大嫌いなクリスマス
(クリスマスなんて、大嫌いだ!)
杏は心の中で吐き捨てた。
今年のクリスマスまで、あと一週間。
クリスマスとは救い主が降誕した、奇跡の日であるはずだ。しかし日本では人々が浮かれ騒ぐ、軽薄な祭りとなっている。
杏は、田舎の町に暮らしている。日本の片隅――そんな場所さえも、クリスマスへ向けて人々の期待感が高まっていく、独特な雰囲気に覆われるのは、この時期においては避けようもない現象らしい。
行き交う人々の笑顔、弾む足取り、楽しげなお喋り――家族連れも居れば、カップルも見掛ける。クリスマス仕様の飾り付けも、町のアチラコチラで次第に出来上がっていっている。
杏にとっては、毎年のように目にする、その光景の全てが苦痛の種でしか無かった。
だって、杏は一人だから。
今年で十八歳になる杏は、ズッと一人ぼっちだった。
杏は、お世辞にも素行の良い娘とは言えない。
十代半ばの頃は特に荒れていた。わざと隙が多い服装をして夜の盛り場や裏通りをほっつき歩き、強引に迫ってきた男を、予め用意していた防犯ブザーやスタンガンを利用して返り討ちにしたこともあった。まぁ、さすがに警察に散々説教されてからは、意図して危ない真似はしなくなったが……。
現在はバイトの掛け持ちで生計を立てている、杏。
その日、最後のバイトが終わったのは、深夜だった。アパートに帰らなくてはならない。寝るためだけに。誰も待っていない、寒々しい一室へ――
♢
町にある、ただ一つの教会が見えてきた。
杏には、嫌いなものがいっぱいある。その中でも、教会は特に嫌いだ。十八年前のクリスマス、生まれたばかりの赤ん坊である杏が捨てられていたのが、まさに、この教会なのである。
神父がすぐに見付けて拾ってくれなかったら、杏は凍え死んでいたに違いない。
杏という名前は、彼女を包んでいた厚い生地に刺繍されていた文字で分かったそうだ。
物心がついた後の杏へ、神父は「君の名は、親御さんの愛情の証だよ」と諭したが、杏には虚言としか感じられなかった。愛があったら、我が子を捨てるはずが無い。
嫌いだ。
私を捨てた親は嫌いだ。
奇麗事を述べるだけの神父も嫌いだ。
クリスマスも嫌いだ。
クリスマスを祝う人たちも嫌いだ。
教会なんて、大っ嫌いだ。
でも杏は、ときどきフラリと教会へ立ち寄ってしまう。杏が住んでいるアパートは、教会の隣にある。なので教会の存在を殊更に無視するのも、不自然だ。ただの気まぐれ――そう杏は、いつも自分に言い訳をする。
近づくクリスマスのムードを存分に浴びせられた、今日。
そのままアパートの自室へ帰るのも、なんとなく辛い。杏は教会へ、足を向けた。戸を開けて、中へ入る。無人であるにもかかわらず、相変わらず施錠をしていない。神父の方針なのだが、どんな時でも極力、他人に会いたくない杏にとっては好都合だ。
この教会の窓には、ステンドグラスで聖母マリアが描かれている。穏やかな微笑みを浮かべた、その姿を時として、杏は無性に見たくなってしまう。別に巧みに造形されているわけでも無い、稚拙なデザインなのだが――
杏は、ステンドグラスの下に立った。マリア像を見上げる。
聖母なのに、その表情はどこか幼い。キリストを抱いていないこともあって、いとけない少女に見える。
この教会には〝マリア〟という名の少女に関する伝説がある。杏も昔、何度も聞かされた。
『江戸時代の初め、キリシタンへの迫害が行われた。多くの信徒が棄教を余儀なくされる中、ただ1人、信仰を固く守った少女が居た。彼女の名前はマリア。処刑される前の夜、牢の中で彼女は天国の夢を見た。天国で彼女は天使に出会い、心を通わせた。そして処刑当日、磔にされ今にも槍に貫かれんとする直前、マリアのもとへ、夢の中で会った天使が降臨した。天使は大きな音を鳴り響かせ、不思議な力で役人たちを打ち倒し、マリアを救って天国へと連れていった』
地元では有名な話で、子供向けの絵本の題材にまでなっている。
この教会は、マリアが磔にされた刑場の跡地に建てられたそうだ。
杏は思う。
(実際は、マリアは殺されたに違いない。若くして死んだ彼女を哀れに思った人々が、伝説を作り上げた――)
処刑された少女マリアは、このステンドグラスのマリア像に似ているのだろうか?
杏はマリア像をジッと見つめる。
はるかな昔、殉教した少女マリア。
聖母のマリア。
私の母親は――
不意に。
杏は、自分の瞳が潤むのを感じた。胸の奥から、込み上げてくるものがある。
(私、泣きそう……馬鹿だ――)
クリスマスが、近い。嫌いなはずの、その空疎な熱に、自分も知らず知らずのうちに煽られてしまったのか――
杏は自嘲し、踵を返そうとして。
気が付いた。
ステンドグラスのマリア像のもと。
冷たい床の上に、一人の少女が横たわっている。
(え!? いつの間に?)
一瞬前までは、間違いなく居なかった。突然に現れた、謎の少女。
(どういうこと?)
混乱しつつも、杏は少女から目を離すことが出来ない。
自分より年下で、服装は着物――粗末な野良着だ。全身が薄汚れていて、けれど剥き出しの裸足の白さが妙に鮮明で――
もう幾日も身体を洗っていないのだろう。少女からは異臭がした。が、杏は構わず近づき、少女の額に手を当てる。
(熱い――)
どうする?
病院へ担ぎ込む?
警察へ届け出る?
それとも教会を管理している神父へ相談を――
全五話です。各話を毎日、投稿いたします。
よろしくお願いいたします。