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良佳━あなたに近づくために━


 さらさらと吹く風に揺れる葉を見ながら、彼の事を考えていた。

 あの日間近で見た深澄の顔はとても綺麗で、揺れる髪の隙間に見える紅いピアスが眩しく光っていた。

 良佳にしか自分自身を幸せにすることは出来ない――のだと、そう告げた声が今も耳に残る。心から良佳のことを思ってくれた言葉に心は震えた。


 一日目のテストが終わり携帯電話を取り出す。

 試験中は原則として電源を切ることが定められている為、例にもれず良佳の携帯画面も待ち受けに浮かぶ月ではなく、ただの黒い闇が映し出されていた。電源を長押しして、そこに月が浮かぶのを待つ。

 あの日から、良佳は無意識にメールをチェックする癖が付いた。

 誰にも気づいて貰うことの無かった言葉たちが、彼に届き、その応えを貰ったあの日から。ずっと。


――メール…来てない。


 良く言えば心の支えであり、悪く言えば“依存症”のような感覚。

 一つ溜息を落として、良佳は席を立つ。もう殆どの生徒がいなくなった教室は寒々しく静かで、少しの物音がとても大きく響いた。鞄を持ちゆっくりと歩きだす。その時。


「七瀬さん――」

「――??」


 不意に呼び止められて振り返る。

 誰もいない廊下に小さなシルエットが一つだけ浮かび上がっていた。

 良佳よりも小柄で、見るからに大人しそうなその姿に覚えがある。藤好千沙だ。


「なに?」

「あの、良かったら一緒に帰っても良いです…か?」

「……」

「……」


 突然の申し出に戸惑う。

 お互いに言葉を失くして、それから千沙は困ったように眉根を寄せて俯いた。彼女は強い人だと思う。同じようにいじめられた過去を持つ少女なのに、自ら何度も声をかけてくれる。きっと、良佳には出来ない。

 

――私なら一度拒まれたら、それ以上踏み込めない。


 拒絶される事が怖くて一人でいる方が気楽なのだと自分を誤魔化す。そうして生きてきたのに、彼女は真っ向からソレを否定してくれる。その潔さに良佳は惹かれていた。

彼女に声をかけられたのはこれで何回目だろう…。


「……あの」

「どうして? どうして私に構うの?」

「――っ」

「同じような境遇だから? 私が一人だったから?」

「ちが」

「傷を舐め合いたいなら他所を当たってよ」

「……」


 思いが良佳の気持ちとは裏腹に言葉になり、止まらない。

 違う。本当は嬉しかった。声を掛けてくれた事、名前を覚えてくれていた事。こんな自分を見ていてくれた事。気付いてくれた事――。

 どうして素直になれないんだろう。怖くて、傷ついたり傷つけたりする事が嫌で、近づきたいのに近づけない。まるでハリネズミのようだと思う。

 折角上げた顔をまた俯けて、目の前の少女はその小さな肩を震わせる。ごめん。泣かないで。そう言いたいのに、言葉は上手く声にはならなくて良佳は拳を握りしめた。その時――。

 風船が破裂するような小気味よい音が静かな廊下に響く。そして強か訪れる左頬の痛み。面食らったように一歩後ずさりして、ようやく彼女が良佳の頬を叩いたことを知る――。


「――っ!?」


 驚き過ぎて声が出ない。

 良佳を後目に大きく振りかぶった自身の右手が余程痛かったのだろうか、千沙が顔を歪めてから蹲る。そんな彼女を見て湧き上がる涙と笑いに、良佳は初めて学校内で声を出して笑っていた。頭の中が真っ白になるとはこういうことだろうか――。


「――っ七、七瀬さんっ!?」


 初めて聞く良佳の笑い声にキョトンとした瞳を向けていた千沙が、驚いて名前を呼ぶ。叩かれた事に対する怒りよりも、真っ直ぐに感情を返してくれたことへの喜びの方が大きい。こういう痛みなら悪くはないと思えた。

 息が苦しくなるほど、お腹が痛くなるほど笑って、良佳は涙を溜めた瞳で彼女を見る。不安気で気弱そうに見えるその表情の下に隠れた情熱を見た気がして、自分でも知らないうちに頬が緩む。今なら素直に謝ることが出来るだろうか。


「…ごめ」

「ごめんなさいっ」

「!?」


 ほぼ同時に二人の声が重なる。

 はっきりとした千沙の声が、籠った良佳の声に被さり勢いを落とした。顔を見合わせて思わずくすりと微笑む。まるで春が来たように柔らかく温かい熱が良佳の心を解いていく。


「あの…さっきはごめん」

「…」


 頭を介さずに口を吐いて出た言葉は、何よりも軽やかで何よりも良佳の心を雄弁に語る。先程の自分の言葉を――傷つけたであろう事を後悔して素直に謝罪の言葉を述べると、戸惑うように俯いてしまった少女に「許せない?」と問う。こういう空気は苦手だ。でも、彼女の優しさを裏返してしまいたくなかった。

暫しの沈黙の後、千沙は消え入るような小さな声で「ううん」と呟く。春の温かさに膨らんだ“想い”の蕾が花開くのを感じる。心が満たされて行く。


『良佳……幸せになる努力をして?』


 不意に深澄の声が聞こえた気がした。

 あの日の彼の言葉が頭の中をくるくると回っては掻き消える。そこに彼が居ない事が分かっているのに、どうしてこんな時でも彼の言葉は良佳に降り注ぐのだろう。


『キミにしか、七瀬良佳を幸せにする事は出来ないんだよ』


 そうだね、深澄。

 私はいつだって他人(だれか)を求めては、心のどこかで誰かを拒否してきた。嫌われる事も、好きになって貰う事も怖いなんて――結局、一番自分を傷つけていたのは良佳()。自分だけじゃない。関わろうとしてくれる人を遠ざけていたのは、傷つけていたのは臆病な私だった。

 

――私は全然前に進んでいない。


 深澄を信じると決めたあの日から、ちっとも変わることの出来ていない自分に腹が立つ。

誰かを想う温かい気持ちは自分にも返ってくるのだと――目の前で桜の花のように淡く微笑む千沙が教えてくれた。今ならばキミの言葉を真っ直ぐに受け止められるような気がする。


――私は、良佳(わたし)を幸せに出来るの?


 続く事のない幸せを信じることは怖い。

 でも、このままの自分で深澄や千沙を傷つけるのはもっと嫌だ。変わらなければいけない。変わりたい。願えば“ソレ”は叶うのだろうか…。


「千沙、私と友達になってくれる――?」


 それは良佳が初めて自分自身の“幸せ”を願った瞬間だった――。


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