第二十二話「皇子協は夢を見、劉仲郷は黎陽で遭難す」
どうも、不識庵・裏です。
前回の更新から彼是二週間以上経過し、ようやく今回の更新に漕ぎつく事が出来ました。
私は肉体労働のお仕事をしており、仕事量がドカッと増えてしまうと一気に疲れてしまいますので、帰宅しても中々執筆意欲が起こらなくなってしまうのです。
特に先月の中旬~下旬はその最たる例でした。書こうと思っていても、いざ帰宅してみれば一気にやる気がダウン。こんな状態だったので、中々思うように書けませんでした。本当に申し訳ありません。
ですが、それでも読み応えのあるものを書きたいと思い、第一部最終話と同じ位の字数で今回の更新分を書き上げました。ですが、それでも相変わらずのグダグダです。本当にすみません!!
それでは、照烈異聞録第二十二話。最後まで読んで頂ければ嬉しく思います。
司隷河南尹に位置する、帝都雒陽。
元は『洛陽』の名で呼ばれていたが、漢を再興させた光武帝劉秀によって都に定められると、※1火徳の家である劉家にとって、水を意味する『水部』は実に忌まれる事であった為、『雒陽』の名に改名させられたのである。
因みに、劉邦が興した前漢王朝は西の『長安』を都としたので『西漢』と呼ばれ、劉秀が興した後漢王朝は東の『雒陽』を都としたので『東漢』と呼ばれている。また、我々の世界の中国史では、『雒陽』が元の『洛陽』の名に戻ったのは三国時代の魏の時代になってからである。これは、魏の宗家たる曹氏一族が※2土徳の家であったからだ。
その雒陽の宮殿から離れた所に聳え立つ、結構小さめの宮殿がある。そこには後年霊帝と諡された、今上帝劉宏の生母である董太后が暮らしており、更に劉宏の庶子である協皇子も祖母と共に暮らしていた。
そして、その協皇子の私室にて、皇子協は寝台の上ですやすやと寝息を立てている。父である宏が淫楽に耽っている最中、まだ幼い子供でしかない協は夢を見ている時間であった。
『あれ……? ここはどこだろ? それに……。何で、僕は服を着ていないんだろ? 』
夢の世界の中、一糸纏わぬ姿のままで協が星々の海の中に佇んでいると、彼は無意識の内に自身の胸を両腕で隠す。『皇子』と言う公称なのに、何故か隠したそれは――どう見ても、膨らみかけの少女の物だ。男らしくする為、頭に結った髷も解かれていて、暗黒の空間には彼女の蒼い頭髪が広がっている。どう見ても、今のその姿は少年ではなく少女であった。
彼、いや彼女は女として産まれて来たが、産まれて直ぐ男として振舞っていたのである。その理由であるが、彼女の生母である王美人が、生前今上帝劉宏から半ば命令染みた事を言われていた事と関係していたからだ。
今を去る事十数年前、当時間もなく産月に入ろうとしていた生前の王美人は、夫であり帝である劉宏からとある言葉を掛けられたのである。
『王氏よ。先に産まれた弁は女じゃったから、そちは必ずや男児を産むのだぞ? 后に産ませた弁は、朕の嫡子の癖にどうも利発ではないようじゃ。然し、賢いそなたの子なら、きっと漢王朝を立派にしてくれよう。それ故、朕は高祖や武帝の様な立派な男児が欲しいのじゃ! 王氏、必ずや男児を産むのだぞ? 』
徹底的に念を押すが如く、今上帝宏から男児を産めと言われると、王氏は祈祷師を招いたり、皇天后土に供物を捧げ男児の出生を願ったが、結局それが報われる事は無かったのである。
天に見放されたのか、彼女が産んだのはまごう事なき女児であった。困り果てた王氏は、自分に親身にしてくれる宏の生母たる皇太后董氏に相談すると、彼女は一計を案じたのである。
この皇太后董氏であるが、彼女は何后とその姉である何進を毛嫌いしていた。屠殺業を営む身分の卑しき出の癖に、狡知と色香に長けており、挙句の果てには自身の栄達と贅沢しか考えていなかったからである。董氏は、智と徳と美貌を兼ね備えた王氏の子供を次の帝にしようと目論んでいたので、その王氏からの相談事は正に渡りに船であったのだ。
『董太后様、私は帝から男児を産めと念を押されましたが、産まれたのは女児で御座います。このままでは、この子が殺されてしまうのではないのかと、気が気でならないのです 』
『気にする事は無い、ならば男児にしてしまえば良い。幸いにも、そなたの出産に立ち会ったのは、全て妾の息が掛かった者たちじゃしな? 帝には妾が上手く取り繕って置く故に、そちは『男児が産まれた』と言えば良い 』
『はい、畏まりました……。ならば、私はこの子を男として育てます 』
かくして、この二人は一芝居打つことにし、生まれたのは皇子と告げると、劉宏は狂喜乱舞しただけでなく、宮中にて物売りの真似事に興じたものである。
然し、この報せを面白く思わぬ者が居た。それは言うまでも無く、皇女弁の生母である何后とその姉何進の二人である。無論、自分の方が王美人より身分が上の皇后だから、当然自分との間に生まれた弁皇女が次の帝に間違いないだろう。
だが、最近帝の寵愛目出度い王美人は皇子を産んだ。只でさえ暗愚だと言うのに、移り気な劉宏の事だから、王美人の子である劉協を跡継ぎにするのではないのかと危惧したのである。
そして――――この姉妹は自分達の立場と権力を強固な物にする為、恐ろしい企みを目論んだ。何と、産後間もなくして、体が弱りきった王美人の食事の中に毒を混入し彼女を毒殺したのである。
当然、今上帝たる宏は錯乱し、そして激怒した。自分のお気に入りだった王美人を突然失ってしまい、彼が受けた衝撃は可也の物だったので、すかさず中常侍である張譲に犯人探しを命じたが、犯人は一向に見つからなかった。
然し、錯乱しているのは当の帝本人だけで、口には出していなかったものの、誰が王美人を手に掛けたと言うのは判りきっていた。だが、帝に取り入り既得権益の甘い汁を吸うからこそ、中常侍を始めとした宮中の者達も強く言えない。
普段は厚顔無恥な中常侍等も、正直今回の出来事に困惑していた。何故ならば、後継者たる弁皇女や生母の何后に取り入り、次の帝になった暁には再び自分等も甘い汁を吸い続けようと目論んでいたからである。
然し、王美人が産んだ協皇子に対する帝の喜び振りは甚だ異常であった。下手をすると、次の帝を協皇子にするのではないのか? 実に、中常侍の間でもこの様な意見が出始めた為、彼らの間で結ばれた既得権益と言う名の絆の鎖に綻びが出そうになっていたのである。
そんな最中、姉何進を伴い、何后が彼らの元を訪れた。張譲を始めとした中常侍達は一斉に彼女に詰め寄ると、あれやこれやとこの姉妹を問い質し始める。
『何皇后様! 此度の一件ですが、一体何故のお積りなのか!? 』
『そうよ、そうよ! 下賎な家の出の癖に何考えてんのよ! 一生味わえない贅沢をさせてやった恩を忘れたの!? 』
顔色を赤くさせたり青くさせたりしている彼らに対し、何后はしたり顔でニヤリと笑って見せると、しれっと中常侍達に言い放った。
『おや? 何をそんなに慌てているのかえ? 妾はそなた等から受けた恩義を忘れてはおらぬ。寧ろ、これからも甘い汁を吸う為の策を話そうと思うていたのじゃからのう? 』
何后のこの言葉に、一瞬時が止まる。そして彼等が更に一層詰め寄ると、何后は小声で彼等に自身の考えた策を耳打ちし、彼女の策を聞いた彼等は納得したかのように大袈裟に頷いて見せたのである。
明くるその早朝、張譲は帝の御前で言上を始めた。無論、それは何后の筋書き通りに沿った物である。
『主上、此度の王美人毒殺の件でありますが、占者(占い師)に見て貰いました所、これは皇天后土が帝にお怒りになったからだとの事で御座いました 』
『んなっ!? 張譲、そちは王氏が殺されたと言うのは皇天后土が朕に怒ったと言うのか!? 』
この生っ白く、不健康そうな肥満体の持ち主である劉宏は、肉の厚い顔を思いっきり震わせながら、眼前の張譲目掛け唾を撒き散らしながら喚きたてる。だが、そんな彼に対し張譲は勤めて無感情のまま言を続けた。
『はっ、占者の話によりますと、協皇子が生まれてからと言うもの、皇室の運気著しく下がり、その原因は天子たる帝が長幼の序を無視し、弁皇女に見向きもせず美人王氏に産ませた協皇子の方ばかりにかまけているからだと言う事です。
そこで、臣から申し上げます。主上、どうか協皇子ばかりを可愛がるのはおやめなさいませ。主上には既に弁皇女と言う立派なお世継ぎが居るではありませぬか? 協皇子には然るべき立場を弁えさせ、腹違いの兄弟とは言えども弁皇女の臣下であると言う事を示さねばなりませぬ。
ところが、主上は協皇子をまるで次の帝であると言わんばかりに可愛がられておられます。この様な人として、帝としての道に外れた事をしたから、災厄の原因となった王氏を皇天后土がお召しになったのでしょう 』
『むむむ…… 』
劉宏は普段から『張譲は我が父、趙忠は我が母である 』と周囲に触れ回っており、その父である張譲から諌められると、流石に劉宏は絶句してしまい、只唸るのみであった。
確かに、劉宏には協皇子を次の帝にしようと言う腹積もりがあった。だが、生母である王美人が殺されてしまい、挙句の果てに自分の振る舞いが原因で天地の神々の怒りを呼び込んだと言われる始末。こうなってしまうと、劉宏としても自分の考えを改めざるを得なかったのである。
『判った! そちがそう言うのなら間違いないのであろう! 今日より朕は弁を可愛がる事にする。皆の者も聞くが良い! 弁こそが正式なる朕の跡継ぎぞ! 』
とうとう意を決して劉宏が声高に叫ぶと、張譲を始めとした中常侍や、傍に控えていた何進は内心ほくそ笑むのであった。かくして、この日より弁は正式なる皇太女としての扱いを受け、何后と何進、そして何后と親しい中常侍の権勢は益々強まる事となる。
然し、その一方で皇子協は父宏から意図的に遠ざけられる様になり、彼いや彼女は祖母に当る董太后の住む離宮で育てられる事となった。そんな不遇の日々を過ごすようになり彼是十数年、協はもうじき齢十三になろうとしていた。
年を重ねるごとに、彼女の体つきは段々女らしくなっていき、祖母や他の女官達があれこれ手を尽くして何進・何后一派や劉宏にばれぬようにしているが、最早限界に達しようとしていたのである。
『どうしよう、このままだと僕が女だと言う事がばれてしまう。もしそうなれば、父上は落胆されるだろう。
それだけじゃない、お祖母様達も酷い目に合わされるかもしれないし、あの意地悪で傲慢な何進や何后、そして弁姉様も、何て言って来るか判らないよ。僕はどうすれば良いんだろう…… 』
わざと低い声を出し、女らしさが出てきた体には布を巻きつけて誤魔化していたが、最近は何進や何后、そして義姉弁にまで勘繰られる始末。とは言えども、迂闊にこの宮殿と言う魔窟を出る事も叶わぬ。一体どうすれば良いのか? 正に劉協の進退は窮まろうとしていたのだ。
そんな日々を過ごしていた彼女であったが、嫌な現実から解放されるのは、夢を見ている時だけだったのである。然し、今日の夢はいつもの物とは違う。ひんやりとした冷気が漂う星空の中、自分は丸裸で宙に浮いていたからだ。
『それにしても、真っ黒い闇と点々に見える星々だけだなぁ……。若しかすると、皇天后土が僕をお召しなったのだろうか? なら、この方が良い。母上に会えるから…… 』
普段は、わざと声を低く出していた協であったが、この時の彼女の声は元来の娘の物になっており、それは優しく可愛らしい響きがあった。
『あっ、いたいた。おーい! そこの君ー!! 』
何処からか声が聞こえてくる。それは若い娘の声で、何処となくか自分の声に似ているような気がした。
『!? だっ、誰っ? 僕を呼ぶのは? 』
突然声を掛けられ、協は慌てふためきながら周囲を窺う。すると、彼女の目の前に光の塊が生じ、それは人の姿になった。
『やっと会えたよ、僕の子孫 』
『え? 何で僕がもう一人ここに居るの? 』
その姿を見た瞬間、驚愕の余り協は思わず目を見開く。自分と同じく一糸纏わぬ姿の少女がそこに居たからだ。それだけではない、彼女は髪の色や体型に到るまで、全てが全て自分と生き写しであった。
『んー。まぁ、仕方が無いか? 何せ君は僕の子孫なんだ。僕と同じ姿なのも有り得るかも知れないね? 』
『僕が君の子孫だって? 一体どう言う事なんだ? それと、君は誰? 名前位教えてくれても良いじゃないか? 』
すると、協と瓜二つの少女は少し考える素振りをしてみせた後に、彼女は気まずそうに答える。
『ごめん、名前を教えることは出来ないんだ。それよりも、劉協。僕は君に大切な事を伝えなければならない 』
『え? 大切な事? 』
名を聞くどころか、突然の出来事だけでなく大切な事があると言われてしまい、余計劉協は頭の中がこんがらがってきた。
『落ち着いて聞いてね? やがて、君の前に運命を変える女性が現れる。これより半年の後、彼女は雒陽を訪れ、そして君に出会うだろう。そしたら、迷わず彼女を自分の味方につけるんだ! でないと、君には避けられぬ身の破滅が待っている!
その人は嘗ての高祖や僕に匹敵した力を持っていて、他にも優れた仲間を引き連れている! 彼女等はすっかり弱りきってしまった、この『漢』を建て直せる力を持っているんだ! だから、迷わずその人を味方につけるんだ、いいね!? 』
『まっ、待ってよ。行き成りそんな事言われても、訳が判らない。どういう意味なんだい? 』
協に咎められ、彼女と瓜二つの少女は少し呼吸を整えると、ゆっくりと語りかける。
『君は今、女である事を隠して『皇子』としての日々を過ごしているよね? でも、段々誤魔化しが効かなくなろうとしているんじゃないのかい? 』
核心を突かれ、協は狼狽を色に出した。
『うっ、うん……。でも、どうすれば良いのか判らないんだ 』
『だろうね? 何せ、僕は天上から君をずっと見ていたんだ。君の悩み位手に取るように判るもの。それでね、僕がさっき言ったその人物の事なんだけど。そんな君をここから解放してくれるだけでなく、君と同じでこの国を心から憂えてくれているんだよ 』
『僕をここから出してくれるの? それと、僕と同じでこの漢を憂えてるって!? 』
彼女の言葉に、劉協は思わず声を張り上げた。
『そう。だからね、もう少しの辛抱さ。半年待てばその人は君の前に現れる、絶対にね? じゃ、僕はそろそろ元の場所に帰るよ? 早く戻らないと怒られちゃうから 』
にっこりと満面の笑みを浮かべて見せると、その少女は光に包まれ始め、協の前より消え去ろうとするが、協は慌てて彼女を呼び止める。
『まっ、待ってよ! 名前を教えて貰わないと、誰についていけば良いのか判らないよ!? 』
光に包まれながら、消え去ろうとするその少女は笑顔のままで協にその名を告げた。
『僕や君と同じ祖を持つ人物さ。姓は劉、名は備。そして――――字は玄徳 』
少女が光と共に消え去ったその瞬間、協は目を覚ます。彼女が寝台から身を起こすと、窓からは朝日が差し込みすっかり夜は明けていた。
「夢か……。一体誰なんだろ、あの子? でも、僕を助けてくれる人か……。劉備、字は玄徳……本当に来るのかな? でも、これは夢のお告げだと思っても良いよね? 」
この時は所詮夢見事と軽い気持ちであったが、後日劉協はその夢見事に出てきた名を持つ人物と出会う事となる。
「玄徳様、諸葛軍師殿より文が来ております! 」
所変わり、冀州は魏郡黎陽の県城。臨時の司令部と化した執務室に、伝令の兵士が慌しく駆け込んできたのは、その日の夜半過ぎの事であった。桃香達は既に臨戦態勢に入っており、彼女等は一斉にその兵士を見ると、桃香がやんわりとその兵士に答えた。
「有難う。それじゃ渡してもらえるかな? 」
「はっ! 」
桃香は彼から文を受け取ると、すぐさまそれに目を通す。そして、読み終えると隣に居た蓮華に照世からの文を渡すと言った具合で、室内に居る者全てに回し読みされた。もっとも、最後に目を通した鈴々だけは、チンプンカンプンの様であったが。
桃香は全員が文を読み終えるのを確認すると、ぐるっと周囲を見回して皆に話しかける。
「どうかな? 何でも、今回の作戦は広宗で義勇軍に加入した、諸葛孔明さんと龐士元さんの二人が考えたって書いてあったんだけど……。皆はどう思う? 照世老師達は、この二人が考えた作戦に太鼓判を押したみたいだけどね 」
彼女が皆の反応を窺っていると、挙手の後に雪蓮が口を開いた。
「そうねぇ……。正直待つのは面倒だけど、今回ばかりは仕方が無いか? 何せ、烏合の黄巾と言えども兵力は十万に対して、こちらは一万八千しかないもの。黄巾の背後を突く鄒靖将軍率いる軍と呼吸を合わせないと勝てないしね? 」
雪蓮に続くかの様に、羅蘭も意見を述べ始める。
「雪蓮様の仰られる事は尤もです。某も雪蓮様と同意見ですし、先日の臨菑城の時とは訳が違いますからな? 蓮華様や小蓮様はどうお思いで? 」
突然羅蘭に振られ、蓮華と小蓮は少し焦った素振りを見せながらも発言を始めた。
「私も文に書いてあった作戦には基本賛成よ? だけど大乱戦が予想されるわ。兵達にはキチンとそこら辺を徹底させておかないと、大変な事になってしまうわね? 」
「でもぉ、本当に上手くいくのかなぁ? だって、今回はこっちも調練不足が否めないんだよ? 広宗の軍は大丈夫かもしれないけど、こっちは新兵と熟練兵の連携がまだ取れてないんだもん 」
二人の意見に同意するかの様に、天井を見上げながら長嘆息する祭。この時、彼女の表情は優れていなかった。
「全くじゃのぉ……。今回ばかりは珍しく強行軍をした黄巾どもを恨みたくなるばかりじゃ 」
然し、彼女等の弱気を打ち払うが如く、愛紗に鈴々、そして翠が声を大にして張り上げる。
「お三方とも、何を弱気になっておられるか!? 今こそが正念場と言う物なのですよ!? 率いる将が弱気になってれば、それは兵達にも伝わってしまいます! 」
「愛紗の言う通りなのだ! 今日この時の為に、鈴々達はこれまで頑張ってきたんじゃないのかー? 」
「そうだぜ、あたし等が一人一人が十人ブッ倒せば、上手く帳尻が取れると言うモンだしな? ここはイッチョ気合入れてこうぜ! そして、桃香と同じ名前を名乗るあの黄巾野郎を……ギッタギタにしたろうじゃんかよっ! 」
翠がその言葉口にした瞬間。一気に皆の顔が緊張を帯び始めると、全員一斉に桃香を窺う。彼女は顔を俯かせると、自身の胸元をギュッと掴んでおり、自身に言い聞かせるかのように語り始める。
「うん……私は大丈夫。だから……、だから…… 」
桃香は勢い良く顔を上げると、声高に勢い良く叫ぶ。この時、彼女の表情は物凄く晴れやかであった。
「黄巾達をやっつけようっ!! 」
決意溢れる彼女の叫びに、周りに居た者全てが自身の昂りを感じ始める。そして、全員拳を上に突き出すと勢い良く『おーっ!!』と気炎を上げた。
(何故かしら……。こんな状況なのにも拘らず、桃香の言葉。ううん、あの娘の存在だけで、こんなにも場の空気を変えてしまう……。私には無い物だわ、正直桃香が羨ましい…… )
(このお方なら……。若しかすれば、我が槍を生涯捧げるに相応しい方やも知れぬ。この前までは奇麗事を言う方だと思ってはいたが、この御仁はそれを実現すべき力を兼ね備えている! 黄巾どもとの戦が終わったら、この方にお仕えするのも悪くは無いという物だ…… )
皆が気炎を上げる中で、蓮華は桃香に少しばかりの嫉妬を覚え、星は感服したかのように微笑んで見せると、桃香に熱い視線を向けていたのである。
(何だろ? さっきから、胸騒ぎが止まらない……。何か悪い事が起こらなければいいんだけど…… )
然し、その一方で桃香の胸中は複雑だった。自分と同じ名と字を持つ黄巾の幹部の存在が、先程からずっと頭の中にこびり付いている。若しかすると、自分はこれから何かトンでもない出来事に巻き込まれるのではないのかと、不安を抱いていたからだ。彼女の不安が的中するが如く、この戦いは桃香にとって生涯忘れる事の出来ぬ後味の悪い結末になったのである。
――同時刻、黎陽より北二百里(約八十二キロ)先の鄒靖の本陣にて――
「どうどう、黒風。どうしたんだ、何時ものお前らしくないぞ? 」
官軍の先発として、斬り込みを掛ける部隊の中に一刀の姿があった。然し、その一刀であるが、現在愛馬黒風を落ち着かせるべく、悪戦苦闘していたのである。そんな彼を見るに見かね、黒風の育ての親である壮雄が馬を寄せてきた。
「どうした、一刀? 先程から黒風が落ち着いていないようだが……? キチンと水や餌を与えたのか? 」
「あ、壮雄老師……。ええ、キチンと世話していますよ。だって、こいつは壮雄老師と固生老師からの贈り物なんですし、粗末にする訳無いじゃないですか? 」
少し咎めるかの様な壮雄の口調に、一刀がやや口を尖らせてると、壮雄は顎を摘んで何やら考え込み始める。そして、彼は神妙そうな表情で一刀に話し始めた。
「なぁ、一刀。馬に限った事ではないのだが、動物には人間には無い力があると聞かされた事がある。俺も長年馬に接してきたが、何か悪い出来事を予測すると、今の黒風の様に落ち着かぬ素振りを見せたものだ。もし、何であったら本隊の雲昇殿に代わってもらったらどうだ? 雲昇殿も騎馬の戦いに長けてるしな? 」
心配するかの様に壮雄が言ってくると、それを拒否するかの如く一刀は思いっきり首を左右に振る。
「いいですよ、そこまで気を使ってもらわなくたって! 考えてみれば、今回は黒風にとって初めての大戦なんですしね? だから、それで落ち着かないんですよ 」
「判った、お前がそこまで言うのなら、俺は敢えて何も言わぬ。キチンと手綱を握っとくんだぞ? 」
「判りました、壮雄老師。お気遣い有難う御座います 」
一刀が意気込んで見せると、壮雄はフッと頼もしげな笑みを浮かべて彼の傍から離れる。そして、次に少し離れた場所で控えている固生の元へと馬を寄せると、すぐさま彼の耳元に囁きかけた。
(固生、悪いが一刀から離れないで居てくれぬか? 先程から黒風の様子がおかしいのだ )
兄の言葉に、固生は思わず眉を顰めると、彼も兄と同じく小声で返す。
(黒風の様子がおかしいですって? 黒風は我々兄弟が手塩に掛けて育てた馬です。あれは普通の馬より力と脚もありますし、何より賢くあります。その黒風の様子がおかしいとは…… )
(ああ、何やら先程からぐずってると言うか、全然落ち着きが無いのだ。まるで、一刀を戦場に連れて行くのが嫌のように見えるしな? 何か悪い事が起こらねば良いのだが……。
俺はこの気性故に、一度戦が始まれば一刀の面倒を見れる自信が無い。然し、お前だけは勇猛果敢な馬家の中でも冷静に物事を見れる。我等の中で一番冷静な雲昇殿と別行動になる今、頼めるのはお前だけなのだ )
(……兄上がそこまで言うのなら、余程の事なのでしょう。何せ、兄上の予感も意外と当りますからな? 畏まりました、この固生。一刀殿から離れぬよう気をつけましょう )
(すまぬな、固生。それでは、頼んだぞ? )
真剣な表情で頼み込む壮雄に、固生も同じく真剣な表情で頷いたのである。かくして、壮雄・固生・一刀の三人率いる七千の精鋭騎兵は先行して出立すると、馬を走らせ約百里先に布陣する張角の本陣を目指した。
先行部隊が出立してから一刻(約二時間)後、劉備を名乗る男は未だに気絶したままの若い女信者とのまぐわいに御執心であった。そんな最中、彼の天幕の中に一人の男が行き成り入り込んでくる。男は劉備を見るや否や声を大にして怒鳴りつけた。
「張闓っ! てめぇ、ナニ女とヤッてんだよ!! 」
すると、張闓が本当の名であろうか。劉備と名乗っていた張闓は、端正な顔を悪鬼の如く歪めて怒鳴り返す。
「馬鹿野郎っ! 孫仲ッ!! 劉備と呼べって言ったろうが!? ナニ考えてんだぁ、てめぇ!? 」
張闓に怒鳴りつけられたのにもかかわらず、彼から孫仲と呼ばれた男は更に声を大にして怒鳴り返した。
「ンナ事言ってる場合じゃねぇんだよっ!! 敵が夜襲を仕掛けて来やがった!! 今、高昇に当たらせてる!! その女の事なんざ放っておけ! 早いとこあの三人連れてここから逃げンだよっ! 」
孫仲の言葉を受け、張闓は顔に見る見る焦りを浮かび始めると、思わず声を大にして叫び始める。
「なっ、何だとぉ!? まさか、広宗の官軍がもう追いついてきたと言うのか!? 幾ら何でも早過ぎるぞ? 俺の見立てじゃ、明朝ここを出ても間に合う筈だったんだぞ!? だからこそ、あれだけの強行軍をしたんだ!! 」
「ンナこたぁ、どうでも良い!! 見当違いのてめぇの見立てなんざぁ、今更聞きたかねぇんだよ!! それよりも、早くあの三人連れて逃げるぞ!! あの三人居なけりゃ、俺達ゃお飯の食い上げになっちまわぁ!! 」
「判った! 俺も今すぐここを出る!! 」
言うや否や、張闓は先程までの相手だった女を乱暴に足蹴にすると、自身はすぐさま身支度を整え張角達三姉妹の天幕へと向かう。そして、未だ寝ぼけたままの三人を馬車に乗せると、自身も馬に跨りこの場を後にしたのである。
「このぉっ!! 雑魚には用は無いっ!! 敵将張角出て来い!! この劉仲郷が相手だあっ!! 」
黒風に跨り声を大に叫びながら、一刀が黄巾どもに大身槍の洗礼を浴びせ続ける。だが、未だに敵の首魁たる張角の姿は見えない。
今回初陣となる朱里と雛里の二人が立てた策であるが、精鋭騎兵七千で夜襲を掛け、敵を撹乱。それに乗じて、同士討ちを誘う物であった。その後、後詰の本隊が先行部隊に合流。この時黄巾どもに徹底的な大打撃を与え、逃亡する残兵を黎陽に居る桃香達の軍とで挟撃に持ち込む算段だったのである。
「これで上手く行けば、敵の首魁である張角を捕える事が出来ると思います 」
「敵は強行軍を繰り返し、その疲労も頂点に達している筈。多分ですが、敵はここまで追いついてこないだろうと、我が軍への警戒を緩めているに違いありません…… 」
朱里と雛里が、差し向かいで互いに白羽扇を翳しながら意見を述べ合い、今回考えたこの策を照世達三軍師は何も言わずに満面の笑みと共に採用したのである。然し、この時一刀は焦燥感に駆られていた。ここで上手く行けば、張角を捕える事が出来、この黄巾の乱に終止符を打つ事が出来る。
自分は桃香の描く夢の行く末を見届ける為に、この世界に召喚されたのだ。だから、黄巾如きに行く手を阻まれる訳には行かない。そう思うと、一刀の焦りは更に強くなるばかりだったのである。
「一刀殿ッ!! 焦り過ぎです!! 一旦落ち着かれよっ!! 」
叫びと共に、固生が一刀の前に立ち塞がるべく馬を寄せてきた。彼の険しい顔を見た瞬間、一刀は自身の温度が一気に下がった様な気分になる。
「こっ、固生老師…… 」
「一刀殿ッ!! 気持ちは判るが、逆上せ上がられるなッ! 貴方一人で戦をしてる訳ではないのだぞ!! 一刀殿一人の暴走で、桃香殿や一心様達に迷惑が掛かる事を忘れてはならぬっ!! 」
今、一刀の眼前で怒鳴りつける固生の顔は、紛れも無く前世における『漢平北将軍 陳倉候 馬岱』その物であった。彼は根っからの苦労人気質ではあったが、そんな固生だからこそ彼の言葉には可也の重みが含まれている。
固生に窘められ、一刀は逆上せ上がっている自分自身が恥ずかしくなってきた。思えば、先程の壮雄のやり取りと良い、自分は可也思い上がっていたのではないのだろうか? こんな状況下においても、自分を窘めてくれる彼等の存在を一刀は物凄く有難いと思った。
「申し訳ありません、固生老師……。俺、思い上がってました。上手く行けば、ここで張角達を捕えられると思っていましたから 」
申し訳なさを顔に滲ませ、戦闘中にも拘らず一刀が固生に頭を下げて謝ると、固生はフッと優しく微笑みかけた。
「いえ、武に携わる者なら、誰しも今の一刀殿の様な経験を一度ならずともするものですよ? 私もそうですし、兄上もそうでした。御安心召されよ、兄上から一刀殿に付いてる様厳命されましたからな? 貴方の背中は、この固生にお任せ下され 」
「あっ、有難う御座いますっ! 固生老師っ! 」
「さっ、後続の本隊が到着するまでもう少し! それまでの間、我々は精々敵陣を引っ掻き回してやりましょうぞ! 」
「応ッ!! 」
固生が右腕を一刀の眼前に翳して来ると、迷わず一刀も自身の右腕を彼のそれに重ね合わせ、二人は互いを庇い合いながら縦横無尽に敵陣を駆け回る。
「二人とも、何だか面白そうだなっ!? だったら俺も混ぜろ!! 楼桑村に居た時の様に、馬の早駆け比べと参ろうぞ!! 」
すると、そんな二人と呼吸を合わせるが如く、壮雄も愛馬を走らせて来た。
「兄上ッ!? ならば、この固生としても負けませぬぞ? 」
「壮雄老師! 今度こそ俺が勝って見せます!! 」
「ハッハッハッハ!! 騎馬の戦いで俺を出し抜こうなぞ百年早いぞ! 」
まるで、そうなるのが自然な流れと言わんばかりに、三人はそれぞれ愛馬を走らせ、敵陣の中で大立ち回りを演じ始めた。
「どぉうりゃっ!! 」
「せりゃあっ!! 」
「ちぇすとぉっ!! 」
壮雄が、固生が、一刀が、それぞれの得物を振り翳しながら黄狗どもを次から次へと葬り去る。この三人の猛将の姿に、黄狗どもは武器を投げ捨てると、算を乱して散り散りに逃げ始めた。こうしている内に、今度は後続の本隊も到着すると、先頭の菖蒲と一心がそれぞれ剣を振り下ろし、声高に号令を下した。
「全軍っ、かかれーッ!! 」
「行くぞ、おめぇ等!! 黄巾どもに引導を渡してやれや!! 」
「うおおおおおおおーっ!! 」
只でさえ先行部隊による夜襲で撹乱され、同士討ちを起こしていた黄巾達にとって、この後続部隊による攻撃は致命的なものであった。おまけに、後続部隊には義雲、義雷、雲昇、永盛等の一騎当千の猛将が控えていただけでなく、戦の流れを読み取れる照世、喜楽、道信、そして朱里と雛里の五人の軍師も居た訳である。
早速彼等が自分自身の役割を果たし始めると、黄巾達はまるで沈みかけた船から逃走する鼠を思わせるかのような動きで、彼等は一目散に南の黎陽方面へと逃走するのであった。
「よしっ! ここまでは朱里ちゃんと雛里ちゃんの考えた通りになったべっちゃね? そんじゃ、早速黎陽に向かうっちゃよ! 」
二人の可愛い軍師の策通りに事が進み、満足そうな笑みを浮かべて菖蒲が命令を出そうとするが、そんな彼女をすぐさま道信が止めた。
「お待ち下さい、菖蒲様。先ずは早馬を飛ばし、黎陽の桃香殿達に連絡を入れなければなりません。朱里と雛里の二人も言っておりましたが、今回は桃香殿達との連携を密にせねば全て水泡に帰してしまいますからな? 」
「あっ、そう言えばそうだったべっちゃねぇ……。いやはや、あだしとした事が、ほに(まったく)申しわけねぇこってす 」
「……実は悪い報せがあります。桃香殿からの話によりますと、どうやら黎陽の兵は新兵と熟練の兵との連携が上手く行ってないとの事です。仮にですが、黄巾に気取られてそこを突かれてしまいますと、ほんの僅かな隙でも瓦解する恐れがあります。兵に関しては率いる将達の力量如何にもよりますが、先ずは桃香殿たちの負担を極力減らす様にしなければなりません 」
「んだらば、どうすればいいのすか? 」
菖蒲は眉根を寄せ、思わず道信に詰め寄る。
「それに関してですが、最初の物から方針を変える事にしました。手筈の方は既に我等五人で考えておりますので、それ伝える為早馬を飛ばそうと思っております。宜しいでしょうか? 」
「良いよぉ、あだしは正直策を考えるのは得意じゃねぇから、そこら辺は軍師殿達にお任せするっちゃよ! 」
「有難う御座います! それでは、早速にでも! 」
こうして、道信は策を書き記した竹簡を伝令兵に握らせて早馬を出させると、自身も抜剣して黄巾どもに当たる。この時、十万残っていた黄巾の本隊であったが、先程の夜襲による撹乱と同士討ちに後続の菖蒲の本隊との攻撃によって半数にまで撃ち減らされていた。
「邪魔だぁっ!! そこをどけっ!! 」
「ぎゃあっ!! りゅっ、劉備様ぁ!? なっ、何故だぁーっ!? 」
「うるさいっ! 俺達の前に立ち塞がっていただけで万死に値するんだよっ!! 」
一方の張闓であったが、彼は張角達三姉妹を乗せた馬車を護衛する形になってしまい、無情にも彼は自分達の前を逃げ惑う友軍にも容赦なく白刃を振り下ろしていたのである。これらの事も重なり、広宗に陣取っていた時はあれだけ高かった黄巾の本隊の士気は、最早瓦解寸前にまで陥っていたのだ。
少し時が経ち、所変わり黎陽から三十里(約十二.三キロ)ほど北に布陣する桃香と白蓮の軍。早速そこには先程道信から送られてきた早馬が到着していた。既に将達は全員馬上にあり、彼女等は馬を寄せ合って、軍師達からの策がしたためられた竹簡を回し読みする。
「成る程、これなら何とか切り抜けられそうね? 」
「そうね、この現状ならこれしか方法は無いんじゃない? 」
「うんっ、縁や冥琳に穏だってそう考えるかもしれないよ? 」
感銘深く頷く蓮華、雪蓮、小蓮の孫姉妹。
「そうですわね……。今回に関しては黄巾の兵の士気を下げたとは言えども、新兵は正直足手まといですわ。なるべく彼等の損害や負担を減らすためにも致し方ありませんわね? 」
「全くじゃな……。一応、城下町に住む民を事前に避難させて置いて正解でしたわい。それに、無理してまで食い止めなくとも良いともなれば、兵達も少しは気楽に戦えましょう 」
「然し……。折角、匪賊どもから守ったこの城を素通りさせても構わぬと言うのは、正直余り気持ちの良い物ではありませんな? 」
納得しながらも、複雑気に顔を顰める祭、紫苑、星。
「ですが、仕方が無いのです。大興山や臨菑の戦いと違い、今回私達は護りに回らなくてはならないのです。そんな状況下で敵を死兵にしてしまうのは、正直無謀と言う物なのです…… 」
「だが、これで上手く行けばいいのだが……。正直某は不安でならぬ 」
「まぁ、そう言うなよ。これまで私達はあの軍師殿達があれこれ知恵を絞ってくれたお陰で切り抜ける事が出来たんだ。だから、今回も信じようじゃないか。な? 」
明命が少し落ち込む素振りを見せると、太史慈こと羅蘭は憤懣やるかたないと言わんばかりに憮然となり、そんな彼女を宥めるべく声をかける白蓮。
「まぁ、軍師殿達がそれで行けって言うんなら、あたし等はそれに従った方が無難だと思うぜ? まっ、さっきも言ったけど一人あたま十人ぶっ倒せば良いんだしな? それと、桃香の偽モンとっ捕まえて化けの皮はがしてやんないと、桃香がかわいそうだぜ? 」
「うんうん、翠姉様の言う通り! たんぽぽ達が頑張れば無問題だって! それに、今回は桃香姉様の名前語る奴を捕まえないと、半分目的が達成されないんだよ? 」
グッと表情を引き締めて気合を入れ直す翠と蒲公英。いつの間にか、二人の目的は『桃香の偽者』を捕まえる事に切り替わってたようだ。
「翠とたんぽぽの言う通りなのだ! 桃香お姉ちゃんの名前を騙って、悪いことする奴は許しておけないのだー!! 」
「黄巾どもの件は何とかなろう。だが、問題は奴だ……。私としても、今回ばかりは義姉上の名を騙る奴を生かしておけん!! 我が青龍偃月刀の錆にしてくれんっ!! 」
翠と蒲公英に呼応する様に、続く鈴々と愛紗が気合を入れていると、すかさず桃香が皆を宥める様に語りかける。
「ありがとう、皆。でもね、私の偽者の事は後回しでいいし、そもそも今回の目的を履き違えちゃ駄目だよ? 私達の目的はここで可能な限り黄巾の数を撃ち減らす事なんだし、捌き切れないようだったらわざと流してやればいいんだからね?
軍師殿達の話だと、どうやら黄巾達は黎陽に興味は無く、只潁川に逃げればいいって考えてるみたいだから。でもね、出来る事なら敵の首謀者である張角や、私の名前を名乗る人を捕まえられたら良いよね? そうする事が出来れば、潁川だけでなく他のとこで暴れてる黄巾達に多大な影響を与える事が出来るから……。
だけどね、皆。これだけは約束して。絶対無理しちゃ駄目だよ? 誰一人としてここで欠ける事は絶対に許さないから……! 」
言い終えて、ギュッと歯を食い縛り桃香が皆をジッと見回すと、彼女が発する無言の圧力に全員只黙って頷く。やがてそうこうしている内に、斥侯に放っていた兵の一人が桃香の前で拱手して一礼すると、彼は声高に報告した。
「申し上げますっ! 黄巾の本隊が直にここに到達します!! どうやら、敵は可也撃ち減らされた様で、ざっと見ただけですが現在その数は四、五万程度かと!! 」
「っ!? 」
兵士のその報告に、全員に一瞬緊張が走ったが、予想外の残敵の数に思わず彼女等は拍子抜けしてしまう。呆気に取られたかのような顔で、翠が口を開くや否や声を大にして叫んだ。
「なっ、何だよそれ!? 思ったより敵の数が随分減ってるじゃないか!? 」
そんな翠に対し、桃香が得心したかのように微笑んで見せると、彼女はニコッと満面の笑みと共に皆に呼びかける。
「翠ちゃん、多分だけど。私達の負担を減らす為に、一心兄さんや一刀さん達が頑張ってくれたんじゃないのかな? でも、これで少しは気が楽になったし、皆改めて気合入れてこうよ! 」
「おーっ!! 」
彼女の呼びかけに、この場にいた恋姫達は、皆握り拳を天に突き上げて気炎を上げるのであった。
かくして、桃香と白蓮の連合軍計一万八千の兵は、こちらの方へと逃げてきた黄巾本隊の残兵の迎撃作戦に入る。然し、桃香達の兵の連携が上手く行っていないと言う事情を考慮し、当初の方針であった『黄巾本隊の殲滅』から、『極力黄巾本隊に大打撃を与え、出来る事なら張角を捕まえる』と言う物に変更された。
先ず、軍師達の策では一番最初の受け口となる部隊には全て熟練兵で構成させ、翠、蒲公英、羅蘭、鈴々、雪蓮と言った、取り分け武に優れた者と、彼女等の司令塔として白蓮を配置。
次の二段目になる部分の陣は新兵で構成し、愛紗、星、紫苑、祭、明命、蓮華、小蓮、そして桃香と、智勇の均衡に優れた者や、将としての経験を十分に積んだ者を配置した。
戦の流れとしては、先ず一段目の陣で武に優れた将達が率いる熟練兵で敵兵を痛めつけ、陣の中にわざと逃げ道を作って二段目の陣に流すようにする。この時忘れてはならぬのは、同じとこばかりを逃げ道にするのではなく、常時逃げ道の場所を変える事。こうでもしないと、同じ所ばかりに敵兵が殺到する事になり、そこを受け持つ将の負担が増えてしまうからだ。
他にも、逃げ道を変幻自在に変えることによって、敵から正常な判断力を奪うと言う狙いもあったのである。智勇の均衡に優れた白蓮の役どころは、正にその逃げ道を作る命令を下す事にあったのだ。
そして、次の二段目であるが、ここは新兵で構成されている故に必ず敵一人に対し三人で当たらせる。況してや、経験が浅かったり全く無かったりする新兵であるから、こここそが率いる将の手腕が問われる局面でもあった。従って、武に偏った人物だけにこの二段目の陣を任せる訳には行かず、戦いながらも状況を判断出来る人物が必要とされたのである。
今回の目的は、潁川方面へ落ち延びる黄巾の兵力を極力減らす事にある。従って、深追い厳禁とし、二段目の陣を抜け、まんまと逃げおおせる奴が居れば放っておけと言う事になった。何故なら、菖蒲率いる本隊と合流した後に、後日全軍を挙げて潁川へ追撃すればそれで済むからである。
「来たぞ! 黄巾の残兵どもだ! 」
一段目の陣で、馬上で翠が声高に叫んだ。彼女の叫びに、陣中の緊張感が一気に高まってくると、すかさず司令塔役の白蓮が大声で号令を下す。
「皆! 作戦を忘れるなよ!? 全軍、かかれーっ!! 」
「おおおーっ!! 」
白蓮の号令と共に、他の将兵達が雄叫びを上げると、彼等は勢い良く黄巾の兵にぶつかり始めた。この陣には武に長けた将を配置していたのもあってか、彼女等の獅子奮迅の戦い振りに中てられ、只でさえ下降気味であった黄狗どもの士気は更にがた落ちになる。
「うおらっしゃああああーっ!! 次は誰だ!! 泰山地獄を見たい奴はどっからでもかかってきやがれ!! この西涼の錦馬超が相手してやるぜ!! 」
「突撃! 粉砕! 勝利なのだー!! 鈴々の相手になりたければ、どこからでもかかってくるのだー!! 」
「ブフ~~ッ! 」
「アハハハハハハハハハハ!! ほらほらほらほらぁ!! どうしたのどうしたのぉっ!? まさか、先にイキたいだなんて都合のイイ事考えてないわよねぇ? だって、私はまだイッてないんだからあああああああっ!! 」
「一つ! 二つ! 三つ! 四つ! 五つ! 黄巾風情がっ! この太史子義を殺すのには、五人では物足りぬ!! 某の首が欲しくば、万の兵士を連れてくるが良い!! 」
「強い奴はここにもいるぞーっ!! 黄狗どもめっ、この馬岱が相手だッ!! 」
こんな有様だから、黄巾側としては戦うどこらではない。彼等は必死に逃げ道を探し始めると、敵陣のとある一箇所が途切れている事に気付いた。
「おっ、おいっ! あそこ見ろ! 陣が途切れてるぞ!! 」
「こう言う時に言うのも何だが、ありがてぇ!! おいっ! 抜け道があるぞ!! そこへ急げ!! 」
「よしっ、今だっ! 合図の旗を振らせろ! 途切れ目の位置を馬超の隊に変えさせいっ! 」
「はっ! 」
黄巾達がそこに殺到し始め、何人かの黄巾がそこから抜け出すのを確認すると、白蓮が兵の一人に合図の旗を振らせて、途切れ目の位置をわざと変更させ始める。合図の旗を見た瞬間、翠は思わず舌打ちした。
「チッ! 折角ノッて来たとこだったのにな! 仕方が無い、者どもっ! 合図の旗だ! 隊形左右に開けッ! 」
「はっ! 」
翠が号令を下すと、彼女の兵は指示通りにキビキビと動く。そして、あっと言う間に新たな途切れ目を作り出すと、それと同時にそれまであった途切れ目は直ぐに塞がれてしまった。
「なっ、何だとっ! いつの間にか兵で埋まってるじゃねぇかよ!? 誰だ、嘘つきゃあがったのは!? 」
「おっ、おいっ! 今度はあっちの方が途切れてるぞ! そっちに急げ!! 」
一方の黄巾側であったが、彼等はこんな調子で次から次へと判断を狂わされ、どうすれば良いのか判断が付き辛くなって来る。その結果、彼等はあっちこっちを右往左往する羽目になってしまった。中には途切れ目から運良く抜け出せた者も居たが、今度は桃香達が控える第二陣が彼等の前に立ち塞がる。
「……っ! 桃香、第一陣を抜け出した黄巾が来たわ。でも、可也数が少ないわね? どうやら第一陣の姉様達が大暴れしてくれたみたいだわ 」
隣で轡を並べる蓮華が、桃香に声を掛けて来た。彼女に言われ、桃香は少し目を瞑って見せると直ぐに勢い良く開眼する。
「皆、ここが正念場だよ? でも、無理しては駄目だからね。出来るだけで良いから、敵の数を減らす事だけに専念してっ! 全軍、迎撃開始ーッ!! 」
「おおおおーっ!! 」
声高に号令を下すと共に、勢い良く桃香が抜剣してみせると、彼女は馬を駆り敵兵に白刃を振り下ろし始める。正に、その姿は戦場に舞い降りた戦乙女を髣髴させた。
「おっ、おい見ろよ! あの玄徳様のお姿を! 何て勇ましくって神々しいんだ! 」
「玄徳様こそ、正にわし等を救って下さる方に違ぇねぇだよ! 」
「こうしちゃ居られねぇ! 玄徳様に傷を付けさせるな!! 」
「男の俺達が頑張らないでどうするんだよ!? 」
彼女のその姿に新兵達は士気を鼓舞されると、彼等はこぞって黄狗どもに襲い掛かったのである。総大将自ら斬り込みをかけるなど、本当はしてはならぬ行為なのだが、桃香の起こした行動は新兵達を勇気付ける結果となった。
「こうしてはおられんっ! 良いか、先程も言った様に三対一で当る事を忘れるな! 互いを守りあいながら戦え! 義姉上に指一本触れさせるなーっ!! 」
「フフッ、桃香ばかりに美味しい所を総取りされる訳には行かないわね? 皆の者ッ! 我に続けーッ!! 黄狗どもを出来るだけ撃ち減らすのだっ!! 」
桃香に少し遅れる形になり、愛紗が兵士に檄を飛ばしながら馬を走らせると、続く蓮華も少しばかりの余裕めいた笑みの後に、同じく彼女も抜剣して斬り掛かる。然し、そんな中小蓮は姉達の姿に嫉妬を覚えると、彼女は可愛らしく両頬をぷくっと膨らませた。そして、小蓮は行き成り後ろに従う兵達の方を振り返ると、愛くるしい笑顔と共に可愛らしい声で号令をかける。
「む~~っ!! 姉様達ばっかに良いカッコさせないんだもんっ!! ねぇ、みんなー! シャオのぉ、お・ね・が・い♪ 黄巾達をやっつけて♪ 」
「お、おおおおお~~っ!! 尚香様マジ萌えっす!! 」
「尚香様の為なら、喩え火の中水の中※3断袖野郎の中にでも飛び込んで見せますぅ!! 」
「おおおっ、この爺の命でよければ幾らでも使うてくだしゃれ~~!! 」
愛らしい笑顔の裏ッ側で、角と牙に先端の尖った尻尾を持つ小蓮の演技に、男達はコロッと騙されてしまうと、彼等もまた残敵を討つべく我先にと敵に向かっていったのである。
(フッフーン♪ これだから、オトコって単純よねー? まっ、このシャオの魅力の前にメロメロって事かしらー? )
「小蓮様ぁ……。何だかやり方があざといのです 」
一方の小蓮であるが、彼女はしてやったりと言った顔で、内心ほくそ笑み、明命は明命でそんな彼女に呆れる始末であった。
「やれやれ……。孫家の末の妹姫も、トンだ『食わせ者』のようですな? まぁ、仕方が無い。桃香殿に愛紗達までもが敵に当っているのだし、私も出遅れるわけには行かぬ。済まないが、紫苑殿に祭殿。援護を頼みましたぞ? 」
星は小蓮のやり方に呆れ顔になりつつも、彼女もまた蠱惑的な笑みを美しい顔に浮かべて見せる。そして、神業の射手たる紫苑と祭に援護を任せると、自身は愛槍を握り締め白蓮から譲り受けた白馬を走らせて行った。
「あらあら、星ちゃんったら。何だかんだ言っても、結局は暴れたいんじゃないのかしら? 」
「フッ、仕方があるまい。あの娘位の年頃なら、血気盛んな方が普通と言う物じゃしな? どれ、儂等も遅れる訳には行かんな。紫苑よ? 」
「フフッ、そうですわね……。それでは、皆さん行きますわよ? 」
「良いかっ! 無理に敵に当てようと考えなくとも良い! 先ずは弓の扱いに慣れる積りで矢を放つのじゃぞ!! 但し、味方に当てぬようにだけ気をつけよ!! 」
若い彼女等に苦笑しつつも、紫苑と祭は不慣れな弓兵相手に号令を下し、自身等もそれぞれ弓を振り絞り敵兵相手に矢を放ち始めたのである。
「くそっ! あの陣は可也面倒だぜ。わざと途切れ目の場所を変えさせて俺達を右往左往させる腹積もりだ!! 」
「ちっくしょう! 旗を振らせてるあいつが合図役みてぇだが、あそこは取り分け大勢の兵で守られてるし、こっちは迂闊に攻め込めねぇぞっ! 」
「ふむ…… 」
一方、張闓と孫仲であったが、途中二人は悪仲間の高昇と合流すると、彼等三人は張三姉妹を乗せた馬車を護衛しながら南に逃走した。彼等は黎陽まであと少しと言う所にまで辿り着くと、彼等の前にはわざと逃げ口が用意されてある防御陣が布かれており、この変幻自在に逃げ口が動くこの陣に忌々しげに顔を顰めてみせる。
こちらより兵が少数なのにも拘らず、しぶとい戦い方をする相手に孫仲と高昇が毒づいてみせると、張闓だけは一人何か考え込む素振りを見せていた。
「おいっ、張闓。どうしたんだよ? さっきから考え込みやがって? 」
「何かいい案でもあんのか? まぁ、おめぇは昔っから狡賢いのが取り柄だったしな? 」
孫仲と高昇の二人が張闓の顔を覗き込んでくると、彼は口角をいやらしく吊り上げて二人に語りかけてきた。
「いい案がある。お前等、元々この黄巾党は張三姉妹の熱狂的な信者で構成されていた。然し、俺達が曹操の所から盗み出した、『太平要術の書』を即座に理解した張宝の力に拠る所が一番大きかったのを忘れている訳ではないだろう? 」
「ああ……。そう言えば、そうだったなぁ 」
「成る程、即ち生意気な雌餓鬼の張宝に術を使わせようって魂胆か? 」
彼の言葉に、孫仲と高昇は得心したかの様に下品な笑みで顔を歪ませ、満足げに頷くと、続く様に張闓もニヤリと笑ってみせる。
「そうだ、幸いにもまだ手駒は残っている。張宝を上手く煽てさせて、術を使わせれば下僕どもの士気はまた上がるしな!? 」
「それじゃ、張闓。上手くやってくれよ? 」
「頼んだぜ? 」
「ああ、任せろ 」
二人に見送られ、早速張闓は張三姉妹の乗る馬車の方へと馬を寄せる。張角・張宝・張梁の三姉妹が乗る馬車には豪華な装飾が施されており、馬二頭引きの王侯貴族が乗るような物であった。
「地公将軍様、劉備で御座います 」
先程までの邪悪な表情を掻き消すと、張闓は好青年『劉備』の顔で恭しく声を掛ける。
「な、なーに? どうしたの、劉備さん 」
劉備に扮した張闓に声を掛けられ、馬車の中から『地公将軍』こと張宝が顔を出す。彼女はこの状況下に陥っていた為か、何時もの強気な雰囲気は無く、少しばかりの怯えの色を顔に滲ませていた。
「もう既にお判りかと思いますが、状況が良くありません。つきましては、張宝様のお力をお借りしたく思います。さすれば、信者達は心を奮い起こされ、お三方の行く手に立ち塞がる敵を打ち破る楔となりましょう……。残念ではありますが、最早これしか打つ手は無いのですっ! 御決断をっ! 」
「えーっ!? あれを使うの? それも今ここでっ!? うーん、でもあれ使うと結構疲れちゃうんだよなぁ…… 」
「お気持ちは判りますっ! ですが、ここを突破し黎陽を抜け、潁川に辿り着かなければ、黄巾の御世を作らんと奮戦している波才殿が報われませぬっ! どうか、どうかお願い致しますっ!! 」
「うっ、うん……。判ったわ。だから、劉備さん。泣かないで、ね? ちぃ達頑張るから! 」
『誠実な好青年劉備』の仮面を被った張闓の演技は、正に迫真の物であった。懸命に頭を下げられ、挙句に涙まで流されてしまうと、流石に渋っていた張宝としても首を縦に振るしか選択肢は残されていなかったのである。
「あっ、有難う御座いますっ!! これで、我々だけでなく信者達も救われましょう!! 」
涙に濡れた瞳を上げて、『劉備』は何度も頭を下げて見せたが、この時彼は内心ほくそ笑んでいた。
(フンッ、こいつは三人の中で一番単純だからな? こうして涙を見せただけで簡単に引っ掛かるとは……。精々、俺達の為に働いてくれよ? )
張闓が腹の中で悪態を吐いている事なぞ梅雨ほども知らず、三人の姉妹は信者の士気を高揚する為の儀式を始めるのであった。
「ん……? 」
敵に対し得物を振るい続けていた翠であったが、何かに気付く。彼女は自分の耳に手を添えると、とある方を険しげに見やった。
「翠姉様、どうしたの? 」
「たんぽぽ……何か叫び声のような物が聞こえないか? ほら、あっちの方からさ 」
敵を片付けるのに一段落付いた蒲公英が、従姉の方へと馬を寄せると、翠は険しい表情のままで答えるや否や、自分が見やってた方を指差す。
「ん……? すっ、翠姉様!! あ、あれ何なのー!? 」
「んなっ!? 何だあいつ等は? 何だか目がイッてるぞ!?
どう見ても、普通の人間じゃねー!! 」
翠が指差す方を蒲公英がじっと目を凝らしてみると、そこには大量に集まった黄巾兵らしき集団に囲まれた馬車らしき物がおぼろげに見える。それは、徐々にこちらの方に近付いてくると、その異様さに思わず二人は恐怖を覚えた。
――――ホアッ! ホアッ! ホアーッ!! ホアッ! ホアッ! ホアーッ!! ――――
先程まで、あれ程動揺を色に出していた黄巾兵達であったが、彼等は一糸乱れぬ軍団と化しており、彼等は奇怪な叫び声を出しながら足並みを揃えていた。
彼等が鳴らす足音は一定の音律が刻まれており、その姿はまるで良く調練された軍団の様にも思える。更に、極め付けなのが彼等の目である。彼等の目には生気が無く、どう見ても操り人形の様にしか思えなかった。
「なっ、何なの、あれっ? これまでの黄巾達と全然雰囲気が違うわっ!? 」
「雪蓮様、お気をつけ下されっ! どうやら、彼奴等には何らかの呪いが施されているに違いありませぬっ!! さっ、この羅蘭のお傍へ!! 」
「なっ、何なのだー!! あれ!! 何だか薄気味が悪いのだー!! 」
「くそっ! 矢張り黄巾の本隊だけある!! 奥の手でも出してきたかっ!? 」
その異様な光景は他の将達の目にも映り、先ほどの翠と蒲公英と同様で、彼女等もその軍団の姿に恐怖を覚えた。
「ハハハッ、こりゃあいい! 見ろよ、孫仲、高昇! 官軍の奴等ビビってるぜ? 」
「ああっ、こいつぁ上等だぜ! これで、形勢逆転ってとこだな? 」
「これをぶちかませば、どんなに強い奴だって絶対勝てねぇだろうさ! 」
大勢の信者に囲まれた馬車の傍らで、馬上の『劉備』が薄気味悪い笑みを浮かべて見せると、続く様に孫仲と高昇も下卑た笑みを浮かべる。そして、『劉備』は勝ち誇ったかのように威勢良く剣を振り下ろし、信者達に号令を下した。
「良いか! 大賢良師様に代わり、この劉玄徳が号令を下す!! 目の前の官軍を突破せよ!! あの兵で囲まれた分厚い部分に襲い掛かれっ!! 」
「ホアッ、ホアッ、ホアアーッ!! 」
黄巾どもは先程の奇怪な叫びを上げながら、白蓮率いる部隊に群がると、彼等は言われるがままに彼女の兵を蹂躙し始めた。
「くそっ!! 何なんだこいつら!! 皆の者! 何としてでも後続の本隊が到着するまで持ちこたえろ!! こんな連中を劉備の所に行かせるなっ!! 」
然し、彼女が檄を飛ばしたものの、この黄巾兵達は先程の連中とは訳が違った。斬り付けても、倒しても再び彼等は起き上がり、執拗に攻撃を仕掛けてくるのである。
「なっ、何だぁ!? こいつ等幾ら倒しても起き上がってくるぞ!? 」
「きっと張角が妖術を使ったに違いない!! 」
「たっ、助けてくれええええ!! 」
この異常な光景に、熟練兵で構成されてた筈の第一陣は、忽ち混乱を起こし始めた。
「くそっ! このこのこのっ!! 」
白馬に跨り剣を振るい、正に獅子奮迅の働きをする白蓮であったが、彼女の周囲にいた護衛の兵も薄気味の悪い敵兵に一人また一人と倒されて行く。
「ホアッ、ホアッ、ホアーッ!! 」
「しまった!! 」
いつの間にか白蓮の背後に回った敵兵が、彼女目掛け槍を繰り出そうとしている。自分の迂闊さを呪い、白蓮は思わず目を瞑った。
「せぇりゃあっ!! 」
「ホアギャッ!? 」
然し、その槍が彼女の体に突きたてられる事は永遠に無かった。何故ならば、間一髪で救援に来た雪蓮が、その兵士の首を剣で刎ね飛ばしたからである。
「しぇ、雪蓮殿っ!! かたじけない!! 」
「礼を言うのは後で良いわ、白蓮。悔しいけど、ここは私達の逆転負けのようね? これ以上被害を広げない為にも、一旦軍を退かせて、纏め直してから桃香達の救援に向かった方が良いわ 」
「そうだな……。これでは正直戦にならぬと言う物だ……! 皆の者っ! 一旦退けっ!! 退却だ!! 」
雪蓮が忌々しげに黄巾の軍団を睨みつける横で、白蓮も悔しさを顔に滲ませながら退却を告げる。他の将達も不承不承頷きながら、彼女の命令に従うが、彼女等もまた悔しさを顔に滲ませていたのだ。
朱里と雛里の二人で立てた策であったが、それはトンでもない不確定要素によって亀裂を入れられてしまい、それどころか一万三千あった第一陣は三千の損害を出してしまう。その中には楼桑村義勇軍の兵士も含まれており、義勇軍を率いていた者達にとっては出したくない損害であった。
然し、悲しんでばかりも居られない。すぐさま白蓮と雪蓮を中心に軍を纏めなおすと、彼女等は進路を南にとり黎陽を守る桃香達の救援に向かったのである。彼女等が南に向かった後、入れ替わるようにして菖蒲達が率いる本隊が到着した。
「ん? 何だかおかしいっちゃね? 確かここには第一陣が布陣していた筈なのに…… 」
陣頭の菖蒲が、第一陣が布かれていた筈の場所を怪訝そうに見遣る。
「菖蒲さん、周りを見てくんな。黄巾どもの躯が転がってるが、こっちの兵の躯も結構転がってるぜ? 」
顔を険しくさせて一心が言うと、他の者達もこの場の惨状に思わず衝撃を受けた。
「これは……一体どうしたと言うのだ? 」
「なっ、何だこりゃあよぉ!? 黄巾どもだけじゃねぇ!! 官軍の兵士や……なんてこった! 義勇軍の兵まで死んでるじゃねぇかよ!? 」
「手筈通りでは、ここで一気に挟撃を掛ける予定だったのですが……彼女等に一体何があったのか!? 悪い事が起こらねば良いのですが…… 」
壮絶な戦の跡に顔を渋くする義雲、義雷、雲昇。
「戦巧者の白蓮殿や雪蓮殿に、勇猛な翠殿に鈴々ちゃんまでいたのじゃぞ? まさか、倒された訳ではあるまいに? 然し、義勇軍の者まで倒されるとは何ともやり切れんのう……。
なっ!? あっ、あれは隣の家に住んでおった李統ではないかっ!? 昨年祝言を挙げたばかりじゃと言うに、身重の女房を遺して先に逝き居って……。馬鹿者が! 儂はどの面下げておぬしの女房に報告せねばならんのじゃよ…… 」
「永盛殿、俺も永盛殿と同じ気持ちだ……。くそっ、こんな事になるなら、俺だけでも桃香殿について行けば良かった!! 悔やんでも悔やみきれぬとは正にこの事だ!! 」
「兄上、終わった事を悔やんでも物事は進みません。この固生も悔しく思います、ですが、ですが……悔やんだ所で死んだ同胞は帰ってきませぬっ!! 」
倒れた義勇兵の中に、楼桑村で顔見知りだった者もいた為か、永盛、壮雄、固生の三人は歯噛みして悔しさを滲ませた。
「こりゃあ……一言で言えば『酷すぎる』な? 見事な位に計算が狂わされたぜ? ッ!? そう言えば、張角達は人心を操る術を使うらしいと言う噂を聞いた事がある。もしかすると、これは本当の事かもしれないぜ? 流石にこんな現状を見てしまうとな? 」
「そうだな、喜楽の言う通りだ。はぁ……戦には不確定要素が付き物と、以前師に教えられた事があった。だが、まさかこんな所で起こってしまうとは……。私達もまだまだ未熟のようだ 」
「ふむ……。どうやら、噂通り首魁の張角達は妖術を使うと見て良いようだ。これ等の事を計算に入れていなかったのは、私達の完全な手落ちだ……。 」
「ひっ、雛里ちゃん……。絶対に上手く行くと思ってたんだよ? 折角私達二人で一生懸命考えた策だったのに……。張角さんの噂話は知ってたけど、それを考慮して置けば良かった…… 」
「朱里ちゃん。私も朱里ちゃんと同じだよ? でも、これは張角さん達の話を、噂程度でしか信じていなかった私達の失敗……。こうなった以上は早急に軍を動かして黎陽に辿り着かないと…… 」
自分等の考えた策を、意外な形で見事に引っくり返されてしまい、流石の五軍師も渋面を作る。特に、今回策を考えた朱里と雛里の落ち込みようは、手に取るように窺えた。
「くそっ……!! 桃香達が危ない!! こうしていられるかーっ!! 」
鬼の如き形相で絶叫すると、居ても立っても居られなくなったのか、一刀は行き成り愛馬黒風を走らせ始める。
「おっ、おいっ! 北の字!! 勝手に動くんじゃねぇ!! 」
「なっ!? 御舎弟様、お引き返しなさいませ!! お一人で向かわれるのは無謀ですぞ!? 」
一心と照世が慌てて止めるが、一刀には二人の静止の言葉が聞こえなかった。一刀の愛馬黒風は、巨体に見合うだけの力を持っている。忽ち彼の姿はあっと言う間に消えていった。
「チッ……!! あの北馬鹿が焦りやがって!! こうなりゃ、仕方がねぇ!! 菖蒲さん、すまねぇが全軍の指揮権を一時的に貸して貰っても良いかい? これが終わったら直ぐに返すからよ! 」
一刀の去って行った方を険しい形相で睨みつけ、一心が舌打ちして見せると、彼はすぐさま菖蒲に向き直り、指揮権の一時的な委譲を頼み込む。自分に懸命に頼み込んで来る彼の姿に、彼女は一瞬戸惑うものの、結局彼女はにっこりと笑って頷いた。
「判ったよぉ、これまであだしは一心さん達に助けてもらったし、たっくさん借りがあったからね? んだらば、総大将としてのあんたの器量、とくと見せてもらうっちゃよ? 」
「有難ぇ……。本当に恩に着るぜ! ……皆の者!! 今よりこの劉伯想が全軍の指揮を預かる!! 敵は何かの術を使ったようだが、恐れる事は無い!! 何故なら、天地開闢以来妖しげな術を使った者が天下を取った例など一つも無いからだ!! 私の指示に従っていれば、諸君等は必ず勝てる!! だから、悪戯に心を乱されるな!! 諸君等にはこの劉伯想がついているぞ!! 」
一心は彼女に対し拱手して一礼すると、将兵達に朗々たる声で語りかける。彼のその姿は、まるで一代の英傑さながらで、思わず「ははーっ」とひれ伏す者まで出始めた。そして、一心は自身の二人の義弟を含めた六人の豪傑を見やると、声高に号令を下した。
「義雲! 義雷! 雲昇! 永盛! 壮雄! 固生! 」
「「「「「「「ははっ!! 」」」」」」
彼等六人は一斉に下馬し、一心の下に跪く。
「お前達は先程用いた精鋭騎兵を引き連れ、早急に一刀と桃香達の救援に向かえ!! 私もすぐに追いつく!! 頼んだぞっ!! 」
「「「「「「はっ! 我等六人一心様の御命令に従いますっ!! 」」」」」」
六人が一斉に頷いてみせると、次に一心は軍師達の方を見やった。
「照世! 喜楽! 道信! 朱里! 雛里! 」
「「「はっ 」」」
「はっ、はわっ! 」
「あ、あわわわわ! 」
「先程の事だが、余り気にしなくとも良い。何せ、この一心も張角の術の事など考えても居なかったからな? そなた等五人にはこれより兵を率いてもらい、敵に当ってくれ。出来るか? 」
一心が彼等五人に問いかけると、五人とも黙って頷き、かくして一心を臨時の総大将にした本隊は黎陽方面へと向かったのである。
――――一方、その頃。黎陽にて。――――
「ホアッ! ホアッ! ホアーッ! 」
「なっ、何なのこれっ!? 黄巾達の様子がさっきと別人みたいだよ!? 」
「まさか、これが黄巾の力だというの? 」
「義姉上! 蓮華殿! 私の傍から離れぬように! 」
桃香、蓮華、そして愛紗。この三人は奇声を上げる黄巾どもに対し、互いを庇い合いながらそれぞれ白刃を見舞わせる。先程まで順調に敵をいなしていた筈が、突然、雪崩れ込んできた黄巾の本隊に急襲され、桃香達率いる第二陣は混戦状態になっていた。況してや、経験の浅い新兵で構成されたのが仇になってか、中には怖気づいて逃げ出す者も出始めたのである。
「くっ……。どうやら、先程までのとは何か違いますわね? 休む暇もありませんわ! 」
「フッ、口と手を同時に動かせる様ではまだまだ余裕があるようじゃの、紫苑よ? ならば儂も負けてはおられぬっ!! 」
「ここが踏ん張りどころか……! 面白い! この趙子龍の神槍の舞を止められる物なら止めてみせよっ!! はいはいはいはいはいーっ!! 」
紫苑と祭は背中合わせで弓を休む事無く射ち捲り、星はギリッと歯を食い縛ると、得体の知れぬ者と化した黄狗どもに神槍の舞を見舞わせる。
「やああああんっ!! 何なのこいつ等!? キモイしウザイってばっ!! 」
「小蓮様ッ!! 明命のお傍から離れないで欲しいのです! 必ずや雪蓮様や一心様達が助けに来るのですっ!! ハアッ! フウッ! セイッ!! 」
小蓮が悲鳴を上げる傍で、明命は彼女を庇うように俊敏な動きで敵を翻弄し、一人また一人と黄巾の首を確実に刎ね飛ばしていた。
「んっ……? あれ、もしかして楼桑村に居た玄徳じゃないのか? 」
「本当だぜ……。昔より更にイイ体になったじゃねぇかよ? 」
「チッ、あの玄徳がここにいるのか……。これは拙い、拙すぎるぞ! 」
奇声を上げる黄狗どもの中心に存在する馬車の傍らで、奮戦する桃香の姿が孫仲、高昇、そして『劉備』の名を騙る張闓の目に映る。孫仲と高昇は厭らしく顔を歪ませ、張闓は忌々しげに舌打ちした。
「おいっ、『劉備様』、孫仲、高昇! 俺が行ってもイイか? あの時は村の連中や、劉備の従兄を名乗るあの野郎に邪魔されたけどよ。実は俺、あいつと犯りたかったんだ! 」
一人の男が張闓達三人の方に馬を寄せてくると、彼は好色そうな笑みを浮かべてみせる。この男は昔楼桑村で張闓と共に徒党を組み、散々悪行の限りを尽くした者の一人で、未遂ではあったが嘗ては桃香を襲った事もあった。
「何だよ、おめぇ……。まだ諦めてなかったのか? どうするよ? 俺は別に構わねぇけどよ 」
「いいんじゃねぇの? どうせ、あの時と同じでお人好し意外取り柄のねぇ、劉備の事だ。相変わらず弱っちいんだろ? 何なら俺等のとこに連れて来い! 後で輪姦すか? 」
「フンッ……勝手にしろっ! 」
「ヘヘッ……。ありがてぇや…… 」
彼の下品なる申し出に、三人は仕方が無いかと言わんばかりに不承不承頷くと、男は桃香目掛けて馬を走らせて行く。然し、次の瞬間目を疑う出来事が彼らを襲った。
「劉備ぃ! 俺の事を忘れた訳じゃ!? 」
「フッ!! 」
「ギャアアアアアアア!! 」
男が桃香に踊りかかろうとした瞬間、桃香は戸惑いの一欠けらも見せずに靖王伝家で彼を袈裟斬りにして見せたのである。
「ば、馬鹿な…… 」
目の前で起こった有り得ない出来事に男は呻いて見せるが、馬上から侮蔑するかのように桃香が自分を見下ろすだけで、それは彼が最期に見た光景と言葉になった。
「なっ、何だ……? あれが本当に劉備か? 村に居たときとは別人だぞ? 」
「くそっ、どうやら俺達はあいつの事を見くびってたようだ! どうするよ、張闓? 」
「今ここで、あいつに俺の事を知られると拙い。こうなったら……殺すしか無さそうだ 」
孫仲と高昇がうろたえてる傍で、張闓は懐から仮面を取り出すと自分の顔に付ける。次に彼は腰に履いていた弓を取り出すと、もう片方の腰に吊り下げていた矢筒から矢を一本取り出し、そして腰帯に括り付けていた小瓶に鏃を入れた。
「おい、張闓。何だそりゃあ? 」
「まさか……毒矢か? 」
孫仲と高昇が尋ねると、張闓はニヤリと悪意に満ちた笑みを浮かべてみせる。
「ああ、そうさ……。毒さ。俺も始めて使うから良くは知らんが、どうやら強い毒なのは確かなようだ。何せ持ち主の狩人を殺しちまったからな? 詳しい事が聞けなかった 」
「で、どうやって当てんだよ? 言っとくが、弓を撃つ為に劉備をひきつけろってのはごめんだからな? 」
「俺も、孫仲に同じだぜ? 命が惜しいしよ 」
「ちっ! 判った、別の手を使う。お前等はここで馬車を守ってろ 」
孫仲と高昇が予め釘をさすと、張闓は図星を突かれたかの様に舌打ちし、彼は馬車の方に馬を寄せて再度張宝に声を掛けた。
「地公将軍様、劉備で御座います…… 」
「なっ、なぁに……? 劉備さん……。ちぃ達バテバテになりそうだよ…… 」
顔を出すのも億劫になってきたのか、中からは張宝の弱々しい声が返ってくるのみである。どうやら、彼女等の力が尽きるのも時間の限界かと思われた。
「あと少しの辛抱で御座います。つきましては、馬車の前方で未だ我等の行く手を阻む者達がおります。彼奴等を倒す様、信者達を向かわせて欲しいのですが…… 」
「うっ、うん……。判ったよ、劉備さん達が居なければ、ちぃ達ここまでなれなかったしね? でも、これが最後だからね? 」
「有難う御座います!! 」
迫真の演技とは言え、張闓の真摯な頼み事に彼女等は嫌とは言えず、結局は彼の頼みを受け入れたのである。
『みんなー!! 私達の前にいる奴等をぜーんぶやっつけちゃえー!! 』
――――ホアッ! ホアッ! ホアーッ!! ――――
馬車の中から張宝を中心に張三姉妹が術を発動させると、信者達は一層声高に奇声を上げ始め、馬車の前方で奮戦する桃香達の方へと殺到した。
「くっ……敵が多すぎるよ!! 」
「まるで、私達を意図的に狙ってるようだわ!? 」
「おのれ、黄狗どもが……一匹残らず我が偃月刀の錆にしてくれる!! 」
「ハッハッハ! こりゃあ最高だぜ? 俺達は労せずして劉備達を消せるしな? 」
「まぁ、犯れねぇのが残念だが、殺されるよりはましってモンだぜ! 」
「ククククク……。もう少しだ、もう少しで劉備を消せるぞ!! 」
この光景に桃香、蓮華、愛紗は更に顔を険しくさせ、孫仲と高昇は悪辣な笑みを浮かべると、仮面をつけた張闓は信者達にまぎれて馬を走らせる。彼は桃香を毒矢で射殺すべく、彼女との距離を詰め始めた。
然し、その時である。高笑いをしていた孫仲達の後方で鬨の声が上がった。
「こらーっ!! お前等、これ以上好き勝手にはさせないのだー!! 桃香お姉ちゃん達をいじめる奴等は、みーんな鈴々がやっつけてやるのだー!! 」
「ブヒーッ!! 」
「こんのぉ~~!! 黄巾野郎が良くもやってくれやがったな!? この西涼の錦馬超、やられたら倍返しする主義なんだよッ! てめぇら全員覚悟しやがれっ!! 一人残さず泰山地獄に送ってやらぁ!! 」
「たんぽぽもここにいるぞーっ!! も~う、あったま来ちゃったんだからねぇ~~!! ギッタンギッタンのケチョンケチョンにしてやるんだからぁ!! 」
「黄巾の賊徒どもが……。良くもこの孫伯符を本気で怒らせてくれたな? この代償は高くつくぞ!! さぁ、もっと綺麗で美しい紅い華を我が前で咲かせて見せよ!! 」
「黄巾どもっ!! ここから先はこの太史子義が相手してくれるっ!! 我が戟の錆になるがいい!! 」
「ふっ、ふふふっ……。良くも、良くも私の可愛い白馬達を殺してくれたな? この公孫伯珪の白馬を殺してくれた罪は四海より深いんだぞぉ~? ……貴様等全員三枚におろして、醤と水飴を塗ってから焼いて食ってやる!! 今晩のおかずは黄巾野郎の照り焼きだぁっ!! 」
先程大打撃を受けた第一陣が、軍勢を立て直してきたのである。鈴々、翠、蒲公英、雪蓮、羅蘭、白蓮の六人は、それぞれ憤怒の形相で黄巾達を睨みつけていたのだ。特に、先程の戦闘で愛馬を失った白蓮の怒りは可也の物で、今にも敵を呪い殺しそうな雰囲気が彼女にはあった。
「義姉上、あれを! 鈴々達です! 」
「うんっ! 鈴々ちゃん達、何とか切り抜けてくれたんだね? 」
「姉様、それに皆……。無事で良かった…… 」
援軍に駆けつけた彼女等の勇姿に、先程まで防戦一方であった桃香達は、自身の胸が高鳴るのを感じる。桃香は高鳴る気持ちを顔に滲ませると、疲弊しきっていた将兵達に声高に叫んだ。
「みんなー!! 救援がきたよ!! もう少し頑張って!! 私も皆と一緒にがんばるからっ! 」
「おおおおーっ!! 」
彼女の声に兵達は士気を鼓舞されると、ありったけの力を振り絞り敵に向かい始める。だが、一方の黄巾どもも張宝の強力な術に操られ、彼等もまた奇声と共に襲い掛かった。
「くっ、くそっ! 余計ごちゃごちゃしてきやがった!! これでは劉備を狙えん! あの連中、来るのが早過ぎるんだよっ! 」
もう少しで桃香を仕留められそうであった張闓であったが、先程の援軍の影響で両軍は更に入り乱れ、詰めたはずの距離がまた開かれてしまう。彼は忌々しげに毒づいて見せた。
「ん? 何だ? 馬蹄の音か!? 」
「おっ、おいっ! 孫仲あれ見ろ、あれ! 何だか馬に跨った奴が一人でこっちに突っ込んでくるぞ!? 」
馬車を守りつつ、何とか前進するべく戦っていた孫仲と高昇であったが、突如二人の耳に地面を打ち鳴らす音が響いてくる。二人が音のする方を振り向いてみれば、漆黒の巨馬に跨り、黒い鎧に身を包んだ武者が、何とこちら目掛け突っ込んでくるではないか。
「邪魔だぁあああああああああ!! 貴様等ッ、そこをどけぇっ!! 」
「ひいっ! 何だあの鎧は? 見た事もねぇぞ!? 」
「そんな事ぁ、どうでも良い!! ありゃあ、拙い! 拙いぞ!! 相手しねぇ方が無難だ!! 一旦馬車をどかせろ!! 」
それは紛れも無く、巨馬黒風を駆る一刀であった。彼は鬼の様な形相で槍を振り回しながら、馬を爆走させており、その影響で既に幾人かの黄巾兵が跳ね飛ばされている。孫仲と高昇はその様に恐怖し、慌てて馬車をその進路から逸らせた。
「桃香ぁーっ!! 蓮華ぁーっ!! 翠ーっ!! 」
「くそっ……本当に手こずらせやがって……。ようやっと劉備の姿を捉えたぞ。これで終わりだ! 死ねッ、劉備っ!! 」
自分と愛し合った女達の名を叫びながら、一刀が馬を走らせている最中、遂に張闓は桃香との距離を詰める事に成功する。そして、彼は弓に毒矢を番え、悪魔めいた笑みと共にそれを放とうとした。
「義姉上っ! 余り無茶をなさらないで下さいっ! 」
「なっ!? 」
然し、彼が弓の弦を離したその瞬間の事である。突然愛紗が桃香の傍に馬を寄せてきたのだ。無論、桃香を射殺そうとした張闓の思惑は見事に外れてしまい、既に矢は放たれてしまったのである。
「なっ! あれは!? 間に合えーっ!! 間に合ってくれぇえええええええええ!! 」
その光景は、一刀の視界にも入った。一刀は矢が愛紗に届かぬよう、更に馬を走らせ始めた。
「あっ、愛紗ちゃん! 危ないッ! 」
「なっ……!? 」
愛紗の陰になっていた桃香であったが、彼女の背後で矢を放った男の姿が目に入る。桃香は義妹に声を掛けたが、突然の出来事に愛紗は反応が遅れてしまった。彼女が呆然としているが、無情にも矢は彼女目掛け風切り音を立てながら迫ろうとしている。
「関羽ーッ!! ぐうっ……!! 」
愛紗に矢が刺さろうとしたその時に出来事が起こった。桃香と愛紗達の許へ馬を走らせていた一刀が辿り着き、彼は身を挺して毒矢から愛紗を庇ったのである。その矢は一刀の右腕に深々と突き刺さり、不運にもそこは帷子で守られていない箇所であったのだ。
「かっ、一刀さんっ……? 」
「かっ、一刀っ? 」
「一刀っ!? 」
「仲郷殿!? 」
その光景は桃香、蓮華、翠、そして愛紗の目に鮮明に映る。突然の思わぬ出来事に、彼女等は目を大きく見開いてそれを凝視していた。
「くっ、くそっ……! こんな矢なんか……っ!? 」
歯を食い縛って痛みを堪え、一刀は左手で矢を引き抜こうとするが、この時急激な異変が彼を襲う。急激に力が入らなくなり、激しい眩暈と共に心臓が激しく動悸してきた。
「うっ…… 」
そして、自分の視界が真っ暗になると、一刀は力なく黒風から落馬する。この時、無意識の内に受身を取っていた辺りは流石と言うべきところであった。
「かっ、一刀さん……いやーっ!! 」
「一刀、お願い目を開けて! 一刀ーっ!! 」
「おっ、おいっ! 一刀、確りしろっ!! 」
「ハァ、ハァ、ハァ…… 」
桃香、蓮華、翠の三人が慌てて下馬し、一刀の許に駆け寄ってその体を抱き起こすが、彼は苦しそうに喘いでおり顔には汗がびっしりと浮かび上がっていた。苦しそうな一刀の姿に、三人は泣き叫び、彼女等の心の中に絶望感が忍び寄る。
「そっ、そんな……。私を庇ったばかりに…… 」
一方の取り残された形になった愛紗であったが、彼女は茫然自失になってしまうと、戦闘中なのにも拘らず得物を手放してしまい、手放されたそれは重い金属音を立てながら地面に落ちた。
「ハハハッ! こりゃあ良いぞ!! 何だか知らないが、今こそここを切り抜ける好機だ!! 孫仲! 高昇! さっさとここを抜けるぞ!! 」
「おうっ! 」
「判ったぜ! さっさとこんなとこおさらばして潁川に向かおうぜ! 」
仮面をつけた張闓は得意げに高笑いをして見せると、後方に控える仲間に呼びかける。敵の総大将である桃香が錯乱し、軍の統制が乱れてる今こそが彼等にとっての好機であったのだ。
「同志達よ! 今こそここを抜ける好機だ! 全軍我に続け……え? 」
ここから脱出するべく、威勢良く抜剣した張闓が、剣を持った右腕を高らかに掲げて号令をかけたその瞬間である。何やら肉を貫くような音と共に、張闓はその腕に違和感を感じた。彼がそこをじっと見てみると、右上腕部には白銀の槍が深々と突き刺さっていたのである。
「いっ、いでぇええええええええええええええええ!! おっ、俺の腕がぁああああ!! 」
昔、村長の家から盗み出した桃香の母の愛剣を取り落とし、遅れてやって来た激痛に耐え切れず、張闓は人目も振らずに泣き喚き始める。張闓は歯を食い縛って槍を引き抜くと、悪鬼を髣髴させるような形相で何処かを睨んで怒鳴り散らした。
「だっ、誰だぁ!! 俺の腕に槍を投げやがったのは!! 殺してやる、殺してやるぞぉおおおおおおおおおおおおおお!! 」
「……それは私です。何処の黄狗か知りませんが……。良くも我々の弟を手に掛けてくれましたね? その罪、七度生まれ変わっても赦し切れるものではありません……。これより、貴方にはその罪を贖って貰いましょうか!? せめてもの手向けです。泰山地獄に旅立つ前に、この趙子穹が武の舞をとくとお見せしましょう!! 」
愛馬『白龍駒』に跨り、涼やかな声と無表情の裏っ側に激しい怒気を含ませ、右手に剣を携えた雲昇が張闓の前に姿を現す。彼は先程愛槍『涯角槍』を張闓の右腕目掛け投擲し、見事そこに当てると言う離れ業を演じて見せたのだ。
「げえっ!! 趙空!! あ、あああああ……。まさか、劉思や他の連中もここに来ているのかっ!? 」
趙空の顔を見た瞬間、張闓の脳裏に嘗て一心とその仲間に叩きのめされ、一生物の赤っ恥をかかされた記憶が鮮明に蘇ってくる。溜まらず、張闓は声高に雲昇の名を叫ぶと一気に怯えの表情になった。
「テメェ……良くも俺達の弟をやってくれやがったなぁ!! この罪万死じゃ生温ぇ!! 生きたまま五体を切り刻んで狗の餌にしても飽きたらねぇぞぉ!! 」
地獄の悪鬼どもも裸足で逃げ出す位恐ろしい形相で、義雷が栗毛の巨馬に跨りこちらの方へと迫ってくる。彼が右腕に携えた一丈八尺の蛇矛は、張闓のそっ首を今すぐにでも刎ねようと言わんばかりであった。
「おのれ……下衆がぁ!! わし等の弟に一体何をしたぁ!! この関仲拡を本気で怒らせるとは、死を覚悟するが良い!! 貴様には東嶽大帝の責め苦すら生温い物を課してくれん!! 」
義弟の義雷と同じ位に憤怒の形相の義雲が、自身が跨る赤味の掛かった鹿毛の馬の歩をゆっくり進ませる。彼が両腕に構えた冷艶鋸は、既に張闓の首を跳ね飛ばさんとす勢いであった。
「貴様ぁ……!! 良くも若を!! この黄国実が貴様に途切れぬ程の矢の雨を馳走してくれん!! 覚悟するが良い!! 」
その身に激しい憤怒の激炎を纏った永盛は既に矢を番えており、彼に狙いを定めようとしている。
「くそっ!! 黒風が感じ取っていたのはこの事であったのか!? 矢張り、あの時無理にでも一刀を止めて置けば良かったぞ……! そこの貴様、喜ぶが良い!! 一息で死なぬよう、我等六人で散々責めてから嬲り殺しにしてくれるっ!! 今の内に※4東嶽大帝への言い訳でも考えて置けい!! 」
右手に剛槍を、左手に剛剣を携えた壮雄が、怒りの余り端正な顔を思いっきり歪ませる。それは正に怒り狂う野獣を髣髴させた。
「……おーのーれええええええええっ!! 赦さんっ、絶対に赦さんぞぉ、この黄狗野郎がぁあああああ!! 良くも我等の弟を、そして掛け替えの無い家族を手に掛けてくれたなぁああああ!? かくなる上は貴様の五体を全て切り刻み、皇天后土への供物にしてくれようぞ!! 」
固生は顔を真っ赤にし、激高すると、彼は朴刀を両手に強く握り締め、今張闓を殺さんとジワジワと詰め寄り始める。
「ひっ、ひいいいいいいいいいいいいいいっ!? 張翔! 関翼! 黄誠! そして馬越に馬岳だとぉっ!? みっ、みーんなあの時の連中じゃないかっ!? おっ、お助けぇっ!! おっ、おいっ! 動け、動くんだよぉおおおお!? 」
彼等六人の殺気に中てられ、張闓は馬上で見っとも無く失禁すると、馬の腹を懸命に蹴飛ばしこの場からの逃走を試みる。然し、彼の馬も中てられたのか、この場から身動き一つすら取れなかったのだ。
「貴様の化けの皮を剥いでやるっ! その面を見せるが良い!! 」
永盛が矢を放つと、放たれたそれは張闓の仮面に見事当り、当った箇所から亀裂が入ると仮面は真っ二つに割れる。すると、彼の素顔がこの場にいる者全員に曝け出された。
「くっ、くそっ! しまったっ! 」
「なっ!? あんにゃろうは張闓じゃねぇか!! てめぇ、まだ性懲りも無く悪さしてやがったなぁ!? 」
「この孺子めぇ……。矢張りあの時首を刎ねておくべきだったか? おまけに兄者の情を仇で返しよって……生かしておけぬっ!! 」
「矢張り……姿形が似ておりましたので、張闓だと思ってました 」
「この糞餓鬼がぁ……。赦しておけぬっ!! 」
「成る程……。黄巾どもの裏には貴様等がいた訳か? 今度こそ全員息の根を止めてくれん!! 」
「この餓鬼があっ!! ここまでくれば、悪行では済まされぬわっ!! 矢張り、あの仕置きでは手緩かったかっ!? 」
「……ッ!? ちょ、張闓ぃいいいいいいいいい!! あっ、貴方だったのね……一刀さんに矢を当てたのは!? ……赦さない! 絶対に赦さないんだからぁ!! 」
義雷達六人が更に怒りを燃え上がらせる一方で、桃香は一刀を抱きかかえていたが、張闓の素顔を見た瞬間。これまで全く見せなかった素の怒りの感情を、彼女はその美しい顔に滲ませ、彼を睨みつけると声高に怒声を上げた。
そして桃香は一刀を蓮華と翠に預けると、自身は地べたに置いていた靖王伝家を素早く引っ掴んで彼に斬りかかる。
「やあああああああああああっ!! 」
「ひいっ!! 」
怒りの余り、桃香が冷静な判断が出来なかったのと、何とか張闓が避けたのも重なってか、桃香の攻撃はかすった程度のものであった。だが、それでも少しばかりの手応えがあったようで、少しばかりの血飛沫が桃香の顔に掛かる。
「ぎゃああああああああああ!! おっ、俺の耳がぁ!? 」
新たに起こった激痛に、張闓が自分の左耳に手を当ててみると、彼の手には血がべったりと付いていた。桃香の剣に左耳を薙がれ、そこがぱっくり割れていたのだ。そして、地面に落ちた母の愛剣の片割れを見た瞬間、桃香は一つの結論に達する。
「あれは母さんの剣……。そうか、貴方だったんだね? 私の名を騙り、黄巾党を使って酷い事をしていたのは……。張闓、貴方だけは本当に赦せない!! 」
再び桃香が斬りかかろうとするが、運良く張闓の馬が動き始めた。しめたと言わんばかりに安堵の表情になると、彼は馬首を翻して、この場からの逃走を始めた。
「まっ! 待てーっ!! 張闓ーっ!! 」
「ホアッ! ホアッ! ホアーッ!! 」
悔しげに歯噛みした桃香が、張闓に迫ろうとするが、突如彼女の行く手を黄巾兵が厚い層を作って遮ってみせる。
「くうっ……!! 」
悔しさを表に出すかのように呻く桃香であったが、無情にもそうしている間に彼と桃香の距離は引き離される一方であったのだ。
「やいやいやいやいやいっ!! 黄巾野郎どもっ! ようく聞けいっ!! 俺は幽州の劉伯想が義弟張叔高っ!! てめぇ等と俺様、どっちが先にくたばるか今ここで決めようじゃねぇかっ!! 」
「……ッ!? 」
突如、落雷を髣髴させるような、大きな怒鳴り声が辺り一面にびりびり鳴り響く。馬上の義雷が、黄巾どもを一睨みし大喝したのだ。悪鬼羅刹を髣髴させる彼の形相に、先程まで一糸乱れていなかった黄巾達の動きが止まる。
「死にてぇ野郎がいたら……まとめて掛かって来ゃあがれいっ!! てめぇ等全員蛇矛の餌食にしてやらぁ!! 」
「ヒッ、ヒイイイイイイイイイッ!? 」
ビュオウッと強風を思わせる音を立てながら蛇矛を一振りし、勢い良くそれを小脇に抱えて見せると、義雷は見事黄狗どもに啖呵を切って見せた。鬼神の如き彼の姿を見たせいか、どうやら黄狗どもは術を破られた様で、彼等のあちらこちらから怯えの色が出始める。哀れな事に、その中には耳から血を流して卒倒する者までいた。
「何だぁ? この期に及んでビビり入ったのかよ? そんな都合の良い事、皇天后土が赦しても俺が赦さねぇ!! かかって来ねぇんなら……こっちから行くぞぉ!! 」
既に逃げの体制に入った黄狗どもだが、そうは問屋が卸さない。義雷は馬を走らせると、逃げ惑う彼等に白刃の旋風を見舞わせた。
「ぬおらっしゃらぁああああああっ!! 」
「ぎゃああああああっ!! 」
義雷が蛇矛を一振りする度、あっと言う間に二桁の命が赤い華を散らして消えて逝く。彼の戦い振りに刺激され、一部を除いた他の将兵達も我先にと黄巾どもに踊りかかっていった。
「なっ、何ッ!? どう言う事だ? 張宝達の術は完璧じゃなかったのかよ? もう少し持つ筈なんだぞ!? 」
一方で、左腕一本で必死に手綱を握りながら後ろを振り返ると、自分等より後方で繰り広げられている敵の攻撃に唖然となる張闓。彼は右腕と顔に即席の包帯を巻きつけており、その部分は朱に染まっていた。
「駄目だ! さっきの張翔の怒鳴り声で術が破られたし、張宝達も既に気ぃ失ってるぜ!? 」
「何としても、俺達だけでもここから逃げ出すんだよ!! 信者達は見捨てても良いしな? 新しい信者なら別な所で集めりゃ良いんだからよっ!! 」
「チッ! 使えねぇ!! これまで散々あいつ等の言う事聞いてきてやったのに、肝心な時に役に立たねぇ!! 」
彼と馬を並走させている孫仲と高昇が声高に叫ぶと、張闓は忌々しげに顔を歪ませると舌打ちする。先程の孫仲と高昇であったが、彼等の背中には永盛が放った矢が刺さっており、彼等も苦痛に顔を歪めていた。
「敵の首魁張角と、張闓達を逃すなっ!! 」
「何としても潁川に行かせるなーッ!! 」
士気を回復した桃香達の軍や、一心が率いる官軍が必死に張闓達に追い付こうと執拗に追撃をかけるが、結局彼等を捕える事は出来なかったのである。
黎陽を素通りした張闓達であったが、彼等は司隷河内郡に差し掛かった辺りで完全に姿をくらましていた。不運な事に、その頃になるとこちらの兵も疲労が限界点に達し、大量の落伍者を出してしまったのである。結局、桃香達は追撃を諦める結果になってしまった。
「菖蒲さん、すまねぇ……。結局敵の親玉をとっ捕まえる事ができなかった。面目ねぇ…… 」
「いいよぉ、気にしなくっても。寧ろ良くやったと思ってるし、あだしだったらここまでできねぇっちゃよ。先ずはっしゃ、一旦黎陽さ引き返して兵ば休まさないと。それに、あんたの弟さんの事もあっしね? 」
「ああ……。正直、今回は手痛い損害出しちまったぜ 」
一方の一心も指揮権を菖蒲に返還すると、彼女は苦笑いをするのみで兵を纏めると黎陽に引き返したのである。こうして、黎陽の激戦は義勇軍・官軍連合軍の勝利で終わったのだが、毒矢に倒れた一刀は未だに意識が戻っておらず、官軍、義勇軍の方も死傷者や落伍者を併せると、約七千を出すと言う手痛い損害を受けてしまった。
結果だけを見れば、黄巾の本隊に大打撃を与える事は出来た。だが、敵の総大将張角を取り逃がし、その黒幕と思われる張闓までをも取り逃がしてしまった。この勝利と言えない勝利に、桃香達は一生忘れられない苦い思いをしたのである。
「一刀さん……。死んじゃ嫌だよぉ……。私の夢を見届けさせてくれって、一刀さん言ってくれたじゃない? 私はまだ自分の夢を果たしていないんだよ……。だから、目を開けて。お願いだよぉ…… 」
「一刀……。貴方がいなくなったら、私……。もう、貴方無しじゃ生きていけないわ? 死んだら絶対に赦さないんだから! 」
「一刀……。あたしはまだお前に完全に勝ってないんだぞ? 勝ち星先行のまま死んだら赦さないんだからな、絶対に…… 」
黎陽の城の一室にて、力なく寝台の上にその身を横たえる一刀。桃香、蓮華、翠の三人が彼の手を握りながら賢明に呼びかけるが、一向に彼の具合は良くならず、寧ろ悪くなる一方に思えた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…… 」
苦しそうに喘ぐ一刀の顔は完全に青ざめており、大量の汗がびっしりと浮いている。想い人である彼のその姿に、彼女等三人は只涙ぐむ事しかできなかった。
「……私は、私は……全然義姉上のお役に立てなかった!! 何が『幽州の偃月刀』だ、関雲長!! 義姉上を守るどころか、仲郷殿に庇われ、その結果が義姉上を悲しませるとは……!! 」
「愛紗ー、そんなに自分を責めちゃだめなのだー…… 」
城の外では、愛紗が何度も塀に自身の拳を打ちつけており、彼女は激しい後悔の念に苛まされていた。既に彼女の両拳には鮮血が滲んでおり、見るに見かねた鈴々が慰めの言葉と共に彼女を止めようとする。
「鈴々、すまない……。暫く一人にしてくれ 」
自嘲めいた笑みと共に、愛紗が鈴々を窺うと力なく呟く。
「でも、愛紗…… 」
「いいから、一人にしてくれっ!! 」
「……うん、わかったのだ…… 」
何とか踏みとどまろうする鈴々であったが、愛紗に一喝されると、彼女はとぼとぼと元気無く城の中へと戻っていく。鈴々の姿が消えると、行き成り空が曇り出し、激しい音と共に雨が降り出した。
「うっ、ううっ……。うわあああああああああああああああああああああああっ!! 」
滝の様な雨に打たれながら、愛紗は激しく慟哭すると、最後には両手を塀に叩き付け、弱々しくその場に崩れ落ちてしまう。降りしきる大雨は、無情にも彼女の体を激しく打ち据え、それはまるで彼女の心情を表すかのようであった。
「私は、私は……。何て無様なんだ……!! 」
雨に激しく打たれ、愛紗は一人呟く。自分自身を激しく責める彼女の心は今にも折れそうであった。
――それより数日後、予州は潁川。そこに布陣する曹家軍の一軍である佑の陣にて。――
「御遣い様 」
「何や、仙蓼? 」
佑の師でもあり、軍師でもある仙蓼が天幕に入ってくると、彼女は少し複雑そうな表情で彼に報告する。
「申し上げます。鉅鹿の官軍に忍び込ませていた『すぱい』の話によりますと、鉅鹿の黄巾本隊は黎陽にて壊滅的打撃を受けました。ですが、彼奴等は何とか追撃を振り切った様で、どうやらこちらで対峙している波才と合流する模様です 」
仙蓼の報告に、佑の片眉がぴくりと蠢く。
「ほう……。官軍にも随分骨のある奴がおるようやんけ? 確か盧植はんだったか? あそこの総大将は? 」
「はい、ですが……。どうも途中で体を壊したようで、鄒靖に指揮権を委ねたとの事です。また、巷で噂の劉玄徳の義勇軍をその傘下に組み入れており、黄巾本隊を打ち負かせたのもその存在が大きいかと 」
「ふむ……なるほどなぁ。で、何でさっきから浮かない顔しとるん? この内容なら別にそんな顔する事ないやん? 」
仙蓼の様子が引っ掛かったのか、佑は怪訝そうに彼女を見やった。
「はい、実はその黎陽の戦闘なのですが。実は、彼等は張角を捕える折角の好機を逃したのです。おまけに黄巾の幹部の中に、『劉備、字は玄徳』を名乗る者がいたらしく、それが原因で混乱を招いたようです 」
「はぁ? 何やねん? 幾ら同姓同名言うても、姓名に字まで同じって余りにも出来過ぎやんか!? 」
彼女の言葉に、佑は『有り得ない』と言わんばかりに表情を動かす。
「ええ、これはちょっとおかしいと思います。また、その劉玄徳なる人物によって、義勇軍の将劉仲郷が毒矢に倒れました 」
「うん? 『劉仲郷』? 初めて聞く名前やな? 」
「はい、姓は劉、名は北、字は仲郷と言うそうです。何でも、『義勇軍の方』の劉玄徳の一族だそうです 」
「!? (『北』に『郷』の字やとぉ? まさか…… ) 」
仙蓼の告げた名前に、佑は何か引っ掛かる物を感じ取り、すかさず彼は彼女に更に尋ねる。
「なぁ、仙蓼……。その『劉仲郷』なる人物なんやけど、もっと詳しく調べる事出来へん? 」
佑の尋ね様に、仙蓼は何か引っ掛かるものを感じると、彼女の方も佑に聞き返した。
「随分、その者にご執心のようですね? 何かあるのですか? 」
佑は顎を摘んで見せると、少し頼りなさげな口調で話し始める。
「うーん、実はなぁ。ワイの知っとる奴に名が似とるんや。真名とか、そいつの人となりも調べられたらなぁ……。いっその事、そいつの懐に潜り込めそうな、めっちゃ都合のええスパイがおればサイコーなんやけど…… 」
最後の方は半ばボヤキのように〆て見せると、仙蓼はクスッと笑って見せた。
「フフッ、英雄は英雄を知ると言ったとこでしょうか? 構いませんよ? 佑様がそうお望みなら、『都合のええすぱい』を御用意しましょう 」
「えええっ? そんな都合のええ奴がおったん!? それじゃ、頼むわぁ! 後、黄巾の劉玄徳の事も何か気になる。ソッチの方も調べといてや? 何か、そいつ『パチモン』臭いしなぁ? 」
「はい、畏まりました。それでは、私はこれにて…… 」
「あ、ちょぉ待って 」
「はい、何でしょう? 」
優雅に一礼して、その場を立ち去ろうとする仙蓼であったが、急遽佑に呼び止められると、彼女は『何時ものお得意技』をご披露して彼の方を向く。
「ッ!? どっしぇええええええ~~!! お、お願いやから、その首百八十度はやめてぇなぁ~。毎回それやられると、ホンマ寿命が縮むで!? 」
「ふふっ、御免なさい。だって、佑様が腰を抜かすお姿って……可愛いですから 」
毎回これをする度に佑はかっこ悪く腰を抜かす物だから、仙蓼とってはそれを見る事も娯楽の一つだったのである。然し、佑はそんな彼女の悪戯にめげる事無く、軽く咳払いすると彼女に問いかけた。
「オホン! 今仙蓼がワイにしてくれた話やけど、それ、孟徳はんは知っとるのか? 」
「そうですねぇ……。今回は別駕従事殿はお留守番ですから、情報収集力は若干落ちるでしょう。ですが、あれより軍師の能力に優れた郭奉孝殿に、中立的に物事を見れる程仲徳殿のお二人が居りますから、私が今お話した内容と同じか、悪くとも八・九割は知っているかと 」
「そっかぁ……。まぁ、この戦はワイ等が伸し上がるええチャンスなんやしな? 情報は出来るだけ知っといて損は無い。けど、ワイ等が知っててあっちが知らん事をわざわざ教えてやる必要も無いしなぁ 」
「はい、その通りで御座います。只でさえ立場が低い我々が、余計な事を吹き込んであちらの顰蹙を買う事は避けなければなりません。ですから、佑様は知ってても黙っていた方が宜しいでしょう。それと、表情に出さぬようお気をつけ下さい。佑様は直ぐに表情に出る悪癖が御座いますから 」
佑の言葉に同意しつつ、仙蓼がそれとなく彼を諌めて見せると、佑は自身の心が一気に引き締められるかのようになる。
「ああ、せやな。ほな、本番までは精々昼行灯決めたるわ 」
「ええ……。悔しいですが、今の我々にはまだまだ力がありません。我々が成り上がる時まで、今しばらくの辛抱で御座います 」
そう言葉を締めくくると、佑と仙蓼は互いに笑みを浮かべるが、二人の笑みにはどこか危険な物が含まれており、それぞれの目には野心の炎が激しく揺らめいていた。及川佑と司馬仲達こと仙蓼。これより繰り広げられる『潁川の戦い』は、この二人が外史の表舞台に登場する第一幕だったのである。
※1:五行思想の中に五行相剋、即ち相手を打ち滅ぼす陰の関係に『水は火に剋つ』と言うのがあり、火にとって水を意味する物は忌まれる。
※2:先程の五行相剋の中で、『土は水に剋つ』と言うのがあり、土が水に勝つと言う意味なのだから、水を意味する物があっても問題無いと言う事。
※3:男色の事。
※4:道教での地獄に当る『泰山地獄』の管理者の事。仏教で言えば閻魔大王に相当する神。
ここまで読んで下さり真に感謝いたします。
今回は前書きでもあったように、モチベーション低下状態で書き上げました。おまけに、話の繋げ方どうしようかなぁとあれこれ頭を捻り、物凄く大変でした。
今回は出だしに『献帝』と諡された劉協を登場させました。夢の中で自分と瓜二つの『御先祖様』との邂逅を果たしましたが、実はこの御先祖様は家康像様の作品に出てきたキャラを拝借させていただきました。
あ、一応事前に許可は取ってますから、大丈夫です。(苦笑 家康像様、本当に有難う御座いました。
この協皇子ですが、CVイメージは桑島法子さんにしております。この声優さん、ボーイッシュな声と娘らしい声の使い分けが非常にお上手なので好きなんですよね。
そして、黄巾賊の「ホアッ~」って掛け声ですが、あれはアニメ版の話に出てきたのをイメージしました。考えてみると、暴徒と化したファンって怖いですよね?
アニメでは、操られたファン(信者)が暴徒と化し、挙句の果てには役所まで潰しちゃいましたから、そのエネルギーの恐ろしさを痛感します。
桃香達に正体がばれた偽劉備こと『張闓』。第一部最終話で桃香の母の剣を盗んだり、劉備の名を騙って黄巾兵を率いていたのは、アニメ版を見てイメージを沸かせました。
一刀は張闓の毒矢に倒れるシーンは、結構悩みました。然し、全てが順風満帆と言う訳には行かず、何かかしらの障害を入れようと思いましたので、今回の話で使おうと思いました。これ以降の展開ですが、大まかながらも頭の中で組み立てております。
ですが、要所要所の細部に至ってはまだ決めてませんので、明日からちょぼちょぼ書いていく積りです。
最後に出てきた及川と仙蓼。及川ファンの方の期待に応えたいなぁと思いましたので、今回も登場してもらいました。
次回は潁川の戦いの話にしようかなぁって思っております。そろそろ及川達のお話も本格的に書かないといけませんしね?
また、次回も読んで頂ければとても嬉しく思います。
次回の更新ですが……。実は今月も仕事がケツカッチンでして、休みの時か寝る前までのわずかな時間しか書く余裕がありません。ですが、今月中を目処に何とか更新したいと思います。
それでは、また~! 不識庵・裏でした~!
嗚呼、猛暑はもう嫌だ……。早く秋になってくれ!(夏嫌いなので)