2 キモチ
「ミキはクラス表見たらわかると思う」
次の日の朝、学校の教室でどうしたら黄色いハンカチの持ち主が見つかるか、ミキちゃんと相談していたら、ミキちゃんが良いことに気付いた。
『クラス表』っていうのは、黒板の横にクラスの子の全員の名前が漢字で書かれていて、掃除係りや植物係りが誰がするのか分かるようになってる物だ。
「そっか!すごいよミキちゃん、それならどこのクラスにも有るし、絶対にみつけられそうじゃん」
「でしょ」
「うん、じゃあさっそく名前を探しに行こう」
私たちはすぐに4年生の教室からまわって、各教室のクラス表を見てまわった。とりあえず朝会までに4年生の5クラス全部を見たけど、『郁』という字はみつからず、その後も休み時間やお昼休みも見てまわって、残りは5年生と6年生の教室だけとなった。
「これなら下校時間までに全部まわって見つけられそうだね」
「そうね・・・ねえハルちゃん」
「なぁに?」
「もう一度ミキにもハンカチ見せて」
うんいいよと言って、ランドセルからビニール袋に入ったハンカチをミキちゃんに渡した。
「うーん、これってなんて読むのかなぁ」
「持ち主を見つけたらわかるよ」
その時、ミキちゃんが私の制服の裾を引っ張って、教室の出口のほうをちっちゃく指でさした。
「ん、なあに?」
「あれ・・・私たちを見てるみたぃ」小さな声でミキちゃんが言うから、私はそっと出口の方を見ると、香久山くんがにらむように私たちを見ていたけど、私と目が合うと逃げるように教室から出て行った。
「なにあれ」
「・・・」
その時は、なんでにらまれたのか想像もつかなかったんだ。
掃除の時間が終わって、私とミキちゃんが黄色いハンカチの持ち主を探しに行こうと、教室を勢い良く飛び出した時だった。
「わっと、ハルミちゃん走っちゃダメでしょ」
「わぁっごめんなさい先生」
「掃除が終わったなら、もう帰りなさいよ」
「先生は見回りですか?」
「ちがうわ、香久山くんのクラス表の名札を作ってきたのよ」先生がクラス表に新しい名札を掛けながら言った。
「へぇそうなんだ」
「あなたたち、遅くなるとお母さんが心配するから、早く帰りなさいね」
「うんわかってる、すぐに帰るようにするよ、ねえミキちゃん」私はミキちゃんと顔を見合わせた。
「うん・・・ちょっと待ってハルちゃん」
急ぎ足で行こうとする私を、ミキちゃんが引っ張って止めた。
「もう、早くしないと時間なくなっちゃうよ」
「でも、あれ・・・」
ミキちゃんが指差した先の、今先生がクラス表に掛けて行った名札には『香久山 郁』と書かれていた!
「うっそ・・・・」
「あの、先生」掃除道具を点検している先生を、ミキちゃんが呼び止めた。
「なあにミキちゃん」
「この郁って、一文字でカオルって読むのですか?」
「そうよ、女の子みたいって思うかもしれないけど、男の子でもカオルって言う子は沢山いるし、この『郁』って文字にはね、学問って言ってお勉強がとっても出来るっていうステキな意味もあるのよ」
「そうなんですか、ありがとうございます」
「・・・ねえミキちゃん、もしかして」
「そうよハルちゃん、香久山くんだったのよ!」
「さ、もうこんな時間なんだから、ハルミちゃんもミキちゃんも帰るのよ」
「はーい」
私たちは先生に急かされて、結局そのまま学校を出て下校することにした。
まさか香久山くんのだったなんて、だから教室でハンカチを見ていたときに、私たちの方を見ていたんだ。私もミキちゃんもビックリして、どうやって返そうかと話をしながら下校した。
「おい」
ガタガタ道にさしかかった時、突然に香久山くんが道のわきから出てきて私たちの前をふさいだ。
「返せよ、ハンカチ」
「このハンカチ、香久山くんのだったんだね」
私がランドセルを道に下ろして、中からハンカチを取り出したとたんに、香久山くんが私の手からハンカチをうばい取った。
「ちょっちょっと」
「ふん」そういうと私たちを無視して行こうとしている、なによそれ。
「コラァ!待ちなさいよ」
私はランドセルを道に置いたまま、行こうとする香久山くんを走って追いかけて腕をつかんだ。かけっこなら私は誰にも負けないもん。「あんたねぇ、私がひろってあげて、キレイに洗っておいてあげたのにお礼も言わないつもり?」
「・・・」
「どういうつもりで皆にイジワルしてるのか知らないけど、いいかげんにしなさいよ、言いたいことがあるなら言いなさいよ、男の子のくせに!」
「う、うっるせぇんだよ」
「そう言って、また逃げるつもり?」
「だれが逃げるかぁだまれ!」
「学校でも逃げたんでしょ」ぜったいに話をするんだから!「だったらちゃんと話しをしてよ」
「イヤだね」そう言って私の手を振りほどこうとした。
「ほら、また逃げようとしてるじゃん」
「いいかげんにしろよ!」
怒った香久山くんが私のつかんでいる腕をグイっと引いた。私はガタガタ道の石につまずいて、手をつくことも止めることもできないで、ガタガタの石の上に転んだらどれだけ痛いだろうと思ったら、たまらず目を閉じて手をむちゅうで振りながらガタガタ道の石の上へと倒れていった。
「いったぁあっ!!あ?」
転んだのにぜんぜん痛くなかった。おそるおそる目を開けると、ガタガタ道の石と私の間に、香久山くんが右うでをガタガタ道の石の上に差し出してくれていたからだ。
「うっぐぁっ」
私を支える香久山くんの右手は、私の重さでガタガタ道にめり込んでいる!
「ごっごめん香久山くん」
「くっぅ、早くどけよ」
「ごめんなさい」
香久山くんは私の為に、私といっしょに倒れて私を助けてくれたのだ。
私はどうしたらいいかわからずに、起き上がって香久山くんのうでを見ると、ものすごい傷だらけになって血が出ている。
「ごめん、ごめんなさい」
「こんくらい、平気だ」
痛そうに言う香久山君は、ぜんぜん平気そうじゃない。
「はぁはぁ、どうしたのぉ」
私のランドセルを抱えてミキちゃんが、やっと私たちに追いついてきた。
「まぁひどいケガ、ハルちゃんちょっとどいて」
そう言うとミキちゃんは、ポケットから自分の白いハンカチを出すと、肩からかけていた水筒を開けてハンカチにドボドボとお茶をかけだした。
「香久山くん、ちょっとしみるけど我慢してね」
そう言ったかと思うと、今度はお茶を傷口にかけだした。
「んがぁっあ!」
「ちゃんと消毒しないと怖いから、お願いミキの言う通りに我慢して」
のぞき込むように見るミキちゃんに、香久山くんは横を向いて「大丈夫」とだけ答えながらミキちゃんの言う通りに我慢している。今度はお茶でぬらしたハンカチを使ってミキちゃんは傷口を拭き出した。
「お茶ってね、バイキンを消毒してくれるんだよ」
「そうなんだ」ちょっと感心、でも香久山くんは黙って横を向いてる。
「ミキのお兄ちゃんがケガをすると、よくお母さんがこうするんだよ」
しばらくハンカチで拭いていたけど、一番大きな肘の傷からは血が止まらない。
「もういいよ、オレ大丈夫だから」
「大丈夫じゃないよ、血が止まってないもん」
ミキちゃんは必死になって拭くけど、それが香久山くんには痛くてたまらないようだ。
「っく、もう、いいいから」そうとうに辛いみたい。
なんか私のせいなのに、私も何かしなきゃ。そうだ、私のハンカチでふさげばいいんだ。
「ねえミキちゃん、ちょっとかして」
そういってポケットからハンカチを出して傷に巻こうとしたけど、そのハンカチがフリルの付いた私のお気に入りだったことに気付いて、どうしようか迷いながらも、香久山くんが助けてくれなかったら私がケガをしていたかもしれないと思って、香久山くんのうでに傷口を巻くように強く縛り付けた。
「よし、これで大丈夫」
「ハルちゃん、このハンカチ・・・」ミキちゃん言わないで。
「きっとこれで血は止まるよ、香久山くん」
「あ、おう、わるいなサンキュ」
テレながら言う香久山くんの、困ったような恥ずかしそうな表情は、ちょっとかわいくて意外だった。
「ううん、わたしのほうこそ、ありがとう、でもなんで助けてくれたの?」
「ママが、女の子とか弱い子は守ってやれって」
これまた意外だ、弱い子を守るなんて。
「・・・そのさ、おまえ女だし、女は怪我させたらダメだって」
「ねえ、クラスの子だって女だし弱いよ」
「怪我するわけじゃねぇだろ」
そんじゃと言って、立ち上がろうとする香久山くんの怪我のしていない左腕をつかんで、私は香久山くんを引きとめた。
「なんで、どうして話してくれないの」
「・・・」
「友だちになっちゃダメなの?」ミキちゃんが悲しそうに言う。
「おれ・・・すぐにまた転校するんだぜ」
「うん」
「どうせ別れるなら、友だちになんかならない方がいいじゃん」
「なんで?そんなのわかんないよ」
私にうでをつかまれてるからか、ミキちゃんが悲しそうに見つめるからか、香久山くんはあきらめたようにガタガタ道の脇にある大きな石に座った。私もミキちゃんもその隣に座った。
「俺さ、2年の時にも転校してるんだ」
「うん」
「そん時さ、すっげぇ仲のいい友だちがいてさ、転校したくなくて・・・別れたくなくてさ」
「うん」
「また会おうねって言ってたけど、ぜんぜん会いになんて行けないし」
「・・・」
「本当はこの転校だってしたくなかった、別れたくなかった、きっともう前の学校の友だちとだって会えなくなるんだ」
香久山くんは、道端の石をじっと見つめながら、さびそうに話す。
「どうせ夏休みまでにはまた転校するんだから、すぐに別れないといけないなら・・・友だちなんか作りたくない」
「なんでよ、友だちいっぱいいた方がいいじゃん」
「別れるために友だち作るなんて、辛いだけなんだよ!お前にはわかんないかもしれないけどな」
「そんなのわかるわけないじゃない!」
「そらみろ、じゃあオレもう行くから・・・」
また立ち上がろうとする香久山くんを、私はなんかくやしいようななさけないような気持ちで、意地になってうでを引っ張った。
「ねえ、ちょっとまってよ」
「離せよ」
「じゃあじゃあ・・・うん、そうだ!ちょっと座って」私はものすごく良いことを思いついた。そうだ、そうしよう。
「なんだよ、ったく」
「会いに行こうよ、前の学校の友だちのところに、ね!」
「・・・はぁ?」
香久山くんは目を点にしてあきれてる。ミキちゃんまで頭に?マークだ。
「だからぁ、行くのよ」
「お前さぁ、言ってることわかってるか?」
「もちろん」
「そんなの行けるわけないじゃん」
「行こうとしなけりゃいつまでたったって行けないじゃない、なら行こうとすれば行けるじゃん?」
「ぷっふふ」ミキちゃんが思わず笑い出した。「そうよね、ミキもそう思うよ、さすがハルちゃん面白い」
「くっふっはははっ」
香久山くんまでなんで笑うの?
「な、なによみんなで笑って、なになにぃ」なんで私、笑われてるの?
「なあ、コイツっていつもこんな感じなのか?」
「うんすごいでしょ」
「ホントすげーやつだなっ」
「もーう、なによ2人して!ともかく会いに行くんだからね」どうして笑うのよ、私は真面目に言ってるんだからね。
「でもさ、どうやって行くんだよ」
「前の学校ってどこにあるの」
「はぁ?っひゃっひゃっくうぅ」
「ちょっと香久山くん、そんなに笑ったらハルちゃんかわいそうだよう」
そういうミキちゃんも、なんだか笑うのをこらえてるみたい。
「だって、もう、はぁはぁ、ごめんごめん、ふぅ」
「で、どこにあるのよ」私はなんか腹が立ってきて、ムッとして言った。
「静山県静山市西区の静山西小学校、わかんないだろうけど、車で3時間くらい」
「電車なら?」
「電車乗ったこと無いから」
「そっか・・・じゃあ今日帰ったら調べてみようよ、ねえミキちゃん」
「うん、インターネットならお金もどれくらいいるかわかると思うから、ミキのお家で調べようね」
「・・・お前らマジで行く気なのか?」呆れた様子で香久山くんが言った。
「当たり前じゃん」
「てかさ、行くのはオレなんだけど」
「みんなで行こうよ、ミキも行ってみたい」ミキちゃんナイス!
「そうよ、みんなで力を合わせて助け合えば必ず行けるよ」
「なんだよそれ、ったくホントに・・・ふぅ」
「なによ」
「・・・なんでそんなにするんだよ」香久山くんが、足元の小石を拾って手の上で転がしながら、真面目な顔をして言った。
「さっき私を助けてくれたから、そのお返し」
「ミキは・・・香久山くんと、お友だちになりたぃ」
ミキちゃんが下を向きながら「友だちになりたい」と小さな声で言った言葉で、香久山くんも私も黙り込んでしまった。
明るい日差しの中、ガタガタ道の向こう側で白い花が春の風にやさしく揺れている。
「うん、わかった」
とつぜんの香久山くんの声に「えへ?」と私は変な声をだしちゃった。
「もしも前の友だちに会えたら、お前らとも友だちだ」
「本当に?」
「ああ、約束する」
「ミキうれしい!絶対に会いに行こうね」
うれしそうに話すミキちゃん、横を向いて少し照れた感じの香久山くん。
きっと必ず会えると私はもう信じていた。