4 生きたいと願う
「少しは、落ち着いた?」
「……ありがとう、ございます。」
俺が泣き止むのを確認すると、少女は背をさする手を止めた。
彼女の手の温もりが離れていくと同時に、急に世界が静かになった気がする。
「一つ、確認したい。
――貴方。いや、貴方たちは異世界から来たのか?」
「っ、い、いせかい?な、何の話を……」
聞き慣れない単語に、思考が一瞬止まった。
少女は短く「そうか」と呟くと、まるで何かを確信したように言葉を続けた。
「ここはヒノモト。日の元に生きる者たちの国。……貴方たちは、東を治める将軍アサガネによって召喚された。」
ヒノモト。召喚。
聞き慣れない言葉に、頭の奥がジンジンする。
だが彼女の声音は冗談ではなく、あまりに真剣だった。
「ひ、ヒノモト?日本じゃなくて?」
「……もしかして、ヒノモトと似た国から来たの?」
男たちの鎧、少女の和装、刀。
どれも「日本」を思わせるものばかりだ。
「た、多分……お、俺は奥田朔夜。日本人です。」
名を名乗ると、少女は一瞬だけ目を見開き、すぐに険しい表情へと戻った。
「にほん……聞いたことない。でも、響きは似ている。……嗚呼、そういえば名乗っていなかった。」
少女は軽く背筋を伸ばし、凛とした声で言った。
「――私は瑠璃。ヒノモトの人間だ。」
「……瑠璃。」
彼女の名を口にした瞬間、胸の奥に妙な感覚が走る。
夜の闇に映えるその瞳――瑠璃色。
名がぴったりだと、思った。
「瑠璃……さん。他にも、沢山の人が――」
「知っている。さっきまで、悲鳴ばかりが聞こえていたからね。」
あまりにあっけらかんとした言葉に、俺は息を詰まらせた。
あの声を「知っている」と言える彼女の強さが、頼もしくも、怖かった。
「あの、いろいろ、頭が混乱して……」
「そうでしょうね。――だけど、今は息を殺して。」
唐突に瑠璃が告げた。次の瞬間、地を踏み鳴らすような重い足音が、闇の向こうから近づいてくる。
「落武者にしては……足音が重い。重鎧を着込んだ者。やっとね、アサガネ。」
彼女は低く呟き、斜面の方を見据える。彼女のその横顔には、覚悟のようなものが宿っていた。
「ひとまず此処を離れるよ。アサガネの奴らに見つかったら少々やっかいだから。」
「! でも、まだ校舎に――!」
「先ずは生き延びることを優先。」
その声音は冷たいほどに静かで、逆に熱を孕んでいた。
俺は何も言い返せず、ただ彼女の背中を見つめた。
「……アサガネって奴が、何で勇者召喚なんかしたんですか?」
「それは、」
瑠璃はゆっくりと俺の方を振り返り、淡々と告げた。
「――アサガネは、山神殺しをするために勇者を召喚したんだ。」
呼吸が止まる。
空気が一瞬で冷えた気がした。
「やま、がみごろし……?」
「"勇者"――その者は神秘を打ち砕く力を持つ。ヤツはそれを利用して、山神を斬ろうとしている。」
「俺たちが……そのために呼ばれた、って……?」
瑠璃は短く頷き、立ち上がった。
夜風がその髪を揺らす。冷たいはずなのに、どこか美しかった。
「そうだよ。」
「そんな……そんなの、って──」
「朔夜。」
名を呼ばれ、息が止まった。
その声には、剣のような鋭さと、祈りのような優しさが同居していた。
「……貴方の選択肢は二つ。
一つは――死ぬか。
もう一つは、私と共に生きるか。」
瑠璃は手を差し出す。
俺は迷いながらも、その手を取った。
その掌には、戦場の冷たさではなく、人の温もりがあった。
「……俺は、」
言葉が震える。
それでも、胸の奥に確かに一つだけ、燃えるような衝動があった。
「生きたい。……生きて、いたい。」
生きる。
ただそれだけを、願った。
瑠璃は静かに微笑む。その瑠璃色の瞳に、闘志を宿っていた。
――こうして異世界に転移して初めての夜を、俺は受け入れた。




