良佳━繋がった想い━
ずっと自分のことが嫌いだった。いや、正確には“好きにはなれなかった。女である自分。誰からも疎まれる自分。否定され続けた”七瀬 良佳“はいつの間にか委縮して、本音を言うことも”自分“を曝け出す事も出来なくなっていた。でも。
――キミは気付いてくれた。
届くはずがないメールを、訝しく思いながらも深澄は返してくれた。思いが、言葉が消えてしまうことはないのだと――それを教えてくれた。
“望む”ことをしても良いのだと、それを良佳に教えてくれた。なのに――。
――キミは望む事も叶わない…?
あの日、キミが寂しそうに言った言葉。それが頭から離れない。
キミを―――救いたい。そう思う。
「良佳」
「…」
「次で降りよう」
「……うん」
突然の言葉に頷くことしか出来なかった。
この心は今もキミの答えを、キミからの言葉を待ちわびている。それは本当。でも――。
――ねえ、深澄。
私はキミに“期待”しすぎてしまったのかな…。
ただ、想いを告げられた事に満足するべきだった。
他人を好きになれたこと。キミと言葉を交わせたこと。最初はそれだけで十分で、満足だった。それがいつからかこんな風に“キミ”に、想いを返して欲しいと思うようになってしまった。欲張りになってしまった。
深澄がくれた温もりが、笑顔が、言葉が、私を変えてしまった――。
――それはいけないこと?
いけないと窘めると自分と、大丈夫だよと微笑む自分が交差する。
電車がホームへと滑り込む。
どちらからともなく立ち上がって、二人は電車を背にホームへと降りると振り向く事もせずに電車が過ぎ去るのを待った。手は、繋がれたまま――。
辺りに人の姿は見当たらない。駅員のいない田舎の駅に無機質に並んだ自動精算機が二つ。あちこちに古さを醸し出しているのに、不思議に“寂しい”とは感じなかった。
木造で建てられた駅舎が、改札の向こうに広がる景色が、二人の間を通り抜けた風が“懐かしく”て良佳の心を揺らす。なんとも言えない“安心感”のようなものが、そこにはあった。
不意に隣に佇む深澄の方を見て、その姿に眼を瞠る。
きらきらとまるで小さな少年のように眼を光らせた深澄が言葉をなくして――けれども、穏やかな表情で――同じ景色に心を奪われている。良佳の視線に気がつく事もなく、彼はまっすぐに前を見据えていた。
「不思議だね」
言葉はまるで息をするように自然と良佳の口元から零れて、その声に彼が驚いたように振り向く。良佳はただ微笑んでいた。
「ごめん」
「…うん」
「勝手だね…俺」
「……うん」
深澄の口からぽつり、またぽつりと言葉が生まれる。
その声に、彼のどこか辛そうな表情に良佳は心の奥でチクリと何かが痛むのを感じた。返す言葉が見つからなくて、ただ相槌だけ返して地面を見る。そこには二人の影が寄りそうように並ぶ。促されるままに深澄の隣を歩いて、二人は駅前の商店街の間を抜けていく。廃れたシャッターの上にはペンキの剥げた看板があり、それが本来どんな姿だったのかを想像するのは容易ではない。月日が、色を変えていく――そう思った。
不思議だね。
初めてキミに逢った時、私はどうしていいのか分からなかった。
並んで歩く事も、キミの瞳を見つめ返す事も、こうして温もりを分け合うことも、あの頃の“良佳”には出来なかった。
同じように、深澄、キミも変わった。
全く違う境遇、違う生き方をしてきたキミが、その色を変えていく。ゆっくりと、少しずつ。でも、確実に――。
一緒に居られるはずがない。そう思っていた。キミとは生きる世界が違うのだと――。でも。
――今、こうして同じ景色の中で、同じように感じる事が出来る。
それがこんなにも嬉しい。
「良佳」
「…」
並んで座るベンチに、優しい木漏れ日が揺れる。
傍目からは分かりにくい垣根に隔てられた小さな公園に深澄の声だけが流れていく。まだ何処か“迷い”と“躊躇い”を含ませた声が、耳朶を擽る。少し緊張した面持ちで深澄は良佳と向かい合い、そして――。
「ごめん。でも…キミが好きだ」
「えっ――」
「……良佳……キミを想ってもいい?」
躊躇いがちに揺れる彼の瞳に、自分の姿が映る。
覚悟していたものとは違う響きで、良佳の心を、身体を、熱が満たして行く――。
何処かで何かが溶けだす音がする。
ソレが何かなんて言うまでもなくて――良佳はただまっすぐに深澄の瞳を見つめていた――。
100話目突入です~。
長らくお待たせしましたが、「月さえ」もようやくここまで辿り着く事が出来ました。
これも偏に、読んで下さる方々のおかげにございます。
ありがとうございます。
そして、これからも宜しくお願いします。