朝━misumi━
メールが届いた。
また、クダラナイ悪戯かと思えば今度は違っていた。
「なんだかな・・・」
不意に呟いた言葉が、自分にそぐわないものだと気づいて深澄は自嘲する。いつもならこんな言葉は使わない。きちんとした日本語、きちんとした言葉を心がけているつもりだ。
らしくないと思う。
普段ならこんな風に誰かから来たメールに頭を悩ませる事はない。顔も知らない「誰か」なら尚更だ。
それなのに、今日は目覚まし時計よりも早く目を覚ますほど気にかかっている。何故か。
答えは「メールの内容」のせいだと思う。間違いメールのような誰かへの用事でもなく、かと言って悪戯には思えない。内容はこうだ。
『この世界の片隅で
貴方は何をしていますか。
同じ空を見ていますか。
幸せですか。
それとも、
「独り」でいるのですか。
この世界の片隅で
「私」は生きています。
今日も同じ月を見ています。
幸せではないけれど、
何処かに「あなた」がいると
知っているから、
「私」は泣きません。
この世界の片隅で
貴方を想う「私」がいます』
書かれていたのは、これだけ。
「詩」と言うには稚拙で、文章と言うよりは語りかけられている気さえする。
「意味深だよな・・・」
意味深で、その上ストーキング性を匂わすような言葉使いが気にかかる。
溜息と共にでた「らしく」ない言葉。気がつけば7時半を回ろうとしていた。
手にしていた携帯電話をブレザーの内ポケットへと入れる。邪魔になるためストラップはつけないので、気に留める事もなく、携帯はポケットへと収まった。
身支度はほぼ整っている。今はと言えば、カバンに教材を詰め込んでいるところだ。
「またクダラナイ一日の始まりか」
自嘲めいた笑みを浮かべ、深澄は心に仮面を被る。「優等生」の仮面を。
両親はすでに仕事に出ている。物心つく頃から、朝は一人で起き、一人で食事をし、一人で学校へと出かけていた。それが当たり前だった。
「おはよう」を言う父親も、「行ってらっしゃい」と言う母親もいない。それらは他人の話で聞く「想像上の両親の姿」で、深澄が望んでも手に入らないものだった。
「仕事が忙しいのはいい事だと思うけどね」
このご時世、ニートやフリーターは山のようにいる。リストラや派遣切りも。
食うに困らない方が良いのは当然で、「お医者様」なんて固い職種をしている両親を尊敬はしているつもりだ。「愛している」かと聞かれれば、答えられないが。
「・・・・行くか」
一人呟いても返事の返らない室内は、何とも無機質で居心地が悪かった。温度がない。
この家で暮らしていくうちに、彼の心にも温度が無くなっていく。そんな気がした。
玄関を出て鍵を閉める。家の門を閉じたところで「崎本邸」を振り返って気づく。
自分が生まれてから17年間暮らしてきた筈の家なのに、これを「我が家」と呼べるほどの親しみがない。愛着も持てない。ここは深澄にとって「寝る為の場所」でしかなかった。
朝から感慨深くさせられるのは、やはりあの「メール」のせいだ。
(「幸せ」ですか・・・・なんて聞くなよ)
「幸せ」なんて、考えたこともなかった。
恵まれた環境、頭も学年1位を取れるくらいには良かったし、運動神経だって悪くない。教職員や、同級生などからの人望も厚いし、そうなるように「優等生」なんてモノを演じてきた。
人から見れば「幸せ」なのかもしれない。
何不自由なく暮らしてきた・・・・その筈なのに、「幸せ」だと感じた事はない。
「心」は、満たされない。
その事実に気づかされたことが腹立たしかった。
本当なら送ったやつの「居所」を調べてでも、文句を言ってやりたいほどだ。
それをしないのは、こんな変な「メール」に付き合う義理がないからだ。返信もしない。
ただ少しの興味はあるから、メールを「削除」することはしなかったが、これまでだと思う。
もう、自分の「感情」を「他人」に揺り動かされるのはごめんだ。
深澄は、そう呟いた。
目の前には長い道が続いていた。
深澄の「心」を揺らした一件のメール。
初めて届いた、「誰か」の言葉。
今後、彼はどう変わっていくのか・・・。