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八 お目付け役の選択

「やあ、ヴァージル」


 見たところ、この青年は、心まで疲れ果てていないが、身体的には消耗した顔をしている。

 ある日、軍の練兵場で、ヴァージル・オブライエンに声をかけたのは、エズメ・カートレットだった。

 彼は十分に休養をとったとは言えない様子の友人を気づかうように、隣に立つ。


「だいぶ疲れているようだが」


「まあね」


「君がどこかの令嬢のお目付け役(シャペロン)を引きうけたという話は本当だったのか」


「本当だよ。一時はどうなることかと思ったけど、今は調子がいいんだ。俺も慣れてきた。なんとか舞踏会の最中、パートナーがとぎれないようにやりくりできている」


 舞踏会は深夜まで続き、日付が変わる前に帰宅することはほとんどない。むしろ日がかわる前の舞踏会など、誰も本気で相手を探していない様子見の時間帯だ。


「はやくいい相手が見つかれば安心なんだが。ユトレイヤ半島が不穏だろう。どこかで戦争がはじまったら、俺も駆り出されかねない」


 その前にめどを付けていきたいのだとヴァージルは言う。


「命令があればいかなくちゃいけない。でも、このままいけばシャペロンももう少しで終わりそうだ」


 なにかひとつのことをやり遂げる直前の、安堵のきざしをヴァージルの表情に感じた。それでエズメは、かえって自分がこれから言う内容で、彼の顔はどんなふうに変わるのか興味が出た。

 

「僕も、名乗りをあげてもいいかな。その子の結婚相手候補に」


 案の定、ヴァージルは目をまるくしてこちらを見ている。でも反射的には拒まなかった。理知的な男だから、現実にエズメが抱えている条件と照らし合わせて、損得を考えている。


「爵位継承予定者。首都郊外に土地、屋敷もち。悪くない条件だが?」


 エズメはバース伯の爵位を継ぐ予定で、将来はロード・バースと呼ばれることになる男だ。


「まずは。ヴァージル、君がそこまで必死にしあわせにしてやりたいご令嬢を、この目で見てみたい」


「冷やかしはごめんだ。まじめなやつ以外はお断りだよ」


「つれないなあ。ちょっと前までふたりでたくさんのご令嬢と遊び歩いていたのに」


 ヴァージルは最近はその方面の付き合いはすっかり悪くなった。シャペロンとして参加した舞踏会でも、大事なご令嬢の見まもり役に徹しているらしい。


「エズメ、君ひとりで行けばいい。俺はせいぜい君のおまけだっただろう。子爵家三男、自力でたまわったナイトは一代限りの称号だ。ちょっと目の利くシャペロンなら、あれはやめておけという物件だ」


「そういう引き立て役がいないから寂しいって理由もあるよ」


 ヴァージルはちょっと鼻をならしてそっぽを向いた。相手にしてくれる気がないらしい。


「それほど大事なら、さっさと君自身が結婚相手に名乗りをあげればよかったじゃないか」


 ヴァージルは今度こそ鼻で(わら)った。それは自分自身への嘲笑か、的外れなことを言ったエズメにあきれているのか。


「向こうは侯爵家ご令嬢だ。いくらでもいい相手を狙えるのに、俺で手を打っておく理由がない」


 訓練が終わって軍庁舎に帰る途中、衛門の上にかけられた橋のうえには、たくさんのご令嬢が集まって見物している。


 目当ての将兵がいればそれを見るために、昨夜舞踏会で踊った相手がいれば、ふたたび自分の姿を見せて、印象付けるために。


 彼女たちの結婚相手さがしは、夜だけではなく続いていくのだ。


 エズメはまめに顔見知りの女の子を探そうと目を凝らすが、ヴァージルがそんなことをしているのは見たことがない。


 その彼が、近ごろは上を気にして歩いている。エズメはそれに気づいているが、しかし残念ながら、ヴァージルの目当てのご令嬢がそこにいてくれたことは、まだないらしい。


——俺で手を打っておく理由がない……か。


 ヴァージル、気づいてないのか? その言い方だと、条件さえあえば、とっくの昔に名乗りをあげていたみたいに聞こえるぞ。


 エズメは足早に去っていく友の背中を見ていたが、急にヴァージルはきびすを返して戻ってきた。


「なんだ? どうした」


「エズメ、君には妹がいたよな?」


「ああ。いるが……」


「ちょうどアレクシアと同い年くらいだったはずだ」


 アレクシア。アレクシアか。それが君が目をかけているご令嬢の名だな。エズメは心のなかでその名を反すうしながら、愉快なものを見つけた満足を感じていた。




 ご令嬢の友人が欲しくはないか?


 アレクシアはヴァージルに突然そう問われ、しっかりとした返事をする間もなく、相手のご令嬢の屋敷を訪問する日取りを決められた。


「わたし、変わったことをするのが好きなの」


 お茶の用意がととのった応接間で、エズメの妹、グレイス・カートレット嬢はそう切り出した。

 凹凸の装飾が浮かび上がる、最近はやりの壁紙が貼られた室内は、窓からの光が差し込むと、独特の陰影が浮かび上がり、部屋の格式を高めている。 


 グレイスの鼻筋からつながる流麗な弓なりの眉は、彼女のまぶたの上下にあわせて、きれいに動いていた。


 何も手を入れていないだろうに、血色のよい唇は、どこかの国の姫が、寝しなに紅を引いたように、赤くて色っぽかった。


「あなたはもともと、お屋敷でメイドをなさっていたのでしょう?」


「ええ」


「どこか違うところで暮らしていた人のお話を、お聞きしたかったの」


 あきらかに、自分とかつてアレクシアがいた場所は、世界がちがうと言いたげだった。


 いやな響きは感じない。そういった階級に対する態度の差は、悪意をともなわず、当然のように彼女のなかに存在するのだ。


「わたし今、少し特殊な状態にいるの。あまり外にも出るなと言われているし、貴族の体面を守るための(おこ)ないなら、なによりもそれが優先なの。なにひとつ自由にはならないわ」


「わたしが以前いたところも、似たようなものでしたよ」


 アレクシアは、うすい陶器のカップを壊さないように、そっとソーサーのなかにおさめる。このカップも、きっとキッチンメイドが洗い上げるのだろう。


「わたし、一番最初に下級メイドとして雇われたお屋敷で、名前がメイドにふさわしくないと言われてしまいました」


「名前って、そんなもの自分ではどうにもならないものではなくて?」


「はい、そうですね」


「それに、あなたのお母さまは貴族のご出身だったのでしょう? 生まれた子に、母であるご自分とつながりを感じられるお名前をお付けしたかったのでは」


「あとは……母にとって耳なじみのある名前をつけたところ、あまりわたしの生きる場所には釣り合わない名前になってしまったとか、そんなところだと思います。とにかくわたしは、最初に働いたお屋敷では、全然ちがう名前を奥さまからつけれて、その名で呼ばれていました」


「……ひどい話だわ」


「けっきょくそこはすぐやめてしまいました」


「当然よ。わたしはいつかどこかのお屋敷で奥さまと呼ばれるようになっても、メイドや使用人にそんなことはしないと誓います」


 アレクシアはグレイスとはよき友人になりたいと思い始めていた。


「ねえ結婚はどう? あなたが前にいたところでは、結婚はどうやって決まるの」


 グレイスはその点にとても興味があるようで、ぐっと身を乗り出して、アレクシアの発言をまっている。


「えーと。ごくごく自然に、出会って気の合った相手とする? のかしら」


「好きな人と結婚できる?」


「そうですね。よほど身分がかけ離れていなければ、そうだと思います」


 言ってから、少し空しくなった。


——わたしは前にいたところでも、ここでも、どうやら本当に好きな人とは結婚できないみたいですよ。


 相手にその気がないのだから、仕方がない。


 グレイスは「いいわね」とつぶやいてから、長いまつ毛を閉じかけの瞳の上にかぶせて、思い出したような遠い目をする。


「わたし、好きな人がいた。その人と、もう婚約するという話まで出ていたのよ」


 グレイスはアレクシアより一歳上の年齢だった。貴族のしあわせな結婚の、終着点にたどりつきかけたのだ。


「とてもすてきな人でね。わたし、年収が五万イエール以下の人との結婚なんて、意味がないってずっと思っていた。でも彼と出会って、もうそういうのはいいかなって思ったのよ。なにもなくても、ただ彼がいれば、平凡でも、特別なだれかになれなくても、きっと自分はしあわせになれると思ったの」


 平穏こそがしあわせだと確信できるほどの相手と出あえるのは、とても幸運なことだ。


「まず条件から考えて結婚相手をさがす他のご令嬢たちを見て、条件なんてどうでもいい。わたしこそが本当の一生の伴侶を見つけたって、自慢に思っていた」


 彼はわたしの誇りだった。でも。


「彼、詐欺師だったの」


 唖然としたアレクシアは、顔をあげたグレイスと視線をあわせた。逸らせなかった瞳で見つめ合ったまま、グレイスは恋のおわりを説明した。


「結婚時の財産の交渉の席で、うまくいかないって思ったみたいで、いなくなってしまった。身分も生まれも、すべてうそだったの。詐欺師でもいいから、もどってきてくれないかと思ったけれど、けっきょく彼がわたしのことを愛していないのなら、意味のないことね。もう舞踏会にもずいぶん出ていない。みんなわたしがどういう目にあったか知っているのよ。見る目のない軽薄な女だと思っているわ。もうわたしは、社交界では死んだも同然の女なの」


「舞踏会、お好きでしたか」


「わからない。好きとかきらいじゃなくて、あの頃のわたしには義務だったから。でも」


 なつかしい思い出を掘りおこすように、グレイスはくちびるを弓なりに引いた。仕上がったきれいな笑顔だ


「ダンスのあとの軽食で、アイスクリームを食べるのは好きだったわ」


 舞踏会を主催した屋敷では、別室に軽い軽食が準備されている。アイスクリームやワイン、すこしのつまめる食事で、空腹とのどの渇きを癒す。その座席をレディのために確保するのも、ダンスのパートナーの大切な役目だった。


 アレクシアはその思い出を聞いて、ひとつ提案する。


「じゃあ、アイスクリーム作ってみませんか」


 ふたりはもっと幼い女の子たちがするように、はしゃぎながらキッチンになだれこんだ。


 お嬢さまがお客さまとふたりで紛れ込んできたので、最初メイドは驚いていたが、グレイスが酪農室からクリームを持ってくるように頼むと、ほどなく用意をしてくれた。


「あとはなにが必要かしら」


「お砂糖と、なにか果物を入れてもおいしいですよ」


「朝食のベリーがあまっていたはず。入れましょう」


 それらをすべてアイスクリームフリーザーのボックスにいれて、まわりに氷と塩を流し込む。まずはグレイスが、フリーザーのハンドルをまわし始めた。


「どんどん重くなってくる。ちっともまわらないわ」


「凍ってくると、どんどん固くなってまわしにくくなります。でも、たくさん回した方がおいしいアイスになりますよ」


 とちゅうからアレクシアが交代して、フリーザーをまわした。いちばんはじめのお屋敷で、うなりながら汗だくになってフリーザーをまわしていたことを思い出す。


「アイスって、こんなふうに作るのね」


 できあがったアイスが器に盛られたのをみて、グレイスがしみじみと体験を言葉にする。


「もう気軽にアイスクリームが食べたいなんて言えないわ」


 うれしそうに自分で作ったアイスを口に運んだグレイスは、しかしそれを味わうと、すぐにぽろぽろと涙を流した。


「グ、グレイスさま」


「おいしいわ。とてもおいしいの。でもこれは、彼といっしょに食べたアイスと同じ味だわ」


 ピンク色のベリーのアイスクリーム。泣きながらアイスを食べ続けるグレイスのよこで、アレクシアもだまって、甘酸っぱいベリーのアイスを口に運んだ。





「君のところの大事な令嬢がわが屋敷をたずねてから、妹が自分から外に出るようになったよ」


 エズメ・カートレットは、軍庁舎でヴァージルをつかまえると出し抜けにそれだけ言った。言った本人も、わりと信じられないという顔をしている。


「舞踏会はまだむりだ。でも、オペラには行くって。アレクシア嬢をお誘いしたいらしいんだが、いいかな」


「オペラは歓迎だよ。最礼装が必要だし、勉強になる」


「それと僕も、アレクシア嬢に直接礼を言いたい」


 ヴァージルはこたえなかった。この友人は、自分の真意を測ろうとしているに違いないと、エズメは思った。


「冷やかしじゃない。安心してくれ」


「……わかった。出席する予定の舞踏会が決まったら、知らせる」


「ありがとう。本当に。アレクシア嬢にもかならず直接お礼をさせてもらう」


 去っていくエズメの姿に、ヴァージルは、これでいい。しあわせな結婚が近づいて来たんだと、自分に言い聞かせていた。




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