夢
「夢」って超常現象だ。幼児が並べた積み木みたいな記憶が、確かに視覚のように感じるから。聴覚や触覚、その全ての五感がVRのよりも高精度で再現される。「夢」のスペシャリストになりたいって言ったら変に思われるかもしれないけれど、僕の人生は、僕の本能は夢と共にありたいと思っている。まだ11になったばかりの子供がそこまで将来を見すえているなんて、大人からしたらバカバカしいだろう。しかし、「夢」をテーマして作った自由研究の発表で、全国でも優秀な成績を収めていたのも事実だ。文学的にも脳科学的にも重要な“それ”は、人類の足りなすぎる知識を活発にしていくためにも必須な項目だろう。まあ、こんな奇奇な小学生がノーベル賞を取るのはまだだいぶ先の話だが…
────とまぁ、俺が小学生の頃に書いた反省文という名の黒すぎる歴史が、今俺の友人に発掘されてしまった。
「ぶっは!!こいつノーベル賞本気で取る気でいるぞ!やっぱ小さい頃から変わんねぇな歩夢!」
と、そりゃもう涙が出そうなまでに爆笑していた。いや、確かにわかるよ?こんな反省文という概念をまるで分かっていない文章をみたら誰でも笑うって。しかし俺も本気だ。いずれ海外に留学して、そこで脳科学の研究をしたいと思っている。そんな真剣なやつを笑うのは許し難い気がする。
「俺だって本気だぞ。将来は脳科学専門家になってそんな事言えなくしてやるからな!」
とだいぶきつく行ったつもりだったが、
「じゃあもし歩夢がそんな偉大なやつになったら俺が助手になったらめっちゃ得じゃん!」
とさらに失礼な返しだったが、俺は自然と
「やってみろよ!」と期待の交じった笑みを浮かべてそう返していた。
────懐かしい夢だ。夢だとわかったのは、意図的にそうしたからである。夢を見たあとに記憶が曖昧になるのはよくある事だ。その例の通り、自分が一瞬どこにいるか分からなくなったが、ウィーンという機会的な音とともに明らかになった外の景色と、少し不安そうな顔でこっちを見やる白衣の助手の顔を見て全てを理解し、俺は不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「成功だ」