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ノア・ディオ・グランドール 第6王子。
俺を含めた6人の王子は、それぞれ腹違いの兄弟だ。
同じ年に月違いで生まれた王子もいるため、6人兄弟とはいえ、一番上のオスカー兄さんとは6歳しか離れていない。
本来であれば骨肉の争いになるところであるが、兄弟仲は不思議なほどに良い。
俺が生まれたとき、オスカー兄さんと、月違いで生まれたユーゴ兄さんは6歳だった。
まだ幼いながらも、すでに二人は天才的な頭脳を示し、頭角を現し始めていた。
第4王子のガブリエル兄さんは魔法の暴発を起こして、その身に宿る魔法の潜在能力を見せ付けた。
その他の兄さんたちも、それぞれに優秀さの片鱗を見せていた。
側室だった俺の母が、俺を孕んだのは、そんな時だった。
すでに5人の優秀な王子がいたため、国内では男よりも王女の誕生が待ち望まれていた。
だから、はっきり言って、俺は「また、男の子」かとがっかりされる対象だった。
俺の母親は、俺の物心つき始めたときに、「女の子に生まれてくればよかったのにね」とほほ笑んだ。
―――俺もそう思う。
きっと、俺が女に生まれてきていたら、様々なことがうまくいった。
こんなにも、劣等感に苛まれる人生ではなかっただろう。
せめて、兄さんたちの邪魔をせずに、少しでも役に立ちたい。
幼い身体と心で、必死にもがいていた。
兄たちの役に立つために、軽薄な王子を演じながら、女性に近づいては様々な情報を集めた。
兄たちが俺に、強要したことは一度もなかった。
俺の独断で、女性に近づいた。
どんなに俺の評判が落ちようとも、気にならなかった。
そもそも、5人も立派な兄がいるんだ。
ひとりぐらい問題のある王子がいても、民にとっても、貴族たちにとっても、たいした問題ではなかった。
「ノア様?」
俺の服のはしをつかんで、俺を見上げた。
上目遣いに見上げた彼女に、俺は眉をひそめた。
銀色の艶やかな絹糸のような髪を持つ、美少女。
両手足は、ホッソリと伸びていて、強くつかんだら折れてしまいそうだ。
少し釣り目の彼女の瞳は、気の強そうな内面を映し出す。
公爵令嬢であるシャーロット・ローズブレイドは、3か月前から俺に近づいてきた。
最初は、どんな思惑で近づいてきているのかと疑ったものだ。
彼女はもともと、王太子妃になることを夢見ていたはずだ。
直接、彼女の望みを聞いたことはないが、彼女がオスカー兄さんを見つめていたことは知っていた。
ローズブレイド公爵家からも、数回、婚約の打診が来ていた。
それも3か月前からサッパリ、なくなった。
代わりに、俺が参加する夜会に現れては、俺にダンスをねだる。
俺が情報収集のために、女性に近づいていくと、彼女は唇をかみしめて少し離れる。
「何をそんなに泣きそうになっているの?」
不思議に思って、彼女に聞いたことがある。
「大丈夫です。だって、こんな気持ち、もっと前から感じているもの」
彼女の言葉は意味が分からなかった。
「ノア様、好きです」
彼女は俺の邪魔をすることはないけれど、隙があればすぐに、俺に「好き」と告げてきた。
あまりにも口にされると、本当なのか、思惑があるのか、わからなくなってくる。
「シャル」
あまりにも彼女が傍にいるから、つい、絆されて、最近では「シャル」と愛称で呼ぶようになっている。
「シャルはオスカー兄さん―――王太子が好きなんじゃないの?」
「私は、いつでも、ノア様が一番です。だって、ノア様の手はいつも、温かいから」
俺の手?
俺は手を見下ろした。
彼女は一体、俺に何を見ているのだろう。
彼女と過ごした時間は短いはずなのに、彼女はまるで俺をよく知っているように話す。
「俺よりも、シャルにふさわしい人がいるよ」
軽薄な第6王子に、輝かしい未来はない。
シャーロット・ローズブレイドであれば、王太子妃になれないとしても、人が羨むところに嫁に行くことができるだろう。
先の見えない俺のところに来る必要はない。
「だって、ノア様と一緒にいたいんですもの。大丈夫です。私、結構、図太いみたいなので」
クスクスと笑う彼女は、数ヶ月前に見かけたときと、ずいぶん印象が異なって見えた。
「俺は、ほかにも、多くの女性と付き合うよ」
俺の意地悪な一言に、シャルはギュッと唇を結んで、うつむいた。
「わかっています。本当は私だけを見てほしいです。でも、すぐには無理だと分かっているので、今は我慢します」
シャルは顔を上げると、俺を真っすぐに見つめた。
「ノア様、いつかきっと、私だけを見つめてくれるように、私頑張ります」
シャルの気持ちは、迷惑なんて思えなくて、俺は感じたことのない居心地の悪さを感じていた。
夜会が始まって、俺は、お目当てのアニストン子爵令嬢を探した。
煌めくシャンデリアの下で、貴族たちは取って付けたような笑みを浮かべながら、社交に明け暮れている。
どうにも、この空気が好きではない。
それでも、毎夜のように夜会に出ていくのは、情報が兄たちの助けになると分かっているから。
「ノア様」と背後から声をかけられた。
従者のグリムが、俺に視線で方向を示した。
グリムの示した先には、アニストン子爵令嬢がいた。
俺は彼女の傍によると、「こんばんは」を笑みを浮かべて声をかけた。
兄たちよりも甘い顔立ち、女性受けすることは自身が一番、よくわかっている。
「よろしければ、一曲、いかがですか?」
王子からの誘いなど、子爵令嬢には夢のような状況なのだろう。
彼女は桃色に頬を染めて、震える手で俺の手を取った。
音楽の鳴り響く中央に進み出ると、彼女をまっすぐに見下ろして、身体を重ねて踊りだす。
彼女はずいぶんと、簡単に俺に色々な話をしてくれそうだ。
アニストン子爵令嬢は、政界でも大した力を持つ家ではない。
しかし、アニストン子爵家が忠義を尽くしているのは、コールドウェル伯爵家という反王家派である。
現在国内は、情勢が落ち着いているが、反王家派は少なからず存在する。
今後、王太子が王になるときに、阻んでくるのが反王家派である。
彼らの動きは常に押さえておく必要がある。
アニストン子爵令嬢は、情報収集にちょうど良い存在だった。
ありふれた茶色の瞳を見つめながら踊っていると、ふと視界の端に、銀色の髪が見えた。
人であふれた会場の中で、俺を見つめている令嬢がひとり。
俺はすぐに彼女を見つけてしまった。
シャルは俺を見つめて、唇をかみしめていた。
悲しみの色がうつる瞳で、俺たちから視線をそらさずに見ている。
シャルに義理立てする必要はないけれど、内側から込み上げてくるのは罪悪感。
踊り終わると、庭園にアニストン子爵令嬢を誘い、話をするつもりだった。
しかし、俺はアニストン子爵令嬢にお辞儀をすると「また」と別れの言葉を口にしてしまった。
アニストン子爵令嬢と別れたその足で、シャルの前に立つと、彼女は息を飲んだ。
「どうして?」
「さあ?」
俺にもわからず、首を横に振った。
「一曲、いかがですか?」
俺が手を差し出すと、彼女は華やいだ笑みを浮かべた。
俺に力を預けて、見上げる瞳は、シャンデリアの光がキラメて輝いでいる。
「シャルも来ていたんだね」
「だって、ノア様がくるってお兄様が教えてくれたから」
「あぁ、ルドルフか」
ルドルフ・ローズブレイドは、優秀な文官で、オスカー兄さんも目をかけている男だ。
「ノア様と少しでも会えたらと思っていましたけれど、まさか、踊ることができるなんて思いませんでした」
「俺とどうして会いたかったの?」
「ノア様の意地悪」
俺は別に、虐めるつもりで言ったわけじゃない。
ただ、シャルの口から答えが聞きたくなっただけだ。
「ノア様が好きだからに決まっているじゃないですか」
最近では、シャルの「好き」が心地よくなっていた。
ダンスが終わり、人込みに戻っていく、
シャルと別れて、情報収集に戻らないと会場を見回した。
すると、突然、シャルが俺の手を振り払った。
突然、手を払ったシャルに俺は驚いて、彼女を目で追った。
シャルが駆け寄ったのは、オスカー兄さんと婚約が秒読みといわれるエリザベートだった。
エリザベートのドレスは、ワインのシミで汚れていた。
王太子妃になることを妬んだ女性たちの仕業だろうけれど、周囲は少し離れたところから、嫌な笑みを浮かべてみているだけだ。
「あら、ヤダ。ワインのシミが」
「よくお似合いじゃないこと?」
令嬢たちの心ない囁きが、エリザベートに向けられる。
表情の変化が少ないエリザベートは、汚れたドレスを見下ろして、立ち尽くしている。
そんなエリザベートに、シャルが駆け寄った。
シャルがエリザベートにさらに追い打ちをかけるのではないかと、想像して、俺は慌てた。
俺がシャルを止めようと足を踏み出した瞬間、
「大丈夫ですか?」
周囲が怪訝な様子で見ている中、シャルは、エリザベートの手を取った。
「素敵なドレスが、大変。汚れてしまっているわ」
シャルの行動に、さすがのエリザベートも驚いたように目を見開いたように見えた。
「貴方たち、人を笑うなんて品位を疑いますわ」
シャルは周囲を見ると、きっぱりと言った。
俺も驚いていたが、会場の端でお忍びできていたオスカー兄さんが眉をひそめて、状況を見つめているのが見えた。
オスカー兄さんは、たびたびお忍びで夜会に現れては貴族の本音を探っていた。
今日も来ていた兄さんは、お忍びだからか、エリザベートを試しているのか、彼女を助けることはない。
静観することを決めているようだった。
俺はシャルを助けたらよいのか、静観したらよいのか、悩んでいた。
何せ、シャーロット・ローズブレイド公爵令嬢と、次期王太子妃となるエリザベート・フローレンス伯爵令嬢が絡んでいるのだ。
一歩間違えると、政界に大きく影響を与える。
しかし、俺が悩んでいる間に、シャルがヤラかした。
「これからは、私がエリザベート様をお助けしていきますわ!」
夜会のど真ん中。
貴族たちの注目の中、ローズブレイド公爵令嬢が、フローレンス伯爵令嬢を支援することを口にしてしまった。
離れたところでみているオスカー兄さんが、微笑みながら、メラメラと怒りをため込んでいるのが、見なくてもわかった。
シャルはエリザベートの手を引き、彼女と共に会場を出ていく。
混乱の中、俺はそっと二人を追いかけた。
「どうして、こんなことを?」
会場の出口で、エリザベートとシャルが向き合っていた。
エリザベートが戸惑っている様子が見えた。
「だって、エリザベートを助けて差し上げたかったんですもの」
「でも、ローズブレイド公爵令嬢様は、オスカー王太子様と―――」
「やめて。私のことは、シャーロットと呼んで。シャルと呼んで、と言いたいところだけれど、今のところ、シャルと呼ぶのは私が大好きなひとりだけなの」
エリザベートの言葉を遮って、片目をつぶって愛らしく、ウインクするシャル。
俺は遠くから二人のやり取りを見つめながら、大きく息をついた。
「よろしければ、替えのドレスを用意しますわ。それを着て、会場に戻りましょう」
シャルの言葉に、戸惑いを隠せないエリザベートではあったが、少し迷って首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、今日は、これで失礼しますわ」
「そう」と呟いたシャルは、寂しそうに見えた。
「シャーロット様、今度、ゆっくりとお話させてください」
エリザベートの言葉に、パーッと輝いたように笑みを浮かべるシャル。
そこまでエリザベートに懐いていたとは初めて、知った。
しかし、エリザベートもシャルの様子に驚いているようだ。
シャルはなぜ、エリザベートを助けたりするのだろうか?
シャルはエリザベートを見送ると、踵を返した。
背後に立っていた俺に気が付いて、シャルが「ノア様!」と声を上げた。
「君は何をしたのか、わかっているのか?」
俺の厳しい声に、シャルはキョトンとしたまま首を傾げた。
「何がですか?」
「何って。シャル、君は会場のど真ん中で衝撃的な行動をしたんだよ? 今、会場では大騒ぎだと思うよ」
「そうですか」
シャルはしたり顔で、頷いて見せた。
俺はシャルの内心が分からなくて、眉間に皺を寄せた。
「あれで、ローズブレイド公爵家がフローレンス伯爵家を支持すると表明したように伝わったんだよ?」
「はい。私、そのつもりで言ったんですもの」
きっぱりと言い切ったシャルに、俺はさらに混乱する。
「もしかして、ローズブレイド公爵の意向なのか?」
エリザベートが王太子妃になることが有力視される中、エリザベートを支持することに回ることで勢力争いに食い込んでいこうというつもりなのだろうか。
「いいえ、お父様には相談していませんし、お父様からも、お兄様からも、大人しくしているように、と言われていますわ」
「それなら、なぜ」
「私の意志ですわ」
シャルは何を考えているのだろうか。
「君の好きな兄さん、オスカー王太子は、この成り行きに対してお怒りだよ」
「あら、王太子様、いらしていたの?」
俺は口を滑らせたと、「しまった」と顔をゆがめた。
「いいのですわ。そもそも、私が好きなのはノア様ですし、少しはオスカー様も困ればよいと思っていますの」
「君、兄さんの思惑を―――」
理解しているのかもしれない。
シャルが、国内の情勢に興味があるとは思えなかった。
しかし、ある程度、理解した上の行動であるというのだろうか。
「私は、ノア様に負担をかけるオスカー様なんて嫌いですの」
「シャル、こんな人のいる場所で、王太子を嫌いなんて言ってはいけないよ」
「いいんですの。だって、私、本当に、ノア様が好きなんですもの。ノア様が分かってくれれば、それでよいんですの」
「―――」
俺は、初めて、シャルのことを信じられた気がした。
シャルは本当に、心から俺を想っていてくれている。
「困ったね。君は、意外とお転婆娘のようだ。しっかりと手綱を握っていないと、振り落とされそうだ」
俺は目をパチパチと見開きしているシャルの腕を取った。
グッと引き寄せると、重なった部分からシャルの心臓の音が響いてくる。
彼女の心臓は俺の心臓のように、鼓動を速めている。
「お手柔らかにね」
3か月前と同じセリフを口にすると、シャルが息を飲んだのが伝わってきた。
「ノア様、好きです」
俺の腕の中で身じろぎして、顔を上げたシャルは、花のように微笑んだ。
唇を重ねると、ふと、数カ月前に失った真っ白い毛並みのミルクのことを想いだした。
「ねぇ、ノア様? 頭を撫でてくれません? 私、ノア様の手が大好きなんですの」
俺を見上げたまん丸いシャルの瞳に、俺は、一瞬、ありえない想像をしてしまった。




