上
一度はやってみたかったWW2ものです。
ドイツ側の視点で書いていきますので、宜しければお付き合いください。
レーネンブルンの橋が落とされた時、森の中で戦車中隊2号車の砲手ミヒャルト・ヴィッケナーは新林道で撃破された自身の乗る戦車の傍らで目を覚ました。
頬に感じる仄かな暖かさに思わず心地よくなり口角を緩ませてしまうが、次第にその正体が陽光ではなく糸引くような鉄臭い液体であると分かると、勢い良く体を起こした。
指の先で頬を撫で、今度は指の腹で付着したものを掬うとまだ新鮮で濃い血糊が目に飛び込んだ。
「うわぁああ」
声が裏返り、腰を抜かす。そして自分の体を慌てて確認する。
四肢が無事だと分かると、今度は腹部や心臓など体を触り続け異常があるか探した。
こちらも問題はなく、一先ずは安心するがまだ油断できないでいた。
少なくとも自分のものではないその血は誰のものか――ふいに後ろを振り向くと装填手のムンムト・オッターマイケンの絶命して見開いた目と会った。頭から大量の血を流し、流れ出た場所はミヒャルトが倒れていた場所と重なっていた。
思わず生唾を飲み込み、戦友の死を唐突に突きつけられ脂汗がどっと湧き出る。
動悸は激しさを増し、軽いめまいが起こり耳づまりのような状況に陥った。
ムンムトは他に右横腹からも出血の跡が見受けられ、負傷して間もなく死んだ事が推測できる。
「ペーター少尉!」
ミヒャルトは情けない声で姿の無い車長の名を叫んだ。
他にもう一人運転手がいるが今日配属されたばかりの新人で名前が出てこない。
返事はなく孤独が襲いかかる。自分以外全員死んでしまったのだろうか。
ミヒャルトは片膝に手をついて立ち上がると、撃破された愛車を改めて確認した。
履帯を保護していたフェンダーに弾痕が出来ており、これは機銃によるものだろうか。
一部は貫通しており、不運な事に履帯を切られてしまっている。
車体正面、側面、砲身等は無傷であったが、後部に備え付けられているエンジン部は見るも無惨に変形していた。
動かせない以上、放棄するしか選択肢はない。
最期まで戦い抜いた相棒を労うつもりで車体を優しく擦った。
心が落ち着くまで暫くそうして、まだ見つけていない搭乗員を思い出す。
「ペーター少尉!」
ミヒャルトは車長の名を叫び、その声は森の中を反響した。
しかし、森の静寂は保たれ、戦時とは無縁な時が緩やかに流れる。
すぐ傍にはくず鉄と死体が転がっているというのに、自然の不変さはあくまで中立であった。
「ミヒャルト」
東の方から少尉の声が耳に入ってきたのはすぐのことだった。
不安で歪んだ眉が優しく解かれていく。
地に落ちた乾いた枝木の炸裂音がすぐ近くで聞こえ、茂みが揺れたかと思えば少尉が姿を見せた。
少尉は負傷しており、左肘に添え木をして少し雑に巻かれた包帯で即席のギブスを装着している。
右肩には車内に備え付けしてあった小銃を担ぎ、制帽を正しく身につけていた。
「ペーター少尉、ご無事で!」
思わずかけより興奮した表情で喜ぶ。
少尉も少し笑い頷き、目の前の惨状を見て真摯な表情へ変わる。
「私とお前以外は死んだ。荷物を纏めろ、ここを離れる」
「一体どこへ?」
「わからん。ただここでじっとしていては敵の接近を許すだけだ。一先ずはこの場を離れることを考えろ」
ミヒャルトは使えそうなものを車内やかつての戦友たちから拝借した。
銃、弾薬、靴下、スコップ、手榴弾に戦闘食、そして替えの下着。
果たして自分のサイズと同じだろうか、と他人の匂いが付いた下着をリュックに詰め込み終え、タバコを吸いながら待つ少尉の元へと駆け寄る。
「では行こう」
ミヒャルトは頷き、先頭に立つと二人の戦車兵は友軍を目指して森の中へと入った。
暫し歩いて、靴底が地面に引きずり込まれる感覚に陥る。
連日降り続けた雨の影響により泥濘が発生しており、一度嵌ると抜け出すのに労力が必要になる。
両手で脛を掴み、根深く大きい根菜でも抜くかのようにしてようやく抜けるだせば、跡にはくっきりと靴底の溝が出来上がる。
「まずいな」
少尉も同様に別の泥濘に嵌ったようでそこにもやはり靴底が明確に残る。
「考えがあります」
ミヒャルトは故郷の叔父に教わった森での生き方の一つを実践してみせた。
二本の細い木の枝を探し、それを靴と同じぐらいの長さに折る。
そこへ数枚、できる限り大きな緑葉を集めると、近くの倒木に座った。
靴を脱ぎ、靴底の内側に収まるように等間隔で枝を二本置き、その上に葉を重ねたものを載せる。
それらが落ちないように適当な紐で靴全体に巻き付けてやった。
「少尉もどうぞ」
余分に取った分を少尉に渡すと見よう見まねで容易く作ってみせた。
「良い感じです。この状態であるけば……このように」
ミヒャルトは工夫した靴を敢えて泥濘のある場所で歩いてみせた。
靴底の溝が地面と接しないことで跡を残すことはなくなり、泥水と接触することはない。
分厚い葉により枝の跡も残りにくくなり、これにより敵に足跡を見つけられる事は無くなった。
「見事だ、ミヒャルト」
少尉も見よう見まねで作ったものを何度か試し、出来栄えに感心してくれた。
「ありがとうございます」
照れくさそうに笑い、少し緊張もほぐれたところで移動を再開する。
陽が高い内になるべく進みたいが、それは敵も同じである。
ふとした瞬間にいつ遭遇するか分からない危機的状況の中で神経を研ぎ澄ませ、視界に入るもの全てを疑問視する必要がある。
自身は森に溶け込むことを迫られており、身につけて効果があるものはどんなものでも拾ってつける。
ミヒャルトのポケットや小枝などが入りそうな場所には次々と枝木などが放り込まれ、遠目では人だてゃ瞬時に判断することはできない。
肩の銃はなるべく動かさずにし、敵を見つけても即座にしゃがむ事を念頭に置いた。
「他の戦車は無事でしょうか」
「どうだろうか。敵の急襲で中隊はバラバラになってしまったからな」
ミヒャルトはここ1ヶ月の事を思い出す。
海岸に上陸されたのは1ヶ月前でその時、戦車中隊はアイトホーフェンの街に駐留していた。
自分たちの方へ来ないだろう、とタカをくくっていたが連合軍は素直に街に向かって進軍してきた。
前線の部隊が撤退や敗走を続ける中で、いつかは自分たちの番が来ることを怖れる日々が蘇る。
連合軍の勢いは緩慢であったが着実に内部へと侵食していき、半月で眼前まで迫った。
中隊は街を出て消極的に戦い損害をあまり出さずに後退を続け、他の友軍と連携すべくレーネンブルンの橋へ集結する予定であったが、その最中に強襲を受けた。
すかさず少尉の下した決断で数両の戦車を逃がすため囮となり、幾つかの戦車はこちらを追撃し始めたところ森まで追いやられた後、撃破されたのであった。
「また皆に会いたいです」
ミヒャルトには同郷の者が中隊内に何人かいた。
「私もだ。会ってカードで勝った金額を全て巻き上げなければならん」
二人は少し笑いながら夏の森を進み続けた。
お読みいただき、ありがとうございました。