感謝━yoshika━
柔らかな風がそっと頬を掠める。
彼の言の葉がその風に乗って同じように降り注ぐ…優しく、そして困ったように時折言葉を詰まらせて彼は今までにないほどに言葉を選んでいるように思う。それが嬉しかった。
彼も迷うことがあるのだと。自分の為にどう伝えれば良いのか、どうすれば伝わるのかを一生懸命に模索して彼は言葉を紡いでいく。
当たり障りの無い言葉たちを並べ、そうしてようやく確信へと触れた。。
「初めてメールが届いた時、悪質な悪戯だと思った」
「…え」
不意に深澄が呟く。その声に良佳は俯けていた顔を上げた。視線が交差する。真っ直ぐに優しい眼差しが良佳を見つめ微笑めば、鼓動が小さく跳ねた気がした。
「あんな訳のわからないメールを信じられるほど、俺は馬鹿じゃない…」
「うん…」
馬鹿にしたように、けれども優しく彼が笑う。そこに秘められた感情はなくて、ただただ彼が冗談を言う時のように軽い口調で言うモノだから良佳も自然と口元を緩ませる。随分思いきったことをしたものだと、今ならそう思う。
「でも」
不意に止められた言葉の切れ端を追うように良佳は彼の視線の先を見る。少し伏せられた瞳に睫毛の影が落ちる。何かの糸口を探すように小さく溜息を吐く彼の心を測り知る事は出来ない。だから余計に不安になる。期待と緊張と、それから。
――“でも”…その続きを教えて…。
良佳の心を見透かしたかのように深澄と眼が合う。
彼は複雑な表情を向けると口元だけでこう呟く――後悔してない――と。
メールに応えた事も、初めて逢った事も、今こうして良佳の眼の前に居て、言葉を交わしている事も――。
“後悔”はしていないのだと。
知らず頬を熱が走り、そうして身体中を駆け巡った彼の言葉は確実に良佳の心に灯を点す。まるで魔法のように、小波のように、良佳の心の奥に彼の声が響く。好きだと思った。
「ありがとう」
反射的に出た良佳からの感謝の言葉に彼は少し驚いて、それから小さく頭を振る。優しくて暖かい少し困ったような彼の笑顔を見つめていると、不思議と心が落ち着かなくてギュッと膝に置いた手で服の裾を掴む。もどかしいような甘い心地は彼女にとって初めてのモノでそれが“恋”なのだと知らない。
でも純粋に、心から彼が“崎本深澄”という一人の人間が好きだと思った。
「礼を言うのは俺の方――」
「えっ?」
ぽつり呟く彼の言葉に良佳は眼を瞠る。彼も一瞬驚いたように眼を瞠り、そうしてまた困ったように微笑んだ。自分の言葉に彼自身も驚いているようだった。
「キミの言葉が僕を救ってくれた――」
「……」
自分の事を“僕”といい、彼は何かに思いを馳せるように瞳を閉じる。その沈黙が何を意味するのかは分からないけれど、良佳にとってその一言だけで十分だった。もう、その一言だけで自分という存在が許された気がした。一つ涙が零れる。
「――っ、良佳?」
「えっ――」
その涙に動揺したのは彼だけじゃない。同じように良佳自身も動揺して、けれどもすごくほっとした。 自分と言う存在の居場所があることに。彼と言う存在が居てくれたということに。そして自分が誰かの救いになれるのかもしれないと言うことに。だから、これは“哀しい”涙じゃない。良佳は泣きながら笑う。心配する彼の声に微笑んで、けれどもまた一つ涙が頬を伝う。いつの間にか繋がれた彼の手の温かさに安堵して良佳はそっとその手を握り返し、そして思った――この人を“信じたい”と。
疑うことは容易くて、信じることが愚かだとしても…。
――それでも深澄、キミを信じたい。
くれた言葉が、この温もりがいつか変わってしまうのだとしても…。変わらないモノがあるのだとそう願わずにはいられなかった。