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しばらくして、ノアがどこからか、猫じゃらしをもらってきた。
私は最初、猫じゃらしなんかで遊ぶものか、と視線をそらしていた。
けれどネコの体になると、ネコの習性まで体に染みついてしまうのかもしれない。
視界の端で揺れる猫じゃらしが気になって仕方がない。
私の前でフヨフヨと揺れる猫じゃらしに、パッと前足を出してしまった。
それから理性が無くなってしまったように、猫じゃらしを追いかけた。
公爵令嬢 シャーロットである自分のことをすっかり忘れてしまい、猫じゃらしに真剣になった。
あまりに一生懸命に追いかけた私の息は、すっかり上がってしまっている。
「ミルク、よく頑張ったな」
ノアは寝てばかりの私を心配して、運動させたかったようだ。
いつの間にかノアに撫でられるのが気持ちよくなっている。
時折、ノアの指に噛みついてみるけれど、甘噛みしているのもじゃれていると思われている。
ノアは夜会で見せていた軽薄な笑みとは違う、無邪気な顔で笑っている。
その顔で笑っていれば、今よりもずっとまともなご令嬢が列を連ねるのに、と不思議に思った。
「ノア、ちょっといいですか?」
ドアをノックして、部屋に入ってきたのは、二番目の王子であるユーゴ・ディオ・グランドールだった。
彼は、頭脳明晰と簡単に言えないほどの天才の頭脳の持ち主だといわれている。
現宰相のご令嬢と婚約していて、数年後には婿入りする予定の王子である。
「おや、ネコですか。どこで拾ってきたんですか?」
どうやらユーゴ王子には、ネコである私は気に食わなかったらしい。
神経質そうなユーゴは、私を見て顔をしかめた。
「可愛いだろ? 王城に迷い込んできたのを保護したんだ。ずいぶん、毛並みがいいから、どこかで飼われていたんじゃないかと思うんだけどな」
「―――まぁ、子猫に害はないと思いますけれど、変なものを王城で飼わないでくださいよ」
「何さ! 私は変なものじゃない!!」とネコ語で反論した。
「何ですか、このネコは?」
急ににゃあにゃあと鳴きだした私に、ユーゴが顔をしかめた。
「面白いだろ? 人の言うことが分かっているみたいなんだよ」
「人の言うことが?」
ユーゴは、私を怪訝そうに見た。
「それで、ユーゴ兄さんは何か用があるのか?」
「そうでした。最近、報告がないのですが、どうですか?」
「あぁ」と頷いたノアが、蜂蜜色の髪をかきあげた。
「ビアンカとは順調に会っているよ。だけど、彼女、頭の中が空っぽそうで空振りな気がするよ」
「やはり、そうですか」
―――ビアンカ?
私は先日、見たビアンカとノアの密会の様子を思い出した。
ユーゴ王子は当たり前のように、ビアンカの浮気のことを知っているようだった。
「もう少し、探ってみるつもりだけど」
「わかりました」
ユーゴは頷くと、クルリと身をひるがえした。
部屋から出ていこうとしたユーゴが、ドアの前で立ち止まって振り返った。
「ノア、君は私たちにとって大事な弟ですよ」
「何、ユーゴ兄さん。気持ち悪いんだけど」
急なユーゴの言葉を、ノアは軽く笑い飛ばした。
「ノアにも出会いがあるといいんですけどね」
「俺なら、毎日、花のように可愛らしいご令嬢と出会っているよ」
「物言わぬ花など、価値はないものです」
鋭い言葉に、ノアは答えずに笑った。
ユーゴは軽いため息をついて、部屋を出ていった。
バタンッと閉まったドアを見つめていたノアは、私に手を伸ばした。
「兄さんたちがいれば、この国はまわる。俺にできることは限られているからな」
悲痛な泣き声のようにかすれた声に、私はハッとして顔を上げた。
小さなネコの目に入ったのは、泣き顔ではなくて、ノアの笑みだった。
声とは裏腹に、ノアは泣き方を忘れたように笑っていた。