深澄━キミを好きなんだと…思う━
趣のある石畳の道をただゆっくりと歩いた。
繋いだままの彼女の手を意識しないはずがない。本当は離しても良かった筈だと、そう自分に問いかけた処で今更この手を離せるわけもない。お互いに緊張しているのか外気はそう高くないのに、繋いだ掌はどちらからともなく熱を発して少し汗ばむほどに火照っている。
振り向いて彼女の顔を見る事さえも気恥ずかしくて、目的なんてないのに両側を店に囲まれた「小町通り」を前だけ見て歩き続けた。
――分からない。
“逢いたい”
確かにそう思った。でも。逢ったら、逢えば余計に分からなくなる。良佳の事も、深澄のことも。何よりこの想いを言葉にする事が出来なくて、胸に何かがひっかっているような…そんな曖昧な感じがある。これをなんと呼ぶのだろうか。
歩きながら時折、彼女の様子を窺う。
勿論振り向く事は出来なくて、ただその気配とか足取りとか呼吸とか、そういうものから彼女を知る。
歩く速度は速くないか。道に躓いてしまうような障害はないか。人込みにぶつかったりしないか…そんな“らしく”もない気遣いを続けて、少しだけ苦い笑いがこみ上げた。
――なんだ…結局…。
“キミを好きなんだ”…そう思う。
いくら難しく頭の中で考えてみた処で、こんな固い頭の“深澄”に出せる答えなんて限られていて、もっと感情論で動けば良いのに、それが出来ない事が恥ずかしいから頭の良いふりをして“気持ち”を誤魔化していた。なんて馬鹿なんだろう…。
答えなんて最初から分かっていた。
いつから惹かれたのかとか、そんなこと今になってみればどうでもよくて。ただキミが居てくれたことが嬉しくて、こんな風に言葉を交わして、共に歩いていることが大切だと思う。
これから“理解”するであろう“七瀬 良佳”という人が、こんなにも――。
「深澄……」
不意に吐息の様な声が零れて、振り返る。
「…呼んだ?」
「――っ」
自分でも不思議だと思う。
喧騒の中、彼女と同じ年頃の女性なんていくらも溢れているのに消え入りそうな声に気付いた。振り返った先には眩しそうな彼女の瞳があり、そこには己の姿が映っている。良佳は驚いたように一瞬眼を瞠り、そうしてすぐに泣きそうな表情へと変わる。その理由が分からなくて、知りたくて、胸がチクリと痛みを覚えた。
――どうして、そんな表情をするの…?
「ごめんっ、なんでも…ない」
「――うん」
何でもないわけがない。
何でもない人間がこんな表情をするわけがないのだ。そんなこと深澄にだって分かる。それでも彼女が“なんでもない”なんて言うから、それ以上の追及は出来ずに首を傾げて見せる。どうして彼女はいつも頑ななのだろう…。そう思えばこみ上げてくるのは苦い感情ばかりで、気休めに造った笑顔でさえも曖昧なモノにしかならない。
「ごめんっ、ホント…」
「うん」
「…ごめんなさい」
そっと手が離れる。まるで二人の心みたいに。
さっきまでは繋がっていたと思った心が、掌と同じように熱を失っていく。それを“寂しい”と感じる。自分の掌を見つめ軽く握ってみても失われた“熱”は戻らない。眼の前で呪文のように“ごめんなさい”を繰り返す彼女にかける言葉も見つからなくて、自然溜息が零れた。微かに揺れた良佳の肩…だから…。
その頭にそっと触れる。
風に揺れる髪の柔らかさと、驚きに見開かれた彼女の瞳が自分のモノとぶつかれば、こみ上げた気持ちを止める事はしない。
「良佳」
「……」
「キミはどうして、頑なに自分を否定するの?」
少しの苛立ちと、少しの哀しみと、そして何よりも“良佳”のことを思うが故に言葉はきつくなる。責めるつもりはない。否定することもしない。ただ、本当はキミに気づいて欲しかった。
「否定…」
「しているでしょ。今も」
キョトンとした瞳が困惑と不安の色を宿すのに、そう時間はかからない。真っ直ぐに向けられた瞳が逸らされることなく見つめ返し、その手がきつく握られた。
分かっている。こんな風に言わなくても、彼女ならいつか気付くであろうことくらい。
それでも――。自分自身に苛立ちが募り、堪え切れない溜息がもう一つ零れた。
「もっと…」
その続きを言うことに躊躇う。
いつになく歯切れの悪い言葉たちは消え入りそうに街の喧騒に飲み込まれ、風が二人の間を隔てる。声に出せずに口元だけで呟いた。
――自分を……愛してよ…。
本当は誰よりも自分に言わなければいけない言葉。自分に言いたかった言葉。誰かに…言って欲しかった言葉を彼女に託す。
――こんなの”ずるい”よな…。
彼女の真っ直ぐな瞳を見つめている事が苦しくて、言い逃げるようにそっと瞳を逸らし背を向ける。こんなふうに誰かに何かを背負わせて逃げるのは”ずるい”と思った。自分が出来ない事を他人に押し付けてしまえば、この心は軽くなるのだと…。でも。
――やっぱり…分からなくなるんだ。
俯いたまま人混みの中に紛れて行く。
振り返る事が怖くて彼女の声も、瞳も、その掌の温かさも記憶に抱いたまま喧騒に飲まれて行った――。




