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私が6歳の時に、王家で王妃主催の茶会が開かれた。
招待されたのは同じ年ごろの子どもを持った貴族たち。
その時のお茶会で初めて、私は綺麗な目を持った澄んだ空気を身にまとった男の子に出会った。
ふたつ年上だったけれど、彼は私よりも、ずっと年上のよう見えるぐらいに大人びていた。
「初めまして、オスカー・ディオ・グランドールです」
オスカー様は、私に挨拶したわけではなかった。
けれど、オスカー様の視線は真っ直ぐに私に向かっているように見えた。
黒いふたつの瞳が、私だけを映している。
運命だ。
「私はきっと、この方のお嫁さんになるんだ」
今となって、笑えるぐらいに、勘違いした。
お茶会から帰って、両親にオスカー様と結婚したいと告げた。
両親は喜んで、「シャーロットなら、お似合いよ」と言った。
だから、私は舞い上がってしまった。
必死で勉強して、嫌いだったダンスも頑張った。
人よりも何倍も勉強して、好きな甘いものも食べ過ぎないように注意して。
少しでも美しく見られるように、背筋をピンッと伸ばして胸を張った。
「お似合いですね」と口先だけの言葉も、嬉しかった。
やっぱり、オスカー様の横に立てるのは、私しかいない。
馬鹿みたいに、信じていた。
「ローズブレイド公爵家はダメだ。あの家にこれ以上の権力を渡したら、国内が揺れる。王家の力を削ぐような家の娘とは、結婚できないよ」
そうか。
私は国内の情勢なんて何も考えていなかった。
ただ、王太子様がカッコよくて、キラキラしていて、彼の横に立てば世界一、幸せになれる気がした。
彼は見た目通り、きっと私に笑いかけてくれて、いつでも、フェミニストで。
きっと、私を愛してくれる。
だけど、何もわかっていなかったのは私だった。
彼は本当に、王太子として優秀な人だった。
国を治める人が、単純なキラキラとした王子様でいられるわけがないのに、私は外見しか見ていなかった。
私はネコの体をゆっくりと持ち上げると、窓から月を見上げた。
この体になったのは、自分への罰なのかもしれない。
馬鹿な私は、もうシャーロットに戻ることを許されないのかもしれない。
そしたら、きっとノアの元でネコとして生きていくのだろう。
私はピョンッと飛び降りて、ノアの眠るベッドの上に上がった。
ノアが静かに寝息を立てている。
「ノア」と呼んだ声は、にゃぁと短く響いた。
「ミルク、どうした?」
私の声に気が付いたのか、ノアが重たそうな瞼を持ち上げた。
「にゃぁ」と鳴いてみると、ノアがフッと笑った。
「なんだ? 寂しくなったのか? 仕方ないな」
ノアが「おいで」と招いてくれるから、私はノアの顔の横に歩いた。
彼の真横で白い身体を丸めた。
「一緒に眠るか?」
私はチラッとノアを見た。
その視線は、まっすぐに私を見つめていて、今度は勘違いじゃないと思った。
「ミルクはあったかいな」
ノアの手が私の背中を、優しくなでてくれる。
「踏みつぶさないか、心配だな」
笑いながらも、傍にいることを許してくれる。
「にゃぁ」と鳴いたのは、「おやすみ」の代わり。
ノアはまるで、私の言葉が分かったかのように、「おやすみ」と答えてくれた。
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真夜中。
ふと、目を開けたら、不思議と身体が重たく、思えた。
ネコの柔軟な体では感じなかったか、ずっしりとした重み。
ゆっくりと身体を持ち上げると、視界の中に広がった銀色の髪。
持ち上げた手は、人の手だった。
私、シャーロットだ。
呆然と自分自身を見下ろした。
真横を見れば、ネコの時と同じように、すやすやと寝息を立てているノアがいた。
人の手で、ノアに触れたら、手がひどく熱く感じた。
「ノア」
発音した言葉は、久々の言葉でかすれていた。
私はそっとノアの頬に触れた。
目を開けないノアは、すっかり寝入っているようだった。
ネコのミルクを信頼しているように思えて、少しムッとした。
私はそっと、身体をかがめると、ノアの頬に唇を寄せた。
―――侯爵令嬢として有るまじき行為だと分かっていた。
自分自身の行為が恥かしくなって、顔に熱がこもった。
「馬鹿」
ノアに向けた言葉か、自分自身に向けた言葉か、わからなかった。
私は深く瞼を閉じた。
次に目を開けたら、また、ミルクに戻っていた。
ノアの頬に口づけをしたのが夢なのか、現実なのか、わからなかった。