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一 運命が動いた日 忘れられた家族の秘密


 彼女の運命が動いた日、アレクシアは、住みこみで働く小さなテーラーの小部屋でいつものように目覚めた。


 テーラーを経営する主人をはじめ、この家の家族は、まだみな寝静まっている早朝である。足音をたてないように静かに階段を下りていく。すると玄関のホールの片すみの、外からいらしたお客さまからは見えない壁に、今日やるべき仕事の予定表が貼られている。


 昨夜のうちに奥さまが置いていったものだ。


「今日も盛りだくさんね」


 その予定表をたしかめ、ひとりつぶやいてから、アレクシアは即座に動きだす。大量の仕事を時間内にさばききるためには、なめらかで迷いない、機械みたいな動きが必要だ。


 料理だけは、むかしどこかの伯爵家で女流コックとして活躍していたというご近所の老婦人が手伝いに来てくれる。それ以外の家じゅうのあらゆる雑務はアレクシアが引きうけている。


 彼女はいわゆる、メイド・オブ・オールワーク。すべての家事をする人だった。


 彼女がつとめるのは、紳士用の服を仕立てる小さなテーラーだった。産業革命で富をたくわえた中流の実業家たちが、上流階級の集まりにちょっと背伸びをして参加するために、少しだけ質のいい、サイズの合ったスーツを必要としている。そんなとき、街中にある気取りすぎない、しかし腕のいいテーラーはちょうどよかった。


 商売の調子がよくなってくると、テーラーの主人は、自分も労働者階級ではなく、メイドを雇えるそれなりの身分のものだと周囲に証明したくなった。そこで、下級メイドから少しだけ経験をつみ、新しい職場を求めていたアレクシアを見つけてきた。


 それから数年がたち、その運命の日、テーラーの前に、この通りではめったに見ない豪奢な馬車がとまった。


 アレクシアは、店の表側のお客さまを相手にする、店の売場には出ない。裏方の、テーラーの主人とその家族が暮らす居住地域での用事に追われているだけである。


 しかしその裏方に、主であるテーラーの主人が駆けこんできた。


「旦那さま、どうなさったのですか」


 おどろいて家事の手をとめるアレクシアより、さらに主人はおどろき、焦っている。


「先ほどのご婦人、ステイントン侯爵夫人だったよ」


「まあ、よかったじゃないですか! 侯爵家の御用達になれるチャンスかもしれませんよ」


 小さなテーラーであっても、侯爵家が服の仕立てを依頼したとなれば、よその客を呼びこむきっかになる。


「それが……」


 主人は言葉をにごす。


「アレクシア。君へのお客さまだったんだよ」




 侯爵夫人は、テーラーの中でも特に大切なお客さまと商談するための応接間に通された。


 その応接間は、アレクシアが毎日そうじをしている部屋だから、よく知っている。清潔で、良い印象が与えられるように整えられているが、東側の窓のカーテンレールが曲がっている。


 いま、テーラーの奥さまはそのことをしきりに気にされているだろう。


 一方、応接間で侯爵夫人と向かい合っているアレクシアは、それどころではなかった。


 侯爵夫人は、うつくしいプラチナブロンドの髪に、このような下町のテーラーにふさわしくない質のいいドレスでお越しになった。やわらかなお顔で、お会いするのははじめてなのに、もうアレクシアによい印象を持っている気がする。


 こちらから夫人に話しかけるのは、きっと無礼になるにちがいない。アレクシアは自分が呼び出された理由もわからないまま、視線をどちらへ移せばいいのか迷って、流れる夫人のドレスのひだを見つめていた。


「あなた、ご両親は?」


 うすいグレーの瞳がまぶしい。夫人はその声も、年齢より高く聞こえ、耳に心地よかった。


「私が学校を卒業して働きはじめて数年で、相ついで亡くなりました。マイ・レディ」


「そう、では、ほかにご兄弟は?」


「おりません」


 家族のいまの状況をひととおり聞いてしまうと、夫人は少し迷ってから、ためすような口ぶりになる。


「お母さまから、なにかお聞きになっていない?」


「なにか、とは?」


「そう。たとえば、お母さまの生家のことについてなど」


「とくに……母からそうした話を聞いたことはありませんが……」


 夫人はだまって小さなバックから、一枚の写真を取りだした。


 そこには、まだ若かりし頃と思われる侯爵夫人と、寄りそうように頬をよせあう令嬢が写っている。


「……この、写真は……」


「あなたのお母さまで間違いありませんね?」


 そう、たしかに若き夫人とよりそう女性は、アレクシアが知るより相当若いが、彼女の亡くなった母親だった。アッシュゴールドの髪は、アレクシアと一緒だった。


「た、たしかにそうですが、これは……」


「となりにいるのは、わたくしよ」


 アレクシアは、なにかよくわからない焦りで顔が熱くなるのを感じた。


「あなたのお母さまとわたくしは、姉妹です」


 ステイントン侯爵夫人がかたるには、ことの顛末はこんなふうだ。


 侯爵夫人とアレクシアの母とは、仲のよい姉妹だった。


 しかし、アレクシアの母の婚約が決まってから、その関係は変わりはじめる。アレクシアの母が社交界で結婚相手さがしに奔走し、やっと射止めた侯爵家の三男は、結婚の準備の過程で、あろうことか花嫁の妹、つまり現ステイントン侯爵夫人と恋仲になってしまった。


 すべてが明るみになったあと、失意のアレクシアの母はゆくえをくらましてしまう。このような場合、通常婚約者を奪った側の人間が罰を受ける。仲のよかった妹の不遇を見るのも、婚約者の裏切りに向き合うことも、アレクシアの母は耐えられなかったに違いない。


 不貞をはたらいた侯爵家三男は、不慮の事故や戦争でうえの兄たちが失われたため、玉突きで侯爵家の爵位をつぐことになった。そうして現在、目のまえの女性はステイントン侯爵夫人を名のっているのである。


「ずっと探しておりました。姉と、その家族を。わたくしも夫も、大変な罪をおかしたと自覚しております」


「ほ、本日こちらにいらした目的は、いったいなんなのでしょう」


 事情はわかったが、それでも夫人が自分を探していた理由にはたどり着けない。


「あなたを、侯爵家の養女にしたいと思っております」


「は」


「せめてもの罪滅ぼしです。お姉さまの子であるあなたを、かならず幸せにしたいの」


 アレクシアの知らないところでまかれた種が、今日、芽吹いてしまった。





 



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