第一話「始まりと入部」
高校時代というものは、大人と子どもの堺を行き来する何とも微妙な時期だ。
だからこそだろうか、その中途半端な時期、青春と呼ばれる程のかけがえのない思い出が多くできていくものだ。
大人になった今だから言える。
戻れるものならば、高校時代に戻りたいと。
それ程までに大切な思い出がそこにある。
私が過ごした高校時代というものはかけがえのないもの、だったのかもしれない。
まだ大人になりきれず、かと言って子どもでもない時代の話。
高校二年生の春。私は静かに、静かに恋をしていた。
市立杜若高校。
この市の中では一番大きいであろう高校だ。
そこに私、高山結城は所属していた。
高校に入ってから早一年。
持ち前の大人しさからか、友人もそれ程できなかった私は、高校の教室の角、窓際の、一番奥の席で小さく彼のことを見ていた。
スラリと長い足。細すぎず、かと言って筋肉が程よくついている体躯。
柔和な表情は、おそらく大人の女性であっても落とされてしまうのではないだろうか。
中央で少し分けられた髪はワックスで丁寧に整えたことが分かり、彼がとても身嗜みに気を使っていることが伺える。
テノールの声は心地よく、どこか透き通っていて思わず聞き惚れてしまいそうなほどだ。
スクエア型の眼鏡は、彼の知性的な顔をより際立たせる。
そのレンズ越しに覗く少しだけおっとりと垂れている目に、その少し下の泣き黒子。
チャームポイントなんて、一時期は女子が口にしていたが、彼にとってのそれはきっとそこだ。
授業中なのにも関わらず、思わずぼぅっと彼の顔を見てしまっている私がいる。
これはきっと恋というやつなのだ。
そう、自分の中では確信めいたものがあった。
授業中のちょっとした背徳的な行為。
胸が少し脈打つテンポをあげたことに気づいた。
このまま時が止まってしまえば…。
そう思った時、ふと彼と視線がぶつかった。
視界の中で、彼が小さく微笑んだように見えた瞬間。
バチッ
何かが弾けるような音がして、視界が小さく明滅する。
クラスメイトの小さな悲鳴。
男子の疑問に思うような呟きを聞いて、私はまた、「やってしまった」と、視線を落とした。
クラスの電気を灯していた蛍光灯が明滅している。
恐らく先程のバチッという音は、あの蛍光灯の中で火花が走った音だろう。
やれやれと、彼の困ったような声が聞こえた。
「また、ですね…。最近多いですけど、何らかの不調でしょうか?」
…私には人に言えない秘密がある。
この世界には普通の人間以外に、超能力を操れる部類の人間が居る。
巷では都市伝説として伝わっていることなのだが、その超能力は多岐に渡り、やれ炎を熾せるだとか、やれ天候を操作できるだとか、面白おかしく広まっている。
そんな超能力者、なのだが、実を言うと本当に存在しているのだ。
ただ、それを公表することはちょっとしたリスクが伴うため、秘密、という形になっている。
そして、私は小さい頃から、その超能力、というものを身につけていた。
感情が大きな起伏を見せるとき、必ずと言っていいほど、近くにある電気機器がショートを起こす。
その程度の超能力。
感情に左右されるのもあり、今まであまり積極的に人に関わらないようにしてきたのだが、最近はめっきりダメなのだ。
その原因はわかっている。
「おや、チャイムもなってしまいました。蛍光灯のことは私の方から担任の先生に伝えておきます。では、今回はここまで」
日直の気だるげな号令が聞こえる。
優しげな表情を絶やさない彼。
クラスメイト、否、一部の女子からも人気のある、現代文の教師、高坂史人先生に、私はどうやら恋をしてしまったようなのだ。
***
昼休み。
高校の授業、特に火曜日はあっという間に過ぎていく。
一限目の現代文の授業が終わったあとは身が入らない調子で授業を受けていた。
そのため、時間が過ぎるのもあっという間だった。
クラスメイトの騒がしい声を背後に、持ってきたお弁当を持ち出す。
身が入らない授業を経て、やっと落ち着いてきた心臓。
脳は次の行動を、今日の弁当をどこで食べるかを考えていた。
そんな時だっただろうか。
「結城!」
ハッキリとした声が私を呼ぶ。
低く響いてくる男性の声。
その声の主を私は知っていた。
「霰川君…」
よっ、と片手をあげる男子生徒が居る。
一年の時から同じクラスで、一人でいる私によく話しかけてくる男子、霰川直人君だ。
彼はニカッと屈託のない笑みを浮かべると、私の隣へと歩みを進めた。
私も自然と彼の歩みに合わせて歩き始めた。
彼は数少ない私の友人だ。
友人と呼んでいいのかは少しの不安があるが、何分よく彼の方から絡んでくれている。
恐らく今日はいっしょに食べようということなのだろう。それならば誘いにのらないのは失礼に当たるのかもしれない。
断る理由もないのだから、誘いには乗るべきだろう。
中庭に二人で移動して、適当なベンチに席を取る。
彼はよく食べている近くのコンビニの唐揚げ弁当を取り出すと「いただきます」と挨拶をした。
私も朝に作っておいた弁当を取り出し、昼食をとり始める。
もぐもぐとしばらく咀嚼をしていると、彼はいつものように会話を始めた。
「いやぁ、記録更新やな、高坂先生の授業!」
「記録って、なんの記録…?」
「なんのって。ほら、あの蛍光灯!」
「あー……」
思わず目をそらす。
間違っても、あれは自分がやったんだよなんて言えるわけがない。
面白そうに話す彼には悪いが、私は苦笑しかできなかった。
「あんなに頻繁に壊れたんじゃあ、費用もめっちゃかかるやろなぁ!それも、ピンポイントに高坂先生の授業だけやし。なんか高坂先生、そういう幽霊に憑かれとったりしてな?」
ほら、ポルターガイストとかいうやろ?と、手をぶらんとして、よくあるお化けを表すジェスチャーをする霰川君。
本当に苦笑しか溢れなくてぎこちない反応になってしまう。
面白おかしく話す彼と高坂先生に無性に謝りたかった。
一般の人間は超能力者のことなんて知らないのだから、その被害を被ってしまっている高坂先生は勿論、何も知らずに話す霰川君はなんとも可哀想に見えるものだ。
男子高校生ということもあって、あっという間に最後の一つとなった唐揚げを口に放り込んだ霰川君はそんな私を見てどう思うのか。
苦笑されて嫌な気分になっていなければいいなと思う。
だが、そんな時だっただろうか。
彼が何かを思い出したような声をあげる。
そして私の方を見るとこう問うてきた。
「せや、結城。放課後暇か?」
突拍子もない問いに、少しだけ返答が遅くなる。
放課後には何も用事は入っていなかったはずだ。
人と関わることを積極的にしなかった私は、部活動や同好会、研究会にも入っていなかったから、よっぽどな補習がない限りは基本的に放課後は暇をしている。
そのことを霰川君に伝えると、彼はニヤリと何かを企てているような笑みを浮かべた。
「じゃあ空けといてな!」
多少強制力のある言葉。
一体何をするのか、何を企てているのか。
気になり問おうとしたときに丁度彼は立ち上がった。
「じゃ、そういうことやから、よろしゅうな!」
「え、あ、ちょっと…!」
立ち上がった後、彼は走り去っていく。
昼食のあとはそういえば体育だったはずだ。
女子は教室で着替えるが、男子は更衣室で着替える。
早めに体操着を取りに行かなくては、女子が着替える中に入っていくことになるため、恐らく走っていったのだろう。
とはいえ、目的も述べずに走り去っていくのは如何なものだろうか…。
「まあいいか…後で聞こう…」
少々憂鬱な気分になりながらも、弁当の残りを平らげた。
***
「ほら、こっちやで!」
放課後、授業が終わるとすぐに準備をして彼は私の席の前に来ていた。
そして、私が帰り支度をしたのを見ると彼はついてこいと言わんばかりに教室を出て行った。
先を歩く彼についていく形になる。
どこに行くのかと聞く間も無く、彼は階段を上っていく。
一体どこへ行くのだろうか。
しばらく歩くと、彼は一つの教室の前で立ち止まった。
プレートには実験室Bと書いており、中から人の声がする。
彼はふと私の方に振り返ると、いつもの屈託のない笑みを浮かべ、実験室の扉を開いた。
そこには4人の人物がいた。
一人は実験で先生が手本を見せるであろう教卓の上に座っており、一人は黒板に何らかのキャラクター?だろうか、を落書きしている。
もう一人は実験机の前の椅子に座り、文庫本を読んでおり、最後の一人はその文庫本を読んでいる人物の前でじっとその人物を覗いている。
一体ここはなんなのだろう。
説明を求めるように霰川君に視線を向けると、彼はその4人の人物たちに声をかけた。
「おっすー。なんや、今日は全員おるやんけ」
「んあ?なんだ、霰川じゃん。今日は助っ人とかなかったんだ?」
教卓に座っていた女子生徒が気だるげな表情で返事を返す。
黒髪のその子は二つ結びの、謂わばおさげと呼ばれる髪型をしていたが、なんというか、フィクションの中で示されるような性格ではなく、とても挑発的な、それでいて自信に満ち溢れている表情をしていた。
ただ、彼女は右目に医療用の眼帯をしており、パッと見て目立つ容姿をしている。
切れ長の目はその目立つ容姿もあってか、尚更彼女に近づきがたい雰囲気を醸し出していた。
その彼女の後ろから、ひょこりと茶髪の男子生徒が顔を出す。
「霰川さん、こんちはッス!いい天気ッスね!!」
「おー、せやな。今日は気温もええ感じやし過ごしやすい天気やったの」
隠しきれない明るさというのだろうか、声もかなり通るその男子生徒は、霰川君以上の屈託のない笑みを向けている。
まるで笑みで勝負しているのか、と問いたくなるくらいだ。
そして、その声に釣られたかのように、実験机で向かいの子を見ていた男子生徒がこちらに寄ってくる。
彼は少し子どもっぽい笑みを浮かべた。
「直人君、いらっしゃーい!今日は何にする?ご飯?お米?それとも、ら・い・す?」
「面白ないで」
「えー!ひどーい!!僕結構考えたのにぃ!!」
「そのネタ、インターネットの掲示板で見たことあるネタやん、考えたんちゃうやろ…」
むぅと、少々頬を膨らましたその子はチラリと私の方を見る。
そして、ふにゃりと笑顔を浮かべた。
男子生徒にしては中性的で、かわいい系、というやつだろうか。
少し子どもっぽい動作だ。
そして、彼の視線がこちらに向いたので私の存在に気づいたのか、眼帯をした女子生徒が私の方を見た。
ギロリといった感じだろうか。
もしかすると彼女は睨んだつもりがないのかもしれないが、やはりどことなく圧のある子のように思う。
「アンタ誰?…"オカ研"に何の用?」
「……オカ研?」
私がキョトンと目を丸くすると、霰川君が私を庇うように前に出る。
そして、眼帯の彼女に話し始めた。
「ほら、前から言いよったやん?クラスで入れてみたい奴がおるって、そいつやって!」
ふーん。
興味があるのかないのか目をじとりと細めた彼女は私を見る。
どこか品定めをされるような意図を感じ、背筋に嫌な汗が伝った。
どこか緊張してしまう。
だが、彼女が次に言った言葉で、その緊張は更に強いものになる。
「アンタ、超能力者なワケ?」
「え……?」
思わず目を見開いた。
まさか学校の中でその言葉を聞く日が来るとは思っていなかった。
しかも、自分を指してその言葉が飛んでくる日が来ようとは、過去の自分は考えられただろうか。
答えを急かすような視線。
少し困ったような表情を浮かべている霰川君が口を開こうとした時、彼女はそこに重ねて、「なんだ、違うの?」と声を発した。
嫌な汗が今度は額を伝う。
言っていいのか、それも、一般の生徒に。
思考の渦に入りかけた時、パタリと紙がぶつかる音が響いた。
先程までずっと実験机の前で本を読んでいたもう一人が本を閉じたのだ。
その男子生徒は歩みをこちらに向けると口を開く。
「霰川が説明してないんだったら、僕達のことも一般人だと思ってるんじゃないの?」
男子生徒にしては長い睫毛を持ったその人は私の近くまでやって来た。
先程は遠くてあまり見ていなかったが、目の前の彼は正に容姿端麗と言うに相応しい人物だった。
スラリと通った鼻筋、中性的な、それでいてとても整った顔立ち。
幼さも残しながらも、大人の男性を思わせるような色気を持っており、見つめられれば、初対面ながらにドキリと胸が鳴る。
サラサラとした髪が窓から入ってきた風に揺らされ、彼の美しさを際立たせていた。
目がそらせない。
なんとも不思議な感覚だった。
「ねぇ、君は超能力者?」
「…は、い」
するり。
彼に問われた瞬間、何故だかその答えが口からこぼれ落ちていた。
吃驚している私を他所に、彼は目を細めて、まるで自分の仕事が終わったかのように元の席に戻っていった。
一体なんだったんだ。
そう考えたのも束の間、眼帯の彼女が小さく笑みを浮かべ言葉を発した。
「そっかぁ、じゃあようこそって言うべきなのかな?いらっしゃい、能力者さん」
「……え?」
「ここはオカ研、そして、それと同時にアタシ達能力者の隠れ蓑。カンゲーするよ、新人さん」
先程とは打って変わった態度。
先程までの態度が排他的だったのに対し、今は友好的な笑みを浮かべている。
それでも彼女の鋭い瞳は私を中心で捉えているのだが。
「よっしゃ、七瀬もちゃんと認めてくれたし、これで入部の条件はクリアやな!」
霰川君が嬉しそうに声を上げる。
入部の条件と聞いて先程の眼帯の彼女の言葉が蘇った。
「私が超能力者だってわかってたから連れてきたの…?」
「おう!まあ一年の時からずっと見てきたからなぁ、なんとなく、能力者やなってことは勘付いとったで?」
ごめんな、何も言わずに連れてきて。
彼はそう言って小さく謝った。
警戒するとでも思ったのだろう。確かにその通りだ。
それに周りに人もいたのだから、事情をあまり説明できなくても仕方がない。
私がどこか納得のいったような表情をすると、近くにいた子どもっぽい彼が私の手を取った。
「やったー!新入部員さんだ!ね、ね!お名前は?」
「え、あ、高山結城」
「結城ちゃん!いい名前だねー!僕はね、橙前俊介!よろしくねー!!」
ぴょんぴょんと跳ねる勢いの彼はそう言うと先程の美人な子のところへと戻っていった。
呆れたように眼帯の彼女がため息をこぼす。
「ま、俊介はいっつもあんなんだから気にしないで。…あぁ、そうだ、紹介が遅れたね。アタシは七瀬。七瀬翼咲。よろしく」
「あ、よ、よろしくお願いします…」
「結城、七瀬は同い年やから敬語やなくても大丈夫やで!」
「そうなの?」
「マーソウダネー。アタシはD組。アンタB組でしょ?いうてそこそこ人いるんだから知らなくても全然普通でしょ」
あ、ちなみにここにいるの殆ど同い年だから。
気だるげな彼女は、手をヒラヒラとしながら言った。
「あー、そうそう、で他の奴ね。あっこで本読んでるのが竹乃宮雪。アタシと同じくD組の奴。で、そっちにいんのが……」
「オレは葛城ッス!みなさんの一個下、現在1年生ッスね!」
「唯一の後輩ってワケ」
「そう、なんだ」
能力者の隠れ蓑だというからにはきっと今紹介された人たちは皆超能力者なのだろう。
なんだかすごいところに入ってしまった。
わからないことも多い中、眼帯の彼女、七瀬さんが色々と説明をしてくれようと口を開いた時だっただろうか。
実験室の扉が開く。
ガラガラという音に釣られてそっちを見た時、私は胸が飛び出そうな程驚いた。
「皆さん、揃っているようですね」
そこには、高坂先生が立っていたのだ。
いつもの朗らかな笑みを浮かべた先生は教室に入って扉を閉めると、こちらに歩み寄ってきた。
普段近づいたことのない程の距離感。
鼓動が、テンポを上げていくのを感じる。
「ようこそ、オカルト研究部へ。歓迎しますよ、高山さん」
はにかむ先生。
いつもより距離が近いのも相まって、私の心臓は破裂しそうなくらいに跳ね上がっていた。
「まだわからないことも多いでしょうから、沢山聞いてくださいね」
これからよろしくお願いします。
穏やかな彼の笑み。
もう限界だった。
バチィッ
「ギャッ!?ちょ、なによコレ!!」
「蛍光灯が割れたッス!?」
「あっちゃー…先生まーた修理やで」
ご愁傷様。
という声と共に教室には私の何とも言えない悲鳴と、七瀬さんの叫び声。
そして先生の苦笑が響いたのだった。
第一話です。
長編を書くのは初めてなので続けられるように頑張っていきたいと思います!