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捨てられ姫の婿探し

作者: 緑乃ぴぃ
掲載日:2026/01/30



小柄で幼き容姿の殿下は、右手を胸元に当て口にした。


――滞在許可を頂き、うれしく思います――


儀式用の間、領主椅子に座る私の目の前でそれだけ言うと小さく一礼をした。

その仕種(しぐさ)、どこかぎこちなく、それでいて自信のない言葉と態度。

私はひと呼吸を置き口にした。

長旅の疲れを癒してください。

そしてこうも付け足した。

なにもない――辺鄙(へんぴ)な所ですが、付近を散策したいときは(おっしゃ)ってください。案内人を付けます。


――っ!――


何気ない私の一言に殿下は、腰まで伸びるブラウン色の髪を揺らしながら小さく驚き、壁際に立つ付き添いの侍女三名も同じように小さく驚くと、互いに顔を見合わせた。

私は会話を誤魔化すべく、(とつ)と立ち上がり南窓に視線と身体を向け「秋らしい風が吹く頃になりました。南方に位置する王都はまだ晩夏の香りでしょうか?」

「えっ!?」


またも驚く殿下。


「幼き頃、母上に連れられこの時期の王都で数日間過ごしたことがあります。夏の終わりを懐かしむ、どこか(はかな)くてそれでいて活気に満ちあふれた(うたげ)を見物に行きました」

「えっはっはい、そっそうですね、月の終わりに開催されます夏終祭は収穫祭とも重なり街中が華やかになる(うたげ)ですから……」

「あれはたしか――商人ギルド近くに立ち並ぶ屋台で誤って果実漬けのお酒を飲んでしまい、周りの者を驚かせました」

「だっ大丈夫だったのですか?」

「はい、少量でしたので。それに、あの甘味を知ることができたのは子供ながらに自慢話の一つとなり、学友に意気揚々と何度も話聞かせました」

「プッ、あっしっ失礼しましたっっっ」


体勢を崩し笑いを堪える殿下。

夏から冬にかけて飲める果実漬けのお酒は、度数が高く癖のある口当たりのせいか好みの分かれるお酒。そのため苦手な人は口を付けるのもためらう。

そんなお酒を私は甘味と表現した。


「学友曰く『父上に聞いたら目を丸くして驚いていたぞ』と言わしめました」

「そっそうでしょうね、あのお酒は個性が強すぎて飲み手を選びますから」


飲み手を選ぶ――一見、万人受けしそうな呼び名と、使われている果実も林檎や杏、ブルーベリー、ブラックベリーなど、日常にあふれている材料を使用するが、製法が独特のせいか出来上がると癖が強く芳醇!?な香りを放つ逸品となる。

甘みが極端にないせいかハチミツや溶かした砂糖を入れて頂くのが主流でもある。


「さて殿下、話は横道に逸れましたが東の離れをご用意しました。専属の者を付けますゆえ、なにかありようでしたらその者に伝えてください」

「エミール様の寛大なる御配慮と、わたしどものご要望を聞き入れて頂きましたこと、ただただうれしく思うばかりにございます」

「謙虚なお言葉、私どもには過分(かぶん)なものにございます。どうかこの地にて心休まる日々をお過ごしください」


私はスッと姿勢をただし(うやうや)しく一礼。


「エミール様……あっありがとう――ござい――ます……」


か細く小さな声。

そしてどこか不安感を隠しきれない表情。


「――と、…………」


なにか言葉に詰まったよう。

私は気がつかぬフリを一つ。

殿下の父上は、この国の王にして不可侵領域の存在。

母君は正室にして王族直系の人物。

そして本人は王位継承権第五位の末姫、フェルブラント・フェン・アルドロオレッサ・ファービュラス・ディ・マイーナ殿下。


「そういえばマイーナ殿下は先月、成人の犠を終えたと(うかが)っております」

「はい、今年十七になりました」

「では、果実漬けは――いかがでしたか?」

「いかがですか――」

「なに――か?」

「実は、小瓶を荷物のなかに……」

「プブッ。あっと、失礼しました――」


笑いを堪えられず吹き出す私に殿下はなにか感じたのか、安堵の表情を見せた。


「コホン――」


私の斜め後ろに立つ執事のヨハンはわざとらしく咳払いをすると「長旅でお疲れのご様子、離れの一室に湯浴みの準備をさせております」と口にし、深々と一礼。


「わたしたちを――温かく向かい入れてくれましたこと、(かさ)(がさ)ねお礼を申し上げます――」


マイーナ殿下はそう告げると――王家らしからぬ一礼を見せ、左右の壁に立つ文官数名の目を丸くさせるほど驚かせ、少し遅れて付き添いの侍女三名も同様に深々と一礼をしてきた。


「ヨハン、案内を頼む」

「かしこまりました」


ヨハンは胸に手を当て軽く一礼をすると、侍女三名に視線を向け無言の呼び出しをした。

スッと反応する三名。


「ふむ――」


ひとりつぶやくヨハン。


「侍女の方々、まずは荷物の搬入と整理。次に厨房に来るように。その後、其方(そなた)たちの身の回りについて話そう」そう告げ、自ら前に歩み出てマイーナ殿下の前で腰を落とし一礼、そして右手を扉のほうへ差し向けた。


無言で軽く頷くマイーナ殿下。


ヨハンの告げた“厨房に来るように――”このひと言は重みのある言葉。

館に数日程度滞在するのであればそのような必要はない。

しかし厨房に出入りするということは、仕える者たちも貴方がたを歓迎しているというサインにほかならない。


「エミール様、本当にありがとうございます――」


マイーナ殿下は両手を胸元に当てまたも王家らしからぬ一礼を見せ、これまでの苦労を、屈辱を、やり場のない感情を、そのひと言に詰めた――そう私は(とら)えた。


信頼できる者の情報によると私が七番目。

約二ヶ月前、殿下御一行はとある公爵家に赴いた。

そこから日を置きながら国中の上位貴族を訪ね歩いた。

三番目の伯爵家にいたっては、雨宿り程度の時間しか場を設けず、次の候補地へと向かわせた。

そのような状況ゆえ、日を追う事に付き添いの者たちは離れ、五番目にして侍女は三名の者となり、殿下を警護する者たちは“断り”を入れた候補者たちが、次の家に向かわせる間だけ臨時警護をしている状況。


当初、侍女の数は十名以上、警護兵二十五名前後、その他数名の四十~五十くらいと聞いている。

しかし針葉樹の皮を剥ぐように一人、また一人とその場から離れ、王都から付き添ってきた者は侍女の三名と警護兵の二名のみ。


「マイーナ殿下、私は明日の朝まで夜狩りに出かけますゆえ不在になりますが不明な点、心許(こころもと)ないことがありましたら周囲の者に声をかけてください」

「エミール様のお心遣い、誠に感謝申し上げると同時に、どうか怪我をすることなく無事にお帰りになられますよう、お貸し頂きました離れ一室にて祈っております……」


上位貴族はなにかしら希有(けう)な魔法が使え、王族にいたってはさらに希有な上級魔法が使える者もいて民の信用と信頼の土台を築き、気高き血筋を誇示している。

マイーナ殿下の母君は、守護の加護を祈りによって授けられる魔法が使え、この王国で唯一無二の存在。

長男も同様に守護魔法の使い手で、第二子の長女も王国で数名しか持ち合わせていない神聖魔法の使い手。

第三子の次男は武勇の魔法に飛び抜けて優れ、第四子の三男にいたっては複数の魔法を同時並列で発動させ神童と言われている。


「わたし、フェルブラント・フェン・アルドロオレッサ・ファービュラス・ディ・マイーナの名において、夜狩りに(おもむ)く皆様が無事にお帰りになられますよう、神々の誓いを規範にここに願い奉る――」

貴女様(あなたさま)御心(みこころ)、たしかにお受け致しました――」


マイーナ殿下、王の末姫にして継承権第五位の人物、娶ればその領地に多大なる恩恵が約束されるのは確実で、なにより王家と血の繋がりができる。

しかしどの候補者も殿下に白百合の花束と白銀のブレスレットを送らず、逆に接触をさけた。

そう、王家にして正当なる血筋の持ち主であるが殿下は幼少の頃より魔法の才がなく、魔力すら微々たるもの。

もし、お子を産んだとしてもその血が引き継がれることにでもなれば、その家は魔法が使えない者を後世に渡って輩出してしまう――。

そんな殿下の事情を知る者たちは今回の旅を、“捨てられ姫の婿探し”と影で呼んでいた。


しかし私は、この末姫を――煙たがることができなかった。

来年二十四になる私とて子爵の地位にありながら魔法の才に乏しく苦労してきたからこそ、イヤというほど殿下の気持ちに寄り添えてしまうから――。




  ◆◇◆




「お迎えするのですか?」


焚き火をはさみ、狩人のファルガーはさらに「お姫さんを側室にでもした日にゃあ、こんな領地は消し飛んでしまいますぜ」と、領主たる私を目の前にしながら言い放ち「まっなんとかなるんではないでしょうか?」とも口にしながら焚き火の中に乾燥した小枝を数本投げ入れた。


――ポゥ――


小さな炎とともにレッドシダー特有の針葉樹の香りを含んだ煙がたち込め、夜空に白い煙の柱を立たせた。


「ファルガーよ、言っている意味がよくわからない……」

「ふへぇ!?」

「領地が消し飛ぶと言いながら、なんとかなるんじゃないかとは?」

「あーすいやせん、ただ……」

「ただ?」

「あっしら平民にゃあ、お貴族様たちの駆け引きなんてわかりやせんから」

「たしかにそうかもしれないけど、もう少し建設的な意見が欲しいと思う」

「ハハ、すいやせん」


幼少の頃より付き合いのあるファルガーの考えは正しい。

平民に王侯貴族たちの在り方を尋ねても答えられるわけがなく、逆に尋ねる私のほうが間違っている。

髭に付着した小枝を指で払いのけながらファルガーは「いまごろお姫さんと付き添いの者たちはベッドの上でぐっすりでしょうね」

私は彼の瞳に視線を向け、小さく無言で(うなず)く。

王都を出立(しゅったつ)して二ヶ月、その間、訪れた貴族たちから浴びた視線と態度を考えれば彼の言わんとすること、容易に想像できる。


「エミール様の性格を考えりゃあ側室はないでしょうなぁ」

「勝手に話を進めるなよ」

「まっあっしの半分くらいの歳ですし、側室に向かい入れてもすぐに手は出せねぇ」

「半分!? お前、三十四!?」

「今年三十でさ」

「半分じゃないだろうに」

「半分じゃありやせんけど近くないですか?」

「まったくお前というやつは……」

「して今回の件、どうするおつもりで?」

「どうする――か……」


――パチッ――


ふいに炭が()ぜ、松脂(まつやに)の臭いが辺り一面に漂い鼻先をくすぐった。


「こりゃあ若い松の木ですな」と、ファルガーはぽつり。


松脂はこの地の名産の一つで様々な用途に使われ、古くは灯を取るための灯火油(ともしびあぶら)として使われ、楽器の表面保護剤としても愛用されている。

大口の商談でいえば、防水性があるため木材同士の隙間を埋めるのに利用価値が高く、海や湖に面した領地との取り引きが活発で、この領地において貴重な財源の一角を担っている。

そのため定期的に夜狩りを行うことによって森林の環境を守っている。


「エミール様、こんなのはどうです? 松脂を“(かお)り”と(とら)えるか“(にお)い”と感じるか、お姫さんに聞いてみては?」

「なんだそれ?」

「悪くないと思いますがねぇ」

「まったくお前というやつは……」


冗談で言ったつもりだろうが、あながち外れた考えではない。

むしろ称賛に値する質問かもしれない。

この、王国最北の地で生きていく覚悟があるのなら、“臭い”と感じた時点で――。


「少しばかり横になりやすが、なにかあったら起こしてくだせぇ」

「鹿の解体、見事だったよ」

「それが仕事ですから」


それだけいうとファルガーは焚き火の向こう側、くるりと布生地を身体に巻き付け横になった。


――パチパチ……――


焚き火の中、爆ぜる炭。


「覚悟があるのなら――か……」


その言葉、自分にも当てはまる。

今回の件、殿下御一行にひとときの休息をしてほしくそれなりに準備をして、向かい入れた。

南の領地を出立すると聞いたのが四日前、早馬は二十名にも満たない御一行を追い越し、昼夜関係なく(かわ)(がわ)る走り続け、早馬に騎乗した連絡兵は到着するなり口にした。


――決断を迫られます――


荒い呼吸のままさらに「一介の兵にも耳を傾けます領主様ゆえお伝え致します。姫君御一行、疲弊の色濃く歓迎されないと承知の上で……この地に足を運んでおります……」

私はすぐに屋敷の者たちを集め告げた。

()の者たちが街道に見えたなら、すぐに湯を沸かせ。そして軽食を準備し、心休まるひとときを与えられるよう客間に花を飾れ――と。


屋敷に到着した殿下の侍女の一人は、部屋に飾れた花を見て崩れ落ち涙したと、当家に仕える小間使いは口にした。

私はここまでの道のりで起きた出来事を殿下はもちろんのこと、側で仕える者たちにも尋ねてはいけないと屋敷で働く者たちに告げた。

その言葉に皆はすぐに察し、口を固く閉ざし小さく頷いてくれた。


今回の件、一部の者を除いて詳しい内容を知る者は少ない。

それはある意味、殿下を(かば)うと同時に、己の逃げ道を作った。

婚儀を結ばなくとも、()の地では多少なりとも歓迎を受けた――そう思ってもらえるように。


嗚呼、なんて私は卑怯で臆病な人間なんだ。


本来なら、領地の主として毅然(きぜん)とした態度で臨まなくてはならず、パッと出の殿下の気持ちより、領民の暮らしを守ることに重点をおかなくてはいけない。

なのに、それが私にはできなかった。


私は、御一行を向かい入れてもなお、心は迷宮を彷徨(さまよ)っている。


王家と血の繋がりを得ることによって受ける恩恵は計り知れなく、領地と領民の()を加味すれば断る理由などない。

さらに王家に“恩”を売れるわけでもありそれは後世に渡ってこの地に富をももたらす。

目立った産業もなく、冬の季節は文字通り厳冬の時期で山々に囲まれたこの地に逃げ場はない。

あるのは豊かな自然と、おおらかな性格を持った領民のみ。

他の領からすれば取るに足らないものであるがその二つがあったからこそ、いままで領地として成り立ってきた。

そんな片田舎の地に、王家の血筋が入る意味はとてつもなく大きい。


しかしそれらを加味してもなお負の側面は大きく、断りを入れた領主たちの気持ちも理解できる。

聞くところよると殿下の魔法の才は著しく乏しく、平民ですら扱える低級魔法さえ困難な状況。

重い荷を担ぎ上げるときに使われる補助魔法でさえ発動できず、貴族界隈なら誰しも使える炎系や水系は論外で、指先に小さな明かりを灯すのが精一杯と噂されている。


ゆえに、生まれくる子にその負の側面が受け継がれるかと思うと躊躇するのは当然。

二番目に訪れた侯爵家は次男の正室にと話を進め、事がある程度進んだと報告を受けている。しかし結末はいまの状況を作り出したに過ぎず、どちらが破棄の申し出をしたのかは不明。

私と執事のヨハンの見立てによると、侯爵側は時を見て側室に鞍替えする算段を企てていた――。


そんな状況のなか、私は決断を迫られている。

王家との繋がりを取るか、それとも賭けに出るか。


「フッ……」


生まれる子を、賭けに――と考える時点で人間として最低だ。


「エミール様、西のほうで猪の群れを確認したと報告がありました」


私の背後、連絡係の狩人はそう告げると、焚き火の向こう側で横になるファルガーの脇に向かい「出番だ」と言い頭を小突き、むくりと起きたファルガーの口元にはヨダレが()れていた。


「ようやくあっしらの出番ですね」

「よく言うわ、エミール様の護衛もせず横になりおって」

「いや、起きていたぞ」

「本当か?」

「ああ、エミール様の鼻唄が聞こえたからな」

「鼻唄!?、本当ですかエミール様?」


二人の視線がこちらにくる。


「……」

「……」


黙る狩人二人。


「……ちょうど雰囲気の良い曲が思いついて鼻唄まじりに口ずさんでいたところだよ」

「おお、では今度の収穫祭でお披露目でしょうか?」

「ん~それはまだ検討段階だ。それより猪の状況は?」

「はいっ、報告によりますとオスを中心とした群れで十頭前後、体格は危険クラス」

「ふーむ、それはやっかいだな。こちらの人数は十二、全員でかかっても取りこぼしは必至」

「はい、攻撃系の炎系魔法が使えぬ森の中、弓と槍に頼るしかありません」

「猟犬は前回のときに負傷したため今回はいない。追い込み役は――」


私は迷うことなく視線をファルガーに向けた。


「えっえっ!? あっしですか!?」

「お前には貸しが一つあるからな」

「貸し!?」

「ああそうだ。一つ、なっ?」

「……あ~」


ファルガー、後頭部をさすりながら苦虫を潰したような表情を一つ。


「猪相手に追い込みかぁ……」

「後で酒をたらふく奢ってやる怪我だけはするなよ」

「へっへい!」


まったく素直な性格で助かる。

さて、普段はおとなしい猪だが樹木の根元を荒らす獣として駆除の対象。

そして繁殖力が強いからいくらでも子が生まれ、狩り過ぎることはない。

やはり血筋が影響しているせいか、鹿や熊、野兎、イタチとは別格の存在。


――血筋――


「エミール様、なにか?」

「ん? なんでもないただの独り言だよ」


いまは、殿下の件は頭から抜こう。

そうしないと皆に怪我を負わせてしまう。


――ピュィッ!――


連絡係の狩人は口笛を吹くと茂みの中から一人、また一人と足音が聞こえはじめ続々と集まる者たち。


「これより猪の群れの討伐を行う。緊張と正確さを持って事に当たれ!」

「「「「「「「「「「「「ハッ!」」」」」」」」」」」」



その後、夜狩りは太陽が昇るまで続き、軽傷者数名で済んだのはマイーナ殿下の祈りの加護の影響と――思いたい。




  ◆◇◆




「エミール様の予想した通り二分しております」

「比率は?」

「七対三で、“お帰り頂く”が優勢になります」

「先々の“事”を加味すれば前者。王都への護衛代で済むのなら安い」

「はい」

「目の前にぶら下がる肉を食したければ後者」

「その通りにございます」

「今後、どのような展開が待っていると思う?」

「そうですね――」


文官筆頭のジークリンデは小振りな眼鏡の端をクイッと持ち上げながら「男爵家へ向かわれるでしょう」と、きっぱりと言い切りオールバックの白髪をさらりと揺らした。


「ジークリンデ、普通なら考察にも値しない妄言と片付けるところ。しかし其方(そなた)は当家に仕えて四十年。この領地で、王国の繁栄を、激動を、安らかな日々を、その(まなこ)で見てきた人物。私は、其方の言葉の重みを誰よりも知っているつもりだ」

「お褒めいただきうれしく思います」


ジークリンデは胸に手を当て小さく一礼をすると、そのまま濃紺色の文官服の胸元に手を入れ一枚の羊皮紙を取り出し、机の上で広げた。


「聡明なエミール様ゆえすぐに気づくでしょう」

「試しているのか?」

「試すもなにも見ていただければ一目瞭然かと」

「フンッ、私の質問を想定して用意したセリフであろう?、其方の洞察力には完敗だよ」

「有り難うございます。それより中身のほうを見てくださいまし」

「まったく、寝起きだというのに人使いの荒い執事だこと」


夜狩りから帰宅後、夕食直前まで寝ていた私を起こしに来たついでにと話し合いの場を要求してきた。

いまだ頭がぼんやりしているが来てくれた以上、ぞんざいに扱うわけにはいかない。

なにせ、この辺境の地の運営に必要な人物なのだから。


「ふむ……羊皮紙の、左手側の上から辿(たど)ってきた軌跡とその内容、右手側が今後向かわれると推測される貴族……」

「はい、最初に訪れた公爵家は“お断り”を前提に二日間の滞在、次に訪れた侯爵家以降も文面の通りで、下部の空白部分が当家にございます」

「お断りした家々の内容は置いといて問題は――」

「はい、公爵から子爵までは世襲制ですが、男爵位はその一代限りの貴族。世間一般的に考えれば王家の者が男爵家の元に嫁ぐことなどありえませんし、前例も存在しません」

「そうだろうな」

「唯一例外があるとすれば――」

「あるのか?」

「はい、ございます。『エリンツェーリエ・ダル・クルグハルト王国物語・第一章、時の始まり』の序章、マクシミリアン皇女殿下とシュナイディーア男爵との馴れ初めが該当します」

「数百年前の話しを出されても……どう返答してよいのか考える時間をくれ……」

「さて、冗談は置いといて――男爵位との婚儀、大いにあるかと」


頭を抱え込む私の様子を見ているにも係わらず文官筆頭のジークリンデは言葉を吐いた。


エリンツェ・ディル・レグルハルト王国には現在、大小差はあるものの男爵家は十九。

その内、男爵位では不憫な名家と()()している家々は六つ。


「おいおい、六つのうち三家までは男爵位ながらも品格のある名家、しかし他はないだろう……」

「そうでしょうか? 一人は離婚歴三回の次期当主と目される人物で年齢は二十五、しかしながら鉱山運営から得られる莫大な収入は王家とて無視できないもの」

「其方の言わんとすること、わかる。持参金を持たせ送り出したら何倍、何十倍にもなって金銀財宝が返礼品として返ってくる未来が容易に想像できる」

「その通りにございます。もう一人は初婚ながらも歳は四十九。魔法・魔術の才に秀でたお家柄、とくに王族すら叶わず諦めた魔法技術を習得した一族のため、王家としては繋がりを持ちたいと聞いております」

「その話、噂程度かと思っていたが事実であったか……」

「最後の男爵家は、表向きは十三歳の長男。しかし本当の年齢は来年の冬月で七歳」

「おいおいそれはいくらなんでも無理があるだろうに」

「どうとでもなる自信があるからこそ、年齢詐称をしているのでしょう。お家(現当主)としても楽しみでしょうな、傀儡の人形同士の婚儀は」

「……」

「エミール様、当家が今回の件、お断りを入れれば男爵家の元に嫁がされる可能性があります。それは、本人が望むものでなくとも」

「……」

「当家同様、子爵家は残り六つありますがどれも正室持ち。王家の姫君を側室に召し上げるリスクを選択肢するとは思えません」

「……」

「マイーナ殿下に、情けをかけますか? それとも、羊皮紙の下部に当家の名前を書き足しますか?」


私は雇い主にも係わらず、彼の瞳を見ることができなかった。

そして、会話をはぐらかすように目元を抑え悩む姿を演じて見せた。


「エミール様、当家の下位、男爵位の者たちからすれば喉から手が出るほど欲しい話であり、断る理由など微塵もないことくらい、貴方様ならお分かりでしょう?」

「文官筆頭の人物は“向かい入れる”派か……」

「なにを言うのかと思えば――」

「そうだろ?」

「私は、“王都にお帰り頂く”派にございます」




  ◆◇◆




「エミール様、昨晩の夜狩りでどこかお怪我でもされたのですか?」


夕食後のひととき、殿下側から会談の申し入れがあり、執務室に通すのは若干堅苦しく思えたため、暖炉のある客間に通し暖炉内に数本の薪を入れ火を入れ、くだけた雰囲気を作りいまこうして会っている。


「マイーナ殿下、どのようにそう判断されたのですか?」

「判断……というものではありませんが、侍女の者から聞きました。脇腹を抑えていたと――」

「脇腹……」

「はい、侍女によると廊下ですれ違ったさい、右脇腹を抑え険しいお顔をされていたと聞きまして……」

「侍女と……廊下ですれ違い……あーあれですか、問題ございません」

「そうなのですか?」

「怪我や病気ではないのでご安心ください」

「それはホッとしました。」

「侍女の者にもそうお伝えください」

「申し訳ございません、当方の侍女が出過ぎた真似をしてしまい……」

「称賛に値する行為であり責め立てる話ではございません、どうかよしなに取り計らってください」

「そう言って頂けますとうれしく思います」


殿下は椅子から腰を浮かしスカートの裾を軽く持ち上げ一礼をしてきた。

言えない。

急に腹痛に襲われトイレに行く途中だったなんて。


――コホン――


私の背後、執事筆頭のヨハンはわざとらしい咳払いを一つ。


「あっと失礼しました」


私も慌てて椅子から腰を浮かし右手を胸に当て一礼。


「エミール様、そして執事筆頭のヨハン殿、私は取るに足らない末姫にございます。どうか礼儀を重んじる態度はお控えくださいましな」


殿下、私に視線を合わせると小さく頷いた。

末姫と口にしたがこの国の王の娘にして、王位継承権を持つ人物。

普通ならもっと横柄な態度で接してくるものであり、こちらは爵位の低い子爵ゆえぞんざいに扱われて当然の立場。

しかし末姫、マイーナ殿下はそれをしない――。

いや、正確にはできない――この人は自分の置かれた立場と境遇を、十分に理解している。

その証拠に、暖炉の中でゆらゆらと燃える炎を前にしての会談、こちらは背後に執事のヨハンを立たせているがあちらは殿下お一人。

付き添いの中に執事たる人物がいないせいもあるが普通はありえない。

穿(うが)った見方をすれば――女一人の身、どうか好きなようにしてください――ともとれる。

さらに、夜更けに自ら一人で乗り込んできたという事実が世間に知れ渡れば婿探しの旅は続けられないし、殿下の名誉に傷がつく。

もしやそれが狙い――って……。

いや、それは考え過ぎか。

もちろん私もヨハンも今の状況を口外するつもりは毛頭ない。


「マイーナ様、お話の途中申し訳ございませんが――」そうヨハンは言い、殿下に視線を合わせ口にした。


郷土料理のほう、お口に合いましたか――と。

さらに付け加え、南方の王都より味付けが濃く独特で、旅人や他領の商人を相手にする料理屋では味付けを薄めにして提供していると。


「味付けといいますか、猪の肉、はじめて食しましたが独特な風味がなんとも味わい深く、お好きな方は鴨肉や鹿肉よりこちらを求めるのではと、感じました」

「はい、領地を守る衛兵や、力仕事を生業(なりわい)とする者、長距離を移動する商人たちに好評でございます」

「それはつまり栄養価の高い肉ということですね」

「マイーナ様、栄養価――とは?」

「あっと……そうですね……単純に言ってしまえば、力を発揮できる食材もあれば、大量に食してもいまいち力を発揮できない物もあるつまり、ブルーベリーを握り拳程度食しても隣の街まで歩いていけませんが、猪肉ならその半分程度でも走って行ける――そういった考えになります」

「たしかに……」

「ただ、肉料理には体力を消費する面もありますから一概(いちがい)には言えませんが」

「んん?」

「あっと、軽く流してください」


なんだろう、なにか――違和感を感じる。

それがどんなものなのか、どこからきたのか、なぜ感じたのか、さっぱりわからない。

明確な理由、自分でも見つからない。

しかし、たしかに私の心の内に存在する。

ふいに殿下は小さく笑みを見せた。


「夕食にての提供、もしや昨晩の夜狩りでエミール様が討ち取ったものでしょうか?」

「左様にございます」

「もしやと思いましたが領主自ら先陣に立つ姿、領民にとってこれ以上の誉れはございませんね」

「――っ」


言葉に詰まる優秀な執事。


「この家、グラファント・フォン・パインレジン・エリアス・ドゥ・エミール様にお仕えして早……数年、これほどの喜びはございません――っ」


またも言葉に詰まる。


――早……数年か……――


父上が急遽死去して私は三年前、領主となった。

一人息子のため、いつかこの日が訪れるのを覚悟していた。

それが早いか、遅いか――それだけの違い。


「マイーナ殿下、少しばかり――当家の者が出過ぎた真似をしてしまい申し訳ございません」

「なにを仰いますか、主を称賛する言葉に謝りなど不要にございます。どうかよしなに取り計らってくださいましな――」

「っ……」

「さて、お話が少しばかり長くなってしまいました。これ以上、この場に留まりますと変な誤解を生む可能性もございます。これにて失礼致しますね……」


そう口にすると殿下はやおら立ち上がり一礼。

そしてそのまま部屋を後にした。


「……」

「……」


私もヨハンも引き止める頃合いを見失い、室内に広がる空気は軽いものではなかった。


二日後、殿下御一行はこの地を後にした。




  ◆◇◆




「今年の猪は例年に比べ痩せていますな」


ファルガーは弓矢の弦に引っかかった枯れ葉数枚を払い落としながら言った。


「去年の夜狩りは矢が足りなくなるくらい捕れたのに、今年はもう駄目でさ」

「他の狩人も同じ考えか?」

「同じもなにも去年の今頃は十頭前後の群れを狩ったじゃありやせんか。しかし今年は良くて三頭前後、比べるまでもねぇでさ」


寒空の中、ため息混じりにファルガーは言うと焚き火に数本の小枝を投げ入れ、布生地をくるりと身体に巻き付け横になった。


「領主たる私を差し置いて寝るのか?」

「勘弁してくだせぇ。昼間の疲れが出ちまって、ちょっとだけ横にさせてもらいやす」

「まったく……」

「明日も畑を耕さねぇといけねんでさ」


基本狩人は、野山で走り回る獲物を捕らえるべく体力温存で行動し、ほかの作業に手を付けることはしない。

しかし今年はそうもいっていられない状況で、肥えた猪を狩ったのは初夏に数度だけ。

ゆえに彼を叩き起こすような真似はできない。


「出たら(獲物)起こしてやる」

「……」


返事はない。

さて……。

どうしたものか……。

一ヶ月半後、領を上げての祭り、収穫祭が行われる。

それまでに少しでも良質な肉類を調達したいと思い連日連夜、夜狩りを敢行しているものの野ウサギやイタチを狩った程度で大物に恵まれていない。

それでも祭りの日は訪れる。

中止や延期する選択肢は微塵もなく、考えられる代替案として、ジャガイモや根菜類を蒸かして配るのが精一杯。

さらに悪い話は続き、いくつかの河川が氾濫を起こし、村を二つ潰した。

他領であれば無視を決め込む程度の話であるが、この地においてそれはできない。

はじめから少ない領民がさらに減ることにつながり、それはつまり他領への人とモノ、財産、培ってきた技術の流出へとつながる。

それだけは絶対に避けなくてはいけない。

かといって、これといった具体策はいまだ見つかっていない状況が続く。


そういえば『エリンツェーリエ・ダル・クルグハルト王国物語・第五章・九節・農民と開墾、そして花舞う宴』にも似たような状況が綴られている。

たしか――度重なる飢饉に喘ぐ片田舎の領地、暮らす人々の声を無視続けた結果、領主は錆びた肉切り包丁の露と消えた。

そんな状況を憂いだ時の王は、隣領との合併を画策するもあえなく御破算、『愚作の王』と人々は揶揄しそれは晩年、息子に毒殺されるまで続いた。

何度か考えたことがある。

その『愚作の王』は、ほかに対策を考えなかったのか、そして周りにいる者たちへ相談をしなかったのか。

もし、自分が同じ立場に置かれたなら、どう考え、いかに対応したか――。

何度も何度も考えたが、いまだ答えは見つからないまま。

そして私も同じ運命を辿るかもしれない。

そう、錆びた肉切り包丁の露と――。


「……どうしていやすかねぇ」

「ん?」

「いやつい……」

「起きていたのか?」

「寝ようとしたのですが身体の節々が疼いて、起きちやいました」

「そうか。で、なにを言いかけたのだ?」

「んー」


身体に掛けた布生地から身を起こすと「去年の今頃――」と、そこで言葉を止めた。

それ以上は聞かずとも――。


数日前、安酒場のすみ、領主と気づかれぬよう護衛の者も変装させ街の視察を行ったさい、酔った勢いでファルガーは口にした。

お姫さんは月下草の想いを抱いていた。

しかしあんたはそれに気がつかなかった。

酒に飲まれたファルガーの返答に私は「周りの者はなにも言わなかったぞ?」


「無礼を承知で言いやす。エミール様は仕える者が結婚しろと言ったらして、するなと告げたらしないのですか?」

「そんなわけないだろ? 第一、殿下が好いていたとなぜお前はわかる?」

「わかるもなにも、屋敷で働く者から聞きやしたぜ」


さらにファルガーは饒舌に口を回した。

お姫さん、王都の外れの屋敷に幽閉されているって聞きやした。

干した小魚を齧りながら「いまからでも遅くねぇ迎えに行ってくだせぇ」と、吐く息は酒臭く私の鼻をツンと刺激した。


「なぜお前がそこまで言うのだ?」

「あっしは貴族同士の駆け引きなんてわからねぇ……。しっかしあのお姫さんは、別れ際――あっしの手を握り「勇敢な主を守ってください」そう言ったんだ。取るに足りない、クソ田舎の狩人の手を握ってだぞ!?」

「そんな話、はじめて聞くぞ?」

「口にできるわけねぇでしょっ。もし、王家の耳に入ったらあっしの家族は断罪されちまう」

「……」

「それと――お姫さん、あっしの娘が贈った松脂の入った小瓶を大事そうにもらってくれやした」

「それもはじめて聞いたぞ」

「それも言えるわけねぇ、無断で贈り物をしたなんて知れたら王家に――」

「……」


ファルガー、酔ってもなお本能からか小声で言葉を発し、護衛の者たちはなにも気づかない。

目元を潤ませながらファルガーは口にした。

もし、魔法が使えないお子が生まれたときは、あっしらが全力で力になりやす。

それはあっし一人じゃねぇ、去年のいまごろ、お姫さんに接した領民はみんなそう思っていやす。

短い時間しか会ってねぇけど、あの人は……下賤な者にもやさしい言葉と――薄汚れた子供たちの手を取り、一緒になって小花を集め花飾りを作ってくれたんだ。

もちろんこれもあっしらの秘密で執事のヨハン様も知らねぇ話だっ。


「……」

「エミール様と接していると――誤解しちまうんだ。ほかのお貴族様にこんな調子で話しかけた日には、即牢獄行き」

「……」

「下々の者の言葉にも耳を傾ける貴方様に、あっしらはどこまでも着いていきやすぜっ」

「……」

「お姫さんとの件、領地を運営する人たちの中に快く思わない人たちがいるって。でも、その人たちも、この領地を思っての考えでさ。責め立てるのはやめてくだせぇ……」

「……」

「まったく、領民を思う気持ちは王国随一、なのに自分のことになるとからっきし周りが見えてね、そのクセ、直してくださせぇよ」


彼の視線に目を合わすことができない自分がいた。


――パチパチ――


焚き火の中で爆ぜる小枝が、私を現実へと引き戻す。


「ファルガー……」

「……なんでやす?」

「肉の調達、お前たちにすべてまかせる」

「っ!」

「明朝、立つ」

「へっへい!!」




  ◆◇◆




「子爵様直々とは、いやはや……よほどの“事”がお有りのご様子――」

「つまらぬ詮索をするな」そう文官筆頭のジークリンデは衛兵長に告げ、懐から小袋をスッと取り出すとそのまま衛兵の脇に忍ばせた。


――チャリリン――


狭い室内、金属音が響く。


「んっ!」

「これは独り言であるが――領の特産品、松脂の一部に瑕疵(かし)があってな。その尻拭いに来た」

「子爵様方々が赴き尻拭いをする相手となると――」

「さきほど告げたであろう、つまらぬ詮索をするなと。長生きできぬぞ」

「はっはいっ東門守備隊衛兵長の小生、なにも見聞きしておりませんっっっ!」

「うむ、それが長生きできる秘訣であるぞ」

「はっはい!!って、あっ」


衛兵長は外に聞こえるほどの声量で口にするもすぐに我に返り、口に両手を当てた。


「できれば、王都には表門からではなく――裏口から入れてもらえると助かるのだが……」

「かしこまりましたっっっ」

「うむ」

「でっではこちらに──」そう衛兵長は言うと正面扉ではなく、すみにある衛兵用扉に手をかけ、カチャリと開けた。


――ヒゥ~――


冷たい風が一気に吹き込んできた。


「これも独り言であるがもし、我等より上位の者に尋ねられたなら、先程の内容を正直に申して良いぞ」

「ふぇ、いいのですか?」

「いいもなにも、聞いたところでなにもできぬからな」

「ヒィッ」

「この通路を進めば良いのだな、案内は不要だ」



赤茶けたレンガの通路内、洞窟のような薄暗さと狭さ。

私の背後から護衛の者二名が前に出ると無言のまま通路の中に入り、その後ろにジークリンデ、続いて私、背後に護衛の者三名が続いた。


「通路内を進み、六番目の扉をお開けください。王都外れの職人街に出れます」


背後から衛兵の声。

無言で足を進めはじめる護衛の者、続いてジークリンデ。


「……エミール様、なにか?」

「なにかとは?」

「背中に視線が刺さりますゆえ、なにかあるのかと……」

「いやなに、さすが当領随一の文官筆頭様だと思ってな」

「あれしきの事、造作もないことで」


衛兵長との掛け合い、嘘は言っていない。されど真実も言っていない。

我々は“松脂”の件で王都に赴いた。

先方、王族に贈った松脂に“文句、不具合”の話はきていない。

しかし、たまたま“贈った献上品”と同等の品をこれまた“偶然”にも検査したところ、当方が定める品質に達していなく、これは一大事と捉え、いまにいたる。


一般庶民が松脂を使う場面は主に生活の一部として、または船体の隙間を埋める充填剤などの用途。

王族に贈った物は品質の良い品で、香料の一部、楽器に塗る、希有魔法・魔術の発動に必要なものとしてなど、特別な使用方法が主となる。


「エミール様……」

「ん?」

「勢いでここまでお供いたしましたが、なんとお声を掛けるおつもりですか?」

「それをここで聞くのか?」

「はい、もし――扉を開けたところ目の前に殿下がいらっしゃいましたなら、どのようなお言葉を掛けるのかと思いまして」

「殿下は幽閉されていると聞いているが?」

「ふぅ……ここは冗談の一つでもいう場面ですよ」

「ぐっ」

「言葉に詰まらず、例えばそうですな――薄暗い森林を抜けた先、松脂の香りがすると想い扉を開けたところ貴女様が立っていた――」

「……なんとも阿呆で間抜けな詩人のようではないか、それに“想い”ではなく“思い”だろ?」

「なにを仰います、貴方様は殿下の御前、阿呆で間抜けな道化師を演じる――責務があるのですよ?」


その言葉に私は返答ができなかった。


「エミール様、ジークリンデ様、六番目の扉前に到着いたしました」


そう護衛の者は告げ、私たちに指示を仰いだ。


「ふむ、五番目かと思っていたが六番目とはな、まぁ良い」

「ジークリンデ、この通路を使ったことがあるのか?」

「今回で三回目になります」

「知っていたなら最初から申せ」

「一応に、衛兵長もあちら側の者、警戒をしたまでにございます」

「そうか……。して、六番目と違い五番目の扉の先にはなにがあるのだ?」

「四番と五番目は、娼婦館の裏手付近。六番目は衛兵長の告げたとおり職人街」

「五番目と六番目の差、激しくないか?」

「なにを仰いますか、王都とはそういう場所にございます」


その言葉に私は、再度返答ができなかった。


「アルファル、爪先程度開けたら数秒間そのまま。その後、ふわりと開けよ」

「ジークリンデ様、その仕種にはどのような意味があるのですか?」

「ああ、衛兵たちの扉の開け方を盗み見たまでのこと」

「かしこまりました」


護衛の者の名、アルファルは偽りの名。

今回の“事”、それだけ表沙汰にはできない。


――ギィィ……――

――…………――


扉はふわりと開いた。




  ◆◇◆




一刻前、扉を開くと染料屋の裏手で、どこかのお屋敷の小間使いとおぼしき女性が足を(くじ)いて座っていて、手助けをした。

衣服に付着した土ホコリを払い、肩に手をかけ道の端に寄せ、挫いた右足に護衛の者が治癒魔法をかけた。

私を護衛する者ゆえ上級治癒魔法まで使えるが、駆け出しの若い商人風情が使える代物ではなく、初級魔法と偽りこっそり中級程度の魔法を施した。

中級魔法のため、足を引きずりながらの歩きとなるがそこは勘弁してもらうほかない。


女性は何度も頭を下げ、お礼をしたいと申し出たが目立つ行為は避けなくてはいけなく、それなら、安くて落ち着いた雰囲気のある宿屋を知っていたなら紹介してほしいと伝えた。

基本、旅人や王都に(つて)の無い者はそれ相応の宿屋に宿泊せざる負えなく、伝のある者や常連、王都内の街を知っている者しか宿泊できない良質な宿屋には泊まれない。

一応に片田舎の領主とはいえ王都に伝はある。

しかし今回はそれを使えないし、先方にも来訪することを伝えていない。


女性は言った。

ちょっと貧民街に近い場所にあるけど、安くて静かで、ほかのお客さんと干渉しなくてすむ宿屋なら知っていると言い、麻カゴの中から手のひらに収まる花飾りを取り出し「これを老夫婦に見せてください。ライーヌの紹介で来ましたと言えば(こころよ)く向かい入れてくれます」

毛糸で編まれた花飾りは素朴ながらも品のある物。


女性はさらに言った。

どこかの街から来た商人一行に見えるけど王都には観光?

白髪まじりのジークリンデは小振りな眼鏡をクイッと上げながら「どうしてそう思われたのですか?」

「えっ、だって大きな荷物を持っていないし、幌馬車を引いてきたような御者服でもないし、なんとなくだよ」

「ハハ、正解です。来週からはじまる星読祭の見物にと来ました」

「だったら盛り上がる時間帯は――」


これ以上の詮索は困る。

ジークリンデはその辺りを察してか、会話を続けたそうな雰囲気を醸し出す女性に、早く休みたいので宿屋に行かせてもらうよと告げ、場を切った。

嘘ではない。

さりとて真実でもない。

ひと息休憩を入れ、早速行動に移すため。


――行動に移す――


といっても私たちの手元にある手札は限られている。




  ◆◇◆




夕刻、宰相閣下との会合は実現しなかったものの、王家と親密な関係にある執政官に接触することができた。

場所は王宮から隔離された建物の一室、室内には私と執行官のみ。

(うやうや)しく執行官は一礼すると歯に衣を着せることなく告げた。


子爵の取られた態度に王家は感謝こそすれ、眉をひそめるような感情は抱いていない――。

それとあの件は、王の御意向はさほど強くなく――どちらかというと四人の兄や姉君たちが半ば強引に進めたものであり、いわば身内同士のたわいもないじゃれ合いと、考えてほしい。

普通なら無理筋過ぎて通らない内容。

しかし王家が“このように考えている”といえばそれで話は終わる。

私は一つ尋ねた。

他の貴族たちから使者は来たのか。

政務官はスッと目をつむり「なにも」


「そうですか、この場限りで忘却の彼方へ流します――」

「そう言って頂けると助かる」


去年の晩夏、殿下が男爵位の家々ではなく――王都へ戻られた後、当家は使者を送り出した。

今回の件、誠に申し訳なかったと。

使者は、可もなく不可もなく当たり障りのない文面一枚を持ち帰った。


「エミール子爵は話の通じる御仁で、こちらとしても大いに助かる」

「いろいろ――と含みを持ったお言葉、うれしくもありまた複雑な心境にございます」

「まぁ今回の件、結果は見えていた」

「そうなのですか……」

「ああ、マイーナ殿下は少しばかり夢見がちな面を持っていてな、騎士道物語や王宮物語に登場する姫君のような婚儀を望んでおられた節があり――」

「そのような話、私にして良いのですか?」

「良いもなにも王宮では誰でも知っている話だ」

「やはり――王国最北端の地には届いていない内容……政務官殿、お話し頂き誠にうれしく思います」

「ん、そうか? ならこの話はどうかね。実は――」


それから一刻、私は政務官の苦労話を聞き続けた。




  ◆◇◆




王都に到着して二日目にして私は定期行路の幌馬車に乗り、隣国のとある街へ向かっていた。

距離にして二日間の旅で護衛の者は三人。


「出過ぎた私の考えですが――」と、護衛のアルファルは前置きをすると「エミール様――失礼しました。エミル若旦那の考えには付いていけないところがあります」

「そうか?」

「はい。切り換えの早さには脱帽です」

「まぁ今回は少しばかり急いだ感が否めない。さりとてこんなチャンスはそう安々と巡ってこないからな」

「それはそうですが、ジークリンデ様はもっと強く反対されるかと思いましたが意外にも……」

「あーあれは、呆れて諦めただけだ。気にするな」

「はっはい」


定期行路の幌馬車内、乗客は私たち四人のみで、護衛の者を含め素性の設定は片田舎の商家の若旦那というある意味、ふさわしいものとした。

隣国のとある街へ向かうきっかけを作ったのは宿屋を紹介してくれたライーヌさんで、宿屋の隣にある酒場の屋上、飲み過ぎて火照った身体を一人で冷ましていたところ、向こうから声をかけてきた。

歳は二十代半ばくらい、オリーブ色の髪からして西方の出身だろう。言葉使いから察するにどこかの貴族邸の小間使いと見た。

職人街で出会った第一印象は影の薄い感じで、二回目の出会いでもそれは変わらず、影の薄い女性――それがライーヌさん。


酒に酔った私と話しているなか、ふとした流れでライーヌさんは言った。

本当に祭り見物に来たの?

平常時なら迷うことなく取り繕れた。

しかし強い酒にやられたのか、ついうっかり口にしてしまった。

心揺れる人に会えないかと思い――。

それからひととき、恋愛指南を受けた。


彼女は言った。

初めての出会いはどんなもの?

好意を寄せるきっかけは?

なぜそのとき、想いを伝えなかったの?

どうしてまた会いたいと思ったの?

会えそうなの?


私はただただ、あやふやに答えることしかできなかった。


彼女は強い口調で「貴方は会いたいと思っている。けど、相手のことを考えての行動なの?」


その言葉になにも言い返せなかった。


それでも精一杯、自分の想いを口にした。

最初の出会いは家と家が絡んだもので、一緒に過ごしたときはとても短く、想いを形にして伝える余裕がなかった。

想い人が去ったあと、心のなかで強く想うようになった。


彼女はまたも強い口調で「つまり、貴女(あなた)のことをもっと知りたかったけど時間がなかったの。だから許して――」

またしてもなにも言い返せなかった。


そして、出会ったばかりの女性に辛辣に指摘されれば普通は憤慨(ふんがい)するところ。

しかし当てはまり過ぎてただただ、従うほかなかった。

そんな私の状況になにかを感じたのか、恋占いでもしてみてはどうかと提案。


彼女いわく、王都から馬車で二日間の隣国のとある街の片隅で占っていて、かなり評判がいいらしく人生の岐路に立っていそうな貴方にぴったりと口にした。

ただ難点があってそれ相応の額と、その街に住む領主の許可が必要で手軽にできるものではないとも付け加えた。

その点に関して言えば私にはさほど難しいものではなく、領主の許可が必要というのも表向きの言い訳で“そこそこな額”を支払えばどうとでもなる。私も領主の端くれ、その程度のこと容易に推測できる。


「エミル若旦那、目的の街が見えてきました」

「ここまでの旅、何事もなく順調で助かった」

「隣国と言っても大河を挟み隣同士ですからね」

「賊の一つでも出るかと思っていたけど無事でなにより」

「開けた街道と巡回兵も多いですからその心配はご無用です。それより、あちらの領主様に一声も告知せず街へ入って大丈夫なのですね?」

「その点は問題ないよ。あちらの領主様はとても“物分かりの良い人物”と聞いているから」

「それは――対価次第ということですね」

「そういうことだから心配は不要。それより、タロットカード占いとはなんぞや?」

「さぁ?」




  ◆◇◆




「エミル様、どうされましたか?」

「とくに――なにもありませんよ」

「そうですか……。占いは一応、すべて終わりました」

「ふぅ、時間がかかるものですね」

「タロットカードの説明からなので、どうしても時間がかかってしまいます」

「貴重な体験、ありがとうございます」

「いえいえ。あっと、お茶が冷めてしまいました、作り直しますね」


占いの女性はそう告げると席を立ち、壁際の暖炉の前に足を進め茶の準備をはじめた。

薄暗い室内、天井は低く、微かに香るはローズマリー。

女性の住居兼占い部屋に通され、かれこれ小一時間が過ぎようとしていた。

声と背格好からして十代半ば~後半と推測。小柄で濃緑色のロングローブから覗く、か細い腕や首筋は華奢。しかし貧民とは思えない雰囲気を持つ。

女性の名はルチア。

私の領地に住まう、領民の名前に近い雰囲気があり一瞬、当領地からの流れ者かと思うもそれはないとすぐにわかった。

華奢な肩、細い腰にまで()れる髪は黒髪。

この一帯の国々で黒髪は忌避される存在で、これだけのものとなると領主たる私の耳に入ってもおかしくなく、もし黒髪の者がいれば短く刈り揃え帽子やスカーフで髪全体を覆い隠す。

しかし彼女は優雅に黒髪を靡かせながら、タロットカードなる絵札を巧みに操り占いを行い、この地では占い・黒髪の魔女と呼ばれていた。

そして黒髪を持つ人物を私は初めて目にした。


「エミル様、どうかされましたか?」


ふいに彼女の声。

視線を向けるとティーポットを手に持ち、机の向こう側に立っていた。


「ルチアさん、なぜそう思われたのですか?」

「ただ、ただちょっと、ここに心有(こころあ)らずという感じでしていたので……」

「少し考え事をしていました。それだけです」


私は、なにかを誤魔化すようにそう告げ、机に置かれたティーカップを手に取り冷めた茶を口に運んだ。


「エミル様、私は基本、目の前に座られた方々がどのような人物なのか詮索をしませんし、この一帯を治める領主様から詳細な情報も頂いておりません。そういった状況下の元、占いをします」

「はい」

「私を見るやいなや(いぶか)しげな視線を投げかけてくる方、傲慢な態度を取る方、忌避し占いを断る方、好奇心の目で見つめる方、様々な反応があります」

「……」

「ゆえに――私は、机を挟み、その人の“ナリ”を会話、仕種、視線などで判断をします」

「そうでしたか……」

「いままで、様々な方々を占ってきました」

「はい……」

「私の――勝手知ったる憶測ですが――貴方様はこの国の者では――」

「ルチアさん、それ以上は言わぬが花――と申しましょうか」


私は口元に人差し指を沿え、口を閉じるようジェスチャー。


「そっそうですねっ、出過ぎたマネをしてしまい申し訳ありませんっ」


彼女は頭を何度も下げ謝りを入れてきた。と、同時になにか違和感を覚えた。

違和感の正体、それはなにかと聞かれても説明できない。

しかしなにか――引っかかるというか妙なモノを彼女から感じ、それは無意識に流れ出る所作(しょさ)からくるモノなのか、それとも言葉遣い、考え方、そう――“なにか”が、喉の奥に刺さる魚の小骨のように気が散漫になる。


「えっと、エミル様、話を占いに戻しますが……」

「そうですね……結果、簡素にまとめれば、私には二つの選択肢があり、良き道に進みたいと思うのであれば屈辱と恥を覚悟で心を開放する――で、良いのですね?」

「はっはい、その通りにございます。このカード『WHEEL of FORTUNE./運命の輪』が示す通り、新しいステージへの扉が開かれようと――運命的な出会いは――であり、それと――」

「それと?」

「エミル様はもう少し――己の欲望に、忠実にあるべきかと――」

「……それは、このカードの意味するところなのですね?」と言いつつ私は一枚のカードを指差した。


カードの名は『THE DEVIL./悪魔』

牡羊の(つの)が頭に生え、両足は獣、コウモリの羽を生やした悪魔の足元、裸の男女の首筋には鎖が繋がり、その先端は悪魔が座る支柱に(くく)り付けられている。


「つまり私は、想い人を有無言わせず押し倒す勢いが必要と?」

「そっそこまでは言っていませんが貴方様の言動を見る限りさもありんです」

「さもありん?」

「あっと、私の故郷の方言で――」


それから一時、私は女心の一片を教えてもらうと同時に、ルチアさんに感じた違和感、どこかで同じようなモノを感じた記憶がある。

どこかで――。




  ◆◇◆




「エミル若旦那、事は急変――」と短く言うとジークリンデにしては珍しく、酒を一気に飲み干した。


年老いた商人風の風貌がすっかり馴染んでいて、それは護衛の者たちも同様で街の雑踏に溶け込むようになっていた。

寂れた酒場の片隅、彼は理路整然と口にした。

私が隣国へ赴いた直後、まことしやかな噂が王都に流れた。

魔法の才に恵まれなかった末姫、突如として希有な魔法が発現したと。

その噂は一瞬にして王侯貴族内に広まり、早馬が各領地、とりわけ“お断り”を入れた家々の行動は素早く三日後にはいくつかの家の者が王都に到着していた。


「ジークリンデよ、つまり私が二日かけてとある街へ赴き、三日目に占いを受け、二日かけて戻ってくる間に公爵、侯爵、伯爵家らの使者たちが王都に集い、思慮深く互いに牽制している――」

「その通りにございます。ただ、末姫の魔法がどのようなものなのか噂は流れておらず、真贋不明といったところになります」

「なるほど。それで“使者たち”らが足を運んだと」

「はい、魔法が使えるようになったとはいえ、内容が不明のため婿本人は王都に来ておりません」

「つまり、魔法の才が開花したとはいえ、つまらぬ魔法ならなにもしない、有能な魔法なら婿様候補を呼び寄せる算段――なんとも下卑(げび)た考え……」

「それを貴方様が(おっしゃ)いますか」

「きょっ去年のあのときは、もう少し時間があれば……」

「それを伝えるのは、私めではなく――」

「わかっているよ――」

「なら安心にございます。さて、状況が状況だけに、本来なら王都に赴いていることを周知しても良いと思います。ですがこのまま安宿に宿泊することを進言いたします」

「どうしてその結論に?」

「単純な話、貴方様は末姫に魔法の才が発現“した”“しない”に関係なくこの地に赴きました。もし、安宿から子爵にふさわしい宿に移りましたら王家はどのように思うでしょうか?」

「あ……」

「そうです。この御仁(ごじん)も、ほかの婿様と同じなのかと考えるでしょうな」


私はこの瞬間、生きた時間の長さ、経験の有無、出会って来た人々の数ら、圧倒的な経験の違いを見せつけられた。




  ◆◇◆




「目の前に見える小川の向こう側が王家の御料林(ごりょうばやし)になります」


そう年老いた狩人は言うと「ここから南下したところに待機小屋がありやす。そこで三日間、皆様の帰りをお待ちしてやす」それだけ告げると軽く頭を下げた。


「ここまでの案内、たいへん助かりました。ありがとうございます」

「へっへい……」

「なにか?」

「いっいえ……なんでもありやせん……」

「そうですか……」

「あっと……皆様が無事に戻ってこられるよう、神に祈ってやす――」

「それはそれは、たいへんうれしく思います」

「そっそんな大げさなもんじゃありやせんよ……」

「なにを言いますか、狩人の貴方がいまこうしていられるのは、貴方が信仰する神のお力があってのこと。ゆえに私たちはその奇跡の一片に(すが)れるということ」

「えっと……」

「御料林から無事に帰れるよう、よろしくお願い致しますね」


私は狩人の手を握り固く握手、そして一礼。


「エミル若旦那、雲行きが怪しくなりました。先を急ぎましょう」


背後から護衛の者の声。

その言葉に釣られるように私は足早に小川にかけられた橋を渡り、躊躇することなく御料林に入った。


「エミル様っ、この辺りの鹿は気性が荒く群れで行動しやすっ。一頭見つけたら周りに三頭は忍んでいると考えてくだせぇ!」背後、狩人はそういうと「御料林の中央、泉がありやす。けして土足で入っては駄目ですからねっ!」そうも付け加えてきた。


私たちは振り返り、手を振った。


「さてさてエミール様、いかがやり過ごしますか?」

「やり過ごす……。ジークリンデ的に、ほかはどう動くと思う?」

「私の見立てですか。そうですな……普通に考えて案内の者を買収していまごろは待機小屋で一休みでしょうか」

「それはいくらなんでも――」

「それはないと?」

「……」

「否定できない時点で一家くらいは実際にするでしょうな」

「一家で住めばいいけど……」


三日前、突如王家から命が下された。

王宮の横、政務室に向かったところ婿候補ら(だった)は三日後、王家が管理している御料林の下草狩り(害獣駆除)をするよう王命が告げられた。

理由は明確だ。

魔法の才に開花した末姫の相手にふさわしいか(ふるい)にかける、それだけ。

参加する家は私を含め五家で、婿候補(だった)は私だけで、他の家々は関係者らが御料林に足を踏み入れる。

残り二家は去年の婿探しの旅時、対応があまりにも恥ずかしいものだったのか使者を送り込んでこなかった。

それはある意味、ここにいる者たちは冷ややかな対応をしたにも係わらず、臆することなく王都に使者を送り出したということ。

まぁ私も同類といえば同類だ。


「エミール様、あちらの岩影に陣を張りますか?」


前方を歩く護衛のアルファルから声。


「あそこは――止めておこう。岩と岩の隙間がちょうど獣道の雰囲気になっているから、縄張り荒らしと思われてしまう可能性がある」

「おお、流石です」

「それと、陣ではなく仮宿を張る」

「そっそうですねっ」


これはしかたのないこと。

護衛の者たちは近衛兵から選出した者たちで、狩りや農村の知恵を知らなくて当然。

ゆえに私が先頭に立ち、害獣駆除をしなくてはいけない。

皆、王都で急遽揃えた狩人仕様の出で立ちになっているけどやはり、専門職ではないせいかどこか不格好な雰囲気を隠しきれない。


「エミール様、あそこの崖下のくぼみはどうでしょうか?」

「悪くない。ただ、雨の強さによっては獣も雨宿りにやってくる。それより、あの木々が入り組んでいる場所にしよう」

「あそこですか?」

「そうだ。理由は、木々が詰まっているから猪や荒い牡鹿の直撃を避けられる。さらに刺草がいくつも絡んで生えているからさらに良い」

「なるほど」

「雨風は持ち込んだテントと、葉の生い茂る枝を集め屋根を作る」


まさか狩人たちから教えてもらった山歩きの基本が生きようとは。

護衛の者は五人、各々に役割を与え雨と夜に備える。






足元で(くすぶ)る焚き火の煙が鼻に付き目を覚ますと満天の星空で、通り雨ですんだのが幸いしてか以外に濡れていない。

焚き火を囲み全員で丸くうずくまり、一番温かい場所をジークリンデに譲ったところもちろん反対されたけど、そこは領主権限が優先される。


――カサカサ――


「!」


夜行性の虫か。

仮宿の周りに警戒用の簡易魔導具を設置したから近づく獣をいち早く察知でき、安心して休息を得られる。

おっと。

手元にある乾燥した小枝を数本、焚き火の中へ。


――ボゥ――


さらに少し太めの小枝も追加。

小さな火種は少しずつ大きくなりゆらゆらと炎を揺らす程度まで成長。


「さて、どうしたものか……」


正直、勢いで来てしまった感がある。

領地で待つ執事筆頭のヨハンは旅立ちの際、口にした。良い結果、無駄足、どちらでもかまいません。皆が無事に帰還できればそれで良いですと。

口には出さないけどジークリンデも似たような考えを持っている。

じゃあ自分はどうなのかといえば、皆と無事に領地へ戻れることは大前提で、さらに娶れれば尚のこと良し。

さらに正直言えば、マイーナ殿下のお顔と声、やさしい笑顔を見ていないせいかいまの私は、心の中で“育んだ”殿下が唯一の殿下。

それはつまり、私が恋しているのは“心の中で育んだ殿下”ともとれる。


以前、夜狩りの最中、酔った狩人の一人が口にした。

悶々としたときは俺たちを頼ってください。

良い娼館があるから変装して下街へ繰り出しましょう。

エミール様の容姿なら媚びない娼婦はいません。

まぁ結局、奢ってほしいから出た提案で、その場限りの冗談だろうから軽く流した。

後日、変装して早朝の街を歩いていたところ二階の窓辺に座り、けだるそうに外を眺める若い女を見かけた。

上着は着ておらず、肩から下着の紐が外れ、胸元の白い肌に視線は釘付けになった。

女は私に気がつかず、ただぼんやり外を眺めるばかり。

無意識のうちにゴクリと唾を飲み込む。


その夜、酷い夢を見た。

白いシーツ広がるベッドの上、その若い女を押し倒し欲望を吐き続けふいに顔を覗き込むと殿下になっていてハッとするもとめることはできず、泣き叫ぶ殿下を抱きかかえ何度も何度も己の欲望を吐き続けそれは殿下がぐったりするまで続き、ハッと目を覚ますと隣に殿下があらわな姿で寝ていて私は彼女を起こすと唇を唇で塞ぎまたしても抱いた。

それは屋敷の側で早朝の稽古をする、護衛の者たちの剣と剣が重なる音で目が覚めるまで続いた。

それからというもの、たまに見る酷い夢を待ち望むようになった。


私は領主。

屋敷で働く小間使いに手を出してもさして問題なく――それを折り込み済みで皆従事している。

屋根裏で片付け作業をしている背後から迫っても、執務室の床に両手両足を付け磨き上げている側に寄り添い甘い言葉を吐いても、庭園の端で落ち葉を集めている者を草影に押し倒しスカートの中に片手を忍ばせても、文句を言う者はいない。


以前、小間使いたちの立ち話を偶然聞いたことがある。

領主様はもしや男娼の“()”があるのでは?

もちろんその場で咎めることなくその場を去ったが後になって考えると、私はどうもストイック過ぎるようだ。

それをはっきりと気づかせてくれたのはルチアとの会話の中。

タロットカード『THE DEVIL./悪魔』に描かれた悪魔の足元、裸の男女の首には鎖がゆるく回され、逃げ出そうと思えば容易に逃げ出せるのに男女はそれをしない。

それはつまり快楽に身が溺れた証拠であり、逃げ出す必要性が無いと判断――。


別れ際、ルチアさんは私の瞳を(とら)え告げた。


――難しく考えず、貴方はもっと自分の心に正直になってください――


その言葉を耳にしたとき私は、その助言を真摯に受け止めなかった。

理由は、特にない。

ただ、軽く流した。


が、日を置きいまこうして考えると――ああそうか。

簡単なことだ。

そう、簡単なことだったんだ。

なんの脈絡もない思考のぶつかり合いだけど、難しく考える必要なんてなく――。


私は、マイーナ殿下に――好意を寄せている。


それでいいんだ。


快楽に身を溺れさせても、好きなように彼女を、愛しても、彼女を――自分のものにしていいんだ。


私は、自分の心を誤魔化している。

それは領主という立場が大いに関係していて、複雑に絡み合った要因(王家との繋がり、領地経営、跡取り、将来のロードマップ)を理由に、利己的に彼女との繋がりを持とうと――。


――ワォーン……――


ふいにオオカミの鳴き声。

バッと起き上がる護衛の者たち。


「エミール様、いまのは……」

「鳴き声の音量からしてかなり遠い、問題はないよ」

「そうですか……」

「狩りをするのは五家だけかと思っていたけど、地元民(オオカミ)も参戦するようだ」

「そのようですね……」

「明日は忙しい一日になりそうだ」


とりあえず、睡魔に襲われ中のジークリンデは起こさないでおこう。




  ◆◇◆




御料林の下草狩り(害獣駆除)は違った意味で波瀾の幕開けとなった。


「どこの馬鹿者だっ森林で炎系の魔法を使った奴はっ!」

「それより水系魔法が使える者に魔力を含んだ魔石を渡せっ!」

「そんなのわかってる!」

「犯人は絞め殺しだっ」

「もちろんだっ!!」


怒号が飛び交うなか、私たちも含めた三家は消火活動に専念。

どうやら森林での掟を知らない輩が放った炎系魔法が元でそのまま炎上。

いまのところ被害は小屋敷程度の広さを焼いて鎮火しつつある。しかし、風でもピュィと吹けば状況はがらりと変わる。


「エミール殿、護衛の者はまだ水系魔法は使えるか?」

「これはこれは侯爵家の方々、お久しぶりにございます」

「儀礼は後回しだ、それよりどうなのだ?」

「はい、護衛の者二名、水分を辺りに散布し枯れ葉や下草を湿らしていますが、持って半刻……」

「そうか……」

「上級水系魔法が扱える人物がいれば押さえ込めるのですが……」

「まったくどこの馬鹿者だか知らぬが、王家の怒りをどう沈めるかでいまから頭が痛い」

「まったく仰る通りで」

「賠償金だけで屋敷が建つぞ」

「屋敷で済めば……」

「私らは西方面に向かう」そう告げると、侯爵家の者たち数名は足早にこの場を離れた。


木々の焼けた臭いと灰色の煙が充満する一帯、立ち上がる炎はほぼ無くなったものの突発的に火の柱が上がり困難の連続。

水系魔法が使える者は最前線で消火活動、使えぬ者は延焼を抑えるべく下草や枯れ枝の除去、癒し系や強化魔法が使える者は背後からサポート。

焼けた範囲を考えると十五名前後にしては良くやっているほうで、もう少しすると立ち上る煙を察して救援が来るだろう。

しかしそれでは遅く、全員が一致しているのは“それまでに事を”終わらしたいという考え。

さらに、残りの二家とは連絡が付かず手をこまねいている状況で、連携が取れていない現実もある。


「エミール様、少し休まれては?」と背後から護衛の者。

「足元で燻る火種を消し去ったら一旦休ませてもらう」


私は土系魔法が使え、足元でゆらゆらと燃える下草に土をかけ延焼を抑えていてそのためか、鼻に付く刺激臭が辺り一面に漂っていた。


「焼けただれるピークが過ぎたせいか、一部の者たちがいろいろと話しはじめています……」


そうなって当然。

後日開催されるであろう協議の場を考えると、どう立ち振る舞うかが重要になり、引いては御家の将来が決まるかもしれない。

私たちも同様に策を講じる必要に迫られ、無実を証明しないといけない。

さらに、消火活動にあたる公爵家らと深く接触する必要にも迫られている。


――ピュイィィィ――


ひと吹きの強い風。


「うわぁぁぁっ」


右手、悲鳴が上がる。

小さな火種は一気に成長、そして炎の化身に変化。

まずい。

突風の影響が大きいものの、気のゆるみも否定できない。


「ぎゃぁっ」

「下がれっ!」


右手からさらに悲鳴、そして腕に火を付けたまま地面を転がる男。

駆け寄る数人の男たち。

すぐに火は消えたがただではすまないだろう。


「エミール様、この場は危険ですっ一旦下がりましょうっ!」

「もう少しだけ踏み止まるっ」

「無茶ですっ、下がってくださいっ!!」

「これまでか……」


後方に一時的に非難するしかない。

うっ。

ふいに鼻に付く刺激臭は肉の焼けた臭い。

さっきの男のだ。


「癒し魔法が使える者はいないかっ!!」

「魔力切れでぶっ倒れてるっ」

「そいつを起こせっ」

「無理だ!!」

「無理でも起こしてくれっ頼む!!」


皆、形相変わり死ぬ気で対応。

もし、御料林を焼き切ったなら確実に私たち家々は、例外なくお取り潰しの憂き目に……。

それが公爵家であれ子爵家であれ……。


「エミール様、覚悟を決めるときがきたのかもしれません……」


振り向くと灰色の煙の中、ジークリンデ。


「怪我はもう大丈夫なのか?」

「右腕を多少負傷した程度で、休んでいる暇などありません。それより……」

「ああ……」

「御家の再建、許可は下りないでしょうな……」

「家が滅ぶときはなんともあっけない……もの」

「そうですね……」


――ブワァァァン――


突と辺り一面に鳴り響く共鳴音。


「なっなんだあれはっ!?」


どこからか声。


「うわあああぁぁぁぁぁぁっ!!」


呆気に取られる者たちはみな、空を見上げる。


「っ!!」


嘘――だろ……。


「あれは――」

「ジークリンデ、わっわかるのか?」

「私もはじめて見ます……」

「なんと……荘厳な…………」

「Ⅳ(4)、Ⅴ(5)、Ⅵ(6)階層…………いや第Ⅶ(7)階層の魔術陣、しかもラピスラズリの展開……なんてことだ……」


誰も彼も手を止め、空を見上げる。

それは怪我をした者でさえ痛みを忘れ、ただじっと空を見上げ、魔術陣の端は御料林を軽く飛び越え、山裾にまでかかっていた。


「「「「「「「「「「あっ」」」」」」」」」」


突然の出来事。

淡いラピスラズリ色の魔術陣はゆったりと回転、と同時にキラキラと光るナニカを生み出しポロポロとこぼれ落ち、まるで雪景色の様相。


――ピュイィィィ――


先程より強い突風が吹くも炎の火柱は立たない。

それどころか光るナニカに触れると自然と消えていく。

そして辺り一面、湿気に包まれはじめ徐々に火の元は弱くなり、炎は立ち消え、小さな火種すら消えようとしていた。

驚いたことに、灰色の煙すら光るナニカには勝てないのか触れると同時に消滅。

空に広がる広大な魔術陣はなおも光るナニカを生み出していく。


「エミール様、伝承の中に記述されていたと記憶しています……」

「それはどのように?」

「発動に三~四時間はかかるとされる、王家の者のみが扱える特別魔術の一片、名はたしか――グランド・フェリーナ・ラ・カンパリルーナ・デ・マグレスト・カルール・カレン極刑魔術の第二章、第三項の序文――」

「長いな……」

「いえ、これは省略された名にございます」

「えっ」

「まだ続きがございます」

「」

「いま現在、王家でこれを扱える者がいるとは聞いておりません……ハッ、もしやっ!!」


ジークリンデと視線が重なる。

答えは一つ。

互いに小さく頷く。

そう、何度も頷く。

それしかできなかった。




  ◆◇◆




王は言われた。

西の塔の、最上階にいる。

其方の好きにせよ。

それだけ告げると席を立ち、お付きの者と共に扉のほうへ向かった。

質素な作りの客間に通された私とジークリンデは、王が部屋を退出するまで片膝を床に付け、右手を胸元に当て、(こうべ)を上げることはなかった。


「以上を持って謁見は終了とする」


政務官はそれだけ告げると、王の一行を追うように扉のほうに足を進めた。


「これは独り言――であるが、エミール殿なら私が杞憂している“事”を……」

「もちろんにございます。公言など致しません」

「ふむ、其方は話がわかる人物で本当に助かる」

「お褒めのお言葉、誠にうれしく思うばかりございます」

「それに引き換え……奴らときたら――まったく頭が痛い問題だ」

「心中、お察し致します……」

「王家は、其方を高く評価している。それだけは忘れるなよ」


扉の先に消える政務官の表情はかなり険しく、それはこれから起きる“事”を暗示しているよう。


「エミール様、無事に謁見が終わりました」


ジークリンデは立ち上がると窓辺に足を進めた。


「私はここでお待ちしております――」そう言いながら背広の襟元を正した。


私は小さく返事、そして扉のほうへと足を進めながら「小間使いを呼んで茶の準備をさせよう」そう言い残し部屋を後にした。






――カツン、カツン、カツン……――


静まり返る王宮の離れ、革靴の音だけが響き、冷えた大理石の床から心なしか冷気が立ち昇っているように思え、身の引き締まる思い。

もうすぐ夜の帳が下りようとしている。

そんななか、うら若き乙女の部屋に向かう許可を王は自らの口で許可した。

そして西の塔に足を運べるのは私のみ。


政務官はこっそりいくつか教えてくれた。

ほかの家々は結局、去年の時点で幕は下りていて物語の続きは描かれず、王が存命中の間、冷めきったスープを飲むことになると。

今回の件(末姫の覚醒)で王都に使者を寄越した四家は恥知らずな者たちとして。

それは使者を寄越さなかった二家も同様の処置。


そして今回の件(御料林での火元)は、様々な憶測が飛び交っている。

狩りの参加者が誤って、参加した者が企てた策略(他家の蹴落とし)、狩りに参加しなかった家が密偵を送り他家の心証落としなど、まさに貴族らしい振る舞いと噂が現在進行していて政務官の悩みの一つとなっている。


世間での周知の事実として末姫、マイーナ殿下は王に、妃に、見放された人物と評され、貴族以外にも王宮で仕える者たち、裕福な商人、王家御用達の高級職人らも見知っている事実。

それゆえ去年の婿探しの旅、他の家々があのような対応に走った。

しかし実際のところ、二人(王、妃)が一番心を通わせていたのは末姫で、それも本日こっそり教えてもらった。

寵愛を受けた子を兄や姉君が嫉妬、(いぶか)しく思うのはよくある話。

たしかに子供同士の喧嘩と言われればその通りで結果的に、王家への忠誠度を計る事案となってしまった。

そしてその事実を他の家々は知らなく、なぜ王家はそれらの歪曲した噂を正さないのか不思議に思う。

まぁそれが王家というものならそうなのだろう。


もう一つ不思議なのは、殿下は魔法の才を開花させたと噂になっていたけど、実際は魔法ではなく魔術。

魔法と違い魔術は、高等な教育と、豊富な見聞を有していないと扱えず、さらにより高い階層の魔術陣を描くとなると神々の書庫に忍び込み、禁断の書を読み解くほどの知識と聡明さが必須となる。

ということは――殿下は、深い淵の中を覗いた者にして世界の(ことわり)を――。


「っ」


つい考え事をしていたら西の塔の入り口にまで来てしまった。

頭を現実に切り換えないと。

目の前にある小さな扉をノックすると侍女が対応してくれるだろう。

そして私は、殿下といま一度逢うことになる。

……。

なんて声をかけようか、いまだに考えている。


ここ数日の朝方、肌寒い日が続いていますね。


去年お会いしたときより美しくなられ――。


父君より許可が――。


去年の――ただただ、申し訳なく思うばかり――。


私の隣に――。


だめだ。

なにも浮かばない。

私はこれまで自分の心の中で育てた……いや違う、“育ててしまった”マイーナ殿下の幻想を頼りにここまで来てしまった。

それが事実であり真実。

これから会うマイーナ殿下とは違う。


ああそうか。

気づいた。

気づいてしまった。

そう、政務官は言われた。


――マイーナ殿下は少しばかり夢見がちな面を持っていてな、騎士道物語や王宮物語に登場する姫君のような婚儀を望んで――


それは私そのもの。

そう、殿下より私のほうが夢見がち……。

男というモノは――ここ一番というとき、本当に役に立たないモノだと、身につまされる。


「さて……」


私にいまできる――そう、道化師(ピエロ)になること。

それだけ。


――コンコン――


扉をノックする音はどこまでも乾いている。


そういえば――御料林火事のとき、空に描かれた魔術陣は三~四時間を必要とするとジークリンデは口にしていた。

そうなると……火災の原因となる火元より以前に――。


――ギィィ――


突と扉は開く。


「お待ちしておりました、エミール様――」と、侍女は丁重な口調でそう告げた。


私は一礼をした後「グラファント・フォン・パインレジン・エリアス・ドゥ・エミール、さるやんごとなき姫君に拝謁願いたく――」そう口にしながらほんの少し前になにを考えていたのか思い出せない。

まぁたいした事ではないのだろう。






このとき、私は想像も付かなかった。

数年後、当領の発展は著しく、その理由を知る者は数人のみ。

畑で採れる野菜は新鮮で“栄養価”が高く、農場の片隅、肥えた家畜が闊歩し、領民たちが日々怯えていた病は根絶され、寒い季節は領民の間でコタツなるものが家の中心に鎮座しぬくもりを作り出す――。

そして私は悔いた。

初めてお会いしたとき、正直に自分の心に向き合いさえしていれば、一年間待たせずに済んだのだと。






『エリンツェーリエ・ダル・クルグハルト王国物語、第五章、九節、農民と開墾、そして花舞う宴』の、花舞う宴とは、無能な主(領主)から開放された領民たちの宴を意味している。

数年後、いくつかの領地で内乱が起きるが、最北端の地、グラファント・フォン・パインレジン・エリアス・ドゥ・エミール子爵が治めるグラファント領では、花舞う宴は開かれなかった。



-終-


◆読んでくださり、まことにありがとうございます♪

◆本作品は『黒髪の魔女は優雅に魔術を詠む』と一部リンクしています。

◆お時間のある方は、~魔術を詠むも、よろしくお願いいたします♪

◆執筆の励みになりますので応援のほう、よろしくお願いいたします♪


今後ともよろしくお願いいたします♫

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