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七 王宮拝謁の夜と、ふたりの記念

 ついに、王陛下に拝謁する日を迎えてしまった。


 最礼装に身を包んだアレクシアは、夜に開かれる王宮の応接間に入るために、夕方の早い時間に儀礼用馬車に乗り込んだ。


 今日、アレクシアと同じように王陛下に拝謁をたまわろうとする令嬢たちは、浮き立つような心と少しばかりの不安を抱えるだけで、迷いも、後悔も、なにも感じていないのだろうか。


——ここまで来たら、きっともう戻れない。


 自分の人生は、百八十度方向を変えてしまった。後戻りできないところに、ついに踏み込もうとしている。


 なにもかも、ふさわしくないものに囲まれている気がする。

 眺めるだけで乗るはずのなかった馬車も、一生身に着けることがないと思っていた最礼装も、わたしには、それを得るだけの価値がない。


 場違いななりたて令嬢のままで、自分はいったいどこまで行こうとしているのか。



 王宮の前の道は、儀礼用馬車ですさまじい渋滞となっていた。


 王宮に入っていからも、降車場で馬車から降りるのは、みなアレクシアのような最礼装を身に着けた淑女や令嬢ばかり。

 馬車の車輪にトレーンをひっかけて汚すことがないよう、細心の注意をはらって降りねばならないから、時間は一層かかる。



 ようやく馬車から降りたアレクシアは、右手にブーケをたずさえ、トレーンを左手にかかえて、人の波にのって宮殿のホールを足早に通り抜ける。


 最礼装着用のときのふるまいについては、結局専用の講師を呼んでならうことになった。王宮にあがる際には、ぺシャロンはつかない。


 ヴァージルはいない。


 アレクシアは唇をかみしめて歩みをすすめる。

 しかし、謁見の間に入る順番を待つための広場に入り、アレクシアはきゅうっと胸をつかまれたようにつらくなり、その足をとめる。


 きらびやかな広間の光のなかで、それに負けずに最礼装の令嬢たちが並び立っている。

 アレクシアとは違う。生まれも、育ちの本物の令嬢、淑女たちだ。


——わたし、なんでこんなところに来たんだっけ。


 広間の入り口で立ちすくむアレクシアは、後ろから次々あがってくる謁見希望者に押し出され、広間のなかに進むが、なだれのように続いてくる人ごみに巻きこまれ、抱えていたトレーンは腕からこぼれてしまう。


 あわてて広がったトレーンを拾い集めようとして身をかがめたところに、さらに人が押しよせてくる。人のひざのあたりでなにかやっている令嬢がいるなんて誰も思わないから、つぎつぎ踏みつけられて、ブーケも、トレーンも、それについた飾りも、みんなボロボロになっていく。


——ああ。来るべきじゃなかった。


 このきらびやかな社交の世界のはじまりの場所で、ひとりだけ打ち捨てられた。入念に練習したマナーも、なんの役にも立たない。わたしは最初から、それ(・・)にふさわしい存在じゃなかった。


 こんなのなんでもないよ。はじめて下級使用人になったとき、何時間もお屋敷のキッチンでお皿を洗い、舞踏会の日には大量の野菜を洗ってひたすら皮をむいていた。それにくらべれば、こんなことはなんでもない。


 そう思って飲み込もうとしたけれど、涙があふれてくる。

 価値のない自分を思い知らされることが、こんなにつらいなんて。


 ドレスも、すてきな結婚も、メイドの給金の何百倍の年収も、もういらない。こんなに人がいるのに、わたしは今ひとり。


 ひとりにしないで。




「アレクシア!」


 人波のむこうから、彼女を呼ぶ声がする。


 顔をあげると、人をかきわけて近づいてくるのは、彼女のぺシャロンだった。


「ヴァージル……」


 ヴァージルはアレクシアの手をひいて、柱のかげに連れていく。


「こんなこともあろうかと、今夜は王宮の警備に名乗りをあげておいた」


 さすがだろ? とヴァージルは片眉をつりあげて笑いかける。


「もう無理よ」


「弱気だね」


 ふるえる声で訴えるアレクシアに対し、ヴァージルは冷静に、ブーケのなかのつぶれた花をつまみとって捨てていく。


 トレーンの装飾も、形がくずれて不格好なものは全部とってしまう。


「だって、全部台なしになった」


「そんなことはない」


「ブーケも、トレーンも、ボロボロよ」


「そうかもね」


 アレクシアは視線をおとす。ブーケは、つぶれた花をむしり取り、たしかに小ぶりにはなったが、なんとか見られる形にはなっていた。


「まだいけるよ。それに、アレクシアがいるだろ。ブーケもトレーンも、おまけだよ」


 白くトレーンが渦まくドレスの中心で、アレクシアは顔をあげた。まろやかな頬を流れる涙をぬぐい、ヴァージルは、自分の胸に押し付けるようにアレクシアを抱き寄せた。


「どんな装飾より、アレクシアがいちばんきれいだ」


「うそ」


「うそじゃない。君にうそはつかない」


 ヴァージルの心臓の鼓動がきこえて、アレクシアはそのリズムに合わせて、自分の呼吸が整ってくるのを感じている。


「落ち着いた?」


「はい」


「じゃあ、行こう。アレクシア。じきに君の名が呼ばれる」


 ふたたび取った手をはなして、ヴァージルは広間の令嬢たちの列のなかへ、アレクシアを静かに送り出した。


「さあ行って。俺のレディ」



 その夜、アレクシアは陛下のまえに進み出て、カーツィをする。その額にキスをたまわり、アレクシアは正式に貴族の令嬢と認められ、社交界にデビューを果たした。



 すべてが終わってアレクシアが宮殿を辞したころには、外はすっかり暗くなり、真夜中に近かった。

 待たせていた馬車の横には、ヴァージルが待っていた。


「やあ」

 

 ごく自然な動きでトレーンを持ち上げ、アレクシアを馬車に乗せてやる。

 自分も乗り込んでから、なにかの賭けの結果を気軽に知りたがるように「どうだった?」ときいた。


「……なんとか、乗り切りました」


「それはけっこう」


 アレクシアは窓の外をながめるヴァージルを見つめる。目は合わない。

 ずっとこの人の真意が読めずにいる。言葉に出す以上のことは何も考えていないように見えて、本当はなにかを秘めているのかもしれない。


 訊いても、きっと教えてくれないでしょうね。


「ヴァージル」


「どうした?」


「なにか、道が違うようなんだけど」


「当然だろう? 正式に社交界デビューを果たした日の夜だぜ? 行くところは決まっている」


 馬車は、首都のとある写真館のまえに止まる。




「マイ・レディ。こちらを向いて。すてきですよ」


 アレクシアは生まれてはじめてカメラの前に立たされて、どうやって顔を整えていいのか、とまどって引きつった顔をしている。生まれて初めては一日ひとつと、決まりをつくってほしい。


 写真屋の手伝いの少年が、ねむそうな顔で目を細めながら、ラフ版をもってアレクシアのまわりを忙しそうに動きまわる。


 シャッターを切る写真屋の店主のうしろで、ヴァージルは壁に寄りかかってその撮影を眺めている。

 店主が露出を調整するあいまに、ヴァージルは近づいてきて、アレクシアの顔まわりの髪をととのえ、おそらく彼の満足のいく形に変えていく。


「どうして写真を撮るの?」


「拝謁のある日は、真夜中まで開けている写真館があるんだ。こんや記念に写真を撮ろうって望む令嬢は多い。一生に一度だろ」


 ふたたびカメラの準備ができたことを確認して、ヴァージルが離れようとするとき、アレクシアは、


「あなたも一緒に撮らない?」思わず、呼び止めてしまった。


「俺と?」


 きっと断られると思った。でも、ヴァージルは一度店主のほうを振りかえって、それからゆっくり戻ってきて、アレクシアのとなりに立った。


「俺との写真なんて撮って、どうするつもりだ」


「記念にするの」


 わたしを幸せな結婚に導いてくれるシャペロン。あなたの心を知りたいと思っても、満足のいく形でその答えを聞くことはできないでしょう。


 ならせめて、あなたが近くにいてくれた証だけでも。


「記念ね。将来、君の夫となるやつには、見せられない写真になる」


 そうかもねと言って、アレクシアは思わず笑った。

 その夜に撮った写真の中で、その一枚だけが、彼女の唯一の笑顔だった。


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