地下に咲く花
地下アイドル、と聞いたらほとんどの人は可愛い衣装を身につけた女性を想像するのではないだろうか。
だが、地下アイドルとはなにも女性だけのものではない。地下アイドルのただでさえ低い知名度でもさらに下回る男性地下アイドル。それが私の推しである。
紅葉ヤマト、二十二才。その名の通り真っ赤な髪できらびやかなステージを飛び回るダンサーアイドル。歌はいまいちだけど踊りはそれなりに上手くて、ルックスはまあよくて中の上、と言ったところだろうか。スポットライト効果と舞台化粧で二割増、一般人よりはかっこよく見える程度のそんな人。
しかし地下アイドルなど所詮はそのレベルなのだ。彼が歌も上手くてダンスも最高で顔が良かったら地下で腐ってなどいない。スカウトだってバンバン来るだろう。
そうではないから、地下アイドルをやっているのだ。
彼との出会いは一年半前に遡る。その日私は当時推していたソロシンガーの引退ライブに赴いていた。青春時代のすべてを捧げたアーティストの引退はそれはそれは静かで、まるでお葬式のようだった。
全盛期の頃はアリーナツアーやドーム公演だってこなしたシンガーだったが、結局は一過性のブームにすぎず彼は引退することを決めたらしかった。
解散、引退はこの業界ではよくある話ではあるけれど、切なさや、やるせなさ、なんてものはうまく言葉には出来ずに心に降り積もっていく。
そんなお葬式ライブの後、ドリンクを飲み感傷にひたりながら小さなライブハウスの箱からゆっくりと人がはけるのを見送っていた時だった。
階段わきのスペースに所狭しと飾られた様々なアーティストたちのポスターや、チラシの壁。今はもう超有名なバンドから、かたや未だ無名のシンガー、知る人ぞ知るアーティストまでたくさんの顔が並ぶそこにポツリと見えたライムグリーンの底抜けに明るいチラシ。
それはどうやら来週末にここで行われるライブの告知チラシのようで、私はどうしてかその紙面に刷られた彼の笑顔に惹かれ、一緒に添えられたご自由にどうぞと書かれたB5の紙を手にしていた。
「ヤマトー!」
横から歓声が飛ぶ。初めて訪れたアイドルという属性のライブはサーカスショーのようだった。飛んだり跳ねたりと自由に舞台を動き回る。歌のみならずパフォーマンスで観客たちを魅了していく。その姿は、“音楽を聞かせる”という趣旨の強いアーティストばかりを見てきた私にとってライブ中に煽り以外で歓声を上げるなどとカルチャーショックもいいところであった。
「コウキ、ウィンクしてー!」
こういったファンサのオネダリを見るのも初めての体験だった。
人気曲ではファンが一体となって定型句を叫び一緒になって踊る。私はタオルやペンライトなども持っていなかったので、同じライブを見に来ているはずなのに仲間外れにされたような疎外感を強く感じることになった。
けれど、そんな世界は私にとって非常に刺激的で、未知なる魅力に溢れていた。
アイドルも、応援するファンも、スタッフもみな一様にキラキラと輝いて、全員がその空間を楽しんでいるのが手に取るようにわかった。
葬式ライブのあとだったからか、生々しい熱気が余計に眩しく見えたのかもしれない。
そのあとのチェキ会やハグ会はさすがに遠慮したが、私はその初回のライブの高揚が忘れられずに、その後も足繁く通うことになったのだった。
あの時はかまととぶっていた私も今ではチェキ会もハグ会ももちろんのこと参加している。なんなら周回する。空いていればの話だが、そこはまあ地下アイドルなので、大抵は空いている。
私の推しである紅葉ヤマトは地下アイドルの中でも珍しくグループに所属してないので、ライブを行う時は他グループとの合同ということが多い。だから周りに他グループのアイドルとそのファンが溢れていても、ここだけポツンと空いていたりすることもそう珍しくはなかった。
「アゲハさん! 今日も来てくれたんだね、ありがとう〜」
紅葉は兄貴分っぽい男らしいイケメンなのだが、話し方がどうにもゆるく、その見た目とのギャップ故かあまりファンがつかないらしい。数少ないファンはみな一様に顔見知りである。
ちなみに紅葉が呼んだ私の名はニックネームみたいなもので本名ではない。ニックネーム名付け会というファンイベントでもらったものだ。
地下アイドルはなんでもイベントにするし、なんにでも価値をつけてお金をとる。何故ならそうしなければライブを開けず、彼らはアイドル活動が出来なくなってしまうから。だからファンも彼らを応援する限り対価を支払い続けるのだ活動を願う限り。
私もステージできらめいていた彼の姿を見ていたい。そういう純粋な応援の意味を込めて出来る限りお金を使っていた。
ところが中にはアイドルとの出会い目的のファンもいるというのは人づてに聞いていた。個人的にメッセージアプリのIDなどを交換して、直接繋がりを持ちたいというのだ。リアコ勢とかいうらしい。
私にとって舞台に上がる人はすべからく『世界の違う人』なので、同じ土台に立って恋をするなんて想像すらしたことがなかった。
チェキやハグもグッズの延長線にあるものだと思っていたので、それが人を色恋に走らせることもあると知ってものすごく驚いた。
けれど、この業界ではそう珍しいことでもないようで。いわゆるガチ恋営業なんて言ったりするらしい。ホストの業界にもそういうことがあるようなので、つまり夜の世界で言うアフターみたいなものなのだろうか。
こうやってステージの後でも会うからまた自分に貢ぎに来てねという。
どちらも詳しくない私にはよくわからない価値観だったのだけども。
紅葉自身は小さいながらも事務所に所属しており、そういう面では厳しいチェックが入るそうでガチ恋営業などはしていないと古参の先輩ファンから教えてもらったが……、そもそもなんで私がこの話を始めたかといえば。
「アゲハさん……、いや由希さんて呼んでもいいかな?」
私の推しに、何故か壁ドンされて教えていないはずの下の名前を呼ばれているからだったりして。
「や、ヤマト……?」
「ふふ、上目遣いかわいいね」
「あの……この体勢はいったい……? 私こんなイベントやってること知らなかったよ。てかまだお金払ってないし……」
「やだな〜、俺そういう営業してないの知ってるでしょ?」
「え、あ、でも」
「それに由希さんにはクレハって呼んで欲しいな。俺、本名大和紅羽っていうの。ひっくり返しただけの芸名ってちょっと捻り無さすぎかな?」
「あの、まって……ちょっと、意味がわからない」
「じゃあ混乱してるアゲハさんにもわかりやすく教えてあげると、俺アゲハさんに恋しちゃったの」
ヤマトが言い終わるやいなや、ちゅっと頬にやわらかい感触がして私は思わず彼を見上げた。視線の先にはわかりやすく笑みを浮かべたヤマト……いや紅羽がいて、いつも温厚そうに落ち着いている瞳が今は飢えた獣のようにギラギラと揺らめいて見えた。
「だから、大人しく俺に食べられてちゃって?」
冗談ではなく食べられてしまいそうな勢いでキスされた。
引き込まれたバックヤードの死角で、推しに食べられそうになっている。ちょっと意味がわからない。
「や、離して!」
私が無理やり引き剥がそうとすると紅羽は思ったよりもあっさりと引き下がった。
「やっぱり嫌? こんな俺は。由希さんはキラキラしたステージの上にいる俺にしか興味ないもんね」
自嘲気味に笑う紅羽の見たことも無いアイドルらしからぬの表情に、彼の素の顔を覗いた気がして、触れてはいけないところに私は触れようとしているのだと思った。
「あの、私が、そういう興味なかった訳じゃないよ……。幻滅されそうだけど、近くに手の届く距離に憧れの人がいて、私のために笑ってくれるんだもん。ドギマギぐらいしたよ。でもそれは、クレハヤマトって人の仕事だと割り切って考えるようにしてた」
だってその笑顔は金銭の絡んだビジネスだ。そこに私情なんてあってはいけない、明確なラインがある。いくら距離の近いアイドルだからって本気になっても報われるはずない。
だからこそ、繋がりたいと思う人達の気持ちがわからなかったのだ。だってたぶん繋がったって相手には恋愛感情などないだろうと思うから。恋をしてる幻想、いやもっと直接的で、動物的な本能を満たすためなのだろうと思ってしまったから。
彼女たちみたいに私はなれなかった。生き物としては間違っているのかもしれない。恋愛観が十代の少女のままなのかもしれない。そういう潔癖症だったのかもしれない。
「じゃあもし俺が本気だってわかってくれたら受け入れてくれるの?」
――きっと、受け入れてしまうだろう。
目の前に、はいどーぞと好物を置かれて我慢出来る人間がどのくらい存在する?
結局私も即物的で動物的な人間だったのだと屈服してしまう。けど。
「……ひとつ、気になるの」
「何かな?」
「どうして私の名前を知ってるの?」
「あっはは! それ聞いちゃうんだ。由希さんうっかり流されてくれないかな〜って思ってたのに」
いたずらっ子のように笑う紅羽は、その無邪気さとは反して、目に光がなかった。
「他のコから聞いたの。君の名前が知りたくていろ〜んなコとデートする羽目になったよ。由希さんはそうやって理性的で真面目なお堅い人だからさ、正攻法で好きって言っても無理だろうなぁと思ってたんだ。だから搦手を取ろうと思ったんだけど」
「だけど……?」
「思った以上にガード堅いし、付け入る隙なさすぎて、こーんな邪道になっちゃった」
紅羽は言うないなやまた私にキスをして、私が思わず目を閉じてしまうとその瞬間パシャっと機械音がした。
「あーあ、撮られちゃったね、弱味」
彼が持っていたのはスマートフォン。画面には私と彼のキスシーンが上手いこと撮られている。紅羽は伏し目がちでわかりにくいけれど確かにカメラ目線でわかっていて撮ってるのだと気づく人は気づくだろう。
これで私を脅すつもり? たかだかキス写真で何を脅すというのか。
「由希さんは、俺のこと……ファンとして愛してるよね? もし、こんな写真流失したら、どうなると思う?」
「それは…………」
紅葉ヤマトのスキャンダルになる 。
「まさか!」
「うん。俺のことがだーい好きな由希さん自身が、俺のアイドル生命をぶち壊しちゃうんだ。どう? 面白いと思わない?」
紅葉はいかがわしいことの多い地下アイドルの中でも清廉さを売りにしていた。過剰なファンサービスもしないし、チェキ会やハグ会だって、一定の距離感をずっと保ち続けていた。それはファンをしてきた私が一番よく知っている。
そんな彼のスキャンダルは致命的と言えた。信用の一切を失ってしまうかもしれない。地下アイドル生命はファンの力が想像以上に直結している。
私が、私自身が、彼のアイドルとしての命を奪う?
私のように純粋に応援してる他の仲間の想いを裏切ってしまうの?
「由希さんには出来ないよね、そんなこと」
紅羽は紅葉ヤマトを担保に私を脅していた。
「でも、そんなことしたら貴方だって困るでしょう!」
「んー……由希さんには特別に教えてあげるんだけどね。俺、アイドルは趣味、なんだ」
「え?」
「二足のわらじっていうの? ホントは親の芸能事務所で働いてんの。俺が所属してる事務所はそこの子会社なんだよ。だからそこから俺がいなくなっても正直誰も困んないんだ、ファンの人以外はさ。親は早くそんな道楽やめて跡を継げとかうるさいし、いい機会かもしれないよね」
――引退? 大和が引退しちゃうの?
「やだ……!」
「えぇ〜なに、子どもみたいにやだって。可愛い」
「引退、しないで」
「じゃあ由希さんが俺のものになってよ。そしたらキラキラしたアイドルの大和クン続けてあげる」
私はもう二度とあんな葬式ライブには行きたくない。喪失感と失望に囚われたくない。
自分でもこれが正しいのかわからなくなっている。でも私は恐怖に駆られて紅羽の散々握ってきた馴染みのあるその手を取った。
その手に抱きしめられたことだって何度もあったのに、今初めて触ったような気がした。
「んふふ、好きだよ由希さん」
「私も……好き、だよ紅羽くん……」
受け入れちゃダメなのに。心のどこか嬉しいと思ってる自分が悔しい。
見たことない表情で私を見つめる紅羽に胸がどうしようもなく高鳴る。
抱きしめられて、互いの息遣いが聞こえる距離にいることに非現実さを覚えながら、それでも彼の体温に私はからめとられていた。
「――ま、由希さんと結婚したらアイドル辞めて本業に専念すんだけどね」
またそれは、いずれの話。
お読み下さりありがとうございました。