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交わす言葉━misumi━


 二人はただ何も言わず立ち尽くしていた。

 迷いと躊躇いを纏っていた深澄の心は柔らかいものへと変わり、反対に眼の前に居る少女の瞳は困ったように揺れている。その瞳が綺麗だと思う。思わず緩んだ自分の表情を彼は知らない。彼女の僅かに開かれた口唇が言葉にならずにもう一度閉じられるのを深澄はただ見つめていた。


――逢いたい。


 どうしてそう思ったのか、あの時は分からなかった。

 ただキミを知りたくて、キミの言葉を聞きたくて、この感情を言葉にしてしまうことは出来ないから、キミに“逢いたい”んだと思った。

 でも、そうじゃないのかも知れない。

 キミを知って、キミと言葉を交わせば交わすほどに、きっと“深澄(自分)”のことが分からなくなる。自分が自分ではなくなる。だって、もうすでに彼女に初めて会った時の自分はここにはいない。


――彼女が“深澄(おれ)”を壊すのかも知れない…。


 それでもいいと思った。

 長い年月をかけて造られた「崎本 深澄」という人間が壊されて行くことに“恐怖”は感じない。それどころか何処か…。


――期待している…?


 そう、期待しているのかも知れない。

 一歩足を踏み出す。背中を押すように風がふわりと頬を掠めて、鮮やかな緑が視界に舞い込む。それが彼女の髪に触れれば不意に誘われて手を伸ばした。

 らしくもなく指が震える。

 触れるか触れないかの距離で彼女が眼を閉じるモノだから、深澄の心も僅かばかりの緊張を感じずにはいられない。それを悟られないようにそっと緑の葉を指で抓む。

 予想以上に柔らかい髪を名残惜しく感じながら、その手はそっと離れた。


「――待って」

「良佳?」


 唐突に手首を掴まれ驚きと訝しさに眼を瞠る。

 決して強い力で掴まれたわけではないのに初めて見る彼女の表情は何故か必死で、それが更に深澄の心を揺らし思わず名前を呟いていた――良佳――と。

 その声に我に返ったかのように彼女はその手を離す。

 

「ぁ…ごめん」

「……」


 そう呟いたきり彼女は俯いて眼を合わせようともしない。離された手を下ろす事も出来ずに持っていた葉が深澄の眼に留まる。


――なんだっていうんだ…。


 彼女が何を考えているのかいよいよ測り知る事が難しくなってきた。元より他人(ひと)の事を知ろうとしない彼が、人の心を感じようともしない深澄が良佳の気持ちに気がつくはずもないのだ。だから。


――言わなければ分からない。


 その感情を、思いを“言葉”にして欲しいと願う。俯いて、ただ眼を逸らすだけではなく時には真っ直ぐに向き合い“言葉”を交わして欲しいのだと。


――その為に、逢いに来たんだ(・・・・・・・)


「良佳――」

「……」

「顔を上げて?」


 掛けられたその声には深澄なりの優しさが滲む。ただ、本当に彼女のことを知りたいと思った。だから、彼女が顔を上げてくれるのを待つことしか出来ない。そう思う。

 静寂の中、深澄の声が懇願するように甘く風に乗った。


「キミと、話をしにきたんだ」


 良佳がゆっくりと顔を上げるのを待って、深澄はその瞳を逃がさずに告げる。真剣な思いと僅かながらの期待を含んだ声に眼の前の彼女が息を呑んだのが分かる。不思議なくらい真摯な自分に内心自嘲の笑みも漏れたが、彼女がソレに気付く前に二人は歩きだした。言葉なんていらない。きっと誰に問わなくとも、告げなくとも行先は同じだ。


――あの日と、同じ場所。僕らが話したあの“海に続く階段”へ。


 シーズン前の海辺には時折人の姿が確認できるほどで、海はただ寄せては返して行く。そう遠くはない記憶の場所に二人並んで腰かけると唐突に良佳が口を開いた。


「深澄――」

「……」

「私も貴方と話がしたい。貴方の事を…知りたい」


 臆することなく真っ直ぐに向けられた瞳とその言葉に深澄は眼を瞠る。時折覗く彼女のこの“強さ”は何処から来るのだろうかと心底不思議に思えた。だから…。


――まったく、キミは…。


 もしかしたら今までで一番、生きてきたこの十何年という人生の中で一番振り回されているのかも知れない。不意にそう思った自分に苦笑して困ったように笑む。無意識のうちに彼女のペースにはまり、彼女に心乱されて行く。良佳はそんな自分に気が付いているのだろうか。それとも…。


「良佳」


 互いの間を支配した沈黙を打ち破り深澄は呟く。その表情はどこか曖昧であの時の感情を思い出す。

 ペースを乱されるのは嫌いだった。

 自分の事を知られる事も、自分が誰かによって変わってしまうことも望んでなんかいなかった。なのに。


――キミに“理解”して欲しいだなんて…。


 感情(オモイ)は言葉にならずに溜息となって零れる。何を話せばいいのかとか、キミの何を知りたいのかとか、そんな事は分からずとも自然に言葉は口を吐く。寄せられた眉根には複雑な感情が刻まれて行く。


「何から話をすればいい――?」


 言えたのはそんな言葉で、けれどもその僅かな言葉が深澄の心を露わしていた――。


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