜ? 」
「有難う、一心兄さん。そして、御免なさい……。私が不甲斐無いばかりに皆に迷惑を掛けてしまって…… 」
申し訳なさを顔に滲ませて、桃香が頭を下げると、一心は彼女の肩に優しく手を置いた。
「なぁに、気にするこたねぇさ。大好きな一刀があんな状態だ。おいらが桃香の立場でも取り乱しちまわぁ。……で、一刀についててやんなくっても良いのか? 」
一応だが、一心が桃香に一刀の事を尋ねると、桃香は一瞬目を逸らして寂しげな笑みを浮かべるものの、直ぐにキュッと表情を引き締めて彼に向き直る。
「うん……。本当は、私も蓮華ちゃんも翠ちゃんも一刀さんについててあげたいけど、そうしていたって事態は好転しないもの。……それにね、私達夢の中で怒られちゃった。『俺の事にかまける暇があったら、黄巾を追え 』って。
一刀さんは、必ず戻って来るって約束してくれたんだもん。だったら、私は今自分に出来る事をしなくっちゃいけないとね? 」
「お義兄様、姉様。御迷惑をお掛けしました。この蓮華も桃香と同じです。私は今自分のすべき事をします! 」
「あたしもさっ! 若し、仮にこの場に母様がいたら拳骨を噛まされてるとこだったよ。気合入れ直して、黄巾野郎をぶっ飛ばしてやるぜっ! 」
桃香が決意をあらわにすると、後ろの蓮華に翠も彼女と同じ表情で頷いてみせる。この三人の姿に、一心と雪蓮は安堵するかの様に優しく微笑んで見せた。
「そっかぁ、夢の中に北の字がな……。泣かせる事してくれやがって、あいつ…… 」
「一刀がそこまでね……。まぁ、私と一心が言うより、たとえ夢とは言え、一刀が言った方が納得してくれるしね? 今の貴女達の言葉を聞いて、正直私の方も安心したわ。なら、問題は無さそうね? 」
「はいっ! 大丈夫ですっ! 」
「ええっ、大丈夫よ! お義兄様、姉様ッ! 」
「ウジウジ悩むのはもう止めにしたんだ、だから任せろっ! 」
雪蓮の言葉に、三人が満面の笑みで答えて見せると、早速彼女等は行動を起こす。桃香達三人は将達が集まる謁見の間に入ると、官軍の臨時の総大将である鄒靖を始めとした将達一人一人に頭を下げて謝って回り、その際桃香は諸葛亮こと朱里と、龐統こと雛里に改めて対面した。
「あっ、この前の炊事係の子達だよね? それじゃ、改めて始めまして。私は劉備、字は玄徳。諸葛孔明さんと龐士元さんの事は、照世老師達からちゃんと聞かされたよ? あの老師達が太鼓判を押すんだから、私は貴女達を信用するし真名も預けるから。私の真名は『桃香』、『桃香』と呼んでね? 」
「はっ、はわっ! 私は諸葛亮、字は孔明でしゅっ! わっ、私の事も真名の『朱里』と呼んでくだしゃいっ、桃香様っ! 」
「あっ、あわわっ! 私は、ほ、ほと、龐統、字は士元でしゅ。わ、私の事も『雛里』と呼んで下さい、桃香様…… 」
にっこりと笑いかけながら言葉をかける桃香に対し、実に噛み噛みな返答をする朱里と雛里であった。
「んー……。あれ? 」
そして、桃香はふと気付く。この場にいる面々の中に、自分のすぐ下の義妹の姿が無かったのだ。表情をやや曇らせると、彼女は自分のもう一人の義妹に声を掛ける。
「ねぇ、鈴々ちゃん……。愛紗ちゃんの姿が見えないんだけど? 」
「あっ、愛紗は……。今熱を出して、寝込んでいるのだ 」
「ええっ!? 愛紗ちゃんが熱を!? 」
「う、うんっ…… 」
気落ちした風で鈴々が答えるのを見て、桃香の脳裏に先日の黎陽での光景が蘇る。あの状況からして、どうやら張闓は自分を毒矢で殺す積りだった様だ。そこを偶然愛紗が自分に近寄ってきたから、その標的が自分ではなく愛紗になってしまい、一刀はその愛紗の身代わりになっただけである。
「そっか……。愛紗ちゃん、やっぱり気にしていたんだね? 私は一刀さんにも愛紗ちゃんにも感謝しているのに……。だって、今頃毒矢で倒れてるのは私だったんだよ? 」
「うんっ、それは鈴々にも判っているのだ。でも、でも……。愛紗はあの後ずーっと自分を責めてたのだ。おまけに、一晩中雨に打たれたせいで熱を出してしまったのだ…… 」
桃香が言うと、鈴々は今にも泣きそうな顔になった。現に、彼女の声は涙声になっている。桃香はそんな末妹をそっと抱き寄せると、優しく囁きかけた。
「鈴々ちゃん。私、愛紗ちゃんともう一遍お話してくるね? だから、鈴々ちゃんはこれから黄巾達を『ちょちょいのぷー』でやっつける事だけを考えてて欲しいんだ…… 」
「うっ、うんっ……。鈴々、愛紗や一刀お兄ちゃんの代わりに、黄巾達を『ちょちょいのぷー』でやっつけてやるのだ……。だから、だから…… 」
そこまで言うと、遂に堪えきれなくなったのか、鈴々は桃香の胸に顔を埋めると大声で泣き叫ぶ。彼女が泣き止むまでの間、桃香は優しく鈴々の頭をなで続けていた。そして、鈴々が泣き止むと、桃香は未だしゃくり上げたままの鈴々を後に、愛紗に声を掛けるべく彼女の元へと向かったのである。
「あっ……。私は……。何故ここに……。うぅ……そうだ、私はあの後…… 」
愛紗が目を覚ましたのは、城内のとある一室であった。あの後彼女は己を責め続け、一晩中雨に打たれた影響もあってか、高熱を出して寝込んでしまったのである。身を起こそうとするが、体に上手く力が入らず、おまけにズキンと響き渡るような頭痛が彼女を襲った。
「ようやく目を覚ましたか? 全く、お主は手間の掛かる娘だ 」
「っ!? 仲拡殿(義雲の字)? 何故? 」
重く響く声と共に、愛紗の視界に義雲の顔が映る。見事な長髯が特徴である、彼の赤ら顔を間近で見て、愛紗は驚愕で目を見開いた。未だに合点がつかぬ彼女を他所に、義雲は言葉を続ける。
「雲長、お主は城の外塀の前で倒れていたのだ。おまけに雨に打たれ続けていたせいで、熱も出しておったしな? 鈴々とわしが見つけなければ、お主の容態はもっと酷くなっておったのだぞ? 」
そこまで言うと、義雲は愛紗の額にのせてあった手拭を一旦外すと、水を汲んだ手桶にそれを入れて絞り直し、再び彼女の額にのせ直す。水で冷やされた布の感触は、今の愛紗にはとても有難い物であった。
「申し訳……ありません 」
「詫びを申すのなら、わしではなくお主を気遣っておった鈴々や、雨に濡れた服を着替えさせてくれた紫苑。そして、わざわざお主の為に薬を用意してくれた喜楽に言うが良い。わしは、ただ単にお主をおぶっただけだからな? 」
「はい……ッ!? 」
気拙そうに答えると、ふと愛紗の脳裏に一刀の顔が浮かび上がる。あの後彼はどうなったのか? 居ても立っても堪らず、愛紗は義雲に尋ねた。
「ちゅ、仲拡殿。仲郷殿は……? 」
「あぁ……一刀はまだ目を覚ましておらぬ。あれが中ったのは、性質の悪い毒だと喜楽が言っておった。弓矢を扱う故に、毒に詳しい紫苑や永盛殿、そして祭殿にまで見てもらったのだが、何れも判らずじまいでな? だから、打つ手が見つからぬとの事だ…… 」
「そ、そんな…… 」
苦々しく顔を顰めながら、重々しく語る義雲の言葉に、再び愛紗の顔に絶望の色が広がる。彼女は上掛けを引っ掴んで頭から被りこむと、再び自責の念に苛まされ、声を上げてすすり泣き始めた。
「ウッ、ウウッ……ウウッ…… 」
「むぅ…… 」
今自分の目の前ですすり泣くこの少女の姿に、義雲はかけるべき言葉が見つからなかった。
「ねぇ、愛紗ちゃん。桃香だけど、今そこにいるんだよね? 入らせてもらうよ? 」
「むっ? 」
「ッ!? 」
部屋の扉越しから桃香の声が聞こえてくる。義雲は思わず片眉を吊り上げ、愛紗は愛紗で、すすり泣きを一旦止めると、体をビクッと震わせた。
「愛紗ちゃん…… 」
桃香が部屋の中に入ると、自分の目に飛び込んできた光景に、彼女は顔に影を落とす。愛紗は上掛けを被りこんだまますすり泣いており、腕組みした義雲がいつもの仏頂面を決め込んでいた。
「義雲兄さん、愛紗ちゃんは…… 」
「うむ、見ての通りだ。先程目を覚ましたばかりでな? 一刀の事を聞かれた故に、話してやったらご覧の有様だ 」
「そう、なんだ…… 」
そこまで義雲と話すと、桃香はゆっくりと愛紗の方へ歩を進め、寝台の縁に腰掛けて優しく彼女に話しかけた。
「ねぇ、愛紗ちゃん……。ちょっといいかな? 」
「ッ!? 」
桃香が声を掛けても、愛紗は体をビクッと震わすだけで何も答えようとしない。然し、それにも構わず桃香は言葉を続けた。
「無理にお返事しなくってもいいんだよ? だから、そのまま聞いてね? あのね、愛紗ちゃん……。さっきは有難う。愛紗ちゃんがいなかったら、私今頃あの世に逝っていたかも知れない。
そりゃ、運悪く一刀さんが身代わりになってしまったけどさ、だからってそれを愛紗ちゃんが気にしちゃ駄目だよ? 本来なら、今の愛紗ちゃんみたいに泣いてるのは私なんだから。
それでなんだけどね、愛紗ちゃん。私、これから潁川に行くね? 一刀さんの事が心配じゃないのかといったら嘘になる。でも、今は張闓や黄巾達を一刻でも早くやっつけなくっちゃいけないから。
それにね、黄巾達をそのままのさばらせといたら、私一刀さんや皆に顔向けできないよ。だって、今の私は義勇軍の総大将……。だから……私は自分に課せられた責任を果たさなくっちゃいけないのっ! 」
「あ、義姉上…… 」
愛紗は被っていた上掛けを払いのけると、弱々しく義姉に答える。彼女は両目を泣き腫らしていた。
「愛紗ちゃん…… 」
いつの間に涙を流していたのだろうか――――桃香はにっこりと泣き笑いを見せると、愛紗の手を取る。先程自分を責めた代償だろうか、彼女の両手には包帯が巻かれていた。
「私達は姉妹だよ? 生きるも死ぬも一緒って誓ったじゃない? それに、愛紗ちゃんの痛みは私の痛み。だから、その痛みを私にも分けてくれないかな? 」
「義姉上、義姉上……ッ! アアアアア~ッ!! 」
「……(ふっ、泣かせるではないか……。まるで嘗てのわし等を見ているようだ…… ) 」
桃香の優しい言葉に感極まり、愛紗はその胸に顔を埋めて幼子のようにひたすら泣きじゃくる。義雲はその光景を優しく見守りつつ、自身も目頭をそっと拭った。少し経ってから、愛紗が泣き止むと、桃香は改めて彼女に話しかけた。
「愛紗ちゃん、これから私達の軍は潁川に向かうけど、愛紗ちゃんは先ず体を治す事に専念してね? 私、待ってるから。だから、愛紗ちゃんも早く来てね? 」
「はい、判りました義姉上。正直、今の私では到底義姉上のお役には立てませぬ……。どうか、私の事は構わずに潁川に向かって下さい。それと鈴々を頼みます。アレは私がいないと勝手に暴走しますからね? 」
「大丈夫だよ! お姉ちゃんに任せなさい……プッ、ダメッ! 上手く決めようと思ったんだけど、アハハハハハハッ! 」
「フッ、フフッ……アハハハハハハハハッ! 」
カッコ良く決めようと思ったが、中々上手く決めることが出来ず、それがとてもおかしくなって来たのか桃香が笑い始めると、それに釣られるかのように愛紗も笑い声を上げる。未だに一刀は重態であったが、愛紗は心に掛かった闇を少しばかり取り払う事が出来たのである。
「よーっし、んだらばっ、出発するっちゃよ~! 目指すは予州は潁川郡ッ! おのおの方ッ、これで終わりにさせるべっちゃよ~~!! 」
「みんなー!! 後もう少しの辛抱だよ? だから、もうひと踏ん張りお願いするねっ!? 」
すっかり晴れ渡った青空に菖蒲と桃香の号令が響き渡る。彼女等は、張角及び張闓達が逃げ込んだと思われる予州は潁川郡目指して進軍を始めた。
桃香は万が一を考え、菖蒲や一心を始めとした他の皆と相談すると、未だ目覚めぬ一刀と体調を崩した愛紗の為に千名の兵を黎陽の守備に残し、その指揮に到っては極めて智勇の均衡に優れた義雲と雲昇にその補佐として紫苑。更には照世に引けを取らぬ智謀の士である喜楽の四人に頼む事にしたのである。
「桃香殿、しっかりな? 武運を祈っておるぞ? 一刀の事ならわし等に任せておくが良い 」
「義姉上……。どうか御武運を 」
「桃香殿、これまで私達がお教えした事を忘れずに敵に当たられますよう……。この雲昇も武運を祈っております 」
「桃香さん、ご武運をお祈り致します。一刀さんと愛紗ちゃんの事は私達にお任せ下さい 」
「桃香ちゃん。しっかりやれよ? 北の字君の事だが、俺が何とか手段を探してみるよ。だから、取り敢えずは目前の黄巾の殲滅だけを考えてくれ 」
留守居役を任せられた義雲、雲昇、紫苑、そして喜楽が彼女等を見送っており、その中には寝間着の上に長衣を羽織った愛紗の姿もある。彼女の顔色は未だに青ざめており、足元もふらついていたが、その身は紫苑に支えられていた。
「うんっ、判ってるよー! だから、皆さんっ。一刀さんと愛紗ちゃんを宜しくお願いしますねー!? 」
「愛紗ー! 早く良くなってくるのだ! でないと鈴々が先に黄巾達をみーんな『ちょちょいのぷー』でやっつけちゃうのだー! 」
「ブヒッ! 」
彼等の見送りを受け、馬上の桃香が、そして猪に跨った鈴々が満面の笑みでそれに答える。それに続くが如く、一心と義雷も言葉を発した。
「それじゃな、また潁川で会おうぜ。おめぇら、北の字と雲長さんを頼んだぞ? 」
「義雲兄貴、雲昇! 俺が二人の分まで暴れてやらァ! だから安心しとけ!! 」
この二人の言葉を受け、彼等は苦笑交じりで黙って手を振ってみせる。それを見て満足したのか、桃香達は先頭の方へと馬を進め、彼等の前から去っていった。
「義姉上、鈴々、そして皆……。どうか無事で…… 」
地平線の彼方へと消え行く軍勢を見つめ、愛紗はそっと呟くと、次に城のとある一角を見やる。そこは未だに臥せったままの一刀がいる部屋の方角であった。
「仲郷殿……。どうか、どうか早く治って義姉上達に元気な顔を見せて下さい……。悔しいですが、義姉上に本当の笑顔をもたらせるのは、貴方だけなのですから…… 」
「雲長…… 」
「雲長殿…… 」
「愛紗ちゃん…… 」
「雲長さん…… 」
そう、力無く言う愛紗の顔には未だ影が降りたままであり、他の者達が気遣うように彼女を見やるが、愛紗の方もまだ完全に立ち直っているとは言えなかったのである。
――所変わり、予州は潁川郡は長社県近郊。皇甫嵩・曹操連合軍の華琳の天幕にて――
「皇甫閣下、連戦続きでお疲れで御座いましょう。この曹孟徳、ささやかながらですが閣下の為に慰労の宴を催しました 」
「いや、とんでもない。曹太守、こんな私にわざわざの慰労の宴感謝する 」
「ふふっ、そう言って頂けるとはこの曹孟徳、恐悦至極で御座います 」
華琳は本拠地である陳留を出立し、予州との州境で河南尹からやってきた皇甫嵩の軍勢と合流すると、道中彼等と共闘しながら黄巾どもを蹴散らし、長社県に差し掛かった辺りで陣を張り、兵を休ませる事にしたのである。
早速、華琳は連戦続きで疲労困憊に達しているであろう皇甫嵩の軍の事を考え、彼等をもてなさんと一席設ける事にした。これに関しては、華琳自身も少しでも良いから中央の人間への覚えを良くして貰おうと言う狙いもあった。
宴に加わった将であるが、上座に座る皇甫嵩や華琳は言うに及ばず、皇甫嵩の部将や、今回に辺り仙蓼が考えた陣立て通りに参戦した者達が居り、その中には『天の御遣い』こと佑の姿もあった。彼は、厨師(料理人)を兼ねてる流琉こと典韋が作った料理に舌鼓を打ち捲り、歓喜の余りはしゃぎ捲っていたのである。
「おほっ! さっすが流琉ちゃんが作っただけあるわ~~!! エビチリ、麻婆豆腐、※3青椒牛肉絲に八宝菜! こちらは回鍋肉に北京ダック、おまけにさっぱりした棒棒鶏!! おほっ、スウィーツは杏仁豆腐でっか!! これは正に中華料理のオンパレード……! くぅ~~~!! どれもこれも、うっ、まっ、いっ、ぞぉ~~~~!!! あぁ~~!! 生きてて良かったわぁ~~!! 」
「御遣い様、宴席とは言えども、主賓を差し置いてみだりに騒いではなりませぬ♪ 」
「あだっ! 」
……と、まぁ直ぐにはしゃぐ彼を抑える為、司馬仲達こと仙蓼も彼の隣に控えていたのである。早速彼女は佑を抑える為、何やら『張り扇』らしき物で彼の頭をどついて見せると、それは『パシコーン』と小気味良い音を立て、彼を強制的に沈黙させる。何故かは知らぬが、この時の彼女は実に『エエ笑顔』を決めていた。
「むっ……。曹太守、あの者は何者かな? 何やら見慣れぬ出で立ちをしているが……? 」
「あっ、あれは……(あのごくつぶし……。この場で私に恥をかかせる積り!? ) 」
当然、そんな騒ぎを起こすモンだから、佑は周囲の注目を浴びてしまい、皇甫嵩は少し興味深げに彼を見詰める。一方の華琳であるが、場の空気を読まずにはしゃぎ捲るこの男に内心悪態を吐いていた。
「あっ、こりゃど~もぉ~~!! 貴方が皇甫嵩将軍はんでっしゃろ? ワイ、及川佑言いますー!! 昨年孟徳はんに拾われましてん。以来そこの御厄介になっとりますー!! さ、先ずは一献傾けて下さい♪ 」
「あっ、これはこれは……かたじけない 」
この男を何と紹介すれば良いのか?――そう、華琳が考えあぐねてるのを嘲笑うが如く、佑が皇甫嵩の前にしゃしゃり出て来ると、彼は愛想の良い笑顔を振りまきながら皇甫嵩に酒を注ぐ。一方の皇甫嵩であるが、彼の方も満更でもなさそうであった。
「ふむ……。曹太守、貴公が昨年『天の御遣い』を得たと言う噂話を聞いたのだが……。若しかして、彼がそうなのかな? 」
じっと佑を見詰めると、興味津々と言わんばかりに皇甫嵩は酒盃を傾け、隣席の華琳に尋ねる。
「はい、実は真の事で御座います……。ですが、我々は天子たる帝にお仕えする身。出来ればこの事はご内密に…… 」
「はっはっは。別に良いではないか? 確かに我々は天子たる帝を頂いている身ではある。だが、今こうして目の前にいる『天の御遣い』の彼とは全く別の話だ。貴公が『天の御遣い』を得たのも、何かしらの天佑だと私は思うのだが? 曹太守、寧ろこれは大々的に触れ回っても良いと私は思うぞ? 」
芝居がかった風で華琳が神妙な面持ちで答えると、対する皇甫嵩は満足げな笑みを浮かべていた。
「大々的にですか? 」
「そうだ、こちらに『天の御遣い』が居るぞと触れ回ってやれば、それは黄巾どもにとっても大きな衝撃となる。何せ。奴等は首魁である張三兄弟を次の天に抱いてるのだからな? 新たな天意の代弁者が官軍側に居ると判れば、奴等としては誰を天とすれば良いのか混乱を始めるであろうよ 」
「成る程、確かにそうしてやれば黄巾どもは心乱されましょう。流石は左車騎将軍の重職に就かれている皇甫閣下……。そのご慧眼、この孟徳も見習いたく存じます 」
「いっや~~!! そこまで言われてまうと、ワイとしてもめっちゃ恥ずかしいですわァ~~! 」
華琳は大仰に納得するかのように頷いてみせる。無論、これも芝居であった。然し、そんな華琳の事などつゆほども知らず、只でさえしまりの無い顔を余計だらけさせ、佑はヘラヘラと照れ笑いを浮かべる。
(フン、そんな事位は判っているのよ! だけど、コイツは『天の御遣い』以前の只のごくつぶし……。正直つかみ所が無いからこっちも手を焼いてるのに、良くもまぁ気楽に言ってくれるわね!? それと、このごくつぶし……。後でどんな仕置きをくれてやろうか? )
等と、華琳が内心で悪態を吐いてると、急に佑は彼女の傍に近寄り始め、彼は表情をキリッと引き締めると真顔で彼女に話しかけた。
「孟徳はん……。ちょぉ、よろしいでっか? 」
「なっ、何よ……。何か言いたい事でもあるのかしら? 」
思わぬ彼の不意打ちに、華琳が戸惑いの表情になって見せると、佑は真顔でトンでもない事を言い始める。
「折角の宴なんやし、こう、なんかパーッと盛り上げるモンがないとおもろないやないですか? 例えば、別嬪はんでも呼んで将軍に酌をさせるとか、芸妓はんの一人か二人でも呼ぶとかないんでっか? 」
「んなっ!? あっ、貴方! 行き成り真顔になったと思ったら、突然何を言い出すのよっ!? 」
「いっ、いやっ……別にそこまで気を使わなくても…… 」
彼の言葉に、華琳は自身の中に突沸する物が込み上げて怒りを露わにし、皇甫嵩は困惑した風でうろたえてしまった。
「おやおやー、何だか面白くなってきましたねー? 」
「一体何が面白いんですか、風? 彼はふざけています 」
そのやり取りを別の方で見守る二人の少女が、それぞれ自分の意見を述べる。一人は小柄な少女で、頭の上には変わった意匠を凝らした人形を載せており、もう一人は気難しそうに顔を顰めて眼鏡を上げていた。
この二人であるが、人形を頭に載せた小柄な方は、姓を程、名を昱、字を仲徳と言い、真名を『風』と言う。もう一人の気難しそうな方は姓を郭、名を嘉、字を奉孝と言い、真名は『稟』と言った。
風と稟は何れも同い年の十七歳で、昨年華琳に召抱えられ、それより以前にはこの佑とも出会った事があった。二人は軍師となるべく、大陸各地を放浪し見聞を広めていたが、やがて兗州陳留郡太守曹孟徳の噂を聞きつけると、二人は彼女に仕官したいと考えるようになる。
道中、趙子龍と言う女武芸者と知り合い、以降護衛してもらいながら曹孟徳が治める陳留に辿り着く。そして、二人はそれなりに交友を深めた趙子龍に一緒に来ないかと誘ってみたが、彼女はやんわりとそれを断った。
『お主達が仕えるべき主を見つけたように、私も仕えるべき主を探したくなってきた。ここの太守曹孟徳は、若くして太守の要職を任せられる程の人物だと聞いてはいる。だが……何となくなのだが、どうもここには私の居場所は無さそうに思える。縁あらば又何れ会うことも叶おう。さらばだ 』
『あらー、それなら仕方がありませんね? それじゃ、星ちゃん。縁があったらまた会いましょー。いい人に仕える事が出来るように祈ってますよー? 』
『だったら、メンマ好きの主君を探すんだな? 何せ、お前のメンマ好きは恐らく中原一だ。四海よりも深い心で、お前のメンマ尽くしを受け入れる奴でないと到底無理ってモンだぜ 』
『これ、宝慧。そんな事を言ってはいけませんよー? 』
『残念です。貴女ほどの武芸者なら、諸侯も喉から手が出るほど欲しがりましょう。出来る事なら、敵として会いたくないものですね? 』
『フッ……。それを決めるのは私達ではない。だが、稟の言う事も尤もだな。私としても、お主等の様な策士とは事を構えたくないものだ 』
かくして、趙子龍こと星と別れた彼女等は、そのまま城に赴いて曹孟徳に仕官しようとしたが、この時風はふと思い留まると、親友たる稟に話しかけた。
『ねーねー、稟ちゃーん。ちょっと良いですかー? 』
『ああっ、曹操様。密談とかこつけて、私と密着したいだなんて、そんな…… 』
『あー……、また始まりましたね? 稟ちゃんの悪い癖が 』
『暫く放って置けよ、風。こう言う時の稟は、何言っても聞こえやしないぜ? 』
稟は、何やら熱病に罹ったかのように独り言をぶつぶつ呟いており、目も常軌を逸した物になっている。今の彼女の姿は、先程までの毅然とした振る舞いの知的な人物と同一とはとても思えなかった。
一方の風であるが、そんな稟の姿に『またか』と言わんばかりの呆れ顔でぼやいてみせる。彼女が頭の上に載せている人形――名を宝譿と言う――も、彼女と同じ様に呆れ顔でぼやいてみせた。無論、喋る人形など存在しない。これは風が自分の本音を語る際に、腹話術で宝譿を介した物であった。
『そうですねー。こう言う時の稟ちゃんは、完全に自分の世界で桃色妄想に耽ってますから。じゃ、暫く様子を見る事にしましょー 』
この二人のやり取りは町の住人達の目を引き、あっと言う間に二人の周りに人だかりが出来始めるが、当の本人達はそれにお構いなしであった。稟の桃色妄想は段々熱を激しく帯びるようになり、風は何時もの泰然自若で彼女をじっと見守っている。
『ああ、ああっ……。もうっ……!! ぷはぁっ!! 』
やがて、その稟の暴走染みた妄想も終着点を迎える。彼女は形の良い鼻から、二つの赤い糸を盛大に噴出して見せるとその場に卒倒し、彼女から噴出した赤い糸は地面に注がれると小さな血だまりを作った。その稟が作った血だまりを見て、彼女等を取り囲んでいた人だかりの間から大小さまざまな悲鳴が上がり始める。
『おっ、おいっ!! そこのアンタ! お連れさんが何だか大変な事になってねぇか!? 』
人だかりの中のうち一人が、稟の血だまりにいささかながら恐怖を覚えるものの、彼は勇気を振り絞って風に話し掛けた。
『いえいえ、問題ありませんからー。これは『何時もの事』ですのでー。ちょっと失礼しますねー? 』
然し、風はそんな彼に対して平然と答えて見せると、風は倒れた稟の体を起こし、彼女の耳元で何時もの調子で話しかける。
『はーい、稟ちゃん。おっきしましょーね? とんとんしますよ、とんとーん 』
そう言うと、風は旅の道中で出会った旅の医師から教わった頭のツボを二回ほど叩く。すると、たちどころに稟の鼻血が止まり、同時に彼女は意識を取り戻した。
『はっ……。私は今まで何を? 』
『稟ちゃん、稟ちゃーん。また鼻血を出していましたよー? まぁ、それはともかく。風はちょっと稟ちゃんに相談したい事があります。だから、ここの太守さんに会うのは後回しにしませんかー? 』
『えっ? ええ。何か言いたい事があるのですね、風? 判りました 』
『今話すのも何ですから、今日はここに宿をとりましょー。お話はその時にでも 』
こうして、二人は未だに呆然としたままの野次馬達を尻目にその場を後にし、城下町のとある飯店に宿を取ると、その晩になってから風は稟との話し合いを始めた。
『で、話は何ですか。風? 』
風呂から上がり、寝巻きに着替えた彼女は寝台に腰掛けて風に話を促す。風呂上りの為か、小奇麗に纏め上げた髪は下ろされており、眼鏡も外していた。
『はいー……ぐ~~~~ 』
然し、話を持ちかけてきたはずの風は開口一番で行き成り眠り込んでしまい、そんな彼女に稟はこめかみに青筋を浮かべる。
『寝るなーッ!! 』
『おおっ! 』
顔を険しくさせて、稟が風の頭をはたいて見せると、その衝撃で彼女は目を覚ます。このすっとぼけたような振る舞いをする友人に、稟は顔をひくつかせていた。
『あなたが私に話を持ちかけてきたんでしょう!? 寝るとは一体どう言う事ですかっ!? 』
『こりゃどうも失礼。実はですね、ちょっと気になる事があったのです 』
彼女への非礼など悪びれもせずに、風は少し眉根を吊り上げて話し始めると、稟は彼女の表情に何やら心中穏やかならざる物を感じた。
『気になる事……ですか? 』
『はい、ここの太守の曹孟徳さんは、戦も政も可也のやり手だという話は判ってますよねー? そして、貪欲に人材を集めていると言うのも 』
『ええ、それは勿論 』
『ですが、その曹孟徳さんの軍師であり、彼女を補佐する別駕従事の荀彧さんの方は、ちょっと問題があるようなんですよねー? 』
『ふむ…… 』
飴を咥えながら、神妙に語り掛ける風の姿に、稟は顎に手を摘んで考え込む素振りを見せた。
『実はですね、さっき稟ちゃんがお風呂に入っている時に、風はここの町の人達に聞き込みをしてきたんですよー。荀彧さんについては、風も陳留に来る前にちらほらとは聞いていたのですが、どうもここの住人からの評判も賛否両論みたいですねー 』
『賛否両論? 』
『はいー。荀彧さんは、確かに切れ者なんですが、どうも男の人が嫌いの様で、それに加えて偏執狂染みた側面があるとの話なんです。軍師や行政官としては及第だそうですが、一人の人間としてはチョットと言う意見が大半だったんですよー 』
『すると……。私達がそのままノコノコと曹孟徳殿に仕官を願い出ても、荀彧殿が良い顔をするとは思えないとでも言いたいのですか? 』
風の話を元に、稟が意見を言うと風は満足そうに頷いてみせる。
『そう言う事です。私達は何れも『軍師』として、孟徳さんに仕官を願い出ていようとしていますが、既にその荀彧さんが曹操さんの軍師をしている訳です。彼女が評判どおりの人物だとすれば、果たして新参者である私達を快く受け入れるとは思えないんですよー? 』
『そうですね……。私は別に馴れ合いをする積りはありませんが、かと言え一人の君主の下で耳目たる軍師同士がいがみ合っていては良い献策が出来るとは思えませんね? 』
『ええ、確かに稟ちゃんの言う通りです。それで風に一つ案があります 』
『案が? それは一体…… 』
『ふっふっふー。それはズバリ、『手土産』を持参する事なのです! 』
ズイッと身を乗り出して尋ねる稟に、風がニヤ~ッと笑いながら答えて見せると、彼女は怪訝そうに顔を顰めた。
『手土産って……。私達は手土産にするほどの大金なんか持っていませんし、後は……。ハッ!? まっ、まさか私達の体を『手土産』……ぷはあっ!! 』
何やら、風の言った言葉の意味を曲解したようである。稟は顔を赤らめて見せると、先程と同じくまた盛大に鼻血を噴出してしまった。
『おいおい、風。稟の奴、何だかとんでもない勘違いをしているようだぜ? 』
『仕方がありませんねー? ほら、稟ちゃん。おっきしましょーねー? とんとんしますよ? とんとーん 』
風の頭の上で宝譿が呆れたように言うと、風の方は先程と同じ様に、稟の身を起こすと頭のツボをとんとんと叩いて彼女を介抱する。
『はっ! 』
『稟ちゃん、稟ちゃーん。また変な方向に話を持っていきましたね? 毎回これをやる風の方も大変なのですよー 』
『ううっ、我ながら情けない……。コホン、で、話を逸らしてしまいましたが風、貴女が言う所の『手土産』とはどう言う物なのですか? 』
『くふふふふー、簡単ですよ。『軍師としての実績』を手土産にすればいいのですー 』
頭の上の宝譿もろとも、えへんとふんぞり返ってみせる風に、稟は驚いたかのような顔になると、得心したかの様に深く頷いた。
『成る程……。私達が『軍師としての実績』を曹太守に示して見せれば、あの荀文若殿も納得せざるを得ないですね? ですが、風。その実績はどうやって用意するのです? 』
『稟ちゃん、答えは簡単ですよー。幾ら陳留郡が曹太守のお陰で治安が良好だと言っても、まだあちらこちらで治安の悪い所は沢山あるんですよー? そう言った所を調べて、私達が解決してみせれば良いんです。そうすれば、太守さんへの良い手土産になりますし、同時に私達の実戦訓練にもなりますしねー? 』
『……流石は風ですね? 私はそこまで上手い事を考えられませんでした。 』
『いえいえー。そんな事無いですよー。風だって、巧みな用兵や優れた策を考える稟ちゃんが羨ましいと思ってますからー 』
『ふふっ、今みたいに、さりげなく気遣いが出来る風には敵いませんね? 』
そう互いに笑みを浮かべて見せると、早速二人は『手土産』を持参するべく計画を練り始める。二人は陳留に訪れた旅人や、町の人間から治安の悪いところの情報を聞き出し、同時に曹操の軍事行動を逐一調べる事にした。
そして――遂に彼女等の行動が実を結ぶ。二人は酒家に来ていた兵士の一人から、近い内曹操が領内に蔓延る賊徒の討伐に赴くとの情報を得る事に成功し、行き先は河内郡に近接する浚儀県だと言う話まで聞き出すと、二人はなけなしの持ち合わせで購入した老馬に跨り、曹家軍に先んじる形で陳留を出立した。
馬を走らせる事丸二日。二人が浚儀県に辿り着いた時には、県城は立て続けによる匪賊の襲撃ですっかり傷んでおり、城下町に住む人達の表情は暗く、そこを守る兵士の士気も低かった。極めつけに県令は夜逃げしており、哀れな事に兵を指揮する県尉は焦燥しきっていて、指揮系統も既に破綻していたのである。
流石にここまで酷いと、正直手土産以前の話であった。これを拙いと見た稟と風は、町の人々やそこを守る守備兵達に『必勝の策がある』とはったりを噛まして見せると、彼等の士気を鼓舞し、何とか士気を回復させると、今度は町の住人も協力してもらって城の周囲に罠を設置するなどの下準備を進める。
そして、焦燥しきってすっかり無気力になってしまった県尉に成り代わるかのように、稟は兵を上手く配置し、風は偽情報を流して賊徒どもを城におびき寄せる事に成功させた。こうなって来ると、後はもうこの二人の軍師の掌の上である。たちどころに稟と風の狙い通り、賊兵どもは完全に殲滅させられたのである。
曹操こと華琳が浚儀県に到着したのは、その二日後の事で、思いもよらぬ出来事に驚いた華琳はここの兵を指揮した稟と風を召し出すと、二人の手腕にえらく感服し、彼女等を自分の幕下に召抱え、華琳の脇に控えていた荀彧こと桂花は、悔しさを顔に滲ませて二人を睨み付けた。
かくして、二人は狙い通り『手土産持参』で曹操に召抱えられる事に成功し、それ以降彼女等は『軍師』として華琳に様々な助言や献策を行い今日に到る訳である。余談であるが、華琳から自分の部下と引き合わされた際には、思わぬ顔と再会したと言う予想外の出来事があった。その思わぬ顔とは、今二人の目前で華琳とやり合っている佑の事である。
その佑に対してだが、先日風は突然真名で呼ばれた事もあり、最初は良い印象を抱いていなかった。だが、華琳の家臣となって以降彼から全力で『DOGEZA』をされて謝られると、その姿が真剣であり且つ滑稽であったものだから、彼女は軽く笑って赦してあげたのである。今ではすっかり、佑の事を『お兄さん』と呼んでおり、彼にも真名で呼ぶことを許可するほどの仲になっていた。
「いやいや、確かにふざけているかもしれませんが、あのお兄さん本当に面白い事を言いますよねー? 」
「まっ、俺はこの兄ちゃんに同感するな? 大体綺麗どこが居ないと慰労の宴じゃないぜ? 」
「面白いも何も、ふざけているし、主公たる華琳様や主賓たる皇甫閣下の前で不謹慎な振る舞いだとは思わないのですか? 大体陣中にそんな女等……。はっ!? まっ、まさか華琳様は私を指名なされるとか……。そして、嫌がる私に無理やり酌させて……。ああっ、華琳様っ! この様なはしたない姿にさせておいて、私に歌を歌え等と…… 」
にやにやさせながら風が言って見せると、宝譿は当然と言わんばかりにぼやいてみせるが、稟はムスッと面白く無さそうに顔を顰めるものの、何時もの悪い癖が出たのかそこから段々と『妄想のお時間』に入り始める。現に、彼女は悦に浸った表情になっており、鼻孔からは二つの赤い筋がタラリと落ちてきた。
「おやおや、相変わらずお目出度い妄想ができる人ですよねー? 」
「そう言うなよ、風。稟の奴、大方閨にも呼ばれねぇからたまってんだろう? 」
風と宝譿が毒を吐いてるのを他所に、遂に華琳は堪忍袋の緒が切れたのか、このごくつぶし目掛け鋭い舌鋒の刃を振り下ろさんと大きく息を吸い込んで見せた。
「こっ、このっ、調子に乗るんじゃ…… 」
「ねぇ、華琳。いえ、孟徳。ちょっと良いかしら? 」
然し、そんな華琳の勢いを殺さんが如く、別の方から彼女に声が掛けられる。忌々しげに華琳が声のした方を向いてみれば、そこには一人の女性が優雅な仕草で酒盃を傾けていた。
「雪露、いえ子丹……。一体何なのかしら? 私は今この『天の御遣い』を諌めようとしていたのだけれど? 」
「フフッ、その御遣いさんが言ってた事なんだけど、確かに武人だけのむさい宴席じゃ無粋よね? 折角の宴なんだし、明日からはそれをやる余裕も無いと思うから、少し位ふざけても良いのではないのかしら? 」
「おっ、流石は子丹はん! 話が判るやないですか! 」
そう不敵に華琳に言い放ったのは、華琳と同じ曹氏一族の一人で、彼女は曹真、字を子丹、真名を雪露と言い、現在十七歳。厳密に言えば華琳は夏侯氏の血を引くので、雪露は華琳との血縁関係は無かったが、彼女はもう一人の族子曹休と共に今回曹家の一員として参戦していたのである。
雪露は見事な桃色が掛かった金髪の持ち主で、顔立ちも絶世の美女と言わんばかりであったし、背も高く体型も非常に凹凸のはっきりした物であった。そんな彼女の姿は、男どもの目を引いたし、同性の者達からは良く嫉妬を買ったものである。
「で、子丹……。貴女が彼を弁護すると言う事は、何か考えでもあるの? 単なる同調で言ったのなら、たとえ曹氏の人間でも只では置かないわよ…… 」
佑に怒気を向けていた華琳であったが、今度は雪露にぶつけて見せると、彼女は顔をひくつかせながら言葉の節々を震わせる。誰がどう見ても、今の華琳は激怒する一歩手前のように見えた。
「ええ、判ってるわ? 一応ね、私の部下に芸が出来る者が二名程居るのよ。もし良ければ、折角お越し下さった皇甫閣下にそれをお見せしたいのだけれど……どうかしら? 」
雪露の言葉を受け、激怒する寸前であった華琳の顔から一気に怒気が霧散されたのが窺える。華琳は思考をすぐさま切り替えると、今度は興味深そうに雪露に話しかけた。
「ふぅ~~ん……。興味あるわね、それ? まぁ、曹家きっての好事家の貴女が言うのだから、先ず間違いは無さそうね……? いいわ、それじゃ用意してくれるかしら? 」
「任せといて! 絶対に損はさせないわよっ! 」
得意満面で雪露が言って見せると、少ししてから二人の女性が天幕の中に姿を現す。踊り手と思われる女性の姿を見た瞬間――一斉にこの場に居た者達から言葉が失われた。
「…… 」
その女性は美しかった。彼女は一言も発していないが、それがまた彼女の神秘的な美しさを一層際立たせている。彼女の背は高く、腰まで届かんと言わんばかりの紺色の髪はさらさらしており、目鼻立ちの整った顔立ちに口には鮮やかな紅を引いている。身に纏った豪奢な衣装もそれらと相まり、まるで天女のようであった。
「これは、何と美しい…… 」
「はあっ…… 」
彼女の美しさに、上座の皇甫嵩と華琳も感嘆の溜息を吐く。皇甫嵩は思わず酒盃を取り落としてしまい、華琳の方も悪い癖が出たのか、顔を赤らめて見せると恍惚の表情を浮かべて見せた。
「こりゃあ、ええ!! この及川佑が見てきた中でも『トップ3』に入るほどの美人さんやァ~~~!! ワイ、生きてて良かったわぁ~~!! 」
「悔しいですが……。私の負けです。でも、本当に美しいですわね……。同じ女として嫉妬を覚えます 」
佑は鼻の下を思いっきり伸ばすと、歓喜の余り嬉し涙を盛大に流し、彼の隣の仙蓼も僅かばかりの嫉妬を交える物の、この踊り手に美しさに魅入っていた。
「ふぇ~~、風もこんな美人さんは始めて見たのです。思わず言葉を失っちゃいましたよ~~ 」
「ありゃあ、どんなに優れた絵師でも絵に描けないぜ? 『絵にも描けない美しさ』ってのを体現する奴って始めてみたぞ? 」
「まっ、まさか……子丹殿とこの踊り子は愛人関係とか……。そしてあんな事やこんな事を……ぷはぁっ! 」
何時も飄々としている風も、流石にこの時ばかりは踊り手の美しさに驚愕し、宝譿も素直に賞賛の言葉を送るが、稟はと言うと彼女は相変わらず邪な妄想を抱き――鼻から出血した。
「フフッ……。じゃ、蘭花ちゃん。お願いするわね? 」
皆の反応に雪露が満足げに笑みを浮かべると、彼女は踊り手の後ろに控えていた奏者らしき少女に話しかける。蘭花と呼ばれたこの少女も、実に可愛らしい顔立ちをしていた。蘭花は無言で頷くと、手にした笛を吹き始める――それは舞が始まる合図でもあった。
蘭花が吹く笛の調べに合せ、踊り手は優雅な舞を舞う。その舞も、顔に引けを取らぬ至極美しい物であった。一言で言えば、正に『天上の美』と言った所であろうか。この二人が奏でる演舞が催されている最中、この場には声を発する者など一人も居らず、只々ひたすら二人が演出する世界の虜になっていたのである。
やがて、二人が紡ぎ出した幻想の世界は、終焉の時を迎えた。奏者である蘭花の演奏が終わると同時に、踊り手の女の方も舞を終える。最後まで彼女の舞は非常に美しかった。二人が拱手行礼を行うと、周囲からは途切れない賞賛の拍手が彼女等に送られ、一気に歓声が飛び交う。
「どうかしら、孟徳? 満足してもらえたかしら? 」
「はぁっ~~~~ 」
得意げな笑みを向け、優越感に浸ったかのように雪露が言い放って見せると、華琳は一言も発さず、まだ夢の中に居るかの様に顔を呆けさせていた。
「いやっ、これは何とも見事な舞と演奏であった!! この義真(皇甫嵩の字)、今までそなた達の様な芸をする者を見た事がない!! ささ、二人ともこちらの方へ! 貴殿等に一献遣わそう! ささっ! もそっと近うへ! 」
「…… 」
「え、えーと…… 」
感動と興奮の余り、上座の皇甫嵩が酒器を片手に、踊り手と奏者の蘭花をしきりに手招きする。踊り手の彼女は一言も発さぬままであったが、戸惑いを浮かべて雪露の方を窺い、同じく蘭花も困ったような表情で雪露の方を見やっていた。
「良いじゃない、折角の閣下のお招きよ? 応じないのはかえって失礼と言う物だわ? 」
「……!? 」
「は、はい…… 」
そう、雪露に言われて覚悟を決めたのか、二人は上座の方へと近寄ると、それぞれ酒盃を握らされ皇甫嵩から酒を注がれる。その際、彼は二人に尋ねてきた。
「その方等、もし宜しければ名を教えてくれぬかな? 何れ機会があらば、またそなた等の芸を見たいのだが? 」
「そうね、皇甫閣下が仰られる通りだわ。この曹孟徳も貴女達の芸をまた見たいと思ってるし、その時直ぐに呼べるよう名前くらいは知っておきたいわね? 」
流石にこの頃になると華琳も現実の世界に引き戻されたのか、彼女も先程の二人の芸を反芻するかのようにニコニコと笑みを浮かべており、彼女もまた二人に名を尋ねてきた。
「え、えぇと……。はい、私の姓は郭、名は淮、字は伯済と申します。そして、こちらの方は…… 」
少し戸惑い気味で奏者たる蘭花が自分の名を名乗ると、彼女は隣の踊り手の名を言わんとする。然し、華琳が直ぐ手を突き出すと彼女の言を遮った。
「待ちなさい、郭伯済とやら。どうせなら本人から直接聞いてみたいわね? こんなに綺麗で美しい顔立ちをしているもの、さぞや声の方もそれに見合った物だと思うわ? それと、貴女さっきから一言も発していないけど、何故なのかしら? それとも喋れないと言うの? 」
「そうだな、私も彼女の声を聞いてみたいぞ? 」
「!? 」
興味深そうに華琳と皇甫嵩がその踊り手をまじまじと見詰めると、返答に窮したのか彼女は困惑と焦燥を顔に浮かべてみせる。そして、雪露に顔を向けると、恨みがましげに彼女を睨みつけた。
「ふふっ、そんな怖い顔しないでよ。折角の綺麗な顔が台無しよ? そうねぇ、はっきりと言えば良いんじゃない? その方が後腐れもないと思うから 」
この美女の睨みなど歯牙にかけぬと言った風で、雪露は意地悪そうに口角を歪めてみせる。この二人のやり取りに、周囲からどよめきが起こり始めると、とうとう覚悟を決めたのか、遂に彼女は華琳と皇甫嵩に向き直ると、ゆっくり口を開く。
「……判りました。私の姓は鄧、名は艾、字は士載と申します。先程は私達の芸にお褒めの言葉を頂き、光栄の極みで御座います 」
「なっ!? 」
「なっ、なんと! そなたは男であったのか!? 」
少し中性的な色合いは混ざっていたが、その声はどう聞いても男の物であった。彼女、いや彼の声を聞いた瞬間。華琳と皇甫嵩は驚愕の表情を浮かべる。この美しい踊り手の正体が男と知るや否や、周囲からのどよめきはさらに強くなった。
「ガ~~~ンッ!! ショッ、ショックやぁ~~~!! ワイのときめきを今すぐ返せ~~~!! 危うくワイ、『ソッチ』方面に走るとこやったやんけぇ~~!! 」
「何と、男の方だったのですか……。言われてみれば、確かにのどの辺りが少し盛り上がっています。この司馬仲達もすっかり女性と思い込んでいました 」
「ふぇ~~~。男の人だったのですかー。この風もすっかり騙されたのですよ? でも、こんな『騙し方』なら大歓迎なのです 」
「おっ、男……。この美しい方が男とは……。まっ、まさか子丹様はこの方に女装をさせて、『あんな事』や『こんな事』をさせているとか……。なっ、なんて背徳的で破廉恥な性癖を…… 」
「プッ、ププッ! アハハハハハハハハハッ!! まっ、まさかここまでの反応になるだなんてね!? 大成功だわ!! 」
「おいおい、こんな状況でもそんな事を妄想できる稟の方が、背徳的で破廉恥だと思うんだがねぇ? 」
「くっ、くそっ……。だから、雪露の頼みを聞くの嫌だったんだよっ……!! 」
「爾特君…… 」
佑、仙蓼、風、稟、宝譿がそれぞれの感想を述べていると、一方で雪露は腹を抱えて笑い転げている。周囲から奇異の目を向けられている鄧艾は、恥ずかしさに耐え切れず顔を俯かしてしまい、蘭花はそんな彼を気遣うように窺っていた。
「御一同、静かにされるが良い! 」
突然、大きくパンパンと手を鳴らす音と共に華琳が声高に叫ぶ。すると、忽ち騒ぎは収まってしまい、宴席の場には沈黙が訪れた。
「皆が驚く気持ちは良く判る。だが、これは宴に興を添えようと子丹が催してくれた事であるし、現に皆は鄧士載と郭伯済の芸の虜になっていたではないか?
確かに、私も鄧士載が男である事については驚いてしまったが、これ以上それを騒ぎ立てる必要もないであろう? それよりも、寧ろこの素晴らしい芸を見せてくれた二人を賞賛すべきと私は思うのだが? 皆は如何に? 」
毅然として華琳が周囲を見やると、宴に参加していた者達は一斉に首肯する。そして、佑が大袈裟な素振りで拍手をしてみせた。
「いっや~~!! 流石は孟徳はんや! ほな、皆さん! スンバラシイ芸を披露してくれたこのお二人さんに、絶え間ない拍手を送りまひょー! はい、拍手ー!! 」
場の盛り上げ方に関して天賦の才があるのだろうか、実に晴れやかな笑顔で大仰に拍手する佑の姿に、他の者達も次々に鄧艾と郭淮の二人に絶え間ない拍手を送り始める。
「なっ……。こっ、これは…… 」
「あっ、爾特君。これって、私達を褒めてくれているんだよ? 私達の芸が良かったって、感動してくれた証拠だよ! 」
『爾特』と呼ばれた鄧艾が戸惑い気味で周囲を見回すと、蘭花は嬉し涙を浮かべて彼の手を取り、彼女は本当に嬉しそうに笑っていた。
「有難う御座います……。瑣末な芸とは言え、ここまで褒めて頂きこの鄧士載、身に余る光栄で御座います 」
「あ、有難う御座いました! この郭伯済も、更に精進致したく思いますッ!! 本当に有難う御座いましたっ!! 」
絶え間ない拍手の嵐に包まれ、二人は心からの笑みを浮かべて見せると、拱手行礼で答えて見せたのである。
「あ゛~~~っ! つっかれたわぁ~~!! 昼行灯決め込むのも、ホンマ疲れるで? ホンマに? でもまぁ、あそこで子丹はんがフォローしてくれなかったと思うと……正直冷や冷やしたわ~~ 」
「お疲れ様でした。ですが、良かったではありませんか? 孟徳殿も大層お喜びだったようですし、お咎めもありませんでしたから? まぁ、仮にあそこで孟徳殿を怒らせても、他の者が『ふぉろー』に入った事でしょう。何せ、自分より身分の高い皇甫閣下の御前でしたから 」
「うん……。アレに関しては反省しとるよ。調子に乗り過ぎてもうたわ 」
宴が終わり、休むべく佑と仙蓼は自分達の天幕に戻る最中であった。先程の出来事を振り返り、佑がぼやいてみせると、彼の後ろを歩く仙蓼はクスクスと笑っていた。
「せやけどまぁ、あの二人。ホンマに見事な芸やったなぁ、仙蓼? 」
「そうですね、後で鄧士載殿が男と知って驚いてしまいましたが、それらの事を差し引いても見事な物でした。鄧士載殿の舞、郭伯済殿の笛。あれ程の芸が出来る者は中々居りません 」
先程の宴席において、鄧艾と郭淮が演じた芸を反芻し、二人は満足げな笑みを浮かべる。然し、突然佑は表情を真剣な物に改めて仙蓼に向き直ると、彼女の方も一気に表情を改めて見せた。
「なぁ、仙蓼…… 」
「はい、何でしょうか佑様? 」
「あの、子丹はんの事やけど……。彼女、切れ者なんか? 」
佑の問い掛けに、仙蓼は目を細めて顎を摘んで見せると、少し声を落として話し始めた。
「まだ、実戦経験は浅う御座いますが、智勇の均衡に優れております。可也の自信家でもありますし、何事も堅実に行う文烈(曹休の字)とは何もかもが逆の方ですが、自信に見合うだけの能力は持ってるかと。
また、彼女は曹氏一族の血を引く者としての自負が強いとも聞かされております。曹氏とは言え、実質※4夏侯氏の血を引く孟徳殿に、どうやら対抗意識を持っているようです。余談ではありますが、この家中では同族である曹氏の方々より、実際の血縁である両夏侯の二人の発言力が強く、立場が高いのもその為で御座います 」
「ふむ……成る程なァ。せやから、あの『脳みそスッカラカン』の夏侯惇がでかい面しとる訳かァ。で、さっきの鄧士載さんと郭伯済さんについては? 」
「申し訳御座いません……。あの二人に関してですが、ついさっき知ったばかりです。ですが、何故彼女等三人の事を知りたがるのですか? 」
少しばかりの疑問を交えて仙蓼が尋ねてくると、佑は更に目を鋭くさせ僅かばかり口角を歪めてみせる。
「簡単に言えば、シンパ……要するに『同志集め』や。何せ、孟徳はんの元にはクセモン揃いやけど、様々な人物が集まっとるさかい。正に、これは曹孟徳ちゅう大きい存在が成せる業や。
ワイは仙蓼のアドバイスのお陰で、凪、真桜、沙和と言ったシンパを得る事ができたしなぁ? せやけど、まだまだ頭数が足らへん。あの勘の鋭い孟徳はんの目ェ盗みながら、水面下で事を運ぶにしても、シンパの数は増やしておかんとなぁ? 」
野心の炎をその両眼に揺らめかせ、滔々と語る彼の姿は先程の『宴会部長』とは全くの別人であった。
「そうですね……。まだまだ先の事になりますが、事を興すにしても同志の数がまだまだ足りません 」
「せや。さっきの仙蓼の話聞いて思うたんやけど、どうやら子丹はんみたいに孟徳はんに対抗心持っとる奴もおる様やし、そこら辺に付け入るスキがありそうなんよ。それに、あの鄧士載と郭伯済の事なんやけど……。幾ら子丹はんが家中きっての好事家とは言え、只の芸人を戦場に連れてくるとは思えへん 」
「何故、そう思われるので? 」
「決まっとるやん? さっき、仙蓼が言うてくれたやないか。『子丹はんは智勇の均衡に優れとる』とか、『自信に見合うだけの能力を持っとる』ってなぁ? もし、彼女が仙蓼の話通りの人間やったら、出来る奴を部下に置いとくと思うんやけど……? 」
「……っ!? 成る程、流石私がお育てした甲斐がありました。良くぞ、そこまで考える力をお持ちになれましたね? 」
「あんま、べた褒めせんといてぇな。何だか背筋が痒うなるわぁ~~! 」
目を大きく見開き、心底感動したかのように仙蓼が大きく頷いて見せると、対する佑は照れくさげに笑って頭をかいて見せる。
「畏まりました、それではあのお二人について調べておきますね? 」
「いや、それには及ばんやろ? 」
「何故で御座いますか? 」
「今ワイ等は黄巾どもを蹴散らす為ここにきとるワケや、あの二人、いや三人の実力を間近で見れるええチャンスやで? 」
「あっ……たっ、確かにそうでした。これはしたり……一本取られちゃいましたね? 」
佑がニヤリと笑って見せると、意表を突かれ、仙蓼は思わず苦笑いを浮かべた。
「それにな……。仙蓼みたいに出来る奴がもう一人か二人おらんと……。ワイの大切な仙蓼が壊れてしまうやないか? 」
「あっ…… 」
仙蓼を抱き寄せ、耳元で佑が甘く囁いてみせると、彼女は一気に顔を赤らめる。これを見逃さず、佑は仙蓼の唇に自身のそれとを重ね合わせた。
「んっ…… 」
しばし時を忘れ、二人は接吻と抱擁に夢中になる。少し時が経ち、佑は仙蓼から離れると彼女は顔を蕩けさせ、恍惚の表情になっていた。
「はぁっ……。た、佑様……。仙蓼は、もう…… 」
「ふぅ……。アカン! キスだけじゃ物足りんわ!! たぎって来たで! 仙蓼、悪いけど突き合うてくれへんか!? 明日は黄巾どもとのドンパチやと思うと、自分を抑え切れへんのや!! 」
どうやら、佑は己の『六甲山』を抑えきれなくなったようで、やや前屈みになって見せると、クワッと目を見開いて言い放つ。一方、仙蓼は待ってましたとばかりに目を潤ませた。
「畏まりました、佑様……。空が瑠璃色に変わるまで、仙蓼は佑様と褥を共に致したく思います…… 」
「うしっ! ほな行こかー! 」
「あっ…… 」
仙蓼の答えに、佑は声高に叫んで見せると彼女の腕を掴むと、鼻息を荒くして自身の天幕へと向かう。この時二人は完全な『雄と雌』の顔になっていたのだ。然し、そんな二人に嫉妬の情念を燃え上がらせる者達が約三名。凪、真桜、沙和の三人が、物陰から二人のやり取りをこっそり覗いていたのである。特に、凪なんかは物凄い握力で、物陰から覗き込む際に掴んでいた箇所をみしみしと握りつぶしていた。
「またか、隊長……。どうやら、仲達殿と閨を共にするつもりだな!? 悔しいが……女として仲達殿に勝てる気がしない!! でも、でもっ……! 」
「ホンマや……。くやしいけど、ウチらじゃあの主簿はんにかなわん。けど、ウチかて女や! いつか隊長と一発極めたるで!! 」
「うう~~っ!! いつもいつもあの主簿とべったりイチャイチャしてるのー!! 沙和だって、沙和だって……いつかあのち○こ隊長と決めてやるのー!! 」
果たして彼女等が自分の本懐を遂げる日が来るのであろうや? それは神のみぞ知る話であった。かくして、黄巾の乱の中で尤も激戦と言われた『潁川の戦い』の前夜は過ぎようとしていたのである。
※1:トリカブトの塊根を干した物。漢方薬として用いる場合は附子と読むが、毒として用いる場合だと附子と読む。
※2:天地の神々の事。
※3:『青椒肉絲』だと、『肉』は『豚肉』を指す事になるので、牛肉を用いた物は『青椒牛肉絲』と言う。
※4:曹操の父曹嵩は夏侯氏の出身で、大長秋曹騰の養子になったので曹姓を名乗っている。
ここまで読んで下さり、真に感謝いたします。
実は今回は前半部分を書き上げるのに約一月近くを要してしまい、逆に後半部分は数日間で書き上げました。
字数で見ると、前半部分より後半部分の方が多いのですが、後半部分を書くにあたり一気にエンジンが掛かった状態になりましたので、その勢いを駆って書き上げる事ができたのです。
前半部分ですが、書いてて恥ずかしかったですね。お約束っぽい演出だらけかな? なんて思いましたんで。ああしよう、こうしようと延々と考えていたんで、中々いい着地点が見つかりませんでした。
本当は、後半部分は最初は入れる予定はありませんでした。ですが、前半部分だけでは、待たせた分を考えると何だか申し訳なく思ってしまい、もうチョイ自分なりに付け足せないかと考えておりましたところ、風呂に入ってる最中に閃いてきました。
後半部分では、曹孟徳にとって欠かせない軍師の一人たる、郭奉孝と程仲徳のエピソードと、オリキャラと言うか本当は演義や史実ではずーーーーと後に登場する曹子丹こと曹真と、鄧士載こと鄧艾、そして郭伯済こと郭淮を登場させました。
曹真、鄧艾、郭淮と何れも司馬懿と深い関わりのあるキャラなので、早い内に登場させてみたいと思ったのです。
あの三人のモデルなのですが……。モロバレですね。余談ですが、三人の真名は、とある有名なアニメのウィキの中文(中国語の文)版から引用しました。
一応ですが、作中で使っている真名の読みは、ピンイン発音変換サイトで調べた発音にしております。
鄧艾の真名『爾特』に関してなのですが、実際の中文版の方では『阿尓特』となっておりました。
中文では簡体字、要するに読み易くする為に略された字体になっておりましたので、日本人に馴染み易い元来の『繁体字』に直しました所、『阿爾特』になる訳なのですが、『阿』が付くと、中国では『~ちゃん』と言う事になりますので、『阿爾特』だと『爾特ちゃん』と言うニュアンスになるのです。
苦し紛れだったのですが、『爾』はピンイン発音でも『アル』と発音しますので、『爾特』に使用と決めた訳です。
『爾』は『なんじ』、『しかり』、等と言った意味もあるのですが、他にも字の美しさから、『美しい』、『素晴らしい』と言う意味もあるのです。
また、『特』は『とりわけ』と言う意味になりますので、二つ合わせて『とりわけ美しい』と言った意味になるなと思い、迷わず女性的な顔立ちの彼の真名に相応しいと思いました。
さて、次回ですが……。まだ真っ白けで御座います!! 無論、あんだけ引っ張といて、前置きで終わってしまった事に申し訳なく思ってますので、次回こそ『潁川の激戦』に持っていきます。
次回は桃香よりも、佑の方がメインになるかと。さて、どの様な戦闘描写にするか? また今晩から自分の頭の中で戦争です。次回はいつ更新できるかと言うのは確約は出来かねますので、更新作業の進捗はその都度御報告いたしたいと思います。
それでは、また! 不識庵・裏でした~~!!
はぁ、今日もムシムシしてるなぁ……。早くスッキリして欲しいッす!!(涙