私が悪役令嬢、婚約破棄!? すべては転生ヒロインの仕組んだ罠――あら、ハッピーエンド?
「すまない、ローズベル。ぼくは真実の愛を知ってしまった。君との婚約は解消させてもらう」
ディードリヒ殿下の落ち着いた深い声は、控えめであったにも関わらず静まり返った広間の端まで響き渡った。
その瞬間、告げられた台詞の衝撃とともに、私は前世の記憶を取り戻した。
そうだ、これは、私が前世でドハマリしていた乙女ゲーム、『A Whole Meow World(ア・ホール・ミュー・ワールド)~麗しき美青年のキャットファイト~』の卒業パーティ断罪シーンだわ。
登場人物全員に猫耳が生えた世界の、とある王立学園で、王太子や留学中の隣国の王子様たちと愛を育むゲーム。
顔をあげると、ディードリヒ殿下の傍らにはゲームのヒロインであるクリスティーナが立っていた。いままで前世の記憶がなかったのでまったく違和感がなかったのだけれど、二人とも頭に猫耳をのせ、腰にはゆったりと尻尾が巻きついている。
もちろん私の頭にも猫耳、幾重にも重ねたスカートからぴょこりと飛び出た尻尾は腰に。これが起立しているときの礼儀正しい尻尾の位置と言われているのよ。
固唾を呑んで成り行きを見守っているオーディエンスも、皆それぞれの猫耳と尻尾をつけている。
何十もの猫耳が一言も聞き漏らすまいと注意深く耳をそばだてている様子は……シュールだわ。
でも、変ね。
ディードリヒ殿下はクリスティーナを婚約者に据えるために私との婚約を破棄したはずよ。なのにそのクリスティーナとの距離は遠い。寄り添うでもなく、ドレスの裾に触れないほどの距離を保っている。
というか私、断罪されてないわね? 台詞が謝罪から始まっていたもの。
しかもディードリヒ殿下の側近たちもいない。私がクリスティーナをいびり抜いた証拠をあげ連ねていく役目の、攻略対象の貴族子息たちだ。
どういうことなの?
「申し訳ありません、ローズベル様。あなたという婚約者がいることを知りながら、ディードリヒ殿下と恋に落ちてしまいました。如何様な処罰もお受けします」
困惑する私の前で、クリスティーナは膝を折り、神に祈るように両手を胸の前で合わせた。
ざわり、と、集まった人々の前に動揺が走る。
これでは私の断罪イベントではなくて、クリスティーナの断罪イベントみたいじゃない。
「父上……いや、国王陛下からはすでに許可をいただいてある。ローズベル、君の思うようにしておくれ。君がぼくたちを裏切り者と呼ぶなら、ぼくらはこの国を出よう」
そこでやっと跪くクリスティーナに寄り添い、肩を抱いたディードリヒ殿下は、クリスティーナと同じく真剣な顔で私を見ている。
二人ともいまにもへたりそうになる猫耳をぴんと立てて、気力をふりしぼっているのが窺えた。
そのとき、前世と今世の記憶が入り乱れ混乱していた私の脳裏に、一つの光景がよみがえった。
放課後の誰もいない教室で、クリスティーナが瞳を潤ませ、必死に私に語りかけてきたこと。
『ローズベル様、あなたにはわからないかもしれないけれど、これだけは言わせて。私はディードリヒ殿下最推しなの。諦めることなんてできないのよ。お願い、私を許してね……』
そうだわ、つまり、彼女も転生者なんだわ。
でもそのときの私に前世の記憶はなく、ここがゲームの中の世界だとは知らなかったから、私はクリスティーナの言いたいことを理解できないままにこう返したのだ。
『殿下が私を捨てるというのなら、私は殿下に未練はないわ。奪うなら奪ってみなさいよ』
その言葉は本心だった。
私は幼くして政略結婚のための駒として殿下に嫁ぐことが決まった女。自分から恋い慕って殿下を選んだわけじゃない。そこに愛はなかったし、芽生えるとも思えなかった。
ディードリヒ殿下は、金髪碧眼に線の細い体格、優しく穏やかな性格で、まさに王子様然とした人。だからこそ殿下が尻尾を膨らませ激しい怒りを見せる断罪シーンは「ヒロインへの愛を感じる」と好評で、攻略対象の中でも一・二を争う人気があった。
でも私の好みは違ったのだ。私は、ちょっと悪そうな、強引にひっぱっていってくれる男性が好きで。正直に言って殿下は好みの対象から大きく外れていた。
これまで自分の貴族令嬢らしからぬ『悪い男好き』はどこからきたのだろうかと頭を悩ませていたものだが、前世の記憶を取り戻してわかった。
私の、最推しは――。
「このときを待っていたぞ、ディードリヒよ」
「!!」
不意に視界にのびてきた腕に抱きすくめられる。
ふんわりと漂う、ビターで、それでいて嫌ではない煙草の香り。
これをまとうのはただ一人――。
「リオハルト様!!」
「お前が婚約を破棄するのなら、ローズベル嬢は俺が貰ってもいいのだろう?」
今度は隠しようもなく、広間は喧騒に包まれた。ふみゃあふみゃあと、とりつくろうこともしない興奮した叫びが聞こえる。
目の前で自国の王太子が婚約を解消した途端その元婚約者を隣国の第一王子が貰い受けようとしているのだから、そりゃ何が起こっているのかと思うに違いない。
私も頭の中がぐちゃぐちゃになってきたわ。
「ローズベルがよいというなら、ぼくが引きとめることはできん」
ディードリヒ殿下は静かに肯定する。
その一言で、すべての注目が私へと向けられることになった。
もちろん、リオハルト様の視線も。
私を抱きしめたまま、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「だ、そうだが。どうする? 俺の元へ来るのなら、王座の隣を――正妃の椅子をやろう」
瞳孔の開いた黒曜の目にじっと見つめられて思わず頬を赤くした。猫の習性を持つ今世の経験も、ゲームでの彼のそうした仕草を知っている前世の記憶も、リオハルト様が本気で私に興味を持っていることを二重に裏付けてくる。
うそ、どうしましょう……。
婚約破棄されて、前世の記憶がよみがえったと思ったら、前世での最推しに結婚を申し込まれている。
そう、リオハルト様は、前世の私の最推しだ。
艶のある漆黒の長髪と、同じ色の瞳。はっきりとした、冷酷な印象すら受ける顔立ち。不愛想で、強引で、俺様で、なのにヒロインにはめっぽう甘い。好感度3までの塩対応とうってかわって好感度4以降で公開されるシナリオではヒロインを自分の傍から離さず、晴れてエンディングを迎えると蕩けるような笑顔でヒロインにブラッシングされているスチル絵が入手できるのだ。この三段階のギャップ萌えにリオハルト様はディードリヒ殿下と並んで双璧のファン人気で――って、熱く語ってる場合じゃないわ。
そうよ、リオハルト様の隣にいるのはヒロインのはずなのに……。
そう思ってクリスティーナをちらりと見れば、クリスティーナはやはり先ほどのまま胸の前で手を組んで、しかし顔を満面の笑みで輝かせていた。
視線が合うとパッと元のしおらしい表情に戻ったが、その一瞬で私は悟った。
この人、ディードリヒ殿下を奪う代わりに、私と最推しのあいだを取りもとうとしたんだわ。
そういえば、クリスティーナはいつもディードリヒ殿下にアタックする前には私に予告していたのだ。プレゼントを渡すとか、アフタヌーンティーに誘うとか、それはもう馬鹿正直に。
そして私の好みの殿方をしつこく聞いて――そうだった、一度リオハルト様だと答えたのだ。そうしたらリオハルト様の好きな本や食べ物、普段は学園の図書室にいることなんかを教えてくれたっけ。リオハルト様は知的キャラなので、基本的に本と賢い女が好きなのだ。ゲームではリオハルトを攻略するには勉強ポイントをMAXまで上げなければならない。
もちろん私にはディードリヒ殿下という婚約者がいたので、アタックなどしなかったのだけれど。
「ローズベル、お前が俺に心を寄せていることはクリスティーナから聞いていた。ディードリヒや周囲の目を憚って人づてではあったが、お前からの贈り物は毎度俺の心を浮き立たせてくれたぞ」
そんなもの差し上げておりませんけど、とは言えなかった。
なるほど、クリスティーナはヒロインに対して加算されるはずだったリオハルト様の好感度を、すべて私に向けてくれたらしい。
「さぁ、どうするんだ? お前の魅力のわからない男の国へ留まるのか、俺を選ぶか」
リオハルト様の真っ黒い尻尾が私の頬を撫でた。
背の高いリオハルトは尻尾も他の登場人物に比べて長いという設定になっている。本人はそれを気に入って、こうして頬をくすぐってきたりする。ゲームではヒロイン相手だが。
そのとき、再び唐突に前世の記憶がよみがえった。
リオハルト様の長い尻尾は、二次創作界隈では立派な××××の証とされ、「尻尾が長い男はアレも長いんだ」などと卑猥な台詞をはきヒロインをいじくりまわす絶倫設定が大流行していたのだ。私は、それを、めっちゃ萌える禿げると思っていた。
私の羞恥心は爆発した。
「ふ、ふええええ……」
「泣いていてはわからんぞ、ローズベル」
顔を真っ赤にして涙を流しはじめた私に好感度4以降でしか見られない笑顔を見せ、リオハルト様はあやすように頬を尻尾で撫でつづけてくれる。
あぅ、もう、なにがなんだか……。
いま広間にいる人々の中で私が一番混乱している自信があるわ。
えぐえぐと鼻の頭を赤くしながら泣いていたら、そっとハンカチが差し出された。
クリスティーナだった。
「ローズベル様は感激のあまり泣いておられるのですわ、リオハルト様。まさか貴方様と添える日がくるとは思っていらっしゃらなかったのです。その証拠にほら、ローズベル様のお耳はしっかりとリオハルト様を向いておられますわ」
「なるほどな、愛いやつめ」
あぁ、もうそういうことにしておこう。
それですべてが丸く収まるなら。
私はこくこくと頷いてクリスティーナの言葉を肯定した。
成り行きを見守っていたオーディエンスたちがほっと息をつくのがわかった。私がリオハルト様の求婚を受け入れた以上、ディードリヒ殿下とクリスティーナの断罪は回避され、二組の祝福すべきカップルが成立したということで騒動は決着する。
「すまなかったな、皆の者。さぁ、パーティを始めよう」
ディードリヒ殿下の一言で、会場はわぁっと沸いた。
***
さて、王立学園を無事卒業した私は、リオハルト様の正妃として隣国に迎えられた。
これまではクリスティーナが私に代わって好感度を上げてくれていたわけだけれど、前世の記憶を取り戻した私の頭の中にはリオハルト様の攻略情報がすべて詰まっているのでそこからの生活も順調だ。
クリスティーナとは同じ転生者として、ゲームの中に転生したうえ最推しと結婚できた幸運を語り合っている。私たちは友人になった。
なんとなくわかっていたけれど、推しのグッズに課金するのが趣味だった私とは違い、クリスティーナはゲームを隅から隅までやり込んでいた。
そうでなければ自分の代わりに他人の好感度をあげたり、関係のない攻略対象をつつがなくスルーしたりできないわよね。本当はディードリヒ殿下とリオハルト様以外にも攻略対象は学園にいたのだが、彼らはおそらくクリスティーナに恋心を感じることすらなかったに違いない。
あぁ、クリスティーナが――というか、クリスティーナの中の人がヒロインでよかった。
「楽しそうだな。何を笑っている」
「クリスティーナ様からの手紙を読んでいました」
声とともに、腕に巻きついてきた黒い尻尾を撫で、答えた。
好感度5になってもときどきぶっきらぼうに見えるリオハルト様だが、この長い尻尾だけは雄弁だ。
ふん、と生返事をしたリオハルト様は、しかし興味はあるようで、私の手の中の手紙を覗き込んできた。転生に関することが書いてあってはいけない、と隠そうとした私よりも早く、リオハルト様が訝しげな声を出す。
「これはどういう意味だ? 『ところで、リオハルト様の尻尾の秘密はわかりましたか』とは」
「ひっ、ひえっ!? 私もまだ読んでおりませんでしたのに!!」
「俺の尻尾に何かあるのか」
ぐしゃっと握り潰しそうな勢いで手紙を折りたたんだ私の姿に、リオハルト様はにやりと悪魔の笑みを浮かべた。
真っ赤になって涙目の私を抱きしめ、耳元で甘く囁く。
「その秘密とやらを教えるまでは、この腕から逃れること叶わぬと思え」
「っ、~~~~!?!?」
もしかしてこれも、クリスティーナの罠なのかしら!?
終わり。