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無能な私の許し方~なぜかハズレ王子に愛されています~

掲載日:2026/10/21

いつもお読みいただきありがとうございます!

「このっ! ヴェルデ家の恥さらしが! この無能! 役立たずっ!」


 パシンという乾いた音が廊下に響く。

 父に叩かれた衝撃が思いのほか大きく、私は冷たい床に倒れ込んだ。


 うーん……今回はかなり怒ってるわね。こうやって手を上げられたのは初めてだ。


 時間差で頬がヒリヒリとした痛みを訴えてくるが、磨き抜かれた王宮の床と仲良しになった私は笑いを堪えるのに必死だった。


 意外だが父は悪口のレパートリーが結構あるらしい。


「癒しの魔法をお披露目の場でも使えないとは! お前はヴェルデ家に生まれながら、誰かを助けたいという願いも持たぬ人でなしかっ!」


 怒り狂う父の足元には、鞭をペシペシ振り回すモフモフの可愛い動物がいる。

 体全体が柔らかそうな毛で覆われてモフモフしていて、足や腹は黒く背中は明るいオレンジ色。大変モコモコしい、うっかり触りたくなる白とオレンジの二色の尻尾もついている。

 その動物の背丈は、立っても父の膝にも満たない。ちょこんとした三角耳も大変愛らしい。


 ぐふっ……どうして私はあの動物が見えるだけで触れないのかしら。


 あのモフモフの可愛い動物は私にだけ見えているようなのだ。

 一つ上の姉にも父母にも見えていない。


「あなた、もうやめて頂戴。こんなところで……」


 母は涙を浮かべてそんなことを言っている。

 そんな母の足元では、モコモコの可愛い動物が扇を広げてプルプル震えていた。扇は母の持つようなサイズではなく、ちゃんとモコモコの動物に合わせたサイズになっている。


 うーん、可愛い。

 もちろん、母ではなく動物の話だ。


「そうよ、お父様。レオニーにそんなに言っては可哀想よ……お願いだからやめてあげて」


 姉は私を心配するようなことを言っているが、足元の可愛い動物は「ニシシ、いい気味」とばかりに姉の足の間から顔と舌を出して笑っている。


 あぁ……。

 とりあえず全部可愛い。動物が。舌を出しているのも可愛い。

 思わず緩みそうになる口元を頑張って引き締めたが、残念ながら誤魔化せなかったようだ。


「また気味悪くヘラヘラ笑いおって! 何にも披露できず出来損ないだとバレた今の状況が分かっておらんのか! わずかな癒しも使えん者は我が家に必要ない!」


 父がまた怒鳴り、声が廊下に響き渡る。


 今日は、貴族の子女たちにとって大切なお披露目の日だった。

 この国の貴族は全員、大なり小なり魔法が使える。しかも、使えるのは各家に代々伝わる固有魔法だ。


 私の実家のヴェルデ伯爵家で言うなら、癒しの魔法。これは非常に珍しい。

 火の魔法や水の魔法を使える家はたくさんあるのだが、癒しの魔法は本当に珍しくヴェルデ家と王家くらいしか使えない。先祖に聖女がいるとかいないとか聞いたことがあるが、真偽は分からない。

 ヴェルデ家の令嬢が他家に嫁いでも、子供に癒しの魔法は遺伝しないのだ。


 まぁ、私には使えないからどんなに癒しの魔法が珍しくても聖女がご先祖でも関係ないんだけどね。


 父方が癒しの魔法の家系で母方が水の魔法の家系の場合、癒しがダメなら水の魔法なら使えそうなものだけど、それもない。

 ヴェルデ家は珍しい癒しの魔法を維持するために、親戚関係で婚姻を結ぶことが多かった。母も親戚筋から嫁いできたのだ。


 私が魔法を使えないのは血が近かったのが原因じゃないかしら? と思わなくもないがそんなことは口が裂けても言えない。

 父も母も姉も、癒しの魔法が大なり小なり使えるのだ。使えると周囲からチヤホヤされるため、プライドも当然高くなる。


 姉は私と同様ずっと癒しの魔法が使えなかったが、去年のこの十六歳のお披露目の際に見事使えるようになり脚光を浴びた。

 それまでは姉と私二人ともヴェルデ家の出来損ないだったのに、私だけが出来損ないになってしまった。


 そんな出来損ないの私でも、お披露目の今日こそ姉と同じような奇跡を起こすと思われていたのだ。


 つい先ほど私のお披露目の番が終わるまで、か細い希望は父の胸にあったらしい。


 そして、用意された怪我人を私は癒すことができなかった。

 姉のようなことが起きるかもしれないと周囲から注目を集めた中で魔法が使えないとバレるのは、なかなか恥ずかしい見世物だった。


 癒しの固有魔法は「助けたい・救いたい」という気持ちがあると発動しやすいのだという。私は怪我人を前にしてそんな感情を持たない酷い人間だと言われているのだ。


 仕方ない。

 だってモフモフの動物が「治さないで」と首を必死に横に振っていたのだから。あんなに可愛くお願いされたら躊躇しちゃう。可愛すぎて笑っちゃったし。


「お前なんぞヴェルデ家の人間ではない! もう家に戻って来るな、出て行け!」


 なるほど、そう来るんだ。

 よいしょと私は頬の痛みを感じながら立ち上がる。


 父のモフモフは怒りでプリプリし、母のモフモフは扇を広げてさきほどよりもプルプルしている。

 姉のモフモフは「ふえ? そこまで言っちゃうの?」とばかりにびっくりした顔をしている。


 私にだけ見えるこのモフモフたちは、その人の本心を表しているのだ。


 貴族って本心を隠すから、このモフモフを見れば感情が分かるわね。

 家を追い出されるみたいだし、これからどうしようかしら。

 このモフモフを使って……ギャンブルで勝ち続けるとかできるかも? 見通しが甘すぎるか。


「やぁ、とても賑やかだね」


 急に明るい声が割って入ってきた。


 一斉に声のした方向を向くと、そこにいたのは車いすに乗った長い金髪の若い男性。


 彼はネックレスにブレスレット、ピアスに指輪までアクセサリーをこれでもかとじゃらじゃらつけている。普通の人がそんな格好をしていれば怪しいのだが、彼はなぜだか品があり神秘的な雰囲気を帯びていた。


 あれ? この人って……?

 お披露目を王族席で見ていた人よね? ということは──。


「だ、第二王子殿下……」


 父の呟きで誰かが分かった。

 あぁ、そうか。この人がウルス第二王子殿下か。

 

 ハズレ王子と言われている方だ。


「あんまり賑やかだから全部聞こえちゃったよ」

「も、申し訳ございません……」


 ハズレ王子と揶揄されていても相手は王族。

 父はすぐさま頭を下げるが、父のモフモフは足元で「けっ」という顔をしてぺっぺっと唾を吐いていた。

 ハズレ王子は王族でも魔法が使えないから、父は自分より下の存在のように見ているのだろう。


 父はすぐに頭を上げると、手もみした。モフモフ動物も口をゆがめながら手もみする。えげつない顔をしているのに可愛いから困ったものだ。


「しかし、殿下もご覧になっておられたでしょう。癒しの魔法を使えないヴェルデ家の令嬢などこれまでおりませんでした」


 お披露目は王族も見ていたはずだ。なにせ、王宮で開催されているのだから。


 将来の就職先や婚約相手の品定め会場でもある。王族どころか宰相や各部署のトップ、各家の当主もお披露目を目をかっぴらいて見ていたはずだ。側にいる書記官なり秘書官なりが有望そうな者の名前を書きとめていったはず。


 お披露目で凄い魔法を披露できれば、いろんなところから声がかかってハーレム状態を経験できるのだ。


 姉は去年、怪我人の骨折をお披露目の場で癒したことで見合いの申し込みが殺到していた。

 魔法が一切使えず、お披露目の場でも何にもできなかった私には縁のない話だ。


「誰かを助けたいとさえ思わない娘、しかも怪我人を前にヘラヘラ笑っている娘を叱るのも当然だと思いませんか」


 怪我人を見て笑っていたわけじゃない。私だって笑いたくないが、あまりにモフモフした動物が可愛いので思わず笑顔になってしまうのだ。


「ふぅん。でも、もう娘じゃないんだよね?」

「……はい。ヴェルデ家にこんな恥さらしな娘はおりません。本日をもって除籍します」

「じゃあ、勘当されちゃった彼女には僕の離宮で働いてもらうね」

「え?」

「へ?」


 父と私の間の抜けた声が重なる。

 私の名誉のために強調するが「え?」と発言したのが私である。


「ちょうど良かったよ。僕の離宮で働けるのは魔法が使えない者たちのみだから。そうじゃないと僕の体から垂れ流される魔力に影響されておかしくなっちゃうからね」


 最近何人か辞めて人手不足で困ってたんだよね、と第二王子は明るく笑いながら続ける。

 私はそれをぼんやり聞いていた。

 なぜなら、私の視線は彼の足元にいるモフモフに釘付けだったから。


「追い出されるんなら親の許可も要らないしちょうどいいかな。ねぇ、君はそれでいい?」

「あ、はい!」


 行く当てもなかった私は王子に話を振られて勢いで頷いた。


 だって第二王子の足元にいるモフモフは、震えながら私に「おいでおいで」とばかりに手を差し出していたから。こんな可愛い動物に震えながら手を差し出されて、その手を取らないなんてあり得ない。人間が廃る。


「じゃあ、レオニー嬢。僕たちについておいで」


 モフモフな動物は手招きを辞めて「えらいこっちゃ!」とでも言いたげに大いに震えて私をチラチラ見ているのに、第二王子はカラッと笑って私を手招きする。


 この人の本心は分かりにくいわね。私を連れて行くのは本当は嫌なんじゃないかしら?


「はい」


 それでも、モフモフの動物の様子を見て思わず口角が上がってしまう。だって、本人とギャップがありすぎるもの。


「こんな状況でもレオニーは変なところを見て笑ってるわ……」

「やっぱり、あの子は少し……おかしかったのよ」


 姉と母の密やかな会話が聞こえた。


 私にしか見えないモフモフは、大体その人の足元にいる。

 人の足元を見てあまりの可愛さにどんな状況でも笑ってしまうので、傍から私は相当おかしい人であるように見られてしまうのだ。


 もう私はヴェルデ家の一員ではないようなので、一応家族にペコっと頭を下げる。


「それでは、今までお世話になりました」


 もし私の足元にモフモフがいるのなら、そのモフモフも私と同様に頭を下げていただろう。残念ながら私の足元にモフモフは見えないんだけどね。


 第二王子に促されて、家族だった人たちから離れていく。


 ほんの少しだけ心が疼いた。

 小指の爪の白い部分くらい、私は自分に期待していた。

 モフモフ動物が「お願い、治さないで!」と首を振っていても、お披露目で一応魔法を使ってみようとはしたのだ。でも、いつも通り魔法は発動しなかった。


 私だって姉みたいな奇跡をいつか起こせると思いたかった。

 それがお披露目の場であってほしかった。


 母は切り傷、父は熱の症状、姉は骨折までを癒せる。


 正直言って、姉以外の癒しはしょぼい。手を生やすとか失明を治すとかそういうことはできない。

 でも怪我をしたら痛いし、熱が出たらしんどいし、骨折したらまともに歩けないからその状況に陥ったら癒してもらいたいと思うだろう。


 ほんのちょっとでも私が癒しの魔法を使えたら、家族だと認めてもらえたのに。

 私がこんなに無能でなければ──私は姉みたいに人生逆転して愛された。


 心の疼きを無視するように、前を進む王子のモフモフを観察する。

 第二王子のモフモフは、頭を抱えながらポテポテと歩いている。


(あぅぅ、どうしよう! 勢いでナンパみたいに連れてきちゃったぁぁぁ!)


 悩ましい声がどこからか聞こえた。


 周囲を見回すが、私と第二王子そして王子の護衛以外にいない。

 護衛騎士は第二王子が私に声をかけてきた瞬間からいたのだが、ここまで一度も口を開いていない。護衛騎士の足元のモフモフもキリッとした顔で背筋をピンと伸ばして歩いている。まるで、騎士が一人と一匹いるかのようだ。


 第二王子はまっすぐ前を向いて車いすを動かしている……いや、動かしていない。護衛も王子の車いすには触れず、車いすは自動ですいすい地面を滑るように動いていた。


 これってどういう原理なの?


(だって、可哀想じゃないか……魔法が使えないだけで除籍だなんて。それなら僕だって王家から除籍されている)


 内容からこの声の主は第二王子だと私でも分かった。


(見捨てられるわけない。うん、離宮で少し過ごしてもらって……嫌だったら他の仕事を斡旋することもできるだろう)


 よく見れば、王子の足元をポテポテ歩くモフモフの動物が口をパクパクさせて喋っていた。


 モフモフが喋るのは初めてだ。

 今までと何が違うんだろう?


 しばらく考えて第二王子の持つ魔力量かと思い当たった。

 

 第二王子の魔力量は王族の中でも群を抜いて多かったはず。

 でも、それ故にうまく扱えずに体調を頻繁に崩しており、魔力暴走を起こして家屋倒壊なんて事故もあったようだ。

 彼が車いすに乗っているのも幼い頃の彼自身の魔力暴走が原因だ。


 家屋倒壊で脱出が間に合わなかった王子の両足が下敷きになり、王族やヴェルデ家の癒しの魔法も一切効かないので彼は車いす生活を余儀なくされている。

 事故の際に体内の魔力回路もおかしくなってしまったようで、第二王子は事故以降に魔法を使えなくなってしまったと聞いた。


 彼の言葉で言うなら、垂れ流し状態のようだ。


 魔力回路が壊れて、豊富な魔力が垂れ流し状態。

 私は魔法が使えたことがないからどんな状態か分からないが、垂れ流しの魔力を浴びせられ続けた使用人はおかしくなるらしい。


(家族に言えばどこか仕事を見つけてくれる、はずだ。うん、きっと大丈夫。何とかなる。うっかりナンパしちゃったけど、何とかなるはず。僕、怪しくなかったかな……もっとカッコ良く決めたら良かったのかな……ヘイユー、僕の離宮に来ない? とか言った方が兄上みたいでカッコ良かった?)


 いや、それはない。ヘイユーの方がナンパみたい。

 ここでツッコミを入れると怪しまれるのは経験上よく分かっているので、私は心の中だけにとどめる。多分、このモフモフは第二王子にも見えていない。


 モフモフは歩きながらでんぐり返ししたり、器用にブリッジをしたりしつつ、うんうんと悩んでいる。カッコ良さについて悩んでいるんだろう。

 可愛い、とっても可愛い。カッコ良くなる必要はない。


 その時、全自動で動いている車いすに乗っている第二王子がちらっと私を見遣った。


(え? 笑ってる? え? あんなに怪しいナンパしたのに? じゃ、じゃあ良かったのかな? 笑顔の方がレオニー嬢は可愛いし)


 慌てて私は口元に緊張感を取り戻そうとするが、それだと第二王子を見て変な顔をしたように見えてしまう。

 私はモフモフを見たまま、どうしていいか分からなくなった。唇はひくついてしまっている。


(なんだか目を伏せて唇ヒクヒクしてるけど……泣いてないなら大丈夫……かな? え、泣かれたらどうしたらいいんだろう、これ。誘拐とか言われない? 職権乱用? うわ、カッコ良さの前にそっちを気にするべきだった! でも、宰相の文官がさっきの現場見てたから大丈夫なはずなんだよね……)


 第二王子は先ほどまでのように前を向いたが、モフモフはまた頭を抱えて悩まし気に歩いている。

モフモフを見る限り、第二王子はいい人のようだ。



「ひとまず、レオニー嬢はこの部屋を使ってくれ」


 第二王子の住まう離宮は、城の敷地の端の端に建っている。

 結構な距離を歩いてこの離宮に到達した。

 案内されたのはどう見ても使用人部屋ではなかった。


「ここは使用人部屋にしては広すぎると思います」

「離宮はたくさん部屋が余ってるから好きなところで寝たらいいよ。毎日違うベッドで眠れるくらいだよ。あ、でもその場合は譲り合いをしてほしいかな。ほら、他の使用人も毎日違うベッドで眠りたいかもしれないだろう? 部屋をめぐって喧嘩はやめてほしいな」

「かしこまりました。各部屋のお掃除が私のお仕事ということでよろしいでしょうか?」

「え? でも、君は貴族令嬢だろう? 掃除はその、できないんじゃ?」


 第二王子は綺麗な緑の目を見開いている。


「実家ではやっていましたから、できると思います」

「……ヴェルデ伯爵家は使用人がいないほど貧しかったっけ?」

「癒しの魔法が使えなければ、家族ではない扱いですので」

「それは……辛かったね……掃除はしなくていいよ、ベイビーと言いたいところだけど、簡単な掃除はお願いするかも」


 この人は本当にいい人で、優しい性格なんだろうな。


 未だにカッコ良さについて悩んでいるのか「掃除はしなくていいよ、ベイビー」なんて言っているし。王子の表情はずっと笑顔なのだが、モフモフは「ぎゃああ、恥ずかしい!」と言いたげに体をクネクネさせて赤面している。


 どうしよう。ここはお礼を言うべき場面だ。


「あ、ありがとうございます……」


 ちゃんとお礼を言いたいのに、モフモフに気を取られて笑ってはいけない選手権が開催されている。


 王子は私が泣きそうだとでも思ったのか、気づかわしそうな視線を向けているが、地面ではモフモフの動物が羞恥で頭を抱えてゴロゴロ激しく転がっている。私は笑うのを必死で耐える。


 さっきまでの声は、なぜか聞こえるタイミングと聞こえないタイミングがあるようだ。


 王子と護衛が「詳しい話は明日。おやすみ」と出て行ってから、私はぽすんとベッドに腰かけた。


 人手不足って本当だろうか。ベッドはふかふかで、部屋も綺麗で、廊下にも埃は落ちておらず、天井にクモの巣もなかった。ハズレ王子といえど、王家で冷遇されているわけではないようだ。


 私も実家でそこまで虐げられていたわけではない。三食食べていたし、ここまで広くないが自分の部屋もあった。


 お披露目の直前までは小指の爪ほどは期待されていたし、姉という成功例があったので、使用人のようなことをさせられるというよりは癒しの魔法が使えるようになる訓練をひたすらさせられたのだ。


 私と姉につけられたのは、親戚の家からやってきた家庭教師だ。

 どうやっても私たちが癒しの魔法が使えないとなると「体力が足りないからだ!」とか「傲慢な心があるからだ!」などと言って、ランニングをさせられたり、使用人の仕事をさせられたりしていたのだ。


 あのランニングのおかげでこの離宮まで歩いても平気だった。それに、離宮で働くのにあのトレーニングと称した数々の訓練は役に立ちそうだ。


 癒しの魔法に掃除や洗濯が何の関係があるんだと姉と毒づいた時もあったが、あの家庭教師は癒しの魔法ではなく生きる術を教えてくれていたのかもしれない。貴族は魔法が使えるのが当たり前だもの。あの家庭教師は、魔法が使えずに追い出された後の訓練をしてくれていたのかも。



 家族から拒絶されたのに、私は図太くよく眠った。

 翌日から私の仕事は簡単な掃除と魔石の交換になった。


 魔石とは、魔力が込められた石で魔道具の動力源である。

 私の仕事は照明や空調などの魔石の交換ではなく、第二王子の車いすや部屋についている魔石の交換だった。


 第二王子は魔力暴走の事故により魔力回路が壊れて魔力が全部垂れ流しになっており、この離宮全体でその魔力を魔石に溜められるようにしているんだという。


 毎日五十ほどの魔石が魔力でいっぱいになり、綺麗な緑に輝く。

 魔石がどんな綺麗な色に輝くかは、込められた魔力に左右されるのだ。第二王子の魔力がこもった魔石は相当価値があるだろう。宝石に近いようなものほど価値が高いのだ。


 車いすにも部屋の壁にもかなりの数の魔石がはめ込まれている。

 魔石が魔力で満タンになっているかを確認し、満タンになっていたら取り外して魔力の入っていない石に交換するのだ。


 そして他の使用人たちといえば、病気やケガした人が多い気がする。

 初日にも会った護衛騎士は寡黙かと思っていたら声が出ないらしい。幼い頃の病が原因のようだ。他には眼帯姿のメイドや、足の悪い庭師などもいる。皆、魔法が使えない人なんだとか。


 意外だ。

 実家のヴェルデ家では癒しの魔法以外は魔法ではなく、使用人が魔法を使えるかどうか気にしたことがなかったが、魔法が使えない人ってこんなにいるんだ。


 私だけが異常で、ヴェルデ家で異端だと思ってたのに。

 世界は広かった。


「あっはっは! ダニエル~、こっちこっち!」


 最初はアワアワしていたが、一週間ほど経つと離宮に慣れてきた。同僚の名前も覚えたので、王子が呼んでいるのが寡黙な護衛騎士だと分かる。


「つかまえてごらん~」


 王子はあははと笑いながら、猛スピードで車いすを動かしている。車いすにも魔力を貯めるのとは別の動力としての魔石がついており、それで動かしていたのだ。

 そんな王子をダニエルという騎士が追いかけっこの要領で追っている。


 とても楽しそうだ。

 この離宮には、ヴェルデ家にいた頃の陰鬱な雰囲気はない。


 同僚たちはあまりおしゃべりではないが、足元のモフモフを見れば分かる。とってもいい人たちだ。皆のモフモフが足の間に隠れているので、人見知りな人が多いようだ。もしかしたら、魔法が使えないことで家で虐げられていたのかもしれない。貴族は魔法が使えて当たり前だから。たとえほんの少しでも、魔法は使えないといけない。


 庭を車いすで走っていた王子は、やがて何かにつんのめった。


「あぁっ!」


 離宮の窓から覗いていた私は思わず窓辺に走り寄る。


「殿下!」


 ダニエルが慌てて抱き留めたので、王子が地面に投げ出されることはなかった。


「ごめんごめん、はしゃいでしまった」


 王子は明るく笑っているが、やはり両足が動かないようだ。両手で身を起こすことはできても立ち上がれない。ダニエルが抱きかかえて車いすに乗せている。


 モフモフした動物もとても楽しそうに庭を駆けているので、王子は心から追いかけっこを楽しんでいるのだろう。


 離宮で見る王子は、いつもあんな感じだ。

 いつでも明るく笑っていて、事故で両足が動かないことなんて今のような出来事がないと感じさせない。


 やがて、追いかけっこに満足した王子とダニエルが離宮の中に戻ってくる。

 今日は私が当番なので、喉が渇いているだろう王子のために飲み物の用意を始めた。


 あれ? おかしい。

 王子の足元にいるモフモフが涙を流している。

 ものすごく可愛いのだが、これでは王子が本心では悲しんでいるということになる。

どういうことだろう。まさか、さっきので怪我でも?


「ダニエル、さっき声が出ていたね」

「あ……」


 ダニエルではなく私が先に反応してしまった。


 そうだった、声が出ないはずのダニエルはさっき「殿下!」と大声を出していた。


 ダニエル本人も指摘されるまで気づかなかったようで、王子の言葉にハッとしている。彼のモフモフも足元でハッとして口元を前足で覆った。ダニエルは表情と本心が一致している人である。


「ま、さか……治った、のですか……」


 ダニエルの喉からは、出し慣れていないせいか掠れた声が出た。すぐにダニエルは咳き込む。


「うん、やっぱり声が出てるね。しばらくは慣れないかもしれないけれど、だんだん出るようになるよ」


 何だか分からないが良かった。出なかった声が出るようになるなんて、まるで癒しの魔法だ。


 拍手しようと思ったが、二人の足元にいるモフモフを見て動きを止める。

 王子のモフモフは滝のような涙を流しているのだが、暗い雰囲気を背負っているので嬉しさからではないようだ。


 そしてダニエルのモフモフは、最初こそ口に手を当ててプルプル感動していたようだったが、またもハッとして今度は四つん這いになって地面にめり込みそうなほど落ち込んでいる。


 ねぇ、これってそういうこと?


(そうか、ダニエルともお別れなのか)


 拍手する前の格好で固まっている私の耳に、王子のモフモフが喋ったそんな声が聞こえた。ダニエルのモフモフは喋ってくれない。やっぱり、魔力の差だろう。


 お別れって? え? 死んじゃうの?


(いや、しんみりした空気になっている場合じゃない。レオニー嬢だって困っているんだし。ダニエルの声が出るようになったのはいいことじゃないか)


「良かったな、ダニエル!」


 号泣しているモフモフを足元に置きながら、王子は明るく笑って呆然としているダニエルの肩をバシバシ叩いた。


「殿下……私は、辞めたく、ないです……」

「そうはいかない。声が完全に出るようになったら、ダニエルは僕の垂れ流す魔力の影響を受けてしまう。僕の側から離れないといけないよ」


 ええっと、そうなんだ?

 訳も分からず聞いていると、王子は笑顔のまま私を見た。でも、足元のモフモフは号泣している。ギャップが凄い。


 彼の身に着けている各種アクセサリーは魔道具だ。

 彼の体内では魔力が作られては外へ垂れ流されているのだが、その量をアクセサリーの魔道具で調節しているらしい。魔力暴走のように一気に魔力が減ると、生命の危険があるのだ。


 王子は私を眺めて口を開いた。


「体のどこかが悪い人というのは、魔力の流れがおかしくなっているんだ。その程度が大きいと魔法が使えなくなる。でも、そこが治れば魔力の流れもだんだんと正常になっていって魔法が使えるようになるんだ」

「えっと、じゃあダニエルさんも?」


 彼も魔法が使えるようになるということ?


「うん、回復していけば魔法が使えるようになるよ。君もそうだと思うよ」

「私は、どこも悪くないのですが……」

「魔法が使えない原因がどこかにあるはずだ。でも、大丈夫。僕の魔力を浴びていれば自然と治っていくと思うよ。どのくらいの時間がかかるかは分からないけど、離宮で働いている皆がそうだから」


 ダニエルは「辞めたくないです。おそばにいます」と呟きながら首を振り続けている。


「殿下は……癒しの魔法が使えるということですか?」

「イメージとしてはそんな感じかな? 勝手に垂れ流してるだけなんだけどね。まぁ、だから大丈夫。レオニー嬢もいつかきっと使えるようになるよ」


 第二王子の垂れ流している魔力を使用人たちは浴びていて、魔法が使える人であれば反発して負の影響を受けるなどしてしまうけれど、魔法が使えない人ならば正の効果で癒されるってこと? つまり、第二王子の魔力自体に癒しの効果がある?


 第二王子は自分の両足は動かせないのに、そして心の中で泣いているが、ダニエルが癒えてここから出て行くことを祝福している。もちろん、別れを悲しんでもいるけれども。


 そして、彼自身は癒されなくても平気そうだ。


 私は家族に認められて、愛されるためだけに癒しの魔法が使えたらいいと思っていた。

 第二王子みたいに誰かを助けたい、良くなって欲しいなんて思ったことはなかった。あくまで利己的な理由だった。


 あぁ、これが父の言っていたことなんだ。

 私は本当に人でなしだ。

 こんな純粋な思いを私は持ったことがない。


 モフモフの可愛い生き物が「治さないで」って目で見ていたって?

 そんなの、私の言い訳でしかなかったのに。

 こんな私に誰も癒しの魔法なんて使ってほしくないだろう。


 父や母の癒しをしょぼいと思って、お披露目でとうとう魔法を使えるようになった姉が羨ましくて、でも素直に言えないからモフモフを見てニヤニヤしていた。

 

 案外、私にだけ見えるこのモフモフは私の願望が作り出した幻想なのかもしれない。


 ヴェルデ家で私は、間違いなく無能で役立たずで人でなしだった。

 私は私のことしか考えてなかったんだから。

 


 ダニエルは二週間ほど辞めなかったが、魔法が使えるようになって王子の垂れ流しの魔力に反応し始めてしまったらしく、泣く泣く出て行った。

 彼のモフモフも号泣していたし、ダニエル自身も号泣していた。


「ダニエル、兄上の騎士を目指してみたらどうだ? そうしたら兄上にひっついて僕にまた会いに来てよ。四六時中一緒にいなければ大丈夫だから」


 王子は明るく笑っていたが、足元のモフモフは泣きすぎて涙が小さな川のようになっていた。


 ダニエルが離宮からいなくなっても、王子は普段通り笑っていた。

 しかし、足元のモフモフはいじけて地面にいじいじ何かを書いている。


「お茶を淹れましょうか」

「うん、ダニエルの涙を見たら何か飲みたくなったね。一緒にお菓子を食べようよ」


 離宮では、王子と一緒にお茶やお菓子を食べたりすることがよくある。

 最初は身分差を理由に断ろうとしたのだが、王子のモフモフがあまりにも泣きそうなので頷いてしまったのだ。


「仕事には慣れた?」

「はい、ありがとうございます。楽しく働かせてもらっています。あの、次の騎士は決まっているのでしょうか?」

「あぁ、うん。兄上が選んで送ってくるよ。というか、離宮の外に護衛がいるから無理には要らないんだけどね」


 あ、やっぱりそうなんだ。騎士がダニエルだけというのもおかしな話だったもの。

 普段から側にいるのは魔法が使えない人を選んでいるんだ。


「ダニエルさんみたいに、皆ここから去って行くんですか?」

「そうそう。いいことだよ。僕の無駄に豊富な魔力が垂れ流されることで、誰かが癒されて人生がいい方向に変わっていくのは」


 王子は紅茶に優雅に口をつける。

 その唇は上品に弧を描いて笑っているように見えるが、彼の足元のモフモフは相変わらずしくしく泣いている。


 あのモフモフは私の幻想? それとも、王子の本心なの?

 もしこの人が本心では泣いているんだったら……私は悲しい。


「君はよく下を向いているね」

「……申し訳ありません」

「ううん、下を見ている時は笑っていることが多いから。むしろ安心したよ。無理やり離宮に連れてきてしまったようなものだから心配してたんだ」


(ナンパみたいだったし……でも、楽しそうに働いてるから大丈夫かな? レオニー嬢は笑顔でいた方が良い。可愛いから)


 モフモフが久しぶりに喋った。


「いえ、殿下のおかげで本当に助かりました。行く当てもありませんでしたから……」

「そうか、なら良かったよ」


(でも、レオニー嬢も治って魔法が使えるようになったら出て行かなくてはいけない。ここにいたら体調が悪くなるから。ダニエルも彼女もすぐにいなくなるのか、寂しいな)


 モフモフがしくしくまた泣いているが、王子はにこやかにお菓子をつまんでいる。

 

 父でも母でも姉でも、彼の足は癒せなかった。

 姉は癒しが使えるようになってすぐ、王家の要請で第二王子に癒しの魔法を試していたのだ。でも、ダメだった。


 王太子や王妃、国王がどれほど癒しの魔法を使えるかは伏せられているが、誰も第二王子は癒せない。


 彼は他人を癒してばかりなのに。


 こんなに優しい人を癒せたらいいのにな。

 もしも私が魔法が使えるようになったなら、第二王子の足を癒せるだろうか。



 夜になると、激しく雨が降り出した。

 雷がゴロゴロ鳴り、雨が激しく窓に叩きつけている。


 晩御飯を食べてから、ある部屋の魔石の色の確認をしていた時だった。

 隣の王子の部屋から大きな音がした。雷に紛れていたが、何かが落ちて割れた音がしたのだ。


「殿下? 大丈夫ですか?」


 ノックしてみるが、返事がない。

 まさか、倒れているとか? 急病ってこともあるかもしれないわよね?


 入ってもいいか悩んでいると、扉の隙間からモフモフが這い出てきた。

 そして、私のお仕着せをぎゅうっと握る。


 ぐっふぅ、可愛い。

 こんなに可愛いなら幻想でも妄想でも何でもいい。


 モフモフはうるうるした目で王子の部屋を指差す。私は再びノックをして返事がなかったので「緊急かもしれないので失礼します」とモフモフに従って中に入った。


 部屋の中では、車いすが倒れて投げ出された王子が頑張って自力で戻ろうとしていた。近くには水差しが落ちて割れている。あれを取ろうと手を伸ばしてバランスを崩したのかもしれない。


「殿下! 大丈夫ですか?」

「え? レオニー嬢?」


 自室では王子は一人になることが多い。

 こういうことを想定して床にも使用人を呼ぶベルが置いてあるのだが、王子は手を煩わせまいと使わなかったのだ。


「物音が聞こえました。お怪我はありませんか? 私で良ければ掴まってください」

「はは、情けないところを見られてしまったね」

「それなら、殿下は私の情けないところもしっかりご覧になっていますよ? ほら、私は父に怒られていましたから」

「そういえばそうだったね」


 王子の体を支えて、起こした車いすまで引っ張り上げる。

 家庭教師のしごきのおかげよね、これも。


 車いすに元通り座り直すと、また外で雷が落ちた。

 先ほどよりも近くで落ちたようで、ドォンという鈍い響きが体に伝わってくる。


 私はまだ王子の背に手を当てていたのだが、彼の体が気のせいではないほど強張った。


「お怪我はございませんか?」

「あぁ、大丈夫だ」


 足元のモフモフは震えながら私のお仕着せのスカートを掴んでいる。王子は見たところ怪我はないようだが……。


「ベッドに横になられますか? お手伝いします」

「いや、それくらいなら一人でできるよ」

「かしこまりました。では……」


 王子はあまり手伝ってほしくなさそうだ。長居は良くないと部屋を辞そうとしたところ、足元のモフモフは目をウルウルさせ震えながら首を横に振っている。


(情けないところを見られてしまった……雷が怖くて水差しを割ってしまったなんてレオニー嬢には言えない……でも、魔力暴走の時に似ているからどうしても……)


 モフモフは私を必死に見上げながらそう喋った。


「うん、手間をかけたね。おやすみ」


 モフモフは震えて私のお仕着せを掴んでいるが、王子は体を強張らせながら私に笑顔を向けた。

 どっちが本当の第二王子なんだろう。

 もう一度雷が落ちた。王子の体がまた大きく強張る。

 あぁ、この人に怖い思いはして欲しくない。


「きゃあっ!」


 私はそんな王子の様子を見て、わざと悲鳴を上げた。


「レオニー嬢?」

「あの、殿下。私、雷苦手なんです!」

「そ、そうか。それはそうだよな。あれは怖いよ」

「あの、すっごく怖いので……」


 いや、ここから先は私から言いづらい……。


 きっと魔力暴走の事故をこの雷の光か音が思い起こさせるんだろう。

 私は雷が全然平気だが、王子は怖いのだ。

 でも、悲鳴まで上げたけど一緒にいていいですかとは言いづらいし……。


「えっと……」

「じゃ、じゃあ、雷が遠ざかるまでここにいる? カードゲームでもしたらいいと思うんだ」

「カードゲーム! いいですね! ぜひお願いします!」


 王子が助け舟のように言い出してくれたので安堵すると、王子のモフモフも「は~、良かった」とばかりに胸をなでおろしていた。


 さすがに「一緒にいましょうか?」なんてあらぬ方向に誤解を生むようなことは言いづらいものね……。



「レオニー嬢、何でそんなに強いんだ?」

「えっと、殿下は分かりやすいからです」

「そんなことない。僕は王族だし、ポーカーフェイスは得意だ」

「じゃあ、私の変顔が上手ってことでしょう?」

「それは令嬢としてどうかと思う」


 私たちがひたすらやっているのはオールド・メイドだ。

 クイーンを一枚抜いて、同じ数字のカードをペアにしてどんどん捨てていき、最後にクイーンを持っていた人が負けという大変シンプルなカードゲームだ。


 私は王子のモフモフの様子を見ながら、すべてのクイーンを回避していた。

 やっぱり、あのモフモフは私の妄想ではない。だって、モフモフの様子を見ながらやれば全戦全勝なのだ。


 これでは私だけズルをしているようなので、王子が私の手札からカードを引き抜こうとするときに頑張って演技をした。顔芸である。

 王子は笑い過ぎてお腹が途中で痛くなったようだが、ゲームを進めていくうちに雷を怖がる仕草はなくなった。


「おかしい、全敗だなんて」


 モフモフの様子を見ていますから。


「私の顔芸の勝利ですね」


 いつの間にか雷も雨も止んでいた。

 寝る時間を過ぎてしまったが、王子が笑顔になってくれて良かった。いや、王子はいつも笑顔なんだけど、あのモフモフまで笑顔になってくれて良かった。



 新しい護衛騎士は王子とまだあまり打ち解けていないので、庭で追いかけっこはしない。私たちとも少し距離があるが、やはり魔法が使えない人だそうだ。

 離宮にいる使用人は基本的に王太子殿下が決めている。

 第二王子に拾われた私は異質な存在だが、お披露目で何もできなかったというエピソードだけに同僚からは「大変だったね」と言われている。


 今は王子と庭でピクニック中だ。

 ランチを離宮の庭で摂っているのだ。


 車いすのテーブルに飲み物を用意して、庭を見回す。

 追いかけっこをしていた場所とは違い、花が咲き乱れている。


「殿下? どうされましたか?」


 護衛の声に王子を見ると、身を屈めて何かを取ろうとしていた。


「殿下?」

「あぁ、綺麗な花があったから」


 王子が手を伸ばしてギリギリ届かないところにオレンジ色の花があった。

 私の髪と同じ色だ。


「お部屋に飾りましょうか?」

「いや、やめておくよ」


(レオニー嬢に似合うなと思って)


 モフモフがそう答える。

 モフモフの動物はオレンジの花のところまでポテポテ歩くと、オレンジの花をそっと手折って私にはいと渡そうとしてきた。


 王子はオレンジの花を笑みを浮かべて眺めている。


 あぁ、この人には幸せでいてもらいたいなぁ。

 何にもできない無能な私でも、彼の幸せを願いたい。第二王子はとってもいい人だ。傷ついていても笑顔を絶やさないし、自分よりも他人が癒されたことに喜んでいる。

 私に姉以上の癒しの魔法があれば良かったのに。そうしたら、彼は他人を癒してばっかりじゃなかったかもしれないのに。


 オレンジの花をモフモフに差し出されて、いろんな感情が胸に渦巻く。


 王子、というかモフモフが出会ったその日から私に可愛いと言ってくれていたのは聞こえていた。でも、私はそれを軽く考えてスルーしていた。

 だって、無能な私はそんな好意を受け取っちゃいけないから。


 父があれほど私に怒っていた理由が分かった。

 魔法を使えないからじゃない。

 私は私が嫌いだったのだ。無能な私が。

 姉のようにせめてなりたかったのに、なれない私が。


 それでも、私はそんな無能な自分から目を逸らして足元を見ていた。そうして、このモフモフはいつの間にか生まれていたのだ。


 父の怒りは、そして姉が無能な私をバカにしていたのは……あれは実は父でも姉でもなかった。全部私が私にやっていたことだった。誰かに幸せになってほしいと思うことも、自分に真剣になることもなく、ヘラヘラして誤魔化していた。


 私が一番、私の無能さを許していなかった。


 私はしゃがむと、オレンジの花をそっとモフモフから受け取る。


 その瞬間、花からオレンジ色の光が迸った。


「え?」


 モフモフはもう花を持っていなかった。モフモフの動物は王子の足元に行き、彼の足を何度も撫でていた。


 オレンジ色の光がモフモフの動きに合わせて王子の足にまとわりついていく。


「え?」


 何が起きたか分からずポカンとしていたが、王子も自分の足がオレンジ色の光に包まれるのをポカンとして見ている。

 でも、モフモフはポカンとはしていなかった。


 モフモフは両足をせっせと撫で終わると、大きく頷いて消えた。

 同時にオレンジ色の光も消える。


「……今のはレオニー嬢が何かした?」


 いえ、モフモフがしました! とは言いづらい。モフモフとは何か説明しようにも私にしか見えていないようだったし、今はもうどこにもいない。証明できない。


 でもきっと、あのモフモフは私が作り出していた何かだ。


「えっと、分からないです」

「君からオレンジ色の光が迸った」

「あの、殿下……どうか立ってみていただけませんか?」

「それは……」


 王子は何か言おうとして足に触れて様子が変わった。


「あれ? 感覚がある」


 これまで彼の両足には感覚もなかったらしい。

 感覚の違いを感じたせいか、彼は車いすの肘置きを持ちながら恐る恐る立ち上がろうとした。


 私は車いすのテーブルを急いで取り外した。

 彼は地面に足をつけて、恐る恐る立ち上がる。


 震えているが、やがて王子は何も持たずに立っていた。


「あ……」

「殿下が立った!」


 急にそんな声が聞こえて、驚いて私たちは周囲を見回す。

 殿下の護衛騎士だったダニエルが離れた場所から声を上げていた。ダニエルは信じられないといった表情で感極まって泣き出している。


 早い。全部リアクションを取られてしまった。


「あれ? 何でダニエルさんが?」

「僕の側にいたいからって、離宮周辺の騎士に志願したんだって」

「ダニエルさんは殿下のことが大好きなんですねぇ」


 王子はゆっくりした動作でしゃがむと、オレンジ色の花をそっと摘み取る。

 私はぼんやりと彼の動作を眺めていた。


 王子が立って動いている。


 あぁ、良かった。

 彼もしばらくしたら魔法を使えるようになるだろうか。魔力回路が修復しないとダメなんだろうか。

 でも、ずっと動かなかった足が動かせるようになったのだから魔力回路だってそこと連動しているかもしれない。


 彼はこれで行きたい場所に行けるようになる。

 離宮周辺にいるダニエルにだって会いに行けるし、雷が怖くて車いすで転ぶこともない。花も動きの制約なく好きに摘める。

 表面で笑って、心の中で泣くことが少しでも減ってほしい。

 

 王子は摘んだ花を私の髪にそっと差した。


「殿下?」

「君の癒しの魔法だった。だって、髪色と同じでオレンジ色の光だったし君の手や胸から迸ったからね」

「私、癒しの魔法を使えたことがないです」

「僕のことで何か願ってくれたの?」


 私がやったなんて確証はない。

 むしろ、モフモフがやったのかもしれない。

 でも、私は確かに願った。


「殿下が……表面で笑って心の中で泣いていなきゃいいなって。幸せになってほしいなって思いました」


 きっと、これが癒しの魔法を使う際の願いなんだ。

 私は本当に、今まで一度も心からこんなことは願ったことがなかった。


「僕は……レオニー嬢と会った時からずっと笑っていてほしいと思っていたよ。僕の前でもそうじゃなくても」


 この王子が私に癒しの魔法をかけたのかもしれない。ダニエルたちにしたのと同じように無意識に。

 この王子の願いで、無能な私の存在を許せたのだ。


「でも、僕の前でだけ笑っていてほしくなったんだ。あの雷の夜から。だって、レオニー嬢は雷全然怖くないのに、あんなに優しいことをしてくれるんだから。ずっと雷が怖いことは隠していたのに」


 カードゲームでは全然優しくしてくれなかったけど、と王子は続ける。


 離れたところからダニエルの泣き声が響く。


 優しいのは王子の方だ。

 彼の側にいたから私は私を許せた。


 足元で何かが動いた。

 ふと見るとモフモフだった。モフモフの動物は後ろ足で立つと、前足をパアッと広げている。


 何だろう、抱き着く前のポーズみたいだけど……。

 見慣れたモフモフを少しの間観察して、やっと気づいた。

 見慣れ過ぎていて、見ていなかった。この子の毛もオレンジ色だ。


 あぁ、このモフモフは私の魔力で作り上げられたものだ。

 相手の本心が知りたいという私の願いで。無能を嫌っていた私は両親にどう思われているか凄く気にしていたもの。


 モフモフは目をウルウルさせながら、前足を広げている。

 王子の本心を見て、私はそっと彼の背に手を回して抱き着いた。


「殿下も私の前で笑っていてほしいです、心から」


 ダニエルの泣き声が酷くなったし、新しい護衛騎士まで感動して泣き出して離宮の庭は騒がしくなってしまった。


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10月7日配信「無能な私の殺し方~人生三度目の死に戻り王女は死を希う~」


10月25日配信「尊い5歳児たちが私に結婚相手を斡旋してきます~公爵の帰還とぷれじぇんと大作戦~」


10月25日配信「十年前の君へ~離婚前夜、夫がおかしくなった~」

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