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真・恋姫†無双 ~昭烈異聞録~   作者: 不識庵・裏
第一部「楼桑村立志編」
16/62

第十五話 第一部最終話「新生劉家軍誕生」

 どうも、不識庵・裏です。今回でとうとう照烈異聞録も第一部最終話です。


 思えば、書き始めてから丁度三ヶ月、ようやくここまで辿り着けたなぁって安堵しています。


 流石に本編を書くのに精根使い果たしましたので、前置きはこれまでにしておきます。


 それでは、照烈異聞録第一部最終話。いつもの三倍の気合で書きました。どうぞ、お楽しみ下さい。


――序――



 兗州(えんしゅう)は陳留郡、陳留の県城。ここは陳留郡太守である、曹孟徳こと華琳の居城である。そこの執務室の中で華琳は、一人物思いに耽っていた。


 最近、彼女は苛立っていた。悪循環な事に、苛立ちで持病の偏頭痛が余計酷くなり、それに拍車が掛かる始末である。


 その原因であるが、三つあった。一つ目は、国中を騒がす黄巾の賊徒の件。二つ目は、天の御遣いの道化を演じさせている佑の件。最後の三つ目は、城から盗まれた『太平要術の書』の件である。


 最初の二つは、何とかなりそうだから良いとしても、特に三つ目が一番大きい。本好きが高じ、奇書の噂を聞きつけ、父お抱えの商人に頼んで入手したのだが、蓋を開けてみればびっくりするものであった。


 それは確かに奇書ではあったが、何と妖術書の類だったのである。その内容は、人心を掌握する方法等、様々な術法が事細やかに記載されたものだった。彼女は少し読んで見たものの、直ぐに本を閉じてしまい、この城内に封印する事を決める。



「確かに、これは凄い本だわ。内容を理解して使いこなせば、天下を掌中に収める事も可能ね。だけど、こんな物は私に不要だわ。私はまやかしに頼らず、己の力で天を掴みたいもの。悪用されると面倒だから、目の届く所に置いとく方が無難よね? 」



 彼女は、信用のおける職人に、城内に隠し部屋を作らせると、書をそこに隠した。また、その部屋を開ける為の鍵も、手元で厳重に保管していたのである。


 然し、思いもよらぬ出来事が発生した。昨年、城内で火災が発生したのである。華琳は迅速な指揮で、城の者全てを場外に避難させると、兵は言うに及ばず文官に女官、小間使いを始めとした街の住人達を大量に投入させ、人海戦術による消火作業を行ったのだ。



 幸い火災は小規模で、人的損害は無く、物的損害もごく僅かで済んだ。だが、彼女はとある事に気付く。城の金品が幾つか無くなっており、その中には例の妖術書が入っていたのだ。


 荒らされた隠し部屋を見た瞬間、彼女は消火作業に入った住人の中に、物取りの類が紛れ込んでいたと推測する。華琳は春蘭・秋蘭姉妹に、桂花等の側近を集めて事情を説明すると、彼女等に盗まれた本の行方を探すよう密命を下したのだ。



「あれから、彼是半年以上も経ってるのに、一向に進展がないわね。……ツッ! 本当に忌々しい頭痛だわ…… 」



 中々思う様に事が運ばず、また苛付きが昂ると連鎖するかの如く、ズキンと痛みが彼女の頭を襲う。眉間の皺が更に深くなる一方であった。


 そんな風に、痛みと苛付きで苦悶の表情で顔をしかめてると、一人の女官が部屋に入ってきた。彼女は一礼した後に主公たる華琳を窺う。



「主公 」


「……何かしら? 用件は手短にね? 」



 無論、この女官に非は無い。だが、先程の事情で華琳はすこぶる機嫌が悪く、彼女をギロリと睨みつけて、不機嫌そうな声で言い放つ。そんな華琳に中てられしまい、彼女は体をカタカタと震わせながら、ありったけの勇気を振り絞って用件を伝える。



「はっ、はい。たった今、郡内の視察から妙才様がお戻りになりました 」


「ッ! そう、秋蘭が戻ってきたのね。判ったわ、大儀でした。貴女は下がりなさい……んん? 貴女、中々可愛い顔をしているわね? 」



 彼女からの報告に、苛付きと頭痛がスッと消え、華琳は忽ち上機嫌になった。そして、愛しい側近との面会に応じるべく、この女官を下がらせようとする。然し、いつもの悪い癖が出たのか、華琳の目が彼女の顔を捉える。華琳は、己の足元で震える彼女の傍に近寄ると、ズイッと顔を近づけその顔をまじまじと見詰めた。



「めっ、滅相も御座いません……。主公のご寵愛を受けておられる方々に比べれば、私は醜う御座います…… 」


「ふふっ、自分に自信が無いのね……。でもね、そんな自己評価は私に不要だわ。可愛いかどうかは私が判断するの。さぁ、その可愛い顔をもっと私に見せて頂戴 」



 顔を隠すべく、彼女は袂で顔を覆い隠そうとするが、それに対して華琳は意地悪そうな笑みで顔を歪めると、腕を突き入れ彼女の顎を掴み、無理矢理面を上げさせる。



「あっ…… 」


「ふふっ、貴女は嘘吐きね……。これのどこが醜いと言うのかしら? 」



 その女官はとても可愛らしく、艶やかな長い黒髪と、きめの細かい白い肌をしていた。怯える彼女の顔は、華琳の嗜虐心を更に加熱させる。事もあろうか、華琳はもう片方の手を彼女の胸元に潜り込ませると、今度は乳房の感触を手触りで楽しみ始めた。彼女の乳房は可也大きく、触り応えもそれに見合ったものであったし、肌の張りも申し分ない。



「あっ、お戯れを……。どうか、どうかお許しを……。ああっ!! 」


 

 羞恥で頬を紅く染め、目尻に涙を浮かべて懇願するこの娘に、華琳は彼女を手元に置きたくなる衝動に駆られた。彼女を解放すると、華琳はその耳に小さな唇を近づけ、そっと囁く。



「ふふっ、可也大きいのね? 夏候惇や夏候淵よりも、大きくって触り心地も良い。本当に独り占めしたくなるわね……。 まぁ良いでしょう、今はこれくらいで許してあげる……。ところで貴女、今宵は私の閨に来る事、良いわね? 貴女と言う娘を、じっくりと堪能したくなってきたわ…… 」


「はっ、はいっ……畏まりました……。私は卑しき歌伎(かぎ)の出ではありますが、お望みであれば夜伽の相手を務めたく存じ上げます…… 」



 彼女の返事に、華琳は目を細めて満足そうに頷いてみせると、舌なめずりしてクスクスと妖艶に笑って見せた。



「フフッ、そう言えば歌伎上がりの娘が、この城の女官にいたわね。まさか、それが貴女だったなんて……。一体、どのような歌を私に聞かせてくれるのかしら? 物凄く楽しみにしてるわ 」


「余り誉められたものでは御座いません。ですが、ご期待にそえたく存じ上げます 」



 まだ、頬を紅く染めたまま、彼女は華琳に対し、拱手行礼で頭を下げる。正直華琳は秋蘭の事より、今すぐ閨でこの娘を思いっきり可愛がりたかった。


 然し、自分は曲がりなりにも、太守の要職に就いている。酒色に耽った挙句、己の職務を放棄して、民の怨嗟の対象や、腐敗の象徴になった先人達の後に続く訳には行かないのだ。


 華琳は表情を引き締めると、元来の毅然とした姿に自分を戻す。そして、この場を立ち去ろうとした彼女の後姿に、声を掛けた。



「待ちなさい。そう言えば、まだ名を聞いていなかったわね? 私に名を、そして『真名』を預けなさい 」



 華琳に言われたまま、振り向き様に、彼女はこう答えた。



「姓は(べん)、名は澄玉(ちょうぎょく)、真名は……『麗謡(りぃやお)』と申します 」



 彼女の名と真名を預かり、華琳は満足げに微笑んでみせる。そして、彼女も麗謡に真名を預けた。



「姓は卞、名は澄玉、真名は麗しく謡うと書いて『麗謡』ね……。素晴らしいわ、『名は体を表す』とは正に貴女の為にある言葉ね? 私の真名は『華琳』。覚えておきなさい 」


「畏まりました、華琳様…… 」



 運命的な出会いを果たしたこの二人、華琳は終生に渡る愛人を手に入れ、一方の麗謡もこの時から運命が変わり始めた。麗謡は、この時まだ十六歳。華琳の寵愛を一身に受けた彼女は、後に『卞氏』、『卞夫人』と呼ばれ、曹家で格別の扱いを受けるようになる。


 不運な事に、それは春蘭・秋蘭の夏候姉妹に、桂花こと荀彧からの嫉妬を買う羽目にもなってしまった。困った彼女は、佑と仙寥こと司馬懿に助けを求めるのだが、それはずっと後の話である。



――壱――



 桃香達三人が桃園にて誓いを交わし、村を挙げての大騒ぎから、一夜明けたその翌日。昨日の余韻を引きずったまま、桃香は一人、桃園にたたずんでいた。



「桃香、約束通り来たわよ? 」


「あ、松花ちゃん 」



 桃の木々の間を縫って、一人の少女が桃香の前に姿を現す。彼女の姓は簡、名は雍、字は憲和。真名を松花(そんふぁ)と言い、年は桃香と同い年で、来月十七歳になる。彼女の家は、楼桑村一の富豪であり、楼桑村を拠点に商いを営んでいた。



「で、何なの話って? 夕べのお酒がまだ残ってて、正直機嫌が悪いんだから手短にね? 」


「うんっ、判ってるよ 」



 あの馬鹿騒ぎの名残か、まだ彼女には酒精の匂いがこびりついており、顔色は青く、不機嫌そうに顔をしかめていた。


 彼女は、子供の頃から『イイとこのお嬢様』らしく、様々な英才教育を施されいる。顔も美人だし、体つきも実に女らしくって、口を開かなければ男達の憧れの的になっていただろう。


 だが、彼女はいわゆる、『口の利き方』を知らない人だった。誰とでもため口で話す癖があり、振る舞いも見様によっては、実に傲慢に見えかねない。


 ついにはそれらが災いしてしまい、同年代の男子からは敬遠され、女子からも嫌われていた。然し、そんな彼女にも親友と言える存在が一人だけいる。それは、他ならぬ桃香であった。


 桃香は、生まれつき人の本質を見抜く目を持っており、彼女の事を『いい人』だと理解していたのである。


 現に、彼女は人との約束を必ず守るし、困った人には手を差し伸べ、不正に対しては毅然とした態度で臨んでいたのだ。


 そんな二人の友達付き合いは、実に十二年にも及んでおり、互いに無二の親友であった。



「…… 」


「どうしたの? 話があるから呼んだんでしょ? 」



 言いあぐねた風で、桃香が松花の顔をチラリチラリ見ていると、彼女は少し苛立たしげに語尾を荒げる。微かな彼女の怒気に屈したのか、桃香はおずおずと口を開き始めた。



「あのね、松花ちゃんにしか出来ないお願いがあるんだけど…… 」


「何? 私にしか出来ないお願いって? 」



 機嫌を伺うように、自分に頼み事をしてくる彼女の姿が如何わしく思えたのか、松花は片眉を吊り上げる。



「あのね、その……。私に……お金を貸して欲しいの 」



 彼女のお願いを聞いた瞬間、松花は一瞬耳を疑った。何故なら、桃香はどんなに生活が貧しくっても、誰かから金を借りる事を一切しなかったからだ。



「はい? 金を貸して欲しいですって? 一体どうしたのよ、若しかして莚売りの商売が上手く行かなくなったとか!? まぁ、良いわ。貸してあげるわ、で、幾らなの? 」



 然し、現に今桃香は、自分に借金を頼み込んできている。少し位なら融通してやろうと思い、苦笑いを浮かべてそれに応じる事にしたが、次の言葉に彼女は激怒した。



「※1十万銭!! 」


「お・と・と・い……出直してこぉ~~~い!!! 」


「あうっ! 」



 満面の笑みで、桃香が貸して欲しい額面を叫ぶと、激昂した松花が行き成り腕を首に叩きつけ、彼女は思いっきり吹っ飛ばされる。


 桃香はもんどり打って転がされると、近くにあった桃の木に、体をしこたま打ち付けてしまった。



「冗談じゃないわっ!! 金を貸してくれって頼んできても、そんな大金出せる訳無いじゃない!! アンタ、一体何考えてんのよッ!? 」



 パンパンと手を払いながら、松花が桃香をキッと睨み付けると、彼女は痛みで涙ぐみ、よろよろと立ちあがる。



「イタタタタタ……。冗談じゃないよ、松花ちゃん。私、黄巾討伐の義勇兵に応じるって言ったけど、愛紗ちゃんと鈴々ちゃんとの三人だけじゃ、ここの太守さんに良い様に使われるだけだもん。どうせなら、私は同じ志を持つ人たちを集めて『義勇軍』を作りたい。だから、その為にお金がいるの…… 」


「そう、そういう理由だったの……。なら、ちょっと考えさせて 」



 痛みを堪えつつ、その真意を語る桃香の姿に、松花は少し黙考してから、ゆっくりと口を開いた。



「……判ったわ、桃香。私、これからお父様に掛け合ってみる。返事は……そうね、明日にでも良いかしら? 」


「ええっ!? 聞いてくれるの! ありがと、松花ちゃん!! 」



 彼女の返事を受け、笑みを満面にたたえると、桃香は思いっきり松花に抱きつく。抱き疲れた当の本人は、照れ臭そうに顔を赤くさせた。



「ちょっと! 出すって言った訳じゃないのよ? お父様に掛け合うだけなんだからねっ!! 」



 キツイ言葉を発したものの、それとは裏腹に彼女は顔に照れ笑いを浮かべていた。桃園を舞う薄紅色の花びらが二人の髪に舞い落ち、これからの彼女等の行く末を祝福してるように思えた。




――弐――




「なぁ、桃香 」


「なぁに? 一心兄さん 」



 その日の夜、一同は夕食を終えると、一心は桃香にやんわりと話しかけてきた。彼女は宝剣『靖王伝家』の手入れをしており、また、賊兵と戦った時に使った傷だらけの木甲を引っ張り出していた。



「おめぇさん、昨日義勇兵募集に応じるってぇ、言ってたよな? 」


「うん、そうだけど? 」


「それなんだけどな、一刀だけじゃなく、おいらもおめぇさん等の手伝いをしようと思ったのよ。無論、義雲や義雷に照世と、他の奴等も皆お前を手伝いたいってなぁ…… 」



 はにかんで、顎をこりこりと掻きながら言ってきた彼の言葉に、桃香は思わず手を止めてしまう。少し離れた場所で得物の手入れをしていた愛紗と鈴々も、彼の言葉に驚いてしまった。



「一心兄さんまで? 手伝ってくれるのは嬉しいけど……一心兄さん、雪蓮さんの事はどうするの? 雪蓮さん、兄さんにべた惚れしてるじゃない 」



 この村だけでなく、涿郡を中心にした周辺で名が知れ渡った彼の申し出は、自分には物凄く心強い。彼の後ろ盾があれば、様々な人も集まってくるだろう。然し、彼には既に雪蓮と言う恋人がいる。


 出来うるなら、彼には幸せになって欲しいと思ってるだけに、桃香はこの申し出を素直に受け取る気にはなれなかった。彼女から、一心や一刀達の事を聞かされていた愛紗と鈴々も、同意見なのか、二人も首を縦に振っている。



「そうさなぁ……確かにお前の言う通りだ。孫家や馬家のお客さん達を、ここに釘付けにするわけにもいかねぇし、紫苑さんや璃々ちゃんの事もあるしなぁ…… 」


「あら? それなら無問題よ? 」



 桃香に指摘され、少し困った風に一心が頭を悩ませていると、別の方から声が掛けられる。驚いた二人が声のする方を向くと、楼桑村に来た者達がにこやかな笑みを浮かべていた。



「ふふっ、好都合よね? 私と蓮華、明命に祭、そして小蓮の五人は、期間限定だけど貴方達に協力する。戦いながら、母様の情報調べて、上手くそれに合流すれば長沙に戻れるしね? 」



 髪を掻き揚げながら、不敵な笑みを浮かべる雪蓮。彼女は、既に頭の中で、黄巾賊を蹂躙する自身を思い描いていた。



「ええ、姉様の言う通りだわ。まさか姉様の勘がこんな時に当たるなんてね……。本当はもっとこの村に居たかったし、一刀の事も気になるわ。でも、流石に半年以上家を空けていたし、そろそろ戻らないと…… 」



 言葉尻に可也の未練を残しつつも、桃香をまっすぐ見詰める蓮華。



「桃香様、一心様……。明命は、この村で過ごした毎日がとても楽しかったですし、義雷様とも、もっと語り合いたかったのです……。ですが、ずっとこのままでいる訳には参りません。文台様の軍に合流するまでの間、私は桃香様達にお力添えを致したく思います 」



 いつもの癖で、合掌する仕草で寂しげな表情を浮かべる明命。



「やれやれ、一昨日来たばかりだと言うのに、直ぐに出る羽目になるとはのう……。婿殿や永盛殿達とも、もっと語り合いたかったが、そうも行かんしなぁ。まぁ、直ぐ別れる話でもないし、たまには、文台様以外の方の下で、武を振るうのも悪くは無い。この黄公覆も、そなた等に手を貸すぞ!! 桃香殿、それまでの間はそなたが儂の主公じゃ、宜しく頼むぞ? 」



 めんどくさげに後手で頭を掻きながらも、ニヤりと笑みを満面に湛える祭。



「あ~あ、姉様達ばっかこの村で楽しんでたから、正直ずるいよなぁ~。でも、シャオも『江東の虎』の娘の一人だもん! 皆が大変な時だから、そんな事言ってられないモンね! そ・れ・に♪ 雲昇にもっと近づきたいしぃ~♪ これって、千載一遇の好機って奴よね~♪ 」 



 最初の内は口を尖らせていたが、話して行く内に頬を赤く染め、小悪魔めいた笑みを浮かべる小蓮。



「あたしとたんぽぽの事なら気にすんなよ! 正直思いっきり暴れたい気分だったし、西涼に戻れる良い機会だしな! 手を貸すぜっ、桃香! まぁ……ホントは勉強から解放されたいのもあんだけどさ…… 」



 威勢良くはつらつと言葉を発していたが、最後の方で尻すぼみしてしまい、苦笑いで頬をこりこりと掻く翠。



「助っ人ならここにいるぞー! 桃香姉様、たんぽぽも翠姉様と同じだよ? シャオの言葉じゃないけどさ、国中が大変な時だもん! 勉強どこらじゃないしね。ついでに伯母様達に会えたらもっと良いんだけどなー? 」



 威勢良く右手を天に掲げると、弾けるような笑顔で声高に叫ぶ蒲公英。



「桃香さん、一心様。私の事はお気になさらないで下さい。元々、私は璃々と共にこの村で骨を埋める覚悟でおりましたから。ですが、今は国難とも言えるこの事態。私も武には自負がありますし、それを桃香さんの志にお役立てしたいのです。それに、璃々も今年で六つです。留守を任せる事を学ばすには、丁度良い機会ですわ…… 」



 我が娘に向けるように、優しき慈母の笑みを浮かべる紫苑。



 雪蓮、蓮華、明命、祭、小蓮、翠、蒲公英、紫苑。彼女等は、実に清々しい笑みと共に、それぞれの事情を交えながらも桃香達に協力を申し出る。これらの嬉しい不意打ちに、思わず桃香は涙を流し、一心は嬉しげに笑って見せた。



「本当にすまねぇな……。あんた等の恩、この一心生涯忘れねぇ! 」


「皆さん……本当に、本当に……ありがとうございますっ!! 」


「伯想殿、それに皆々様、義姉上同様、私も心よりお礼を申し上げます!! 」


「本当にありがとうなのだー!! 」


 一心と桃香が、拱手行礼で感謝の意を示すと、愛紗と鈴々もそれに続く。二人とも、義姉同様、それぞれ歓喜の涙を流していた。



「ちょっ、ちょっと!! 桃香っ!! 桃香はいるの!? 」



 そんな中、松花が血相を変えて部屋の中に飛び込んでくる。一同は一斉に彼女の方を向いた。



「え? どうしたの、松花ちゃん? 」


「ちょっと! 今すぐ私と一緒に家に来て頂戴!! 村長とお父様がアンタと話がしたいって!! 」


「へ? へ? 」



 桃香はきょとんと小首を傾げるが、その反応にじれったくなって来たのか、松花は彼女の腕を掴む。そして、そのまま物凄い勢いで桃香を連れ出していった。



「あぁ~~れぇ~~! 」


「アレでもソレでも、話なら後で幾らでも聞いてやるから、一緒に来なさいっ!! 」


「義姉上!? 」


「桃香お姉ちゃん!? 」



 行き成り外に連れ出された姉の後を追うべく、愛紗と鈴々も外に飛び出していったのである。



――三――




「ゼェ、ゼェハァ、おっ、お父様。桃香を連れて参りました…… 」


「ご苦労様、松花。玄徳ちゃんも、本当に済まなかったねぇ~。無理を言って来て貰って 」


「いっ、いえ。急に突然来いと言われましたから、正直驚いてます 」



 所代わり、松花こと簡雍の家。彼女の家は村一番の富豪らしく、中々大きい屋敷だった。桃香は松花と共にそのまま客間に通され、彼女の父と対面する。彼の隣では村長(むらおさ)が呑気に茶を啜っていた。


 一方、桃香の後ろには、後を追ってきた愛紗と鈴々が従っていた。松花の父は、普段『簡大人(タァレン)』と呼ばれており、彼は興味深げに愛紗と鈴々を見る。



「若しかして、桃香ちゃんと姉妹の契りを交わしたのは、このお二人の事かな? 」



 そう彼が伺ってくると、愛紗と鈴々は拱手で一礼して挨拶を返す。



「はい、私は関羽。字は雲長。劉玄徳様と姉妹の契りを交わした者です 」


「鈴々もそうなのだ! 鈴々は張飛。字は翼徳なのだー! 」


「始めまして、憲和(けんか)(簡雍の字)の父です。桃香殿と私の娘はちっちゃい頃から仲良しでしてね。だから、桃香殿も実の娘と思ってるのです。その桃香殿に見込まれ、姉妹になった貴女達も私にとっては娘も同然……。良しなにお願いします 」


「いえ、こちらも宜しくお願いいたす 」


「宜しくお願いするのだー 」



 二人からの挨拶に簡大人は目を細め、満足そうに頷くと、この若い義士達をじっと見渡す。そして、ゆっくり口を開き始めた。



「……実はだね。娘から桃香ちゃんの話を聞かされて、最初は驚いたんだよ。何せ、十万銭を都合してくれって言うからね。だけどね、私は昔から思ってたんだ。桃香ちゃんはどこか違う、何か大きな事をするんじゃないかってね? だから、私は喜んで協力させてもらうよ! 十万銭出そうじゃないか!! 」



 一旦言葉を区切ると、彼は茶で喉を湿らせ、熱弁を振るい続ける。



「ハハッ、実はね。私以外にも、商売仲間の張世平に蘇双、そして村長までもが協力を申し出ているんだ。後、君達の金庫番に私の娘も付けよう。戦場に出すのは正直不安だが、松花は昔っから悪運強いし、金勘定もそこら辺の役人より遥かに優れている。教養もばっちりだし、必ずや君達の力になるだろう! 」



 思いもよらぬ彼の申し出を受け、桃香達三人は喜びで顔を綻ばせると、彼女等は拱手行礼で深々と頭を下げ、彼に感謝の言葉を述べた。



「あっ、有難う御座いますっ!! この劉玄徳、皆さんから受けたこの恩生涯忘れませんっ! 」


「有難う御座います、憲和殿のお父上! この関雲長も、貴方方から受けた恩義、けして忘れませんっ! 」


「りっ、鈴々もなのだ!! おじさん、鈴々達頑張るから! だから、ありがとうなのだ!! 」



 三人の言葉に満足げに微笑んでいた簡親子だったが、行き成り松花が桃香の前に跪くと、彼女は拱手行礼を行う。突然の彼女の行動に、三人とも驚いてしまった。



「そ、松花ちゃん? 行き成りどうしたの? 」



 桃香がうろたえていると、松花は顔を上げ、キリッと引き締めた表情を彼女に向ける。



「桃香、いえ、玄徳様。本日よりこの簡憲和も、貴女様の志のお手伝いを致したく存じ上げます。私の主公は劉玄徳様只お一人! どうか末永く宜しくお願いします、我が主公…… 」



 何と、松花は桃香に対し『臣下の礼』を示したのだ。一瞬躊躇したものの、桃香は嬉し涙を流すと優しく彼女の手を取り、松花も涙で頬を濡らす。



「ありがとう、松花ちゃん。でもね、私と松花ちゃんの間にそんなのは要らないよ? だって、私たちずっとお友達だもん 」



 涙声で桃香が笑って見せると、松花は困り笑いで答えるが、彼女も涙声になっていた。



「なっ、何よそれ……。折角人が真面目に決めたって言うのにさ……。そんなんじゃ他の人達に示しがつかないわよ? 仮にも人の上に立つ立場になると言うのに、本当にアンタって人は……。でも、それがアンタのいいところよね? ホント、私が居ないと駄目なんだから…… 」


「松花ちゃん、だーい好きだよ? 」



 お互い抱き合いながら、涙を流す桃香と松花の二人。この二人の友情は終生変わる事は無かった。後年、彼女は文官として内政や外交で存分に辣腕を振るい、その手腕は他国からも高く評価され、ついには『劉家十相』の一人に数えられたのである。



「美しい友情じゃな、玄徳。じゃが、そろそろ儂の話も聞いて貰わんとなぁ? 」


「あっ、すみません。村長(むらおさ) 」



 痺れを切らしたかのように、既に老人の域に達した村長が口を挟んできた。彼には一心や一刀達をこの村に迎え入れた際に、何かと便宜を図ってもらった恩義がある。彼は『やれやれ』とぼやくと、自分の荷物と思われる大きな※2衣箱(イーシャン)を彼女の前に置いた。桃香達がそれを興味深げに見ると、無言で『開けて見ろ』と言わんばかりに、彼は顎をしゃくりあげる。


 合点がいかぬまま、桃香は恐る恐るそれを開けて見ると、中に入っていたものを見た瞬間、桃香は驚きで声を上げた。



「これって……、剣と服ですよね? 」



 服は緑と白を基調とした華やかな物であった。袖周りは金糸で縁取られており、美しい羽の模様が刺繍されている。また、それとお揃いと思われる、太腿まで覆う純白の長靴も一緒に入っていた。その長靴も、服と釣り合いの取れた華やかな装飾が施されている。


 一方の剣の方であるが、こちらも見事な装飾が施されていた。長さは靖王伝家と同じ位だが、こちらの方が軽めである。柄の部分に宝玉がはめ込まれており、鍔の部分は拡翼(かくよく)の形に彫られた金細工であった。


 鞘から抜いてみれば、部屋の灯りに反射して剣身は煌きを放ち、軽く振ってみれば反応も実に心地良い。既に幾つかの戦いを経た桃香は、この剣は靖王伝家に負けぬほどの業物であると判断した。



「村長、これらはどちらも凄い物ですけど、一体誰の持ち物だったのか教えてもらえませんか? 」



 これを入れていた衣箱は、可也古ぼけたものだ。まさか、昨日今日と急に用意したものではないだろう。服も剣もどちらも素晴らしい物だが、出所が判らなければこれを使う気にもなれない。堪らなくなった彼女は、迷わず彼に尋ねてみた。すると、彼が語った事実に、彼女は強烈な衝撃を受ける。



「それはな……お前の母親の遺品なんじゃよ。隠しておったのじゃが、お前の母親はそれは大層美しく、そして強い女武芸者じゃった……。何せ、『幽州の双翼剣』と呼ばれた程じゃしな 」


「ええっ!? 私のお母さんが……? それも、武芸者だったなんて……。だけど、お母さんはいつもニコニコ優しく笑ってました。 剣を握ってるとこなんか一回も見なかったし…… 」



 村長の語った言葉が未だに信じられず、桃香はうろたえてしまったが、そんな彼女などお構いなしで彼は言葉を続ける。



「そりゃあ、当然じゃよ。何せお前の母は劉弘(りゅうこう)、即ちお前の父親と結ばれたと同時に剣を捨てたのじゃからな……。村に骨を埋めると決意して、彼女は儂にこれらを預けたのじゃよ。『これからの暮らしに剣は不要、既に身篭った子には剣ではなく優しい心を教えたい 』と儂に言うてなぁ…… 」


「はい、お父さんもお母さんも言ってました。『優しい心を忘れちゃ駄目、それは人として一番大切な事だから、最後に剣に勝つのは優しい心でもある 』って…… 」


「じゃが、伯想達と出会ってからのお前は別人の様に変わった。武と智と心を鍛え、時には村を守る為に家に伝わる宝剣を振い、それを朱に染める事も厭わぬまでに逞しくなった。そして、今度は優しさだけでは生き残れない修羅の道を歩もうとしておる。そんなお前に役立ててもらおうと思い、儂はこれをお前に返そうと思ったのじゃよ 」


「ありがとう御座います、村長。お母さんの形見、存分に使わせてもらいます 」


「いや、構わんよ。思えば儂の役目はこれをお前に渡す事にあったのかも知れん 」



 母の形見を掻き抱き、桃香は村長に頭を下げて感謝の意を示すと、彼は満足げにウンウンと頷いて見せた。然し、何か気付いたのだろうか。愛紗が突然口を挟んできた。



「村長、少し宜しいでしょうか? 」


「何かな雲長殿? 」


「愛紗ちゃん? 」


「愛紗? 一体どうしたのだ? 」



 すると、愛紗は先ほどの事を思い出しながら、彼に問い始める。彼女の顔は何か言い辛そうにも見えた。



「先程貴方は義姉上のお母君の事を『幽州の双翼剣』と呼ばれていた。だが、この剣を見るからに一本しかないと思える。『双翼剣』の名の通りなら、普通もう一振りあるのではないのかな? 」


「っ! そっ、それは…… 」



 恐らく聞かれたくない事を言われたのだろう。忽ち彼は顔を曇らせる。暫く渋い顔をしていたが、彼は跪くと桃香に告白した。



「済まぬ玄徳ッ! 雲長殿の申される通りなのじゃ。本当はもう一本あったのじゃが……よりにもよって、儂の甥が、あの悪たれが、どこで嗅ぎ付けたのか知らんが盗んでいったのじゃ!! 」



 彼の謝罪の言葉を聞く内に、桃香の顔が見る見る曇る。彼の言葉の中に出てきた『甥』の部分でそうなり始めたところを見るからに、何やら彼女にとって触れたくない人物と思われた。



「村長、それってまさか『張闓(ちょうがい)』の事ですか? 」


「……そうじゃ! 」


「そうですか…… 」



 桃香がその人物と思われる名を口にすると、村長は少しだんまりを決め込んだ後に忌々しげに頷く。桃香は少し体をビクッと震わせると、顔を俯かせてしまった。



「……義姉上。もし宜しければその『張闓』なる人物についてお聞かせ願えませんか? 場合によっては私が義姉上に成り代わり、その者と対峙しましょう 」



 落ち込む義姉を気遣うように愛紗が窺うものの、彼女を黙らせるかのように血相を変えた松花が二人の間に割って入る。彼女は悲痛そうな顔で涙を流していた。



「お願い、やめて愛紗!! 桃香は、桃香は…… 」


「松花殿……。判りました、誰しも触れたくない事の一つや二つはあるもの。なら、これ以上は訊ねますまい 」



 只事ならぬ松花の様子に愛紗は引き下がろうとしたが、無言のまま桃香が手を上げる。そして、彼女は寂しそうな顔で二人を見た。



「待って、この際だからキチンと話しておかないとね? 私も心の整理を付けたいから……愛紗ちゃん、鈴々ちゃんも……聞いて頂戴ね? 」



 そう言うと、桃香は張闓の事を愛紗と鈴々に話し始めた。張闓は村長の一番下の弟の後妻の連れ子で、数年前の流行り病で両親を亡くし、伯父である村長に引き取られる。然し、余程甘やかされたのか、それとも生来の悪のどちらかは知らないが、彼は手に負えない不良だった。


 彼は不良仲間と徒党を組んでは乱暴狼藉を働き、挙句の果てには平然と匪賊まがいの事にまで手を染めていた程だ。特に桃香は彼に目を付けられており、一心達に出会う少し前に乱暴され掛けた事もあった。


 『村長や、村の男衆が直ぐに助けてくれたから良かったものの、正直危なかった 』と涙声で語ると、あの時の事を思い出したのか、桃香は体をカタカタと震わせている。あの時の悪夢と懸命に戦いながら自分達に話をする桃香の姿に、愛紗と鈴々は義憤の炎を燃やした。


 然し、そんな張闓の傍若無人振りもついに終焉を迎える。そう、一心こと別世界の劉玄徳と蜀の英傑達がこの世に舞い降りたのだ。この世界に来て間もない頃、一心達は桃香からこの村の事情や、張闓達の事を聞かされる。そして……彼は義憤に燃える『侠』の顔になると、義雲・義雷・雲昇・永盛・壮雄・固生の六人の豪傑にとある命令を下した。



『どこの盆暗(ボンクラ)か知らねぇが、どうやら侠と溝鼠(ドブネズミ)の区別もつかねぇ連中が幅を利かせてるようだ……。野郎ども、『出入り』だ!! 徹底的にヤキ入れてやんぞ!! 』



 かくして、一心を先頭に漢達は張闓達の溜まり場になってた空き家への奇襲を決行する。この時、張闓等悪童どもは城下町で引っ掛けた女達と楽しんでる最中だった。


 義雷が見張り番と思われる体格の良い少年を思いっきり殴り飛ばして肥溜めに落とすと、続く義雲が扉を蹴り破って木っ端微塵にし、一心・雲昇・永盛・壮雄・固生が殴り込みをかける。


 楽しんでいた最中に行き成り襲われ、慌てた張闓達は手に得物を持って襲撃者達に応対する。それに対し、一心達の方は彼も含め全員丸腰であったが、ここで経験の差が如実に出る。


 片や幾数多の戦場を潜り抜けた歴戦の猛者ども揃いなのに対し、もう片方は弱い者を甚振る事しか能の無い連中だ。


 盛大な殴り合いの饗宴は阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、性質の悪い悪童どもとは言えども、前世で蜀の五虎将や猛将と称された彼等の敵ではない。


 彼らの中には逃げようとする者も居たが、必ず誰かに首根っこを掴まれると、容赦なく拳や蹴りの強烈な洗礼を受けた。


 そんな中、一心が一人の不良を殴り倒してその顔面を思いっきり踏みつけると、張闓を睨みつけるや否やドスを効かせた脅し文句を彼にぶつける。



『てめぇか……人の可愛い妹に手ェ出したドブネズミってぇのはよ? おいらの身内に手ェ出すたぁ、いい度胸してんじゃねぇか……。この落とし前ぇ、どう付けんだぁ? あぁん!? 』


『ひっ、ひいいいいい!! お助け! 』



 『本職』たる一心の睨みを受けると、忽ち張闓は得物を投げ捨てて外に逃走するがそうは問屋が卸さない。雲昇が手元にあった棒を引っつかむと、彼の足にそれを引っ掛けて転ばしたのだ。



『どうぞ、一心様……。後はごゆるりと『お楽しみ』下さい…… 』


『お、すまねぇな雲昇。相変わらず気が利くじゃネェか……。どれ、それじゃ……思いっきり『お楽しみ』をしちゃおうかい! 』



 普段無表情の彼にしては珍しく、したり顔で雲昇がニヤッと笑って見せると一心は喜々とさせて張闓を見下ろす。彼は既に両拳をボキリボキリと鳴らしていた。



『まっ、待ってくれ! アンタの妹って玄徳の事だろ!? なら謝る! だから殴らないでくれ!! 』


『あぁん? 何言ってんだてめぇ……『玄徳(桃香)』が許しても、『玄徳(おいら)』が許す訳ャあねぇだろうがよ!! この度腐れ孺子(こぞう)がぁ!! 』


『ぎゃああああああああああああ!! 』



 後は見るに堪えぬ凄惨な光景であった。張闓は泣きながら許しを請うが、鬼の形相で一心は彼に馬乗りになると、実に『楽しげ』に彼の顔面目掛け拳の集中豪雨を叩きつける。



『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!! オララアァ~ッ!! 』


『グベブベゲブラガバゲボゴボッ!! や、やべでぐだざい!! ゆるじでぐでぇ!! オブエッ!! 』


『オラオラオラオラオラッ!! どうしたどうしたぁ!? 殴り返ェして見やがれってんでぇ、張闓さんよぉっ!! こんなんでビビッて泣き喚く位ぇならでけぇ面すんじゃねぇぞっ!! 』


『うへぇ……あの孺子、何て馬鹿な真似したんだかなぁ。それも、兄者をマジ切れさせんだなんてよぉ……。俺だって怖ぇからしたくねぇのに…… 』


『うむ、久々に本気で怒り狂う兄者の姿を見た。義雷、暫く放っておけ。ああなったらわし等でも止められん……。下手に止めようものなら、今度はわし等までもが危うくなるしな? 』



 その間張闓の悲鳴と一心の勢いはとどまる事を知らず、暴れん坊の義雷や抑え役の義雲でさえ退く程の恐ろしさであった。



『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!! オラアッ!! 』


『グボッ!! ゲベッ!! ギャブッ!! アゴォ!! ゴブァ!! 』


『あ~あ、兄者、完全に目がイッてるよ。オラオラ言ってるぜ? 駄目だこりゃ 』


『うむ、久々に聞く良い『オラオラ』だ……。矢張りこれを聞かねばわし等の兄者らしくないというものだしな 』



 暫くして収まってきたのか、一心は殴る手を止める。そして、息を荒くしたままゆるゆると立ち上がると、足元で無様な姿を曝け出す張闓目掛けて忌々しげに唾を吐き捨てた。



『ケッ、他愛もネェ……。さぁてっと……野郎ども! 最後の仕上げだ、落とし前付けさせっぞ!! 糞餓鬼どもに徹底的に生き恥を晒してやれや!! 』


 

 こうして叩きのめされた彼等は全員丸裸にひん剥かれると頭髪を全部剃られてしまい、最後に村の広間でさらし者にされる。


 その中でも、特に一心に散々痛めつけられた張闓は、端正な顔が原形を留めぬ程に腫れ上がり、あちこち赤や青の色鮮やかな痣だらけにされていて、極めつけに彼だけ逆さ磔にされていた。哀れな事に、彼は己の象徴を丸出しでさらけ出されてしまい、村中皆の笑い者にされていたのである。



『おぉ~!! 悪たれ張闓がキ○タマ丸出しにされてるぜ!! 』


『何々、『右の者達、人のふぐり(・・・)を齧る鼠にて成敗致し候 劉伯想とその一味』だってよ! 』


『劉伯想って、あの玄徳ちゃんの従兄って言う最近来た若い男だろ? 』


『ああ、腕っ節が強く度胸もあって気風も良いし、おまけにお供の連中も中々のモンだってさ 』


『こいつぁいい!! お役人よりずっと信用できそうだぜ! 伯想様万歳ってとこだよな? 』


『ザマァミロ!! 普段から悪い事ばかりするからこんな目に遭わされるんだよ!! 』


『おかあさん、あの人のオチ○チン、お父さんのより皮が余ってるよ? 』


『見ちゃ駄目よ! でも、ププッ、いきがってた割には『お粗末』よね~? 』


『それ~! 悪たれ張闓のキン○マに石ぶつけてやれ~~!! 』


『もっ、もうっ、勘弁してくれ~~!! 』



  結局、彼等は村長や村の人達に泣いて謝り何とか許してもらうと、村からの追放と一生出入り禁止で済まされたのであった。ここで桃香が話を終えると、今度は村長が更に説明を付け加える。



「あの後じゃ……あいつ等を村から追い出し、家に戻ってみれば、張闓がいたんじゃよ。奴は家中を荒らしておったんで、儂が怒鳴りつけると慌てて逃げよった。そして…… 」


「義姉上のお母君の形見の剣の片割れが無くなっていたと? 」



 愛紗が自分の推測を述べると、彼はそのまま深く頷き、再度桃香に深々と頭を下げる。



「そうじゃ……玄徳、本当に済まない! 儂はお前の母に申し訳が立たんよ…… 」



 然し、桃香はにっこりと笑って見せると未だに自分に頭を下げる村長に優しく話しかけた。



「どうか頭を上げてください村長。良いんです、だって片方は無事でしたし、服や靴だって大丈夫だったじゃないですか? むしろそれより、これまでお母さんの形見を預かって下さり、本当にありがとう御座いました。張闓の事ですけど……これに関しては私が解決しなさいって言う事だと思います。彼とは何れどこかで会うかもしれません。だから、その時私は……母さんの娘としてやるべき事をするまでですから…… 」



 その言葉の中には、暗に『張闓を殺す』と言う意味合いが含まれていたのかも知れない。然し、彼も既にあの甥には見切りをつけており、奴の始末はこの際彼女に任せようと判断した。



「有難う、玄徳……。どうか儂や村の皆に成り代わり、あやつとの始末をつけて欲しい…… 」


「はい……必ずや 」



 涙を流しながら桃香の手を取る村長に、彼女は寂しげに笑って答えるのであった。そして、その後。桃香は簡大人から商売仲間の張世平と蘇双を紹介され、彼らから軍資金及び物資の提供を受ける。


 それらの目録も実に凄い物で、※3黄金千両、良馬五十匹、※4鋼千斤と、金の無い彼女等にとっては心強い援助になった。これらの物資は早速松花が管理する事になったのである。


 更に、村長は桃香達の義勇軍に入りたがっている数十名の男女を自分に引き合わせてくれた。男達には戦いに出てもらい、女達にはその他の雑務を担当させる事にしたのである。


 こうして、急ごしらえではあったが、桃香達四人は義勇軍の準備を進めていくのであった。



 一方その頃、照世の家にて。照世からの贈り物を前にして、一刀は驚きの余り目を見開いていた。堪らなくなった彼は、自分の隣で涼しげに微笑む照世に尋ねてみた。



「しょ、照世老師。この黒い鎧って、まさか……? 」


「フフッ、ご舎弟様が未来からもたらした『戦国武将列伝』でしたかな? この照世には大層興味を惹くものばかりでした。この黒い鎧ですが、ご舎弟様が着てみたいと言っていたのを思い出しましてな。ですから村の鍛冶師や職人達に無理を言ってもらい、何とか再現させてみたのです。それに、ご舎弟様の名は『北』で御座います。五行説では北を表す色は黒ですからな? 丁度都合が宜しいでしょう? 」



 さも、得意満面といわんばかりに、照世は白羽扇越しで笑みを浮かべる。興奮冷めやらぬ一刀は、鎧と共に用意された他の武具にも目を移した。



「鎧だけじゃない。戦国時代の※5大身槍(おおみやり)に、太刀と脇差に軍配、そして陣羽織まで……! 」


「馬上で扱う事を考慮致しましてな? ですから、騎馬武者が用いた位の長さにしておきました。刀の方ですが、『日本刀』の完全な再現までは行きませんでした。ご舎弟様の国の物より若干厚めになってしまいましたが、今はこれにてご容赦願いたいものです 」



 流石に、この時代での製鉄技術ではこれが限界だったのだろう。照世は少し顔を曇らせると一刀に頭を下げた。然し、そんな事は一刀には些細な事である。自分の事を慮り、この時代の最新技術を導入してこれらの物を作ってくれたのだ。一刀にはそんな彼の心遣いが物凄く嬉しかった。



「いえ、そんな事ありません! 照世老師、有難う御座います! ……然し、これを使うと言う事は、今日までの平穏な村の暮らしを捨て、明日からは戦乱に明け暮れる日々を過ごす事になるでしょう。でもっ! 俺は桃香の人生を、そして夢を見届ける為にここに来たんだと思ってます。だから……俺は俺を裏切らない為、照世老師が託して下さったこれらの武具を使わせて頂きます! 」



 拱手行礼で一刀が照世への感謝の言葉と自分の決意を熱く述べると、照世は目を細めて満足そうに頷いてみせる。彼はいつもの涼しげな口調でゆっくりと語り始めた。



「ご舎弟様、昨年この世界に来た時に比べると別人の様にご成長されましたな? 正直私は今でも不安なのです。この世界では『招かれざる客』でしかない私達がここまで干渉しても良いのか? 平和な時代で戦と無縁の生活を送っていたご舎弟様を、このような殺伐とした戦いの舞台に引っ張り出しても良いのか? と 」


「照世老師…… 」


「然し、私達もそうですが、ご舎弟様もこの世界に来たと言う事は、そこに何かしらの意味がある筈。一心様やご舎弟様は桃香殿を支え、見届けていく事に己が意義を見出されました。ならば、私達も貴方方と同じく桃香殿をお支えして、どのような結末を迎えるのか見届けようと思ったのです。それに、ここまで来た以上は無関係を装う事など出来ぬと言うもの……。やると決めた以上は、とことんやらなくては意味がありませんからな? 」



 そう言うと、照世は高らかに笑い声を上げ始める。それに釣られて一刀も大声で笑い始めた。かくして、一刀の楼桑村の最後の夜は更けていったのである。



――四――



 そこから一夜明けて、翌日の朝。村の広間には、簡大人が用意した物とか、自分の所有物と思われる槍や武器で武装した男女が約百名が集まっていた。これらは主に昨夜簡大人から紹介された村人達で構成されていたが、中には他所の村から来た者とか、旅の武芸者なども混ざっており、当初の数の二倍以上に膨れ上がっていたのである。


 彼らの前には、楼桑村義勇軍の総大将たる桃香を中心に、愛紗、鈴々、紫苑、雪蓮、蓮華、祭、明命、小蓮、翠、蒲公英、松花と、義勇軍の主要な人物達が横一列に並んでいる。


 彼女等は全員軍装に身を包んでおり、その姿を見た義勇兵達は、自分達の戦意が高揚するかのような気分になっていた。


 中心人物の桃香であるが、彼女は亡き母の形見の服を身に纏い、背には同じく形見の剣を挿し、腰には靖王伝家を佩いていた。


 そんな彼女の出で立ちを愛紗と鈴々、そして雪蓮や蓮華までもが興味深げに見詰める。


 愛紗と鈴々はいつもの出で立ちであったが、二人は青龍偃月刀と蛇矛をそれぞれの右手に勇ましく携えており、頼もしげな視線を桃香に送っていた。



「義姉上、とてもお似合いですよ? 義勇軍の総大将に相応しい出で立ちと言うものです 」


「うんうんっ、愛紗の言う通りなのだ。桃香お姉ちゃんかっこいいのだー! 」



 雪蓮と蓮華は、自分の軍装を兼ねた普段着を身に纏っている。実はこの服、何と祭がわざわざ長沙から持ってきてくれたのだ。特に蓮華はまだ成長段階と思われた為か、彼女の服だけは昨年着ていた物より寸法を少し変えていたのである。



「へぇ~、こうして違う服を着せただけでガラッと雰囲気変わるなんてね? 結構素敵じゃない、桃香。それに、これなら貧乏義勇兵と思われないし、下手な役人や将軍相手に舐められる事も少なくなるわね? 」


「ええ、姉様の言う通りだわ。今の貴女の出で立ちとっても素敵よ、桃香。これなら只の村娘と思われないし、他の皆も士気が鼓舞できるというものだわ 」



 四人に褒められ、桃香は照れ臭くなったのか、少し顔を赤くしてニコリと笑みを浮かべる。


 然し、彼女も褒められっ放しではない。桃香もこの孫姉妹の出で立ちをまじまじと見詰め返すと、彼女の視線に中てられてしまい、今度は雪蓮と蓮華が照れ臭そうに笑ってみせる。



「そう言う雪蓮さんも蓮華ちゃんも、かっこいい服を着てるじゃない。いつもかっこいい雪蓮さんが余計かっこ良く見えちゃうし、蓮華ちゃんもかっこいいよ? それと、その服おへそが見えるのが可愛らしいよね♪ でも……おなか壊さないかな? それ? 」



 先程でも出たが、現在雪蓮と蓮華が着ているのは、長沙で着ていた軍装を兼ねた普段着だ。雪蓮が着ている物は肩や胸元を大きく露出させているし、隠してる範囲も実に危なっかしい。只でさえ、彼女は長身で体型もメリハリがはっきりしたものであったから、健全な男子には結構刺激が強いものであった。


 然し、ここは温暖な南方の土地ではない、春先でも可也冷え込む北方の土地である。従って、彼女は軍装の上に一心が普段愛用している緋色の長衣を羽織っていた。この長衣、実は彼にとっての一番のお気に入りの物であったのだが、無理を言って貰い受けた経緯がある。後日、この緋色の長衣は彼女の象徴の一つにもなった。



「あはは、有難う。改めて言われるとなんか照れ臭いわね~。それと蓮華、確かにその服だとこっちじゃきついかもしれないわよ? 長衣でも羽織ったら? 」



 一方の蓮華であるが、彼女の方もこれまた凄い。頭には冠を兼ねた大きな髪飾りを挿し、着ている物は姉と違い裾が極めて短く、腹部が大きく開いた意匠になっている。その為、彼女の軍装は乳房の下側からへそにかけての部分がむき出しになっており、これも健全な男子どもにとっては目のやり場に困る服であった。



「はぁ~~、確かにこの服だと、ここじゃお腹が冷えるのよね……。後で長衣か※6戦袍(せんぽう)でも着ようかしら? 」



 そのやり取りを見て、気拙そうに祭が顔をしかめる。彼女は若しかすればと思い、主公青蓮の許しを得て彼女等の服を持ってきたのだ。だが、残念な事に、彼女は幽州が寒冷の地であると言う事をすっかり失念していたのである。


 

「ううむ……儂としたことがうっかりしておりましたわい、ここが寒い幽州であると言う事を忘れておりましたぞ 」



 そんな彼女に助け舟を出すべく、隣で控えていた明命が懸命に祭に言葉をかける。今回より明命は正式に蓮華個人の親衛に任命され、青蓮が用意させた明命専用の武具を祭に渡していたのだ。



「祭様、余り気にしない方が宜しいかと思うのです。明命は祭様に新しい武具を用意して下さりとても嬉しいのです!! 」



 彼女は普段着代わりにしていた軍装の他に、頭には鉢金を巻き、背には長い太刀を括り付け、両腕と両足には篭手と脛当てを装備しており、普段露出させていた手と足は黒い長手袋と長足袋ですっぽりと覆われている。


 そして左の太腿には革帯を巻きつけおり、そこには飛刀が幾つも括り付けられていた。そんな彼女の出で立ちであるが、一刀が見れば『くのいちみたいだ』と言うに違いないだろう。



「すまんのう、明命。お前はやっぱりええ子じゃのう…… 」


「ごろごろにゃーん♪ 」


 

 明命の一生懸命な姿に少し慰められたのか、祭は明命の頭を優しく撫でると、彼女は『お猫様』の様に目を細めてご満悦の表情になった。



「ううん。気にしないでいいのよ、祭? この服のお陰で私と蓮華は孫家の人間として戦えるんだから♪ 」


「ええ、姉様の言う通りだわ 祭のお陰で孫家の人間として戦場に立てるんだもの……。むしろ感謝しないと罰が当たると言うものよね? 」


「そう言って貰えますと、儂としては非常に嬉しい限りですなぁ。フフッ、これで気兼ねなく戦えますぞ? 」



 然し、雪蓮と蓮華はそんな彼女を咎めるどころか、むしろ感謝していたのだ。二人の言葉がありがたかったのか、祭は頬を緩めて肩の力を抜いてみせる。



「なぁ、いつになったら村を出るんだ? それに一心さんや一刀達もまだ来てないし…… 」


「うん、確か夕べは支度するから少し時間掛かるぞーって言ってたけどね、あのおじさん達 」



 いつもの軍装姿に鉢金を頭に巻いた翠が、少し苛つかせたかのように桃香達に話しかけてきた。彼女の後ろでは蒲公英が夕べの事を思い出しながら、退屈そうに自分の得物を弄んでいる。


 愛紗や鈴々は少し心配そうな顔になり、未だに一心達を余り信用していないのか、愛紗は不信感を露にし、鈴々は少し複雑げに顔をしかめていた。



「一体伯想殿達は何をしているのだろうか……。まさか、逃げ出したのではあるまいな? 」


「うーん、でも、鈴々にはあのおじちゃん達が約束を破る人とは思えないのだ 」



 雪蓮と蓮華も少し顔を曇らせ、自分達の想い人を心配する。雪蓮がボソッと思った事を言ってしまうと、蓮華は眉根を吊り上げて声を張り上げてしまった。



「そうね……。まさか、夕べ一心達に何かあったのかしら? 」


「姉様、出立前から不吉な事を言わないで下さい! 」


「義雷様……。いえ、絶対にあの方達は来ます! だって、幾度も村を守る戦いで先陣を切った方達なのですっ! だから、悪い奴らに後れを取る事なんかないのですっ!! 」



 明命も義雷の身を案ずるが、彼等への信頼の証だろうか、キッと表情を引き締めるとキッパリと言い放った。


 そんな風に皆が喧々囂々(けんけんごうごう)と騒ぎ立てる中、桃香だけはいつものようににっこりと笑っていた。



「大丈夫だよ、皆! だって、一心兄さん達はどんな時でも約束を守る人だもん♪ だから、待とうよ? 」



 桃香の言葉に皆が頷いたその時であった。



「あーっ! だれかきたよー!? 」



 璃々が村の入り口の方を指差して大声で叫ぶ。すると、朝日を浴びて二人の騎馬武者が姿を現した。彼らの姿を見た瞬間。周囲から感嘆の溜息が漏れ始める。彼等は馬を走らせ、桃香達の前に辿り着くや否や、馬から飛び降り名乗りを上げる。その正体は壮雄と固生の馬兄弟であった。



「馬伯起只今見参っ!! 待たせたな桃香殿! 今日より我等兄弟は桃香殿の力になろうぞ!! 騎兵の戦いなら任せておけ!! 」



 壮雄の出で立ちは前世での馬超そのものであった。身に纏った白銀の鎧の上には戦袍を羽織り、頭に被りしは白髪の装飾に獅子の面を模した獅噛兜(しがみかぶと)で、右手には剛槍を携えている。


 強さと美しさを兼ね備えた彼の風貌は、正に歴戦の勇将を髣髴させ、翠はその壮雄の出で立ちに僅かばかりの嫉妬と、そして羨望のまなざしを送る。



「あのアイツの出で立ち……あたしより凄そうじゃないか。どこをどうやったら、あんな風に化けるんだよ!? ハァ、あたしも壮雄みたいに強くてかっこ良くなって見たいな…… 」



 壮雄が桃香の前で拱手行礼を行うと、それに続き今度は固生が若々しい声で名乗りを上げた。



「馬仲山只今見参っ! 桃香殿、私も兄同様貴女の馬となり槍にもなりましょう! 桃香殿の為ならこの固生、どんな危険も冒してご覧に入れます! 」



 固生は何もかもが壮雄と正反対の出で立ちであった。控えめな色の鎧兜に、携えた得物は長刀と呼ばれる長得物の一種で『朴刀(ぼくとう)』と呼ばれる物だ。これは一般的に出回っている『環刀(かんとう)』と呼ばれる刀の柄を長くした物で、関羽が扱う青龍偃月刀の様な破壊力は無いものの、軽くて扱いやすく比較的大きい力で斬りつける事が可能である。


 兄に比べれば華美には欠けるが、装飾をあまり施さない鎧兜と実用的な得物を好む辺りに、彼の堅実で実直な人柄を窺わせる。蒲公英も先程の翠と同じ顔になっており、拱手行礼を行う彼の姿をじっと見ていた。



「はぁ~、固生さんって本当に地味で控えめだよね? だけど壮雄さんとの連携はいつ見ても凄かったし、固生さん一人だけでもめちゃくちゃ強かったしなぁ~。よーし、たんぽぽも負けてられないんだからねっ!? 翠姉様とたんぽぽだって凄いとこ見せてあげなくっちゃ!! 」



 馬兄弟が挨拶を済ませると、今度は馬に乗った永盛が桃香の前に姿を現す。彼の顔はいつもの達観しきったような年寄り臭いものではなかった。肌の血色は良く、眼光は鋭く、筋骨逞しい体からは絶える事の無い覇気が漲っている。今の彼は老熟しきった雰囲気の猟師ではなく、歴戦の古強者であった。



「黄国実、只今見参しましたわい。桃香殿、本日より儂はお主の弓になろうぞ! 何せ、同じ弓使いの紫苑殿や祭には負けたくないし、若い奴等に遅れを取る気もありませんからな! ※7飛将軍李広も裸足で逃げ出すほどの技をお見せしようぞ!! 」



 永盛の出で立ちも実に豪華な装飾が施された物であった。鎧兜は言うに及ばず、背中には矢筒を括り付け、腰には頑強そうな拵えの長弓を佩いていた。


 普通、騎射は邪魔にならぬよう短弓を扱うものだが、彼は長弓を佩いている。これは彼の自分の技への自信の表れと言ってもいいだろう。


 そして、右手に携える得物は大刀の一種である『象鼻刀(ぞうびとう)』である。これの特徴は、刀身の先が丸めた象の鼻を模した形状になっているところだ。


 得意満面で高らかに笑い声を上げる永盛の姿に、紫苑と祭はこの男が弓も近接戦も両方得意であると言いたげにしているのだと判断する。たちまち二人は笑みを浮かべるが、正直目だけは笑っていなかった。



「あらあら……永盛様ったら言ってくれますわねぇ? 然もあんな立派な得物まで携えていらっしゃるとは、余程斬り合いの方でも自信があるのでしょうか? 私達も舐められたものですわね? 」


「ふふふ……流石に儂が閨で惚れ込んだ漢だけあるのう……。その自信、閨の上でももちっと見せてくれれば嬉しかったんじゃがなぁ……。永盛め、後で干物にしてやるわい…… 」



 実に怖い笑みで紫苑と祭の二人がどす黒い物を周囲に撒き散らしていると、遠く離れた所から馬のいななきが高らかに聞こえてくる。


 一斉に皆がそちらの方を見てみれば、朝日を浴びて煌く白銀の鎧兜を身に纏い、右手には(しろがね)に輝く槍を携えた武者が白馬をこちら目掛け走らせてくるではないか。それらが醸し出す幻想的な光景は、昔話や神話に出てくる伝説の勇者や武神の出現の様に思える。


 やがて彼は桃香達の前で馬を止めると、華麗な身のこなしで颯爽と馬から降り、身に纏わりついた純白の戦袍を翻した。その際、兜に覆われた彼の美しく精悍な素顔が見えた瞬間、女性達の間から一斉に黄色い歓声が上がる。



「ちょっと、あれって子穹様じゃない? 」


「本当だわ! 子穹様よ!! 」


「あ~ん、普段も凛々しくってお美しいのに、鎧兜に身を包んだお姿も美しいって出来過ぎなんじゃない!? 」


「白銀の鎧兜に、(しろがね)に輝く槍……それに白馬だなんて、昔話に出てきそうだわ…… 」


「子穹様~~!! こっち向いて~~!! 」


「子穹様ぁ~~!! 」



 白銀の鎧兜を身に纏った武者の正体は雲昇であった。彼は桃香に拱手で一礼すると、凛とした声を高らかに響かせる。



「趙子穹、只今参上仕りました! 今日より私は桃香殿の槍になり楯にもなりましょう。我が身は全てこれ(たん)ならば、どんな強敵をも防ぎきり、百万の軍勢をも切り抜けて見せましょう! 」



 彼の述べる口上も本当に美しかった。身に纏った白銀の鎧兜だけではなく、右手に携えた銀の槍、腰に佩くは業物の剣と、何もかもが一つになって、雲昇という武人を構成している。桃香達は彼の出で立ちに思わず見蕩れてしまい、その中でも特に彼に想いを寄せ始めた小蓮の心を鷲掴みにしてしまった。



「はぁ~~、何て美しいんだろ? ウチの人間でもこんなにかっこ良く決めてるのっていないわよね? フフッ、シャオますます雲昇が欲しくなって来ちゃった♪ できるんだったら、シャオ個人のモノにしたいよなぁ~~♪ 」



 頬を紅く染め、惚ける様に彼に熱い視線を送る小蓮は目をキラキラさせており、口からはよだれを垂らして寝言を言う始末。こんな末妹の姿に二人の姉はすっかり呆れ顔になってしまった。



「はぁ~~小蓮ったら、もう少しキリッと出来ないのかしら? 確かに雲昇の鎧姿は夢中になれる程美しいのは判るんだけどね……。シャオの面食い癖は一体誰の遺伝なのかしら? 」


「姉様、小蓮に関しては……諦めた方が良いと思うわ。あの子の場合、男の人の基準はまず顔から始まるから……。確かに雲昇老師の鎧姿って素敵よね? もし、ウチに連れて来たとすれば母様辺りが喜ぶのではないのかしら? 」


「そうね……間違いないわ。そう言えば母様も面食いだったわね……。亡くなった父様が『男は心だー! 』って、昔泣いて叫んでたのがとても懐かしく思えるわ…… 」



 孫姉妹がぼやいていると、次は馬に乗った三人の人影が桃香達の前に現れる。悠然と馬を進める彼等の姿は、王者さながらの気風を漂わせており、彼等三人の姿に人々は息を呑む。


 三人の先頭を行くは額に白い模様が入った芦毛の馬に跨る一心、彼の後ろに従うは赤みを帯びた鹿毛(かげ)の巨馬に跨る義雲、続いて栗毛の巨馬に跨る義雷であった。


 この強い絆で結ばれた三人の義兄弟は、下馬すると桃香の前で拱手行礼を行う。まずは長兄の一心が、王者の貫禄を見せ付けるように威厳のある声を響かせた。



「劉伯想、只今参上仕った! 桃香、今日より私達三人はお前の家来だ。何なりと申し付けてくれ! そして、お前が描く未来を私達に見せて欲しい! 」



 一心は普段の長衣姿ではなく、頭に金の鉢金を付けた兜を被り、緑色を基調とした金の装飾が施された鎧を身に纏い、腰には※8『雌雄一対の剣』を佩いていた。彼のこの出で立ちであるが、前世で黄巾討伐の折に着た鎧を記憶を頼りに作らせた物である。


 一心が名乗りを終えると、次に義雲が低く響く声で名乗りを上げ、続く義雷も落雷の如き割れるような大声を轟かせる。



「関仲拡只今見参! 桃香殿、これよりわし等はお主の力になろう! お主の為ならわしは万々千々(ばんばんせんせん)の敵兵を屠って見せよう!! 」



 義雲は普段着ている濃緑色の長衣の下に鎧を着込んでおり、普段被っている同色の頭巾には鉢金と房飾りが取り付けられていた。そして彼が右手に携えしは『冷艶鋸』と銘打った重さ八十二斤の青龍偃月刀。愛紗の持っているものに比べれば華美さに欠けるが、その大きさと威圧感は彼女の物を大幅に上回っていた。



「張叔高も只今見参! 桃香ちゃん、兄者同様宜しく頼むぜ? 俺がいるからにゃ、桃香ちゃんには指一本触れさせねぇっ!! 思いっ切り大暴れしたらぁっ!! 」



 義雷は巌のようなごつい体の上に直接鎧を纏っており、その為か普段より彼の物凄く太い腕が剥き出しになっている。頭に被った紅い頭巾には鉢金が取り付けられており、右手には※9一丈八尺の蛇矛を携えている。鈴々の蛇矛と違い、一切の装飾は施されてはいなかったが、刀身の鋭さや威圧感はこちらの方が上であった。


 名乗りを終えた三人が優しい笑みを桃香に向けると、彼女は嬉し涙を流してしまい、思わず彼等は苦笑いを浮かべた。



「一心兄さん、義雲兄さん、義雷兄さん、ありがとう、本当にありがとう……。私、とっても嬉しいよぉ…… 」


「おいおい、折角人が真面目に決めてやったんだ? 泣く奴があるかい、本当に世話がかかる妹だぜ…… 」


「はっはっは、最初の内から関羽殿や張飛殿を困らせるでないぞ? そなたは兄者の様に堂々としてれば良いのだ 」


「おうよっ! 兄者達の言う通りだぜ! 折角可愛い妹二人もこさえたんだ。ハナっから手ぇ焼かせんのは野暮ってモンよ! バーンと胸張ってきな!! 」 



「義雲様……見事な武者振りで御座いますわ。亡きあの人を益々思い出してしまいます…… 」



 義雲のその出で立ちに亡き夫を思い出したのだろうか、紫苑がそっと涙を流すと、義雲は彼女の方を向き優しく微笑んで見せる。



「紫苑……。一度戦場に出るからには、わしはそなたの事も護って見せよう。わしは璃々の父でもあるし、そなたの『夫』でもある積もりなのだからな 」


「あっ…… 」


「おうおう、惚気させてくれるのう~ 」


「もっ、もうっ、祭さんったら。からかわないで下さいましっ! 」



 意表を突くかのような彼の告白に、紫苑が頬を紅く染めると、彼女の隣では祭が顔をにやつかせて茶々を入れる。彼女は怒った素振りを見せるが、顔が笑っている辺りに満更でもなさそうなのが窺えた。



「義雷様~~! その出で立ち、ますます大虎猫様ぽくって素敵なのです~♪ 」



 お猫様中心の判断基準の明命が、無邪気な笑顔で義雷の武者姿に彼女独特の感想を言うと、彼は苦笑いを浮かべる。



「おいおい、そりゃあねぇだろう。明命ちゃん? 『大虎』なら判ンだけど、『大虎猫様』はねぇだろう? それじゃまるで俺がでけぇドラ猫みてぇじゃんかよぉ~ 」


「はいっ! 義雷様は、昔ウチの近所に君臨していた『大虎猫』様にお顔と雰囲気がそっくりなのですっ!! 」


「あっ、そう…… 」



 明命がきっぱりと断言すると、義雷はガックシと肩を落とす。彼は『俺も変な子に懐かれちまったなぁ 』と心の中でため息を吐いてしまった。


 然し、そんな彼等を否定的に見る者達もいた。愛紗と鈴々である。二人は彼らの姿に思わず顔をしかめてしまい、それぞれ義雲と義雷に刺々しい視線を送る。



「あの男、関仲拡殿と言ったか。私と同じ姓だけでなく、得物まで同じとは……風貌は異なるのに、何だか自分の偽者を見ている気分だ……。どうも解せぬな…… 」


「あのおっちゃん、何だかずるいのだー!! 絶対に鈴々のまねをしてるのだー!! う~~!! 」



 然し、彼女らを諌めるが如く、雪蓮が二人に話しかけてきた。彼女は柳眉を吊り上げ二人を一瞥する。



「関羽、張飛。アンタ達二人が最初からそんなんでどうすんのよ? アンタ達は義姉妹の誓いを交わしたのは昨日今日の話でしょ? 一心達と桃香はそれより以前の付き合いなんだから、信頼を寄せるのは当然の事じゃない? 自分が義姉と慕う人物が信頼する漢達を二人が信頼しないで何になんの? それって、かえってあの娘を悲しませる事になるのよ? 余計な邪推はやめるべきじゃないかしら? 」



 雪蓮に一喝され、二人は少し落ち込む素振りを見せる。然し、それもホンのちょっとの事で、二人は表情を切り替えると雪蓮を真っ直ぐ見つめ返した。



「真に申し訳ない伯符殿。貴女が諌めて下さらなかったら、私と鈴々は考え違いを起こすところだった。本当に感謝します……義姉上が信頼される人物を私達が信頼しないで何になりましょう…… 」


「鈴々もなのだ、伯符のお姉ちゃん本当にありがとうなのだ! 鈴々も桃香お姉ちゃんを信じるのだ! 」



 二人の言葉に雪蓮はにっこり笑うと満足そうに頷いて見せる。そして彼女は二人に真名を預けると、愛紗と鈴々も彼女の要望に答え、二人とも雪蓮に真名を預けたのである。



「はい、良く出来ました♪ そ・れ・と♪ 今度から私を呼ぶ時は『雪蓮』と呼んでね、お二人さん♪ 」


「判りました雪蓮殿、ならば私の事は『愛紗』と呼んで下さい 」


「判ったのだ、雪蓮お姉ちゃん。じゃ、鈴々の事は『鈴々』と呼んでいいのだ 」



 一旦はこの場を上手く収めたものの、実は雪蓮も愛紗や鈴々と同じような疑問を何気なく胸中に抱き始めたのである。彼女は未だに桃香と談笑する一心達三人をじっと見詰めていた。



(何となくだけど……桃香達と一心達ってどこか似通ってるわね? 姓も同じだし、義雲と義雷が扱う得物も愛紗と鈴々と同じ物だわ……。一心って一体何者? やめだわ、やめ。馬鹿馬鹿しいわよね、こんな事考えたってどうにもなる訳ないじゃない。だったら、一心といちゃつく方がずっと前向きというものだわ )



 然し、そんな事を考えてみたところで何の意味も無い。かぶりを振ってそれらの疑問を消すと、いつもの様に一心にしなだれかかって見せた。



「一心~♪ 一体どこで手に入れたのその鎧? 随分決まってるじゃないの 」


「まぁな……ちぃと簡大人の仕事手伝ってきたから結構な金貰ったんでな。いつかこんな日が来るんじゃねぇかと思って、用意しといたのよ 」



 すると、雪蓮は悪ふざけするかのように、彼の耳に唇を寄せる。次に彼女が紡ぎ始めた言葉に、一心は呆れ顔になってしまった。



「ねぇ、母様に会うまでの間に本気で『子作り』しちゃおっか? 私と一心の子供なら、一代の英傑が生まれるかもしれないわよ? 」


「おいおい、ンな真似できる訳ねぇだろ? 普通祝言挙げる前に子供こさえるか? そんな事したら、おいらが文台さんに殺されちまわぁ 」


「あら、だったら、その時は駆け落ちするしかないかしら? お互いに家を捨てた者同士の男と女、乳飲み子を抱えて辿り着いた安住の地は誰も寄り付かぬ辺境……。やがて月日は流れ、青年になった子供は天下統一の兵を挙げる……。それも良いかもしれないわね? 」


「何だ、そりゃ……。何でいつの間に話がソッチにまで飛んでんだよ…… 」



 勝手に雪蓮が将来の物語をでっちあげていると、蓮華がこめかみに青筋を立てて彼女を睨み付け、祭は頭が痛いといわんばかりに顔をしかめていた。



「姉様……まさか今の話、本ッッッ気で考えていた訳じゃないんですよねぇ……? 仮にそうだったとしたら例え姉様でも…… 」


「策殿……。儂は長年孫家にお仕えして参りましたが、今日程策殿に呆れてしまった事は御座いませんぞ? 今の話、文台殿や亡きお父上が聞いたらどんな顔をする事やら…… 」



 二人から漂う殺気と呆れに、雪蓮は思わず後ずさりしてしまい、引きつり笑いを起こしていた。



「え、えぇ~と、そのぉ、やぁね、冗談よ冗談!! 二人とも、まさか今の本気と思ってないわよね? 」


 

 何とかこの場を上手くやりぬけられないかと言葉を考えるが、中々いい言葉が思いつかない。彼女は破れかぶれで適当な言葉を叫んだ。



「あっ、誰か来た! 」



 雪蓮があさっての方向を指差しながら叫んだ言葉がこれである。蓮華と祭は思いっ切り長いため息を吐いてしまった。



「姉様、もう少し上手い言い訳を考えたらどうです? そんな見え透いた手に引っかかるほど…… 」


「どうなされた? 蓮華様? 」



 蓮華がめんどくさげに姉が指差す方を振り向いてみれば、彼女はそのまま固まってしまい、祭は不安そうに彼女を窺った。



「嘘……本当に誰か来たわ 」


「ほう……どうやら策殿の申される事もあながち嘘ばかりではありませぬなぁ? 」


「あ……本当に誰か来た 」



 続く雪蓮も、自分が適当に指差した方を見て思わず呆気に取られる。何故なら、彼女が指差す方から、三人の人影がこちらの方へと向かってくるではないか。彼等は桃香達の前で歩みを止めると、三人一斉に拱手して一礼する。その正体は正装姿の照世、喜楽、道信の三人であった。



「徐季直、只今参上致しました。桃香殿、本日より我々は貴女の為に策を献じましょう。我々三人を、どうか己が耳目にして頂きたい 」



 道信はいつもの平服姿ではなく道服を着ており、その上には簡素な鎧を纏っている。頭には黒く染め上げた綸巾(かんきん)を被り、腰には剣を佩いていて、右手には小さな杖が握られていた。



「龐統伯も只今参上。桃香ちゃん、俺は今酒を作ってる最中なんでね。君が自分の夢を果たしたら、完成させたそれを皆で飲み分かちたいと思ってるんだよ? だからさ、俺達にその酒を飲ませてくれないかな? 無論、その為なら照世や道信と共に適切な策を練るつもりだよ? 」 



 喜楽はいつもの飲んだ暮れ姿ではなく、頭髪もきちんと整えられており、頭巾(ときん)も清潔な物を着けていた。服装もヨレヨレのだらしない物ではなく、折り目の正しい道服に変わっている。手には照世が一刀用に作った軍配と同じ物が握られていた。



「諸葛然明、只今参上致しました……。桃香殿、本日より私達三人は貴女を智でお支えしましょう。(いにしえ)の※10管仲(かんちゅう)や※11楽毅(がくき)の如く、桃香殿の為に智を巡らしましょう…… 」



 照世の正装姿は一際目を引くものであった。頭に青く染め上げた綸巾を被り、純白の鶴氅(かくしょう)をゆったりと着こなしていて、その出で立ちは右手に持った白羽扇と相まっている。そんな彼の正装姿は、見た者全てを彼が古の太公望か高祖劉邦を天下へと誘った張良の再来と思わせる程の神々しい雰囲気が漂っていた。



「あっ……!! 」



 照世の姿を見た瞬間、ふと雪蓮の脳裏にあの時の事が蘇る。それは、昨年楼桑村に来た最初の夜に見た、あの幻影(まぼろし)の彼の姿と瓜二つだったのだ。


 そして、消した筈の疑念が再度彼女の中に蘇る。彼と一心の間に何か強固な関係があるのは確かだろう。然し、あの幻影の一心はどう見ても皇帝の正装姿だ。もしかすると、彼らはこの世界の人間ではないのかと思うようになってしまう。


 だが、彼女はそこまで考えると、先程と同じくかぶりを振って馬鹿馬鹿しいと自嘲気味に笑い、再びこれらの疑念を自分の中から追い出した。



(はぁ~~。何馬鹿な事考えてるんだろ? 駄目ね、雪蓮。そんな事どうでもいいじゃない。だって、今の私は目の前の一心という漢に心底惚れちゃったんだから! それに、彼らがどんな事をするのか間近で見てみたいじゃない!? こんな素敵な事を台無しにするなんて野暮のする事ってものだわ! )



 ちまちま考えたり、無闇に人を疑うのは自分の性に合わない。なら、自分は桃香とこの漢達が作る夢と言う名の物語を見てみたい。出来る事なら、その物語の登場人物にもなってみたいと思うようにもなる。雪蓮は玩具を欲しがる子供の様に目をキラキラとさせていた。後日、この時の考えが彼女の行動に多大な影響を及ぼすのである。



「照世さん達も本当に有難う御座います……。照世さん達のような知恵者が三人もいれば、私達が道に迷う事も無いですよ。宜しくお願いしますね。ところで……一刀さんがまだ来てないようなんですけど? 」



 照世達に感謝の言葉を述べた後、桃香はこの中で一番会いたい人物の名前を挙げる。彼女は落ち着かない素振りで、首をキョロキョロと左右に動かし一刀の姿を探し始めると、照世と一心が互いに顔を合わせてしたり顔でニヤリと笑う。そして、一心がニヤニヤしながら口を開いた。



「ああ~~~北の字か? アイツなら今近くの村々回らせてそこをねぐらにしてる子分どもを集めさせてる。流石にこの人数だけじゃ物足りねぇしなぁ、そろそろ来ると思うぜ? 桃香も蓮華ちゃんもあんにゃろ見たら惚れ直す事間違いなしだぜぇ~? 何てったって『照世ぷろでゅうす』って奴だからよ! 」



 得意満面で一心が一刀の世界の言葉を交えながら言うと、続く照世も意地悪く笑みを浮かべながら、ゆっくりと話し出す。



「フフフフフ……桃香殿。ご舎弟様のお姿に度肝を抜かれますな? 無論、蓮華殿もです 」


「へ? 」


「え? 」



 二人の言葉に桃香と蓮華はキョトンと小首を傾げた。一体彼に何をさせてるのか? 期待半分不安半分といったところだ。



「むっ……あれは? 」



 何かに気づいたのだろうか、雲昇が村の入り口の方に視線を向ける。それを皮切りに皆が一斉に彼に続いた。


 入り口の向こうには、最初はおぼろげな点しか見えなかった。然し、徐々にその点は増え始め、いつの間にか旗や槍らしきものが見え始める。そして、ついにそれはちょっとした軍団の形に膨れ上がった。



「あっ、あれは…… 」


「まさか…… 」



 集団の先頭を切って進む一騎の武者を見た瞬間、桃香と蓮華は期待で胸を膨らませ始める。黒毛の巨馬に跨った彼は漆黒に染め上げた甲冑を身に纏い、その上には純白の陣羽織を羽織っていた。甲冑と同色の兜は三日月形の金の前立てが飾られており、それは朝日の照り返しで眩しく煌いている。右手に携えた剛槍はまだ血を吸っていないが、可也の業物と思われた。


 彼の後につき従う一心の子分達は皆精悍な顔つきをしており、手に持った得物に統一性が無く、鎧を着ている者もまばらだ。だが、一つ号令がかかれば彼等は無駄の無い動きをするであろう。そして、彼等が手に持った旗を見た瞬間、桃香はさらに驚きで目を見開く。


 

「あっ、あの旗ってまさか……私の、旗なの? 」


「ええ、『劉』の字だわ。桃香、貴女の旗印よ? 貴女がこの軍団の総大将たる証だわ! 」



 その旗は緑地に『劉』の字が大きく書かれていた。桃香は思わず呆然としてしまい、蓮華は我が事の様に大層喜ぶと彼女の手を強く握り締める。


 こうしている内に軍団は村に到着し、先頭の武者は兵を待機させると自分一人だけ桃香と蓮華の(もと)へと馬を寄せ、拱手行礼の後に面を上げた。彼の顔を見た瞬間、二人は嬉しさで顔を綻ばせる。



「やっぱり……一刀さんだったんだね? その鎧変わった形をしてるけど、物凄く似合ってるよ? 」


「一心さんや照世老師も案外意地悪な真似をするのね? 一刀にこんな回りくどい登場をさせるなんて……かっこつけ過ぎじゃない。でも、私も桃香と同じよ。一刀、その鎧姿とても似合ってるわ。まるで貴方が着る為に作られてるみたい。それに違和感も全然無いわ 」


「二人とも、有難う……。でも、まだ着慣れてないのもあるから正直恥ずかしいんだ。だけど、あんまり褒めないでくれよ? ずっこけたらかっこ悪いし、結構重いから起き上がるの大変なんだぜ? 」



 その鎧武者の正体は他ならぬ一刀であった。彼が身に纏う鎧は、一刀が所有する戦国武将関連の書籍に掲載されていた戦国大名『伊達政宗』の『黒漆塗五枚胴』、通称『仙台胴』を再現させた物である。この世界に召喚されて間もない頃、一刀は照世に自分の所有物である教科書とか戦国武将関連の書籍を一緒に読んだ事があった。


 それを読み続けてると、伊達政宗の甲冑が掲載されてるページをめくった時に、一刀は悪戯半分で『着る事が出来るのなら、こう言うのを着てみたい』と彼に言ったのである。その後、照世は何度か一刀の本を拝借し、鎧の形を絵に写すと村の鍛冶師にそれを見せて、出来るだけ同じ物を作らせたのだ。


 次に陣羽織、これは一刀が以前着ていた聖フランチェスカの制服を模した物である。最高級の絹布を下地に使い、襟の部分を青く染め、金糸で縁取りが施されていた。


 校章は流石に刺繍されなかったが、その代わりに背には北郷家の家紋である十文字紋が刺繍されている。余談であるが、胸や裾のポケット部分まで再現されていた。また現物の方は既に着る事が出来なくなっていたのである。


 その出で立ちに身を包んだ彼が、楼桑村義勇軍最後の将でもある彼が、真っ直ぐ二人を見詰めると最後の名乗りを上げた。



「主公、大変遅くなり申し訳御座いません。劉仲郷、只今参上致しました! ……桃香、俺は君との誓いを今こそ果たすよ、最後まで見届けるってね。だからその時まで、いやその後も俺は君の傍にずっといるよ。あと、蓮華……。俺はあやふやなまま、君とも関係を持ってしまった。だから、この責任は必ず取る!! だって、俺は君達を愛したいからっ!! こんな欲張りな俺だけど、この気持ちに嘘偽りは無いっ!! 」



 漆黒の甲冑を身に纏い、名乗りを上げる彼の姿に桃香と蓮華は心を打たれた。普通に考えれば『二股宣言』も甚だしい所である。


 然し、三人はあの森の泉で運命的な契りを同時に交わしてしまった。この時から三人は互いを運命共同体と言わんばかりに意識するようになっていたのである。現に夜の営みも三人同時が主であるのだが、これは余談であった。



「有難う、一刀さん。私の思いがどの様な結末を迎えるかわからないけど、ちゃんと見届けていてね? それと蓮華ちゃんとの事だけど……いいよ、私あの時既に諦めてたんだ。それに良く言うよね? 『英雄色を好む』って!! むかぁ~しの人ってイイ格言を残したよね? そう思わない? 蓮華ちゃん? まさか、一刀さんがあんな真似するだなんてね? とんだ浮気者だよ…… 」



 最初は優しく微笑んで見せたものの、段々と桃香の言葉に低気圧が生じてきた。彼女は怖い笑顔で蓮華に振ると、続く彼女も実に怖い笑顔で応じる。



「フフフッ、そうよね……。まさか私達が好きになった一刀が真性の『度好色(すけべい)』だったなんてね……。まさか、私達に隠れて他の娘に手を出していたなんて思いもよらなかったわ…… 」


「と、桃香? 蓮華? 」



 一刀は内心焦っていた。まさか成り行きで翠に手を出したのがばれたのではないのかと思ったからだ。現に翠の方も顔を青くしている。彼女は愛馬に跨りこの場から逃走しようとしていた。



「どこへ行くのかなぁ~~? 翠ちゃん? 」


「翠……出立の号令はまだ出ていないわよ? 貴女一人だけどこへ向かおうって言うの? 」


「ギクッ! 」



 手綱に手をかけようとした瞬間、翠の背後からオッソロシイ二人の声が飛んでくる。彼女は馬上で固まると、ギギギと音を立てながら後ろを振り返った。すると、そこには嫉妬の炎を燃やす二匹の修羅が満面の笑みを浮かべているではないか。



「えぇ~と、そのぉ~~、あのぉ~~~ 」


「駄目だよぉ~~? 逃げたって無駄なんだからぁ~~!! 」


「ええ……、どうしてこうなったのか『私達』に事情を説明してもらわないといけないわねぇ…… 」



 義勇軍出立の筈が、いつの間にか陳腐な昼ドラ以下の痴話喧嘩になりかけている。一刀も翠もどうすれば良いんだろうかと収拾がつかなくなってしまった。



「オイッ! そこの少年少女! 痴話喧嘩の続きなら、今晩閨の中でやんな!! 皆しびれ切らしちまってるぞ!! 早く出立の号令を掛けろい!! 」



 すると、いずこからか救いの神の手が差し伸べられる。その神とは他ならぬ『俺達の兄貴』一心兄さんであった。彼は日本の『扇子』をばたつかせており、それには真っ赤な日の丸と『天晴』の字が描かれていた。


 これは、一刀の持ってた馬鹿殿ネタの漫画を読んだ一心が、その馬鹿殿の所持品である扇子を大層気に入り、照世に頼んで作らせた物である。そんな彼の一喝を受け、当事者たる四人はすっかり縮こまってしまい、その姿は愛紗と鈴々を始めとした他の面々を呆れさせ、義勇兵の間からは失笑が飛び交っていた。



「義姉上、お気持ちは判りますが、早々に出立しましょう。皆が待っております 」


「愛紗の言う通りなのだ、桃香お姉ちゃん。仲郷お兄ちゃんの取り合いっこなら後でやればいいのだ 」


「ごめんね、二人とも……はぁ~~情けないお姉ちゃんだよね? 私って…… 」



 二人の義妹にまで諭されると、桃香はカクンと両肩を落としてしまうが、すぐに自分の両頬を勢い良く叩いて見せると、キリッと引き締めたものに表情を戻す。



「ッ~~~!! これで良しっと! 」



 こうして桃香は後ろを振り返り、両の瞼を閉じるとすぐさま勢い良く開眼する。すると一斉に兵達の笑い声や私語が止まった。


 今の彼女は痴話喧嘩に興じていた年頃の少女ではなく、一心に負けぬ程の威厳を漂わせた王者のものに変わっていたのである。彼女は両腕を広げると、自分の言葉で演説を始めた。



「皆、今日は私達の義勇軍に参加してくれて本当に有難う! 私は上手い事言えないけど最後まで聞いてね? 今この国は大変な事になってるの! お役人様は年貢を不当に取り立てたり、悪い人達は好き勝手に暴れるし、その結果『黄巾賊』が国中を荒らし回ってるよね? あの人達の気持ちは何となく判るつもりだけど、こんな事しても間違ってるよ!! だって、あの人達も結局盗賊と同じ事をしてるだけなんだもんっ!! だから、私は絶対にあの人達を許しておくわけにはいかないのっ!! これ以上間違った事を続けさせてはいけないんだよっ!! 」



 そこまで言い切ると、少し息切れを起こしかけたのか桃香は一息入れて呼吸を落ち着かせる。そして再び演説を始めた。 



「でもね、私はこの義勇軍に参加してくれた皆が同じ考えの人達だけとは思ってないよ? だって、お金、名誉、地位と皆それなりに戦う理由があると思ってるから。だけど、少しの間だけで良いの!! 黄巾賊をみーんなやっつける時まで私達に手を貸して欲しい!! どうか、どうか皆さん宜しくお願いしますっ!! 」



 彼女が演説を終えると、場は静寂に包まれる。然し、いずこからか拍手が飛んでくるとその波は徐々に広まり、最後には拍手から(とき)の声へと変わっていた。  



『良い演説だったぞ玄徳ちゃーん!! 』


『そうよ、中々言ってくれるじゃない!! 』


『俺達は黙ってお前についてくぞー!! 』


『楼桑村魂、いや幽州魂見せたろうじゃねぇか!! 』


『黄巾野郎がなんぼのモンじゃーい!! 』



 彼等が意気揚々と上げる歓声に、桃香は胸が一杯になるとついには泣き出してしまい、何度も彼らに頭を下げて感謝の意を示す。



「あ、有難う……。皆、本当に有難う!! 」


「義姉上、出陣前に涙は禁物です。ささ、これで顔をお拭き下さい 」


「有難うね、愛紗ちゃん 」


「桃香お姉ちゃんは泣き虫なのだ 」



 愛紗から手拭を渡されると、桃香はそれで涙を拭きにっこりと笑ってみせた。鈴々は顔をにやけさせて茶々を入れるが、彼女も満更ではなかったようだ。



――五――



「行くぞ、皆の者! 出立せよ! 総員出立!! 」



 義勇軍の副将たる愛紗が桃香に成り代わり出立の号令を下す。馬に乗れる者は張世平と蘇双が用意してくれた馬に跨り、残った馬は貴重な物資を運ぶ荷駄の方に回された。


 周囲が慌しく出立の準備を進める中、義雲と紫苑の仮初の『夫婦』は簡大人に愛娘璃々を預けており、二人は彼女と出立前の最後の挨拶を交わしていた。



「璃々、わしと母さんはこれから長らく家を空ける事になる。お前には大変辛い思いをさせると思うが、簡おじさんの言う事をちゃんと聞くのだぞ? 」


「璃々、私とお父様はこれから璃々達を護る為に戦わなくてはならないの……。それが終わったらお迎えに来ますから、ちゃんとお利口さんにしてるのですよ? 」



 自分に優しい声を掛ける両親に、璃々は懸命に涙を堪えていた。



「うっ、うんっ、璃々、ちゃんとおりこうにしてるから、だから、おとうさんもおかあさんもぶじにかえってきてね? 」



 義雲は満足気に頷くと、璃々を高らかに抱き上げ肩車をする。幼い彼女の視界にはどこまでも高い青空と白い雲が広がっていた。



「うわぁ…… 」



 璃々が嬉しさで頬をほころばすと、義雲はズイッと空を指差す。



「良いか璃々。辛い事や悲しい事があったら、空を見上げるが良い。青い空が母さんで、白くて大きい雲がわしだ。わしと母さんはいつでも璃々の事を見守っておるぞ? 」


「あおいそらがおかあさん、しろくておおきいくもがおとうさん…… 」


「うむ、そうだ! わし等はいつも璃々と一緒だぞ? 」


「うんっ! 璃々ちっともさみしくないよ! だから、ちゃんとおるすばんしてるね? 」



 満面の笑みで璃々が頷いてみせると、義雲は無言で頷き返し、後ろに控える紫苑はそっと服の袖で涙を拭うのであった。


 こうして、璃々や簡大人に村長を始めとした村人達の見送りを受け、楼桑村義勇軍は村を出立する。将である桃香達は全員騎乗し、彼らの先頭を突き進んでいたが、何故か鈴々だけは違っていた。



「やーまがあるからやまなのだー♪ 」


「ブヒブヒ♪ 」



 何と、彼女だけは※12(ぶた)に跨って行軍していたのである。簡単な理由を言えば、小柄すぎた彼女に見合った大きさの馬が無かっただけであった。



「あはは、可愛い子猪(こぶた)ちゃんだよね? 」


「ええ、こればかりは仕方がありません。鈴々に合う馬が無かったのです。伯起殿(壮雄の字)の馬小屋にも子馬が無かったので、やむを得ませんでした 」


 

 桃香や愛紗達は微笑ましくそれを見ているが、義雷だけは違っていた。彼はこの世界の自分自身のハチャメチャ振りに物凄く落胆していたのである。



「兄者、義雲兄貴……俺、もうコイツ嫌ンなってきたぜ……。よりにもよって(ぶた)なんてよう~ 」



 (ぶた)に跨り、適当な歌を口ずさみながら行軍する鈴々の姿に、前世の張飛こと義雷はガックリと肩を落としていたのだ。



「まぁ~、あんまし気にすんなってモンだ。あの子が猪だろうが犬コロに跨ってようが、おめぇにゃ関係ねぇ事だろうがよ? 案外いい組み合わせかも知れねぇぜ? (ぶた)も意外と足が速いしな? 」


「兄者の言う通りだぞ? 仮にあの娘があれで武功を挙げようものなら『猛猪将軍マンチュウジァンジュン』呼ばわりされるかも知れんが、お前までそれ呼ばわりされる事は先ず無いから安心するが良い 」



 二人は慰めの言葉を言った積もりなのかも知れない。然し、それは逆に彼にとっては火に油を注ぐ結果になったようだ。



「なっ、二人ともひでぇ!! それって慰めになってねぇじゃんかよ!! 」


「おお、怖い怖い。やっぱおめぇはそん位ぇ怖い方が『らしい』ってもんよ 」


「全くですな。義雷の場合はこれ位威勢が良くないとらしくないというものです 」


「ちっくしょー!! こうなったら、あのチビッ子以上に大暴れしたらあっ!! 待ってろ黄巾野郎!! 」



 やけっぱちで義雷が声高に叫ぶと、一心と義雲は高笑いを上げる。義雲が冗談で言ったこの『猛猪将軍』のあだ名であるが、後日これが本当の事になってしまうとは、この時彼らは微塵にも思っていなかった。



「義姉上、これからどうなされますか? 」



 愛紗が桃香の隣に馬を寄せながら尋ねて来ると、桃香は少し顎に手を添えて考える素振りを見せる。そして、彼女の方に顔を向けるとこう答えた。



「うん、道中で出会った黄巾賊や盗賊なんかをやっつけながら、州都のある広陽(こうよう)郡に行って見ようかと思うの 」


「州都? 何故ですか? 」



 桃香の返答に愛紗が眉を潜めると、彼女はにこっと笑って言葉を付け加える。



「実はね、さっき諸葛老師が教えてくれたんだけど、今回の黄巾騒動で幽州全部の郡の太守さんたちが軍を率いて州都に集結してるの。その中には私と昔一緒に勉強した子がいてね、公孫伯珪ちゃんって言うんだ 」


「公孫伯珪……もしや『白馬長史』の事では? 白馬陣で鮮卑どもを蹂躙したという勇将ではありませんかっ!? 」


「そうそうっ! 愛紗ちゃんも知ってたんだね? 」



 桃香の言葉の中に、有名人の名が出てくると思わず愛紗は声を上げてしまい、彼女は満足そうに頷いて見せた。



「義姉上がそんな人物とお知り合いだったとは……義姉上の人脈の広さには感服いたします 」


「私と一緒に遊んでいた伯珪ちゃんがあんなに立派になったんだもん。友達として嬉しいよ。もし、誰かに協力するとしたら私は伯珪ちゃんに協力したいの。いいかな? 」



 自分を窺ってくる桃香に、愛紗はフッと薄く笑みを作ると優しげな声で言った。



「良いも何も……この軍の総大将は義姉上、貴女なのです。私に聞かずとも義姉上が決めた以上私達は黙って貴女について行きますよ? 」


「有難う、愛紗ちゃん。それじゃ全軍に通達! これより広陽郡は(けい)県に向かうってね? 」


「はっ、畏まりました! 伝令っ!! 田国譲はあるかっ!! 」



 愛紗はキリッと顔を引き締め、直ぐ様伝令担当の田国譲を呼ぶ。すると、直ぐに馬に乗った彼女が愛紗の傍に馬を寄せた。



「田国譲参上しました! お呼びでしょうか、雲長様! 」


「我等はこれより広陽は薊に向かう! 全軍に伝達しろ!! 」


「はいっ! 」



 愛紗から命令を受けると、彼女はそれを直ちに実行するべく馬を走らせ全軍に行き先を告げる。この時伝令を勤めたのは楼桑村出身の田豫(でんよ)で、字を国譲(こくじょう)と言った。彼女はまだ十五歳の少女で、桃香の人柄に惹かれ義勇軍に参加した。


 桃香や一刀だけでなく国譲も照世達の私塾で文武両面に磨きをかけた人物の一人で、師の彼等からは将来を嘱望されるほど期待を寄せられていたのである。一方の彼女も桃香を生涯の主君に見立てて夢を思い描いていたのだが、後日ちょっとした事が切欠でその夢は破られてしまった。


 国譲が慌しく全軍に行き先を告げる中、桃香はチラッと後ろの方を見やる。そこでは漆黒の具足姿の一刀が蓮華と馬を並べて何やら談笑していた。



「一刀さん……今晩閨の中で蓮華ちゃんと一緒にちゃーんと説明してもらうからね? 」



 そう語る桃香の顔には、『女の怖さ』が滲み出ているのであった。



――終――




「……ックショイ!! 」


「一刀、どうしたの? まさか風邪でも引いたとか? 」



 突然くしゃみをした一刀が馬上で身震いさせると、蓮華が心配そうに彼の顔を窺うが当の本人は軽く笑って見せた。



「いや、何でもないよ。誰か俺の噂でもしてるのかな? 」


「そう、なら良いけど……。ねぇ、一刀。翠の件どうするの? まさかお手つきして『ハイサヨウナラ』って訳にはいかないんじゃないのかしら? 」


「そうだなぁ……。正直どうするか迷ってる。あの時、思い出をくれって言われてつい手を出してしまった。我ながら情けないよ 」



 自嘲気味に一刀が笑ってガックシ肩を落として見せると、蓮華はため息を吐いて呆れ顔になってしまった。



「はぁっ、仕方ないか……。じゃ、これからどうするか一緒に考えましょ? 無論、桃香も交えて今晩閨の中でね? 」


「……イイッ!? 」



 思わぬ彼女の言葉に一刀が顔を引きつらせると、蓮華は馬をさらに寄せて彼の腕を掴んだ。



「これ以上増やすなとは言わないわ。私だって『この世界』に生きる女だから、男の女の有様だって判ってるつもりだもの……だけど、無責任な真似だけは許さないから…… 」



 僅かに口元に笑みを浮かべるだけの彼女の台詞に、一刀は自分の心の中に何か『真っ黒い物』が降りてくるかのような気分になる。たちどころに彼は顔を青くさせた。


 そんな一刀の様子に少し溜飲が降りたのだろう。蓮華は彼の腕から手を離すと、悪戯っぽく笑って見せた。



「アハハッ、少しは気が晴れたわ。さぁ、一刀。今は黄巾賊の事を考えましょう? 当面の問題はそっちなんだし、女の子のお尻を追い掛けるより黄色い頭巾を追いかけないとね? 」


「そうだな、蓮華の言う通りだ。女の子の事は……何であれどうれあれ、『責任』は取る。だから、それをじっくり考えられるように当面の黄巾賊を殲滅させないとな! 」


「ええっ、その通りよ。だから一刀……私の背中、貴方に預けるわ。私も貴方の背中を護るから 」


「有難う、任せといてくれ!! 蓮華もその言葉忘れるなよ? 」



 自分をじっと見つめながら優しく微笑む彼女に、一刀は力強く頷き、彼は漆黒の胴に覆われた己の胸をコンと叩くと、二人の前方の方から何やら声が飛んでくる。二人だけで話をしているのが面白くなかったのか、桃香がムスッとした顔をこちらに向けていたのだ。



「ちょっとー! お二人さーん? 何二人でいい雰囲気作ってるのかなー? もうっ……! 」


「ははっ、ゴメンゴメン。今からそっちに行くよ 」


「ごめんね。私だけ一刀を独占しちゃったみたい。桃香ー! 今から私達もそっちに行くわ! 」



 一刀と蓮華は互いに笑い合うと、二人は桃香の方へと馬を走らせるのであった。


 現在、『蒼天(すで)に死す』と黄巾賊は高らかに謳い上げているが、それを真っ向から否定するかのように空はどこまでも青かった。


 空を漂う大きな雲は天女の衣の様に真っ白で、日輪は神々しい光を発し、天を明るく照らす。それは、まるでこの少年少女達のこれからの行く末を示している様にも思えた。


 ふと、一刀はその天を見上げ、一人そっと呟く。彼の目には炎が宿っていた。



「天よ、どうか俺と桃香達を見守っていてくれ……。彼女の描く夢がどのような形になるのかを……! 」



 それは、愛馬黒風(ヘイフォン)に跨り漆黒の甲冑に身を包んだこの十八歳の若武者の決意の表れであった。この後一刀は武名を天下に轟かせ、ついには『劉家十二神将』の一人に名を連ねると、他家から『黒将劉仲郷』、『劉黒』の異名で呼ばれるようになる。この黄巾の乱は、その彼の出発点の一つにしか過ぎなかったのだ。



 真・恋姫†無双 ~照烈異聞録~ 第一部『楼桑村立志編』 ~終劇~




※1:今作では一銭=約三百円。従って、十万銭だと約三千万円になる。


※2:『つづら』の中国語訳。


※3:この時代の両は重量の単位。一両は約十五.五グラム。一石(約二十九.七六キログラム)は四鈞、一鈞(約七.四四キログラム)は三十斤、一斤(約二百四十八グラム)は十六両、一両は二十四銖になる。余談だが、当時黄金は一両で一万銭、良馬に到っては八千~二十万銭の価値があった。


※4:後漢時代の重量の単位の一つ。一斤は二百四十八グラム。関羽の冷艶鋸(青龍偃月刀の銘)は重さ八十二斤であるから、約二十キログラム前後になる。


※5:極めて穂先の長い槍の事。概ね刀身三十センチ以上を大身槍と呼ぶ。


※6:鎧の上に着る衣類の類。陣羽織もこれに該当する。今作でのイメージではマントの事を指す。


※7:元々前漢の名将李広に恐れをなした匈奴が、彼を『飛将軍』呼ばわりした事が由来。弓の達人でもあった。同じ弓の名手で水滸伝の登場人物の一人花栄(かえい)も『小李広』の異名で呼ばれている。


※8:『雌雄一対の剣』とは、『双剣』と呼ばれる中国の剣の一種である。双剣の特徴は一つの鞘に二本の剣が収納される形になっており、通常の剣とは異なり、剣の片側が平らになっているのが特徴。二刀流のように一本ずつ独立した剣ではないので注意。


※9:一丈=十尺。今作では後漢の尺貫法を用いているので、一尺=二十三.三センチ。一丈八尺だと約四.二メートルになるが、三国志演義の作中では四.四メートル前後である。


※10:春秋時代(紀元前770年~403年)の政治家。斉の桓公に仕え、彼を斉国の一君主から天下人へと押し上げた名宰相でもある。同僚の鮑叔(ほうしゅく)とは終生変わらぬ友情で結ばれており、『管鮑の交わり』とまで呼ばれるほどの美談になる。『衣食足りて礼節を知る』の元になった言葉を自らの著書に残した。


※11:戦国時代(紀元前403~221年)の武将。燕の昭王に仕え、当時の宿敵であった斉国を滅亡寸前にまで追い込んだ名参謀。諸葛亮は自分自身を先程の管仲とこの楽毅になぞらえていたと言われている。


※12:中国では「猪」も「豚」も同じ「猪」と呼んでいる。

ここまで読んで下さり、真に、真に大感謝致しますっ!!! 


 今回の最終話ですが……一番最初に久しぶりの華琳様。彼女も三国志の英雄の一人ですし、きちんとスポットを当てようと思いました。『太平要術の書』のネタですが、原作準拠にしました。彼女と黄巾討伐を結びつけるアイテムですからね。


 オリキャラ登場は卞氏ですが、これはれっきとした曹操の妻の一人です。歌伎上がりで卑しい身分の出でしたが、曹操に見初められ、ついには魏初代皇帝の曹丕を始めとした沢山の子宝に恵まれました。


 恋姫に彼女の存在が無いのが変と思いましたので、出す事にしてみました。外見イメージですが、もろ愛紗です。髪を下ろしたッぽい感じの。ですから、声優イメージも同じ方にしていますが、黒河奈美さんの持ち役の一つ『夜明け前より瑠璃色な』の穂積さやかの方のような、静かな感じのイメージで固めてます。


 あ、無論名前の『澄玉』はオリジナルですので、信じないでくださいね?(苦笑)卞氏に関しては名前が不明なものですから、澄んだ(ぎょく)と、女性っぽいものにし、真名は歌伎上がりを髣髴させるものにしました。


 桃香の服と剣の設定ですが、これも私の完全なオリジナル設定です。剣を捨てた女の娘だからこそ、ああ言う教えを受けたって感じの方が良いかなって思いました。


 あと、張闓に関してですが、これは三国志演義を知ってる方ならご存知の名前かもしれません。曹操のお父ちゃんを殺した陶謙の部下で、元黄巾賊の肩書きを持っています。彼はある意味典型的な悪役ですし、桃香と何かの絡みを持たせたいなと思いました。すると、昔見たアニメ版の話を思い出し、これらを引用させ、あの様な話にしてみたわけです。アニメ版を見た方なら、張闓の元キャラが誰か判るかも知れませんね?(苦笑)


 そして、旗揚げ直前の新生劉家軍の前に集う蜀の英傑達!! このシーンの描写、滅茶苦茶書きたかったんですよ!!


 萌えキャラ揃いの恋姫たちの前で颯爽と名乗りを上げる、コーエー三国志や長野剛(コーエー三国志のパッケージイラスト描いてる方)風味の漢達!! ここら辺の対比を色濃く描きたかったんです!! ある意味ここが一番の肝だと思っています。


 そして、一刀の武者姿……地元の英雄という贔屓目も会ったんですが、戦国時代の甲冑で、あれが一番作りやすそうかなぁ? って甘めの判断もありました。悪乗りしたかなと思っていますが、後漢の甲冑姿よりは、戦国時代の当世具足を着せたいと思いました。それと、恋姫の世界観はちょっと武具の考証もぶっ飛んでるので、これ位ならイイかなと思ってます。後は、アニメ版のネタや、どこかで見たようなネタをちらほらちりばめましたね。



 さて、今回で取り敢えず照烈異聞録も一旦おしまいです。しばらく第二部の為のネタを考えたいのでお休み致します。いつかまた、近い内にお会いいたしたく思います。


 それでは、また~~!! 不識庵・裏でした~~!! 再見!!

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