痛み━yoshika━
怖い。
その感情が何処から来るのかは分からない。
でも、
ここには来たくなかった。
良佳は保健室の前に居る。授業は始まり、辺りに人通りはない。ドアの前、入ることも出来ずに立ち尽くす。ここには二度と来たくないと思っていた・・・・。
「先生、いつまでココにいるの?」
「ん~?」
保健室の中、良佳は椅子に座り足を組む。目の前には保健の『高良 仁』という嘱託医が机に向かい何やら書類とにらめっこをしていた。
『高良 仁』センセイは、今年からこの学校に配属されることになった弱冠28歳の独身で、生徒に人気を博している。眼鏡に長めの薄茶色の髪を束ね、細身で長身の体型に白衣が良く似合う。
生返事で良佳への返事を返す辺り、とても「愛想が良い」とは言えないが、「保健室」は彼女にとって学校内で唯一寛げる場所だった。仁先生はこの通り口数が多くない人だから、良佳が「体調不良」を理由に保健室へ逃げ込んでも無闇に追い返したりはしない。そういうところが気にいっている。
良佳にとって「仁先生」は唯一信じられる大人だった。あの時までは。
一週間前。保健室。
お昼休みを満喫する生徒でざわつく午後の昼下がり、良佳はいつものように保健室に居た。
「先生、ちょっと寝かせて」
朝から体調がおかしかったのに、無理して出てきたのが祟ったのか気持ちが悪くて授業どころじゃない。昼ご飯も食べずに早々に教室を抜け出してきた。
仁先生はいつも通り振り向きもせず「奥な~」とだけ返事を返す。先生が言う「奥のベット」とは保健室の最奥、死角になった静かな処。いつもの良佳の「場所」。
白い布団に包まれ、良佳は天井を見上げる。何もない白。ここは全部が白くて、何も考えられなくなる。ここには痛みも、苦しみも、辛さもない。彼女を傷つけるものは何一つなく、あるのは「静寂」だけだった。
時折、仁先生が使うペンの音や、コーヒーカップを置く音が聞こえる。嫌いじゃない。
この部屋の空気は嫌いじゃないと思う。そう思いながら良佳は目を閉じた。
やがて、午後の予鈴がなり賑やかだった廊下に人通りがなくなる。良佳もようやくうとうとと浅い眠りにつこうとしていた。
暗い・・・・暗く深い処に落ちて行く夢。また、あの夢だ。
『ごめんね・・・』
(ううん・・・もう、いいよ。大丈夫だよ・・・)
涙を流し私の首に手をかける母親に、今ならそう言えるのに。その声は届かない。
何度も、何度も繰り返し見る夢。見るたびに魘されて、侵されていく。
良佳を蝕む、過去の・・・・・「記憶」。
今でも鮮明に覚えている。首に巻きつく手に、指に力が入り・・・そして。
「・・っつ」
目が覚める。いつもの事だ。目の前に人影がなければ・・・。
「仁、先セッ」
驚いて声を上げた良佳の口に仁先生の大きな掌が被さる。仁先生が目の前にいた。
それも手が届くほど近くに・・・上から押さえつけるように・・・。
「んン・・・ん」
訳も分からず良佳は顔を左右に振り、その手から逃れようともがく。
体を動かそうにも、その殆どが仁先生の体に阻まれ足をばたつかせる事しか出来ない。
初めて先生を「怖い」と感じた。
先生は何も言わず、その表情は見えない。良佳の目に不安と恐怖の色が映る。
段々と顔が近づき、耳に息が触れる。仁先生が『声を出すな』と、そう耳元で囁く。
囁きと同時に口を覆う手が外されるが、良佳は恐怖と嫌悪から何も出来なかった。信じていた筈の人に裏切られた。その哀しさと、痛みが良佳の心を麻痺させる。
━モウ、ドウデモイイ━
一瞬、その言葉が頭をよぎった。
その時だった。
ガタンッ ガタッ
「・・っれぇ~?仁センセ~?!」
気の抜けた声が外から響く。どうやら急患らしい。
その声を聞いて仁先生の動きが止まる。まるで理性を取り戻したかのように、ゆっくりと良佳から離れていく。
生憎、ドアには内側からカギがかけられ女子生徒は扉の向こうで立ち往生していた。
茫然と動けずにいる良佳をよそに、仁先生は俯く。
ドアの向こうで立ち往生していた女子生徒は諦めたのだろうか、パタパタとその足音を遠ざからせる。
「・・・悪い・・・・七瀬」
廊下の足音が消えた頃、仁先生はベットを軋ませ立ち上がると、いつもの調子でぽつりと呟いた。
良佳は麻痺した心で「・・・・うん」とだけ言葉を返す。
・・・何が「悪い」で、何が「うん」なのかさえ、もう分からなかった。
あの出来事から、保健室には行っていない。行く気にもなれなかった。
良佳が信じた「高良 仁」は、もう何処にもいないのだ。今更、信じる事は出来ない。
良佳の心には、また一つ深い傷が刻まれていた・・・。
良佳ちゃんが・・・・(^_^;)
ちょっとだけ危険な感じになりましたが、「未遂」なので大丈夫かと(:_;)
どうでしょうかね・・?
次回は深澄君ですね~。マイペース君で、好きです(笑)