良佳━身勝手なキミに…━
流れゆく景色を背に、見えるのは濃紺のブレザーと黒いセーター。彼の色。心臓の音が聞こえるくらい近くに彼の存在を感じて、火照っていく頬の熱を止める事は出来ない。逢えた事が嬉しい。そこに戸惑いが無いと言えば嘘になるけれど、それでも「逢いに来てくれた」事が良佳の心を明るくしていく。上げられない顔の下、握っていた携帯電話に映る自分の顔が酷く優しい色を宿している。キミも同じ気持ちなら嬉しい…。
「――っ」
車内アナウンスが流れて電車が次のホームに入る事を知らせる。
他人から庇うように良佳の前に佇んでいた彼が、一瞬息をつめたのが分かった。その刹那。
「深澄っ!?」
「ごめんっ、でも」
「――っ」
不意に腕を掴まれバランスを崩す。失いかけた平衡感覚を取り戻そうと一歩足を前に踏み出せば、彼は振り向く事もなく――けれども手を離す事もなく――電車に乗り込む人並みに逆らうように歩きだす。訝しげな表情を浮かべる駅員に、肩と肩が触れて迷惑そうに顔を顰めるサラリーマン。その視線を物ともせずに深澄はただ前だけを見つめていた。その姿に戸惑うのに、この手を離そうとは思えなかった。
ホームに電車が入ってきた時と同じく、けたたましく鳴り響く発車の音に背を押されて二人は来た方向とは別――学校とは逆――の電車に乗り込んだ。
――…どうして?
自分に疑問を投げかけても、そこに答えは見つからない。
遠くなるホームをただ茫然と見つめ、整わない息を何度か繰り返すと同じように隣で肩を上下させる姿がある。どうしてだろう、今すごく…。
――深澄、キミを知りたい…。
突然のキミの奇怪な行動の訳を知りたい。そう思った。
キミが何を想い、何を感じて、どうしたいのか…。それを聞きたい。
少し汗ばんだ掌には、今も変わらずにキミの手が繋がれている。
――今なら、キミを知る事が出来るの??
眼の前には俯いている深澄の横顔があって、“いつもと反対”なんて心の中で思って曖昧に微笑む。そうして繋いでいた手をギュッと握り返せば、驚いたように彼が瞠目して、それでも視線を逸らす事はなく真っ直ぐに良佳の瞳を見つめ返してくれた。それがこんなにも嬉しい――。
「なんで…?」
「……」
なんでいつもキミは、そんなに真っ直ぐに見つめ返すんだろう。なんでいつもキミは欲しい時に温もりをくれるんだろう。なんでキミが私の傍にいてくれるんだろう…。なんで。なんで。なんで。
たった一言を告げるだけで、こんなにも胸が痛くて、こんなにも泣きたくなる。
キミがどうしようもなく――好き。だから…。
――キミからの“コタエ”が欲しいよ。深澄。
真っ直ぐな視線を受け止める事が出来なくて、視界が堪え切れなかった涙で滲むのを感じる。だから、その姿を見られないように下を向いた。
深澄が何か言おうと口を開き、また閉じたのが気配で分かる。
それでも顔を上げる事は出来なかった。もう一度キミの顔を見たら涙を堪えることが出来なくなる…。
もう、何を言えばいいのかも分からなかった。
言葉もなく深澄が優しく手を引いて、二人は電車の隅の方の座席に隣り合わせて腰掛けた。人もまばらな空間の中、電車が何処に向かうのかも知らない。それでも怖いとは思わなかった。不安だとも――。
掌から伝わる温もりが、まだ優しく二人を繋いでいたから…。
この手の温もりを、キミを信じていた――。