なろうにおける寝取られが展開のための踏み台でしかないことへの不満について
どうもはじめまして。挨拶もそこそこですがすぐに本題に入らせていただきます。
これは自分の感覚での話になりますが、最近なろうで寝取られがタイトルに含まれた作品が増えてきたように思えます。
所謂ざまぁブームの余波かもしれませんがこのこと自体はとても喜ばしいことだと思っており、自分としても歓迎すべきことなのですが、それでも個人的に不満に思うことがあり、今回エッセイを書こうと久しぶりに投稿に踏み切りました。
自分の不満。それはズバリ、なろうにおける寝取られというテーマが踏み台であるということです。
なにを言っているんだと思う方ももちろんいらっしゃるでしょうが、少しだけお付き合いください。
まず寝取られは多くの場合、付き合っている、もしくは片思いしている相手がいるところから物語が始まります。
ヒロインがいかに魅力的で、主人公がどんなにヒロインを好いているのか語った後に、そんな最愛のヒロインを他の男に取られるという、精神的敗北を喫するシチュエーションが寝取られものの醍醐味だと思いますが、自分が見かける作品では少し意味合いが異なってくるのです。
簡単に言ってしまうと、なろうにおける多くの作品は寝取られが過程にすぎず、他の男に靡いたヒロインに見切りを付け、新たな魅力的なヒロインに出会うための一種の舞台装置と化しているように自分は感じているのです。
最終的に行き着くバッドエンドではなく、主人公が絶望を乗り越えてハッピーエンドを迎えるための踏み台。結果ではなく過程。
これがなろうにおける寝取られものの現状であると、自分としては思っております。
もちろん、主人公が幸せになることを否定するつもりはありません。
多くの読者の方が望むのもハッピーエンドの方でしょう。
こんなひどい目にあったんだから主人公は裏切ったヒロインや間男より幸せになるべきだ。
人の彼女を寝取るような間男たちには報いを受けてほしいと思うのも、分かります。
ですが、寝取られというジャンルにおいて等しくハッピーエンドを迎えることばかりというのは、果たして正しいものなのでしょうか?
主人公が想い人であったヒロインのことを引きずり、鬱屈した思いを抱え込む。
もしくは寝取られ自体を終着点とし、バッドエンドを迎えるお話でも構いません。
寝取られという、それ自体を話の主題として置いた物語がもっと増えて欲しい。なろうにおいては不向きな題材であることは承知ですが、そう願わざるを得ないのです。
そういった一種の破滅願望のような期待を抱いて読み進める方も、きっと一定数いらっしゃると思います。自分も読んでみたいと切に願っております。潜在的な需要はおそらく高いのではないかと考えていますが、皆さんの考えも知りたいです。どうお考えなのか、感想を頂けると嬉しく思います。
身勝手なことを言っているのは百も承知ではありますが、寝取られというテーマが主人公にとってただの通過点で終わってほしくない。
それが自分の願いです。
勢いで書きました
申し訳ありません