天国でのデート
杏は、マリアを自分の部屋に住まわせることにした。
このままで良いわけ無いのは分かっている。
しかしマリアが、側に居ること――その魅力に、どうしても抵抗することが出来ない。
寒かった自分の部屋が、マリアのおかげで暖かい。
マリアは一日中、部屋の中に一人で居ても、それが特に苦にはならないらしい。杏がバイトから帰ると、喜びを身体全体で表現しながら迎えてくれる。
杏も嬉しい。
二人で一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に一つの布団の中で眠る。
何かに満たされていく、杏の心。
(もしかして、これが〝幸せ〟という気持ち……?)
同じ布団の中、はみ出さないように杏と身体をくっつけあいながら、マリアがポツポツと述べてきた。
「天使様が一緒に居てくれる。ここは、やっぱり天国なのでしょうか? それとも寒い牢の中で、わたしは夢を見ているの……? だったら、お願い。覚めないで」
幸せそうな、でもどこか怯えているマリアの声を耳にして、杏は彼女の身体をギュッと抱きしめる。
「夢じゃないよ、マリア」
「そうですよね、天使様」
二人は互いの体温を感じあいながら、眠りに就いた。
♢
クリスマスの前日。
杏は思い切って、マリアを外へと連れ出した。
数日間アパートで過ごし、身なりもキチンと整えたためか、誰がどう見ても、マリアは現代の普通の少女としか思えない雰囲気になっている。万が一にも、不審がられることは無いはず。
町は既に、クリスマス一色だ。
どこからともなく、クリスマスソングが聞こえてくる。
その歌を耳にして、マリアが嬉しそうに歌詞を口ずさむ。
杏とマリアは、町の中を腕を組みながら歩いた。
お店のショーウィンドウを覗いてみたり、美味しいものを買って公園のベンチで食べたり、奇麗な景色を眺めたり。
(デートをしているみたいだ)
杏の頬が赤くなる。冬の寒さのみが原因では無いはず。
「天国とは、いつでもこんなに楽しいところなのでしょうか?」
「う~ん。今の時期は特別かな? なんといっても、明日はクリスマスだからね」
「クリスマス――知っています! 救いの御子がお生まれになった日を祝う、降誕祭ですね!」
とある雑貨店の前。
「ちょっと待っていて」
杏はマリアに告げると、お店の中へ一人で入っていき、すぐに出てきた。
せっかくのお出かけなのに、少しの間でも離れていたのが不満なのか、マリアが必要以上に引っ付いてくる。
マリアが初めて見せる我がままな振る舞いに、むしろ杏の胸の内は温かくなった。
♢
夜になって、町は、よりクリスマス特有の賑わいを見せ始める。
色鮮やかなイルミネーションの数々に、マリアは見とれている。杏はマリアへ、マフラーを掛け直してやるなど、彼女が体調を崩さないように気を配った。
ひとまず健康を取り戻しているとは言え、マリアは過酷な環境で生きてきたのだ。いくら優しくしても、しすぎることは無い。
その日の最後、二人が訪れたのは夜の教会だった。
コッソリと中へ入る。今晩と明日、教会ではクリスマスのミサが行われるため、普段より多くの信者が訪れるのだが、さすがにこれほどの深夜になると、もう誰も残っていない。
ステンドグラスのマリア像が、月光を背後より浴びつつ二人を見下ろしている。
「ここに、わたしが倒れていたんですね」
「ああ。突然に……とても驚いたが、何故か不思議と受け入れる気持ちにもなった」
「わたしが〝天使様に会いたい〟と望んだから――きっと天帝様が、願いを叶えてくださったんです」
マリアが杏を見つめてくる。その瞳は、熱を帯びていて。
杏は、ちょっと口籠もる。
「そ、それで、マリアはこれから、どうする?」
「どう……とは?」
不安げな眼差しになる、マリア。
杏は手を伸ばし、彼女の頬にソッと触れた。
「ずっと、私と一緒に暮らさないか?」
「え……」
「難しいことが沢山あるのは、分かっている。でもマリアが側に居てくれたら、頑張っていける。私の今までの人生には価値なんて無かったけど、これからは違う。一日一日を、意味あるものにしていける……そう思えるんだ」
「…………」
「私を、もう一人ぼっちにはしないでくれないか? お願いだ、マリア」
杏は持っていた袋の中から、小さめのバレッタを取り出した。さきほど購入しておいたものだ。
「これは?」
「クリスマスプレゼント……降誕祭の贈り物だよ。安物の髪飾りなんだが、マリアに貰って欲しいんだ」
「…………」
「マリア?」
マリアは泣いていた。声を出さずに、涙を流している。
「き、気に入らないのか? マリア」
少し臆した様子になる杏へ、マリアは首を横に振ってみせた。
「違う……違います! 嬉しい、嬉しいです。ありがとうございます。贈り物なんて、頂くのは初めてで。こんなに素敵な物を――」
「お礼を言うのは、私のほうだよ。マリアに会えて、大事な人に贈り物をすることが、こんなに嬉しいことだと、私も知った。一人で生きていたら、永遠に分からなかった」
「わたしも、司祭様がお亡くなりになられてから一人きりで……でも、こうして天使様に会えました」
「マリア」
「不束者ですが、宜しくお願いいたします。天使様」
「だから、私は天使じゃ無いと……」
笑顔を向け合う、二人。杏はマリアの髪を優しく撫でて、バレッタをつけてやった。
杏の胸の中が、歓喜の想いで満ちあふれる。世界が色づいて見える。世界の音が聞こえる。
マリアに会う前まで常に心に纏わりついて離れなかった空虚感――そんなもの、今は欠片も思い出せない。
明日はクリスマス。
神様が世界を祝福し、救い主を地上に降誕させた。そんな奇跡も、今なら信じられる気がする。
二人の少女は、いつしか抱き合っていた。
杏は自覚する。己の腕の中に居る少女。その存在が、堪らなく愛しい。もしも神様がマリアをこの時代へと送り、自分に会わせてくれたのなら、心から感謝を――そうだ、〝感謝の気持ち〟を抱くなんて、ひょっとしたら生まれて初めてかもしれない。
生まれてきて良かったと、自分を生んでくれてありがとう、お母さんと――そう素直に思える。
(マリアは、神様が私に遣わしてくれた聖母だ)
杏の唇が、ゆっくりとマリアの唇に近づいて――
マリアは拒まなかった。
二人は目を閉じて、口づけを交わした。
杏は、腕の中が空っぽになったのを悟った。
目を開く。マリアは消えていた。一瞬前まで、確かに居たのに。
夜の教会に今、存在しているのは杏一人。