良佳━ただ…自分が許せなかった━
深澄と別れた後、どうやってこの最寄り駅まで辿りついたのか覚えていない。空白の時間はそれだけ彼の言葉がショックだったから…。違う。本当は見透かされた事に驚いただけ。暗くなった帰路を辿りながら不意に夜空をぼやかす白い街頭に立ち止まる。ちかちかと点滅する灯りの下、開いた携帯には月が映る。時刻は20時前。自然と足は息苦しい家では無く、あの通い慣れた公園のベンチへと向かっていた。
――キミに、どう話せば伝わるのかな…。
幼い頃に父親が居なくなったこと。虐待を受けていたこと。母親には殺されかけ、目覚めた時には誰も傍にいなかったこと。施設で…育ったこと。
自分のプラスになるような経歴なんて、何一つ浮かばない。あるのはマイナスな過去と、暗く惨めな自分自身。女である事を喜べたことなんて一度もなかった。
陰湿なイジメは“女”という生物が持つ特徴に思えたし、制服で電車に乗れば痴漢の標的にされる。そういう環境で生きてきた。
家の中では新しい“父親”が、母親と言い争う声を聞き、機嫌の悪い時には殴られる。誰も良佳の声を聞く人はなくて、ただそこにいるだけで“邪魔者”として扱われる。だから…。
――自分で“自分”を否定する以外に、自分を守れなかった…。
折角出来た“家族”と言う名の人たちを失いたくなくて、怖くて、ただ静かに息を顰めて夜を一人で過ごした。
殴られるのなんて“平気”。痛いのはただ一時だけ。それを過ぎれば、我慢すれば、いつか上手く行くと…本当に“家族”になれる時が来るのだと、そう信じた。
涙は――出なかった。
――だって、“一人”は怖い。一人には絶対なりたくなかったんだよ…。
馬鹿みたい。
いくらうわべ上は“家族”を取り繕い“一人”じゃなくなっても、心の中はいつも冷めきり“独り”であることに変わりはないのに。それでも離れてしまうことが怖かった。
「キミに、この気持ちが分かるのかな…?」
小さく溜息を吐いた星も見えない夜の中。
公園には人気もなくて、冷たいベンチに腰掛ければ、世界には自分“一人”になってしまったような…そんな気がした。
――ねぇ、深澄。
キミならこの淋しさを理解してくれる?
自分で自分を“否定”しなければ守れないモノがあると、
キミは知ってる?
私の十八年と言う短い人生は
人に“否定”されてばかりだった。
愛されたことはない。
誰かに必要とされた事もない。
だからキミから“必要”とされた時、
キミが“ありがとう”と言ってくれた時、
私は救われた気がしたんだ。
キミに頑なだと言われて分かった事がある。
キミに、
まだ何も話していないキミに
こんな惨めな自分の事を知られてしまうのが
怖かった。
ただ、嫌われてしまうのが怖かったんだ。
馬鹿みたいだって
キミは思うかも知れないね。
でも、愛されたことのない私には
自分を守ることで精一杯だった…。
ごめんね…。
本当にごめん。
自分勝手で、
我儘でごめんなさい…。
良佳――
言葉にして気付いた事がある。
キミと向き合うつもりでいて、本当は自分とさえも向き合えていなかったこと。キミを知れば知るほど、自分自身を閉じ込めていたこと。
――これじゃあ、いつまでたっても…。
深澄、キミに近づける筈がない。だから。
もしもキミがまだ優しい言葉をくれるのなら、その時は…。
――キミに近づいても良いかな…?
こんな惨めな自分のことを、少しくらい許せるように頑張るから。きっとキミに全てを話せる時がくるから。例えばキミが全てを知った後、受け入れてくれなくても…。
夜空にもう一つ溜息が溶ける。
送信ボタンを押して不意に空を見上げれば、厚い雲の隙間に見え隠れする下弦の月。優しいその灯りは良佳の火照った心を癒してくれた――。