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いま、宇宙にある日常  作者: 水無月 林檎
ep1。いま、宇宙(ここ)にある日常
2/20

0-2序章

今宇宙にある日常 01 話 0-2


○序章


 今にも雨が降り出しそうな重い重い雲が空を覆いつくす、陰鬱とした寒い日の夕暮れ。リスナーからのリクエストを募る古風な音楽番組で、浮かれたクリスマスソングを奏でていたカーラジオが突然として耳障りなノイズに呑み込まれた。見れば、カーナビも現在地を見失って右往左往としているし、自動運転は既に解除され基本的な運転アシストさえも沈黙しており、ハイテクカーなどと鳴り物入りで近年デビューし瞬く間に普及したST車スマートカーも、ただの前時代的なAT車と化していた。

 社用車のボックスカーを運転する男は、この不吉な前兆に舌打ちして周囲に警戒の目を配るが、僅かに遅かった。

 国道と並走する鉄道高架の柱の陰からゆらりと路上に割って入った何者かの手によって、車ごと背負い投げに投げ飛ばされる。

 最初、何が起きたのか全く理解できなかった。視界に飛び込んできた人影に慌てて急ブレーキを踏んだとはいえ、接触時に時速60キロメートルに迫る速度で走行していたボックスカーを、鋼鉄製の車体が持つ質量も運動エネルギーも無視したかのように正面から受けて投げ飛ばしたのだ。慣性の法則・エネルギー保存の法則・作用と反作用。全ての物理法則の発見者に申し訳ないと思えるほど、非現実的な光景だった。気が付いた時には、いくらハンドルをきろうがブレーキを踏もうが、横倒しになった車体はなすすべもなく、ただ勢いのままに横滑りしている。アスファルトとの摩擦で火花を散らしながら片道2車線の通りを中央分離帯を乗り越えて横断し、派手に白煙を吹きあげながらガードレールに激突して止まる。

 突然の事故に、辺りは騒然となるはずだった。しかし、同時刻に発生した大規模通信障害と停電による混乱の中、この事故を気にかけた者はそう多くはなかった。


ーーーーーー


 肩に猫をのせた洒落たスーツ姿の男が一人、息を切らせながら人目を避けて路地を縫うように、暮れなずむ日曜のオフィス街を全力で駆け抜けていく。真冬の冷え切った空気に、白い息が点々とあがる。

 見る人が見ればそうと解る、日本ではあまり知られていないイタリア製ブランドのスーツはくたびれ、同じくブランド物の眼鏡から覗く鋭い眼光の奥には疲れの色が見える。普段ならば愛嬌で通る無精ひげと相まって、本来の精悍さを失わせてしまっている。彼の肩の猫は、前足を怪我しているようで、振り落とされないようにしかとしがみ付いている。綺麗な毛並みの灰色猫だ。すれ違う人は皆振り返るほど異様な取り合わせだが、そもそも休日のこんな時間こんな場所では、それほど人に出会うこともない。

「クソ!狙われているなんて聞いてねーぞ」

 無精ひげの男は小さく悪態をつく。肩の上の猫が「にゃー」と返した。まったくだ、と同意しているかのようだ。

 横転したボックスカーがガードレールに激突するよりも早く、目くらましに焚いた発煙筒の煙に乗じて脱出した。丈夫さだけが取り柄のワンボックスカーを更にフレーム強化した社用車でなければ確実に死んでいただろう。

 遠くでパトカーのサイレンが響く。今しがた乗り捨てた車のある方角だ。これだけ早く来ると知っていたなら、なんとか時間をかせいで警官の到着を待つべきだったかもしれない。と、そこまで考えて思い直す。警官でどうこうできる相手ではないだろう。

 男は、狭い路地の角を幾度か曲がり、雑居ビルの合間にある狭い通用路に身を潜め、肩の猫に話しかける。

「これを持って、お前は先に戻れ」

 息を整えながらそう言って、ピンポン玉よりは一回りほど大きいだろうか、周囲の光を反射して鈍く虹色に光る綺麗な玉を、猫の首輪にくくり付けられた巾着袋に仕舞い込む。

「さぁ、行け」

 男は、猫を放つ。

「心配するな、お前を担いで走るのが重いだけだ。後で合流する」

 蒼色の瞳を持つロシアンブルーは、怪我した前足を庇いながら路地の薄暗い陰に消えていった。男はそれを見届けると、「17時12分。積み荷はミィに託す」携帯のボイスレコーダーにメッセージを残して、携帯の電波強度を確認する。表示は先ほどから変わらず圏外を示し、先ほどのカーナビ同様にGPSも機能していない。かといって、壊れたという訳ではない。そう、何てことはない。先ほどから執拗に追いかけてくる存在の仕業だ。それは、ただそこにいるだけでも日本の電波法なんて全く無視した出鱈目なレベルの強力な電波と電磁波を発しているはずだ。少なく見積もっても半径数キロの範囲で電波障害が起こっているだろう。

 男は、携帯電話を勝手口の脇に置かれたダストボックスの陰に隠し、路地を飛び出す。

遠くで二言三言、日本語ではない聞きなれない言葉が飛び交い、人とは明らかに異なる異様な存在が、無精ひげの男の後を追って駆けてゆく。腕が異様に長く背骨は曲がっているのだが、それでも身長2メートルを越す。襟を立てたトレンチコートで隠そうとはしているが、とても隠しきれていない、類人猿を連想させる体系。目深に被った帽子とマスクで顔は判別できなかったが、陰影が薄くのっぺりとしているように見えた。鼻が著しく低いか、もしくは無いのだと推測される。昔話に登場するのっぺらぼうを連想するが、得体が知れないという意味では妖怪に近しいものがある。

 車の中でフロントガラス越しに一瞬見たきりだったが、特徴のないトレンチコートが逆に目印となった。さきほど車を投げ飛ばした常識はずれの怪力の持ち主だ。だが、逃げる男にとっては幸い、その怪力とは裏腹に足の方は特別に速いという事はないようだ。

 無精ひげの男は、人目をはばかっていた先ほどまでとは打って変わって、大胆に大通りを選んで走り続ける。しかし、不意に観念したように足を止めた。

 背後の追跡者と同じ服装の人物が数名、無精ひげの男の行く手を阻む。襟を立てたコートと目深に被った帽子で素顔は窺い知れないがこちらは普通の人間だろう。一分の隙も無い動きから、かなりの手練れであると知れる。

 前方は塞がれ対峙したまま動けず、背後からも追手がゆっくりと間合いを詰めてくる。行く手を阻んだ一団のリーダーらしき人物の帽子の奥で、眼鏡が鈍く光った。

 同時刻、3時間にわたって東京23区の約半分と川崎市の一部で発生した原因不明の電波障害は、何の前触れもなく復旧した。表向きは、太陽フレアの影響による電波障害。と、あまりにも不自然な公式発表が行われるのだが、それはまた後の話だ。

 こうして、オフィス街はようやく休日の静寂を取り戻す。ぽつりぽつりと、ついに冷たい雨が降り始めた。

 無精ひげの男が隠した携帯電話も、『メールを送信しました』このメッセージを最後に、降り落ちる雨に水没して停止した。

 天気予報は、雨は一晩中強く振り続き、東京でも所によっては深夜雪に変わるかもしれないと告げていた。





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