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森の匂いがした。
銀色の艶やかな絹糸のような細い髪が、風に揺れる。
腰元まで広がった髪は、太陽の光を浴びて光のカーテンのようにキラメている。
顔にかかる髪は心地よいばかり、滑らかさを持っている。
細く引き締まった腰付きに、華奢な体付き。
整った品のよい顔立ちのすべてが、侯爵家の娘として申し分がなかった。
「なんで、なのよ」
湖に顔を映すと、水面にゆれる美少女が映りこむ。
ナルシストではなく、誰が見ても文句のつけようがない美少女だ。
持って生まれた素質と努力の賜物でつくられた完成された美が映っている。
公爵家の娘であるシャーロットは、王家の長男であり、現王太子のオスカー・ディオ・グランドールと2歳差という年回りで生まれた。
初めてお茶会でオスカー様を見たとき、私は、必ず「この方のお妃様になりたい」と思った。
美男子で頭もよく、人当たりのよい、パーフェクトな王太子様の横に並んでも、遜色ないように努力をした。
七光りだけで妃になったといわれないように、外見も中身も、努力をした。
それなのに、なぜ、私が王太子様の最有力妃候補ではないの?
先日、舞踏会で王太子様は、私よりも位が低く、私よりもずっと見た目が普通のエリザベートをお相手にしていた。
隣にいるはずの私の居場所は、そこにはなかった。
オスカー様が笑いかけたのは、完璧な王太子妃になれる私ではなかった。
悔しくて逃げるように王都から一番近い森の別荘に来た。
涙を見られることも嫌で、護衛を巻いて森林浴に来た。
「なんで、よりにもよってエリザベートなのよ!」
彼女は地方領主の娘、伯爵家の令嬢で、氷の令嬢と呼ばれている。
ニコリとも笑わず、愛想の欠片もない。
あんな鉄仮面な女が、王太子妃候補だなんて。
私が微笑めば、外交だって一発でうまくいくほどの効力があるのに。
それでも、オスカー様が手を取ったのは、私ではなかった。
どんなに綺麗でも、どんなに優秀でも、オスカー様は私の手を取らなかった。
エリザベートが裏で手をまわしたに違いない。
きっと、内面も鉄仮面のように恐ろしく冷たいに違いないわ。
近くにあった石を腹立ちまぎれに、湖に投げた。
チャポンッと音を立てて、湖の底に落ちていく。
次の瞬間、パシャッと水面から何かが飛び出した。
一瞬のようでいて、切り取られた写真のように、目に焼き付いた場面。
水面から飛び出したのは七色に光る不思議な魚。
空に向かって飛び上がった魚が、キラキラと光りながらゆっくりと水面に戻っていく。
息を飲むような神秘的な光景に、私はポカンと口を開いたままだった。
水面に沈んでいく魚を、一瞬の時間、瞬きせずに見送った。
沈んだ魚が跳ねた衝撃で、湖の水が全身にかかった。
「えっ、ヤダ。びしょ濡れじゃない」
抜け出してきただけに、濡れて帰ったら、侍女たちにグチグチ言われてしまう。
「もう、ヤダ―――」
呟くような言葉と一緒に漏れたのは、かかった水飛沫だったのか、涙だったのかわからなかった。