第二十話「諸葛然明は罠を仕掛け、諸葛孔明と龐士元は三度請うて願いを叶える」
どうも、不識庵・裏です。
前回の更新より一週間以上経過してしまい、続きを待っていた方には申し訳なく思います。ちょうど前回の更新を書き上げた後、ストンとやる気が下がってしまい、おまけに月変わりと言う事もあり、中々モチベーションを回復する事が出来ませんでした。
それでも、何とか悪戦苦闘を繰り返した結果、今回は気付いたら29000字も書き込んでいる始末。時折自分の集中力が判らなくなる事がありますね。
前置きはこの位にしておき、続きは後書きに書きたいと思います。それでは、照烈異聞録第二十話、読んで頂ければとても嬉しく思います。
――幽州にて義勇軍を立ち上げた劉玄徳、北軍中候鄒靖と遼東属国長史公孫瓉に協力し、青州済南郡台県の大興山にて黄巾どもを殲滅す――
この出来事は瞬く間に大陸中を駆け巡る事となり、それは青州からずっと南西に位置する荊州にまで知らされる事となる。
その荊州は南郡の襄陽県では水鏡と号する高名な女性学者の司馬徳操こと司馬徽が私塾を開いており、彼女の門下生には女性が多かった事から『水鏡女塾』のあだ名まで付けられていた。
丁度その水鏡女塾において、四人の男女が師母水鏡と他の門下生からの見送りを受け、今旅立とうとしていた。水鏡こと司馬徽は年齢は不詳だが妙齢の美女で、鶴氅をゆったりと着こなしており、右手には薄紅色に染め上げた羽毛扇が握られている。
見送りを受ける四人であるが、一人目は十八、九位の若武者で、緑色に染め上げた軽装の鎧を身に纏い、右手には槍を携えている。彼は艶やかな黒い頭髪をきちんと手入れしており、形良く結い上げた髷は清潔そうな頭巾で覆われていた。
二人目は先程の若武者より一、二歳ほど年下と思われる女武芸者で、黒を基調とした可愛らしい意匠の上着を着ており、腰には細身の長剣を佩いている。二人とも、何れも意志の強そうな目をしているのが特徴的であった。
三人目と四人目であるが、二人とも同じ位の背丈と体型をしており、十代前半位かと思われる幼さを残している。三人目の少女は短く切った金髪で、頭には臙脂色に染め上げた帽子を被り、それと同色の上着を着ていた。
四人目の少女も先程の少女と同い年位と思われ、彼女も色違いではあるが先程の少女と同じ意匠の上着を着ており、薄紫色の長い髪を頭の両側で纏め、鍔の広い帽子を目深に被っていた。恐らくであるが、彼女がこの四人の中で一番の人見知りであるかと思われる。
「風雷、菊里、そして朱里に雛里……。義勇軍盟主の劉玄徳様と幽州の三賢人宛てにしたためた紹介状を渡すのですよ? 私の名もそちらの方には伝わってると思いますし、貴女達の頼みを聞いてくれるかもしれません。
私としては、本当は行かせたくは無かったのですが、貴女達がやると決めた以上敢えて止めはしません。ですが、やると決めた以上はとことんやり抜くのですよ? 」
水鏡が四人に暖かい眼差しを向けながら語りかけると、四人は黙って頷く。そして風雷と呼ばれた若武者が静かに口を開き始めた。
「水鏡老師、これまでの間ご指導頂き有難う御座います。この姜伯約、菊里と力を合わせ朱里と雛里を守り抜く所存です。そして己が武と智を劉玄徳様の為存分に振るいたく存じ上げます 」
次に、菊里と呼ばれた少女が毅然とした態度で伯約の後に続いた。
「老師、私も風雷兄さんと同じです。朱里と雛里を送り届けたら、後は自分の力を劉玄徳様の義の為に振るいたいと思います 」
伯約と菊里がビシッと決めてるのに対し、朱里と雛里は二人ともそれぞれ涙ぐませると、水鏡の体にしがみついて別れを惜しむ。その姿は他の者達の涙を誘った。
「水鏡老師~! 私、頑張ります。きっといい報告が出来るように頑張りますから、どうか見守ってくだひゃいっ! 」
「老師、私も朱里ちゃんと同じでしゅっ。他の皆が平和に暮らせる様に力を合わせて頑張りましゅ…… 」
そんな最中、見送りの中から一人の少女が飛び出してきて、朱里に確りと抱きつく。彼女は懸命に涙を堪えながら朱里に話しかけた。
「おっ、お姉ちゃん。明里、優里お姉ちゃんや朱里お姉ちゃんに負けない位勉強して待ってるから、だから無事で帰ってきてね? 」
「ありがとう、明里。優里お姉ちゃんが聞いたら喜んでくれると思うよ? 」
「お姉ちゃん、お姉ちゃ~ん! 」
別れを惜しむ姉妹に、風雷の声が掛けられる。彼は真っ白な馬に荷物を載せていた。
「朱里、気持ちは判るがそろそろ出立しないと、劉玄徳様の義勇軍の動向を掴み辛くなる…… 」
「あ、はいっ! しゅ、しゅみましぇん! 風雷兄さん! 」
風雷に申し訳無さそうな顔で言われると、朱里は最後に妹をそっと優しく抱き寄せる。そして、師水鏡を始めとした皆の見送りを受けると、四人は学び育った荊州を後にした。彼等四人は水鏡の元で学問や或いは武芸を磨き、何れは道を成さんとする人物の下でその才を役立てようと誓いを立てていたのである。
風雷と名乗るこの若武者は姓を姜、名を維、字を伯約と言い、現在十八歳。菊里を真名に持つ少女は姓を徐、名を庶、字を元直と言い、こちらは十七歳。そして、雛里は姓を龐、名を統、字を士元、朱里は姓を諸葛、名を亮、字を孔明と言い、二人は何れも十五歳であった。
この青雲の志を立てた四人であったが、その道中は極めて大変な物であった。ある時は黄巾崩れの追剥ぎに襲われかけたり、またある時は寝込みを襲われたりもした。やがて、予州の潁川に入った所で彼等は大きな災難に見舞われる。この時、波才率いる黄巾軍が朱儁率いる官軍を完膚なきまでに叩きのめしており、潁川を中心に予州全域は黄巾の驚異に襲われていたのだ。
予州の村々は言うに及ばず、城下町も黄巾の略奪の場と化していたのだ。そこには黄狗どもに惨殺される者や、辱めを受ける女達の悲鳴や怒号が行き交っており、彼等四人は正に生き地獄に落とされたのである。当然ながら、黄巾どもの狙いは四人にも向けられた。風雷と菊里は得物を構えて黄狗どもと相対するが、その一方で彼等は朱里と雛里に大声で叫ぶ。
「朱里ッ! 雛里ッ! ここは俺と菊里に任せて二人は早く逃げろ! 二人だけでも劉玄徳様のとこへ向かうんだ!! 」
「私も風雷兄さんと同じよ! だから、二人は早く劉玄徳様の義勇軍の下へ!! 」
突然の兄弟子と姉弟子の言葉に、思わず朱里と雛里は躊躇してしまう。だが、すぐに朱里と雛里は頭を切り替え、二人はそれぞれ小声で『どうか無事で』と呟くと逃げる様に予州を後にした。
その後、二人は上手く身を隠しながら、ようやく青州の州都臨菑城にてその義勇軍に辿り着く。早速、二人は盟主の劉玄徳や幽州の三賢人に会うべく、水鏡の紹介状を手渡そうととしたのだが……。
「あっ、あのっ! 劉玄徳様の義勇軍ってここれしゅかっ!? 」
「わっ、私達っ、ここの劉玄徳様のお役に立ちたちと思って、ここまできまひたっ! 」
「え、役に立ちたいですって!? ……ん~? 」
幸か不幸か、朱里と雛里が最初に声を掛けたのは、そこで主計と輜重を任されていた松花こと簡憲和だったのである。二人は手紙を渡そうとするが、それよりも早く松花が朱里と雛里の顔をじっと覗き込むと、彼女の迫力に朱里と雛里は及び腰になってしまった。
「う~~~~ん…… 」
「は、はわわ…… 」
「あ、あわわ…… 」
微妙な雰囲気の中、突然松花が居丈高な態度で二人に話しかける。
「ねぇ、アンタ達。炊事に洗濯は出来るのかしら? 」
「は、はわっ!? す、炊事に洗濯ですか? 」
「あ、あわわわわ……。え、えとその…… 」
「出来るの? 出来ないの? 」
一言で言い表せば、正に『問答無用』と言わんばかりの松花の迫力に、ついに朱里と雛里は折れてしまった。
「ひゃ、ひゃいっ!! でっ、できましゅ!! 」
「わ、わたしもでしゅ! 炊事に掃除に洗濯、人数の大小関係なく出来ましゅ! 」
「そう、ならば及第ね。最近ここの義勇軍も大所帯になってきてね? ソッチの方の人手が足りなくって困ってたのよ。悪いけど早速手伝ってくれるかしら? あ、一応だけど給金や寝床は用意するし、お願いね? 」
そう言って破顔一笑すると、松花はまだ現状が今一つ飲み込めてない朱里と雛里の手を引っ張り、炊事係の女達が使っている天幕へと案内する。ばつが悪いと言うか何と言うか、朱里と雛里は炊事係として義勇軍の一員に加わる事になったのだ。
「しゅ、朱里ちゃん……どうしよう? 結局手紙渡せなかったよね…… 」
「しょうがないよ、雛里ちゃん。私達、風雷師兄や菊里ちゃんみたいに中々はっきり言えない方だもん……。取り敢えず炊事係のお仕事しながら、劉玄徳様達に声を掛ける機会を探そうよ? 」
「うん…… 」
泣きそうな顔ですっかり意気消沈しきった雛里を慰める朱里であったが、実のところ彼女も泣きたい気分であったのだ。頼れる兄弟子や姉弟子がいればこんな事態にはならなかっただろう。然し、何とか自分達だけでも義勇軍に入り込むことが出来たから、取り敢えずは由と考える事にするのであった。
その後、彼女等二人は炊事係の仕事をそつなくこなしながら、手紙を渡す間もない位慌しい日々を過ごす。炊事係の仕事に関してだが、朱里と雛里は大所帯である水鏡の私塾において、散々そっち方面で鍛えさせられており、場所と環境が変わってもそれらの成果を余すことなく発揮する事が出来た。
やがて、頼れる炊事係として頭角を現しつつあった彼女等に、再び好機が巡って来る。それは丁度広宗の城に入った直後であった。
「は、はわわわわ……。ねぇ、こんな事出来るのかな? 男の人のを…… 」
「あ、あわわわ……。でも、菊里ちゃんのお話だと出来るみたいだよ? だけど、凄いよね……実物もこの絵みたいな大きさなのかな? 」
仕事の合間の休憩の最中、荊州からこっそり持ち出してきた『好色的艶本』なるいかがわしき書物を、三角巾と前掛け姿の二人が顔を赤らませながらこっそり読んでいると、何やら人の声が聞こえてくる。
「っ! 雛里ちゃん、誰か来たよ? 」
「あっ、あわわわわ……。かっ、隠さなくっちゃ! 」
二人が慌ててそれを隠すと、彼女等の近くを桃香と照世が通りかかってきた。
「ええと、照世老師。この場合だとどのような策を用いたら有効なんでしょうか? 」
「そうですな……。兵力が互角の場合ですと、先ず率いる将の差が大きく出ます。こうなりますと、悪戯に平坦な場所を選ぶよりは、寧ろこちら側に有利な方へと持ち込んだ方が宜しいでしょう 」
朱里と雛里は松花こと簡雍から、桃香と照世の事は教えられていたので、その二人の姿を間近で見て思わず息を呑む。噂に聞いた『義の人』劉玄徳と、『幽州の三賢人』の一人諸葛然明の姿に朱里と雛里は憧れを抱いた。
「しゅ、朱里ちゃん、あれが劉玄徳様と…… 」
「幽州の三賢人の一人諸葛然明様だよね? 何もかも決まっててカッコいいよなぁ……。私達もあんな風になってみたいよね? 」
すると、行き成り雛里は朱里を肘で突付いてみせる。突然の彼女の行動に、朱里は戸惑いの表情になった。
「え? 雛里ちゃん? 」
「朱里ちゃん、今が水鏡老師の手紙を渡す好機だよ? 私達の事を知って貰える良い機会なんだよ? 」
「はっ! はわっ!! そ、そうだよね雛里ちゃん! あっ、あのっ!! しゅみましぇん!! 」
雛里に指摘され、朱里は慌てふためくと精一杯声を張り上げて桃香と照世を呼び止める。すると、通り過ぎようとしていた二人は一斉に朱里と雛里の方を向いた。
「へ? 」
「ふむ……。私達に何か用かな? 見たところ炊事係の娘のようだが……? 」
桃香と照世の気を引く事に成功した朱里と雛里は、なけなしの勇気を振り絞り師水鏡からの手紙を渡そうとした。
「あっ、あのですねっ、わ、私達っ! 」
「そ、そのっ! お渡ししたいお手紙が…… 」
懐に入れて無くさない様、肌身離さず持っていた手紙を出そうとしたその瞬間である。無情にもそれを打ち砕く出来事が起こった。
「桃香さーん、諸葛軍師ー! ちょっとこっちさ来てけさいん。これからの方針決めしたいとこだからっしゃっ! 二人の意見ば聞きてぇんだわ 」
何と、少し離れた所で鄒靖こと菖蒲が桃香と照世を呼びかけてきたのだ。彼女の呼びかけを受けるや否や、二人は申し訳無さそうに朱里と雛里に頭を下げる。
「ごめんね? 鄒靖将軍が呼んでいるから……また後で声掛けて貰えるかな? 」
「すまぬな……。私も最近忙しいので中々話を聞いてやれぬ。何れの機会にでもそなた等の話を伺おう…… 」
義勇軍の盟主たる桃香と、その軍師である照世自らに頭を下げられてしまえば、朱里と雛里は何も言う事が出来ず只二人を黙って見送る事しか出来なかったのである。
「行っちゃたね、朱里ちゃん…… 」
「うん、私達これからどうすればいいんだろ…… 」
折角の好機を水泡に帰され、朱里と雛里は只呆然とそこに立つ事しか出来ず、そんな二人の間を一陣の風が吹きぬけていった。それは、まるで二人の心境を表してるかの様だったのである。
一方、その頃。都から冀州へ向かう街道を十騎程の護衛に囲まれた一台の馬車が走っていた。その馬車にはでっぷり太った男が乗っており、彼は周囲を見回すと服の袂で口元をわざとらしく覆ってみせる。
「まったく、都に比べると、ほんっとに冀州ってとこは田舎だわ!! 埃っぽいったらありゃあしない!! さっさと貰うもん貰って都に引き上げたほうが良いわね…… 」
脂ぎった肌を照からせながら、男は忌々しげに顔を顰めて見せた。彼の外見ははっきり言って異様としか思えない。年の頃は四十を過ぎているのにも拘らず、声は妙に裏返っており男らしさが微塵も感じられなかったからだ。
それもその筈で、彼は特権や既得権益の甘い汁を吸いたいが為に自ら男子の象徴を棄て去った存在、即ち宦官だからである。
現在の考察によれば、去勢した事によって男性ホルモンの主な供給源を失い、女性ホルモンのみが供給されると言った、体内のホルモンバランスに大きな異常を来たす事によって、彼等は異様な体に変貌したのだ。発する声も若い頃は少女や娘のように甲高いが、年を経るとしわがれた老婆のような物になる。これらは全て男を棄て去った代償であったのだ。
今馬車に揺られているこの男――宦官は名を『左豊』と言い、小黄門の役職に就いている。小黄門とは皇帝への連絡係の事である。然し、この男は自分の役職を真面目に務めた事が一度も無く、彼もまた見事な『腐れ宦官』の仲間入りを果たしていたのだ。今回、彼の任は黄巾に当る官軍の様子を監視し、その内容を皇帝に報告する事である。
盧植や桃香達は、この『腐れ宦官』左豊が大変な事件を起こす事を全然知る由も無く、その一方で、この欲にまみれた猪を誅さんが為に『諸葛然明』こと照世が『罠』を仕掛けるのであった……。
「……うにゃ~~~っ!! あいつらホントにやる気あんのかどうか判んないのだー!! 」
義勇軍本陣の天幕内にて、大声を張り上げて鈴々が怒りを爆発させる。広宗に到着してから彼是十日余りが経過したが、戦闘は一進一退の膠着状態を繰り返すだけで、中々勝負がつかない。菖蒲、白蓮の軍はもとより桃香の軍の練度や士気が高い反面、盧植率いる中央の兵は練度も低ければ士気も低かったのだ。
怒りを爆発させたかったのは何も鈴々だけではない、他の者達もこの現状にやるせなさを感じている。照世・喜楽・道信の策士三人組も、『あれだけ練度と士気の低い兵を引き連れ、黄巾の本隊とやりあっている盧閣下の手腕に拍手を送りたいほどだ』と呆れ返っていたのだ。
「全く、鈴々の言う通りだ。盧閣下や、義姉上の兄弟子で閣下の側近である張鈞殿は素晴らしい人物なのに、率いている兵がだらけてる様では話にならぬ 」
腕組みして愛紗が顔を渋くさせてると、雪蓮なんかは喜楽の造った清酒を傾けながら呆れ笑いを浮かべる始末。
「愛紗や鈴々の言う事も判るわね、盧子幹と言えば、こっち荊州にまで名が知られた人物よ? ウチの母様だって教えを請いたい位だって言ってたもの。けど、肝心要の兵士があれじゃ、只でさえ兵力が劣ると言うのにこれじゃ戦にならないわ? ウチの軍だったら卒長呼び出して見せしめで斬首ね? 」
雪蓮と差し向かいで酒盃を傾ける祭も、盧植が率いる官兵の士気の低さに疲れきった顔になっていた。
「策殿や愛紗に鈴々の申す通りですな。戦よりも酒や女子のことばかり考えてる様では話にならぬ。それを考えれば、戦慣れしとる鄒靖殿の兵は見事に士気が高かったのぉ。何だか桃香殿に白蓮殿、そして鄒靖殿が気の毒に思えてなりませぬわ 」
皆と同じく、蓮華もやるせなさで顔を顰める。今何処かで戦っている母青蓮や他の家臣達に、彼女は思いを馳せていた。
「母様、そして冥琳(周瑜)、縁(程普)、山茶(祖茂)、蝋梅(韓当)、海棠(朱治)……。今頃何処で戦っているのかしら? 皆無事だと良いんだけど…… 」
「!! 」
蓮華が家臣達の名を口に出した瞬間、雪蓮の片眉がピクンと動く。彼女は何か良い事を思い付いたかの様であった。
「ねぇ、母様には冥琳や縁が付いてるじゃない。今の私達の軍は誰を軍師にしてるか忘れてないわよね? 」
わざとらしい雪蓮の問い掛けに、明命が思わずうろたえ気味でそれに答える。
「え、ええと、照世老師、喜楽老師、道信老師のお三方です。雪蓮様ぁ、それは皆ご承知なのでは? 」
そのやり取りに、何か悟ったのか愛紗は呆れ顔で雪蓮に言い放った。
「まさか……雪蓮殿、要するにあのお三方から知恵を拝借しようって魂胆なのでは? 見え見えと言うものですよ? 」
「あら、別に良いじゃない。私はね、あの三人は何れとも当家で最高の知恵を持つ周公瑾と同じか、或いは優れた才覚を持ってると思ってるわ? まぁ、こう言う時の為の軍師な訳だから、使える時は使わないと勿体無いじゃない? 」
しれっと雪蓮が返すと、丁度良い瞬間で喜楽が天幕の中に姿を現す。
「ふぅ~、キチンと管理しないと折角の酒が駄目になるなぁ 」
すると、その場に居た者全員が彼に視線を浴びせた。思わぬ彼女等の反応に、喜楽は戸惑いの表情になる。
「おっ、おい。一体どうしたんだ? 一斉に俺の顔なんか見ちゃって? 何か特別な顔でもないだろう? 」
「喜楽、丁度良いとこにきてくれたわ。実はね…… 」
皆を代表して雪蓮が事情を説明すると、彼は顎に手をやり深く考え込んだ。
「成る程な、皆の気持ちは判る。そうだなぁ……ちょっと良いかね? 」
そう言いながら、喜楽が天幕の中に置いてあった地図を卓上に広げて見せると、皆一斉にそこを覗き込む。皆の顔を一望して、彼は語り始めた。
「良いかい? ここ広宗は結構山が多くって、攻め難く守り易い地形をしてるんだよ。だから、ここに陣取ってる黄巾の本隊の判断は正しいんだ。
悲しいかな、ここの盧将軍率いる兵士は、士気が滅茶苦茶低い。只でさえ兵力が低いのに、この有様じゃ首謀者の張角辺りは万々歳と言ったとこだろうさ。仮に、この兵で無理に黄巾を打ち破ろうモンなら、被害は甚大になるし正直無謀だね?
オマケにここから南の予州潁川郡じゃ、波才って奴が率いる黄巾どもが大暴れしているんだ。事もあろうか、官軍の朱儁って奴は無策で臨んだモンだから、見事こいつ等にボロ負けして長社の城に立て籠もってる始末。
さっき入ったばかりの情報なんだが、兗州刺史の劉岱さんはこれを拙いと見て、陳留郡太守の曹操に左車騎将軍の皇甫嵩と協力してそこの援軍に行く様に命じたんだよ。
恐らくだが、張角の本隊は波才の救援の為にそちらに兵力を割くか、或いは気取られぬ内に広宗を放棄し、然る後に波才の軍と何処かで合流するか、それかその逆――波才が潁川を放棄して張角の本隊と合流する事が考えられるね?
実はさ、照世や道信も俺と同じ意見なんだけど、これこそが俺達にとっての好機になる。俺達がそれを妨害してやりゃあ良いんだ。上手く行けば黄巾どもに揺さぶりを掛けることが出来るし、あわよくば潁川方面の軍とこっちの軍と連携しての挟み撃ちか、或いは各個撃破に持ってけるんだ。そうなって来ると……蓮華ちゃん、君だったら何処を抑えればそれが出来ると思う? 龐統伯の兵法講義のお時間だ 」
「え? え? 私……ですか? 喜楽老師? 」
行き成り喜楽から話を振ってこられ、蓮華は思いっきり戸惑いの表情を見せる。他の皆も、表情をニヤつかせながら彼女を見ていた。
「そう、君さ。君も、北の字君や桃香ちゃんと一緒に俺達の下で学問や兵法を一生懸命勉強したんだ。北の字君や桃香ちゃんもそれなりの結果を出し始めている。なら、蓮華ちゃんもそれが出せるんじゃないのかな? 照世や道信も君の飲み込みの良さに感服していたんだぜ? 」
にこりと笑うと、喜楽は蓮華の手に駒を押し付け地図を指差す。彼女は躊躇するものの、顔をきりっと引き締めて見せると大きく頷いて見せた。
「判りました、喜楽老師……。この孫仲謀、今こそ勉強した成果を発揮して見せたいと思います 」
そう言って蓮華は顎を摘んで見せると、卓上に広げられた地図を凝視し始める。皆誰しもが彼女の動向に注目していると、蓮華は突如とある一点を指差し駒を置いた。
「ここです、私ならここを抑えます! 」
彼女が指差した地点は、冀州は魏郡黎陽県である。魏郡は同州の州都である鄴を抱えており、正に冀州の心臓部ともいえる郡であった。喜楽は蓮華の答えに満足げに笑みを浮かべて見せると、彼女にその理由を聞いてみる事にした。
「ほう、中々良い所を選んだね? じゃ、どうしてそこにしたんだい? 」
喜楽に問われ、蓮華は楼桑村で彼の講義を受けていた時の様な表情で話し始める。元から長沙で英才教育を受けていた影響か、楼桑村時代の蓮華は正に優秀な模範生であったのだ。
「はい、ここの刺史韓文節殿(冀州刺史韓馥の事)は名の知れた人物を幕下に引き入れたり、或いは厚く遇していると聞かされてます。ですが、彼の本性は幽州刺史の劉伯安殿(劉虞)と同じで、可也臆病な性分です。
その証拠に、今ここ広宗で盧閣下が黄巾の本隊と遣り合っているのに拘らず、一兵でも援軍を送るよう他郡の太守を促していません。おまけに魏郡太守の栗成殿も臆病風に吹かれ、まともな軍事行動も起こしておらず、州都の鄴にて軍と一緒に閉じこもってると盧閣下から聞かされてます。
一方、潁川の援軍に向かう陳留郡太守曹孟徳殿の事ですが、彼女に関しては母から『政も戦も可也の遣り手』と聞かされており、多分ですが潁川方面の黄狗は曹孟徳の軍に蹴散らされるでしょう。左車騎将軍の皇甫閣下に関しては、歴戦の名将なのは周知の事実です。この二人が手を組めば、寡兵で大軍を打ち破る離れ業を仕出かすかも知れません。
そうなって来れば、老師達が推測された展開になります。張角の本隊が向かうのであれば、事実上無抵抗状態の魏郡を南下し、警戒が強固な兗州を通らずに比較的軍備が緩い司隷に入り、河内郡と河南尹の縁べりを通ってから潁川に向かうでしょう。逆に波才がこっちに逃亡するのも同じです、今私が説明した経路を潁川側から北上すれば済む話ですから。
そして、先程の魏郡の件です。先ず、幾ら黄巾どもとは言えども州都の鄴は襲えないでしょう。臆病な性分の刺史殿と太守殿が兵を固めてますから。魏郡の中でも、特に黎陽は城の規模も他より大きめですし、何よりも冀州と司隷の州境に存在しております。これほど合流地点に打ってつけの場所はないかと。
私達がここを抑えれば、広宗の張角の本隊、そして潁川の波才の軍に動揺を与える事が出来ます。喜楽老師のお得意技ではありませんが、偽伝令を両軍に紛れ込ませれば効果は更に絶大でしょう。以上が私の答えです 」
師への説明を終えると、蓮華は一息吐いてから卓の上に置かれていた茶碗を一気に傾ける。すると、どうであろう。一瞬の沈黙の後に周囲からは彼女へ拍手の嵐が送られるではないか。意外な反応に、蓮華は思わず表情をキョトンとさせてしまう。
「さっすが、私の自慢の妹ね? 私とは戦の仕方が違うじゃない。今の説明冥琳や母様が聞いたら大喜びするわよ? 」
「蓮華様、一年近くも楼桑村にて学んだ成果を出されましたな? 儂は嬉しゅう御座いますぞ。青蓮様や公瑾にも聞かせてやりたい位じゃ 」
「蓮華姉様すっごーい! シャオ、感心しちゃったー! 」
「蓮華様、お見事です! きっと青蓮様や冥琳様に、思春殿も我が事のように喜ばれるでしょう! 」
破顔一笑で、賞賛の言葉を送る雪蓮、祭、小蓮、明命。
「お見事です、孫仲謀殿……。この関雲長、貴女という人物を見直さなければなりません 」
「蓮華おねーちゃん、中々スンゴイ事を言うのだ! 良くわかんないけど、とにかく凄いのはわかるのだー! 」
「ふふっ……。流石は幽州の三賢人の元で学問や兵学を学ばれただけはある。この趙子龍も『すんごい』としか言いようがありませんぞ? 」
愛紗、鈴々、星も満足げに笑みを浮かべながら蓮華に拍手を送る。
「やっぱ、優等生のお墨付き貰った蓮華は凄いよなぁ……。アタシんとこだと、こんな事考え付くのは韓遂しかいないぜ? 」
「翠姉様の言う通りだよ。蓮華姉様、老師達の講義全部真面目に聞いていたしね? 早弁や居眠り常習犯のたんぽぽ達とは比べ物にならないなぁ~! 」
半年以上も机を並べたのにもかかわらず、改めて自分達との開きを痛感しながらも素直に蓮華を褒め称える翠と蒲公英。
「やっ、やだっ、そんなに褒めないでよ。物凄く恥ずかしいわ…… 」
蓮華自身、こんなに賞賛されるという経験は長沙にいた頃は全く無かった。恥ずかしくなったのか、彼女は自身の体を少しモジモジとさせてしまう。喜楽は蓮華を微笑ましく見詰めると、彼女に優しく語りかけた。
「及第だよ、蓮華ちゃん。キチンと勉強した成果を出してくれたね? 今の話、照世と道信が聞いたら二人とも大層喜んでくれるさ 」
「喜楽老師、ありがとう御座います…… 」
ニカッと喜楽が笑って見せると、蓮華は嬉しさの余り涙ぐむ。彼女が楼桑村で学んで来た事だが、後に彼女にとって大きな意義を成す事となった。蓮華こと孫権に関し、後世の歴史家『家 康像』はこう評している。
『孫文台には長女孫策、次女孫権、三女孫翊、四女孫匡、五女孫尚香の他に、彼女の夫が彼女の妹孫静との間に作ってしまった隠し子の孫朗と、計六人の子がいる。
その中では一番天賦の才に恵まれていないのは次女の権であった。他の姉妹達が何かかしら天賦の才を持っていたのに対し、彼女だけは何も持っておらず、母の元にいた時には可也葛藤していたようだ。付け加え、彼女は偉大な母や姉としょっちゅう自分を比較しており、その都度劣等感に苛まされていたとの記録も残されている。
然し、若い頃訪れた幽州楼桑村にて、彼女は後の『劉家十相』の筆頭格たる三人から学問や兵法を、『劉家十二神将』の筆頭格たる六人からは武芸を、更に劉玄徳の従兄の劉伯想から精神論を学び己を鍛え上げた。
その結果、彼女は母孫堅や姉孫策とは異なる毛色を持ったが、二人に全く引けをとらぬ人物に成長し、遂には孫家の地盤を強固な物に築き上げたのである。これは、正に凡庸だった人物が努力と指導する人間次第で大化けした好例と言えよう。実際の記録で見ると、かの曹孟徳も、孫伯符よりは妹の孫仲謀と戦うのを嫌がった事から、彼女の成長振りがうかがえると言う物だ 』
「あ、皆ここにいたんだ? 」
「ふふっ、入らせてもらうわね? 」
明るい声と共に桃香が天幕の中に姿を現すと、彼女の後に続いて盧植が入ってきた。蓮華を始めとした皆は、盧植の姿を確認すると慌てて拱手で一礼するが、彼女はやんわりそれを遮る。
「良いのよ、ここは本陣ではないのだしその様な堅苦しい挨拶は要らないわ。玄徳からは皆さん大切なお友達と聞かされておりますし、この子のお友達なら私にとっても教え子同然みたいな物なのよ? 」
春の温かい日差しを髣髴させる彼女の微笑みに、他の皆は癒されるかの様な気分になった。喜楽はそんな盧植に微笑ましげな視線を送る。
(なるほど、流石桃香ちゃんを教えただけはあるな…… )
彼がそう思っている傍で、雪蓮は少し意地悪な笑みで妹を肘で突付いて見せた。
「ほら、蓮華。さっき喜楽の前で言って見せたアレ、盧閣下に進言して見せたら? 」
「え? 姉様? でも…… 」
蓮華が恥ずかしそうに身をもじもじさせていると、桃香と盧植は思わず顔をキョトンとさせる。
「へ? 蓮華ちゃん。何か盧老師に言いたい事でもあるのかな? 」
「あら……仲謀殿が何か私に言いたい事でも? 良いわよ、どんな事でも話してもらえると嬉しいわ 」
「あっ…… 」
彼女の包み込むような微笑に魅せられ、蓮華は思わず顔を赤らめてしまった。
「じ、実は、これからの兵の展開に関してなのですが…… 」
然し、彼女は戸惑いながらも先程皆の前で語った事を盧植と桃香に話し始める。その間、二人は終始無言であったが、蓮華の話にキチンと耳を傾けていた。そして、蓮華が話を終えると、先程と同じ様に桃香と盧植から賞賛の言葉と拍手を受けたのである。
「お見事ね、仲謀さん。その案、実に有効的だわ……。早速貴女の案を採用しましょう 」
「凄いよ、蓮華ちゃん! 私より兵法を得意としていただけあるよね? 物凄く頼もしいよ~! 」
「ち、違うの、これは喜楽…… 」
褒められた事で恥ずかしくなって来た蓮華が、元は喜楽の策であると言おうとするが、その彼が彼女を肘で突付くと目配せして悪戯っぽく笑って見せた。
(喜楽老師…… )
喜楽の粋な計らいに、蓮華は顔を真っ赤にして顔を俯かせたのである。
かくして、喜楽の原案を元に蓮華が立てた作戦を実行するべく、楼桑村義勇軍の実戦部隊は、兵士一人一人に自分の分の兵糧を持たせる形で魏郡は黎陽県を目指した。今回は電撃戦であると言う事で、足を引っ張る輜重隊は広宗で留守番になった。義勇軍の他に白蓮率いる公孫軍も混ざり、計一万五千の兵は広宗を出立したのである。
「はぁ~あ、一刀さん達はあっちでお留守番か…… 」
「はぁ……私に照世老師達の代役って務まるのかしら……? 」
広宗を出立した軍の中には一刀や一心達の姿は無く、行軍中馬上でぼやく桃香と蓮華。二人の脳裏に、広宗を出立する前に一心達が彼女に言った言葉が過ぎって来る。
『悪ぃな、桃香。そして蓮華ちゃん。おいら達はここで留守番になっちまった。何せ、盧将軍の幕下にはまともな将がいねぇんだ。おまけに鄒靖さんからも頼まれちまってなぁ……。北の字も連れてけねぇ、本当に悪いが、黎陽は二人で抑えてくれ 』
『ええ~~っ!! そんなぁ…… 』
『かっ、一刀までですか? 』
合掌した兄一心から思い切り頭を下げて謝られ、見る見る内に桃香と蓮華が落ち込んでると、彼女達に照世がやんわりと語りかけてきた。
『桃香殿、貴女には既に頼れる義妹の他に優れた人物達も傍に居りますし、私達三人の代わりに蓮華殿を軍師として助言を仰いでみては如何でしょうか? 喜楽から話を伺いましたが、蓮華殿なら立派に策を練ってくれますよ? そうですな、蓮華殿? 』
『はい? え? ええええ~~っ!! わっ、私ですかぁ!? 』
照世から行き成り話を振られ、思わず蓮華は自身を指差し驚く。そんな彼女に孫家の人間がわざとらしくにや付いた笑みを浮かべていた。
『あらあら、蓮華ったら行き成り大役任せられたわね? まぁ、蓮華だったら私より理詰めで物事考えられるから大丈夫よ。頼りにしてるわよ? 軍師殿♪ 』
『ふぅ~~ん、蓮華姉様がね……縁や冥琳に穏みたいな神算鬼謀を期待してるね? 蓮華姉様♪ 』
『ほう……蓮華様が儂等の軍師か……。これは面白い! 幽州くんだりまで来た甲斐があったというものじゃ!! 』
『蓮華様なら出来るのですっ! 明命は信じてるのですっ!! 』
まぁ、そんな風に『ハイ、決定!! 』見たいな感じで、決まった訳である。司令官桃香、参謀蓮華と実に変わった形になったが、この時の経験は二人にとって後に貴重な財産となった。
「はぁ~~~~っ…… 」
「ふぅ~~~っ…… 」
力なく桃香と蓮華が溜息をついていると、彼女等の傍に雪蓮、そして愛紗と鈴々がそれぞれ馬と猪を寄せて来て、彼女等は優しげに笑みを浮かべながら語り掛ける。
「蓮華、それに桃香も……。余り気落ちしない方が良いわよ? 考えてみればこれまでの戦いは漢達に頼ってた側面が大きかったしね? 逆にこれは自分達の経験を積む良い機会と思った方が良いわよ? 」
「雪蓮殿の言われる通りです、義姉上も蓮華殿も、ご自分等の才覚を伸ばせる良い機会ではありませぬか? ならば私もご協力しますから安心して下さい 」
「そうなのだ! 雪蓮お姉ちゃんや愛紗の言うとおりなのだ! 義雲や義雷のおっちゃんの代わりなら愛紗や鈴々もいるし、他の皆だっているのだ! 黄巾なんて、鈴々がちょちょいのぷーでやっつけてやるのだ!! 」
「ブッ! 」
三人(と一匹)から励まされると、桃香と蓮華はにこりと笑みを浮かべて見せた。
「うんっ、ありがとうみんな。何だか気が楽になったよ。そうだよね、一心兄さん達に頼らなくっても私達の力で解決しなくちゃいけない時もあるんだし、頑張らないと 」
「そうね、桃香の言う通りだわ。冥琳や老師達の足元には及ばないけど、私なりに精一杯やってみせるわ 」
こうして、気持ちを少し楽にした桃香と蓮華は、表情をさっきとは別人の様に引き締めて、気合を入れ直した。一方の愛紗を始めとした者達も、二人の気合の入れなおし様にホッと胸を撫で下ろしたのである。
時を同じく、広宗の本陣において、盧植は先程到着したばかりの左豊を迎え入れた。十人程の護衛に囲まれ、傲慢な雰囲気の彼は、その場に居た者達全てに不快感を撒き散らしていたのである。
「盧将軍、此度は大儀である。小黄門であるこの左豊がわざわざ都からきてやったのよ? 有難く思いなさい 」
「有難う御座います、左豊卿。遠路遥々お疲れ様で御座いましょう。おもてなしの用意をしてありますので、どうぞこちらへ…… 」
粘着質な不快感と生理的嫌悪感を撒き散らしながら、実に無礼な態度で盧植に接する左豊。彼女の隣に控えていた張鈞が顔を強張らせるが、盧植は彼をやんわりと制した。こうして、盧植は左豊を労うべく、彼を宴席へと案内したのである。
少し離れた所で、鄒靖こと菖蒲がそのやり取りを見ていた。彼女は忌々しげに、腐れ宦官を睨み付けると、誰にも聞こえないように毒づいてみせる。
「あんの、腐れ宦官……何もすねぇくせしておだつんでねぇ! 」
訳:『あの、腐れ宦官……何もしない癖してふざけるな!! 』
そんな菖蒲の肩を行き成り誰かが叩いてきた。驚きの余り彼女は声を上げそうになるが、咄嗟に口元に指を当てられる。それは照世であった。
「……っ!! 」
(鄒閣下、お静かに )
何時もの様に白羽扇片手の彼が小声で話しかけてくると、菖蒲は思わず脱力してしまい、彼女も小声で返事をする。
(諸葛軍師殿、お人が悪いっちゃよ……。で、あだしに何か? )
(ええ、閣下にお尋ねしたいのですが、先程盧閣下と共に居た男は何者ですかな? 見たところ宦官のようですが……? )
照世に尋ねられると、菖蒲は苦虫を噛み潰した顔で『腐れ宦官』の事を腹立たしげに話し始めた。
(あれはねぇ、小黄門の役職に就いてる左豊って言うんだわ。んだども、あのからだやみ(怠け者)がまともに仕事をやった話はこれぽっちも聞いた事がねぇんだべっちゃよ! )
(ほう、すると……彼は袖の下とかを要求する方ですかな? )
(んだ、現に口利き目的でアレに袖の下とか賄賂を出したって話も聞かされたべっちゃよ! あ~! なじょしてあんな奴がここさ来るんだか、あだしにはわけわがんね! )
プンスカと怒る菖蒲を他所に、照世は頭脳を高速で稼動させる。そして、彼は白羽扇を衝立にして彼女に耳打ちし始めた。
(鄒閣下……。差し出がましい真似では御座いますが、これから私の言う事を聞いて貰えますかな? 恐らくですが、この広宗の軍が壊滅的な危機に陥る事が考えられますので…… )
照世からそう告げられると、菖蒲は表情に焦りを浮かべて彼に詰め寄り始める。彼女の声は少し上擦っていた。
(かっ、壊滅的って、何が起こるのっすか? それって、一体どういう意味なのすか!? おしぇてくだせぇ! )
(まぁまぁ、落ち着いて下され……。私がこれから話す事を実行してくだされば、それを防ぐ事が叶うでしょう )
そして照世は菖蒲に二言三言耳打ちすると、彼女は晴れやかな表情で得心したかのように頷いてみせた。
(成る程……。確かにあの左豊ならやりかねねぇべっちゃね? 判りました、諸葛軍師の頼みならこの鄒靖喜んで引き受けましょう! 幸い、あだしは諌議大夫の※1馬閣下とも懇意にさせて貰ってっし、上手く行けば…… )
(ほう、それは好都合という物ですな? それでは、鄒閣下お頼み致します…… )
(任してけさいん! )
鄒靖が足取り軽やかにその場を去っていくと、照世は左豊が去っていった方をやや目を険しくして睨みつける。彼はこの場に居ぬ左豊に対し内心毒づいて見せた。
(フフフフフフ……。所詮は、貴様も欲に塗れた一匹の猪にしか過ぎぬ。その様な猪が一匹屠殺されたところで、誰も気に留めぬと言うものだしな。今は精々、不相応な身分の上でふんぞり返ってるが良い…… )
白羽扇を顔の前に翳すと、彼は僅かに口元を歪めるだけの笑みを浮かべて見せたのである。
「なっ……! 左豊卿、貴方は私に賄賂を出せというのですかっ!? 」
「大きな声を出さないで頂戴、盧将軍……。私は只、ここまでわざわざ来てやったのだから、
『見返り』を寄越せと言っただけだわ? 賄賂を寄越せとはいってないもの…… 」
面白くも無い歓待の宴が終わると、左豊は自分に宛がわれた部屋に盧植を呼び出すや否や、事もあろうか彼女に賄賂を要求してきたのだ。当然、彼女としてもそれを受ける訳には行かない、盧植はきっぱりとそれを跳ね除けたのである。
「お断り致します。ここの軍資金は全て主上からお預かりした物で、言わば主上の金銭で御座います。それは兵達の兵糧を賄ったり、この軍を運営していく上でとても必要な物なのです! それを私的な目的で、然も貴方の懐に入れる等とは言語道断という物です!! 」
毅然とした鄒靖の態度に、左豊は怒りを爆発させる。それはまるで、真っ赤に茹で上がった猪を想像させた。
「こっ、このっ……!! 人が下手に出ればいい気になってぇ~~!! アンタは私の言う事を只黙って聞いてればいいのよ!! なのに、言語道断ですってぇ!? 判ったわ、良いでしょう……。貴女の事、帝にキチンと報告しておくから、楽しみにしておくのね……。悪いけど帰らせてもらうわ!! 」
「…… 」
そう盧植に言い捨てると、到着して間もないと言うのに、早々に立ち去るべく左豊は部屋を後にする。だが、この時部屋の扉にへばりついていた人影があった事に、二人は全く気付いていなかったのだ。
「全く……。党錮の禁を解除するから、ああ言う田舎武官どもがデカイ面すんのよ!! 早速帝に申し上げて正さないといけないわね……、この小黄門たる左豊を怒らせたらどんな目にあうか思い知らせてあげるわっ!! 」
「うんしょ、うんしょ……。結構あるよね、雛里ちゃん…… 」
「そう、だよね。朱里ちゃん……。うんしょ、うんしょ…… 」
不愉快な足音をドスドスと立てながら、廊下を歩く左豊だったが、運悪く彼は洗濯物が一杯詰まった籠を持った朱里と雛里にぶつかってしまう。
「はわっ! 」
「あわわわわっ! 」
「きゃああああああっ!! 」
その際、三人とも度派手にこけてしまい、辺り一面に洗濯物が散乱してしまうが、朱里と雛里は平謝りで左豊に謝罪し、当の彼は褌を顔面にへばりつかせながら喚き散らしていた。
「は、はわわわっ! ごっ、ごめんなひゃいっ!! 」
「あ、あわわわわ……。ごめんしゃいっ! 」
「んもーう!! アンタ達、どこの田舎女中よ!! この高貴なる身分の私の顔に『おふんどし』ですってぇ!! やだぁっ、ほんっとうに信じられないわっ!! ちゃんと前見て歩きなさい!! もうっ、ほんっとうにやんなっちゃうわっ!! 」
土下座して謝る二人を一瞥し、左豊は顔面にへばりついた『おふんどし』を払いのけると肩を怒らせて廊下の向こうへと消えて行く。やがて、二人は気落ちした風で散らばってしまった洗濯物を籠に戻し始めた。
「あれ? これって、何だろ朱里ちゃん 」
「なぁに? 雛里ちゃん 」
雛里が散らばった洗濯物の中から、一つの竹簡を拾い上げる。それを受け取った朱里が、紐解いてその内容を読んでいると、忽ち彼女の顔に驚愕の色が浮かんだ。
「ひっ、雛里ちゃん……!! これって大変な内容だよ? 早く義勇軍の留守を預かっている劉伯想様か、幽州の三賢人の人達に届けよう!! あの人達なら何とかしてくれるよ? 」
「えっ……? 」
「いいから早く!! 」
「あ、あわわわわわわ……!! 」
洗濯物を片付ける事など忘れてしまい、朱里はいまだ合点が付かない雛里の手を引っ張ると、足元に渦を巻かせて義勇軍の本陣へと走って行ったのである。
~一方、その頃。義勇軍本陣の天幕内にて~
「諸葛軍師殿の言った通りだったべっちゃね? 案の定左豊のほでなす(大馬鹿野郎)、盧閣下さ袖の下ば要求してたべっちゃよ? 」
「矢張りそうでしたか…… 」
先程照世に頼まれた菖蒲は、部下に命じて左豊の動向を逐一見張らせていたのだ。彼女からの報告を受けると、照世を始めとした漢どもは思いっきり顔を顰める。そして、一同を代表して一心が菖蒲に感謝の言葉を述べた。
「鄒閣下、此度は真に感謝致します。我が仲間の然明の願いを聞いて下さり、この劉伯想恐悦至極にて御座います 」
すると、菖蒲は悪戯っぽく笑みを浮かべると、行き成り大きい笑い声を上げる。
「アハハハハハハハハ! 伯想さん、今更堅ッ苦しい挨拶は抜きだよぉ。だってさぁ、あだしはしょっちゅうアンタと桃香さんのやり取り見てっし、桃香さんとは真名も預けあったんだ。だから、気兼ねしなくってもいいんだよぉ? だから、あだしの事も気軽に真名の『菖蒲』で呼んでけさいん! 」
こう、あっけらかんと言われてしまった物だから、一心や他の者達もそんな彼女に思わず面食らってしまい、一心は苦笑いを浮かべた。
「やれやれ、北軍中候の重職に就いてると言うのに、菖蒲さんは変わってんなぁ~。まっ、おいらもこの方がやり易いし……。んじゃ、おいらの事は一心と呼んでくんな 」
「あははははは、この性分のお陰であだしは出世とはあんまし無縁なんだぁ。んじゃ、一心さん。あんたの事はそう呼べばいいんだっちゃね? 」
「あぁ、改めてよろしく頼むぜ、菖蒲さん 」
互いにニカッと笑い合うのを合図に、残った漢達も次々と己の真名を菖蒲に預ける。この出来事を切欠に、菖蒲は桃香達との繋がりを強くしただけでなく、桃香もまた、菖蒲と言う協力者を得る事となった。
早速、菖蒲は筆と硯を用意し、何も書いていない竹簡を広げると、彼女は嬉々として左豊を告発する文をしたため始める。照世は白羽扇を顔の前に翳しながら、目を細めてそれを見守っていた。
「どれ、早速ここで諫議大夫の馬日磾様宛てに文ば書くっちゃよ。馬日磾様も盧閣下とは漢記を共に編纂した事もあるし、あだしの書いた文を読めばあの腐れ宦官に引導ば渡してくれるっちゃね 」
「ここまでは策通りですな…… 」
今回、照世は二つ策を立てていたのである。一つは盧植が収監された後、兵達を黄巾に化けさせて護送中の彼女を奪還。然る時まで安全な楼桑村で保護すると言う策。もう一つが……桃香と既に親しくなっていた鄒靖に口添えして貰い、左豊を内部告発すると言う策であった。
只、一つ目だと『力技』頼みになってしまう。これだと、ばれたら危険なだけでなく、この広宗の戦線を維持できない事もあって、彼としては使いたくなかったのである。ならば、北軍中候、即ち『禁軍監察官』の役職を持っている鄒靖の力を借り、左豊が背任行為をやっていた言質を取って、彼女に内部告発をしてもらおうと考えていたのだ。
(本当は、更に動かぬ証拠のひとつでもあればいいのだが……。だが、鄒靖殿は長年私心無く中央に貢献している人物だ。あの愚鈍な皇帝も少しは聞く耳を持とう。彼女が諫議大夫と懇意にしているのも幸いであったしな。然し、それが効かぬ場合は……。最悪、最初の『力技』を使わざるを得ぬな )
少しばかりの引っ掛かりを覚えながらも、照世が次の事に思いを馳せていると、行き成り白蓮の部下である厳綱が天幕の中に入ってきた。彼は血相を変えており、声高に一心の名を叫ぶ。
「劉、劉頭目(親分)!! 頭目と三軍師にお会いしたいと言う子供が二人居ります!! いかが致しやしょう!? 」
彼の言葉を受け、思わず一心はカクンと項垂れてしまった。あの大興山の戦いの時以来から、厳綱はすっかり一心に心酔してしまい、彼を『頭目』呼ばわりしていたのである。おまけに、厳綱の話し言葉もすっかり『侠』の物になっていたのだ
「あのなぁ、厳さん。アンタは伯珪さんとこの部下だろうが? いつからおいらの子分になったんだい? 」
「はっ、これはすいやせん! 頭目っ! 」
「……はぁ~~~。しゃあねぇ、好きに呼びな。で、おいらと照世達に用があるって? 一体何の用なんだか……。判った、ここに通してくんな! 」
「へいっ! 」
一心に言われると、厳綱に案内されて二人の少女が天幕の中に姿を現す。二人の姿を見て漢達は、思わず目が点になってしまった。何故なら二人とも三角巾に前掛け姿だったからである。どう見ても、この二人は小間使いか炊事係にしか思えなかった。
「え、えとその…… 」
「あ、あのその…… 」
朱里と雛里はある意味恐怖していた。何故なら二人はこれまで漢の比率が少ない場所に居たのと、男と言えば兄弟子である風雷しか知らない。自分等より少し年上の桃香達ならまだ落ち着けたかも知れないが、今彼女等の目の前に居るのは……『漢』! 『漢』! 『漢』! と、右を向いても左を向いても漢ばかりで御座いまーすと言った状況だからだ。
「おめぇさん等かい? おいらやここに居る照世達に用があるってぇのは? 」
少し表情を砕けさせて、一心が二人に尋ねてくると朱里と雛里は少し緊張を解す。すると、一心の後ろに控えていた照世の眉がピクリと動いた。
「むっ……そなた達は先日会った炊事係の娘であったな? 私達に何の用かな? 今ならそなた達の話を聞こう…… 」
先日の事を鮮明に思い出した照世が優しく語りかけると、朱里と雛里は一斉に口を開き始めた。
「あっ、あのっ!! 私は諸葛孔明れしゅっ!! 」
「わ、わたしは……ほ、ほと、龐統、字は士元でしゅっ!! 」
彼女等が己の名を名乗ったその瞬間――手紙を書くのに夢中になっていた鄒靖以外の時が止まった。
二人の少女を凝視し、思わず白羽扇をポトリと落としてしまうと、照世は軽くよろめいてしまう。
「なっ……。この娘が……諸葛孔明とな……? 皇天后土よ……これは何かの間違いではないのかっ!? 」
楽しそうに酒を飲んでいた喜楽であったが、彼は飲んでいた酒を盛大に噴出すと思い切りむせてしまった。
「ブホッ!! ゲホッゲホッ!! そりゃあ、マジかよ、おい!? この子が龐士元……。あ゛~~何だか一気に悪酔いしそうだ…… 」
道信は道信で、彼は両手で頭を押さえると、苦悶の表情を見せ始める。
「あれが、孔明と士元だと……!? まさか、この世界の私もああなのか!? 私は桃香殿の様な美しい年頃の娘を期待しているのだぞ!? 」
一心は行き成り懐から扇子を取り出すと、明後日の方向を向きながら自身を仰ぎ始める。
「あ~、何だか今日は蒸し暑ぃよなぁ。少し外の空気でも吸ってくっかねぇ? そうすりゃこの幻も消えて無くなるってモンよ 」
義雲は思わず双眸をクワッと開いて、朱里と雛里を凝視した。
「この娘が『臥竜鳳雛』だと……? 想像も付かんと言うものだ……!! 本当にこの幼子が神算鬼謀の持ち主なのか? 信じられぬっ!! 」
義雷なんかは堰を切った様な大爆笑を始める始末。
「ぶわっはっはっはっは!! ザマァカンカンだい!! 『チビッ子の呪い』かけられてんの、俺だけじゃねぇじゃんかよ!! 」
そんな彼を他所に、雲昇は何時もの無表情のままでじっと二人を見詰めていた。
「ほう、これはこれで……可憐さがありますね? 桃香殿とはまた違った趣があるというものです…… 」
永盛はズズッと音を立てながら茶を啜り、現実逃避を決め込む。何故か、彼の雰囲気は一気に年寄り臭い物になっていた
「あ゛~~! 今日も茶がうまいわい。ふむ、茶菓子でも欲しいとこじゃな? これ、そこの娘達。儂に何か茶菓子でも持ってきてくれぬかのう? そこに『煎餅』と言う焼き菓子の入った器があるでな? 」
壮雄はその場に蹲ると、何べんも右拳で地面を叩いて笑いを堪えており、固生なんかは笑いを噛み殺しつつも兄を抑えていた。
「プッ、プククッ! こっ、固生!! 見たか今の軍師殿たちの顔を!! 桃香殿達にも見せてやりたいぞ!! 駄目だ! 笑いのツボに入って止まらん!! ワハハハハハハハハ!! 」
「あっ、兄上、ププッ、わっ、笑っては、しっ、失礼と、い、言う物です……。だっ、駄目だ! 私も笑いを抑え切れん!! だっはっはっは!! 」
一刀に至ってはすっかり脱力しきった風の顔になっており、陣羽織の片側がずり落ちていた。
「今世紀最大のウルトラジョークかよ……? ギャップが激しすぎる…… 」
予想通りというか、お約束だらけの大混乱を起こし始めた漢達に、朱里と雛里はもう一度大声で叫ぶ。
「あっ、あのっ!! 私は諸葛亮、字は孔明ですっ!! 今回は劉玄徳様に軍師としてお仕えしたかったのと、お渡ししたい物がありましたので参上しまちたっ!! 」
「わっ、私は龐統、字は士元です。私も孔明ちゃんと同じでここにきまちたっ! 」
実に『噛み噛み』であったが、二人の懸命な叫びに漢達は正気を取り戻した。そして、一心は軽く咳払いをすると、姿勢を正して二人に向き直る。
「すまない、実に聞いた事があるような名前だったので取り乱してしまったようだ。真に申し訳ない。ところでだが、玄徳に軍師として仕えたい意向は良く判った。後で、私の方から玄徳に取り計らっておこう。それと、渡したい物とは何か? 良ければ見せてくれぬかな? 」
行き成り表情をガラリと変えた一心に戸惑いを感じつつも、朱里と雛里は師水鏡からの紹介状と先程拾った竹簡を彼に差し出した。
「読ませてもらうぞ? 」
そう一心が言うと二人は黙って頷く、それらに目を通す内一心の表情が見る見ると変わって行く。そして読み終えた彼は、隣に控えていた照世に黙ってそれらを手渡した。
「読ませて頂きます……ふむ、ふむ、成る程これは…… 」
照世は満足げに目を細めて見せると、次に喜楽と道信にそれ等を手渡す。彼等の反応も先程の一心や照世と同じ物であった。照世は朱里と雛里に近寄ると、二人の方に優しく手を置き、柔らかく微笑みかける。
「水鏡殿からはそなた達の事を宜しく頼むと書いてあった。然し……文には書かれてあった姜伯約と、徐元直なる者がいないようだが……? 」
照世から尋ねられると、朱里と雛里は突然涙ぐみ始め、二人は涙声でこれまでの事情を話し始めた。朱里と雛里の話を聞く内、皆の表情には徐々に影が落ちていくのが判る。
「じっ、実は…… 」
「え、えとその、風雷兄さんと菊里ちゃんは…… 」
「なんと……。その様な事が……!? 」
二人が事情を語り終えると、天幕の中には微妙な空気が流れ込んでいた。文を書き終えた菖蒲も途中から話を聞かされており、彼女も苦々しげに顔を顰めている。そして、菖蒲は二人をそっと優しく抱き寄せると、朱里と雛里に優しく語りかけた。
「二人の事はよーく判ったよぉ。おらほもあんまし兵ば回せねぇんだけどもしゃっ。あんた達の兄弟子さんと姉弟子さんの事ばちゃあんと探して見っから、だから暫く辛抱してけさいん 」
「あっ、ありがとう御座います…… 」
「鄒将軍、ありがとうございます…… 」
菖蒲の温かい言葉に、朱里と雛里は顔をくしゃくしゃに歪ませると、遂には彼女にしがみつき大声で泣き始める。彼女等の悲痛な鳴き声は、漢達の胸を激しく打った。そんな最中、極めて冷静に振舞った照世が菖蒲に話しかける。
「菖蒲様、こちらの二人が持ち込んできた物ですが、どうやら左豊の収賄の記録が書かれていた様です。これを見るからに、奴は皇甫嵩将軍に朱儁将軍からも賄賂を受け取っていたようですぞ? 」
彼から事実を告げられると、菖蒲は長嘆息の後に天を仰ぐ。彼女の顔は非常に疲れ切っていた。
「確かに、小黄門の機嫌ば損ねればおどけでねぇ(とんでもない)事になんのは判る……。んだども、銅の臭いが染み付いた物を宦官どもさに握らせねぇと、まともに戦が出来ねぇだなんて馬鹿げた話だべっちゃねぇ…… 」
「お気持ちは判ります。ですが、今はこの宦官を告発せねば広宗の戦線は瓦解すると言うものです。有難い事に動かぬ証拠も掴めました。これを天佑と言わずに何と言いましょうや? 菖蒲様、ご決断を 」
照世にやや強めに言われると、菖蒲はニカッと爽やかな笑みを浮かべてみせる。彼女の腹積もりは、既に固まっていたのだ。
「判ってるよぉ、照世さん。後はあだしに任してけさいん? 早速早馬ば飛ばして、馬日磾様に証拠と一緒に文も渡すからしゃっ。見ててけさいん! 」
かくして、菖蒲は万が一を考え兵百名ほどを自軍から割くと、馬日磾宛にしたためた左豊の告発文と証拠を届けるように指示を飛ばしたのである。
――数日後――
馬車の中で、醜悪な面を余計醜く歪ませながら左豊が皇帝に讒言する内容を考えていると、彼の視界に帝都洛陽の門が見えてきた。その偉容な門構えに、狡知に長けた彼の腐った頭脳は高速で稼動し始める。
「ふうっ、ようやっと都の門が見えてきたわ……。盧植め……私を馬鹿にしてくれた報いを受けるが良いわ! さて、どんな罪を着せてやろうか……? 」
そして、門を潜ろうとしたその時であった。彼の馬車の周囲を、一斉に兵士が取り囲むではないか。思いもよらぬ出来事に、左豊は大声で喚きたてた。
「ちょっ、ちょっと!! 何すんのよアンタ達!! 私を誰だと思ってんの? 私は小黄門の左豊よ!! 判ったのならさっさとそこをお退き!! 」
「左豊卿、卿には帝の前で申し開きしてもらう事が多々ある。大人しく縛についてもらおうか? 」
「なっ…… 」
兵達の間を縫って、一人の初老の男が姿を現す。彼の姿を見た瞬間、左豊は表情を凍りつかせた。
「さっ、崔威考殿ッ!! ※2廷尉の貴方が一体私に何の用なのよ!? 」
崔威考は名を烈と言い、現在彼は司法や刑罰を司る廷尉の役職に就いている。無論彼の仕事は、役人が不正をしていた場合、それを取っ捕まえて然るべき刑罰を与えるものであった。
左豊にけたたましく喚き散らされながらも、崔烈が一巻の竹簡を広げて見せた瞬間、左豊は更に表情を凍りつかせる。それは鄒靖こと菖蒲が、諫議大夫馬日磾に送り届けた左豊の収賄の記録を纏めたものであった。
「この様な物が、今朝方諫議大夫馬日磾殿の元に届けられてな……。諫議大夫がこれを主上に見せ、卿が広宗にて盧将軍にしでかした事を報告すると、主上は大層お怒りになられた。
『黄巾どもを殲滅せんと、日夜死闘を続ける忠臣達に朕が用立てた金をせびるとは何事か 』とな……。
中常侍の張譲殿達も、卿には大層お怒りだったぞ? 小黄門左豊! 卿を収賄及び収賄強要の罪で逮捕する!! 大人しく縛につけい!! 」
崔烈が声高に叫ぶと、彼率いる兵士達は左豊を捕らえ縄を打つ。左豊は顔を真っ赤にさせると声高に喚き始めた。
「こっ、これは罠よ!! そうだわ、私の立場を妬ましく思った輩が仕組んだ罠よ!! その収賄の記録なんて嘘っぱちよ!! 私は盧植にたった一万銭ほど広宗まで来てやった見返りを出せって言っただけよ!! ……ハッ、しまったっ!! 」
思わぬところでボロを出し、左豊が呆然とした顔になると崔烈はニヤリと笑って見せた。
「フン、尻尾を出したなこの腐れ宦官がッ!! まぁ、良い。後日皇甫嵩、朱儁、盧植の三人に事情聴取を行うし、その時に卿の罪状が明らかになると言うものだしな……。この腐れ猪を引っ立ていっ!! 」
「はっ!! 」
「いっ、一体何処の誰よぉっ!! こんなえげつない罠を考えた奴は!! きっと悪魔のような奴に違いないわ~~~っ!! 私は何れ中常侍に上り詰めようと…… 」
遠ざかる左豊の叫びを他所に、崔烈は誰にでも聞こえる事無く呟いた。
「フンッ、戦場に来てまで銅の臭いのする物をせびるとはな……。宦官どもはそれが芳しき花の香りだと思い込んでるようだ、銅の花なぞ愛でても不快な臭いしか残らぬと言うのにな…… 」
そう皮肉った崔烈であったが、彼は後年劉宏が行った悪政の一つである『売官』に手を出してしまい、五百万銭もの大金を投じて司徒の役職を手に入れる。
だが、その結果彼はこれまで築き上げた名声を堕としただけでなく、息子の崔均にまで『世間では銅臭がすると申しております』と批判されてしまい、現在では賄賂を指す『銅臭』の由来にされてしまった。この出来事を後世の歴史家『家 康像』は以下のように評している。
『当時、崔烈はまだ己の職分に真面目で、彼が築き上げた名声もそれらによる物であった。然し、不正を正す筈の彼までもが売官に手を染めた辺りに、後漢王朝の財政難と末期症状が窺えると言うものであろう。崔烈のした行為が『銅臭』の由来とは、真に皮肉な話というものだ 』
その様な出来事から、また数日が経ったある日。盧植は急遽中央より派遣された勅使からの事情聴取を受ける。その際、彼女は小黄門左豊から賄賂を強要された事を全て告白したのだ。勅使が広宗を去って行った後、ふと盧植は隣に控えていた愛弟子の張鈞に話しかけた。
「一体何だったのかしら……? 先日小黄門左豊から賄賂を要求されなかったかと聞かれた時には、思わずびっくりしちゃったわ? 私はてっきり、彼に逆らったから官職を剥奪される物と覚悟していたのに…… 」
「別に良いではありませぬか、盧老師。お咎めを受けるどころか、帝から奮励努力に期待するとの有難いお言葉を頂いたのです。これが事態の好転に繋がれば尚良しでしょう 」
「そうね……。貴方の言う通りだわ 」
互いに笑みを浮かべて納得しあう師弟であったが、まさかその裏側で様々な暗躍があった事を知る由も無かったのである。
「ご報告いたします!! 」
声と共に一人の兵士が二人の元に駆け込んできた。二人は表情を引き締めると、この兵士に相対する。
「何か? 」
「何があったのだ? 」
「はっ! 先程ここに陣取っていた張角の本隊に動きがありました!! 恐らくですが、潁川方面に向かうと思われるようです!! 」
この報告を受け、盧植と張鈞は満足げに笑みを浮かべると互いに頷きあった。そして、二人は再び兵士に向き直る。
「判りました、大儀です。早速全軍に通達なさい! 我が軍はこれより張角率いる本隊の背後を突きます! 鄒靖と義勇軍の方にも今の事を伝えるのですよ? 」
「黄巾どもを大々的に駆逐する好機は今しかないのだ! 間違いなく今の閣下の命令を通達させよ! 」
「はっ! 」
兵士が部屋を去ると、盧植は嬉しそうな笑みを浮かべながら張鈞に話し始めた。
「張鈞、どうやら、玄徳と伯珪、そして仲謀殿達が上手くやってくれたようだわ……。本当に、私の私塾にいた時とは別人みたいに……良くぞあそこまで頼もしくなってくれたわ 」
「はいっ、私もです盧老師! どうやら、かつて老師が仰られたように劉備と公孫瓉は立派に事を成し遂げたようですね? 」
「ええ……でも、あの子達にはこれからを担ってもらわなくてはならない……。特に玄徳には至っては私より遥かに優れた師に恵まれたようだわ。あの子が彼等からの教えを活かせる様に、私達は今後も彼女を見守っていかなくてはならないわね? 」
「はいっ! この張鈞も老師の為お力添えをする所存で御座います! 」
かくして、盧植と張鈞は広宗を後にし、潁川方面に向かう張角の本隊の追撃に入る。盧植率いる官軍には鄒靖こと菖蒲の軍や、一心率いる残っていた義勇軍も混ざっており、その中には水鏡塾の制服をキチンと着こなしていた朱里と雛里の姿もあった。
「雛里ちゃん……これが私達の初陣だよ、お互い頑張ろうね? 」
「当然だよ、朱里ちゃん……。もし、運がよければ風雷兄さんや菊里ちゃんを見つける事が出来るかもしれないし…… 」
二人には回せる馬が無かった為、彼女等は荷車に乗っての出陣である。然し、彼女等の右手にはそれぞれ照世から贈られた白羽扇が握られていた。
何故ならば、朱里と雛里が今回の左豊告発の件で一番の大手柄を立てた事もさながら、水鏡の紹介状で『この二人の才は甲乙付けがたく、正に『臥竜鳳雛』である』と書かれていた事もあり、照世、喜楽、道信の三人は即刻この二人を義勇軍の軍師の一員として迎え入れたのである。照世が二人に贈った白羽扇は、彼女達がこの義勇軍の軍師である事の証明でもあったのだ。
「安心しなよ、きっと君達の兄弟子さんや姉弟子さん達と再会できるさ。二人は無事だと思うよ、何となくだけどね? 」
「はわっ! 」
「あわっ! 」
少し緊張で硬くなっていた二人に、行き成り声が掛けられて来る。その声の主は漆黒の具足に身を包み、黒毛の巨馬に跨った一刀であった。一刀がニッと悪戯っぽく二人に笑って見せると、忽ち二人は花が咲いたような笑顔になる。
「あっ、有難う御座います! 仲郷様!! 」
「あう、有難う御座います、仲郷様 」
「ははっ、そんなに堅ッ苦しく呼ばなくっても良いさ。何だって君達は俺達の仲間なんだからね? だから俺の事は真名の一刀と呼んでくれよ 」
苦笑いと共に一刀が自分の真名を二人に預けると、対する彼女等も一刀に自分達の真名を預けた。
「わっ、私の事は朱里と呼んでくだしゃい、一刀様っ! 」
「わっ、私は雛里でしゅっ、一刀様 」
「判ったよ、朱里、そして雛里。これから改めて宜しくな? それじゃ、また後で会おうぜ 」
二人に爽やかな笑みを向けると、一刀は馬を隊の先頭の方へと走らせ、二人の前から去って行ったのである。そんな彼の背中に、朱里と雛里は僅かばかりの熱を交えた視線を送っていた。
「ねぇ、雛里ちゃん……一刀様、どことなくだけど風雷兄さんに似ているよね? 」
「う、うん……着てる鎧とか馬とかは違うけど、何だか風雷兄さんに似ているよ? 」
「…… 」
「…… 」
一刀の姿に敬愛する兄弟子の姿を重ね合わせていると、急に二人は口を噤んでしまう。少しして、おもむろに雛里が朱里に話しかけてきた。
「見つかると良いよね? 一刀様の言葉じゃないけど…… 」
「うん、風雷兄さんも菊里ちゃんもどっちも強いもん。黄巾なんかに負けないよ 」
やがて、互いにじっと見詰めあうと、二人揃って遥か彼方を真っすぐ見やる。彼女等は兄弟子と姉弟子の安否を気遣いながらも、自分達の初陣となる戦いに頭を切り替えていた。
「ねぇ、雛里ちゃん。この場合だとどう攻めればいいと思うかな? 私は黎陽を抑えてる玄徳様の軍と上手く呼応して挟み撃ちに持ってければいいと思うんだよね? 」
「そうだね、朱里ちゃん。他にも少数精鋭の兵をわざと黄巾の大軍の中に潜り込ませて、内部から混乱を誘うのも手だよ? 精鋭騎兵五千ほどあれば事足りるかな? ついでに張角を捕まえることが出来れば上出来だと思うよ? 」
「ここには凄腕の豪傑が七人いるし、伯想様も優れた指揮官だからこの人達を中心に用いれば…… 」
これからこの二人は初陣を経験する事になるが、既に二人は互いの頭の中でその戦術論を展開させ始めていたのである。後年稀代の名軍師とまで謳われた諸葛孔明と龐士元、この二人が本格的な歴史の表舞台に姿を現す時は直ぐそこまで迫っていた。また、朱里と雛里が劉備の幕下に入った経緯を、後世の歴史家『家 康像』は以下のように評している。
『諸葛亮と龐統、この二人に関しては言うべきまでも無いであろう。然し、そんな彼女等が劉備の幕下に入れたのも実に複雑な経緯があった。彼女等は三回の好機の内二回を無駄にしてしまい、三回目にしてようやっと願いが叶える事ができたのだ。
だが、三度願い臣下になったこの話は、後に面白おかしく脚色されてしまい、劉備が三度出向いて諸葛亮と龐統を家臣に加えた話に変えられている。この創作された話を元に『三顧の礼』と言う故事成語が生まれた訳だが、この実話を見る限りでは『三請の叶』と言っても過言ではなかろう。
面白い事に、諸葛孔明と龐士元の好敵手となった司馬懿のエピソードとは全く正反対だったところは、ある意味皮肉と言うものであろう 』
――同時刻、陳留城の一室にて――
「御遣い様 」
一糸纏わぬ姿の仙蓼が、鼻歌を歌いながら着替えていた佑に声を掛ける。彼は上機嫌な顔を彼女に向けていた。
「何や、仙蓼? また風呂に入ってた時におもろい情報でも入ってきたんか? 」
「はい、その『おもろい情報』で御座います 」
華琳の前にいた時とは全く別人の様な表情で、彼女はにっこりと笑いながら答える。既に仙蓼と彼は『男と女の関係』になっていたのだ。
「ほう、それは何なん? 教えてくれんか? 」
「はい、先程洛陽に放っていた『すぱい』の話によりますと、先日汚職の咎で小黄門の左豊なる宦官が斬首に処され、晒し首になったそうです 」
「ほーう! それはおもろいわ! 仙蓼の話だと、この世界は宦官言う玉無しどもがでかい面しとる言うとったやんけ? 今時珍しいわ~、まっとうなお裁きが下されるなんて 」
目を大きく開いてみせると、佑は香油を頭髪に撫で付けて髪形を整え始める。彼はこちらで言うところの『オールバック』にしていた。
「そうですね、左豊は己の役職を傘に来て、これまで何度も賄賂を要求してたそうです。この様な汚い猪が一匹処分されましたから、私達が、いえ、曹孟徳殿がこれに邪魔される事も無くなるでしょう 」
「う~~ん……。でもなぁ、仙蓼に教えてもらった事から考えてみると、そいつ殺してもまた次の猪が出てくるだけの話やで? 」
複雑そうに佑が顔を顰めると、仙蓼は悪戯っぽくクスリと笑って見せる。
「大丈夫でしょう、今回の一件は帝と名乗る人物に直接知らされた事です。次の人選に関しても流石の中常侍も慎重にならざるを得ないかと? 」
「さよか……。まっ、出立前にスカーッとする話聞かせてくれて嬉しいわぁ。おおきに仙蓼。さっ、そんじゃワイ等も出立しよか? キビキビやらんと孟徳はんえらい怒るしなぁ 」
「はいっ! 佑様 」
戦支度を終えようとする佑を前に、全裸の仙蓼は満面の笑みを浮かべる。それは彼にとっての『勝利の女神』の微笑であった。
昨年自分と偶然出会った仙蓼こと司馬仲達が自分の教育係を買って出てくれて、その後佑は彼女の手によって『英雄』となるべく鍛え上げられた。学問・兵法・礼法・馬の乗り方に武芸と、様々な帝王学を叩き込まれたのである。
然し、佑は華琳の前では『使えない道化を決め込むように 』と仙蓼から散々釘を刺されていたので、彼はその間忍従の日々を過ごしていたのだ。だが、その日々とも直におさらばである。司馬家の財力に物を言わせて作らせた聖フランチェスカの制服を模造した服を身に纏い、手には革製の長手袋、足にも同じ革製の長靴を履く。彼の着ている模造品の制服には金糸で作り上げた飾り紐が括り付けられていた。
腰にはこれもまた鍛冶師に作らせた特注品の金で装飾された細身の刀を佩き、頭にも特注で作らせた、鍔を後の方でせり上げた帽子を被っている。身支度を整えた仙蓼を後ろに従え部屋を出ると、彼は邏卒(警邏兵)の屯所へと向かった。
「遅いな、隊長…… 」
「どうせ、また主簿はんとアハンウフンしけこんでる最中やろ? あの隊長『すけべえ』さんやからな? 」
「むーっ、そっちなら沙和が幾らでもお世話してあげるのー! 」
邏卒を前に、この陳留の城下町で警邏隊長を務める佑の補佐を任されていた楽文謙こと凪、李曼成こと真桜、于文則こと沙和がまだ来ぬ上司を待ちわびる。
楽文謙こと凪は現在齢十七、浅黒く日焼けした肌とくすんだ銀髪の持ち主で、顔や体中に無数の傷が刻み込まれているのが特徴であった。彼女は実に鍛え上げられたいい肉体をしており、彼女は自分自身が得物その物である。
格闘術を得意としている凪の最大の武器は、気を練った気弾であった。彼女は武芸だけでなく、兵の指揮にも長けており、公私関係なく事実上佑の右腕的存在でもあったのだ。
李曼成こと真桜も先程の凪と同い年の十七歳で、彼女は肌を露出させた服装をしており、その巨大な胸は男どもの視線を何時も釘付けにしていたのである。真桜の話し言葉には独特の訛りがあり、幸いそれは佑の話す関西弁と同じであった事から、佑と直ぐ意気投合した経緯がある。
真桜も武芸にはそれなりに長けてはいるが、どちらかと言えば彼女は工作の類を得意としており、兵器を始めとした夜のお手伝い道具の開発まで手広く行っており、彼女の存在は一部の将兵からは重宝されていた。
最後の于文則こと沙和も二人と同じ十七歳。彼女は可愛らしいそばかすが特徴で、何時も流行の服装やお洒落を追求している。彼女は武芸は標準よりやや上程度であるが、武芸よりも兵の指揮の方に優れていた。
彼女の率いる兵は、佑と仙蓼が考案した独特の訓練法を施されており、沙和が率いる兵の連携は凪や真桜が率いる物より遥かに高かったのである。然し、最近ではそんな彼女に罵られたいと考える兵士が急増しているのも実に頭の痛い出来事であった。
仙蓼は佑に『この三人を上手く使いこなし、己の手足にする事 』と助言を出しており、それを守るべく、彼は彼女等の長短を見極めながら使うように心がけていたのである。その成果があったかどうかは知らないが、いつの間にか彼女等は華琳より佑の方に心服していたのだ。
「ん、隊長が来られたぞ。全員気を付けっ! 無駄口を叩く奴は拳を叩き込むからな!! 」
「ほんまや! 相変わらずべっぴんな主簿さんといちゃいちゃしとんなぁ~~!! 隊長が来たで、全員ちゃんと整列しとくんやぞ? さもないと『お菊ちゃん』をケツの穴に突っ込ませるで~!? 」
「う~~!! いつか沙和がその位置に立って見せちゃうのー!! お前達ー! べちゃくちゃ女みたいにくっちゃべってると、そのチ○コを引っこ抜いて口の中に突っ込んでふさいでやるのー!! 」
三人がやきもきしていると、後に仙蓼を従えた佑が姿を現す。相変わらずの二人の姿を見て、三人はそれぞれ嫉妬の炎を燃やし始めると、憂さ晴らしすべく彼女等の後に控える邏卒に当り散らすかの如く怒鳴り散らした。
「ご苦労、諸君! 今日もええ天気やな? 」
ピッと佑が右手を肩の高さまで挙げて見せると、彼の軍装を見た三人娘は思わず呆気に取られてしまう。
「た、隊長……そのお姿は? 」
「隊長、なんか悪い物でも食うたんか? いつものカッコやないで? 」
「隊長、その服感じが悪いの~~ 」
三人娘から不評を買うが、当の佑はそんな事等構わず不敵に笑って見せた。
「いや、これでええんや! これはワイの戦闘服や!! ワイだけやない! 凪! 真桜! 沙和! 仙蓼! そして、夏侯惇や夏侯淵の兵達に『貧弱ゥ、貧弱ゥ』って馬鹿にされとった『及川警邏隊』の諸君の華々しきデビューや!! ワイ等が天下に名を知らしめる絶好の機会なんやで!? 」
ビシッと言い放つ彼の勢いに、思わず三人娘が絶句してしまうと、仙蓼はそんな佑の姿を頼もしげに見守っていた。そして、佑は兵達の前に立つと、彼は大仰な素振りを交えながら力強い演説を始めたのである。
「ここに集いし勇者達よ!! 今こそ我々の存在を天下に知らしめる時が来たのだ!!
これまで我々は蛮勇しか能の無い両夏侯率いる兵や、男と見れば悪口雑言を吐くだけの筆頭軍師殿に馬鹿にされ、只々耐え抜く日々を過ごしていた!!
だが、今日からはそんな日々とはおさらばだっ! 私は諸君達を弱卒とは思っていない!! 己を誇り堂々と胸を張れ勇者達よ! 諸君達は世界一の強さを誇る天兵なのだ!!
今より我々は曹孟徳殿の一軍として予州は潁川郡に向かう! 敵は幾万の黄巾どもだが、恐れる事は無い! 敵は弱き者達から物を奪う事しか出来ぬ能無しの狗どもだからだっ!
それに引き換え、諸君は天兵たる者として地獄の訓練を潜り抜けた歴戦の勇者であるっ!! 能無しの狗が勇者に勝てるものかっ!! 今こそ我に続けっ! 輝かしい未来への栄光が諸君等を待っている事だろう!! 」
佑が演説を終えると一瞬の静寂の後、兵達の間から歓声の嵐が巻き起こる。それは熱を持った渦となり佑や後ろに控える凪、真桜、沙和、そして仙蓼を包み込んだ。
「隊長ッ!! 眼鏡隊長万歳!! 眼鏡隊長万歳!! 眼鏡隊長万歳!! 」
熱気の渦に包まれながら、佑が後を振り返る。すると、後ろに控えていた四人の娘達は熱を帯びた視線を彼に向けていた。
「見たか、お前等? これがワイの本気やで? 」
「お見事です、隊長……。これなら兵の士気も否応無く高まります! 」
「はぁ~~! お見逸れしたわぁ。いやぁ~~! ウチますます隊長にほれ込んでしまいそうやで! 」
「隊長、カッコいいのぉ~~!! 」
「御遣い様……。この仙蓼がお教えした甲斐がありました……。仙蓼はどこまでも佑様についていく所存です 」
この世界に召喚された、『もう一人の現代人』及川佑。彼がこの外史の表舞台に登場する時は、刻一刻と迫っていたのである。一刀とは遥かに毛色は異なっていたが、彼もまた己の役割を果たそうとしていたのだ。
※1:諌議大夫馬日磾の事。諫議大夫とは皇帝に忠告したり、誤った行いをした時にはそれを諌めたりもした。所謂『ご意見番』
※2:九卿の一つの重職で、中央における官の不正を取り締まり、主に刑罰を司る。現在で言えば司法大臣にあたる。
ここまで読んで下さり真にありがとう御座います。
今回は朱里と雛里、そして徐庶こと菊里、姜維こと風雷を冒頭に登場させました。姜維のキャラ案はふかやん様が送ってくださった物を私なりに手を加えさせてもらいました。ふかやん様、今回は有難う御座いました。
菊里の真名の由来ですが、菊の花言葉が「真実」、「誠実」、「私を信じてください」等の意味でしたので、朱里や雛里と同じ様に『里』の字をくっつけた物にしました。無論『じゅり』は『きくり』のピンイン発音に変換した物です。
姜維の真名ですが、ふかやん様の案では『雷』だったのです。私は姜維に対しては風のイメージがあったので、風の字とくっつけ、それをピンイン発音に変換して『ふぉんれい』と読ませることにしました。
蓮華が策を話すシーンですが、あれは彼女なりに成長した結果を見せたいなぁと思い、書きました。最初から高い能力の曹操と比較すると、劉備と孫権はどこか不完全っぽいイメージがありましたので、これから先曹操と張り合えるほどの力をつけましたよーって、感じにしたかったのです。
さて、前回『照世の罠』とかっこつけた割には大した事ねぇなぁと思っている方もいるでしょう。現在の私の能力ではこれが手一杯でした。本当に申し訳なく思います。
私の話において、盧植の他に鄒靖という存在を近くに置いていたので、彼女にも存分に役立ってもらおうと考えて、あのような話にした訳です。本当に大した事無くって御免なさい!(汗
左豊ですが、彼は宦官と言うことで完全な『中年オカマ』キャラに仕立て上げました。実は彼の台詞を書いてるとき結構ノリノリだったんですよ。立木文彦さんのオカマ声を想像して書きました。
朱里ちゃん雛里ちゃんのエピソードですが、俗に言う三顧の礼の逆バージョンでやってみようと思いました。原作でも三顧の礼はスルーパスでしたし、三顧の礼の逸話自体も創作だという話を聞かされてますから、あんな形にしてみたわけです。
只、彼女達が一心や一刀、そして桃香達に絡ませる要素がほしいなぁと思い、べたでしたが、ああ言う演出を取り入れ、偶然証拠をゲットしお手柄→そして幕下へってな感じにしました。
然し、『三顧の礼』の『顧』の字は、目上の者が目下の者にという意味が込められてますので、今回「三請の叶」と言う造語を入れました。前回の「三脅の従」も私の造語です。
最後の及川のシーン……。三羽烏のキャラを思い出すのに真恋姫や萌将伝を立ち上げましたねぇ……。でも、まだ勉強不足だなって思ってます。いかんせん、魏は風以外愛着が沸き辛かったんで、イメージを再現させるのにも骨が折れると言う物です。
そして、仙蓼こと司馬仲達に鍛え上げられた及川佑……。彼のイメージを構築する際に、ニコニコ動画に投稿されていた某光栄のSLGのOPテーマ『英雄の誕生』を何遍も聞きながら固めちゃいました。判った方は感想にでも書いてくれればとっても嬉しいです。
さて、次回は……順当に行けば朱里と雛里が始めて軍師として能力を発揮する話になると思います。話が進む毎に描写が大変になりますが、私の大好きな『恋姫無双演義』の作者である高島智明様の苦労を考えますと、まだまだ優しいもんだと自分に気合を入れ直して頑張ります!
次回はいつごろアップできるかわかりませんが、なるべく早いうちに出せるように努力しますので、どうか楽しみにお待ちください。
更新されましたら、次は第二十一話でお会い致したく思います!!
それでは、また~!!