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深澄━通じた想いがこんなにも嬉しい━


 その日は朝から変な天気だった。

 今にも泣きだしそうな空は厚く黒い雲に覆われ不機嫌で、じっとりとした湿気を含んだ重い空気が頬を掠める。正直、不愉快以外の何物でもない。


――憂鬱…か。


 窓から見えるのは微かに揺れる木々の葉と、笑いあう学生の声。外では生憎の天気にも関わらず球技に熱を上げている者たちの笑顔があふれている。ありきたりで変わらない日常。馬鹿にしてきた世界が色を持つ。

 ついた頬杖に少しだけ目を伏せて、それからまた一つ溜息を零す。今日何度目かの溜息か知れない。


「――んだよっ、不景気な顔してるね?」

「……」

「崎本大先生(・・・)が、点数(テスト)でも悪かった?」

「……違う」


 茶化すように笑う男に視線を向けることもなく言葉を返す。

 教室内に人はまばらで、用でもない限り深澄に話しかける者はいない。こんな風に用もないのに近づく物好きは流石(かれ)だけだった。ウザったい反面、貴重な存在。

 一つ前の椅子を鈍い音で引っ張り出し、彼は大げさに座ると優雅に足を組んで見せた。それから何を言うでもなく携帯を取り出し指先で器用に弄る。友達(・・)とは、こういう存在のことを言うのだろうか……。


――友達……いなかったからな。


 親しい友達なんて作ったことがない。

 いや、違う。作ろうとしたことさえもなかった。

 幼少期から自立を求められ、責任と共にある程度の自由も与えられた。でも、そこに友達を作る自由はない。公園で遊ぶとか、泥まみれになったりした記憶もない。あるのはいつだって大人びた冷めた目をした子供の姿。正直に可愛げなんてなかったと思う。

 叱られた覚えもないが、何かを特別褒められたこともなかった――。


「――おいっ」

「――っ!?」

「どしたよ? 急に人の事見つめたまんま意識飛ぶんだもんよ」

「…あ、ああ。悪い」


 珍しく感傷的な気分に浸る自分を訝しく思いながら、流石に笑いかける。曖昧で不確かなそこに感情など持たない作られた笑顔。そういえばいつからこんな笑い方をするようになったのだろう。本当の自分の笑顔というものがどんなものなのかも分からない。


「マジで大丈夫か? 具合悪いんじゃね~の?」

「……いや」


 気にかけてくれる彼の、その気持ちがどこか擽ったい。

 こんな時“友達”ならばどういう反応を返すのだろうか。微かに興味が湧いた。


「なぁ、流石にはどれくらい友達がいるんだ?」

「――はぁ?」


唐突な深澄の問いかけに持っていた携帯電話を落としかけて、流石が素っ頓狂な声を上げる。脱力したように深い溜息を一つ落として、彼は真っ直ぐに深澄に向き合う。机一つ挟んでもうすぐ社会に出る年の――大の――男が大真面目に見つめ合った。

流石の茶髪が揺れて、シルバーリングのピアスが光る。


「なに? 友達なんか沢山いるよ」

「……」


 予想通りの答えに深澄は一人納得する。

 彼は男女ともに人気がある。飾らなくて、おしゃべりも楽しい。お洒落だってそれなりにこなして、何より愛想が良かった。深澄とは大違いだ。

 なんとなくばつが悪くてそっぽを向く。その横顔に彼の溜息が重なった。


「いちいちこいつ(・・・)は友達とか分けないし、一度遊んだ奴だって友達。名前なんか知らなくったって、顔見知りになれば友達。俺の基準ってそんなもん」

「……」

「だから、それからすると崎本(おまえ)はかなり親しい友達なんだけど?」

「――っ!?」


 鼓動が止まるかと思った。

 ぽつり呟かれた彼の一言があまりにも衝撃的で、一瞬の出来事に言葉も出ない。ただ瞠目して流石の顔を見つめる。頭の中が真っ白だった。

 同じ目線に少しだけ赤い端正な顔を見つける。口元を軽く手で覆い、彼は何事もなかったように外に目をやっていた。あまりにも自然に言われた発言に実感がなくて視線を彷徨わせる。ほら、やっぱり、こんな時どうしていいのかが分からない。


――友達? 俺と流石が?


 嬉しくないわけじゃない。ただ戸惑っていた。

 素直に喜ぶことも、否定の言葉を述べることも叶わなくて――友達であることの意味を考えていた。友達って結局なんなんだろう。そう思っていた。


「――そこで黙るなよ。俺だけ怪我したみたいになってんじゃん」

「……あ、ああ。悪い」

「別に良いけど……」


 僅かな不機嫌さを滲ませて流石が髪を搔きあげる。

 その横顔を見つめながら、やっぱり実感なんかわかなくてただぼうっと彼を見つめていた――。


                    *

 

 日が暮れて、夜。

 昼間の生憎の空模様のおかげで、今日は月が見えない。

 テレビのニュースで流れる天気予報では今日が「満月」だと言っていた。それなのに見上げた空には月も星もない。ただ灰色の雲がぼんやりと流れるだけ。


「月さえ眠る夜…か」


 その言葉が何をさしているのかがずっと分からなかった。

 そんな抽象的で曖昧なモノに心を動かされることなどないと、そう思っていた。ずっと。

 なのにどうしてこんなにも切ないと感じるのだろう。また一つ溜息が零れた。

 

「……」


 溜息の理由なんて、とうに分かっている。

 先程から掌にある携帯電話を開いたり閉じたりしては、その先を開けなくて視線を彷徨わせていた。冷静になれない自分がどこか可笑しくて苛々は募る。

 もっと単純(シンプル)に、何も考えられなくなればいい。そうしたらこんなに思い悩むこともなくなるのに。


――応えを求めていたはずなのに、応えを知ることが怖いなんて…馬鹿だ。


 そう思うのに、心は自由にならない。

 昼間からずっと燻っていた想い。彼女から届いた言葉を開くことも出来ずに溜息ばかりが積もる。眼を閉じてもう何度繰り返したか分からない彼女の名前を表示した。

 覚悟を決めて、メールを開く。

 タイトルは無題(ない)


『――深澄。


 キミの言葉がずっと心から消えなかった。

 シアワセになること、努力すること、

 色んなことを考えて、

 色んなことを思って、

 それからキミの顔が浮かんだ。


 怖くて。

 独りでいることも、

 誰かといることも、

 誰かを想い続けることも出来ない自分が嫌で、

 許せなくて、

 だからキミの言葉を受け取る資格がないと思っていた。』


 彼女の言葉にそっと一つ息を落とす。

 未だに“怖い”とか、“資格がない”とか、そんなことを言っている彼女に些か腹が立つ。

 そうじゃない。そう何度言ったって、きっと彼女に届くことはない。そう思っていた――だけど。


『―――でも、違ったんだね。


 ようやく分かったんだ。

 いつも気が付くのが遅くて、

 キミを待たせてしまうけれども。


 もっと単純でいいんだって、

 そう教えてくれた人が居たんだ。

 答えは心の中にあった。

 

 深澄、君と“シアワセ”になりたい。

 シアワセになる努力をしたい。


                      ――良佳  』


「――っ」


 その言葉は、彼の心を震わせるには十分だった。

 息を飲んで、込み上げる感情に胸が熱い。鼓動が妙に早く耳につき、情けなくも涙が零れてしまいそうだ。こんな時、なんて言えばいいのだろう。

 なんて言えば、この気持ちが彼女へと伝わるのだろう。


「……はっ」


 苦い笑いを噛みしめて、携帯電話を握ったまま膝を抱いた。

 いつもなら見守るはずの月もなく、室内は暗いまま――暗いから、彼の表情を知る者はいない。彼の想いも。


「……」


 こんなにも苦しくて、こんなにも切なくて、こんなにも愛しいものがあるなんて知らなった。時計の秒針が響いて、微かに自分の息遣いが聞こえる。


――キミと、シアワセ(・・・・)になる。


 深澄が初めて自分自身のことを願った瞬間。

 それは自分で自分のことを選んだ瞬間でもあった――。


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