深澄━回想・きっかけ━
月を見ていた。
変わるはずもない空を見上げて、その空の狭さに嘆息する。人間はどうしてこんなにも空を狭くしてしまったのだろうか。どこまでも自由で雄大な空を――。
――アナタハシアワセデスカ?
始まりは詩だった。
気にも留めないような言葉たちが並べられ、視界の隅に入っては流れていく。そんな悪戯にしか思えないような言葉たちを捨てなかったのは、あの頃の自分が退屈だったからだ。
捨てても、捨てなくても変わらない。
いや、本当は心のどこかにひっかっかっていたのかも知れない。
意味不明な詩と「幸せ」を問う相手に苛立ち、その言葉が頭から消えなかった。
十数年間で作り上げた“崎本深澄”に初めて起きた変化だった。
――こんな風に誰かを好きになるなんて、思いもしなかったのに…。
想像も出来なかった新しい崎本深澄がここにいる。
それを悪くないとも思うし、らしくないとも思う。
他の人からどう見えるかなんて気にしたこともない自分が、良佳に出会い、彼女を知り、そうして彼女の幸せを願った。
幸せになって欲しい。幸せになる努力をして欲しい。そう望むことが勝手だってわかっている。それでも、言わずにはいられなかったんだ。
――幸せになる努力をして? きみにしか七瀬良佳を幸せにすることは出来ないんだよ。
同じだった。深澄だって、自分から幸せになる努力をしたことなんかない。
決められたレールの上を言われるままに歩く人形のような生き方。まるで他人の人生を歩かされているような想いを抱きながら、それを壊そうとはしなかった。人のこと言えたもんじゃない。
部屋の窓を少し開け放って、冷たい夜の風に当たる。
思い出せば楽しいことなんていくつもなくて、苛立ちと、戸惑いと、不安と、そして――初めて感じるむず痒くて優しい気持ちが、この胸に残る。微かに温かい鼓動によく似た気持ち。これが恋だと気が付いたのはいつ頃だったろうか。
――認めたくなかった。
でも、認めてしまえば自然にすべてに説明がついて、納得してしまえた。この言葉に出来ない苛立ちも、格好悪い自分自身も受け入れることが出来た。答えの出ないモノは嫌いだったのに、今はこのよく分からない感情が楽しい。
携帯を取り出してメールを開く。初めて来たメールから順に横に送って、そう何件もない彼女からの言葉を読み返しては小さく溜息を吐いた。
早く彼女が答えを見つけられればいい。
お互いに足りないところを譲歩して、知らない自分をさらけ出していけたらいい。そう思っていた――。