五 しあわせを取り戻す場所
「女のドレスの流行はすぐに変わっていくから、無駄に足掻くよりプロにまかせるのが一番だよ」
ヴァージルの助言にしたがって、アレクシアはステイントン侯爵夫人と、首都の有名なドレスショップを訪れていた。
「まあまあまあ……これがお若いご令嬢のはやりなの? すてきねぇ」
ステイントン侯爵夫人は、侯爵位をつぐ予定の息子がひとりいるが、今は海外に留学中で留守にしている。実の子が巣立ち、さみしさを感じていたことにくわえ、娘とドレスショップをめぐるという夢をかなえた夫人は、なにごとにも前のめりだった。
ほうっておくと、次々あたらしいドレスを注文しそうになるので、アレクシアはなんとか品数をおさえようと必死だった。
「ステイントン侯爵夫人、ドレスの流行はすぐに変わると、シャペロンのサー・オブライエンもおっしゃっていましたよ。まずは一着で大丈夫ですわ」
「でも……」
アレクシアの説得によって、なんとか今回は一着のドレスを仕立てることで話はまとまった。
生まれてはじめて舞踏会用のドレスを着た。そのアレクシアを最初に見た男性は、やはりヴァージル・オブライエンだった。あわいクリーム色のドレスに、ミモザの小花があしらった、ひかえめだが可憐なドレス。
「うん。悪くない。舞踏会デビューって感じ、するよ」
彼はそれだけ言って、満足そうにうなずいた。
「ダンスはまだひとつだけ? かんばしくないな」
舞踏会当日に、ヴァージルは目に映る知り合いの男性をつぎつぎ紹介してくれたけれど、ダンスの誘いはあまりこなかった。バイアット伯爵がひとりめのお誘いだった。
「そんなこと言われても。女性からお願いするのはだめなのでしょう?」
「そりゃあダメだな」
「じゃあ結局待つしかないじゃない」
ヴァージルは肩をすくめて壁際にもどっていく。
壁の花になることは、ダンスにさそわれることもなく、立ちすくむだけの令嬢になること。本来であれば、アレクシアは会場でもっとも目立たない存在であるはずだ。だが、さきほどからちらちらと自分にむかう視線を感じる。
——なんだろう。
当然だが、あまりいい気分ではない。
ふと、先ほどダンスにさそってくれたバイアット伯爵がバルコニーに立っているのが見えた。うしろを振りかえると、いつのまにかヴァージルはいなかった。
どういう気持ちでそこに行ったのかわからないが、アレクシアはそっとバルコニーにちかづいた。磨かれたガラス窓に自分をうつし、外につながる扉をそっと押してみる。
バイアット伯爵と、その連れの男性の会話がきこえてきた。
「ステイントン侯爵家が急に養女をとるなんて聞いたときはおどろいたが……おおかたどこかの女に産ませた子を、しかたなしに引きとったんだろう。どこの馬の骨かわからん」
「どんな田舎娘かと思ったら、思ったより見た目は取り繕ってきたな」
「だが、ダンスの誘いひとつ受けるのも、慣れていないのが丸出しだった。なに、一曲もおどれば、すぐにぼろが出るさ」
ダンスの誘いなんて、生まれてはじめて受けたのだから、不慣れで当然なのに。それはたとえ生まれた時から貴族の階級にある令嬢であっても、同じではないのか。
くやしかった。なぜ自分のことをまったく知らない人に、ほんのわずか言葉をかわしただけで、こんな言われようをしなければいけないのか。
その時、大きな影がアレクシアの後ろからやってきて、やや役者ぶった大きな動きでバルコニーへの扉を開けはなった。夜風がさっとふきこんで、バルコニーの近くにいた人々はいっせいに窓へ目をむける。
その注目を待っていたかのように、ヴァージルが演説ぶった大きな声で話しはじめた。
「失礼。伯爵。ちょっとした行き違いがあったようですね」
話をきかれていたことを悟って、伯爵たちの顔には焦りが見える。
「まず、レディ・アレクシアは庶子ではない。彼女の母は、正真正銘ステイントン侯爵夫人の姉であり、前ブラバント伯爵のご令嬢です。どこの馬の骨かと訊かれたら、大変優秀な名馬であると答えざるを得ません」
ひょうひょうと、水が流れるように流麗に話すが、ところどころ語尾が強くなる。
「そしてステイントン侯爵ご夫妻は、レディ・アレクシアを養女にむかえるにあたって、心から歓迎している。彼女は侯爵家で邪魔者あつかいされたことなど、一度もない。不確かな情報をこのような場で広める真似は、おつつしみください」
伯爵は「ああ」とか「うう」とか、不明瞭なことをつぶやくばかりで、結局謝罪はなかった。
「ヴァージル……」
「来て」
ヴァージルはアレクシアを連れて会場をでて、屋敷の廊下でその手をはなした。
「言ってなかったけど、君のことは社交界ではけっこう有名だ」
「ええ!?」
「貴族の醜聞は庶民もよろこぶ格好のネタさ。ステイントン侯爵家は、婚約破棄からの花嫁すげかえ騒動でもそうとう擦られたから、その話のつづきみたいに、いろいろ言われることも多い」
「そう……じゃあ、最初から条件のいい結婚なんて、無理だったんじゃない」
「そんなことない。君が正式に社交界にデビューすれば、本物の君に会う機会ができる。そしたら、書かれたようなスキャンダラスな人じゃないって、すぐわかるはずさ。それにさっき俺が言ったことだって、ひとつも嘘じゃない」
それでもはじめての舞踏会で、だれとも踊れずに好奇の目にさらされたアレクシアは、心身共に堪えていた。
「連れてくる場所をまちがった。すまない。俺も目立ってしまった。シャペロン失格だ」
それからヴァージルは、彼にしてはめずらしく後悔したようにため息をつく。
「ううん。いいの。ありがとう」
ヴァージルは、愛想笑いもごまかしもせずに、完全にアレクシアをかばってくれた。ちゃんと味方でいてくれた。
「踊ろうか。場所を変えてさ」
不意にヴァージルはふたたびアレクシアの手をとって、歩き出す。
「どこに行くの?」
「外だよ。そと」
本当に外だった。屋敷の門を出て通りを歩き、一軒のパブに入る。
「この格好で!?」
「街のパブはもっと自由だ。君だって知ってるだろ」
ヴァージルはパブのバイオリンとフルート中心のバンドに数枚の紙幣をにぎらせると、「なんか最高にあがる曲をたのむよ」とリクエストをつげる。
それからアレクシアをつれてフロアの中央に陣どった。
「どうやっておどれば」
「そんなの、君ならわかるはずだ。メイドのアレクシアならね」
貴族たちの舞踏会ではぜったいに踊らないような、はねまわるようなダンスをふたりで踊った。いつのまにか他の客も加わって、場違いなドレスを着ているアレクシアのことも、だれも気にしていなかった。
「ヴァージル!」
踊りながら、アレクシアは彼女のシャペロンの名を呼んだ。
「楽しい!」
演奏と、人々の歓声のあいまに、侯爵家にあがってからは久しくあげていなかった大きな声を出す。
「そう言うと思ってさ、連れて来たんだ!」
ヴァージルも大きな声でこたえる。
音楽終わって、集まった人々はフロアにめいめい散っていく。ヴァージルは、去っていく人の波を名残惜しそうに見送るアレクシアを、ぐっと自分のちかくに引き寄せた。
「帰ろう。アレクシア。また令嬢にもどらないとね」
「舞踏会はよかったの?」
「ああ。いいんだ。レディじゃない、ただのアレクシアは俺しか知らない。そういう約束だっただろ?」
「眠い」
帰宅のためにむかえの馬車に乗り込んだアレクシアは、もう限界をむかえていた。日付はすでに変わりかけている。
「社交シーズンがはじまったら、みんな明け方まで踊りあかすんだ」
ヴァージルがおそろしい現実を告げてくる。
「体がもたない」
「そうだな。多くても、週に二、三回が限度かな」
寝入りそうになっている彼女を引きとめるように、ヴァージルは話し続ける。
「アレクシア。君、父親のことは覚えているか」
ねむるのをやめて、アレクシアは馬車が行く暗い石畳に目をおとす。
「靴職人だった。腕がよかったのかはわからない。でも、父が生きていたころは、母もまだそこまで一生懸命働かなくてよかったから、いい職人だったのかもしれない」
「かわいがってもらった?」
「ええ。母は、父のこと、ちゃんと好きだったと思う」
「そうか。じゃあ伯爵にお父上のことも言ってやるべきだったな。アレクシアは、両親に愛されて生まれてきたって」
「ヴァージル」
「なに?」
「ありがとう」
「いや、いいんだよ」
心地いい疲れのなかで、ふたりは馬車が屋敷につくまで、なんとか眠らずに耐えていた。