02
ピンクベージュの遮光カーテンの隙間からサンサンと差し込む太陽の光が眩しくて、美月は目を覚ます。
「うーん、今日はいい天気」それに、冬なのに暖かい。低血圧で朝にはめっぽう弱い美月なのだが、今日はポッカポカ。いつもとは違った意味で、この心地よいまどろみの世界から抜け出すのは難しそうだ。
こんなに暖かいなんて、春まで寝てしまったのではないかとさえ思えてくる。寝すぎちゃったかな?お昼だったらどうしよう。今日はバイトは休みだけれど、午前中のうちにお掃除もお洗濯も済ませたい。そして、午後は…。あれ、何かやることがあったような気がするけれど。今の寝ぼけた頭では思考が追い付かない。
ともあれ、ベッドとは向かいにある壁掛け時計を確認しようと、キラキラと煌めく陽光から視線を外して上体を捻る。
「うへ!?」
確かに普段起きる時間よりは少々遅かったが、驚くような時間ではない。問題は、視線を時計から更に落としてすぐ近く。美月の隣にあった。
「この子、誰!?」
美月の隣で、見知らぬ女の子がスヤスヤと寝息を立てている。年齢は美月よりも少し下だろうか。黒髪のセミロングカット、小顔で目を開けばきっと大きな瞳が印象的だろう。悔しいけれど、同性の美月から見ても可愛いと思う。
可愛いもの好きの美月としては、少女の目を開いた姿も気にはなるが、今ここで目を覚ましてもらっては困るのだ。だって、何処の誰かも、どんな関係でここに居るのかも解らないまま対面するのは気まずいじゃないか。まだ心の準備が出来ていないし、どうすれば心の準備がつくのやらも皆目見当がつかない。とはいえ、このままでは埒があかない。
取りあえず、あたしはどうすれば良いのだろう?やっぱり、起こしてみる?いやいや、暴れられたら困るし。いやまてよ、昨日知り合って意気投合して?ないない、そんな記憶は無い。美月の中で一瞬のうちに色んな考えが巡って消えた。
……もう一度、よく考えるんだ。こんな時はどうすれば良い?いや、目覚めたら見知らぬ人が一緒に寝ていた時の対処法なんて聞いたことが無いし、どこを探してもそんな回答は出てこないだろう。こんな時は……こんな時は、そうだ。まずは距離を取ろう。何かあっても大丈夫な距離まで逃げるんだ。寝起きと低血圧と、更に現状への焦りを差し引いたとしても合格点は貰えないであろう結論に導かれるままに、美月は上体を起こすのだが、それが更なる混乱の奈落に突き落とされる原因になるとは思いもしなかった。
「え?ええええええぇぇぇ!!素っ裸ぁ!?」
そう、見知らぬ少女は裸だった。美月が上体を起こした拍子に掛け布団がめくれ、日に焼けた少女の肌があらわになる。
なに?いったい何があったの!?いや、何もないってばっ。あたしにそういう趣味は!って、そーじゃなくて!!
あまりに予想外の展開に、美月の思考は停止寸前。壁に背を張り付ける様な格好で硬直する。
ここで、ようやく美月は気が付いた。美月が今いるのは部屋の壁に接したベッドの壁側である。しかも、フットボード側も壁、ヘッドボードは乗り越えるには難しい形をしているうえに、その先には半分物置と化している机がある。四方のうち逃走経路は一方しかないにもかかわらず、いくら小柄とはいえ狭いシングルベッドの半分を占拠している少女を跨いで気付かれないようにベッドから逃げ出すなんて業は不可能に近い。
『しまったぁっ!脱出不能!?』
しかも、掛け布団を剥いでしまったものだから、謎の少女は寒さで今にも目を覚ましそう。
ここで、少女を踏みつけて逃げ出すという選択肢も出かかったが、見知らぬ少女とのファーストコンタクトが「踏みつける」というのは流石に無いと考え直し、寸でのところで思いとどまった。今はただ、冷や汗を流しながら少女の動向を伺うだけだ。
美月にとっては数時間の長さにも感じたほんの僅かな沈黙の後に、ついに少女はゆっくりと目を覚ました。
素っ裸の少女は眠たげな目をこすりながら、口をパクパクとさせている美月をしばし眺めて、やがて「あー」と何やら一人納得したような声で頷いて……。
ドロン
という、古風な擬音しか思い浮かばないような早業で、少女は消え。代わりに1匹の猫がそこにちょこんと座っていた。
「えぇぇぇ!?」
「あー、もー。いちいちうっさいなぁ。ほら、さっきのは夢だって。夢、夢」
心底面倒くさそうに、猫が喋った。
「……猫に言われて、どう納得しろと?」
「じゃぁ、今も含めて夢……てのは無理かね?無理だね、ウン。じゃぁ、アレだよ。アレ。助けたツルが娘さんの姿になって、みたいな?」
「言ってる本人疑問符じゃないのよ。しかも鶴じゃなくて、猫だし」
「恩返しで、猫はマズいんだな、色々と。ほら、ね?」
「何を訳の解からない事を……」
ともかく。と、ここでようやく美月は思い出した。この人の言葉を喋る猫は、昨日拾った猫だ。迷子だと思って連れて帰った深蒼の瞳を持つロシアンブルー。そうだ、今日の午後は猫の飼い主を探す予定だったんだ。しかし、その予定はもはや美月の中でどうでもよくなっている。
昨日はあれほど可愛いと思っていたのに、面倒くさそうに軽口を叩く今の姿はどことなく憎たらしい。昨日のあの感情は何だったのだろう?一瞬でも飼いたいと思ったのは。そう、まやかしだ。そうに違いない。自分の弱い心が見せた幻だ!そう思ったら、なんだか段々と腹が立ってきた。「ともかく、あんた何者なの?」
詰問する美月にも、猫は至ってマイペースで飄々と、とんでもないことを言い出した。
「色々な呼び名があったけれど、今はミィっ呼ばれているよ。ミィも気に入ってるしネ。何者かというと。うん、簡単に言うと宇宙人かな」
「へ?宇宙人!?」
一昔前なら、何を馬鹿なことを。と、一蹴している所だが、3年前の夏、アリゾナ上空に突如UFOの船団が現れた。宇宙人たちは、小さな頃に見たB級アクション映画とは違い、無差別破壊も地球侵略も行わず、紳士的に地球に対して「貿易しましょう」と、宇宙港の開港を求めてきたという。すぐさま、宇宙人の代表と国連との間で話し合いの場が持たれ、地球は宇宙人たちのコミュニティーである「銀河連盟」に加入することが取り決められ、地球の開港が決定された。
あまりにも突飛な内容のニュース報道に当時は趣味の悪いブラックジョークか何かかと思ったものだが、世間一般の予想に反してそれらは事実だった。
その証拠に、条約の取り交わされた後、僅か1ヶ月で、月と地球のラグランジュポイントに超空間航行ゲートが建造されたとか、その2ヵ月後には、ゲートに付随する巨大な空港施設である国際銀河空港が完成したとか、これまでの国際宇宙ステーションを増改築したものとはいえ、地球の衛星軌道上に浮かぶ新国際宇宙ステーションは半月で稼動を始めたとか、目まぐるしく宇宙に関するニュースが世間を駆け巡ったのだ。そのスピードたるや、美月が学生の頃に近所の更地に、たった2日でコンビニエンスストアが建って営業を始めた時以来の驚きだった。
しかし、そこまでだった。日に日に宇宙人がらみのニュースは減り、遥か上空にテレビ映像でしか見たことの無い巨大建造物がプカプカと浮いている事以外、これまでと大して変化の無い日常に戻った。
一般人が実際目にする事が出来る「宇宙」とは、深夜の海外通販番組の洗剤の売り文句が「アメリカ宇宙局の新技術」から「宇宙人文明の新技術」に変わった事と、工事が遅々として進まない羽田空港に併設される地上と新国際宇宙ステーション間をつなぐ往復シャトルバス空港の建設現場を眺める事くらいの物だろう。
そんな物珍しい「宇宙」が今、美月の目の前にいる。
「あたし、宇宙人なんて初めて見たわ…」
思い起こせば、宇宙人の話題が真っ盛りの頃でさえ、宇宙人の姿そのものを見てはいない。テレビで見てもネットで探しても、公開されているニュース映像は、空飛ぶ円盤の名に相応しく宙に浮かぶ丸い光。それも超望遠レンズで収めた低画質のものだけだった。正直に驚きを漏らす美月に、ミィと名乗る猫少女は大変満足したようだった。
「ふひひ、感動かにゅ?まぁ、正確には宇宙人の末裔、なんだけどね」
「感動かどうかは解らないけど、驚いたのは確かだわ。もしかして、宇宙人ってのは、もう大勢地球に来ているの?」
さっきまでの不機嫌も吹き飛んで、目の前の神秘に素朴な疑問を投げかける。
「んー。まだ珍しいよ。ミィだってご先祖さんが宇宙人ってだけで、長野生まれの長野育ちだし。この3年で新しく来た物好きな宇宙人なんて、世界各国探したってまだ数十人じゃないの?」
そんなミィの説明に安心する。宇宙人が珍しいという美月の認識は間違っていなかったようだ。気づかないうちにご近所に宇宙人が溢れかえっていたとしたら、それはちょっと怖い。だが、問題はそこじゃない。
「ちょっと待った!今、さらりとまたワケ解んないコト言ったでしょう!何処生まれで何処育ちだって?」
「長野だよ」
ミィの返事にガクリと肩を落とす。突然に、高い高い所にあった神秘の宇宙が手の届くお手頃な高さまで降りてきた。宇宙規模の大きな話が日本国内。それも本州限定にまで萎んでしまっては、一瞬だけミステリアスに映った猫少女の株価は大暴落、ストップ安で元の小憎たらしい妖怪猫娘に逆戻りだ。
どうりでおかしいと思ったのだ。よりによって、もう一つの姿が血統書付きさながらの見事なロシアンブルーだなんて、出来過ぎにも程がある。
「えーと、順を追って説明してくれないかな?」
不信を前面に現わしにした目で美月は猫娘を睨み付けるが、当の本人はまったく悪びれた様子がない。
「あれ?宇宙人の末裔だって話、もしかして信じてない?」
「だって、どこかのペットショップで買ってきたようなロシアンブルーを宇宙人です。だなんて不自然でしょ。明らかに人の手が関わってるブリード種じゃなくて、雑種だったらまだ騙せたかもね。で、ホントはどんなトリックなのさ」
「やだなぁ、ロシアンブルーはロシア原産の自然発生種なんだぜ?」
「この際、自然発生種だろうと交配種だろうと、どっちでもいいわよ!」
「美月が言い出したんじゃーん。まぁいいや、ミィたちの家系は、ずーーーっと昔から地球に住んでいたんだよ。代々『ねこまた』とか『妖猫』だなんて呼ばれてたからさ、最近まで妖怪の家柄だと思ってたんだけど、どーやら大昔に地球に不時着した宇宙人の末裔らしいって事が最近判明したんだヨ。て言っても、宇宙人に詳しい人たちからそう聞いたからそーなのかなー?なんて思ってるだけで、よく知らないんだけどね」
性格がいいかげんなら、出自も家柄もいいかげんで出鱈目だ。だが、この人の言葉を話す猫の人間臭い複雑な仕草は手品の種や仕掛けでどうこうなるものではない。目の前の奇妙な光景を飲み込むには理性が邪魔するものの否定も拒否もできない自分がいる。ひとまずは「こういう事もあるのかもしれない」と心の棚にそっと上げておいて深くは追及しまいと心に決めた。
「もういいわ。宇宙人でも妖怪でもペテン師でも、家に帰れない迷子の子猫じゃないことだけは解ったから。自分で帰れるでしょう?帰ってちょうだい」
心底疲れた顔で投げやりに言い放つ。懐いた猫に話しかけて愛でる姿はよく見かけるが、猫と口論なんて前代未聞だ。
「それじゃぁ、服貸して」
ミィの突然の要求に言葉が詰まる。
「はぁ?」
「猫の姿でここまで来たんだよ?服持ってきてないもん。それとも、こんな真冬に素っ裸で追い出そうっての?鬼畜!」
「そのまま帰ればいいじゃない。猫飼ってないのに猫用の服なんてもってないわよ」
「それじゃぁ、怪我した手を地面につけて歩けってんだね。怪人非道女!」
怪人なんたらってのは不本意だが、言われてみれば理屈はわかる。怪我をしているのは猫の前足で、つまり人の姿になぞれば腕にあたる。四足で歩くのは不便だが、二本足ならば歩くのに問題ない。
「…わかったわよ。ちょっと待ってて」
言って、衣装ケースから普段は部屋着として使っている古びたジャージを取り出して、猫の前に置いてやる。
「うわ、だっさ」
ミィがそう言うのも無理はない。普段はオシャレに気を使っている美月からは想像できない、何の飾り気もない色あせた地味なジャージだ。
「うっさいわね!昔、学校の体育で使ってたヤツよ。あたしの趣味で買ったんじゃないし。だいたい、部屋着なんて誰もそんなもんでしょ!」
「ちゃんと返しに来るように、ボーリング場の貸靴方式ってやつか」
ボーリング場の貸靴は盗難を避けるために、わざとデザインの悪いものを置いているという説があるのだが、その事を言っているらしい。
「違うわよ!返してもらわなくてもいいのを選んだの!!ほら、さっさと着替えて帰る!」
「ふんだ。言われなくたって帰るよーだっ!」
売り言葉に買い言葉。ミィはまたもやドロンと早業で少女の姿に変身すると、ベッドの上に置かれたジャージをふんだくる様にして通称「ダサジャージ」に着替え終える。最後には、美月にあっかんべーと舌を出して部屋を立ち去ろうとするが、ドアノブに手をかけたところで、ふと足を止めて振り返った。
「おっと危ない、忘れるところだったよ。ミィのカバン返して」
「へ?何よ、カバンって?」
ミィの言葉にまったく心当たりのない美月は、きょとんとした顔で聞き返した。
「あれれ?うそ?ミィの首輪についてたでしょ。これくらいの小さな青い巾着袋」
両手の人差し指と親指で、小さな10センチ四方の四角形を作ってみせる。
「そんなの付いてなかったわよ。あれば、最初抱き上げた時に気づいたはずだもの」
「それじゃ、巾着袋の中身だけでも見てない?小さいキラキラ光る玉なんだけど」
「見てないと思う。夜だし、雨も降ってたから見落としてるかもしれないけど、袋を見てないのに中身だけなんて難しいんじゃないかな」
「えー、そんなぁ。」
小憎たらしかったミィの顔がみるみるうちに情けない表情になっていく。
「あれが無いとミィ困るんだよー。美月、ついでに巾着探し手伝ってよ。ほら、乗りかかった船っていうじゃん」
「それは手伝う側が提案する時に言うセリフで、あなたがいう事じゃないでしょう。だいたい、なんでそこまで面倒見なきゃならないのよ」
「どんな童話でも動物助けたら良い事あるじゃんさ。悪いようにはしないよ?」
「残念ながら、あたしは現実主義なの。そもそも、動物を助けた結果がこの惨事なの。解ってる?」
「ミィは巾着が無いと帰れないんだよ!?美月は言いました『おうちに戻れるまで、しばらくの間よろしくね』と!」
「そんなの無効よ!言葉のあやよ!あたしの今年一番の汚点だわっ」
「うっわ、年の瀬が押し迫ってるのに今年一番とか言われると重いにゃぁ」
「……そう言われるだけのことしてるって自覚を持ってよ」
もはや美月の方が泣きたい気分だ。
「宇宙から来た、とーーーっても大切なモノなのに」
ぼそりと上目遣いでミィがつぶやく。その目は美月の良心に訴えかけるようにも、美月の興味を誘う罠のようにも見えた。
「そんなこと言われたって…あたしが手伝う義理はないんだから」
と言いつつも結局、しばらくの攻防の末にミィの不屈の屁理屈力に敗北を喫した美月は、今日一日だけという条件でミィの手伝いをする事になってしまった。
ほんの少しだけ「宇宙から届いたという品物」に興味がわいたというのもある。
押しに弱いのは自分の悪い癖だと重々承知しているのだが、こうなってしまったからには仕方がない。そうと決めたら早速行動。が、美月のモットーだ。手早く出かける準備を済ませる。
まずは、そうだな。ミィを動物病院ではなく人間の医者に見せる事にしよう。今は何でもないように振舞っているが、獣医の先生の話では結構な怪我だったはずだ。昨日施してもらった手当ては人の姿に変化した際に取れてしまっているので、このままという訳にはいかないだろう。
「ミィ、探し物の前に病院いくよ」
「ん?美月病気?」
「なにいってんのよ。あんたの腕を診てもらわないとじゃない」
「はぁ?美月ってば、頭が病気?」
「それどーゆーイミよっ!」
無礼のお返しに、左腕をぺしっと軽く叩いてやる。
「みぎゃぁっ!!」
腕を押さえてうずくまるミィ。
「美月の鬼ーっ」
「やっぱり痛いんじゃない」
少し悪い気もしたけれど、自業自得だ。
「ほら、どうするの?また猫の姿に戻るなら、昨日の包帯巻き直してあげようか?」
「やだ」
「じゃぁ病院…」
「やだー」
「あー、もぉーっ!駄々っ子かっ!!」
「こんなの舐めときゃ治るから病院なんてヤだよー」
頬を膨らませてそっぽを向くミィ。
「病院って、昔1回だけばーちゃんに連れて行かれて痛い思いしたから嫌なんだよ」
「あたしが連れて行った時は痛くなかったでしょ」
「ぶぅ。そーだけどさー」
「痛い思いしたって、何があったのさ」
「……注射」
「なに?予防接種?インフルエンザか何か?注射が怖いなんて、案外カワイイ所あるじゃない」
「三種混合ワクチン」
「なにそれ?」
「ねこちゃんの予防接種とか言ってたヨ」
「解かった、もういい……」
めまいがしてくる思いに「宇宙人のやることだ」と無理やり自分に言い聞かせて、病院への強制連行を決意するのだった。
時刻は、朝食には遅く昼食には少し早い、そんな時間になっていた。
二人は客足のまばらなファーストフード店で軽くブランチを済ませ、近所のそこそこ大きな総合病院に向かうことにした。この時間なら午後一番の診療に間に合うだろう。
次回、いよいよ外に出ます。




