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六 上流階級の試練

 ある日、いつも以上にあらたまった様子で、アレクシアのお目付け役(シャペロン)ヴァージルは、彼女の前に立った。


「さてアレクシア。君の社交界デビューはいよいよ近づいてきて、正念場を迎えつつある」


「正念場?」


 慣れない社交界のしきたりや振る舞いにふりまわされ、アレクシアは毎日がクライマックスのように全力だったのに、このうえまだ山場があるのか。


「王宮への初拝謁(はいえつ)だよ」




 うつくしい夜会用のドレスで着飾り、あらゆる舞踏会に顔を出すだけでは、正式に社交界デビューを果たしたとは見なされない。


 上流階級に受けいれられる淑女であるかどうかは、王宮への拝謁(はいえつ)をすませているかどうかが重要なのだ。


「王宮をたずね、王陛下や王族に紹介してもらう儀式ってことだよ」


「王宮……陛下……王族」


 直接お会いするなど夢にも思わなかった人々の名が出てきて、アレクシアは恐れおののく。


「拝謁をたまわろうとするなら、事前に申請が必要だが、だれでも許されるわけではない。最近では、貴族以外にも拝謁の許可がおりる職業が増えているらしいが。もちろんアレクシアは侯爵家の血筋だから、大丈夫。だが問題はそこじゃないんだな」


 ヴァージルは眉にきゅっと力をこめて、いかにもこれからの苦労が見えるというような表情をする。


「陛下や王族のまえに直接立つことになる謁見の間には、ややこしい作法が山のようにある。加えて王宮での正装とさだめられている衣装は、あつかいに訓練が必要だ」


「訓練……」


 着ているものに対して訓練が必要というのが、もうアレクシアには理解がおいつかない。


「なんでもかんでも、作法、しきたり……上流階級の方々はみんな嫌になったりしないの?」


「上流の社会と言うのは、小さな庭園だ。その庭園に、場違いなものやふさわしくない者が入ってくることを警戒している。だからめんどうなしきたりや作法を、マナーだのエチケットだのと言い方を変えて、いかにも重要なもののように設置しておいて、それを守れないものを締め出そうとしているのさ」


 ハイバックの長椅子に楽に体をあずけて、彼は彼なりに、貴族のしきたりが存在する意味を考えている。


「どちらかというと、マナーを破ることを恐れているのは、上流に片足つっこもうと必死になっている中流の上のほうの連中だ。生まれと育ちがまっとうな真の上流は、多少ハメをはずしても、つまはじきにされることはない。彼ら自身が上流階級を作っているそのものだから」


「わたしは……たしかに血筋は上流階級といえるかもしれないけれど、育ちがぜんぜんダメでしょう。わたしみたいな人間を締め出すのが、マナーってことなのね」


「そんなに不安がるなよ、大丈夫。そのために俺がいるんだ」





 すでにアレクシアが王宮にあがるための特別な衣装は仕上がっていた。

 はじめて社交界へはばたく令嬢の衣装は、白と決まっていた。胸ぐりの大きく開いたドレスに、袖にもほとんど布はなく、肩が見えるほどだった。出してしまった腕を、また白い手袋で隠すようにおおう。


 アレクシアは伯爵家に入ってから、ようやくコルセットをつけることにも、重いドレスを着ることにも慣れ始めたころだったが、拝謁用のドレスはまた少し様子が違う。


「ふしぎ。ドレスの格が上がるごとに、少しずつ肌の出ている部分は増えていくのね」


「淑女が見せるべきは、そのギャップだよ。アレクシア。昼のあかるい光の下では隠していた部分を、夜のきらびやかな人工のあかりの下ではあらわにする。その大胆な変わりようで、相手を落とすんだ」


 アレクシアはいかにもな講釈をたれるヴァージルを肩越しににらむ。

 晴れ舞台用の衣装を着ているのだから、そういうのではなくて、素直にほめる言葉のひとつでもくれればいいのに。

 

「言い方がいや」


「ああそう」


 ヴァージルはさして気にもとめず、その特別な衣装の格をさらに押し上げている、長い長いトレーンを静かにひろげて見せる。


 ドレスのあとを引いていく裳裾(トレーン)は、腰のあたりから幅広に、そして長く続いている。

 ドレスのほかのどの部分よりも上等な布を使い、装飾をきわめ、細工の細かい上品なレースがあしらわれている。


「さて、そんなことより、君がもっとも戦わねばならない相手は、このトレーンだよ」


 全長がゆうに三メートルは超えるだろうそれを持ちあげて、ヴァージルは挑戦的な目でアレクシアを見た。



「はいだめ! もっと優雅に! トレーンを持つのは左手だよ。両手でひっつかむな」


「だってこれ、すごく重いの!」


「知ってるよ! だからって雑巾つかんでんじゃないんだぞ」


「もっと短くならないの? これ」


アレクシアは、体にまとわりつき、時には自分で踏んづけそうになるそれを無造作に持ち上げて遠くへほうる。


「無理だよ。トレーンは長さが決まっている。王宮にあがるときになにを身につけておくべきかは、本当に厳密に定められている。君のこのドレスや装飾品一式は、侯爵夫人がなじみのドレスショップで最新の注意をはらって仕立てるように依頼したものだ。トレーンはこれ以上みじかくはならない。いいね」


 しかし長いうえに、装飾が多いトレーンは重さも相当ある。自分の衣装の一部だから、自分で踏みしめた挙句、無残に転ぶという失敗も起こりかねない。


 このドレスを着てむかうのは王宮なのだから、そうした失敗が起こるとしたら、たくさんの淑女が王族への拝謁を待つ緊張の場か、いざ王族へのお目見えが叶った重要な場である。


 どちらにしても、醜態をさらして耐えられる状況とは思えない。


「ヴァージル」


「なに」


「もしも拝謁の儀式で失敗したら、どうなるの」


「そういうもしも(・・・)については、考えなくていい」


「念のためよ。知っておきたい」


「べつに死ぬような目には合わないから、大丈夫だ」


「侯爵夫人や、そのまわりのみんなが、わたしに失望したりしない?」


 これについては、ヴァージルはすぐには返事をしなかった。可能性について、考えているのだろう。他人を心をおしはかる内容だから、無責任な返答をしないように。


「たとえば、あなたは……?」


「それはない」


 ヴァージルは、彼本人のことについては、すぐにこたえを出した。


「それは絶対にありえない。俺が君に失望したり、見捨てたり。そういうことはあり得ないから、最初から考えにも入れるな」


 アレクシアは、彼の顔をじっと見た。


——どうして? と訊いて、この人はこたえてくれるだろうか。


 成りゆきで上流階級の仲間入りをしてしまった元メイドに、こうして目をかけてくれる理由を。

 

「言っただろう。けしかけたから、責任を持つって」


 弁解するように素っ気なくきびすを返し、ヴァージルは背を向けた。


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