プロローグ
アレクシアの人生は、十七歳のときにその運命を大きく変えた。
それまでアレクシアは、典型的な労働者階級の父母のもとで育ち、初等教育を終えたのちは、すぐにハウスメイドとして働き始めた。
最初の一年、最下級のメイドとして働いたあと、中流のテーラーをいとなむご主人のもとに、メイド・オブ・オールワーク《すべての仕事をする人》として雇い入れられた。
掃除、洗濯、料理に子どもの世話と、その家のすべての家事労働を引きうけていた。
大変な重労働だったが、住む場所があり、生きるための生計をたてる仕事があるのは幸せなことだ。
アレクシアは身の丈にあった幸福をかみしめていて、その暮らしにも生き方にも、なにも不満はなかった。
いま、彼女は、一生自分には縁がないと思っていたチュールレースでおおわれたドレスを着ている。
社交界にデビューしたてか、デビューをひかえた初々しい令嬢の姿で、はじめての舞踏会の会場に立っている。
あわいクリーム色のドレスに、うるさすぎない間隔でミモザの小花があしらってある。
今日の日のために仕立てたこのドレスの出来ばえは、緊張するアレクシアに、ダンスホールの中心に歩みだす勇気をあたえてはくれなかった。
舞踏会でだれからも誘われず、パートナーが途切れることを、若い令嬢はみなおそれる。いわゆる壁の花になることは、令嬢たちの試練である。しかしアレクシアには、だれからも気づかれない今の状況は、むしろ望んだものだった。
「レディ」
うえから降ってきた声に顔をあげると、背の高い柔和な顔をした男性が立っている。
「一曲ごいっしょしてもよろしいですか」
「あ……の……」
固まってしまったアレクシアの後ろから、軽快に顔を出す男がある。
「失礼、伯爵。うるわしきご令嬢のご紹介がまだでしたね」
お目付け役としてアレクシアについてきた彼は、抜けめなく伯爵にアレクシアを売り込む。
「レディ・アレクシア。こちらバイアット伯爵です」
伯爵は、次の次の曲を踊る約束を取り付けて去っていった。
充分に彼が離れたのを見はからって、お目付け役の青年は、アレクシアに耳打ちする。
「バイアット伯爵。誘いかたがスマートで、他のご令嬢にも人気だ。年収も申し分ない。よかったじゃないか。いつまでもこんなところで突っ立ってちゃ、来たかいがないぜ」
「ダンスは苦手」
「なにごともやってみなきゃ。経験をつむんだよ」
すぐ横に立った彼を見あげる。
彼は、アレクシアがこうして並んで話ができたら、どんなに幸せかと思い描いていた人である。
アレクシアが運命のいたずらで、なりたて侯爵令嬢となってしまった結果、はとこの関係となったこのヴァージル・オブライエンは、みずからアレクシアの結婚相手さがしのお目付け役に立候補した。
彼は社交界の荒波を潜り抜け、アレクシアにかならず最高の結婚相手を見つけてやると約束したのである。
そして、「君を最高にしあわせにしてやる」とも確かに言った。