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良佳━初めてできた友達━


 季節が過ぎては、また違う風を連れてくる。

 あの日から良佳は深澄にメールすることをやめた。それは自分を変えるため。彼の言ったことを真剣に受け止めて、良佳が自分自身の幸せを考えるため。その為に時間(・・)が必要だった。

 何もかもを遠ざけていたのも、他人と関わることを怖いと思うのも、どちらも紛れもない良佳自身。だからまずは小さな幸せから見つけていくことにした。


「千沙、お昼食べよう」

「…今日は天気が良いから屋上に行こうと思って…」

「一緒に行っても?」

「もちろん!」


 他愛もない会話。でも確かに満たされている時間。

 ただの義務でしかなかった“食事”も、誰かと食べるというだけで“意味”を持つ。一人では怖かった新しい人間関係(・・・・)も、彼女と二人でなら頑張れる気がした。

 千沙は――良佳にとっての光だった。


「ちょっと風があるけれど、ここの方が開放的で好きなの」

「……」


 今でも少し控えめに笑う彼女の腕には、良佳と同じ傷がある。

 煙草を無理やり押し付けられた小さな丸い焦げ跡は、長袖を着ていても時折袖の割れ目から覗いている。それに気が付くたびに良佳の心は苦い感情で軋んだ。疼く自身の傷跡を強く掴み、そうして何度その傷に爪を立てたかしれない。

 これは深澄には決して見せられなかった痛み――。


「そんなことしても傷跡(これ)は消えないよ――」

「――っ?」

「ほら、手を離して?」

「……」


 優しく触れる千沙の手が、緩やかに良佳の強張った指を解いていく。

 一つ一つ腕から指を剥がしては「大丈夫」と呟く。その言葉は良佳にも、そして千沙自身にも言い聞かせているように思えた。

 彼女は自分が傷ついた、傷つけられた分だけ他人の痛みを分かろうとしていく。自分が嫌だと感じたことはしない。本当は傷つけられたことも、虐められていたことも許せない。でも、その連鎖を繰り返そうとは思わなかった。

 同じだから。自分も誰かを虐げれば、あの日自分を虐めた少女たちと同じになってしまうから――それだけは嫌だった。

 心が広いとか、優しいとかじゃなくて。ただ許せないものを自分の枷として生きていくことに決めていた。傷を背負って生きることを決めた。


「千沙は強いね」

「…?」

「私は、許せない。こんなバカげた虐め(こと)を笑って出来るあの子たちも、それを“仕方ない”とか諦めてきた自分も。何も変えてはくれないこの世界も――」

「……良佳ちゃん」

「信じたいのに信じきれない。そんな弱い自分が一番嫌いだ」


 良佳よりも数センチ低い千沙が握っていた掌を優しく包み込み微笑む。どこか悲しそうな寂しい笑顔。

 そうして静かに首を横に振って俯く。


「違うよ」

「…?」

「本当はね。夜毎、虐められていた時のことを夢に見るの。その度に馬鹿にしたような意味のない彼女たちの笑いが憎くて仕方ない。でも……」

「でも?」

「私は弱いから――だから、彼女たちを憎むことも出来ないんだよ」

「…?」

「憎しみに“未来”なんてない。そうでしょ?」


 憎しみに未来なんてない。

 それを否定する言葉なんて浮かばない。憎しみでは何も生み出すことなど出来ないのだ。もし、何かを生み出せるのだとしたら――それは。


「憎しみは痛みと傷しか生まない」

「……」

「そんな悲しいものを生きる意味になんてしたくない」


 生きることに理由を見出したいと思うなら、まずは生きていてもいいのだとそう感じたかった。誰かに必要とされたり、優しくされたり。またその逆も然り。

 誰かを憎むことで生まれる生きる力など空しかった。優しくなりたかった。だから。


「私は誰かを憎み(・・)たくなんてない」

「……」

「良佳ちゃんだってそうでしょ?」

「……うん」


 変わりたい。

 そう何度思い続けて、上を向いて歩こうとしたことだろう。実際は言葉だけでただの足踏みにすぎなかった。弱い自分も、信じられない自分も、愛されることからさえ逃げていた。すぐそこに想いはあったのに――。


――深澄は、応えてくれたのに。


 怖いから彼から離れた。

 愛される自信も愛し続ける自信もないから――離れれば想いは消えるものだと思った。それなのに…。

 この募る想いはなんなのだろう――。

 離れれば離れた分だけ君の言葉が頭を巡る。


――良佳――幸せになる努力(・・)をして?

 キミにしか、七瀬 良佳を幸せにする事は出来ないんだよ。


 その言葉の意味が今ならば痛いほどわかる。

 幸せを望むことは誰にも許された行為であること。そして、幸せを決めるのは自分自身の心であること。いつか――。


 もしもいつか彼の想いが消えてしまっても、私の想いが次第に薄れて行っても、それまでに過ごしてきた時間と思い出は“幸せ”に違いないのだと、今ならばそう思う。大事なことは未来でも過去でもない。きっと今のこの想い(・・)なんだ。

 

「良佳ちゃん、本当はどうしたかったの?」

「……私…」


 優しく千沙が良佳の頬を拭う。

 そこには気づくことのできなかった滴が伝っていた。溢れる思いが熱になり、涙になり溢れていく。良佳の言葉たちよりも涙は雄弁で、それだけで彼女の心を語っていた。


 好き。本当は傍にいたい。居て欲しい。彼の声を聴きたい。彼の言葉を――もう一度。


「傍にいてもいいのかな……」

「うん」

「彼に愛される資格なんてないのに――」

「どうして? 資格なんて必要ない。この涙が何よりもそれを知っているんじゃない?」

「…っ」


 彼女の言葉に息を飲む。

 すっと胸に閊えていた何かが落ちていくような気がした。大丈夫だと背中を押すように千沙の小さくて大きな手が良佳の頭を撫でる。まるで母親のように――。


「大丈夫だよ。良佳ちゃんは誰よりも優しくて、誰よりも温かい。ちゃんと他の人のことを思える人だから」

「……」

「言葉にしていいよ。もう胸に閉じ込めておかなくていいんだよ」


 同じ傷と痛みをもつ少女が、良佳の心を溶かす。

 与えられることのなかった無償の愛情が、良佳の傷を消していく。信じてる。その一言がどうしても言えなかった。

 何よりも自分のことが信じられなかった。


 抱きしめられていた千沙の身体を軽く離し、良佳はばつが悪そうに涙を拭いて微笑む。彼女の前で泣いたことの恥ずかしさと、言い表すことのできない感謝が良佳の心を温かくした。


 温かな心で見上げた空は、どこまでも澄んで青く思えた――。


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