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人の賑わう中央区から外れた、吹きさらしのだだっ広い石畳。
決闘場、とも称されるその広場は、その名に相違なく、ところどころに傷跡を刻んでいる。
その中心。対峙する二人から離れながらも円になり囲んでいる野次馬が声を荒げる。
「加減するなよライジル! 本気で行け!」
「殺しはご法度だぞー」
「舐められた分見返してやれー!」
「嬢ちゃんに全額賭けてんだ! すっ転んで頭打てライジル!!!」
「はっ、好き放題言いやがってよ。なぁ、逃げんなら今のうちだぜ?」
「……」
いつの間にか賭け事さえ始めだし、勝手な盛り上がりを見せる観客。ベット状況は著しく偏っており、喧騒の内容から察するに、少女に賭けているものは片手で数えられる程度しかいないことは明らかである。
「だから、あまり煽るなと言うのに……」
「マスターは参加しないのか?」
「お前さんこそ」
「賭け事に使う金があればわざわざ酒場の手伝いで小銭稼ぎなどしていない。まあ、連中の断末魔が聞けると思えばそれが戦利品ってとこだな」
「……驚いた。お前さんはライジルが負けると?」
騒ぎの輪を少し外れた箇所から、改めて中心に立つ二人を見やる。
巨体を持つ大男に対するのは、小柄な少女。恐らく成長期を終えてすらいないだろうその身体は、日中の陽光が作るライジルの影にすっかり覆われている。打撃の一発でも擦れば吹っ飛んでしまいそうな、それほどの体格差があった。
「余程のアホかビビりでもなければ、奴の攻撃を避けることなど造作もないだろうよ」
「せめて喧嘩慣れでもしてればそうだろうがな、貴族の嬢ちゃんに出来るかね」
「肝は太そうじゃないか。ライジルは魔法も不得意だろう? 炎の玉すら完全詠唱じゃないと使えないんじゃ、魔法も相手は避け放題。あの巨体相手に肉弾戦を挑む程の阿呆もそうそういないだろうし」
「魔法戦に持ち込まれたらライジルが明らかに不利か。——おお、始まるようだな」
「……なんだぁ、ピクリとも反応しねぇじゃねぇか。まさかマジでびびっちまったのかぁ?」
「……」
「なあ、聞いてんのかよ!」
「……喋ってないでさっさと始めない?戦闘じゃ私に勝てそうにないからって口喧嘩にでも移行したの? それでも良いけど」
「……てめぇ!」
少女の嘲笑を浮かべた態とらしい煽りに激昂したライジルが腰に下げた鉄パイプを握り、大きく腕を振りかぶった。激しい音と共に汚れた石畳から砂塵が舞い上がる。少女に当たりこそしていないが、抉られた地面がその衝撃の強さを物語っており、周囲が沸き立つ。
「当てろやライジルー! 当たれば一発KOだー!」
「もっと振り回せ!!」
衝撃音は止まらず、次々と舞う砂埃で視界が曇る。
「ちょこまか逃げんな女ァ!」
「そっちが遅いだけでしょ」
言葉通り、少女はろくに逃げてはいない。砂塵で視界の悪い中でも、ほとんど歩くようなスピードで左右に避けている程度であるのが見て取れる。
しかし、反撃に出る様子も全くない。ライジルのスピードは皆無、攻撃の手を休める気配はないが、少しでも戦闘の経験があれば反撃に出る隙はいくらでも見つけられる。それはこの場にいる全員が理解していることで、少女に賭けたのであろう数人は、必死の形相で攻撃に転じろと叫んでいる。
いよいよ視界が悪くなり、互いの姿も影のようにすら映り始めたところで、ライジルの動きが止まった。
「舐めた真似しくさりやがってよぉ……」
「何、もう終わり?」
「ふざけんな。ラチがあかねえんじゃ仕方ねぇだろ。……"来たれ生命の灯火、敵を討て! 炎の玉!!"」
瞬間、構えられた人差し指から、燃え上がる炎の玉が放たれた。しかし怒りに任せた炎は飛距離もコントロールも足りず、少女の遥か手前で落ちる。地面を焦がすに留まったそれに、騒ぎの外でマスターは小さく安堵の息をついた。
「……はあ」
「完全詠唱であの程度か。魔法は変わらず不得手のようだな」
「これで魔法戦に移行となれば、嬢ちゃん有利か……おや?」
ライジルの魔法の力量を知れば、距離を取って魔法攻撃でもって迎え撃つのがセオリーである。魔法攻撃の利点は数あれど、その中でも際立つのがリーチの長さだ。相手が魔法に不得手、となれば、得物も魔法も届かない距離から戦えば良い。誰しもがその手を打つだろう。
しかし少女に下がる気配はない。焼け焦げた跡をじ、と見つめるばかりだ。
「……まさか、ここに来て怖気付いたか?」
ぽつりとマースが呟いた刹那、ライジルの巨体が少女に迫る。
「ぼーっとしてんじゃねえ! 炎の玉ァァ!!!」
指先が少女に当たらんばかりの距離。
誰もが目を見開くよりも先に、轟音と煙が辺りに充満した。
「……想定外だな。奴が一詠唱を習得しているとは」
「言ってる場合か! 直撃だ、早く回復を……」
一人冷静に呟くマースの背を、慌てた様子のマスターが叩く。促されるままに歩を進めようとして、
「——なに?」
徐々に晴れ行く煙の中、小柄な人影は変わらずに真っ直ぐ立っていた。
「……外した、のか?」
「馬鹿いえ。流石にどんなノーコンだろうとあの距離を外す方が難しいだろう」
魔法が放たれたのは、文字通り少女の目と鼻の先。周囲から見ても、間違いなく外しようのない距離だ。今までとは異なるざわめきに包まれる中、誰よりも「外しようがないこと」を理解していたライジルが漸く口を開く。
「どういうことだ? 手応えはあった! 俺の魔法は直撃したはずだ!」
「……魔法?」
「答えろ!」
ライジルの丸太の如き太い腕が少女の胸倉に迫る。
しかしその手が触れるよりも前に——少女の姿が、消えた。
「……っ!?」
「! ライジル!! 上だ!!」
少し離れた位置からすれば、視認するのは容易であった。
少女は遥か高く跳んで、ライジルの視界から外れたのだ。周囲の声に彼が反応するよりも速く、肩越しに軽く跳び越え、そして。
気付けば、その巨体が高く宙を舞っていた。
「ぐぅっ!」
重たい音と共に、前方へと遠く距離を置いた地面へと打ち付けられる。残ったのは、軽く着地した少女のみだった。一瞬静まり返った空気が、徐々に騒がしさを取り戻す。
「……何が起きた?」
「あのガキがライジルを吹っ飛ばしたってのか!?」
「いや無理だろ」
「でも確かに、どう見ても、ライジルをぶん投げてたよな」
最早勝負はついたも同然である。各々が好き勝手に決闘の様子を話す中、強かに身体を打ち付けていたライジルに軽く回復魔法をかけたマースが、一人立ち尽くす少女に歩み寄る。