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真・恋姫†無双 ~昭烈異聞録~   作者: 不識庵・裏
第一部「楼桑村立志編」
13/62

第十二話「黄巾の影」

 どうも、不識庵・裏です。何だかんだと前回投稿から一日二時間ほど時間を割いてグダグダと書き連ね、ようやっと先ほど仕上げる事が叶いました。


 私の作品は他の方のように華やかさはありませんが、それでも自分なりの色合いを濃く出せるように踏ん張っております。


 今回は……何て言えば良いのか言葉が思いつきません。ですが、読んで頂ければありがたく思います!

 一刀達が初めての戦いを経験したあの日から、幾つかの月日と季節が流れ、楼桑村は新たな春を迎える。一刀は十八歳になり、桃香と蓮華は十七歳になった。


 この頃になると三人は戦いの恐怖に怯まなくなり、冷静に敵に当たれるまでになっていた。今日に到るまで楼桑村は度々匪賊の脅威に晒されたが、その都度彼等は果敢に敵を討ち果たし場数を踏み続け、心身ともに更に逞しくなっていったのである。


 雪蓮達は長沙に戻る事無く、ずっと楼桑村に居続けていた。その理由は、一刀や一心が長沙行きに首を振ってくれなかった事と、孫権こと蓮華が長沙に送った便りに、母孫堅こと青蓮からの返書にしたためられていたものであった。内容は以下の通りである。



『ここ暫くの間に『黄巾党』なる匪賊の集団が急速に膨張して国中を跳梁跋扈しており、その影響で長沙の郡内も治安情勢が非常に悪化している。従って、雪蓮、蓮華、明命の三人はそれが沈静化するまで暫く楼桑村にて待つ事。私も急遽朝廷の命で討伐の軍を挙げる事となり、その間留守は美蓮、蓮蕾、藍蓮の三人に任せてある。もし、何かあった時はそちらに文を送るように。いずれ、二人が善き人を連れて長沙に戻ってくる日を楽しみにしている。 雪蓮と蓮華へ、貴女達を心から愛する母より 』



「なっ、何これ!? これって暫く帰ってくんなって事!? 」



 これには、流石に天真爛漫を地で行く雪蓮も呆れ顔になったものである。この頃の彼女達は、手持ち無沙汰では申し訳ないと言う事で、時には野良仕事を手伝ったり、またある時は桃香や松花の家業を手伝ったりして、そこから僅かばかりの分け前を貰って生計を立てていたのだ。



「姉様? どうかなされましたか? 」



 声と共に、すっかり村娘の姿が板についた蓮華が、盆の上に載せた茶を運んでくる。この頃の彼女は桃香から貰った普段着を着用していた。


 雪蓮は無言で自分がさっきまで読んでいた文を彼女に手渡す。蓮華は合点がつかない表情でそれを受け取り、目を通してみると、彼女は眉をひそめて声高に叫ぶ。



「なっ、こっ、これは……!!  」



 驚きの余り蓮華が絶叫すると、雪蓮は肩を竦めた。



「全く……どうやら『黄巾党』って賊どもがあっちこっち暴れ回って治安が悪くなっているから、落ち着くまで戻ってくるなって……要するに、当面ここにいなさいって事よ。それにしても、母様ったら、簡単に言ってくれるわよねぇ~ 」



 呆れ顔で雪蓮が言うと、彼女に合わせるかのように蓮華が言葉を続ける。



「然も、美蓮(めいれん)蓮蕾(れんらい)、そして藍蓮(らんれん)叔母様の三人に留守を任せて、母様自身が軍を率いて賊の討伐に当たるって……これって相当深刻なのでは? 」



 今、蓮華の言葉に上がった美蓮と蓮蕾であるが、この二人は雪蓮と蓮華の妹で、三女の孫翊(そんよく)と四女の孫匡(そんきょう)の事である。


 蓮華のすぐ下の妹に当たる美蓮は、姓を孫、名を翊、字を叔弼(しゅくひつ)と言う。彼女は母親譲りの勇猛さと血気盛んさを大いに受け継いでいたが、感情に走ることが多く、おまけに学問が苦手で、拙い事に性格が災いしてか冷静な判断が出来ない。


 孫家の重臣で、美蓮の教育係を勤める海棠(はいたん)こと朱治(しゅち)は、以下の様に孫翊の事を評している。


『武勇だけは青蓮様や雪蓮様と肩を並べるが、それ以外は勢い任せで、堅実に物事を考える蓮華様の足元に及ばない 』


 次にその妹の蓮蕾であるが、彼女は姓を孫、名は匡、字を季佐(きさ)と言う。こちらは先程の孫翊とは逆に、控えめな人柄であった。言い方を悪くすれば地味であるのだが、姉孫翊に比べれば冷静に物事を考える事が出来る人物である。


 然し、蓮蕾の教育係でもあり、孫家四天王筆頭の(えん)こと程普(ていふ)は、彼女について以下の様に手厳しい評価を下していた。


『雪蓮様や蓮華様より賢く、聡明だが、遠慮が過ぎて相手に強く言う事が出来ず、大役を任せられる頼もしさが無い 』


 だが、雪蓮の親友であり、孫家の次世代を担う参謀の一人でもある冥琳こと周瑜だけは、二人に前向きな評価を下していた。それは以下の通りである。


『美蓮様と蓮蕾様に関してですが、一人だけなら雪蓮や蓮華様には劣ります。ですが、お二人で力を合わせ、互いの欠点を補えば雪蓮や蓮華様に匹敵するでしょう 』


 余談であるが、蓮華と美蓮、そして蓮蕾の三人は三つ子で従っていずれも現在十七歳。産まれた順で姉妹の順番が決められ、その結果姉妹順で一番上の蓮華が妹たちを差し置いて母や重臣たちから英才教育を一番施されたわけである。


 そして、最後の藍蓮(らんれん)は青蓮の妹の事で、姓を孫、名を静、字を幼台と言う。彼女は姉青蓮とは異なり、勇猛さには欠けていたが、姉より行政手腕に長けていた。然し、家中きっての保守的な考えの持ち主で、その為か家の方針を巡り、改革的な考えの姉と何度も衝突する事があった。


 然し、だからこそ青蓮はそんな妹に絶大の信頼を寄せており、賊討伐や反乱鎮圧の遠征で出兵の際には、必ず彼女に留守居役を任せていたのである。然し、雪蓮と蓮華は余りこの叔母が好きになれなかった。余りにも保守的過ぎる故に、いずれ家を割る事をするのではないのかと危惧していたのである。


 おまけに留守役に到っては、自分より未熟な妹達にその叔母と来ている。正直蓮華は今すぐにでも長沙に戻り、妹達に成り代わりたくなってきた。



「姉様、暫くここにいるしかないのかしら? こんな手紙を読んでしまったら、気が気でならないわ。一刀の事が物凄く気になるけど、長沙に戻りたくなってきたし…… 」


「うーん、多分だけど、もう少し待てば好機が来るんじゃないのかな? それに、母様も言ってたでしょ? 今の治安情勢は良くないって。だから、安全に戻れる時期を待つべきよね  」



 これからの行く末を案じたのか、蓮華は顔を曇らせるが、雪蓮はいつものようにあっけらかんな態度で、彼女の肩をポンと軽く叩く。



「好機が来るって……それって、もしかしていつもの『勘』なのかしら? 姉様 」


「そっ、『勘』よ、『勘』♪ 一心や桃香の台詞じゃないけど、こう言う時こそデーンと構えるモンよ♪ それじゃ、私は松花(簡雍の真名)のとこに行ってくるから 」


「え? 松花に何か? お酒でも買いに行くの? 」


「そんな訳無いでしょ、松花のとこで喜楽が熱心に『米と麹のお酒』……『清酒(チンチュウ)』って名付けてたけど、それを試行錯誤してるのよ。なんせ、私達居候だから、こう言う仕事は積極的に協力しなきゃね♪ じゃあね、蓮華ちゃん♪ さぁ~てお仕事、お仕事♪ 」


「ハアッ、要するに只酒を飲みに行くだけじゃない……。姉様ったら、こう言う時もお気楽なんだから。フフッ、だけど姉様の言う事も一理あるわね。今はデーンと構えてようかしら? 」



 右手をひらひらさせながら、足取り軽く部屋を後にする姉の後姿を、ため息一つ吐き、蓮華はクスッと笑いながら見送った。思えば彼女も長沙にいた頃に比べると大分変わったものである。当時は自分自身の立場に押し潰され掛けた印象が強く、肩肘を張って生きていた傾向があった。


 然し、夢の導きで楼桑村を訪れ、彼女は一刀と桃香と言う掛け替えのない想い人と親友を手に入れた。そして、更に一心を始めとした人物達と触れ合うようになり、彼女は彼らから様々な刺激を受ける。それの影響か、いつの間にか蓮華は人生と言うものをもっと広く見渡せるようになり、余裕を持って物事を考えられるようになったのだ。



「おや、蓮華殿。ここに居ましたか 」


「あっ、道信老師。何か御用でしょうか? 」



 開いた扉の隙間から顔を覗かせ、一心の知恵袋の一人である道信が声をかけてきた。蓮華と明命はあの賊との戦い以来、己自身を鍛えなおすべく、一刀や桃香と同じく一心の仲間達に師事していたのである。従って、元々真面目な性格の彼女は先生を意味する『老師』の敬称で彼らを呼んでいたのだ。



「真に申し訳ないが、子供達の勉強を見てやってはくれませんかな? 今日は私の受け持ちなのだが、最近外が矢鱈と物騒との事で、急遽村の大人達に武芸の指南を行う羽目になってしまったんだ。頼む! 駄賃は弾むので! 」



 両手を合わせて懇願する彼の姿に、蓮華は少し考えると、にっこり笑って指を三本立てて声高に叫ぶ。



「※1三十銭! 只でさえ、今月はお金のやり繰りが大変なのです。これ以上は、例え老師と言えども負かりません! 」



 すると、道信は腕を組んで少し唸る。そして、諦めたのか、苦笑して肩を竦めて見せた。



「やれやれ……蓮華殿も金勘定に手厳しくなられたようだ。判りました、三十銭でお願いしましょう 」


「フフッ、私だって少しは揉まれましたから……それでは、不肖孫仲謀。徐老師に代わり子供達に学問を教えて参ります♪ 」



 そう言うと、蓮華は道信から教材用の書物を受け取り、足取り軽やかに家を出る。そして照世達の家に入り、子供達が待つ部屋へと向かおうと思ったのだが……。何故か廊下には水の入った手桶を持った翠と蒲公英が立たされており、彼女等は首から何やら字が書いてある板を下げていた。それらにはこう書かれている。



我授課中ウォーショウカーチュン偸吃便當トウ・チー・ビエン・ダン(講義中、私は早弁をしました) 』


我授課中ウォーショウカーチュン打瞌睡了ダー・クァ・シュイ・ラ(講義中、私は居眠りをしました) 』



「ハァ~ッ……。翠、蒲公英、また性懲りも無くこんな事していたの? これじゃいつまで経っても武威に戻れないわよ? 」



 書かれていた内容を読み、蓮華が盛大にため息を吐いてみせると、それにカチンと来たのか、二人は眉を吊り上げ喚き立てた。



「あのなぁ、蓮華。あたし達は元々学問向きじゃないんだよ! 大体母様が無茶な要求するのがいけないんだ! 」


「そーだよ、そーだよ! 翠姉様の言う通り! たんぽぽ達は蓮華姉様や桃香姉様に一刀お兄様の様にお勉強できないもの! 」 


「何度も聞いてるわよ、その言い訳……おまけに二人とも額に墨がついてるじゃない。あっ、そういう事か。二人は道信老師に筆を当てられたのね 」



 呆れ顔になった蓮華が二人に指摘して見せると、忽ち彼女等は口を(つぐ)んでしまう。すると、蓮華は駄目出しと言わんばかりに言葉を続けた。



「以前、私は二人に言ったわよね? 貴女達も私と同じで将来は家をまとめたり、支えていかなくてはならない身分だって。いつまでも故郷に居る時と同じでは、琥珀様の期待を裏切る羽目になるわ 」


 

 翠と蒲公英に顔を近づけ、蓮華は二人の額に付けられた墨をじっと見ると、呆れ顔で更に言葉を付け加える。



「それと、道信老師の撃剣は明命が習いたがる程、可也の腕前よ? 雪蓮姉様だって避けられなかったし、筆で済んだだけでもありがたいと思わないと駄目ね? 」


「むむむ…… 」


「うぅ~ 」



 痛いところを突かれ、馬家の二人の姫君は只唸る事しかできなかった。



「わっ、判ったよ……ちゃんと勉強するって。ったく……夜毎桃香と一緒にあんにゃろと閨で乳繰り合ってるくせに…… 」


「うっ、うんっ。蓮華姉様、たんぽぽちゃんと勉強するね! ……蓮華姉様なんか、夕べも桃香姉様と一緒に一刀お兄様の閨でアハンウフンと甘い声上げていたくせに…… 」



 二人は、不承不承頷いて見せるものの、それぞれ説教を噛ました相手への陰口をボソッと呟く。だが、聞こえていたのだろうか。次の瞬間、こめかみに青筋を浮かべ、蓮華は実に『イイ笑顔』になった。



「どうやら、二人は反省が足りないようね? 判ったわ、これから義雲老師と義雷老師のお二人に、『特別課程』で貴女達を『揉んで』貰うようにお願いしてくるから 」



 彼女が放った言葉に、翠と蒲公英は一気に顔を青くする。何故なら、二人は一心の義弟二人を始めとした六人の豪傑に腕試しをして、結果彼らにケチョンケチョンに伸された苦い記憶があったからだ。


 それ以来、二人は六人に武芸を師事しているのだが、彼等の課す鍛錬はいずれもきついものばかりで、『錦馬超』と謳われた翠も音を上げる位だ。


 特に、義雲と義雷が課す基礎鍛錬はそれらの中でも一番きつい。一刀や桃香が黙々とこなしていく横で、蓮華と翠は何とかこなす事ができたが、蒲公英は早々に音を上げてしまった。


 従って、そんなおっかない二人の髭の大男の姿が彼女等の脳裏を過ぎる。忽ち二人の顔に泣きが入った。



「たっ、頼む! あたしが悪かった! 前言取り消すから、あの二人だけはやめてくれ! 特に義雷の拳骨は母様のより倍痛いんだよっ!! 」


「たんぽぽも悪かったから、義雲さんと義雷さんだけはやめてー!! 義雲さんのお説教は鷹那より長いし、睨みつけられると伯母様より怖いんだってば!! 」


「宜しい、じゃ、取り消しといてあげるわ。それと、勉強で判らない事があったら教えてあげる。今は無理だけど夜にでもね? 」



 泣きを入れて詫びる二人に蓮華は怒りを静めると、気遣うかのように心配そうな顔を二人に向ける。すると、翠と蒲公英は顔を綻ばせた。



「えっ、いいのか? なら、後で色々と聞きたいんだ! 」


「蓮華姉様、ホントにいいの!? 」


「ええ、別に『教えない』とは言っていないもの 」


「「やったー!! 」」



 身を乗り出してくる二人に、蓮華が破顔一笑で答えると彼女等は大声を上げる。



(ふぅ、今日も平和よね……出来れば、母様の文に出てきた『黄巾党』がこの村まで来なければいいけどな…… )



 はしゃぐ二人を他所に、蓮華は母の文にほだされ、長沙に戻りたいと思う反面。出来ればこの村で平和に暮らしていたいと、実に二律背反めいた事を思うようになっていた。


 然し、そんな彼女のささやかな願望が、近い内に打ち破られる事となるとは、この時微塵にも思っていなかったのである。




「若、弓の扱いが随分上達されましたな。儂は嬉しゅう御座いますぞ 」


「ええ、弓には自信がある私から見ても、結構な腕前ですわ 」



 弓の鍛錬を兼ねた狩りを終え、永盛と紫苑、そして一刀の三人は馬を並べ村への帰途についていた。永盛だけは一刀の事を『若』と呼んでいる。これに関しては自分の主公たる一心の弟になったと言う事で、彼なりのけじめのつけ方であった。



「やめて下さいよ、永盛老師。『若』だなんて、俺はそんな風に呼ばれるガラじゃないですって 」



 未だその呼ばれ方に慣れていないらしく、気恥ずかしさの余り一刀は頭を掻いた。



「いやいや、一刀様は儂がお慕いする一心様の実弟! 然も、儂等の恩人である桃香殿の恋人、いや夫になる人物! そのような人物をぞんざいに呼ぶ訳にはいきませんからな? 『若』? 」


「永盛様、一刀さんが困っていらっしゃいますよ? 」


「あ、あはははは…… 」



 ズイッと顔を近づけて熱弁を振るう彼に一刀は内心辟易する。この人物、前世で『老いて益々盛ん』と呼ばれた『黄老将軍』だけに、一回話し込むと実に長ったらしいのが欠点だ。


 ためにはなるのだが、延々と聞かされるし、何か不手際をやらかしたら、お説教の長さも実に甚だしい。然し、一刀はこの人物が嫌いではなく、むしろ好きだった。余談であるが、孫家の客人達に言わせると、『あの人見ていると、何だかウチに仕えている黄蓋を思い出すのよね 』との事。


 彼は他の人物と違い、一番人生経験が長い。従って、そこから来る経験談は実に内容の濃い物であった。一刀はお爺ちゃんっ子だったのもあったせいか、彼を見ていると、現代の日本で暮らしている祖父の顔をどこぞと無く思い出す。


 永盛は若い頃の武勇談や、失敗談を馬を歩かせながら一方的に延々と話し込み、それに対して二人は相槌を打っていると、何やら多人数に囲まれた二人の人影が見える。それを見た三人は話をやめると、怪訝そうに顔をしかめた。




「小蓮様、儂の傍から離れてはいけませぬぞ? 」



 囲まれた側の二人の内の一人がそう言うと、腰に佩いていた弓を取り出し、流れるような動作で矢を番える。その人物は熟女と言える年代の女性であった。


 若い娘の様な弾ける躍動感はないが、熟しきったその雰囲気が醸し出す独特の美しさと色気は、その域に達した者でなければ到底無理であろう。



「そう言う祭だって、無理しちゃだめだからね? 祭に何かあったら後でシャオが母様に怒られちゃうんだから 」



 『小蓮様』と先程の熟女『祭』から呼ばれた小柄な少女が、大きな戦輪を両腕でクルクルと回しながら不敵な笑みを浮かべる。彼女は可愛らしい意匠が施された『短弓(たんきゅう)』を腰に佩いていた。



「全く……儂はまだそんな歳ではないと言うのに。それにしても、こやつ等、女二人連れと甘く見て襲い掛かってきたか……。成る程、ならば甘く見た事を死んで後悔してもらおうかの!! 」



 周囲を取り囲む賊徒どもに睨みを効かせ、祭は狩人の顔に変わるべく猛々しく叫んだ。



「むぅ、どうやら追い剥ぎの類ですな。それも女二人連れを狙うとは、何とも露骨な……。どうやら親子連れのようですな? 然も、母親らしき女子が弓を構えておりますが……いやはや、『黄忠殿』に良く似ておられるわい 」


「いずれにしても放って置けませんわね……少し前までの私もあの方々と同じでしたから。早く助けないと取り返しのつかない事になりかねませんわね 」



 目前でのやりとりに、しかめっ面の永盛が言うと、少し前までの自分達の姿をあの二人連れに重ねたのか、紫苑も柳眉を吊り上げる。



「それじゃ、俺が斬り込みます! 永盛老師と紫苑さんは援護を! 行くぞ、黒風(ヘイフォン)! ハアッ! 」



 そう叫ぶと一刀は抜剣し、今にもあの二人に襲い掛からんとする賊徒目掛け、十八歳の誕生日に壮雄から贈られた黒毛の巨馬を走らせた。そんな彼の姿を見て、永盛と紫苑は肩を竦めて苦笑いを浮かべる。



「やれやれ……若も強くなられた。初陣の時とは別人のようじゃて…… 」


「桃香さんと蓮華さんも一刀さんと同じでしたけど、三人の間で何かあったのでしょう。あれからお三方とも吹っ切れたようですから 」


「そうじゃな、強いて言うなら、三人ともどこか『青臭さ』が抜けたような……? 」


「永盛様、それ以上『突っ込む』のは野暮ですよ? 」



 永盛が下世話な笑みを浮かべてにやけて見せると、紫苑はやや顔を赤らめて彼を窘める。だが、それもホンの一瞬の事で二人は一気に顔を引き締めると、それぞれ弓を取り出し矢を番え始めた。



「母親もガキの方も中々の上玉だ! とっ捕まえたら俺等で少し味見してから、奴隷商人に売り飛ばすぞ!! 」


「上玉の女は大金が入るからな! そうなったら『大賢良師』様にお会いする事が叶うぞ!! 」


「あぁ、俺達も黄巾党に入れる!! 」



 祭と小蓮の二人を前に舌なめずりしながら、十数人余りの賊徒達が得物を手にじりじりと迫ってくる。そんな彼等の姿に、二人は生理的な嫌悪感を覚えた。



「なっ、何なの、こいつ等! キモッ!! おまけにいつの間にか『親子』扱いされてるし……何だか複雑~! 」


「フフッ、そう見えても仕方がありますまい。それにしても、こやつ等何かの熱病に浮かされている様じゃな……常軌を逸した目をしておる 」



 それぞれ複雑な笑みを浮かべると、先手必勝といわんばかりに祭と小蓮は動き始めた。祭が最初の矢を放つと、一人が眉間を打ち抜かれて即死し、小蓮が両腕をかざして同時に戦輪を二つ飛ばすと、二人の賊がそれぞれ腕や足を斬られ、そこから血を噴き出しながら苦悶の表情でのた打ち回る。



「こっ、こいつ等……! よくも仲間をやりやがったな! 」


「もうっ、勘弁ならねぇ! 構わねぇ! 親子共々バラしちまえ!! 」



 怒気を露わに、賊徒どもは得物を手に一斉に襲い掛からんとしたが、その内の一人がいきなり白目を向くと何も言わずに前のめりになって倒れた。


 突然の出来事に祭と小蓮が驚きの表情を見せると、その倒れた男の方に目を向ける。そこには漆黒の巨馬に乗った一人の少年が、血染めの長剣片手に鋭い視線を賊徒どもにぶつけていた。



「その二人から薄汚ねェ手ェ引いて、とっととこっから失せやがれっ! さもねぇとテメェら……全員地獄で閻魔様のお裁きを受ける羽目になるぜ? ここが幽州一の※2(きょう)『劉伯想一家』の縄張り(シマ)だと知っての真似か!? 」 



 兄一心の脅し文句を真似た一刀が、得物片手に馬上で賊徒どもに睨みを効かせる。祭と小蓮は突然現れた乱入者の存在に驚きの表情になっていた。



「なっ、何っ!? 『幽州の劉伯想』だとぉ!? マズイ、コイツはマズイぞ! ここら辺一帯の侠を纏めている奴だ!! ここに居るのがばれたら俺達全員皆殺しだぞ!? 」


「ビビッてどうすんだよお前ら!? どうせハッタリだ、気にする事なんかねぇ!! そんな事よりも、コイツもバラしてあのでかい馬を奪うぞ。中々高く売れそうだしな 」



 『幽州の劉伯想』の名を聞いた瞬間、賊徒どもの間に動揺が走る。この頃、既に幽州に置ける一心の知名度は可也高くなっており、上は刺史から下は匪賊の間にまで知れ渡っていた。


 然し、動揺を見せたのも僅かの事で、彼等は直ぐに体制を整え直すと自分達の対象を祭と小蓮から一刀へと切り替え、彼を取り囲むように距離を縮める。 


 だが、今度は一刀の後方からヒュオウッと風切音を立てながら、物凄い勢いで矢が飛んできた。神速の速さで飛んできたそれは、それぞれ二人の賊徒の目や首に当たる。当てられた彼等は何も言う事が出来ず、そのまま冥府へと旅立った。



「ほう、儂等を助けてくれるあの孺子、ここら辺で名の知れた侠の手下のようですな? 然も、どうやら儂と同じ位弓に優れた仲間が他に二人おるようじゃ 」


「え? 祭、判るの? 」


「ほれ、あちらを御覧なされ 」


「あ、本当だ…… 」



 緊迫した空気の中で、祭がニヤリと不敵に笑い、彼女は一刀の後ろを指差す。小蓮が祭の指差す方を見てみれば、そこには馬上で弓を構える男女がいた。



「どれ、頼もしい援軍も来たようですしな。ならば儂等も一暴れしましょうかの! 」


「うんっ、まっかせといて! 」



 勇ましく祭が叫ぶと、小蓮も明るい声でそれに応える。祭の強弓(こわゆみ)がしなる度に敵が一人倒され、小蓮が戦輪を飛ばせばその都度二人の敵がなぎ倒される。一刀は愛馬の手綱を上手く捌きながら馬上で剣を振るい、一人一人確実に相手を斬り伏せて行った。



「このおっ!! 」


「おおっと! 」


「何ッ! かわしただと!? 」



 賊の一人が馬上の一刀目掛けて槍を突き出してくるが、彼はそれを難なくかわす。槍を突き出した男は驚きで目を見開いた。



「何だそれ? もしかして槍で突いて来たつもりかよ? 甘ェな! トンボ取りじゃねぇんだぞっ!! 」


「なっ! 」



 一刀は直ぐに手綱から手を離し、自由になったそれで槍を掴む。一呼吸置いた後に股に力を入れ、両足で愛馬の胴を強く挟んで体を固定させると、槍ごと男を持ち上げた。



「うっ、うわああああああああ!! 」



 槍ごと持ち上げられた男は、直ぐにそれを手放せば良いものを、無我夢中で槍にしがみついたままで宙に浮かされ、もがく様に両足をばたつかせていた。



「うおりゃああああああ!! 」


「あ、あ、へぎゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁ~~っ!! 」



 気合一閃、一刀は大声で叫ぶと槍を思いっ切り振りかざす。男は槍から手を放す形になり、その勢いで遠くへと放り投げられる。これは義雲と義雷による地獄の基礎鍛錬で膂力を鍛えた成果の現われであった。



「へぎゃがはっ! 」



 哀れ、一刀に放り投げられた男は受身すら取る事も叶わず背中から地面に叩き付けられ、全身を激しく打ち据える。潰されたかのような悲鳴の後に、白目を向いて口から泡を吹くと、全身をぴくぴくと痙攣させていた。



「どれ、イッチョ上がりだな…… 」


「……何とまあ、あの孺子。随分と滅茶苦茶な真似をしよるの? 」


「なっ、何なのアイツ!? もしかして化け物の間違いなんじゃない? 」



 一刀のこの離れ業に、祭と小蓮を含めた周囲に居た者達はこの光景に息を呑む。一刀は奪った槍を小脇に抱えると、愛馬をいななかせて突撃をかけた。


 彼の突撃が戦闘再開の合図となり、祭と小蓮は再び敵を蹴散らし始める。祭が一矢放つ度に小蓮が敵を牽制して、彼女の射撃を援護する。この二人の連携は見事なものであった。然し、目の前に夢中になっていた小蓮は、突如自分の背後に何やら気配を感じる。



「こっ、このおっ! 調子に乗るなよ! この牝餓鬼(メスガキ)がぁ!! 」


「ッ! 小蓮様ッ!! 」


「危ないッ! 早く避けるんだ!! 」 


 


 小蓮は、既に敵の一人が自分の背後に回りこんでいた事に気付くのが遅れたのだ。祭と一刀が声を上げるが、当の彼女は反応が鈍かった。




「なっ……キャアッ!? 」



 小蓮は後ろを振り向き、慌てて避けようとするが、既に相手は得物を彼女目掛けて振り下ろそうとしていた。然し次の瞬間、男は動きを止める。男の顔の横には、陽光に煌く鋭い槍の穂先が後ろから突きつけられていたからだ。



「なっ、何だと!? いつの間に!? 」


「……そこまでです 」

 


 穏やかな声とは裏腹に、男の背後で槍を突きつけるは白馬に跨った長髪の美丈夫。彼の姓は趙、名は空、字は子穹と言う。


 彼は自分自身を更に高めんと言う思いと、(かつ)ての己の名を髣髴させると言う意味合いを兼ねて、『雲昇』の真名を名乗った。


 この雲昇であるが、前世で趙雲と名乗っており、この世界に召還されてからも、嘗て天下を轟かせた武勇に変わりはなく、むしろ前世に居た頃より更に研ぎ澄まされている。


 また、彼は六人の豪傑たちの中では余り心のぶれを見せず、あらゆる局面に対応できる能力を備えており、一心を始めとした他の仲間からの信頼が一際厚かった。


 そして、雲昇は一心の仲間の中では一番の美男である。現に楼桑村だけでなく、周囲の村や城下町の娘達からも好意を寄せられており、彼宛の恋文も沢山寄せられていた。だが、雲昇自身は元々禁欲的な人物で、余り女性を近づけない事にしている。


 然し、律儀な性分の彼は、送られた恋文に対しては一通り目を通した後で、丁寧な内容で断りの返書を渡していた。そんな彼であったが、女性達からの人気は一向に衰えず、むしろ高まる一方だったのである。



「雲昇老師! 」



 頼もしい彼の姿を確認すると一刀は心躍らせ、その名を声高に叫んだ。雲昇は顔を少し綻ばせたが、またいつもの無表情に戻すと、淡々とした口調で得物を突きつけた男に言葉を続ける。



「大人しく観念なさい。ここで退くのなら良し、退かぬのであれば……貴方方を全て冥府へとお送りしなければなりません 」


「わっ、判った。言う通りにする。だから、殺さないでくれ! 」


「良いでしょう……ですが、その前に武器を全て捨てていきなさい。そのような物騒な物を持ち歩かれていては、こちらとしては堪ったものではありませんので 」


「……っ、判った! だからこれ以上は勘弁してくれぇ!! おっ、お前ら! 武器を捨てろ!! 早く捨てるんだよっ!! 」



 言葉の裏ッ側に籠められた殺気に中てられたのだろうか。生き残った者達は一斉に武器を捨てると、蜘蛛の子散らしで一目散に逃げていった。緊張が解けたのか、動けなかった小蓮はその場にへたり込んでしまい、只呆然と雲昇の端正な顔に見入っている。



「ふぅ……。最近この手合いが増えて困りますね……一心様に陳情して巡回の者達を増やさねば 」



 ビュンと槍を一振りさせ、雲昇は賊徒どもの逃げていった方角に厳しい目を向ける。後ろを振り返ると、自分の足元でへたり込んでいる小蓮の姿が視界に映った。



「おや? あぁ……大丈夫でしたか。お嬢さん 」


「え、えぇと…… 」



 安心させるべく、雲昇は小蓮に微笑みかけ、彼女を起こすべく優しくその手を取る。



「さぞ、怖かった事でしょう? 私が来なければ、貴女は冥府に旅立っていたのかも知れません……ところで、お嬢さん。きちんと立てますか? 」


「あっ…… 」



 彼の手が自分の手を取った瞬間、小蓮は顔を真っ赤にさせてしまった。



「おやおや……いつもはお転婆な悪戯娘の小蓮様が、まるで初心(うぶ)な小娘の様に顔を真っ赤にさせておる。まぁ、確かにあれ程の美しい(おのこ)はざらにおらんからの。儂も思わず目が入ってしもうたわ 」



 二人のやり取りを見て、いい物を見させてもらったと言わんばかりに祭は顔をにやけさせる。



「やれやれ、また雲昇老師の虜が又一人増えたか。雲昇老師も女の子泣かせだよなぁ~ 」


「若ーッ! ご無事でしたか!? 」


「一刀さん、ご無事でしたか? 」



 ぼやいて一刀が呆れ顔になっていると、永盛と紫苑がこちらの方に馬を走らせてきた。



「永盛老師、紫苑さん。俺は大丈夫です。女の子の方は雲昇老師が助けてくれましたし、こちらの女性も大丈夫みたいですよ 」



 二人に心配そうな顔を向けられ、一刀は笑顔で自分の無事を伝えると、それぞれ安堵の表情に浮かべる。そんな三人の方に祭が近寄ってきた。彼女は一刀達三人の少し前で立ち止まり、彼等を興味深げに見る。



「まずは礼を言わねばならんのう。お陰で無傷で済む事が出来た、感謝する。何せ、儂だけでなくお嬢様も居ったのでな。正直どうなるかと内心冷や冷やしておったのじゃよ 」



 祭は優雅に一礼して感謝の言葉を述べると、一刀達は穏やかに笑みを浮かべる。



「いえ、お気になさらないで下さい。たまたま狩の帰り道に通りかかっただけですので 」


(この女性、何だか喋り方が永盛老師みたいだし、見た目や雰囲気は紫苑さんに少し似ているな。それに、独特の褐色の肌……もしかして蓮華達と同じ地方の人かな? )



 彼女の女性らしからぬ喋り方と、熟成された独特の雰囲気は、二人の弓の師を髣髴させるものがあった。また、彼女の肌の色を見て、一刀は自分にとって大切な女性達を思い出す。



「そうそう、若の言われる通りじゃ。儂等は人として当たり前のことをしただけだからの 」


「ええ、仲郷さんと国実様の仰られる通りですわ。私も以前幼い娘と旅をして、ここで行き倒れになっていたところを助けられた事がありますもの。ですから、今の貴女のお気持ちは理解できますわ…… 」


 

 腕組みして永盛が頷き、紫苑は同情するかのように優しげな笑みを浮かべると、祭は両手を腰に当てて高らかに笑い声を上げた。



「はっはっは! 渡る世間に鬼は居ないというが、それを地で行く連中がいるとは。満更世の中も捨てたものではないのう! 」



 彼女はしばらく笑っていたが、やがて笑うのをやめると、表情をまじめなものに切り替える。



「さて、笑うのはここまでにしとこうか。実はここら辺に『楼桑村』と言う村があると聞いたんじゃが、もし知っておれば、そこまでの道を教えてもらえんかの? そこには儂等の尋ね人達がおるんじゃよ 」


「「「え? 」」」



 祭が尋ねて来た内容は、一刀達に驚きを与えるのに十分な効果があった。



(はぁ~~~何ていい男なの……まるで旅芸人一座の看板役者みたい…… )


「? 」



 小蓮は、自分に手を差し伸べる美青年の顔を間近に見て、姉達と比べれば残念な胸をドキドキさせていた。一方の雲昇は、頬を赤く染め呆けた様に自分の顔をじっと見る彼女に合点がつかないのか、僅かにだが首を傾げる。


 小蓮は名を尚香と言い、現在十四歳で孫家五姉妹の末妹だ。三女美蓮、四女蓮蕾、五女小蓮の三人は、母青蓮の愛情を一身に受けて育った。


 その為か、特に彼女は甘やかされたきらいがあり、長女雪蓮、次女蓮華に比べると我慢強さに欠け、少々の事で直ぐ癇癪(かんしゃく)を起こす悪癖がある。


 そんな彼女であるが、武芸と弓馬に秀でており、いつも弓を腰に佩いているので『弓腰姫(きゅうようき)』の異名で呼ばれていた。


 お転婆真っ盛りな彼女の武芸の師でもあり、筆頭武官の黄蓋こと祭は、小蓮の事を以下の様に評している。



『武芸では蓮華様より筋が良いし、飲み込みも(はよ)う御座います。ただ、美蓮様と同じ学問嫌いで、何よりも自制心が足りません。ですが、孫家の姫としての自覚を十分に持っておりますし、粗削りではありますが軍略の才も兼ね備えております。長い目で見てきちんと育ててやれば、いずれはお家に取って大切な人物になりましょう 』



 そう評された小蓮であるが、正直彼女は長女の雪蓮と次女の蓮華の事を『モンの凄く羨ましい』と思っていた。夢のお告げに導かれて長沙を旅立った二人の姉に、自分もそんな夢を見て見たい、将来を誓い合える素敵な男に出会いたいと願うようになっていたのである。


 その妄想じみた願いは日に日に強くなり、ついにはとんでもない行動を起こす。雪蓮達を案ずる余り彼女等に会うべく、長沙を出立した祭が乗った船の荷の中に紛れ込むと、彼女は半ば家出同然の旅立ちをしたのである。


 祭が小蓮に気づいた時には既に後の祭りで、直ぐに引き返せない所まで来ており、已む無く彼女は主公孫堅への文をしたためると、大至急長沙に送った。二人は宿で少し待つ事数日、早舟経由で主公からの返書が祭に届けられる。然し、その内容に彼女は唖然となってしまった。



『この際だから已む無し。ついでに小蓮に外の世界を勉強させてほしい。祭は私の代わりにあの子の面倒を見る事。お土産は幽州の特産品と地酒を頼む 』



「ハァ~~~ッ、青蓮様の妹姫達に対する親馬鹿振りにも困ったものじゃのう……。それをもう少し策殿や蓮華様にも向ければ良いものを……おまけにちゃっかり土産物の要求までしておるし…… 」



 返書を読み終えると、祭は天を見上げて長い溜息を吐く。結局彼女は、不承不承ながら小蓮と二人、幽州涿郡は楼桑村を目指した。


 二人は荊州長沙郡から三月ほど掛かって幽州涿郡に入り、楼桑村に向かうべく街道を進んでいたのだが、その途中で匪賊の集団に出くわした訳である。



「ねぇ、あなたお名前は何て言うの? 」


「は? 」



 突然、小蓮に名前を尋ねられ、雲昇は僅かにだが戸惑いを見せる。彼の反応が面白くなかったのだろうか、彼女は目を吊り上げて声高に叫んだ。



「だーかーらっ! 名前よ、名前! 何て言うの? 教えてくれたっていいじゃない! 」


「…… 」



 雲昇はこの少女に内心辟易していた。折角助けてやったのに突然名を名乗れとは、無礼だと思ったからだ。然し、小さい子供だから仕方がないかと自身に言い聞かせると、彼は自分の名を名乗る事にした。



「ならば、お教え致しましょう。私の姓は趙、名は空、字は子穹……これで宜しいでしょうか? お嬢さん 」


(姓が趙、名が空で、字が子穹……趙子穹かぁ、まるで役者の芸名みたいよね )



 彼の名乗りを受け、小蓮は満足そうに目を細めて雲昇の顔をじっと見る。彼女は小声で、彼の名を反芻する。



「……ふぅ~ん。名前と顔が一致するなんて出来すぎよね? じゃ、シャオも名乗るね。シャオはね、孫尚香って言うの。これからヨロシクね! 」



 ニパッと明るい笑みと共に名乗る彼女の名を聞いた瞬間、顔には出さなかったものの、雲昇は強烈な衝撃を受けた。



(孫尚香? 同姓同名というわけではあるまい。まさかこの子供が孫夫人とは……前世で見たあの女性とは全くの別人ではないか!? 主上(一心の事)がこの子を見たとき、どのように思われるのだろうか…… ) 



「ん? どうしたの、子穹? シャオの名前、どこかおかしかったの? 」


「いえ……別に何でもありません。ご心配をかけたようですね 」



 訝しげに自分の顔を覗き込んでくる小蓮を他所に、雲昇は一刀達の方に目を向けると、彼らと話し込んでいる祭を見やる。



(もし、彼女が昨年村に来た雪蓮殿や蓮華殿の妹であれば、あの御仁も孫家ゆかりの人物に間違いないだろう。この二人に一体何の目的が? 何か騒動の種にならねば良いのだが…… )



 然し、雲昇は軽くかぶりを振ると、フッと薄く笑い、あれこれと考えるのをやめた。そんな彼の行動に、小蓮はキョトンと小首を傾げる。



「本当にどうかしたの? 子穹。さっきからだんまり決め込んでいたと思ったら、いきなり笑って見せるし? 変なのー 」


「いえ、本当に何でもありませんよ。ところで尚香殿、どちらへ向かわれるのですかな? 」


「あ、うん。あのね、シャオと祭、黄蓋の事ね。シャオ達は楼桑村って村に行くんだよ。お姉ちゃん達がそこに居るから 」



 内心判っている積りであったが、敢えて彼は小蓮に尋ねてみる事にした。すると、彼女の出した答えは雲昇の思っていた通りのものだったのである。




 同時刻、涿県の県城の城下町にて。



「はぁ~っ、今日はあんまり売れなかったなぁ~。これも黄巾党のせいだよね。あの人達のお陰で最近ここも景気が悪くなってきたし…… 」



 結構売れ残った(むしろ)草履(ぞうり)を背負子にくくりつけた桃香が、気落ちした顔でとぼとぼと村への帰路に着こうとしていた。


 ここ最近『黄巾党』なる匪賊の集団が国中を暴れ回っており、彼らの影響で幽州の方に他の州からの物や人が入らなくなってしまっていたのだ。


 その結果として物価が上昇し、民衆の暮らしを圧迫し始めたのである。当然、桃香達が質の良い物を作っても、それを買ってくれる人が減ってしまったのだ。



「折角、蓮華ちゃん達も作るの手伝ってくれたのに……後で謝らなくっちゃ 」



 最近、蓮華も一刀も草履や莚を編むのが上手になってきた。桃香や一心にはまだ劣るものの、品物の目利きにうるさい簡雍(かんよう)こと松花(そんふぁ)のお墨付きをもらったのである。



『お土産買ってくるから楽しみにしててね! 』



 そう意気込んで村を出たのは良いものの、商いは極めて不本意な結果に終わった。いつもの六割程度しか売れなかったのである。おもむろに懐に手を入れて、売り上げを入れる巾着の口を開けて見るが、そこには五銖銭(ごしゅせん)が二十枚ちょっとしか入っていなかった。



「はぁ~、これじゃ屋台の焼売を皆の分買ったらそれで終わりだよね……私、一刀さん、一心兄さん達、蓮華ちゃん達に翠ちゃんと蒲公英ちゃん。最後に紫苑さんと璃々ちゃんで十九人分かぁ。焼売が五個一括りで一銭だから、一人四個と計算して…… 」



 そんな感じでぶつぶつ呟きながら城門近くの屋台に足を向けると、彼女の目に高札が映る。それにはこう書かれていた。



『国中に跳梁跋扈せし黄巾党と名乗りし賊軍の勢いは、今正に天を突かんとする有様である。これに帝は大層心を痛められ、ひいては彼奴等に立ち向かう憂国の心を持った義勇溢れる人物をお求めである。我こそはと思う者は是非馳せ参じてほしい。 ~幽州刺史 劉※3伯安~ 』



「要するに、義勇兵募集って事だよね? 憂国の心か……最近目の前の暮らしにかまけてて、あの時の誓いを忘れちゃってたなぁ。なのにさっきまで焼売の計算で頭が一杯だったなんて……笑っちゃうよね。あはははははは……はぁ~っ…… 」



 現在この国全土を脅かす黄巾党、然し彼等のする事の大半はそこら辺の匪賊と何ら変わらず、侮蔑の意味合いを籠め、官人庶人関係なく彼等は『黄巾賊』と呼ばれていた。


 鍛錬を毎日欠かさず行っていた桃香であったが、日々の暮らしに追われ、無意識の内にあの時自分で立てた誓いを忘れてしまい、且つ『黄巾賊』の事もどこか他人事のように考えていたのである。


 そんな自分自身に桃香は嫌気が差したのだろうか。己の不甲斐なさに自嘲気味に笑った後に、ため息を吐くとがっくり肩を落とした。然し、その瞬間である。行き成り後ろから甲高い怒声が彼女に浴びせられた。



「おいっ! そこの草履売り! 鈴々には聞こえていたぞ! 」


「へ? 」



 その怒鳴り声の大きさに驚いた彼女は、目を点にさせてしまい、後ろを振り向く。すると、そこには桃香より頭一つ分程背丈の低い女の子が、自身の背より遥かに高い蛇矛片手に仁王立ちしていた。彼女は憤怒の形相で桃香を睨みつけている。



「皆が大変な時なのに、何にもしないでため息を吐くとは、一体何様の積りなのだ!! 鈴々、そういう奴は大嫌いなのだ!! 」



 恐らくこの女の子は自分より年下だろう。おまけに初めて会った筈なのに、何故か彼女の言葉には自分の魂を打ち震わせるものがあった。


 この時、桃香は自分の事を『鈴々』と名乗るこの少女の目をじっと見つめる事しか出来なかったのである。然し、それは彼女が生涯を共にする『姉妹』達との出会いの切欠にしか過ぎなかったのだ。




※1:今作では一銭=三百円位のイメージにしてある。


※2:侠客(きょうかく)、やくざ者の事を指す。三国志の英傑の中には、若い頃侠と交じったり、或いは引き連れている者とかが居た。その代表例が劉備である。


※3:劉虞(りゅうぐ)の字。光武帝の長男で東海恭王劉彊(りゅうきょう)の末裔で、後漢の宗室(広義の皇族)の一人。当時は幽州牧(刺史)の役職に就いていた。

 ここまで読んで下さり真に感謝いたします。


 さて、今回のタイトルですが、実際の黄巾賊はまだ出てきていません。然し、その存在を臭わせるべく、あちらこちらで名前を出しました。


 正直こんなタイトル名でいいのかな? と躊躇したものの、いいのが思い浮かなかったのもあります。


 今回は祭と小蓮を登場させました。この二人結構好きなんですよね~! 呉のキャラには愛着が沸き易いので、序盤のうちから登場させたいと思いました。


 そして、原作では孫姉妹は長女雪蓮、次女蓮華、末妹の小蓮しか登場されていませんが、実際のところ孫文台には孫策と孫権だけでなく、三男の孫翊と四男の孫匡と言う子がおります。


 ですが、残念な事にこの二人の弟は若死にしており、特に目立った活躍は出ておりません。おまけに四男の孫匡はどういう人物なのかも記録されていなかったようです。


 例のごとくウィキ先生や三国志関連のサイト、そして三国志11の武将事典を調べ上げ、そこから急遽自分で脳内設定を練り上げました。


 また、孫翊と孫匡は双子じゃないので、勘違いなさらないで下さい!!(苦笑


 真名に関してですが、孫翊の真名は極めてベタですが『美』の字を用いました。『美蓮』と書いて『めいれん』と読むので、極めて語呂が良いと思ったからです。


 孫匡の『蓮蕾』の『蕾』は『つぼみ』の事です。大輪の花を咲かせる一歩手前の状態をイメージしてこのような名前に決めました。


 叔母に当たる孫静さんですが、彼女の外見イメージはアニメ版恋姫に出てきた孫静のまんまです。彼女と雪蓮との作中のやり取りを見て、雪蓮と蓮華とは仲が悪い設定にしました。


 真名の『藍蓮』ですが、姉の孫堅が『青蓮』ですので、青系統の色にしようと思って決めました。


 そして、最後の鈴々と桃香のやり取り……あれこそ元祖『三国志演義』風にしてみました。判る方ならニヤリとするかも知れません。


 次回は……ここまで来たのですから、期待に応えられるものにします!! 


 私は極力一週間に一回を目処に、且つ一万文字以上の更新を心がけております。ですが、書き始めはグダグダで、一万文字を超えると少しノッてきて、一万三千を超えると一気に夜更かし修羅場モードに変貌です。


 次回もこれが発動できるかと物凄く不安です。でも、読んで頂く皆さんの期待を裏切りたくありませんので、気合入れてきます!!


 それでは、また~! 不識庵・裏でした~!

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