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常 01 話 1-1
○1章
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昨晩は、満天の星空が広がっていた。そして、クリスタルのように透き通った真冬の夜空に一筋、大粒の特大流れ星を見た。「大丈夫!未来はきっと明るいから!!」流れ星に願いを込めて、そんなことを思ったものだ。今年一番、最も希望に満ち輝いていた時だった。
それなのに、今朝になってみればどうだ。出かける前に見たテレビのワイドショーで「昨夜、隕石らしき火球が千葉の興津港沖に落下しました」と、小さな町の話題として報じられているではないか。目撃したという漁船のおじさんが、興奮冷めやらぬ口調でテレビのインタビューに答えていた。そう、昨夜の流れ星は、彼女の願いを乗せて、まっさかさまに海へと落ちてしまっていたのだ。
そこからは散々だった。出掛ければ沿線の事故の影響で電車は遅れ、遅刻の連絡を入れようにも携帯は原因不明の圏外。挙句の果てに、携帯のGPSまで壊れてナビ機能が使えず迷子になる有様だ。ワイドショーの星座占いも良くはなかったが、ここまで悪くもなかったはずだ。
そんなこんなで苦難の一日を終えて家路に着く今は、満身創痍。天に昨日の願いは届かなかったが、そんな天にも情けの心はあったようで、不幸の連続に同情したかのように冷たい大粒の涙が鮮やかなオレンジ色の花柄傘をぽつぽつと叩く。雨の日こそ明るい気分で、という信条の元にチョイスした傘が、今日ばかりは完全に浮いていた。
「はぁ、今回のオーディションもダメだったな」
声に出してため息をつくが、それも雨音にかき消された。
氷守美月22歳。ファッションモデルを夢見る彼女は、腰まである綺麗な栗毛と大きな瞳に整った顔立ちと容姿は悪くないのだが、控えめな性格かそれとも控えめな胸と身長が災いしてか、これまでのオーディション結果は連戦連敗。結果を残せずにいた。もちろん、今日のオーディションの結果は当日には出ない。しかし、美月にはわかった。「なんでもっと気の利いた受け答えが出来なかったのだろう」後悔ばかりが頭の中を駆け巡る。前途多難、憧れのモデルへの道は長く険しい……。
俯きながら、終バスの過ぎた帰路をトボトボと歩く。モデルへの道も長いが、目下の家路も長い。駅から徒歩40分の物件は『最寄駅バス7分』なんて都合のいい売り文句が書いてあるが、こんな時間になれば『最寄駅無し』に等しい。住所こそ『東京都』と銘打っているものの、これだけ発達した鉄道網の隙間を巧妙に突いたように、ぽっかりと空いた都会の中の辺境の地。何かのトリックじゃないかと思えるほど、どの路線のどの駅からも遠い学生街。そんな僻地に住む者の最終兵器、いや救世主である自転車も、こんな天気では役には立たない。仕方がないから、行きに乗ってきた自転車は駅の駐輪場にそのまま置いてきた。
短大進学をきっかけに上京して4年近くここで生活しているのだから、もう慣れっこだ。慣れっこなはずなのだが、落ち込んでいる時には少々堪える。何より、下を見て歩いていると嫌なことばかり考えてしまう。
「あたし、このまま一生オーディションに落ち続けるのかな」落選通知の山に埋もれる、お婆さんになった自分の姿を想像してしまい、フルフルと頭を振ってその灰色の未来想像図を追い払う。
ザアアアアアアァァァ…
美月の落ち込みに呼応するように、雨音は一層激しさを増した。
ザアアアアアアァァァ…「みぃ」ザアアアアアアァァァ…
ふと。雨音の奥で、微かに何かが聞こえた気がして美月は足を止める。
「みゃぁ」
こんどはハッキリと聞こえた。猫の鳴き声だろうか?それも、ひどく弱々しい。
声の主を探して周囲を見渡すと、電柱の影から一匹の猫がヨロヨロと歩み出てきた。雨に打たれ、泥に汚れているが、それは綺麗な深蒼の瞳を持つロシアンブルーだった。
「どうしたの?迷子になっちゃったのかな?」
あまり近寄ると逃げられてしまう気がして、美月はすこし距離をおいて屈み、傘を差し出す。
「みゃぁ」
「キミ、一人なの?雨に打たれて、風邪引いちゃうよ?こっちにおいで」
猫は美月にゆっくりと歩み寄ってくる。しかし…
「きゃぁ、怪我しているじゃないっ!」
近寄ってきた猫は前足に怪我をしていた。美月は傘を投げ捨てて猫を抱きかかえる。猫は、抱きかかえられて安心したのか、ゆっくりと目を閉じた。
「大変!たしか、この辺りに動物病院が」
傘を拾うことも忘れて、美月は記憶を頼りに、病院を探して駆け出した。
ーーーーーー
美月は、小さな動物病院の待合室に置かれたストーブの前で、白髪の院長先生に差し出されたタオルに包まって暖をとる。今ではすっかり珍しくなってしまった灯油のだるまストーブだ。
病院は既に診察時間を過ぎていたが、美月が玄関の扉を破りかねない勢いで叩いた甲斐があってか、先生は戸を開けてくれた。そして、美月の抱えてきた猫を診療室に運んで30分ばかりが経とうとしている。
「大丈夫かな…」
ストーブの小さな炎を眺めながらつぶやく。
その声に反応したかのように、ガチャリと診療室の扉が開き、院長先生が出てきた。その腕には、左前足に包帯を巻いた猫が抱かれている。
「もう大丈夫だよ。命に別状は無い、たいした生命力だね」
見るものを安心させる笑みで、院長先生はスヤスヤと眠る猫を美月に手渡した。
「良かった。ありがとうございます」
「この子、名前はなんていうんだい?」
「えと、さっき…帰り道に路地で会ったばかりなので」
美月が口ごもる。先生は、あぁやっぱりと言うように口髭をなで付けながら頷く。
「保険が無いと高いんだよ、治療費」
「はい、知っています。でも、放っておけないから…」
「わはは、冗談だよ。お金はいらないよ」
「え、でも…」
「診察時間外だからね、仕事抜きってことにしておくよ」
笑いながら、片目を瞑ってみせる。
「ありがとうございますっ!」
美月は深々と頭を下げた。
「この子、どうするんだい?入院させる必要はなさそうだけど」
もし連れて帰れないのならウチで面倒をみるよ。そう言ってくれようとしたのだろうが、そこまでしてもらうのは流石に悪い気がして、丁重にお断りした。
「今日は連れて帰ります。こんなに綺麗なロシアンブルー、きっと飼い主が居ると思うんです。あたし、探してみます」
「そうかそうか。それじゃ、医院でも迷子になった猫が居ないかどうか、患者さんに聞いてみる事にするよ」
「はいっ、よろしくお願いします」
こうして、美月は猫を抱きかかえて家路に着いた。自分の傘は無くしてしまったので、傘までお借りしてしまった。
美月が家に着いたのは、日付も変わろうかという時間だった。
帰って何はともあれ、まずは湯船に浸かって冷えた体を温める。そして、腰まである長い髪を手寧に乾かして、きっちりと三つ編みに編み込めば寝る準備は完了である。寝室に入ると、猫は一足先にベッドの上で丸くなっていた。
ベットの真ん中を陣取っていた猫を隅に移して、美月もベットに入る。
「そうだ、キミもお布団入るかい?」
美月が掛け布団の隅をめくってやると、猫は「みぃ」と鳴いて、布団に潜り込んだ。
「こんなに人に慣れて…やっぱり飼い猫だろうな。必ず、キミのご主人様の元に帰してあげるからね。あたしの名前は氷守美月よ。おうちに戻れるまで、しばらくの間よろしくね」
このまま飼えないことを少しだけ残念に思い、布団の中の猫を撫でる。
今日は落ち込んでいたから、例え猫でも一緒に居てくれるのが嬉しい。いつもよりも穏やかな気持ちで、美月は眠りに落ちた。
ようやく本編開始です。




